夢の国のネガティブ王女

桜井 小夜

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第2章 女は度胸

8.サフィニアの歴史

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 王女様になって九日目の朝。
 お披露目式まではあと六日。
 最初は覚えることだけに集中していて考える余裕もなかったけど、一週間切ると漠然と焦ってきた。
 覚えなきゃいけないことはまだまだある。作法だってまだぎこちない。こんなんじゃ王女様の身代わりなんて務まらないよ。
 でもハンナさんは私の焦りを煽るように「所作のレッスンは今後行いません」と言ってきた。その代わり、別のレッスンを入れるって。
 晴天の霹靂だ。
 ハンナさんによる所作のレッスンはお披露目式の日まで続くと思っていたから。
「ハンナさん! なんで減らすんですか? 私もっとハンナさんに教えてほしいんです!」
 そう言って詰め寄ったけど、ハンナさんは引き締まった表情で言った。
「動揺や焦りがあったとしても、それを表に出してはなりません。ヴァネッサ様は何があろうと、また何を言われようと常に微笑んでいらっしゃいました。己の意識の外から常に人に見られているということを忘れずに」
 なんかはぐらかされた気がする。
 そりゃわかるけどさー。
 あの王女様が慌てふためく様なんて想像できないもん。私と大違い。だから私が王女様の体でそんな醜態を晒さないようにっていうことなんだろうけど。
 でも不安になるんだよー。
 昨日魔法師団長さんに会った時そっくりって褒められたけど、ほんの数秒だけの演技だ。本番は一日中王女様のフリをしないといけない。一日を乗り切れるだけの自信なんてまだないよ。
 午前中、みっちりトムさんの授業を受けた後、昼食の時間に、私は思い切ってメラニーさんに思いの丈をぶつけた。
「メラニーさん! ハンナさんが所作のレッスン止めるって言うんですよ!」
 そうしたら、メラニーさんが信じられないことを言った。
「よかったじゃない」
「よくないですよ! 代わりに別のレッスンを入れるみたいですけど、私はもっと所作のレッスンしたいんです!」
「あんたねえ…」
 なんでかメラニーさんに呆れたような顔をされた。
「ハンナ様がレッスンを終了したっていうことは、あんたはこの国で最高峰の所作を身につけたってことなのよ」
 え、なんですと?
「それってつまり…?」
「ああもう、察しの悪い子ね」
 口でそう言いながら、メラニーさんの顔は笑っている。
「つまり、あんたはハンナ様に認められたってことよ! あんたが挑んだたった一度のチャンスを物にして、公の場で王女様として振舞うことを許されたってことよ!」
「うそー!!」
「嘘なもんですか! すごいわショウコ! あんたは三日でハンナ様を認めさせたのよ! こんなことって今まで一度もなかったことよ!」
「メラニーさん夢じゃないですよね?! あ、夢じゃないのはもちろんわかってますけど!」
「現実に決まってるでしょう!」
 信じられない!
 私は泣き笑いしながら、メラニーさんと手を取り合ってぴょんぴょん跳ね回った。メラニーさんも心なしか涙を滲ませている。
「ああもう、せっかくお化粧した顔が台無しじゃない! 後で直さないとね」
 それから興奮がやっと収まって、メラニーさんがニヤリと笑った。
「ショウコ、気を抜いてはダメよ。テーブルマナーはまだ続けるし、ハンナ様が次のレッスンを用意しているっていうことは、ここからもっと過酷なレッスンが待ち受けているっていうことよ」
「あ! そ、そうですね! すみません、またはしゃいじゃって…」
「気持ちはわかるわ。私もハンナ様のレッスンをすべて終えた時は、誰もいない所で大はしゃぎしたもの」
「え! メラニーさんがですか?」
「生半可な覚悟ではやり抜けなかったレッスンだったからね。脱落者が何人いたことか…」
 うわ、泣きながらホールを後にする姿が容易に目に浮かぶわ。
「さあ、テーブルマナーの時間よ。今日はなんの食材が使われているかよく考えながら食べなさい」
「はい!」
 昼食の後、午後のレッスンまでの間、私はバルコニーに出た。
「イアンさん」
「どうしました? ショウコさん」
 イアンさんはいつもの笑顔で迎い入れてくれた。
 あー、イアンさんのほわんとした笑顔、すごい癒されるわー。
 私はイアンさんの笑顔に和みながら、さっきのハンナさんとメラニーさんのやりとりを話した。
「ショウコさん、頑張りましたね」
「ありがとうございます! イアンさんのおかげでもあるんですよ」
「僕は何もしていませんよ」
「イアンさん、いつも嫌な顔一つせずに私の話聞いてくれたじゃないですか! イアンさんのおかげで、私厳しいレッスンも耐えれたし、覚えることいっぱいで頭がこんがらがった時もイアンさんとしゃべると頭がスッキリしてまた覚えることができたんです!」
「そうですか? お役に立てて光栄です。…それにしても、所作よりもある意味ダンスの方が難しいかもしれませんね」
 え?
