夢の国のネガティブ王女

桜井 小夜

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第3章 案外自分のことなんてわからないもの

11.城下町3

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 喧騒がほとんど聞こえない建物の陰。
 私は胸に手を当てて建物に寄りかかるようにして荒い息をついていた。
 こんなに全力で走ったのっていつぶりだろう。
 なんてことを呑気に考えながら隣をちらりと見た。
 そこにはローブの人が地面に座り込んで俯いていた。
 肩が大きく揺れているから、私以上に運動不足なんだろうな。
 これっていったいどういう状況?
 このローブの人が王女様を誘拐した人、だよね?
 でもこの人とは別にローブの人がいて、その人が私を攻撃しようとしたとき、この人はそれを防いだ。一瞬の出来事で全然見えなかったけど、あの水色の閃光みたいなの、この人の魔法だよね。この状況から考えるとそうとしか思えない。
 そしてここまで私を連れて逃げた。
 これって助けてくれたってことでいいんだよね?
 どういうこと?
 それにしてもローブの人、なかなか息が整わないな。
 とりあえず背中さすってあげるか。
 急に運動して体がついていけなかっただけだから摩って治るものでもないけど、なんとなくね。楽になる気がして。
「大丈夫ですか?」
 声をかけると、その人は跳ねるように顔を上げた。
 癖っ毛の髪は焦げ茶色。黒い目が私をマジマジと見ている。
 結構若い人だ。二十代くらい?
『アラン…』
 王女様の声がする。
 もしかして知り合い?
『王女様、知ってるんですか?』
『前に少し話したけれど、魔法学院の同級生よ』
『あ! 王女様と魔法師団長さんと首位争いした人!』
 思い出した。
 確かサフィニアの隣国ドラセナの出身で、魔法の才能を見染められてサフィニアの貴族に養子入りして魔法学院に通っていたけど、卒業後に行方不明になったっていう人だ。
 でもなんでそんな人がここに?
「あの。アランさん、ですか?」
 話しかけたら、なんでか後退りされた。
「王女様から聞きました。王女様と魔法学院で一緒に学んだアラン・コリウスさんですよね?」
「…それがどうした」
 返ってきた声はすごい不機嫌そうだ。
 でも否定しないってことは人違いじゃないってことだね。
「さっきは助けていただいてありがとうございました」
「…俺に、礼を言うのか」
「はい。助けていただきましたから。でもそれと別でお聞きしたいことがあります。あなたが王女様の魂を誘拐した犯人で間違いないですか?」
 直球すぎたかな?
 でもこのよくわからない状況を少しでもはっきりさせたい。
 するとアランさんは眉間に皺を寄せて私の顔を凝視した。
「お前は馬鹿か?」
 なんですとー?
 いきなり馬鹿ってひどくない?!
 イラッとしたけど、ここはハンナさんのレッスンの成果。にっこり笑顔を崩さずに持ち堪えた。
「ここで取り繕ってなんの意味がありますか?」
 私はアランさんの前にしゃがみ込んだ。
「王女様の魂を誘拐したのはなぜですか?」
「それが馬鹿だというんだ。お前ごときに話すか」
 アランさんは敵意満々の表情で私を睨んでいる。
 うわー。
 既視感というかなんというか。
『魔法師団長さんといいアランさんといい、王女様のお友達って変わった人ばっかりですね』
『変わり者という点では同意するけれど、友達、という点では賛同しかねるわ。それでは私も変わり者みたいじゃない』
 私の感想は王女様にはお気に召さなかったらしい。異議を唱えられちゃった。
『それよりもアランの行動の真意を問いただしたいわ。表立って私を攻撃するような人間がサフィニアにいるとは考えられないわ。魔法学院を卒業した後、行方不明になったのはドラセナに戻りサフィニアを陥れるため?』
「じゃあ質問を変えます。さっき私を攻撃してきた人、ドラセナの魔法使いですよね? あなたも王女様を誘拐した時ドラセナ側の魔法使いだったんじゃないですか? でも私を助けたってことは今はドラセナと敵対してる。でもサフィニアの味方でもない。違いますか?」
 アランさんはちょっと目を見開いたけど、すぐにそっぽを向いて黙り込んでしまった。
 私はそれには構わず、自分の考えを喋ることにした。
「魔法学院で魔法を学んだのは、ドラセナのためですか?」
「…ふん、ただの馬鹿ではないようだ。あの騒動の中でそれだけの情報を拾い上げるとはな。だがやはり馬鹿だな」
 うわ、何この人。
 すっごい上から目線なんだけど。
 なんかすっごいイラってするわー。
 ちょっと前の私だったら即座にキレてたわ。
 けど我慢我慢。
 私えらい。
 大人になったなー。
「この状況を理解できているのか? ならば耳障りな声で喋ってる場合か。お前が何者かは知らんが、王女の中身がこれではサフィニアは今代の王で歴史に幕を閉じることとなるな」
 はぁ?!
