夢の国のネガティブ王女

桜井 小夜

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第2章 女は度胸

10.初めての舞踏会

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 舞踏会ってどんなイメージ?
 シャンデリアが光り輝いて、美しく着飾った貴族が優雅に談笑し、華麗にダンスをする。
 豪華な食事が並んで、若い娘たちが王子様や身分の高い貴族の青年に恋して駆け引きし合う。
 うん、私もそう思ってた。
 全っ然違う!
「この度は誠におめでとうございます、ヴァネッサ様」
 目の前に次から次に現れる老若男女の貴族たち。
 一組去ると絶妙なタイミングで次の人に声をかけられ、息をつく間もない。
 主賓だから仕方がないとはいえ、ちょっとは休ませて!って何度悲鳴を上げたくなったか。
 王女様や貴族の女性が箸より重い物を持てないような深窓の令嬢だなんてもう信じない。
 体力と気力がなくちゃ、とてもじゃないけど乗り切れない!
「少し下がりましょうか」
 パートナーを務めてくれるイアンさんが心配してそう言ってくれたけど、もう次の人たちが私に狙いを定めてやってくる。
 私は小声でイアンさんに呼びかけた。
「イアンさん! 次! あの人は?!」
 次に現れたのは、綺麗に整えられた口髭が見事な初老の男性と、同じく上品な佇まいの女性だ。国王様よりも年上かな。
 相手を確認してイアンさんがそっと耳打ちしてきた。
「ジャンノット・ミッツ・ヨルドー伯爵と奥様のミネルヴァ・サナタニアナ・ヨルドー伯爵夫人です。フォバーノ地方の領主ですね」
 きた!
 フォバーノ地方と言えば朝食のお供オレンピーナの名産地。トムさんの授業によれば今年は収穫量こそ少ないものの非常に良質なオレンピーナが採れたって教わった。
『彼らはオレンピーナによって国の財政を支えている重要人物。今回の私の婚姻は賛同しているけど王位は男児が継ぐべきという立場よ』
 間髪入れずに王女様から助言が入る。
 王女様が言っていたってこういうことだったんだ。
 リアルタイムで王女様の言葉が聞けるし、これって最強じゃない?
 にしても、王女様と隣国の王子との結婚は認めるものの女王は認めないって複雑。
 国王様の跡を継いで女王になるために頑張ってる王女様にとって、完全な味方っていうわけじゃないもんね。
 でも完全な敵でもない。
 対応によってはどちらにも転ぶ可能性がある人だ。
 最低でも敵に転ぶような失態だけはしないようにしないと。
 よし、ここは一つ!
「ご機嫌よう。ヨルドー伯爵、ミネルヴァ伯爵夫人。今年のオレンピーナは味わいが深くて非常に良いものですね」
 先手必勝!
 ほめ殺し!
 ヨルドー伯爵の口髭がピクッと動いた。
 お、これは脈ありか?
「そうでしょう。今年は気候に恵まれましてな。昨年大規模に栽培方法を見直したこともありますが、私共も自慢の一品となりました。ヴァネッサ様のお口に合えば幸いですな」
「美味しくいただきましたわ。ですけれど少しもったいないですわね」
「もったいない、とは…?」
「ジャムにしたらもっと美味しいのではないかしら」
 意外なことに、サフィニアにはジャムがない。
 野菜も果物も、新鮮が一番とされていて、保存食みたいなものがほとんどないのだ。
 建国に携わった姉弟の伝説から、荒地を緑と花で満たした時に、植物を新鮮なままで食べることがよいとされているから。
 でも柑橘類とかベリー系の果物があったら、真っ先にジャムが浮かぶじゃない?
 そのままでも本当に美味しいんだけど、トムさんの授業で見た目の良い物は貴族に供給されて、悪い物は市井に送られて、売れ残ってダメになったやつはそのまま海に捨てるって教わった。それが結構な量になっているらしい。
 フォバーノ地方のオレンピーナは確かに一大産物でサフィニアの財政の一角を支えているけど、同時に廃棄物の問題を長年抱え続けている。
 それを聞いた時に思ったんだよね。
 ジャムにしちゃえばいいのにって。
 トムさんの話だと、北方の厳しい気候の土地で保存食として作られていると伝え聞いたことがある、というだけだった。
 でも存在するってことは作り方もわかるはずだ。
「ジャム、ですか…」
 ヨルドー伯爵の顔がちょっと曇った。
 逆にミネルヴァさんは目を見開いて私を見ている。
 おや?
「ヴァネッサ様のお言葉とは思えませんな」
 ヨルドー伯爵が口髭をピクピクさせながら言った。声と視線に威圧感が増している。
 やばい、これは地雷だった?!
 でもイアンさんがさりげなく助け舟を出してくれた。
「ヴァネッサ様は常に民の平和を願っております。オレンピーナはサフィニアを代表する果物。それをより多くの方に食していただく方法はないかと常々考えていらっしゃいました」
「だとしても、自慢のオレンピーナをあのような物にするなど、冒涜以外の何者でもありませんな」
 あれ、もしかしてヨルドー伯爵はジャムを見たことがある?
 というか作り方を知っている?
 私は望みをかけて隣のミネルヴァさんに話しかけてみることにした。
「ミネルヴァ伯爵夫人はどう思われますか?」
 ここまでずっと夫の陰に控えているようにみえたミネルヴァさんは、ジャムの話が出てから私をじっと見ていた。
 これは何かある!
 ヨルドー伯爵はミネルヴァさんに何やら険しく目つきで目配せしたけど、ミネルヴァさんはそれをガン無視して私に言った。
「驚きました。ジャムをご存知の方がいるとは思ってもいませんでしたわ」
 ビンゴ!
「こちらの方々はあまりジャムをご存知ではいらっしゃらないようですし、果物を煮詰めること自体に何やら嫌悪を抱いているようでしたので、ヴァネッサ様がご存知であるとは大変驚きました」
 夫の陰にっていうのは皮をかぶっていたのかな。
 ぱっと見控えめな人かと思っていたけど、すごくはっきり言う女性だ。
 それにしてもこの口ぶり、ミネルヴァさんは北方の出身なのかな?
