夢の国のネガティブ王女

桜井 小夜

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第4章 開幕

18.二度目の舞踏会は荒れ模様〜その1

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 眩しく輝くシャンデリア。
 煌びやかな衣装を身に纏った大勢の男女が華麗に踊る大広間。
 壁際のステージで優雅に演奏する楽団。
 隣の大広間へ行けば、とてつもなく広いテーブルに盛り付けられた豪華なご馳走の数々。
 うん、私のような平民には場違い感半端ないです。
 見るだけで挫けそうになる意思を奮い立たせて、私は前を向いた。
「ヴァネッサ王女殿下、ユージン王子殿下。ご婚約おめでとうございます。大変喜ばしい知らせに我が領民一同心からお祝い申し上げます」
 次から次へと何某貴族がやってきて祝辞を述べる。
 今回、ユージン王子が来訪したのは結婚のためではなくサフィニア国内に向けてのお披露目のため。
 だからお祝いの言葉も「ご結婚」じゃない。
 さりとて、婚約自体は二人が子供の頃に取り交わされているから正確にいうと「ご婚約」でもないんだけど、他に言葉がないからか、みんな同じ言葉を使っていた。
 王子は持ち前の爽やかスマイルでそつなくこなしている。
 その背後に従者の正装に身を包んだノーマくんが立っている。まるで無表情でこっちには完全に目もくれない。
 離宮でおしゃべりできた時は年相応に喋ってくれたけど、もう私のことは敵、みたいな雰囲気がびしびし飛んでくる。
 この世界に来る前の私なら、「なんなの?!」ってなってこっちも敵意で返していたけど、今はそんな気持ちは不思議と出てこない。
 だって、そんなことをすれば全てが台無しだってわかってるから。
 私は一人じゃない。
 本当なら王女様に託す思いを、こんな未熟な私に託してくれた人たちのためにも、やり遂げなくちゃいけない。
 私ができるのは王女様のフリだけ。
 あとは、宰相さんが言ったみたいに、何事もなくお披露目式が行われて王女様が救出されればいいだけ。
 本当はノーマくんの敵意を解きたいって思う。
 せっかくユージン王子とは手を取り合えているのに、ノーマくん一人だけと仲良くできないままなんて嫌だ。
 イリーナさんの時も思ったけど、知り合った人が後に不幸になったらすごく嫌。王子だってノーマくんのこと大事にしてるし、本当の王女様のことを知ってもらえれば、きっと誤解も解けるはず。
 だから、どうか変なことが起こらないまま終わってほしいと思う。
 そう心の中で思いながら、私も王子に負けじと笑顔を浮かべて祝辞を受け続けた。
 挨拶一つで終わる貴族はまずいない。
 その後に必ず何かしら言われた。
 領土内の問題だったり貿易の話だったり。どれもこれも世間話を装ってる体で、視線がガッツリ訴えていた。中には自分の身内の結婚相手を探してるなんていう人もいて、これから結婚する王女様と王子を前に、何言ってるんだって思ったよ。
 こういうのが王子や宰相さんが言ってたやつかなー、なんて思いながらなんとか受け流していた。
 やばいやつは目でわかる。粘りつくような視線なんだもん。絶対なんか企んでるってわかるから、こっちも最初から身構えて応じられた。
 ペアの女性からも必ず声をかけられた。
 みんな揃って、自己紹介の後の第一声が「素敵なお召し物ですわ」。それが何十回も続くと流石に疲れた。相手は初めて言う台詞でも、私は毎回同じ台詞を返さなきゃいけないんだもん。
 でもそう言われると嬉しい自分もいる。
 今日は前回の舞踏会と同じ赤いドレスだけど、素材とデザインが全然違う。
 光沢があって手触りがめちゃめちゃいい生地だ。テレビでしか見たことがないけど、これがベルベットってやつかな。触っただけでテンションあがっちゃった!
 ハイネックになってて、肘まで同じ色の手袋があるから、露出は肩だけ。ショーリアの翼をイメージして作られたっていうレースが胸元と足元を飾っている。
 それから手元にはメラニーさんがくれたブレスレット。
 本当はコーディネートを考えるとダメだったんだろうけど、着付けの時にどうして持ってお願いした。大舞台を前に、形あるものを身につけないと気持ちを落ち着かせたかった。
 メラニーさんを困らせちゃったけど、後ろから見ていたハンナさんが髪飾りを替えることでつけることを許してくれた。
 王女様とユージン王子への挨拶のために並ぶ貴族の列を前に、手を重ねるふりをしてそっとブレスレットを撫でると、それだけで気持ちを奮い立たせられる気がした。
 それから、まだ精神的に余裕があるのは、宰相さんが舞踏会の会場に想像以上に気を配ってくれてたから。
 メラニーさんは侍女として傍に控えてくれている。それだけでも心強い。
 サマンサさんとジルさんは別室で控えている。
 護衛騎士のみんなは壁際に配置されているし、その中の何人かは貴族として服装を改めて会場内を内密に巡回している。
 イアンさんは巡回役で、ついさっき貴族として挨拶に来てくれた。他の貴族たちと同じ言葉を口にして、私も王女様としての言葉しかかけれないけど、いつものふんわり笑顔が見れて、やる気がバッチリ充填された。
 ロドスさんは壁際。目が合った時、遠目だったけど笑いかけてくれたのが見えて心強くなった。
 舞踏会の会場は、奥側が一段高くなっていて玉座が置かれている。そこには舞踏会の始まりからずっと国王様が座って見守ってくれている。
 うん、私には味方がいっぱいいる!