 もう無理!
 魔法師団長さんもイラッとする喋り方だったけど、この人の完全に馬鹿にした言葉に頭きた!
「ふざけないでよ! あんたが王女様を誘拐したりするからこんなことになったんでしょ?! 責任取りなさいよ!」
「何を訳のわからないことを。お前が馬鹿なせいだろう」
「関係ないわよ! 私が王女様の体に入っちゃったのは不可抗力だし王女様は悪くないけど、その原因を作ったあんたが一番悪いんでしょ?! ちょっとは反省しなさいよ! それとも自分がしでかしたことの重大さも理解してない? 残念なオツムね!」
「なんだと?! お前のせいでややこしいことになったんだぞ!」
「はぁ? 人のせいにしないでよ!」
 売り言葉に買い言葉とはまさにこのこと。
 お互いにムキになって、いつの間にか私もアランさんも身を乗り出すような口喧嘩を繰り広げていた。
「どうせあんたも魔法師団長さんも学生時代に悪さしては王女様にお仕置きされた口でしょ!」
「何がお仕置きだ! あれはアルがすべて悪い! あのど変態がしでかした事件に何度巻き込まれ何度尻拭いをさせられたことか!」
「うわ。やっぱりそうじゃん。魔法師団長さんと連んで王女様に何変なことしたのよこの変態!」
「お、俺は違う! 俺は何もしてない! 俺はいつだって尻拭いばかりで…!」
 変態と言われた瞬間に赤くなったアランさんの顔を見て、私はぴーんときた。
「あ、私わかっちゃった。あんたもしかして王女様に一目惚れしてる?」
「なん?!」
「図星だ! そんで振り向いてもらえないから気を引こうとして悪いことしたんだ! うわ、やることお子様~!」
「そんなことあるか! テメェふざけんなよ!」
 口喧嘩がどんどん変な方向へ転がっていくけど、私にもアランさんにもそれを止めるだけの冷静さがどこかにすっ飛んでいってしまっていた。裏路地に私とアランさんの怒鳴り声が響いているけど、そんなこと考える余裕もない。
 でも幸いなことに、ここにはもう一人いる。
『二人ともお黙りなさい!』
 脳裏に王女様の声が雷のような衝撃とともに響いて、私は思わず身を竦めた。
 王女様の声は聞こえていないはずだけど、私の体から漏れ出した真紅の光に、アランさんも顔を引きつらせて口を閉じた。
『今がどのような状況か分かっているの?! 喧嘩なら後にしなさい!』
『ご、ごめんなさい…』
『ショウコ! アランに伝えなさい! このまま何も言わずに私の前から消えたら許さないと! 突然消えたと思ったら私を誘拐? あなたはアルと一緒で社交性に難のある人だったけれど、魔法を真摯に学ぶ人だった。それなのに禁忌に手を染めるなんて見下げたわ! 納得できる事情を説明するまでは決して逃さないわ!』
 王女様の言葉をそのままアランさんに伝えると、アランさんがかわいそうなくらい真っ青な顔になった。
 ああ、なんだか察した。
 アランさんのこの性格だと、絶対魔法師団長さんと毎度口論してそう。そんで毎回王女様がこうやって口喧嘩を止めるんだ。
 でも逆に考えると、喧嘩するけど魔法師団長さんと連んで行動するくらい、アランさんは仲良かったってことだよね。
 王女様の話だと、サフィニアの貴族に養子入りしたんだよね。魔法の才能もあるんだから、サフィニアで魔法騎士団とか魔法師団に入るなりいくらでも生きる道はあったはずなのに、なんで失踪したんだろう。
 それになんで急に現れて王女様の魂を誘拐したりしたんだろう。
 情報はこんなに出てきたのに、謎はますます深まるばかり。
「違う、誤解だ!」
 顔が真っ青なままアランさんが慌てたように叫んだ。
「俺は決して禁忌に手を出してはいない! あ、いや…、魂の魔法を行使したという点においては確かに禁忌を犯した。だが人に向けて攻撃魔法を使ったことは一度もない!」
「王女様からです。ならばなぜ失踪してドラセナに属しているの? 魔法師団への入団も内定していたというのに」