『ミネルヴァ様は北方の国の姫君よ。かつてヨルドー家に嫁がれた際にジャムをご持参されたというお話を聞いたことがあるわ。ただあまり良い噂にはならなかったようだけれど。私も見たことはないのよ』
 なるほど。
 ミネルヴァさんは祖国の味を持ってきたんだろうけど、サフィニアでは新鮮な農産物は新鮮なうちに食べることを美徳としているから、果物を加工して長く保存するということが受け入れられなかったんだ。
 この様子と王女様の話から想像するに、ヨルドー伯爵は亭主関白で男尊傾向のある人だろう。ミネルヴァさんのジャムを否定してきたから、王女様からジャムを勧められたことに怒ったんだ。
「私も伝え聞いただけですけれども、兼ねてより興味がありました。フォバーノのオレンピーナはサフィニアの宝です。ぜひ多くの人々や他の国々の方達にも召し上がっていただきたいと思っておりますが、いかんせん果物は鮮度が命。ですがジャムでしたら日持ちすると聞きました。より長くオレンピーナを楽しむことができますし、何よりフォバーノのオレンピーナで作られたジャムが広く流通するようになればフォバーノを治めるヨルドー伯爵のお名前も天下に轟きますわね」
 そう言って伯爵に視線を送ると、伯爵は引きつる顔をなんとか平常に保とうとしているのがわかった。
「ミネルヴァ伯爵夫人はジャムの作り方をご存知でいらっしゃいますか?」
「どうか、ミネルヴァとお呼びください。私の祖国は小国で、家庭によりジャムの作り方にこだわりがあるんですの。特に貴族の家ともなると隠し味にもこだわりがありまして、一家相伝の味として代々伝えられております」
 呼び方をお願いされるなんて初めてだけど、流石に呼び捨てってことじゃないよね?
 私はちょっとドキドキしつつ会話を続けた。
「それは素敵ですね。もしよろしければミネルヴァ様のジャムを食べさせていただけませんか?」
 この申し出に、ミネルヴァさんだけじゃなくてヨルドー伯爵もびっくりした顔になった。
 あれ、王女様がこんなこと言うの、ちょっとまずかった?
 不安になったけど、ミネルヴァさんが困りながらも嬉しそうな顔になったから、私は安心した。
「今は私個人で楽しむ程度にしか作っていないんですの。ですが、そうおっしゃっていただけるのでしたらすぐにでもお作りいたしますわ。ヴァネッサ様のお口に合うかどうかわかりませんが…」
「ミネルヴァ様がお作りになったジャムですもの。きっと美味しいですわ」
「ありがとうございます、ヴァネッサ様」
 話が終わると、ヨルドー伯爵はミネルヴァさんを引っ張るように去っていってしまった。
 去り際、ミネルヴァさんが私と目を合わせてちらりと微笑んでいた。
「お見事でしたね、王女様」
『素晴らしい対応だったわ、ショウコ』
 イアンさんと王女様から同時に褒められちゃった。
 実はこれ、事前に王女様と相談してたんだよね。
 本当だったら、王女様はこの舞踏会で敵味方の立ち位置をはっきりさせていない貴族たちを片っ端から落としたかったんだって。でも私にそれはできないから、人選した上で王女様の味方を増やすべく立ち回ることになったんだ。
 ヨルドー伯爵の名前は真っ先に王女様が挙げていた。
 サフィニアを代表するオレンピーナの一大産地である経済力と発言力は、是非とも味方にしなきゃいけないって。
 ジャムは私の案だったけど、奥さんのミネルヴァさんが乗ってくれるかは正直賭けだった。
 なんとかうまくいってよかった!
 その後も、さすがにこんな賭けみたいな会話はなかったけど、概ね無難に挨拶を返していけたと思う。
 それにしても本当に信じられない。
 私まだ十六歳だよ?
 社会にも出てない未成年だよ?
 それが、こんな大人たちに混じって、対等に渡り合おうとしてるなんて。
 王女様の助けがなかったらまず無理だったと思う。でも一生縁のないはずの舞台に立っているってことが、不思議でたまらない。
 なんとか無事に挨拶が終わって、私は半分以上安心していた。
 だってこの後のダンスは、最初にパートナーであるイアンさんと一曲踊ったらすぐに引っ込む予定だったから。
 でも、舞踏会後半戦は波乱の展開となった。
 壁際に設けられているステージに音楽隊の人たちがセッティングを始めて、もうじきダンスになろうという頃、一人の男性が私の前に立ちはだかった。
 本当になんていうか、進路を塞ぐように立ちはだかったんだ。
 今までは遠くからでも目を合わせて歩み寄ってから声をかけるっていう、ワンクッションがあったから心の準備ができてたんだけど、その人、突然現れたからすごいびっくりした。
 長身、金髪碧眼、端正な顔立ちと三拍子揃ったその人は、髪をガッツリとスタイリングしていて、豪華な貴族服に身を包んでいた。
 金糸をふんだんに使っていて、袖や胸元からわざと見せているシャツはこれでもかというくらいレースが盛られていて、華やかな服だなと思ったイアンさんの貴族服が霞むくらい派手な色遣いだ。
 確実に鍛えられて引き締まった体といい、まるで王子様みたいな顔立ちといい、イケメンと言って差し支えない見た目なのに、とにかくその派手な服が台無しにしているように見えた。
 何より目を引いたのは、その人の表情だ。いかにもドヤ顔をしている。今日会った貴族達の中で一番自信に満ち溢れているって言えば聞こえがいいけど、誰がどう見ても「カッコいい自分に酔ってる残念な人」だ。
 突然現れたその人は突然仰々しい挨拶をしてきた。
「ああヴァネッサ王女! 我が姫よ!」
 …………はい?
「貴女が病に倒れたと聞き、食事も喉を通らぬほど心配しておりました! またお美しいお姿を拝見することが叶い、私、感激で胸が打ち震えております!」
 何この人?!
『ジェラルド・ハイドランジア。魔法騎士団の副団長よ。ハイドランジア侯爵の一人息子でもあるわ』
 王女様の人物説明が聞こえてきた。
『ショウコ気をつけて。ある意味一番厄介な人物よ。傷付けずさりとて勘違いするような言質を絶対に取らせずなおかつ決して調子づかせないように』
 王女様?!
 何ですかその究極に難しい注文!
 え、ラスボス?
 よく聞けば、王女様の声がちょっと硬い。魔法師団長さんのことを話す時に似ているけど、あれは鬱陶しさの中にちょっとだけ親しみがあった。でもこの人に対してはまったくそれがない。
 つまり、ただただ王女様の癇に障る厄介な人物ってことかな。
 でもとりあえず挨拶は返さないといけない、よね?
「ご機嫌よう、ハイドランジア様。ご心配おかけしたようですが、この通り無事に病は克服いたしました」
「ええそうですとも! 貴女のことを想い日夜心が裂けそうなほど心配しておりました! 如何なる病とてこの世に再臨せし女神を苦しめることなどできないのです。それもすべて、貴女が伏したその時から今までずっと私が貴女の御身の無事を祈っていたからなのです!」
 うわー、何この人面倒くさい。
 ていうかめっちゃヤバイ。
 軽く挨拶を返しただけなのに、非常に重たいものが何重にも降ってくる。
 引くわー。
 王女様、難易度高すぎません?
 ただの挨拶をここまで自分都合に変換する人に対して、いったいどう会話すればいいの。早々に会話を打ち切れってこと?