 気をつけるのは口調と姿勢と笑顔!
 どんなやつでもどんとこい!


 会場に入る前、国王様がわざわざ会いにきてくれて声をかけてくれた。
「気分はどうだね?」
 いつも着ている服よりもさらに豪華な飾りをさらっと着こなす国王様は、現れた瞬間からその場が華やかになった。男性に華って言ったらおかしいけど、背景にブワッと花が飛ぶ幻覚が見えたわ。
「緊張してますけど、でも私、戦闘準備万端です!」
「それは頼もしい限りだな。会場に入る前に、深呼吸をするといい。そして肩の力を抜きなさい」
 国王様に言われてハッとした。
 緊張を跳ね飛ばそうと自分を奮い立たせていたけど、言われて初めて肩が上がっていることに気づいた。
 それって王女様としてはすごい不自然だ。
 私は言われた通りに深呼吸して、改めて国王様にお礼を言った。
「はい、ありがとうございます」
 国王様も、私の様子を見て頷き返してくれた。
「壇上から見守っている」
「はい!」
 颯爽と去っていく国王様はとにかくかっこよかった。


 宰相さんも国王様のそばに控えていて、常に会場全体に目を配っている様子だった。
 一番びっくりしたのはイリーナさん!
 なんとドレス姿で登場した!
 しかもちゃんと髪も結ってお化粧もして!
 イリーナさんが現れた瞬間、会場に響めきが走ったのは衝撃だったわ。
 絶世の美女、ううん、女神が降臨したかのような興奮ぶりだったから。
 他国の貴族だけじゃなくて、サフィニアの貴族さえ慌てふためいていた。周りの貴族たちと早口で何か喋っている集団があちこちで見えた。
 元々イリーナさん着飾ったりしない上に常にフードかぶってたから、誰もあの絶世の美女が魔法師団長だとは思っていないんだろうな。それにあの性格なら、研究所とかにこもって滅多に出てこなさそうだし。
 初めは様子を伺っていた貴族たちが、一人が声をかけたのを皮切りに殺到し出した時には、イリーナさんの苛立ちが爆発するんじゃないかと思って心配した。でも宰相さんがさっと割って入ってイリーナさんをエスコートしたら、その後は誰も近寄らなくなったのにはびっくり。
 何でだろうって思ってたら、隣に立つ王子がこっそり教えてくれた。
「エスコートなしでの入場とは剛気なご令嬢だな。だがまぁ、魔法大国サフィニアの宰相とやり合いたいと思う人間はほとんどいないだろうね」
 あ、そうだった。
 ここでは男女ペアで参加するのが当然なんだった。婚約者とか夫婦とか、いなければ兄弟姉妹とか友人とかに頼む。
 イリーナさんはたった一人で入ってきたから、「相手がいない」って公言しているようなもの。独身の身内を持つ貴族が集るのは当然だった。
 そこへ宰相さんがエスコート役をすると、貴族たちは宰相さんの婚約者なんだと思う。宰相さんは国王様のそばに控えているから、後から来たんだろうって。サフィニアと友好関係を保ちたい人たちは、宰相さんが相手なら波風立てたくないって判断して引いたってことかな。
 宰相さんを伴ったまま、イリーナさんがスススッとやってきた。
「ああやだやだ。だから嫌だったんだ。面倒臭い鬱陶しい無駄なことこの上ない」
 隣に王子がいるっていうのに、イリーナさんの口調はいつもと変わらない。
 しかも美しい顔を盛大に顰めている。それなのに美人が損なわれないってどういう顔なんだろう?
 宰相さんが顔を顰めて「アル、言葉を弁えなさい」って言ってるけど、完全に無視している。
「イ…、アル? そう言うものではないわ。私はあなたのドレス姿が見られて嬉しいわ。どういう心境の変化かしら?」
 イリーナさんって言いかけたのを慌てて直した私をチラッと見て、イリーナさんが唇を尖らせた。
「ロイに言われたんだよ。何かあった時その場で対処できるよう会場内にいろって。いつものローブ姿だと舞踏会の雰囲気ぶち壊しだから必ずドレスを着てくるようにって」
 そう言って隣に立つ宰相さんを睨み上げたけど、逆に宰相さんも澄ました顔で無視を決め込んでいる。
 私はちょっとびっくりして宰相さんを見た。
「ヴァネッサ王女? こちらは?」
 イリーナさんと初対面らしい王子がタイミングを見計らって尋ねてきた。
「失礼しました。こちらは我が国が誇る魔法師団の師団長アルバート・ポトフです。今回、舞踏会の警備に万全を記すために直接会場内にて監視を行っております」
「なるほど。サイネリアは魔法に疎いが、あなたのお名前はかねがね伺っている。私自身、魔法への興味は尽きない。今後ともぜひよろしく頼む」
 優雅に一礼する王子を、イリーナさんが横目でチラッと見たと思ったら、わざとらしいため息をついた。
 そしてピンク色の可愛らしい唇を開けたかと思うと。