 へぇ。アランさんって本来ならあの魔法師団長さんと同じ職場で働くはずだったんだ。
「失踪したわけじゃない! ただ、どうしても気になって…。それに奴らの指示に従ってるのだって仕方なくで。第一! アルと同じ職場とか願い下げだ! しかもあいつの下についた日にはいいように尻拭いに走らされるに決まっている! 絶対にお断りだ!」
 ゴニョゴニョと消え入るように言った言葉は気になったけど、その後の言葉には一番力が入っていた。アランさんの顔も心底嫌そうだ。
 友達でも嫌がるって、魔法師団長さんどんだけのことをやらかしてきたんだろう。
「つまり職場の人間関係が嫌で逃げ出したということね?」
「誤解だと言っているだろう! ああくそったれ! 何を呑気なこと聞いてやがる! この状況をわかっているのか?! どれだけドラセナがこの機会を虎視眈々と狙っていたか! 今も街にはドラセナの息がかかった者がうろついているし、貴族にだって紛れ込んでいるんだぞ?! そんな中街に出るとか不用心にも程がある!」
「つまり今回の事件の黒幕はドラセナなのね」
「そうだと言っているだろう! 奴らは魔法の力を手に入れるためなら手段を選ばない。弱みにつけ込み、必要とあらばどんなやつでも殺す。サフィニアだって領土以上に王家の魔法を手に入れようと企んでいるからで、あの女が権力にものを言わせて…、おいちょっと待て。今のはヴァネッサの言葉か?」
 叫んでいる途中でハッとしたようにアランさんが顔を引きつらせた。
 私は王女様の言葉を伝える時は必ず「王女様から」と言っていた。それがなかったことに、その理由にやっと気づいたらしい。
 ついニヤリと笑っちゃった。
「ひっかかっていただいてありがとうございます。おかげで言質を取らせていただきました」
「くそったれ! テメェふざけんなよ!」
 私の演技に引っかかったことに、アランさんが本気で悔しがっている。
 それにしてもこの人、私より年上に見えるけど言葉が直球というか、反応がストレートすぎない?
 最初の馬鹿にした態度には腹が立ったけど、今の姿はちょっと子供っぽい。言葉遣いもかなり悪い。
 サフィニアに来て初めてこんなに口汚い人見たかも。
 あ、そういえばスリの人がいた。うっかり忘れてた。
 アランさんって確か王女様の話だと貧しい一般家庭の出身だったっけ。それなら納得。
 むしろここに来て一番親近感が湧いてきたかもしれない。
「そもそもお前はどこのどいつだよ! 俺の邪魔しやがって! なんで大人しく城にいない! お前のせいで俺だけじゃなくてヴァネッサの体がどれだけ危険な状況に…」
 喚き続けていたアランさんが急に黙った。
 緊迫した表情で自分の背後に視線を送っている。
 え、なんなの?
 もしかしてさっきのやつ?!
 私もぎくりとしたけど、アランさんの向こうを見て、気が抜けそうになった。
 だってそこにいたのは。
「動くな」
 アランさんに剣を向けるイアンさんだった。
 その表情に私の心はひやっとした。
 見たこともないくらい怖い目つきだったから。
 いつものふんわり笑って柔らかい雰囲気のイアンさんじゃない。
 まるで戦場に立つ騎士だ。
 剣の切っ先はまっすぐにアランさんの心臓を狙っている。
 少しでも不審な行動を取れば切られる距離に、アランさんが冷や汗をかいている。
「両手を上げて彼女からゆっくり離れろ」
 アランさんが言われた通りに私から遠ざかっていく。
「もうじき他の騎士たちが合流する。それまで大人しくしろ」
 イアンさんが油断なく剣の切っ先をアランさんに向けたまま私の方へ近づいてくる。
 チラッと私と目があったイアンさんの表情が、一瞬綻んだ。
 それを見て、私も緊張を吐き出すように息をつくことができた。
 もう安心していいんだよね?