 どう言葉を選べばいいのか考えあぐねていた私の前に、すっとイアンさんが出た。
 今まで後ろから助言してくれたのに、どうしたんだろう。
 あれ、よく見たらイアンさんまでなんだか表情が硬い?
「王女様は病み上がりの身。申し訳ありませんが長時間の会話は致しかねます」
「ふん、貴様か。いつまでもヴァネッサ王女の周囲をうろつくばかりで騎士としての任務もまっとうできない出来損ないが」
 その声を聞いて、私はヒヤッとした。
 イアンさんを見た途端に、副団長さんの顔つきと声がガラリと豹変した。
 自信過剰なのは変わらないけど、明かに人を見下した声になったんだ。
 しかも何あの言い方!
 明かにイアンさんを目の敵にしてるじゃない!
「王女様の護衛という任務もまた大切なお役目。私は己の責務を果たすだけです」
「物は言い様だな。役立たずの貴様がその任務についているのはヴァネッサ王女のご恩情のおかげだろうが。それとも、サントリナ公爵の口添えのおかげだったか? 陛下の懐刀でもあるからなあ、公爵様は。いかに出来損ないの騎士だろうが、公爵も次期公爵も身内を無碍にはできないだろうな」
「確かに私の実力不足、覚悟の弱さは騎士として忸怩たる思いがあります。ですがそれと王女様のお優しい心、そして父と兄は関係ありません」
「次男坊はお気楽でいいな? お遊びで騎士ができるのだからな」
「私は遊びで騎士にになったことはありません。今も一度たりともそう思ったことはありません」
「はっ。よく言う。戦争が始まったら城に篭って震えることしかできない腰抜けが!」
「有事の際には戦場に立つ覚悟はできています」
「それはそれは。騎士団の者たちには同情しかないな。仲間殺しのイアン・サントリナが背後にいては眼前の敵に集中など果たしてできるのか?」
「それは…!!」
 これは、ヤバイ。
 イアンさんの背後で、私は冷や汗を感じた。
 その声だけでイアンさんが追い詰められているってわかる。
 副団長さんが現れた時、私を助けようとしてイアンさんは前に出てくれたけど、それは逆効果だった。
 理由はわからないけど、この人はイアンさんを目の敵にしている。
 副団長さんの言葉には一言一言が相手を虐げる力がある。私が中学三年間で耐えてきた言葉の暴力なんて比にならないくらい凶悪な強さだ。
 このままじゃイアンさんが潰されちゃう。
 現に、イアンさんの声は次第に余裕がなくなって、最後の声はまるで悲鳴に聞こえた。
 でもこれ、どうやったら収められるの?!
『王女様!』
『彼が前に出たことは初めてだし、副団長がここまで暴力的な態度を私の前で取ったことも初めてだわ』
 王女様に助けを求めると、王女様は少し呆然とした感じの声で呟いた。
『彼のことをよく思っていないということは知っていたけれど、ここまでだったなんて。…いけないわ、周りが私たちを気にし始めている。すぐにこの状況を解消しなくては』
 王女様に言われて初めて気がついた。
 もうじきダンスが始まるとあって、周りは男女のペアで集まり出している。その人達がイアンさんと副団長のやり取りにちらちら視線を送っていた。
 イアンさんは必死に冷静さを保とうとしているけど、高圧的な副団長さんの言葉を受けて次第に語気が強くなってきている。
 会話の内容は周りにダダ漏れだ。
『ショウコ! 彼の注意を別へ向けさせるのよ!』
『ど、どうやってですか?!』
 ダンスの音楽が始まる。
 ああ、もう!
 どうにでもなれ!
 人生初、清水の舞台から飛び降りさせていただきます!
「ハイドランジア様? 私にご用があったのではなくて?」
 私は覚悟を決めてイアンさんの背中から出た。
 王女様の声に、副団長さんとイアンさんがハッとしたように私を見る。
 うわー、緊張しすぎて声が上擦りそう。顔引きつってないかな。
「私を差し置いて仲良くおしゃべりなんて、随分仲がよろしいんですのね」
「まさか! とんでもない! これが私たちの邪魔をしてきたものですから少し身の程を弁えさせようとしただけのこと。私の心は常にヴァネッサ様の元にあります」
 私が話しかけた途端に、喜色満面で近づいてくる副団長さん。
 近すぎる。
 思わず後ろに下がりたくなるけど、そこはぐっと我慢した。
「ハイドランジア様、本日はどなたといらっしゃったのです?」
「此度はヴァネッサ様の祝いの場。私は貴女のために一人で馳せ参じました」
 うわ最悪。
 でも仕方がない。
 王女様、ごめんなさい。
「それでは一曲お付き合いいただけますか? 何分病み上がりですのでハイドランジア様のお相手が務まるほどは動けませんが、楽しむ程度でしたらお願いしたいですわ」
「とんでもない! 喜んでお相手をさせていただきましょう!」
 差し出された手を取って私は副団長さんと前に出た。
 王女様が踊るとあって、周りが場所を開けてくれる。
 それが余計に注目されているような感じがして嫌なんだけど、もう仕方がない。
 私にはあの口論を止める手段はこれしか思いつかなかったんだ。
 でもダンスが始まって早々に後悔した。
 王女様やイアンさんをはじめ、サフィニアの貴族はダンスがすごく上手なんだと思う。だから副団長さんも相当うまいんだと思って牽制したけど、王女様に異様な愛を抱くこの人には無意味だったみたい。
 ゆったりとした音楽なのに、私の手と腰をぐいぐい引っ張っていく。これが王女様なら華麗に合わせられるんだろうけど、昨日生まれて初めてダンスを習った初心者には、合わせるなんてことができない。引きずられるようにダンスホールを動いていく。
 必死に笑顔を貼り付けて、間違っても引きずられるようには見えないようにって思ってるけど、周りから見てどう見えてるんだろう。
 副団長さんに何か話しかけられたけど、ちゃんと聞く余裕がなくて、言葉を濁すことしかできなかった。
 何度か何かを踏んで、その度に副団長さんの顔が歪んでたけど、もうどうにでもなれ。
 舞台から飛び降りた私に怖いものなんてない!
 永遠のように長い一曲がやっと終わった。
「ハイドランジア様、ありがとうございました」
 そう言って離れようとしたけど、副団長さんが私の手をぐっと強く握った。
 びっくりして顔を見ると、さっきとは打って変わって真剣な表情をしている。
「ヴァネッサ様。ご忠告申し上げましょう。此度の婚姻は隣国サイネリアの陰謀です」
「…なんですって?」
 聞き間違えかと思って返したけど、見上げた副団長さんの目は異様に底光りしていた。
 怖い。
 掴まれた手が痛い。
「サイネリアの王子と結婚することで貴女を縛り、このサフィニアを乗っ取ろうとしているのです」
 何言ってるの、この人。
 王女様の結婚が陰謀?