 ダンス?
 なんで急にダンスの話?
 だいぶ私は間抜けな顔になってたと思う。
 イアンさんにふふっと笑われた。
「笑わないでくださいよ!」
「いえ、すみません。そういう素直に表現できるところがあなたらしいですね」
「シンプルに言ってくれていいんですよ。単純だって!」
「滅相もない。ただ、そうですね。侍従長殿は少々心配しておられるかもしれません。時間がないとは言え、なかなか思い切ったことをされますね」
 イアンさんは自分の中で完結している話を独り言みたいに言うから、訳がわかんない。
「あのイアンさん? さっきからなんの話ですか?」
 私の戸惑いに気づいたイアンさんが「すみません」と謝ってから教えてくれた。
「近々陛下主催の舞踏会があるんですよ」
「ぶとうかい?!」
 天下一、じゃなくて舞踏会?!
 つい言いたくなっちゃうよね。
「お披露目式の前祝いという主旨の舞踏会なんですが、もしかしたら侍従長殿は実践訓練と称してあなたをそこへ出席させるつもりかもしれません。サフィニアの有力貴族を一人も知らない状態でお披露目式を迎えることは避けたいと考えているでしょうし、あなたに場慣れさせたいという考えもあるでしょう」
「でも私ダンスなんてできないよ?!」
「ダンスのレッスンはまだ?」
「はい」
「では場慣れさせることが目的でしょうね。王女様がダンスをしないというのは少々考えにくいことではありますが…」
「どういうことですか?」
「舞踏会では、パートナーだけでなく主賓とダンスすることも多くあります。特に今回の舞踏会はお披露目式の前祝い。主賓は王女様です。おそらく大勢の貴族が王女様にダンスを申し込むでしょう。それを断ることはかなり…、異例ですね」
 イアンさんは言葉を濁したけど、それってあり得ないって意味だよね。
 イアンさんの表情を見るに、その場で王女様が踊らないなんて、結婚式で新郎新婦の誓いをすっ飛ばすようなもんなのかな。
 少なくとも、本物の王女様ならダンスのお誘いを断るなんてあり得ないはずだ。
「…ちなみに、王女様のダンスの腕前は?」
「お上手ですよ。僕も一度踊らせていただいたことがありますが、どんな男性とも卒なく踊ることができますし、慣れていらっしゃいますね」
 マジですか…
 え、今からダンス練習?
「…ちなみにイアンさん、その舞踏会っていつですか?」
「明日の夜ですね」
「絶対無理です!」
 全力拒否する私を見て、イアンさんが苦笑していた。
「ですから、侍従長殿もあなたにダンスを求めてはいないと思いますよ」
 あれ、それってつまり期待されてない?