「ああ羨ましい。王女の横にずっといられるなんて。羨ましすぎて張り倒したくなる。僕がもしそこに立てたなら研究だって飛躍的に進んだろうにせめて男だったら大義名分を振りかざせるのになんで僕男じゃないんだこればっかりは父上に賛同する本当に面倒臭い鬱陶しい無駄ばっかり…」
 弾丸のようなイリーナさん節が炸裂した。
「アル、頼むから態度を弁えてくれ。君のその言葉遣いのせいでどれだけ支障が出ると…」
「うるさい。契約事項にドレスはあっても言葉遣いについて言及はなかった。自分のミスを僕のせいにするな」
 さすが、元婚約者同士。
 文句の言い合いも淀みない。
 こんな公の場で、完璧に見える宰相さんが地を出しているのを見られるなんて、すごい新鮮だわ。
 言いたいだけ言ったらしいイリーナさんは「じゃあね」なんて軽く言ってさっさと行ってしまった。その後を宰相さんが慌てて追いかける。
 さっき王子が言ったように、宰相さんの相手だと見せつけたことで言い寄る相手はいないだろうけど、きっと人波のないところに避難しに行ったんだろうな。
 完全に無視された形の王子をチラリと見上げると、想像だにしていなかったであろう光景にまだ絶句している。
 そんな顔を見れたことに、つい吹き出しちゃった。あくまでも手で口元を隠しながら、だけど。
「…ヴァネッサ王女?」
「申し訳ありません。天才は紙一重と申しまして、彼女は生まれながらに魔法の才に長けた者ではありますが、コミュニケーションに若干のコツがいるのです。今の発言も要約すると魔法の研究に集中したいと言っていたのであって、王子のご不快に当たる意味合いは全くこれっぽっちも含まれておりません。どうかご無礼をお許しください」
「なるほど。なかなか面白い者がいるのだな」
 私は冷や汗をかきながら弁明したけど、王子はカラッと笑って流してくれた。
 それにしてもイリーナさん、本当に人付き合いに関しては努力する気ゼロなんだなあ。
 登場から注目の的だったイリーナさんが私たちの前に並んでいた列を無視して割って入ってきたことで、挨拶の流れが途切れた。
 そのおかげで、私は深く一息をつくことができた。
 午後も早くに舞踏会の準備を始めて、空が焼ける頃に招待客が会場入り。
 ある程度揃ったところで、国王様が挨拶をして私とユージン王子が表舞台に上がった。
 同時に楽団が演奏を始めて、王女様と王子に挨拶がある人は私たちの前に集まり、それ以外の人たちはパートナーと思い思いに踊ったり、隣の大広間に用意された立食式のご馳走を食べに行ったりしている。
 国王様は最初の挨拶の後、しばらく玉座に座っていたけど今は退室してる。
 さっきまで玉座の横に立っていた宰相さんはイリーナさんを追いかけていったから、今は玉座を守る騎士が数名いるだけで高座は空っぽだ。
 それからどのくらい経ったかな。時計がないからわからない。窓の外は完全に暗くなったし、体感はだいぶ経ってるって思うけど、こういう時に限って時間が進むのって遅いんだよなぁ。
 舞踏会はまだまだ始まったばかりだ。
 気合一発!
 私はグラスをゆっくり傾けた。
 会場で貴族たちが飲んでいるのは当然お酒だ。ワインとかだと思う。
 王女様自身もお酒は飲めるらしいけど、私はどうしても馴染めなかったから、こっそりジュースにしてもらってる。
 実は事前に試飲してるんだよね。でもアルコールの味がどうしても美味しいと思えなかったんだよね。それに特別飲みたいとも思わなかったし。
 我ながら真面目な舌と頭だなあ、なんて自分に感心しちゃう。
 お子様ってわけじゃないからね。好みの問題だから!
 他の人たちの持ってるグラスを見ると、いかにもワインっていう色だけじゃなくて蜂蜜色だったり綺麗なピンク色だったり、結構カラフルだ。だから私のグラスも似たような色で紛れて、多分ジュースだなんて気付かれることはないと思う。
 バレたらまずいよねぇ。王女様がジュースなんて。
 なんて思いながら甘いジュースを堪能していたら、次の貴族がやって来た。
 その顔を見てハッとした。
「ヴァネッサ王女殿下、ユージン王子殿下。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。ヨルドー伯爵」
 初めての舞踏会で二番目に印象深かった貴族、オレンピーナの産地で有名なフォバーノ地方の領主、ヨルドー伯爵とその奥さんのミネルヴァさんだ。
 ミネルヴァさんと目が合った時、目元を和らげて笑いかけてくれて嬉しかった。
 ああ、ちなみに一番印象深かったのは魔法騎士団副団長さんね。悪い意味で、だけど。
 そういえば今日はまだ姿を見てないなぁ。
 王女様の前に真っ先に現れそうなものなのに。
 あ、でもこの間の街での事件があるから、現れることはないかな?
 そうだと嬉しいんだけど!