 これでおしまい。
 お城に帰れる。
 そう思った。
 私もイアンさんに近づこうとしたその時だ。
 私を中心に黒い霧が地面から吹き出した。
 何これ?!
 私の足元に魔法陣のような模様が浮かび上がっていたけど、突然のことでパニックになった私は全然気がつかなかった。
「いかん! それは!」
『ドラセナの魔法使い!』
 アランさんと王女様の声が重なった。
 私はイアンさんに向かって走ろうとしたけど、黒い霧が邪魔をして前に進めない。でもすぐ後ろに黒い霧が迫ってる。
「イアンさん!」
「ショウコ! 動かないで!」
 黒い霧に隠される直前、イアンさんが私に向けて剣を突き出した。
 その剣先がライトグリーンに煌めいている。
 剣を向けられているのに不思議と怖くなかった。
 だってイアンさんだもん。
 絶対に助けてくれる。
 そう思ったから。
 何かの破裂音がして、黒い霧がライトグリーンの光で明滅した。
 その直後に霧が晴れてイアンさんの姿が見えた。
 イアンさんの後ろで、アランさんが杖を振りかざしている。その杖が向けられているのは私とイアンさん。
 けどイアンさんは私を見ていて背後に気付いていない。
 私は思い切ってイアンさんに手を伸ばした。
 イアンさんの手が私の手を強く握って引っ張る。
『ショウコ、魔法陣を見て!』
 王女様の声がして、私は即座に振り返った。
 その瞬間、私の体から真紅の閃光が走って黒い霧と魔法陣を丸ごと粉砕した。
 うわ、王女様の魔法すごい!
 でもさらに事態は急展開を迎える。
 遅れてアランさんの魔法が発動。
 それは私が直感した通り、私とイアンさんを攻撃するためのものじゃなかった。
 でも、私に向けられたものだった。
 正確にいうと、私の中にいる王女様に向けて。
『アラン?! 何を…!』
「アランさんやめて!!」
 胸が焼けるように熱い。
 王女様の悲鳴が聞こえる。
『ショウコ、アランの家族を…!』
 そして、体の中から無理やり熱を引っ張り出されたかのような強烈な衝撃を受けて、私は気絶した。


 目覚めた時、私は王女様の私室のベッドで寝ていた。
 気分がすっきりしない。
 おかしいな、ここ最近は寝覚がいいのになんでこんなに悪いんだろう。
 強く目蓋を閉じてもう一度開けた時、頭上にメラニーさんの顔があった。
「メラニーさん?」
「よかった…」
 ハの字になった形のいい眉が緩んで、メラニーさんがほっとした表情になる。
「ショウコ、気分は? どこか痛むところは?」
「ちょっと気持ち悪い、です。でもなんで…」
 起き上がろうとして、すぐにメラニーさんが助けてくれた。
「ショウコ、街で倒れたことを覚えている?」
 メラニーさんに聞かれて、ぼんやりしていた頭が急に動き出した。
 そうだ、私、今日はイアンさんとメラニーさんと一緒に街に出掛けたんだ。
 お茶飲んで海を見て、美味しいご飯を食べて。それから市場を見学して。
 ああ、市場でスリにあったんだった。
 スリの子供達に取られたストール、どうなったかな。王女様の物なのに。でもあの子たちも随分古い服を着ていた。丈も合ってなかったよね。
 サフィニアは豊かに見えたけど、でも貧しい人も少なからずいるんだなぁ。王女様には申し訳ないけど、あのストールを換金すればたくさん食べ物買えるよね。あの子たちがお腹いっぱい食べられるといいけど。
 それから、ああそうだ。
 スリの人から助けてもらったんだ。
 あの副団長さんに。
 そこをなんとか切り抜けようとしたら、王女様の声がして。
 気づいたら王女様の同級生だったアランさんと一緒に逃げていた。
 もう訳がわかんない。
「大丈夫…、覚えてます。でもその後どうなったんですか? そうだ、イアンさんは?!」
「落ち着いて。順を追って説明するわ」
 起き上がろうとしたけど、メラニーさんに「急に起き上がってはダメよ」ってベッドに押し戻された。
「市場で逸れた後、秘密裏に護衛していた騎士たちがあなたを見つけた時、その場には気絶したあなたとイアン・サントリナしかいなかったそうよ。犯人は逃走中。現在護衛騎士数名と魔法師団の魔法使い達が捜索中よ。イアン・サントリナも捜索に当たっているわ」
「そうですか…。どのくらい寝てたんですか?」
「お城に戻って一時間というところね」
 私は深く息をついた。
 きっと私が気絶して倒れたから、イアンさんはアランさんを捕まえることができなかったんだ。
 気絶してイアンさんの足を引っ張っちゃうなんて最悪。
 そんなことを考える私をメラニーさんが心配そうに覗き込んだ。
「ショウコ、もっと休ませてあげたいのだけど、陛下からお呼びがかかっているわ。動ける?」
 国王様が?