 自分で無理って言っといて、ちょっとカチンと来てしまった。
 我ながら単純だなーと思いつつ、一度火のついた闘争心を消す気はなかった。
「………イアンさん」
「な、なんでしょう?」
 長い沈黙の後、私はイアンさんに呼びかけた。
 ちょっと声が低くなっちゃったせいで、イアンさんが顔を引きつらせている。
「王女様と踊ったことがあるってことは、イアンさんもお上手なんですよね?」
「それは、まあ。人並みには…?!」
 イアンさんの返事が終わるか否かの瞬間に、私はガシッとイアンさんの両腕を鎧の上から掴んだ。
「私にダンス教えてください!」
「ええ?!」
「私、王女様のフリを完璧にやるんです! なのにダンスが上手な王女様が踊らないなんて身代わり失格じゃないですか! そんなことは許されません! ハンナさんにそのつもりがないなら、イアンさん教えてください!」
「いや、でも女性と男性では…」
「バルコニーで立ってるだけって暇ですよね?!」
「いえ、これはあなたの身辺警護で…」
「体動かさないといざっていう時機敏に動けませんよ!」
「日々鍛錬は行っておりますので…」
「お願いします!!」
 私がいっぽ進めばイアンさんが一歩下がる。
 それを繰り返していつの間にやらバルコニーの端。
「…わ、わかりました…」
 とうとうイアンさんが頷いた。
 とはいえ、鎧姿のままでは優雅に踊るなんて無理だ。
「準備がいります」
 と、イアンさんに言われた。
 そこでふと思ったことを聞いてみた。
「鎧ってカッコいいと思うけど、王宮の中でいるのかな?」
「…どういうことですか?」
「や、えっと…」
「構いませんよ、思ったことを仰ってください」
 言い澱んだら、思いの外イアンさんが食いついてきた。
「戦争中とか国境で敵が攻めてくる危険があるところではすぐに戦えるように鎧を身につけていなきゃいけないっていうのはわかるよ。でも王宮は戦争の真ん中じゃないじゃない」
「ですが有事の際に鎧を着ていなければ敵の攻撃を無防備に受けてしまいますよ」
「んーと、そうなんだけど…」
 よくファンタジー小説やなんかに、魔法で防御力を上げたり、魔法によって防御力が高められた装備を身につけるような描写があるけど、そういうのがないか聞いてみたら、イアンさんに「聞いたことがない」って言われた。魔法の国なのにちょっと意外だ。
「鎧じゃなくて、服の下に着込む鎖帷子はないの?」
「一昔前ならば、そういった装備だったそうですが、今は実用性の観点からプレートアーマーが主流ですね」
 イアンさんが今着ているのが全身を金属の板で覆うプレートアーマーって言うらしいんだけど、身動きすると金属音が結構する。
 確かにすごく頑丈そうだけど、実用性重視すぎて見栄えが悪すぎるんだよね。鎧も銀一色で模様があるわけじゃないから、ただただゴツい。
 王宮でそんな姿はなんだか物々し過ぎない?
 それよりも、制服みたいな服の下に鎖帷子を着込んだ方が、見た目もスマートでカッコいいじゃない。昨日国王様が着ていたような見栄えするデザインの服を揃って着た騎士の集団って、それだけですごい映えるよね。お姫様を守る親衛隊ってお揃いの制服を着て、欲を言えばカッコいい人たちがお姫様を囲んでるイメージがあるもん。
 だから、護衛のイアンさんの全身鎧を初めて見た時はちょっとびっくりしちゃった。
 そんなことを伝えたら、イアンさんは意外と真面目な顔をして「興味深い話ですね」と熱心に聞き入ってくれた。
「あなたの世界には魔法は存在しないとお聞きしましたが…」
「全部空想のお話だよ。でも意外だなー。この世界の魔法ってどんなのがあるの?」
「そうですね。魔法というのは…」
「ショウコ! 時間よ」
 イアンさんが教えてくれようとしたところで、午後のレッスンの迎えに来たメラニーさんに呼ばれた。
「ショウコさん、少しこちらで準備や調べたいことがありますから、夕方に続きをお話ししましょう」
「はい! よろしくお願いします! …メラニーさんお待たせしました」
 私はすぐに部屋に戻った。
 だから背後でメラニーさんがイアンさんをからかっている姿は見ることができなかった。
 この時、私は何気なく言っただけだったけど、後にそれがとんでもない一文化に発展するとは、この時思いもしなかった。


 午後は丸々トムさんの授業だ。
 いつもだったらトムさんの授業とハンナさんのレッスンが半々なんだけど、どうやらハンナさんに急用が入ったらしい。
 やっぱり所作のレッスンもうしてもらえないのかなー。
 メラニーさんに「認められたのよ」って教えてもらった時は嬉しかったけど、でもハンナさんのレッスンがないっていうのも寂しい。