「聡明な貴女のことだ。サイネリアの思惑などすでに見抜いておられるのでしょう。ですが周りは貴女の婚姻を進める者ばかり。貴女に味方はいない。魔法王と名高い陛下ですら年には勝てずサイネリアの言いなりとなっているのです」
 ちょっと待ってちょっと待って。
 いったいこの人何言ってるの?!
「ですがご安心ください。私は貴女の忠実なる騎士。貴女の隣に立つに相応しい唯一無二の男です。貴女の思いを聞かせていただければ、私は然るべき手段で貴女とサフィニアをお守りいたしましょう」
 副団長さんが跪いて私の手の甲にキスをした。
 ………私のキャパシティはパンクしました。
 いったい何が起こってるの?
 極限のパニックで頭が真っ白になっちゃったけど、脳裏に『ショウコ!』と王女様の叫び声がこだましてハッとした。
 副団長さんが言っていることの真偽は私にはわからない。
 だから肯定も否定もできないし、ましてやそれに応えるなんて以ての外だ。
「ハイドランジア様、ダンスのお相手ありがとうございました」
 副団長さんの手が緩んだ。
 その隙にさっと自分の手を抜いて距離を取る。
「今のお話は聞かなかったこととします」
「ヴァネッサ様?! 正気ですか! 私は貴女の御身を心配しているのですよ!」
「ではご機嫌よう」
 二曲目のダンスが始まる。
 詰め寄ろうとする副団長さんの手を逃れて、私は踊る人々の間を足早に歩いて紛れた。


 副団長さんが追ってこないことを確認して、私はようやく息を吐き出した。
 夜も深まり、広いダンスホールは豪華なシャンデリアの明かりで煌びやかに照らされている。その下で、華やかな衣装に身を包んだ貴族が重い思いの相手とダンスを楽しんでいた。
 私がホールの端の薄暗い所にいるせいもあるけど、私に注目している人はいないみたい。
 よかった。
 いや、よくないか。
 イアンさんから離れちゃった。
 やばい、初めて来たダンスホールだから出入り口もわからないし、誰がどこにいるのかも端からは見えない。
 でも迂闊に動いて副団長さんに鉢合わせることも避けたい。
「あーもう、なんだったの…」
 私は柱の陰に回って蹲った。
 あのジェラルド・ハイドランジアという人。
 いったいなんだったの…
 王女様が厄介って言っていた理由はあの王女様への執拗さだよね。最初の挨拶で、確かに面倒臭い…もとい鬱陶しい…もとい厄介だってことは十分にわかった。
 でもダンスした後のあの態度は、たぶん王女様も知らないかもしれない。
 だって、王女様の結婚を阻止しようって話だよね。
 相手は隣の国の王子様。隣国同士の王女王女の結婚が破談になったりしたら国際問題になるって中学生でもわかる話だよ。それを王女様本人に言うってどうなの。
 しかもさりげなく国王様を侮辱してたよね。あれはちょっとイラッとしたわ。
 もしあの誘いに乗っていたら、…謀反?
 それに思い至った時、急に寒気がした。
『王女様…』
 目を瞑って王女様に呼びかける。
『ショウコ、ごめんなさい。あなたに嫌な思いをさせてしまったわね』
 王女様の悲しげな声が聞こえてきた。
 だから私は明るい声を意識して取り繕った。
『あれくらい大丈夫ですよ! むしろ男性のあしらい方を覚えられてラッキーです』
 王女様って本当にすごい。
 今私が会った貴族達は重要人物だけに絞られているけど、挨拶だけでも綱渡りをしているような気分だった。それは王女様のフリをしているっていうこともあるんだけど、私の発言一つで王女様への心証が変わってしまうんじゃないかっていう恐怖と隣り合わせ。
 王女様本人だったら、きっと対応一つ誤ればサフィニアの平和が脅かされる、くらいに感じているんだと思う。
 そんな思いを抱えながらサフィニアのたくさんの貴族達と渡り合うなんて、心の休まる時がないんじゃないかな。
 でも王女様はそんな姿はおくびにも出さない。
 どうやったらそんな風に強くいられるんだろう。
 改めて思った。
 私、王女様みたいに強くなりたい。
 誰に何を言われても胸を張って確たる己を持って生きる王女様みたいになりたい。
 私は吹っ切るように息を吐き出した。
 うん。
 そうだよね。
 そう思うんなら、あれくらいでびびってちゃいけないよね。
『それより王女様、あの副団長さんの言ってたこと、どう思いますか?』
 目を開けると、蹲る王女様の前に私と王女様が立っていた。
 王女様が今までにないくらい険しい顔をしている。
『戯言、と言い切れないわね。そもそもサイネリアの陰謀という点。陛下に私以外の後継者がいないことから、十二年前にサイネリアと交わした婚姻だけれど、サイネリア国内もサフィニアと一緒で一枚岩ではないの。それを企む人間がいても不思議ではないわ。そういう者達が秘密裏に動いていてもおかしくない。第二に、あの副団長が言った「然るべき手段で」というものが何かということ。ああいうのは本当に厄介よ。下手に地位と力と資金がある分、自分がどんなに勘違いの妄想を繰り広げていても、それを実現してしまう可能性があるのだから』
 王女様の言葉に、私はまたヒヤリと背筋が冷たくなった気がした。
 私、うまく勘違いさせずに対応できたのかな。
 もし副団長さんが勘違いして変なことをしようとしていたらどうしよう。
 私の顔を見て、王女様が少し微笑んだ。
『大丈夫よ、ショウコ。あの時点において、あなたの行動は全然おかしくない。よくやってくれたわ』
『そうでしょうか。自信ありません…』
 俯きそうになった私を、王女様がぎゅっと抱きしめた。
『怖い思いをさせてしまったわね。あなたの世界、あなたの暮らしとはまったく違うこの場所で、あなたは本当に精一杯やってくれているわ。もし自分が信じられないのなら、私を信じなさい』
 王女様の最後の言葉に、私は自分の心に覆いかぶさっていた重たい物が急になくなった気がした。
 ああ、そっか。
 人を信じるって、こんなに心が軽くなるんだ。
 これが信じるってことなんだ。
『…ありがとうございます、王女様』
 もう大丈夫って伝わるように、私は王女様の腕から抜け出した。
 王女様は微笑んで頷いてくれた。
 それからすぐに真剣な表情に変わる。
『話を戻すわね。残念ながら私には秘密裏に情報収集を行えるような味方はいない。不確定なことを陛下に奏上するわけにはいかないし、どう調べたらいいのかしら…』
『あの、イアンさんにお願いするのはダメですか? イアンさんも地位は高いんですよね?』
 いい案だと思ったけど、王女様の表情は晴れない。
『彼の父親が、ね。それに彼は次男。次期公爵の兄と比べれば貴族として揮える力は弱いわ』
 そんな。
 それじゃ、副団長さんが何をしようとしているのか調べる術がないじゃん。
『心当たりはあるのよ。でも…』
『王女様! 王女様の結婚の危機ですよ! 何を迷ってるんですか!』
『わかっているわ。でも借りを作るのが嫌なのよ』
 王女様は心底嫌そうに言った。
 え、王女様にそこまで言わせる人物って…
『いえ。贅沢を言っている事態ではないわね。ショウコ、アルに彼について調査してくれないか頼んでくれないかしら? 調査は時間との勝負よ。もしアルに会えなければ、宰相に…』
「…ヴァネッサ様」
 え、誰の声?