 そうだ!
 大事なことが分かったんだ!
 それを伝えなきゃいけない!
「大丈夫です!」
 私は勢いよくベッドから飛び降りた。
 そしたらメラニーさんに「無理は禁物よ!」って怒られちゃった。


 メラニーさんに手伝ってもらって着替えをして、国王様の執務室へ向かった。
 執務室の前でメラニーさんと別れて、私は一つ息を吐いた。
 国王様の侍従さんが丁寧に扉を開けてくれる。
 中にいる国王様と宰相さんの姿が見えた瞬間、私はあることを思い出した。
 やばい、私またやらかしちゃったんだった!
 せっかく国王様のご厚意でお忍びで街に行けたのに、顔を隠すためのストールなくすわ副団長さんに疑われるわ、挙句にあんな騒動に発展しちゃった。
 もう二度と私室から出るなと言われてもおかしくない。
 ヤバイ、国王様の怒りの顔と、宰相さんが底冷えする目で言われる未来がありありと想像できる。
 いや!
 怒られるとわかっていても、二人に会う機会はもらえたんだ。ちゃんと事情を説明して謝んないと!
 私は早鐘を打つ心臓を抱えながら、執務室に入った。
「体調がすぐれないとは思いますが、事の詳細を教えていただけますか」
 入ってすぐに、宰相さんからかけられたのはそんな言葉だった。
 あれ、底冷えする目、じゃない?
 国王様はいかつい顔してるけど。
 私がお忍びの服から王女様の服に着替えている間に、国王様と宰相さんには報告が入ったらしい。でも簡潔なもので、詳しい事情はまだ聞いていないって宰相さんに言われた。
 そこで、私は市場であったことを話した。
 スリの子供達と怪しい男に足止めされてイアンさんとメラニーさんと逸れてしまったこと。怪しい男に絡まれているところを副団長さんに助けられて、でも王女様の偽物ではないかと疑われたこと。その情報をもたらした誰かがいること。そして、昨日の夜から王女様と会話ができなくて、絶体絶命のピンチの時に王女様の叫び声が聞こえて魔法で助けてくれたこと。ドラセナの魔法使いに攻撃されかけたけど、そこをアランさんが助けてくれたこと。そしてイアンさんに助けられて気絶したこと。
 全部を話し終えて、私は頭を下げた。
「ごめんなさい。せっかく街を見る機会をいただいたのに、こんな結果になってしまって…」
「顔を上げなさい」
 椅子から立ち上がる音がして、国王様が言った。
 恐る恐る顔を上げると、想像していた怒り顔はなかった。
 国王様は沈痛な面持ちで私を見ていた。
「此度のことはすまなかった。随分怖い思いをさせてしまっただろう」
 逆に頭を下げられて、私はただただびっくりしちゃった。
 え、待って。国王様が中身一般人の私に頭下げたらまずくない?!
 宰相さん見てないで止めてよ!