「随分と変わられましたね。五日前だったら両手を挙げて喜んだのではありませんか?」
 その話をしたら、いつもの微笑みを浮かべてトムさんがそう言った。
 普通だったら嫌味とかに聞こえるけど、トムさんが言うと嫌味に聞こえない。誰かに似てるなーと思ったら、イアンさんだ。おっとりした雰囲気がイアンさんに似てるんだ。
 五日前は私がまだこの世界のことを夢だと思っていた時。
 その時なら確かに万歳してたかも。
 でも不思議だ。
 あの時はあんなに嫌だったのに、今は真逆に感じてるんだもん。
「私、こっちに来て気づいたんですけど、何かに打ち込むのって好きかもしれません」
 元の世界では現実逃避がしたくてひたすら本の世界にのめり込んでいた。
 こっちでもトムさんが貸してくれた本が面白くて何冊も読んでるけど、でもそれ以上に体を動かして一つのことに熱中するってことが楽しくて仕方がない。なんだか「充実してる」って気持ちになるんだ。想像の世界だけにいるんじゃなくて、全身で何かに打ち込むことが、生きてるっていう実感を私に与えてくれる気がした。
 ハンナさんのレッスンは特にそう。
 それに、ハンナさんに教えてもらうのも好きだ。
 それこそ五日前の私からは想像できない変化だな。
 ハンナさんはすごく厳しいけど、頭ごなしに否定することはない。五日前の態度が悪すぎる私にでさえ、苛立ちながらもきちんと悪いところを見て指摘してくれた。
 私を見てくれているってわかったから、益々のめり込んだんだ。
 だから余計に寂しいんだ。
 トムさんは「打ち込める何かがあることは良いことです」って微笑んでいた。
 今日の授業は、タイミングの良いことに魔法についてだった。
 と言っても魔法を使うための授業じゃなくて、歴史に関わる部分についての魔法だ。
「サフィニア王家の成り立ちについてはご存じですか?」
「はい。トムさんが貸してくれた本を読みました」
 サフィニア王国の歴史はとても古い。
 戦争や内紛という憂き目には遭ったものの、国として存続し続け実に八百年。
 トムさんが私に選んで貸してくれた本だから、たぶん初心者向けだと思うんだけど、それでも長編小説かっていうくらい分厚い本だった。
 より詳しく記されたものだと、何十巻にも及ぶらしい。逆に童話になると端折りすぎて授業には向かないんだって。
 歴史書っていうよりも小説を読んでる気分になって、登場人物たちの苦しみや優しさ、絶望にすごく共感しちゃった。
 改めてトムさんが歴史書を開きながら教えてくれた。
 始まりは、魔法だった。
 大昔、人間が大陸中で戦争をして大地を荒らし海を荒廃させた時代の話。
 ある貧しい姉弟が食べ物を求めて山に分け入った時、喉の渇きに耐えきれず弟が汚れた湖の水を飲んでしまい、毒に侵されてしまった。
 姉は弟を背負って山中を彷徨い続けた。とうとう姉も体力が尽きて倒れた時、それを見ていたショーリアが、哀れに思って姉弟を神の元に誘った。
 けれど姉弟が目にした神もまた、弱り果てていた。人間が荒らした海と大地の汚れを一身に背負い、今にも死にかけていたのだ。
 姉は弟を助けてくれたら神を救うために大地を蘇らせることを約束したが、神は人間を信用していなかった。
 そこで、姉は弟の命の対価として己の身を神に差し出した。
 神の魔法で助かった弟は、姉の約束を果たすためにショーリアの助言を受け、海の果てでレナイアの教えを受けて魔法の力を得た。その力で人々を助け手を携えて大地を蘇らせようとしたが、ある時魔法の力で殺人を犯し、恐ろしい戦争に発展してしまった。
 再び荒廃した世界を目の当たりにして、弟は己の犯した罪に絶望し、山中を彷徨い湖の毒の水を飲んで苦しみながら死んでしまった。
 それを知った姉は悲しみに打ち拉がれたが、絶望ではなく希望を選び取った。
 神に願って山を降り、弟の代わりに人々を救い、子孫に渡って大地を蘇らせ、花で満たした。
 そして姉弟に救われた人々は慈愛に満ちた姉を祖として国を建てた。
 ざっくり言うとこんな感じ。
 本当はもっと難しいんだけどね。
 さらっと説明したけど、レナイアとショーリアはすごく重要な役割を担っている。
 ショーリアは常に姉弟を導く存在で、レナイアは弟に魔法を授ける存在だ。
 その方法っていうのが、レナイアの血肉を食べること。
 そこから、レナイアを特別な時に食べるっていう風習が生まれたんだって。ショーリアは神の元に導く鳥だから食べちゃいけない。
 レナイアは縁起のいい生き物で、ショーリアは元の世界の宗教にもあるように神聖不可侵な生き物ってことかな。