 突然知らない声が響いて、王女様の声が途中で途切れた。
 そして私の意識は体に引き戻された。
「ヴァネッサ様、どうかされましたか」
 ハッとして顔を上げると、見覚えのある片眼鏡をかけた男性がすぐそばに立っていた。
 この人って、宰相さん、だよね。
 王女様として目覚めた日以来会ったことないけど、あの片眼鏡と心を見透かされているような鋭い目つきは間違いないはず。
「お加減でもよろしくないのですか?」
 ああ、そっか。
 今は舞踏会の最中だから、王女様に接するような口調なんだ。
「大丈夫です。少し、人に酔っただけです」
 私はすませた表情で立ち上がった。
「申し訳ありませんが、イアン様がどこにいらっしゃるかご存知ではありませんか? ダンスをしている間に逸れてしまいまして」
 宰相さんがなんだか探るような目で私を見ていたけど、私は知らないフリをして問いかけた。
「彼ならば問題ありません。そろそろ舞踏会はお開きになります。このまま抜けましょう」
 そう言って、宰相さんはさっさと歩き出してしまった。
 イアンさんと合流したかったけど、迷子の私はついていくしかない。
 仕方なく宰相さんの後を追った。


 宰相さんはダンスホールで踊る人たちの中には戻らず、一番近くの扉から出た。
 出入口はすべて鎧姿の騎士たちが目を光らせていて、宰相さんと私を見ると一斉にがシャンっと鎧の音を立てて敬礼した。
 おー、なんかかっこいい。
 王女様の私室とレッスンをするダンスホールとトムさんの授業を行う部屋しか通ったことがないけど、本当に王宮は広い。
 時刻はたぶん真夜中近いのかな。壁に掛けられた松明の明かりが廊下を照らしているけど、端までは照らしきれない。真っ直ぐな廊下に出ると、先の方は完全に暗闇だ。
 等間隔に騎士たちが立っているけど、正直言って薄暗い廊下に立つフルアーマーってただただ不気味で怖い。
 本当にお城の中くらい顔出せばいいのに。騎士たちも微動だにしないから、飾りなのか本物なのかもわからない。
 イアンさん大丈夫かな。
 副団長さんと引き離そうとしてついあんな行動しちゃったこと、どう思ってるかな。
 宰相さんは「問題ない」って言ってたけど、今も探してくれてるのかな。この世界が本物だって知って逃げ出した私を見つけてくれた時みたいに。
 階段を上って外に面した廊下に出た時、視界に星空が飛び込んできた。
「うわぁ…、きれい…」
 つい廊下の端まで駆け寄って夜空を見上げた。
 星空を見たのって、いつ以来だろう。
 元の世界で見た覚えがあまりない。
 でも何かで見た気がするんだけどなー。学校の社会見学で行ったプラネタリウムだっけ。違うな。作り物じゃなくて本物の夜空を見た気がする。
 元の世界の夜空がどんなだったか覚えていないけど、サフィニアの夜空はすごくきれいだ。天の川がくっきり見えるし、輝きの小さい星も大きい星もみんな輝いている。
 こんな星空が毎日見られるなんてこっちの世界の人たち、羨ましいなあ。
「どうかされましたか」
「あ、すみません!」
 宰相さんに答えてから、慌てて周りを見回した。
 今のはどう考えても王女様の台詞じゃない。廊下には見張りの騎士がいるんだった。うっかり気を抜いちゃった。ハンナさんに見られたら「いつどこにいようとも自覚を持ちなさい!」って怒られるところだ。
 幸い、見張りの騎士たちの中間の位置で、今の声はたぶん届いていないと思う。
「失礼しました。まるで星が落ちてきそうなくらい美しい星空でしたので。…参りましょう」
 歩き出そうとしたけど、なぜか宰相さんは立ち止まったまま私の顔を見ている。
「あの、何か?」
「あなたの世界では星空は珍しいのですか?」
 宰相さんの問いかけに私はちょっとびっくりした。
 だって、宰相さんって必要最低限の話だけで無駄なことを嫌ってそうなイメージだったから。
 その問いかけの意図が分からなくて戸惑いながら答えた。
「場所にもよりますが、私の住んでいた町ではいつも霞んでいてこんなにくっきりと見えることはありませんでした」
 宰相さんが手すりに手をかけて星空を見上げた。
「…昔、妹が言っていたことですが、星空は異世界の扉なのだと。多くの世界を創りし神が、世界と世界を繋ぎ合わせるために空に散らばせたのが星なのだそうです。ですから、この世界のことを知らぬ者が現れても、それは神が創った別の世界の者だということだそうです。…これは子供に読み聞かせる御伽話の一つですが」
 宰相さんが御伽噺を知っている、というか人に聞かせるってことが、これまたイメージに合わない。
 でも私は宰相さんの隣に立って神妙な顔をして聞いていた。
 だって、こんな話、初めて会った日の私のままだったら絶対に言おうとしなかったはずだもん。
「私は子供の頃から馬鹿馬鹿しいと思ってきましたが、まだ文字の読めなかった妹はいつも私にせがんできて、仕方なく読み聞かせました。この話が一番好きで、いつか自分の妹が夜空から降ってくると信じて疑っていませんでした」
「なんだか、可愛らしい妹さんですね」
 私がそう相槌を打つと、宰相さんは口元を緩めて苦笑した。
 笑った顔、初めて見たかも。
「今では頑固で人に頼らない立派な淑女ですよ。…私は、今でも御伽噺とは過去の出来事の一部を過大に膨らませて伝えられてきたものだと思っていますが、あなたが現れて、どうやらそのお伽話に限っては真実に近いのではないかと思うようになりました」
「私が、夜空の星から降ってきた異世界の人間っていうことですか?」
「私は研究者ではないので実際のところはわかりません。ですが、そうかもしれません。…その点においてのみ、今のところあなたに感謝しましょう」
「はい…?」
 最後の一言が私には意図がわからなかったけど、宰相さんはそれ以上説明する気はないみたい。
 宰相さんが私に向き直って片眼鏡を押し上げた。
「どうやら、心を入れ替えたという話は嘘ではなかったようですね」
 私は宰相さんに向き直ってほんの少しだけ頭を下げた。
 本当はちゃんと頭を下げたいけど、声はなんとかできても身振りは見張りに見えてしまう。だから宰相さんにわかる程度に留めておく。
「あの時は本当にすみませんでした。私、何もわかっていなくて周りに当たり散らして、皆さんにすごく迷惑をかけてしまいました。どれだけ償えるかわかりませんが、私が王女様のフリをすることで犯人逮捕につながれば嬉しいですし、王女様を救い出せるまで精一杯頑張ります」
 私の言葉を黙って聞いていた宰相さんは片眼鏡を持ち上げた。
 よくやってるけど、あれって癖なのかな?