「で、でも私が逸れたのがいけなかったことですし、むしろ王女様の体を危険に晒してしまったわけですし…! 国王様が謝ることではありません!」
「いいや、すべてこちらの責任だ。多数の護衛に囲まれた物々しい状況では君にサフィニアを直に感じてはもらえまいと主張したのは私だ」
「そんな、本当にその、大丈夫ですから…」
「陛下、それくらいに」
 さすがに宰相さんからも言われて、国王様は頭を上げた。
「話を進めましょうか。魔法騎士団副団長と、彼に通報したという者の正体については、すでに調査を行っています。魔法で攻撃してきた者についても、護衛騎士が戻り次第何かしら新しい情報を得られることでしょう。騎士が守るべき王女と敵対するような行為を民衆の面前で取ってしまったということも、…まぁ影響を最小限に留められるよう手を尽くしましょう。問題は二点。一つはヴァネッサ王女の状態です。今までヴァネッサ王女と会話できていたのが、昨夜舞踏会の後から途絶えた。そして市場で再び会話できるようになったということで間違いないですね?」
「は、はい」
「この点に関して、陛下、どう思われますか?」
 宰相に聞かれて、国王様は表情を改めた。
「うむ。おそらく王女の魂を誘拐した人物が、魂の束縛を強めたために会話が阻害されたのだろう。…これは魂に関わる魔法ゆえ本来は秘さねばならぬことだが、魂が体を器として存在を明確に維持することができるのと同様に、体以外の何かを器とすれば現世に留まり続けることが可能なのだ。…これがどこから漏れたのか、あるいは自力でその真実と魔法を極めた者がいるのか、それは厳格に調査せねばならぬことだが、今は話を進めよう。ショウコ、市場で破裂音がした後に王女の声が聞こえたと言ったな?」
「はい」
「ならば、その破裂音は王女の魂を捕らえていた何かしらの道具が破壊された音だったのだろう。おそらくは魔法と相性の良い水晶なのだろうが。それが壊れたということは、王女の魂は自由の身となっているはずだ。本来の体に引きつけられている可能性が高いはずだが…」
 そう言われて思い出すのは、破裂音がした直後、王女様の声と同時に胸が熱くなったことだ。
 それから、気絶する直前の出来事。
「あの、でもその後にアランさんに捕まってしまったみたいなんです。今は王女様の声が聞けなくて…」
「それが二つ目の問題点です」
 宰相さんがすぐに指摘した。
「アラン・コリウス。ヴァネッサ王女の魔法学院時代のご学友であり、コリウス侯爵家の養子でありながら卒業と同時に失踪。今もって所在が不明な人物です。魔法師団に追跡させていましたが、まさかこんな所で尻尾を掴めるとは」
 宰相さんの口からスラスラとアランさんの情報が出てくる。
 あれ?
 これってもしかして、最初から犯人の目星ついてて調査済みってこと?
「あの、もしかして王女様の魂を誘拐した犯人ってご存知だったんですか?」
 思い切って聞いてみたら、宰相さんからは肯定の返事があった。
「魂に関する魔法はサフィニア王家の秘儀と言われるほど非常に危険で複雑な魔法です。それを独自に探究し実行し得る能力を有した人物となると、ごく僅かに限られます」
 じゃあもしかして私の情報ってあってもなくてもよかった?
 ガッカリしてたら「あなたの報告で推測が確定に変わりました。十分に意義のある報告です」って宰相さんがフォローしてくれてちょっと安心した。
 というか私、そんなに顔に出てたかな?
 やばいやばい。
 この場に国王様と宰相さんだけとはいえ、無意識に素の自分が出てる。
 こんなんじゃ王女様のフリ失格だよ。
「王女の魂は再び囚われてしまった、のであろうな…」
 国王様が呟いた。
 酷く疲れたような声に、私はハッとしてうなだれた。
 胸が熱くなったあの時、一度は王女様は解放されて戻ってきたんだ。
 でも、その直後に強引に胸の中から引っ張り出される感覚がして、王女様はまた囚われてしまった。
 あの時、もし私に魔法とか使えたら、王女様を助けられたのかな。
 なんで魔法が使える王女様の体にいるのに、私は魔法が使えないんだろう。
 この世界の人間じゃないから?
