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【第四章】
一
しおりを挟む王族の墓は、エルベ教会にある。
アリシアは、聖堂裏にあたる一角に佇んでいた。
正面に、真新しい一基の墓石。
「昨夜ね、夜会に出たの」
この墓の前に足を運んだのはまだ3回目だったが、墓の主に声をかけたのは、初めてだった。
「あなたが見たら、きっと腰を抜かしちゃうくらい豪華で、華やかだったわ」
もの悲しい微笑みが口許に浮かんだ。
墓碑には、クラウスの名が刻まれていた。『長き神の眠りを護りし勇者』という言葉とともに。
アリシアはそっと膝をついた。
ぶり返してきた寒さに凍える芝生が、冷たい感触を返す。白い息が、アリシアの色を失った唇から切なく漏れた。
「だけど。すごく、寂しかった」
生没年のない墓碑。アリシアの知らない間に、この国は二度の大きな内乱を経験した。そのうちのフライアの乱と呼ばれる内乱で、城の書庫に火が入り、王国誕生期に関する文書がほとんど失われた。240年眠る姫がいると言う事実ですら、ヴォルの調査で初めて明らかになったものだった。花の宮でアリシアを護っていた遺体の名も、彼女の言葉から判明したにすぎない。
「寂しかったの……」
温室で摘んだ名も知らぬ黄色の花を捧げると、まるで堰を切ったように涙があふれた。
この石の下に愛する者が眠っている。二度と目覚めることのない、永遠の眠り。
もうあの力強い腕で抱き締めてはもらえない。あの甘やかな眼差しで見つめられることもない。あの飄々とした口調を耳にすることもない。
「つまらない。あんなにも心細い夜会、初めて。たったひとりで、なにもなくて。……あなたがいないから」
いったい誰が、クラウスの墓に花を捧げる日が来ると思っただろう。
頬に数日前受けた痛みが浮かび上がる。
クラウスはもういないのだと、痛みがよみがえるたび思い知る。それは、寂しさにクラウスを求める心に、己の現実を深く吹きつける痛みに変わってゆく。
「逢いたい、クラウス……!」
アリシアは身体を折った。
「ずっとずっと、ずっと一緒にいたい。そばにいたいのに……」
こみ上がる涙が、次から次へと墓石にこぼれ落ちる。きつく喰いしばった口からは、深い悔恨の念が悲鳴となってほとばしる。
「ごめんね、こんなのって。辛かったでしょう? 悔しかったよね? 本当に、本当にごめんなさい……!」
あまりにも唐突な別れに、アリシアはただ謝罪の言葉しかない。それはこの3ヵ月、クラウスの存在から目をそらしていた自分の不誠実を感じたせいかもしれない。
厳しい寒さは過ぎ去ってはいたが、やはり刺すような冷たさに容赦はない。しびれをきらした護衛官たちに身体を起こされるまで、アリシアはずっとクラウスの墓石にくずおれていた。
遠く、闇に凍るひそやかな風にのって、仮面舞踏会のさざめきが流れてくる。
アリシアは小卓の小さな仮面にちらりと目をやった。それは、オーヴル王子から贈られた、極光の妖精を模した仮面だった。7色の羽根を周囲に連ね、真っ白な紗が緩いひだをつくっている。
数日前までのアリシアならば、そのきらびやかな意匠に胸躍らせ、仮面をつけた姿をオーヴルに披露していただろう。けれど、もう遅かった。
時代をとびこえ、洗練され華やいだ文化に浮かれ酔いしれていたアリシアは、もうここにはいない。精緻な飾りの施された窓の蝶番に眉をひそめ、小卓の脚の裏側まで彫り込まれた装飾から目を背ける、簡素を好む純朴なひとりの娘に戻っていた。
スカートに入れる鐘型の型にも、腰をしぼる補正下着にもまったく興味を示せない。あんな辛いものを、よくも3ヵ月間つけていたものだと自分自身感心してしまう。まわりくどい言葉遣い。おためごかしの言葉遊び。ゲームのように楽しんできたそれも、いまでは莫迦ばかしくてならない。
虚しさばかりが、胸に沈んでゆく。