「ふむ、メラニーの肩入れかと思いましたが、どうやら本当のようですね」
「あの…?」
「いえ、なんでもありませんよ。それよりも、先程のハイドランジア侯爵御子息への対応は褒められたものではありませんね。王女が最初のダンスにパートナーではない別の男性を選んだということも。その相手がハイドランジア侯爵御子息ということも」
「す、すみません…」
 いきなり矛先が変わって私は慌てた。
 宰相さん、方向転換急だし、刃が鋭いです…
 王女様は大丈夫だって慰めてくれたけど、そうだよね、咄嗟の行動だったけど、よく考えればもっといい方法があったはずだよね。
 王女様は国内の貴族には派閥があるって言ってた。国王様のことを悪く言っていたことといい、国王様や王女様寄りの派閥ではないのかもしれない。
 そんな相手と王女様がダンスした、なんてなったら、周りの人たちから見れば何か勘ぐられてもおかしくない。
 イアンさんを助けたくて、つい王女様じゃなくて素で動いちゃった。
 どうしよう、これが何か王女様にとって悪い方向へいってしまうようなことになったら。
「ですが」
 考え出すと悪い方向へ気持ちが沈んでいってしまう私に、宰相さんが続けて言った。
「あの前後の状況を見ていた者たちも大勢います。結果だけが一人歩きすることはないでしょう」
「え、それって…」
「私はあなたに完璧を求めていません。完璧な身代わりなど、その教育を受けたわけでもないあなたにできるはずがないのですから」
 う、グサっとくるわー。
 初対面の時もだけど宰相さんは本当に容赦がない。
「ですが、ヴァネッサ王女の行動と思われる範疇から完全に外れたものでもありません」
 俯きかけた私の頭に、宰相さんの思いがけない言葉が降ってきた。
 びっくりして顔を上げると、宰相さんが片眼鏡を押し上げていた。
「引き続き侍従長のレッスンを続けなさい」
 それって!
 認めてくれたってこと?
 私が王女様の身代わりをすることを。
「あ…! ありがとうございます! 私、頑張ります!」
「ただし、ヴァネッサ王女の印象を著しく損なうと判断した時は、即座に軟禁します。二度はありませんよ」
「はい!」
 私は上擦りそうになる声を必死に抑えて返事をした。
 そんな私を見て、宰相さんが「ただ少し爪が甘いようですね」と呟いていた。
「ところで、ハイドランジア侯爵御子息と何を話していたのです?」
「え?」
「ダンスの後です。何か言っていたでしょう」
 うわ、見られていたんだ。
 でもそうだよね。じゃなかったら、イアンさんと逸れてダンスホールの隅の方で蹲っていた私をあんなに早く見つけられるわけないよね。
 うーん、あのこと宰相さんに言ってもいいのかな。
 王女様は確証を得られるまで国王様に伝えたくないようなことを言っていたけど。
 私は心の中で王女様に呼びかけた。
 でも返事がない。
 あれ?
 どうしたんだろう。今まで繋がらなかったことないのに。
「答えられないのですか?」
 やばい、宰相さんが痺れを切らしている。
「すみません、私はサフィニアの貴族の派閥関係がわからないんですが、ハイドランジア侯爵はどちら寄りの方なんでしょうか」
 即答しなかった私に、宰相さんがピクリと眉を動かした。
 ちょっ、それだけでもめちゃくちゃ怖いんですけど?!
 内心恐々とする私だったけど、宰相さんは特に突っ込まずに教えてくれた。
「ハイドランジア侯爵家は代々魔法騎士の家系で、剣と魔法によってサフィニアを守り続けているという自負の強い方です。侯爵ご自身もその思想で、サフィニアを揺るぎない国家とするためにヴァネッサ王女の結婚相手は国内貴族を選ぶべきという主張を持たれています。実際、王女の婚約を取り決めた際には陛下に直訴されたこともありますしね。侯爵には適年齢の御子息がいらっしゃいますから、当然そのように考えているでしょう」
 なるほど、つまりあの思い込みが激しくて自信過剰な性格は家庭環境のせいってことかな。
 だとすると、事情はどうあれ、あの副団長さんは自分が言ったことを本気で考えているかもしれない。
 だって親に「おまえは王女様と結婚するべきだ」って言って育てられてきたとしたら、その王女様が別の人間、それも他国の王子様と結婚するなんて許せないんじゃないかな。
 でも陰謀だなんて考え、どこから出てきたんだろう。
 さっき王女様と会話した時、王女様は副団長さんのことを調べて欲しいって言ってた。
 それを頼む相手は、アル、魔法師団長さん。もし魔法師団長さんに会えなければ、宰相さんにお願いしろって。
 とにかく急ぐ必要があることなら、今目の前にいる宰相さんにお願いしてもいいのかな?