 隣の王子が目配せしてくる。
 あ、ヨルドー伯爵のことを紹介しろってことね。
 目配せで意図がわかるようになったっていうのも、我ながら順応力が高いなあ。
「ジャンノット・ミッツ・ヨルドー伯爵と奥様のミネルヴァ・サナタニアナ・ヨルドー伯爵夫人ですわ。フォバーノ地方の領主で、オレンピーナの生産に熱意を注がれていらっしゃいます」
 王子に紹介しつつ、さりげなくヨルドー伯爵を持ち上げる。
 チラッと見たら満更でもない顔をしていた。
 王子の顔がたちまち輝いた。
「フォバーノのオレンピーナはサイネリアでも絶大な人気があります。ぜひお会いしたいと願っていました。お会いできて光栄です」
「とんでもございません。ユージン王子殿下。ようこそサフィニアへおいでくださいました。我が領民一同、歓迎いたします」
 王子とヨルドー伯爵ががっつり握手する。
 その隣で、私はミネルヴァさんとおしゃべりだ。
「ご機嫌よう、ヴァネッサ様」
「お会いできて嬉しいですわ、ミネルヴァ様」
 ミネルヴァさんが扇子を口元に当てて上品に微笑んだ。
「実はあれから、フォバーノは天地がひっくり返るほどの大騒ぎとなりましたのよ」
「オレンピーナの生育に何かあったのですか?」
 急にそう言われて、私はなんの疑いもなく自然にそう返しちゃった。
「ヴァネッサ様。あなた様がすべての原因ですのに」
 ミネルヴァさんの茶目っ気たっぷりな目元を見てハッとした。
 やばい! うっかりしてた!
 初めて会った時、私はヨルドー伯爵にジャムの話をしたんだった。
 大騒ぎってきっとそれだ!
 なのになんて間抜けなこと言っちゃったんだろう。
「原因だなんて人聞きが悪いですわ。私は常々サフィニアの繁栄を願っております」
 動揺がバレないようにニッコリ笑って返したけど、どうかな~?
「ヴァネッサ様のおかげで、フォバーノは変わろうとしています。おそらくは良い方へ」
 ミネルヴァさんは特別私のことに気づいた様子はない。
 とりあえず一安心かな。
 そうすると俄然興味が上回った。
「それでは、オレンピーナのジャムが作られるのですか?」
 ミネルヴァさんがニッコリ笑う。
「市場に回るようになるまでにはまだまだかかるでしょう。夫と同じように、果実をジャムにすることに忌避感を持つ方は多くおりますから。ですが、以前より屋敷では侍女やメイドたちに私のジャムをふるまっておりました。彼女たちが渋る夫や領民を説得する手助けをしてくれたのです」
 そう語るミネルヴァさんは楽しそうだ。
 ジャムに魅入られた女性たちに詰め寄られる堅物伯爵の図。
 想像しただけで笑いが込み上げてくるわ。
 多分ジャムが商品として出回るようになるのは、王女様を救出して私が元の世界に帰った後だろうな。ミネルヴァさんのジャムが食べれないのが、この世界で唯一の心残りかもしれない。
(王女様、どうかミネルヴァさんを助けてあげてください)
 聞こえないってわかっているけど、私は心の中で王女様に呼びかけた。
「きっと成功しますわ。私もその輪にぜひ入れさせてください」
「ヴァネッサ様のお声がなければ、故郷の誇りが日の目を見ることはなかったでしょう。重ねてお礼を申し上げます」
 優雅に一礼するミネルヴァさん。
 私はそんな大層なことをしたわけじゃないし、そんなことをされたら慌てちゃう。
 でも、ミネルヴァさんにとってはすごく大事なことだったんだろうな。
 故郷の味をずっと否定され続けてきたんだもん。
 隣を見れば、王子と伯爵がオレンピーナの輸出を巡って攻防を繰り広げていた。
「陸路ですとやはり関税が…、いやはやかかりますなあ。それにオレンピーナは鮮度が命ですから」
「手続きの簡略化についてはサイネリアでも検討の最中です。それよりも海路はどうでしょう? 陸路よりも断然早い」
「いやはや潮風がオレンピーナの味を悪くしてしまいますからな…」
 伯爵は売りたい側のはずなのに、すごい渋っている。
 一方の王子も決定的なことを言わずに、なんだか回りくどいことを言っている。
 なんでだろうと思ってたら、ミネルヴァさんが苦笑しながらこっそり耳打ちしてきた。
「国外の買い手は希少とはいえ、ユージン王子殿下にまで値を釣り上げようだなんて、商魂逞しいと思いませんか?」
 ああ、そういうことか。
 関税とか鮮度とか言ってるけど、伯爵はオレンピーナをより高く買ってくれる人のところに優先的に送りますよって言ってるんだ。
 対して、王子は値引き交渉して伯爵の別の要望を満たそうとしてるってこと、かな?
 海路がどんな感じなのか全然わかんないけど、王子にとって陸路よりも海路でオレンピーナを輸入できればサイネリアにとって嬉しいことなんだと思う。でも伯爵はなかなかその手に乗ろうとしない。
 本心を隠したままあの手この手で交渉する二人の姿は、私が初めて目にする世界の人間だ。
 きっと一生目にすることがなかった世界。
 でも元の世界にも絶対にある世界。
 そんな世界があることをなんとなく知ってはいてもちゃんと理解したことはなかったし知ろうと思ったこともなかった。
 普段私が目にするものの裏側には、たくさんの人がたくさんの思惑を胸に火花を散らす世界がたくさんあるのかもしれない。
 私はミネルヴァさんにこっそり返した。
「でももしジャムができたら、潮風なんて関係ありませんし、日持ちもしますから陸路も大したことはありませんね」
 ミネルヴァさんは目を丸くして「本当に。わかっているのかしら、あの人?」って笑っていた。
 王子と伯爵の交渉が一段落ついて別れた後、また別の貴族がやってきた。
 その人は今まで見てきた貴族に比べると背中も肩もやけに丸い。丸い顔もいかにも情けなそうな感じで、威厳がすっぽり抜け落ちたような中年男性だ。その隣には、どう見てもご令嬢にしか見えない女性が歩いている。私と同じくらいの若さで、ふんわりセットされた栗色の髪が歩くたびに肩の上で踊っている。
 夫婦、にしては年が離れすぎているように見えるけど、え、もしかして歳の差カップル?!