重く着飾るドレス。目の奥を射る眩しい光。どこを見ても焦点の定まらないうるさい装飾。それらはアリシアの意識の上を滑り、なんの感慨も見いだせないまま、遥か向こうへと飛び去ってゆく。
アリシアは夜着の上に上着を羽織り、静かに廊下に出た。
「どちらへ?」
控えの間にいたエノーヴェが訝しむ。アリシアの恰好は、どう見ても舞踏会に出席するものではなかった。
「散歩」
「ですがこのような時刻に」
「外の空気に当たりたいの」
ややきつい言葉に、エノーヴェは一瞬口を閉ざし、では、と続けた。
「トゥウィルムとズィーフをお連れくださいませ」
「護衛官はいい」
エノーヴェは眉を曇らせ、明らかに不服そうな顔をした。
「ひとりがいいの。それともこの城はそんなにも危険なわけ?」
「そういうわけではございません。ただ、女性は一人歩きをするものではないのです」
「そんなの、わたしの知ったことじゃない」
「アリシアさま」
ひとりさっさと外に向かうアリシアの背に、非難の声が投げかけられる。
「ついてこないで。いい? これは命令よ」
「アリシアさま」
エノーヴェの声を無視し、アリシアは廊下を行き、中庭に出た。
さすがに、屋内よりも空気はひときわ冷たい。小さく身体が震え、上着の前を掻き合わせた。
白い息を吐き、アリシアは天を仰ぐ。宮殿の煌々と輝く明かりに、星々は薄く霞んでいた。
アリシアはあてもなく、そぞろに歩を進めた。警備兵に見つからないよう、明るいところを避けて歩く。月明かりのもと、中庭は同情を誘うほど潔く刈り込まれた樹木の姿をうっすらと浮かび上がらせている。やや離れたところにある四阿で揺れる人影は、睦言を囁きあう恋人同士なのだろう。
「誰もいないね」
アリシアはひとりごちた。
「わたし、どうしちゃったんだろう」
エノーヴェの言葉に自問する。
眠りに就く前ならば、決してしないことをいましている。夜、一人で歩く。240年前ならば、あまりにも危険すぎて想像することすらできなかったのに。
あの頃はまだ、城内にさえ敵がいた。夢で見た毒見の死は、実際の記憶としてアリシアの中にあったものだ。
ふわふわと夜を歩く。
闇はアリシアを正直にさせた。胸の内に、投げやりになっている自分がいる。もう、どうだっていい。
なにげなく横を見、そこにあった静かな闇に落胆を覚える。どこかにクラウスがいるかもしれないと期待していたらしい。
「……莫迦みたい」
自嘲の形に唇が歪んだ。そんな自分がおかしくてならなかった。なにをやっているのと、クラウスに怒られることを期待している。
「いじらしいじゃない」
小さな嗤いが喉から漏れたとき、アリシアは現れた光景に目を瞠った。
それは、記憶の底に眠っていた庭園の姿だった。
あちこち傷み、いたるところが崩れていたけれど、王城が完成したときに造られた裏庭だった。木々に囲まれたここでよくクラウスと過ごしたことを覚えている。
感嘆の声が漏れた。
青白い月明かりに、おぼろに現れた廃墟の庭園。噴水の水は涸れ、積み上げられた石壁も崩れ落ち、石畳はひび割れて枯れた蔦が幾重にも覆いかぶさっている。
こここそアリシアが240年の眠りに就いていた花の宮だったが、そのことを彼女は知らない。
アリシアに判ることは、ここが思い出の場所だということだった。
廃墟にこざっぱりした庭園の姿が重なる。
胸に熱い想いがあふれてくる。
石畳の感触が懐かしい。
変わり果てた己の部屋よりも、廃墟と化したみすぼらしい裏庭のほうがずっと親近感がわいた。どこよりも、心が落ち着いた。
天を仰げば降り注ぐ満天の星たち。自然、顔が和んだ。
クラウスの知る星空。アリシアの知る星空。
漆黒の天空に吸い込まれる感覚に、アリシアは身をまかせた。
なにもかもが、満ち足りてゆく。
穏やかな想いが、アリシアを満たしてゆく。
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