 何度呼びかけても王女様の声が聞こえないことに不安なんだけど…
 私は意を決して宰相さんにさっきのことを伝えることにした。
「さっきダンスが終わった時に、副団長さんが妙なことを言っていました。王女様の婚姻はサフィニアを乗っ取ろうとするサイネリアの陰謀で、王女様が望めば然るべき手段で王女様とサフィニアを守るって言ってたんです。王女様はそれを魔法師団長さんかあなたに調べて欲しいと言っていました」
「なるほど、それは少々捨て置けない発言ですね。他には何か?」
「それで全部です」
「そうですか。それについてはこちらで調査しましょう。式の前日まで今日のような舞台に立つことはありませんが、もしまた接触があればすぐに報告をしてください。わかっているとは思いますが、場内において私室を出る時は決して一人で行動しないように」
「わかりました」
 考えたくもないけど、もし副団長さんが実力行使とかに出たら私一人じゃ何もできないもんね。
 それから、宰相さんの案内で私は王女様の資質へ戻ることができた。


「ショウコ! ああ、よかった!」
 私室に入ると、中にいたメラニーさんが血相を変えて抱きしめてきた。
「行方不明になったって聞いて心配してたのよ!」
「心配かけてごめんなさい。迷子になってしまったんですけど宰相さんに助けていただきました」
 そう言ったらメラニーさんがちょっと驚いたような顔をした。
「そうなの。安心したわ」
 私室と続きになっている小部屋に移動して、メラニーさんに衣装を脱ぐのを手伝ってもらいながら、私は舞踏会の様子を話した。
 小部屋って言っても、王女様の衣装を収納するスペースや化粧台もあるから十分広い。
「それじゃあせっかく頑張ったっていうのに、あんなのと初めてのダンスしちゃったっていうの?」
 ダンスの件になると、メラニーさんに呆れられてしまった。
 しかも「あんなの」という所に嫌に実感がこもっている。
「馬鹿ね。そういう時はさっさとパートナーの手を取って行くものよ。なんでそっちを誘っちゃったのよ」
「え、だって自尊心の高そうな人だったから、下手に傷つけると後が面倒だと思って…」
「そりゃそうだろうけど、パートナーのことも考えなさい。せっかく張り切ってめかしこんだのに相手が別の男性と手を取って踊るなんて、どんな思いをすると思ってるの」
 メラニーさんの言葉に、私は頭を打たれたような気がした。
「今って…」
「さっき戻ってきて見張りを交代したわよ。ひどい顔してね」
「…メラニーさん、聞いてもいいですか?」
「あの魔法騎士団副団長とイアン・サントリナのこと?」
 聞きにくくて言葉を濁してしまったけど、メラニーさんは私が聞きたいことを的確に推察して返してくれた。
 「」という辺り、有名な人なんだろうな。
 外聞か実力かはあえて聞かないけど。
「イアン・サントリナが護衛騎士となったのは、私が王女付きの侍女になって翌年のことだったわね。ヴァネッサ様が直接指名したのよ。それだけ聞けば栄えあることなんだけれど、実際には、ある事件で騎士の叙任が危うくなった彼を、ヴァネッサ様が護衛騎士に指名することで救ったそうよ。そうでなければ騎士の称号を剥奪されるところだった。公爵家の人間が騎士を剥奪されるなんてこと、地位失墜にも等しいことよ。ヴァネッサ様や陛下のお考えでは、お父上であるサントリナ公爵の功績を鑑みると、それは避けたいことだったということね。そのことを、サントリナ公爵の子息は騎士の志も持たず父親の口添えで最も安全な場所での任務になったのだと口さがない者は噂をしているけれど」
 それは、前にイアンさんが話してくれたことだ。
 自分は臆病者だと自嘲するイアンさんの顔が浮かんだ。
「対して副団長はよく言えば向上心の強い方ね」
「向上心、ですか…?」
「気持ちはわかるけどそういう顔しないの」
 ついげんなりした気持ちが表に出てしまった。
「ジェラルド・ハイドランジアは、祖父の代で功績を認められて叙勲された新興貴族よ。確かお祖母様が男爵家の出だったと聞いているわ。系譜としては浅いけれど、その分出世や名誉に貪欲ね。彼は魔法騎士としての才能があるからこそ副団長という任に抜擢されたのだけれど、魔法騎士に心酔するあまり他の騎士団や魔法師団を見下す言動が度々噂されているわ。特に剣で国を守る騎士団を魔法騎士団よりも劣っていると蔑ろにしているの。その上ヴァネッサ様に鬱陶しいほどまとわりつくものだから本当に腹立たしい限りの妄想勘違い男で困るわ」
「メラニーさん、本音が出ていますよ」
「あら嫌だ」
 メラニーさんが茶目っ気たっぷりにウインクして見せた。
「話を戻すわね。早い話が、自分よりも上の貴族位出身であり格下に見ている騎士団に所属しているイアン・サントリナがヴァネッサ様の護衛をしているのが気に食わないのよ。しかも実力で選ばれたのではなく、ヴァネッサ様の指名だったからね。だから事あるごとに彼に嫌がらせをしているのよ。大事になる前にどうにかしたほうがいいとは思ったけど、さすがにそんなことはしないはずだってヴァネッサ様には言われたけれど」
「そういうことだったんですね…」
 私はやっと、副団長さんがイアンさんを目の敵みたいにしている理由がわかった。でも貴族とか出世や名誉欲なんて私には実感の湧かないものばかりだ。
 メラニーさんに教えてもらわなければ、想像することもできなかった。
 それにしてもメラニーさんって、聞けばどんなことでも教えてくれる。
 侍女がどういう教養を持たなくちゃいけないものかわからないけど、王女様の身の回りのことだけじゃなくて貴族や騎士のことも知ってるなんて、なんかすごい。
「メラニーさんてなんでも知ってるんですね」
「知り合いに最強の物知り屋がいるからね」
 そんなことを言ってメラニーさんは猫みたいに笑っていた。
 何度聞いても教えてくれなかったけど。
 私は普段着のドレスに着替えると、「メラニーさんすみません!」と部屋を飛び出した。


 バルコニーに出ると、入り口に鎧姿のイアンさんが立っていて、松明の明かりの下、いつもと変わらない笑顔を向けてくれた。
「お疲れ様でした、ショウコさん」
 言葉もいつも通りすぎて、私は拍子抜けしてしまった。
「あ、えと、イアンさんも、ありがとうございました」
「いいえ。僕は何もできませんでした。覚悟はしていましたが…、どうすることもできず、あなたのパートナーとしての責務も果たせず、あまつさえあなたに救われてしまいました。本当に情けない…」
 変わらないと思ったけど違った。
 物凄く落ち込んでいる。
 暗がりで表情が翳っているけど、これ太陽の下だったらどんよりとした空気が目に見える勢いで纏っていそうな感じだ。もう目が虚だもん。
 イアンさんをこんな風に落ち込ませてしまったのは私だ。
 なんでここまで考えられなかったんだろう。
 あんな行動をしたら、パートナーをしてくれたイアンさんをどれだけ傷つけてしまうかっていうことを。
 王女様の行動としてギリギリセーフだって言われて調子に乗っていた。
 全然セーフなんかじゃない。
 こういう時って何をどう言えばいいの?