 待って、トムさんの授業ではそんな説明の貴族はいなかったはずだけど?!
 二人に声が聞こえる距離に来る前に、私はメラニーさんに小声で話しかけた。
「メラニーさん、あの二人ご存知ですか?」
「あれは…、マウロ・コリウス子爵とその娘のリリー・コリウスよ」
「コリウス…。え、メラニーさん、コリウスって…」
「例の彼の養父よ」
 メラニーさんの言葉は少ない。すぐそばに王子がいるからだ。
 よく見ると、マウロさん親子が前に出るのと同時に、周囲にいた貴族たちの密やかなどよめきが増していた。
 メラニーさんがかなり近づいていっそう声を落として教えてくれた。
「貴族の間では有名なのよ。魔法学院を卒業した優秀な魔法使いであるにもかかわらず、突然失踪したコリウス家の養子の話は。子爵という身分ながら、ヴァネッサ様やアルと対等に渡り合うほどの力を持つ養子を誰よりも自慢していたのに、突然の行方不明で名誉も何もかも失ったと噂されているわ。魔法師団への入団を無視したということを含めてもね。その時からコリウス家は社交会では肩身の狭い思いをしているのよ」
 アランさんの義理のお父さんと妹さん、てことだよね。
 そう言われて見ると、マウロさんは周囲の視線に居た堪れないような雰囲気を醸し出している。
 逆に妹のリリーさんは祝いの場には似つかわしくない凄みのある表情をしている。まるで戦場に立つ兵士みたいだ。
 これはなんか一波乱あるかも?!
 コリウス親子は私たちの前まで来ると一礼した。
 マウロさんはおどおどした感じで。リリーさんは形式通りながらも勢いよく。
 まずはマウロさんが形式通りに祝辞を述べる。
「ヴァネッサ王女殿下、ユージン王子殿下。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう」
 って他にどう言えばいいの?!
 王女様誘拐はマル秘情報。それに付随してアランさんのことも重要機密のはずだ。この場で言えることじゃない。
 魔法学院時代の学友っていう接点もあるけど、アランさん本人じゃなくて身内が相手じゃ特別話せるような言葉も思いつかない。
 私の言葉を受けて、マウロさんが口を開けたり閉じたりパクパクさせている。
 それを見ていたリリーさんが顔を険しくして「ああもう焦ったいわ! お父様が言わないなら私が!」って叫んだ。
「実は、王女様にお願いがあって参りました」
「何かしら?」
 平然とした表情で応えつつ、内心めちゃくちゃドキドキだ。
 一体何を言われるんだろう?!
 私が答えられる内容?
 ていうかアランさんのことなら、王子がいるこの場で話しちゃいけないことのような気がするんだけど!
 あ、そうすると迂闊にリリーさんのお願いを促す発言はご法度だった?!
 初手から失敗した気がするー!
 そんな私の台風のような内心を知るよしもないリリーさんがキリッとした表情で告げた。
「どうか兄の捜索にご助力いただけないでしょうか!」
 え、捜索?
「図々しいお願いであることは百も承知しております。ですが兄はサフィニアを裏切るような人ではありません! 確かに頑固で人付き合いが下手で人に勘違いを起こさせるのが得意な人ではありますけど、優しい一面もあるんです。きっと何か事情があって、どうにもならない状況に陥って行方不明になってしまったんだと思うのです。ですからどうか兄の処遇についてもう一度尾考え直しくださいませんか?!」
 ん、処遇?
 ちょっと待って、なんかよくわかんない話になってるんだけど!
 捜索はまだわかる。
 行方不明なのは有名みたいだし。
 でも処遇って?
 まさか王女様誘拐の話に絡んでってこと?!
 でも極秘情報のはずだけど…、アランさんの身内にはもう伝えてあるってこと?!
 行方不明っていうだけでなんらかの処罰が必要になるようなことって何?
 王女様誘拐のことじゃなくて、魔法師団の入団内定を無視したってやつのこと?!
 やばい、わかんなくなった!
 ぐるぐる猛烈回転を始めた私の耳に、メラニーさんの声が飛び込んでくる。
「ヴァネッサ様」
 たった一言でハッとした。
 横にはユージン王子。周りには不特定多数の耳。
 多分リリーさんがこの場でこの話題を口にすること自体、やばいことだ。
 でもそれ以上に私がどう対応するかでその後の反応が分かれる気がする。
 下手に会話に乗ったらアウトだ。
 チラッと玉座を見れば、国王様がこっちを見ているのが見えた。その表情に変わりはないけど、多分案じてくれている。宰相さんはまだ戻ってきていない。
 となると、私一人で何とか乗り切らないといけないってことだ。
 考えろ私!
「あなたは兄想いなのね」
 とりあえず間を持たせようとそう言ったら、リリーさんがキリッとまなじりを釣り上げた。
「それが何か?」
 リリーさん強い!