 悔しい。
 王女様のフリしかできない自分が。
 ううん、王女様のフリすら完璧にできない自分が。
 あの時、市場でイアンさん達と逸れなければ、副団長さんに遭遇することも正体がばれそうになることもなかったのに。
「ですが不幸中の幸いと言ってもいいでしょう」
 後悔に渦巻く私の耳に、信じられない宰相さんの言葉が飛び込んできた。
「幸いってどこがですか! 助けられたかもしれないのに王女様がまた誘拐されちゃったんですよ?!」
「結果的にはそうなりましたが、大変重要な点も明らかとなりました。犯人が未だこの都に潜伏していること。見つからぬよう潜伏していたはずの犯人が、衆目の中で魔法を使ってでもあなたを標的としたこと。そして今現在追跡の最中であること。犯人は魔法師団長ですら手こずるほど緻密に痕跡を消していました。その為に手掛かりが乏しい状況でしたが、ここにきてアラン・コリウスの所在だけではなく背後にドラセナの存在も明確となりました。すでに魔法師団の者が護衛騎士と合流してあらゆる手段で追跡しています。朗報が届くのも時間の問題でしょう」
 わたしの剣幕にたじろぎながらも、宰相さんは淀みなく説明してくれた。
 ああ、そっか。
 結果だけ見れば確かに王女様を救えなかったっていう事実と私の醜態が残るけど、その過程を見れば、大事な情報がいっぱい散らばっていたんだ。それを一つ一つ確認していけば、犯人逮捕に繋がるんだ。
 宰相さんは結果に囚われずにいろんな情報を集めて手を尽くしているんだ。
 私は恥ずかしくなって俯いた。
 宰相さんはすごく頭の切れる人だ。なのに宰相さんが言った言葉の意味を考えもせずについかっとなっちゃった。これじゃサフィニアに来た時と一緒じゃない。
「すみません、何も考えずに大声を出してしまって…」
「一番もどかしく感じているのはその場にいた貴女でしょう。…私は気にしていませんよ」
 最後の一言は少し柔らかい口調で宰相さんは言ってくれたけど、私は顔を上げられなかった。
 だって「考えが浅い」って馬鹿にされても仕方ないもん。
 そんな反省をする私の前で、意地の悪い顔をした国王様が素知らぬ顔をする宰相さんを小突いている光景が繰り広げられていたけど、残念ながらそれを見ることができなかった。
 ごほん、と国王様が咳払いして、私は慌てて顔を上げた。
「話を戻そう。此度の件で王女の魂が無事であることと、犯人捕縛への手掛かりを掴むことができた。それらを鑑みて、秘儀の準備をより早めねばならぬ。…秘儀とは、王女の魂を元の体に戻し、君の魂を元の世界へ戻すための魔法のことだ。かなり大掛かりなものでありサフィニア王家に代々伝わる秘術が含まれる故、秘儀と総称している。本来一つの体に一つの魂があるべきところへ、二つの魂がある状態では双方の魂に悪影響を及ぼしかねん。王女の魂を救出した後、時をおかず秘儀を執り行う必要がある」
「秘儀を執り行うための準備は、事件が起きた直後から進めています」
 国王様の話を引き継ぎながら、宰相さんが片眼鏡を上げた。
「王女様の魂の奪還と秘儀の執行。当初の見立てよりも早く事態が収集する可能性が出てきましたが、まだ予断は許しません。貴女にはまだしばらく王女様の身代わりを務めていただきたいと思っています」
「恐ろしい思いをした直後だ。代役が務められなくなったとしても誰も責めることはせぬ。だがもし君がやってくれるというのなら、どうかもうしばし王女の身代わりを務めてはもらえないだろうか」
「もちろんです!」
 国王様の表情を見て、私は自分の心が奮い立っているのを実感した。
 絶対的統治者である国王様が人に指示する時、それは命令って形になる。
 言葉遣いだって、国王様に対して使われる敬語はあっても国王様が誰かに敬語を使うなんて、それこそ他国の王様とかものすごく限られた相手しかいない。ましてや平民なんかに声をかけることなんて普通に考えたら信じられないことだろうし、一人ひとりにいちいち心を砕いて言葉をかけるなんてまずないと思う。
 普通なら平民の私に対して「王女の身代わりをせよ」って命じればいいだけだ。
 実際、最初にそれを言ったのは宰相さんだったけど、私は命じられて今まで王女様の身代わりをするべくレッスンを受けてきた。
 でも、国王様はそうしなかった。
 王女様の体を乗っ取っている私なんて命令で十分だしそれ以外にあり得ないのに。
 私の恐怖心を察してくれた。
 お願いって形をとってくれた。
 怖くて身代わりができなくてもいい、無理をしなくていいって、その表情が伝えてくれている。
 それがどれだけ信じられないことなのか、十分理解しているつもりだ。
 やるっきゃないでしょ!