 同じ聖獣のはずなのに、扱いが違うのはちょっと不思議。
 それから、姉と弟のやりとりとか、神様の言葉とか、すごく意味が深い。
 例えば、ショーリアの知恵を授かった弟が海の果てで出会ったレナイアに事情を説明した件。
 レナイアは最初「大地の果てから木々を持ち帰り上なさい」って助言した。でも弟は自分が生きているうちに大地を蘇らせることができないと知ると、弟は渋って「もっと早くできる方法を」って拒否した。
 そんな弟に、レナイアは「人間が一瞬で破壊したものは、神が数千年かけて作り上げられたもの。それを魔法の力も持たない人間がなぜ一代の世で成す事ができようか」って諭した。
 「作るのは一生、壊すのは一瞬」なんて表現を聞いたことがあったけど、世界が違っても同じ教訓があるんだ。
 弟はその言葉を理解できたのかなって思う。
 だって、結局焦りからレナイアに魔法を教えてくれって頼み込むんだもん。レナイアは「魔法を得ても大地を蘇らせるには時間がかかる」って諭したけど、弟は引かなかった。「みんなでやればできる」って。
 その言葉の通り、弟は魔法を得た後、人々を助けて荒んだ心を繋ぎ、共に植林をして緑を増やしたり、魔法を独り占めせずにみんなに魔法を与えるんだけどね。
 弟の熱意に負けたレナイアが魔法を授けるんだけど、「ならば約束してください。魔法の源は人の心。その言葉は魔法そのもの。その意味をよくよく理解しなさい」って言葉を授けて、己の身を弟の前に横たわらせて「後戻りはできません。覚悟を」って最後に弟に念を押した。そして弟はレナイアを食べて魔法の力を得たんだ。
 弟は「覚悟がある」って答えたけど、結局魔法の力に溺れて悪いことに使っちゃった。
 覚悟の代償は重い。
 だって最初は姉を救いたくて魔法の力を手に入れたのに、自分の欲望から人を殺すのに使っちゃったんだもん。そのせいでまた戦争が起こって、大地を荒らしちゃった。
 古いことわざにある。
 覆水盆に返らず。時は戻せないし、一度起こってしまった事実は変えられない。
 結果論じゃないけど、弟には覚悟が足りなかったんだ。
 でも最後は弟の跡を継いだ姉がサフィニアを花でいっぱいにした。
 実際に咲いているところは見たことないけど(城と町を囲う城壁の外だから、すごく遠くて私には見えなかったんだ)、毎日メラニーさんが部屋の花瓶に花を飾ってくれる同じ花が続けて飾られることは絶対になくて、綺麗だなっていつも和んでた。
 死にかけの神様は最初から最後までずっと人間に絶望していた。
 弟にも姉にも「大地と海を汚し私を殺そうとする人間が、私に人間を救えと言うのか。人間に大地と海を蘇らせることができるはずがない」って言って。
 今はどうなんだろう。
 山の奥深くで、約束通り姉が花で満たした大地を見ているのかな。それとも約束を破って争いを起こした弟のことをずっと怒っているのかな。猜疑心の塊だった心は安らぎに変わったのかな。
 実際に神様がいるかどうかなんて論じても仕方がないけど、でも建国物語を読んだ後はすごくそう思った。
 レナイアの言葉は弟には届かなかったけど、時を超えて今に受け継がれている。
 だってレナイアの言葉は王女様が言っていた言葉だ。
 人の心は魔法の源、人の言葉は魔法そのもの。
 王女様や王妃様が奉仕精神に溢れてるのって、きっとサフィニア王国の初代王様になった姉から来てるんだろうな。
 だって姉はどんなに飢えて苦しくても、我慢できなかった弟と違って湖の毒を飲まずに耐えた。弟を背負ってひたすら歩き回ったり、自分の身を犠牲にして弟や神様を救おうとしたんだもん。
 何もかもが貧しくて心が荒んだ世界で、それだけ清廉な心を持ち続けた姉って、本当にすごいと思う。私だったらそんなことできないと思う。
 トムさんは歴史書を開きながら言った。
「建国の話には、数多くの訓戒が納められています。弟の命の対価に己の身を差し出す件、絶大な力を得て欲望に呑まれ魔法を悪用することもまた然り。サフィニアでは子供たちへの戒めとしてのお伽話だけでなく、魔法学院でも必ず教えられます」
「魔法を悪用しないように、ですね」
「そうです。そして人を救う為の魔法であることを心に刻む為に」
 私はずっと気になってたことを聞いてみた。
「今までに魔法を戦争で使ったことってないんですか? サフィニアには魔法が使える騎士団があるんですよね。戦争になったらその人たちは魔法で戦うんですか?」
 王女様が戦いで魔法を使ってはいけないって話を前にしていたのを思い出した。
 でも魔法って言ったら、火の玉が飛び交うような戦いってイメージがある。
 安直?