 急になんの話? って訝しんだり戸惑ったりするかと思ったら、むしろ戦闘スイッチ入ったような返事がきた。
 これは話を逸らそうってことは出来なさそう。
 下手したら余計に騒がれるかも。
「魔法学院では、アランはあまり家族の話をしなかったからここまで仲がいいとは思わなかったわ。あの頃も随分人付き合いを不得手としていたから心配していたのだけれど、アランにとって良い縁だったようね」
「養子だからと兄に不遇を強いているとでも仰りたいのですか?」
 ますます言葉をきつくするリリーさん。
 背後でマウロさんが顔を真っ青にしていた。
 そりゃそうだ。
 王女様に喧嘩売ってるようなもんだもんね。
 私も冷や汗ダラダラだ。
 うっかり言葉選びを間違えると、強固な反発が返ってくるに違いない。
 例えるなら、野球。
 野球のバット持ったはいいけど相手(王女様)にビクビクしながらバッターボックスに入ろうとしている人ならまだ難易度低いけど、やる気満々のリリーさんは、バットをガッツリ握りしめてどんな球が来ようが全てホームランで打ち返す気満々だ。
 迂闊な球を投げられないけど、投げなきゃいけない。
 投げた球が観客にどんな反応を示されるかも想像しながら。
 何この前門の虎後門の狼状態!
 そんな動揺を押し隠して、私は続けた。
「現実として、恵まれた縁ばかりではないという話よ」
 脳裏にチラリとノーマくんの顔が浮かんだ。でもこの話を広げるつもりはない。
 大事なのは、王女様がアランさんを蔑ろにしていないってことをリリーさんにわかってもらうこと。
 街でアランさんと会った時、王女様は怒ってた。
 アランさんが勝手にいなくなったことを。納得できる理由を説明するまで逃がさないって。
 それってつまり、アランさんが戻ってくることを前提にしてると思う。
 だから、王女様ならこう言うかな?
「リリー。私はむしろ安心しているのよ。アランが帰って来た時、暖かく迎えてくれる家族がいるということを知って。アランの才能は高く評価しているわ。突然行方不明になったことについては私も驚いたし本人から直接事情を聞きたいと思っているの。それに、理由もなくいなくなるような不義理な人ではないことも知っている。だからどうか心配せずに待っていてちょうだい」
 リリーさんの表情がちょっと戸惑ったように変わった。
 これ以上の言葉は思いつかない。
 だからリリーさんからマウロさんへ視線を切り替えた。
「コリウス子爵」
 マウロさんに話しかけたら「は、はぃ!」と上擦った声を上げた。
 初め、王女様からアランさんの養子入りの話を聞いた時は「ひどい」としか思わなかったし、お金と引き換えに魔法使いが身内にいるっていうステータスを得ようとした人ってことに憤りもあった。
 それは多分、そういう思惑があってやったんだと思う。
 でも目の前のこの人はどう見ても悪い人に見えない。
 それにリリーさんも。血が繋がっていないアランさんを心配して、王女様に直談判しようとする気概のある人だもん。
 この二人、貴族たちの深謀遠慮渦巻く世界には似つかわしくない人たちじゃないかとすら思う。
 そう考えたら、少しだけ優しくできる気がした。
「色々苦悩していることでしょう。ですが心配はいりません。あなたがすべき事は一つ。アランが帰ってくる場所を守ることです」
「は、はい…。か、格別なご配慮をいただき、ありがとうございます。…リリー! お前も」
 父親に強く促されて、リリーさんもハッとしたように戦闘態勢を解いてくれた。周りの視線に気づいて、みるみる顔色が悪くなる。
 きっとアランさんのことで頭がいっぱいで、他のことは何も見えていなかったんだろうな。
 すごい勢いで頭を下げてきた。
「お祝いの席でこのような無礼、お許しください!」
「初めに許したのは私よ。頭を下げる必要はないわ。…食事はまだ?」
「は、はい…」
「ならば隣の広間へ行ってはどうかしら。宮廷料理人が腕によりをかけた料理が並んでいるのよ。どうか一口だけでも食べてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
 コリウス親子は揃って肩を縮こませて歩いて行っちゃった。
 私、サフィニアに来るまで舞踏会と晩餐会の区別もつかなかった。両方同じ場所にあるもんだと思ってたけど、全然違うみたい。晩餐会はホールにずらっと机と料理が並んで食べるのがメイン。舞踏会は踊るのがメインで食事はない。その中間で、メインは舞踏会だけど、別室に食事が用意してあるパターンもあって、今回はそれ。
 今いるのが舞踏会用の大広間で、続きの大広間に立食形式の食事が用意されてる。
 とりあえず物理的に場所を移した方が、マウロさん親子の居心地もいいと思うんだよね。
「お見事です、ヴァネッサ様」
 メラニーさんがそっと声をかけてくれた。
 よかった。メラニーさんがそう言ってくれるってことは、きっと不自然じゃなかったってことだよね。
 チラッと玉座の方を見たら、宰相さんが戻ってきていて従者に何か話しかけていた。
 後のことはきっと宰相さんがうまくやってくれるかな。
 ほっと一息ついた。
 我ながら現金だなぁ。緊張が解けたら、急に空腹なのを思い出した。
 食べに行きたいけど残念かな。
 主役である王子王女は挨拶が全て終わるまで動くことはできない。
 それ以上に、他のことに気を取られている余裕がなかった。
 だって、私の真横で身震いしたくなる気配が膨れ上がってるんだもん!