「大丈夫です! 私、できます!」
 私のやる気は過去にないほど高まってます!
「そうか、どうか頼む」
 もちろんですとも!
 今日みたいな失態はもうしない!
 絶対に完璧に王女様のフリをしてやるんだから!
 私が決意も新たに燃え上がった時、ちょうど国王様付きの侍従さんが執務室に入ってきた。
「ヴァネッサ王女付き護衛騎士イアン・サントリナが帰還したと報告がありました。直接報告に上がりたいとのことですが、いかがいたしますか。また、魔法師団長アルバート・ポトス様もおいでになられています」
 イアンさん!
 無事だったんだ!
 私は心臓と一緒に体が跳ね上がったかと思った。
 すぐに会いたかったけど、残念かな。
 宰相さんに退室を促されちゃった。
 そりゃそうだよね、イアンさんの報告はすごく重要なもののはずだもん。私がその場にいていいはずがない。
 イアンさんが戻ってくるのを私室で待とう。
 国王様に向けて「失礼いたします」と一礼して、私は執務室を出た。
 そしたら、すぐ目の前にイアンさんがいた!
 イアンさんは街に出た時の格好のままだけど、服があちこち破けている。
 どれだけ激しい戦いだったんだろう。
 怪我してないか心配だったけど、私と目が合うと微笑んで頷いてくれた。動きにぎこちないところもないし、大丈夫みたい。
 入れ替わるように侍従さんから「入室を」と言われて、イアンさんは表情を引き締めて中に入っていった。
 うー、待てるかなぁ?
 いや待てるけどね?!
 そんな我慢ができない子供みたいな心境じゃなくて、早く会いたいなっていうだけなんだけどね!
 自分で自分によくわからない言い訳をしながら視線を戻すと、奇妙な顔をした魔法師団長さんが目の前にいた。
「ウワォ?!」
「…ぷぷ。君、相変わらず変だね」
「す、すみません。失礼いたしました…」
 驚きのあまり変な悲鳴をあげちゃった。
 相変わらず魔法師団長さんの相手を小馬鹿にした笑い方にはイラッとするけど、自分に非があるからどうしようもない。素直に謝った。
「君、そんなんでよく王女の身代わりできるね。ダダ漏れじゃん」
 うわ。
 グサッとくるー。
 たった今決意したばっかりだっていうのに。
 魔法師団長さんの小馬鹿にした物言いは相変わらずだけど、でも次の一言は鋭いトゲを伴って私の胸に刺さった。
「見ているのが僕でよかったね。王女が護衛騎士に懸想しただなんて醜聞物だよ。お披露目式の直前だってのに」
 その瞬間、私は血の気が引いた。
 魔法師団長さんは意地の悪い笑顔を浮かべている。
「あ、むしろその方が面白いか。王女が戻った時には周りはもう醜聞一色。あらぬ疑いの目で見られちゃってかわいそー。どんな顔するか想像するだけで楽しいよ。ぷぷぷ。君いいよ、どんどんやりなよ。なんならキスの一つもしれくれたら上々かな」
「ふ、ふざけないでください!」
「アル、いい加減にしなさい。言っていい事と悪い事がある」
 怒鳴り声を上げた私の背後から、宰相さんがため息と共に現れて魔法師団長さんを引っ張っていった。
 怒りのままにそれを見ていた私は、扉の向こうにいるイアンさんと目が合った。
 でもさっきみたいに心が温かくならない。
 むしろ体の芯に巨大な氷が押し込められたかのように苦しくなった。
 イアンさんのこわばった表情が扉の向こうに消えた。
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