 大丈夫ですよって言ったって気休めにならない。
 だってイアンさんは初めて舞踏会に出る私を助けてくれようとしたんだよ。
 実際、イアンさんが傍で教えてくれたから見たこともない貴族の人と話すことができた。
 なのに私が先走っちゃったせいでイアンさんを落ち込ませちゃった。
 イアンさんに何か言わなきゃっていう一心で会いにきちゃったけど、私が言えることじゃない気がした。
 でも「そうですか。おやすみなさい」って部屋に戻る気にはならない。
 どうやったらイアンさんを元気付けられるかな。
「あなたには見苦しいところを見せてしまいましたね」
 顔を上げると、イアンさんが苦笑していた。
「あなたの前で僕はどうしても格好つけたかったんですが、僕本来のどうしようもなく情けない姿を見られてしまいました」
「そんなことない! そんなこと言ったら私はどうなるんですか! 散々最悪な姿を皆さんに晒しましたよ。自覚した後、どれだけ穴掘って埋まりたかったことか! でもそんな私を一番最初に助けてくれたのはイアンさんです。イアンさんのおかげで、私はあの舞踏会に出ることができたんです」
「そうですね。あなたはこの短期間で大きく成長しました。対して僕は…」
 うん、ダメだ。
 私には言葉で人を元気づけることができない。
 言葉でダメなら、行動あるのみ!
 私はイアンさんの手を鎧越しに掴んで引っ張った。
「イアンさん、踊りましょう!」
「え?! あの、ちょっと! 僕は鎧で…」
「私はダンス初心者です。丁度いいじゃないですか!」
 そうして、私たちは不格好なダンスを始めた。
 音楽は何もない。
 一番簡単なステップを踏むだけ。
 イアンさんが動く度にガシャンガシャンと鎧が音を立てる。
 その音が段々陽気に聞こえてきて、私は踊りながら笑っていた。
 きっと鎧を着てダンスなんて一度もしたことないよね。イアンさんはダンスレッスンの時とは似ても似つかないステップを踏んでいた。
 本気で焦っているのが至近距離で伝わってくる。
「イアンさんも下手っぴですね!」
「やはり鎧では踊りにくいですね」
「鎧の一番いいところは足を踏まれても痛くないことですね!」
「…ふふ、確かに。でもたとえ鎧でなかったとしても、あなたに踏まれてもちっとも痛くありませんよ」
「えー、あの副団長さんは痛そうな顔してましたよ? 何回も踏んじゃいましたし」
「舞踏会ではヒールの高い靴を履いていたでしょう。あれは痛い」
「そういえばそうでしたね。でも今思うといい気味ですね! イアンさんを馬鹿にしたことと、私の最初のダンス相手を奪ったんですから」
「ショウコさん…」
 クルクルクルクルひたすら踊る。
 そのうちに鎧ダンスに慣れてきたのか、イアンさんが違うステップを踏んできた。動きも機敏になってきている。
 慌てたらイアンさんの足を踏んづけてしまった。
「イアンさん?!」
「本当だ。痛くないね」
「ちょ! 危ないですよ!」
「鎧だから平気だよ。いくらでも踏んで」
 いつの間にかイアンさんの口調が砕けている。
 松明と月明かりに照らされて、陰鬱だった表情も、なんだかさっぱりしているように見えた。
「女性にこんなこと聞いちゃいけないんだけど、ショウコ、君はいくつ?」
 国王様も同じようなこと言ってたなあ。
 この国の人は基本紳士なんだろうな。…一部例外を除いて。
「十六ですよ」
「そっか。僕は二十一。君には救われてばかりだね。僕の方が五つも年上なのに、全然年上らしいことできてない」
「そんなことないですよ。ダンスレッスンは鬼コーチだったじゃないですか」
「あれは…、嬉しかったんだよ。君に頼られて柄にもなく張り切ってしまった」
「私はイアンさんに教えてもらえてよかったですよ。じゃなかったら翌日の夜本番なんて間に合わなかったと思います」
「そう思ってくれたら嬉しいな。でもそのせいで君の最初のダンスの相手があいつになってしまったかと思うと、ちょっと悔しいな」
 口調もそうだけど、私はイアンさんの言葉に驚いていた。
 だって今までずっとおっとり微笑んでいるイメージしかなかったんだもん。
 でも昨日の鬼コーチぶり以上に、感情が露わになっている今の姿が新鮮で、こうしてタメ口で本心を晒してくれたことが、なんだかこそばゆかった。
「でもそのおかげで今こうして踊れてるんですよ?」
「…それもそうだね」
「イアンさん、今何か隠しました?」
「いいや? 全然?」
「えー、絶対別のこと言おうとしましたよね?」
「そんなことないよ。それよりも明日からもダンスレッスンはあるから覚悟するように」
「うわ、出た鬼コーチイアンさん」
「そんな化け物みたいに言わなくてもいいだろう? それとも降参する?」
「え?」
 イアンさんがちょっと意地の悪そうな笑みを浮かべている。
「ダンスは華やかだけど練習は苦しいからね。教養の授業をしていた方が君もずっと苦しくないし楽しいだろう。できないことは周りが誤魔化してくれるし、あえて慣れないことしなくてもいいんだよ」
「絶対しません!」
 私は反射的にそう言った。
 なんだろう、イアンさんがいつもより意地悪だ。
「私降参なんて絶対しませんよ! ダンス、マスターしてみせます!」
「その意気だ」
 にっこりと笑ったその顔を見て、乗せられたんだと気づいた。
 私のムキになる性格を見抜いて転がされたってわかって、私は顔が熱くなった。
「イアンさん! 揶揄からかわないでくださいよ!」
「揶揄ってないよ。君のやる気を上げただけ。それだけやる気があるなら僕もしごき甲斐があるなあ」
 最後の一言はとてもいい笑顔で言われた。
「うわぁ、やっぱりイアンさんって鬼コーチの上に意地悪がつきますよね…」
「望む所だろ?」
「もちろんです!」
 売り言葉に買い言葉じゃないけど、ついムキになっちゃう自分も恨めしい。
 私たちはまるで友達みたいに他愛もないことを喋りながら踊り続けた。
 そのうちに、どちらからともなく足を止めた。
「ショウコ、今までで一番楽しいダンスだったよ」
「私も楽しかったです。また踊ってくれますか?」
「いいよ、また明日の夜にね」
「…イアンさん、私の最初のダンスの相手はイアンさんですよ。イアンさんに教えてもらって、イアンさんと踊ったんです。舞踏会のあれはダンスじゃありません。あの人に引っ張られるばっかりで、私全然踊ってませんから。だから、今のが最初のダンスです」
「…ありがとう」
「おやすみなさい、イアンさん」
「おやすみ、ショウコ。良い夢を」
 私の手と繋ぐ鎧の手がなんだか熱を帯びている気がした。その手を離すのが名残惜しかったけど、私はそって離して部屋へ戻った。


 ベッドの中で、私はイアンさんとのダンスを思い返していた。
 月明かりの下で踊ったひと時は、まるで夢のような時間だった。
 なんだか体が火照っている気がする。
 長く踊りすぎたのかな?
 微睡みつつそんなことを思う。
 一度眠気が来ると抗えなくなって、私はあっという間に眠ってしまった。
 だから、舞踏会の途中から王女様と会話できなくなったことを、その意味を考えることなくすっかり忘れてしまっていた。
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