「王子。先に申し上げますが、アラン・コリウスは私の魔法学院時代の学友です。先ほど挨拶に参りましたアルバート・ポトスと並んで非常に優秀な魔法使いですが、それ以上でもそれ以下でもありませんので、妙な勘ぐりはなされませんように」
「…君はどんどん逞しくなるね」
 振り返ると、王子が「残念」って感じで肩をすくめていた。
 きっと私が見る前には鬼の形相になっていたんだろうな。
 あ、でも衆目があるからぱっと見は営業スマイル全開だったかもだけど。
「王子の勘違いを正しておかねば、あの方に迷惑をかけてしまいますから」
「君の手腕に免じて、男の見苦しい嫉妬はやめておこう。だが未来の夫君として聞かねばなるまい。アラン・コリウスという男の失踪がなぜサフィニアを揺るがすこととなるのか?」
 王子の視線が鋭くなる。
 私は引き攣りそうになる顔に必死で笑顔を貼り付けた。
 リリーさんとの会話では、できる限り特別な言葉は使っていないつもりだったけど、どこまで察してるんだろう。
 変に言い訳するよりも、ここはスパッと言っちゃえ!
「機密事項です」
 にっこりと微笑み返す。
 しばらくバチバチと睨み合い、王子が軽く息を吐いた。
「いずれ、事の真相を聞かせてもらうぞ」
「その時にはあの方に華麗にあしらわれると思いますよ?」
 真実を伝えられる時は王女様が戻った時。
 きっと私は元の世界に戻っている。
 王子とお別れしなきゃいけないのも、ちょっと寂しいかな。


 その後も貴族の挨拶が続いた。
 長かった行列がようやく途切れた頃、大広間に響く曲調が変わった。
 事前の打ち合わせにあった通り、音楽が変わったら挨拶は一旦終了。
 私と王子が前に出てダンスを披露するって流れだ。
 すごいタイミングいいけど、こういうのって挨拶が終わるのを見計らってやってるのかな。
 なんて他愛もない事を考えていた私は、急速に接近する人物に気付くのが遅れた。
「お久しぶりね、ヴァネッサ王女。ユージン王子もご機嫌よう」
 え?
 誰?!
 パッと振り返ったら、そこには派手な美人さんが立っていた。
 キリッとした目つきに細長の顔。ストレートの黒髪は結わずに腰まで流している。胸元がガッツリ開いていて豊満な胸が盛り上がり、背中は腰まで大胆に露出している。そんな服装が全然違和感ないスタイル抜群な美女だ。
 派手なのは美女だけじゃない。後ろにずらっと侍女と従者を従えている。ちなみに全員美男美女だ。その数十人以上はいるかな。他の人たちはみんなパートナーと二人なのに、この人だけすごいたくさんお供を連れているから余計に目立った。
 侍女さんの中に、一瞬アランさんの顔が見えた気がしてギョッとしちゃった。
 よく見たら女性だし、なんでアランさんに見えちゃったんだろう?
 失礼なこと思っちゃったな。
 目が合ったその女性が、訝しげな顔になった。
 いけない、いけない。
 慌てて視線を戻すも、先手は王子に取られていた。
「これはこれは。ヴァレリー王女。ヴォートン王はご健在か?」
「当然です」
 あれ、王子知ってる?
 ていうか「ヴァレリー王女」ってことは…、まさかドラセナの妹姫?!
 ヴァレリー王女が私を見た。
 その目と合った瞬間、私の全身を何かがビリッと走った気がした。
「五年ぶりかしら。我が兄の王位継承式典にいらっしゃった時以来ね」
「…ええ、そうね。お元気そうで何よりだわ」
 初めて感じる何かに、一瞬返事が遅れちゃった。
 でもその違和感の正体がわからない。
 明らかに目の前のヴァレリー王女からだっていうのはわかるんだけど、その原因がわからない。
 ヴァレリー王女がうっすら目を細めた。
「わたくし、初めてサフィニアを訪れましたが、とても良いところですわね。海と大地に祝福されたかのように豊かで、山奥の何もない我が祖国とは本当に大違い」
「そんなことはありません。世界各地を回るドラセナの薬師の存在は、なくてはならないものです。優秀な薬師を派遣してくださるヴォートン王の御心とヴァレリー様には、サフィニアの民を代表してお礼を申し上げます」
「当然のことをしているまでです。人の命を助けること。それは我が祖が定めたドラセナの存在意義ですから」
 会話は澱みなく続いている。
 でも私の心境は一言で表すと、これ。
 うわぁぁぁ~!
 初めて王子と相対した時とは別種の、腹の底から湧き上がるジリジリ感がやばい!
 なんて言えばいいんだろう。
 ヴァレリー王女の台詞、ごく普通に受け取れる言葉なんだけど、この人のイントネーションが妙に耳につく。
 そのまま受け取っちゃいけない何かがあるって感じる。
 でもそれが何なのかさっぱりわからない!
 トムさんの声が脳裏を過ぎる。
『彼らが何を祝福しているのか、何を危惧しているのか。そして何を求めているのか。それらは直接言葉として発されることはありません。貴族の会話というものは、相手の言動からそれらの機微を推測し、己の利に導こうとするもの。中には二重三重に張り巡らせ、言葉巧みに惑わす者もいるでしょう。狡猾に己の利だけを求める者もいるでしょう。ヴァネッサ様がお戻りになるその時まで、ヴァネッサ様のお立場をお守りできるのはあなたしかおりません』
 ああ、これなんだね、トムさん。
 この人は、王女様に何かを思っている。確実に、よくない感情を。
 それをはっきりさせないと、私の誤った対応が王女様の立場を危うくする。
 だからトムさんが言っていたように、ヴァレリー王女と会う時の王女様は常に臨戦態勢だったんだ。
 唾を飲み込むのに異様に力が入る。
 私にできるかな?