 でもそれが一番イメージとして湧くかな。
 ちなみにゲームも両親に「目に悪いからダメ」と言われてやったことがない。なのでこのイメージはテレビの宣伝とかで流れているゲームの画像からのものだ。
「おそらくありません。戦いの中で許されている魔法は治癒の魔法のみと聞いています。レナイアが人間に魔法を授けたのは、大地と海を蘇らせる為、引いては神を救う為です。戦争で魔法を使うことはすなわち神を殺すこと。そのように魔法学院で徹底的に教え込むと聞いたことがあります。ただし、残念ながら魔法を使える者すべてがサフィニアの魔法学院に入れるわけではありません。他国の生まれであったり、周りの者が魔法の素養を持った者を隠してしまえば、教えを知らないまま成長し、攻撃的な魔法を使ってしまうのです。そういった犯罪に対処する為に、サフィニアには魔法に関するあらゆることに対応する魔法師団があるのです」
 なるほどねー。
 トムさんの説明で納得した。
 サフィニアにある三つの騎士団。
 魔法師団長さん率いる魔法師団は国内における魔法が関わる犯罪に対応する為。
 剣を佩くイアンさんが所属する騎士団と魔法騎士団は他国に対する防衛力ってわけなのね。
 ご先祖様の教えを大切に守り続けてるんだ。
 魔法が飛び交う戦場の方が怖いんじゃないかと思ったけど、剣だけの戦場で治癒魔法ってやつがあるなら、そこまで恐ろしくはないのかな?
 いや、斬ったり斬られたりって想像もできないからそんな簡単なこと言っちゃいけないな。
 だってイアンさんが真剣に悩んでいたことだもん。頭ごなしに決めるけつなんてこと、私がしちゃいけない。
 ともかく、魔法による攻撃が怖いのは、戦場よりも王宮とか身分の高い人がいる場所なのかなって思ったの。
 そういう所で、いざという時に守れるように、常に鎧をつけてるってことなのかな。
 うーん、全然イメージがつかない。いつかちゃんと魔法見てみたいなあ。
「では他国に目を向けてみましょうか。隣国サイネリアはサフィニアほど魔法に関心が高くなく、騎士団も剣が主流です。関心がないと言うよりも、彼の国はその歴史上、剣による戦いを誇りとしています」
 サイネリアって、王女様の婚約者の国だよね。
 じゃあお相手の王子様も剣の達人だったりするのかな。
 それで白馬に乗ってきたりしたら、完全に白馬の王子様じゃん。
「一方、もう一つの隣国ドラセナはやや独特です。薬草の国とも呼ばれ治療に関してはサフィニアよりも高い知識と技術を持つ国なのですが…、薬と毒は紙一重。魔法使いを呪術師と呼び、怪しげな薬や人を害する魔法を扱う者が多いと聞きます。以前、陛下もドラセナから流れてくる違法な薬物や魔法に頭を抱えていらっしゃいました」
 うわ、それ聞くと余計に怪しい国じゃん。
 そういえばドラセナってどっかで聞いたな。
 そうだ、王女様が言ってたんだ。
 王女様と魔法師団長さんと魔法学院でトップ争いをしたっていうもう一人の魔法使いアランさん。サフィニアの貴族の養子になったけど、卒業後は行方不明になっちゃったっていう。確かその人がドラセナの出身だったっけ。
 しかもドラセナは魔法の素養を持った子供を集めて、サフィニアでは禁忌とされている攻撃のための魔法を教え込んでるって。
 習い始めたばかりだから詳しいことはわからないけど、ドラセナはなんだがすごく厄介な国だっていうイメージになった。
「サフィニアにとって魔法は神を救うために授けられたもの。王女様も幼い頃からご熱心に魔法を学び、陛下に倣い人々のために尽力なさってきました」
 トムさんはそう話を締めくくった。