 王女様の表面上の真似しかしきれない私に、王女様が全力で相手しなきゃいけない人を相手に、どこまでできるのかな。
 覚悟が揺らいだまま口を開こうとしたとき、突然横からユージン王子が身を乗り出してきた。
「ちょうどいい機会だ。君とぜひ話したいことがあってね。以前から内密に依頼している件だが、ヴォートン王はどのようにお考えなのか、ぜひお聞きしたい」
 え、なんか会話の方向性がすごい違わない?
 それに内密の話をこんなところでしちゃっていいの?
 私にガッツリ聞こえちゃうよ、王子?
 私も驚いたけど、王女様との会話を邪魔されたヴァレリー王女も一瞬表情が歪んだ気がした。
 王子に向けられたヴァレリー王女の視線が鋭く光る。
 でも表情はにこやかに微笑んだまま。
「もちろんです。我が兄王は慈愛溢れる方。病めるすべての者を救いたいと願っています。ですが、あれの精製には限られた場所、希少な素材を必要とするのです。すぐに取引を行うことは不可能だと、前回もお伝えしたはずです」
「返事は拝見した。それに対するこちら側の返答も送ったのだが?」
「…そのようなお話、今は止めましょう。せっかくのお祝いの席ですのよ?」
 妙にぐいぐい迫る王子。
 あからさまに話を打ち切る王女。
 ど、どうしたんだろう?
 いつもと違うのは王子だけじゃなかった。
「ヴァネッサ様。お話中、失礼いたします。あちらで陛下がお呼びでいらっしゃいます」
 後ろからさっと声をかけてきたのは、サマンサさんだった。
 いつの間に控室から出てきたんだろう。
 え、行っていいの?
 というか国王様から呼ばれたんなら行かなきゃいけないだろうけど、この二人を放置していいの?!
「ヴァネッサ様、参りましょう」
 メラニーさんも促してくる。
 それならと、私はユージン王子とヴァレリー王女に向き直った。
「ヴァレリー様。お話の最中ですが、失礼させていただきます。ユージン王子、ヴァレリー様のお相手をよろしくね」
 ヴァレリー王女は目を細めて「お気になさらないで。またお話しましょう」と薄く笑い、王子は「拝命仕りました」なんて戯けた顔をしていた。
 王子が私から一瞬視線をずらして厳しい表情になった。
 そっちにいるのは、私の隣に控えているサマンサさん。
 え、なんなの?
 ワケがわからないまま、私はサマンサさんの誘導でメラニーさんと共に歩き出した。
「…少なくともヴァネッサ様のお立場への理解は示されておられるようですね」
 先導するサマンサさんが、唐突に小さな声で言った。
 楽団の演奏で周囲の人たちには届かないギリギリの声だ。
「どういうこと…?」
 つい「ですか」まで言いそうになったのを踏みとどまる。
 いつどこで誰が聞き取るかわからないもんね。
 それを考えるなら聞き返しちゃいけないんだろうけど、サマンサさんがわざわざ話しかけてくれたってことは何か聞かなきゃいけないことがある気がした。
「メラニーから離宮での話は聞いております。公の場でどのような立場を取られるのか、こちらとしては懸念事項でしたが、ひとまず杞憂のようです」
 サマンサさんはざっくりした言葉でしか言わない。
 えーっと、つまり?
 離宮での話っていうのは、私が王女様本人じゃないってバレた話だよね。事情はあれど偽物を当てがわれた事実に、王子が大勢の目がある場所で、王女様の立場が悪くなるようなことを言うんじゃないかってことを心配していたってことかな。つまり、私が王女様本人じゃないってばらされるんじゃないかってこと。
 うん。確かにそういう意味なら一安心だ。
 舞踏会が始まってからずっと、王子は私を助けてくれてる。
 …ん?
 もしかしてさっき、妙に強引にヴァレリー王女に話しかけてたのって…?
「サマンサ? もしかして今のも?」
「機転の効くお方ですね。我々影の者が密やかに動き出したのを鋭く察し、時間稼ぎをしてくださいました」
 サマンサさん、今度はかなり直接的な言葉を使ってきた。
 つまり、会場に配置されていた人たちみんながヴァレリー王女を警戒していたってこと?
 素早い動きで私をあの場から離れさせてくれたことに安心する一方、背筋がヒヤリとした気がした。
 国王様も宰相さんも最大級にヴァレリー王女の動きを警戒してるっていう事実。
 そうだよ。
 実行犯はアランさんだけど、王女様の誘拐を企てたのはドラセナだ。
 その国の、国王に近い権力を持っているだろう人が来るとなったら、警戒して当然。
 私、なんでその可能性まで考えてなかったんだろう。
 ヴァレリー王女に相対した時から、ううん、相対する前から臨戦態勢で迎え撃たなきゃいけなかったのに!
 王女様が最大級に警戒する相手だ。最初の挨拶からして、違和感を覚えられたかもしれない。
「…ごめんなさい、失格ね」
「いいえ、想定の範囲内です。これから…」
 サマンサさんが不自然に言葉を切った。
 俯きかけてた顔を上げると、目の前に新たな試練が立っていた。
「ご機嫌いかがかな? ヴァネッサ王女。いや、ヴァネッサ王女の皮を被った偽物め!」
 魔法騎士団副団長ジェラルド・ハイドランジが仁王立ちしていた。
 遠くで、ドラセナの姫がうっすらと笑っていた。
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