 うん。やっぱり、魔法見てみたいな。
 というか、王女様のフリとか関係なしに純粋に王女様がやってきたこと、大切にしてきたことを自分の目で見てみたいなって思った。
「トムさん、私まだ魔法って見たことがないんですけど、どこに行けば見られますか?」
 この質問には、トムさんはちょっと困った顔をした。
「僕が魔法を使えればこの場でお見せすることもできたんですが…」
 トムさんは魔法の力を持っていないらしい。
「一番早いのは騎士団の方の訓練場を見学することでしょうが、今はまだ難しいでしょうね」
 あ、ピーンと来た。
 私が身代わり王女としてまだ未熟だからだ。変に顔を出して王女じゃないって勘繰られたら、犯人を誘き出すことができないもんね。
 残念だけど仕方がない。
 早く完璧に王女様のフリができるようにならなくちゃ。


 午後いっぱいになったトムさんの授業が終わるより早く、メラニーさんが迎えに来た。
「ペラルゴニウム先生、授業中申し訳ございません。王女様、ハンナ様がお呼びでございます」
 最初にトムさんに頭を下げて、メラニーさんが言った。
「丁度一段落したところです。今日はこの辺にしましょう」
「トムさん、ありがとうございました」
「ええ、また明日」
 トムさんの授業を受ける部屋を出た後、メラニーさんが案内してくれたのは、いつも所作のレッスンをしていたダンスホールだった。
 その中に入ってびっくりした。
「え、イアンさん?!」
 なんと、ホールの中央で待っていたのは、ハンナさんとイアンさんだった。
 しかもイアンさんはいつもの全身を覆うプレートアーマーじゃなくて、まるで貴族のような格好をしているではないですか!
 十七世紀とかそれくらいのヨーロッパ貴族の服って言うのが一番イメージしやすいかな。袖がちょっと短くてその下に大きなブレスレットをしている。騎士だからブレスレットっていうより装飾性の高い籠手なのかな。剣をすぐに抜けるように袖が短くなってるのかな。腰にはいつもの剣を佩いている。
 私を見たイアンさんがにこりと微笑んだ。
 うわぁ、貴族服のせいでイアンさんの顔が五割増だあ。もうご尊顔としか言いようがない。
「お待ちしておりました」
 ハンナさんに呼びかけられて、私は慌てて二人のそばまで行った。
 気が動転して小走りになりかけたけど、いけないいけない。レッスンを思い出してゆっくり歩いていく。ハンナさんの試験は二十四時間営業。扉を開く前から始まっているのだ。
「ご機嫌よう。ハンナ様、イアン様」
 二人の前でお辞儀をする。
 顔を上げたら、イアンさんがちょっと目を見張っていた。
 驚いてる驚いてる。
 イアンさんの前では王女様らしい振る舞いをしたことないから、普段とのギャップにびっくりしたかな。
 ここまでの歩行と挨拶を見て、ハンナさんが小さく頷いた。
 よし。
 ミッションクリア!
「本日より、特別なレッスンを行います」
 今朝ハンナさんが言ってた、所作の代わりのレッスンかな。
 でもなんでイアンさんがいるんだろう。しかも鎧も着ずに。
 内心首をかしげる私に、ハンナさんは爆弾発言をした。
「これから行うのはダンスのレッスン。サントリナ公爵家御子息でいらっしゃいますイアン・サントリナ様には講師兼お相手役として参加していただく運びとなりました」
 なんですとー?!
 いろんな意味でなんですとー?!!
「はえぇぇぇああ?!」
 私は王女様のフリもすっ飛んで奇声を上げてしまった。
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