夢の国のネガティブ王女

桜井 小夜

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第4章 開幕

15.新境地

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 翌日、太陽の光を受けて起きた私は、ベッドから降りて大きく体を伸ばした。
「ん~…はあっ!」
 意外なくらい目がスッキリしている。
 昨日の夜あれだけ頭の中ぐちゃぐちゃになって大泣きしたのに。
 改めてメラニーさんに感謝しなくちゃ。
 バルコニーを見たら、見張りの護衛騎士が替わっていてちょっとホッとした。
 イアンさんでもロドスさんでもなくて、一番年長に見えるおじ様だ。顔の彫りが深い人なんだけど、額から頬にかけて大きな一本傷があって左目が潰れている。そんなワイルドな顔立ちだから、すごく近寄り難くて今まで話しかけたことがない。ロドスさんと同じくらい体格がいいっていうのも一因だ。
 と言っても、いまだにイアンさんとロドスさんとしか喋ったことがないんだけどね。なかなか個人的に喋る機会がないんだよね。レッスンで部屋にこもっている時も多いから、見かけるタイミングがないってだけだと思うけど。
 ここにいられる時間はあとわずかだろうけど、一回くらいはちゃんとお話ししたいなあ。
「…っと、そうだ。練習しなきゃ!」
 ユージン王子との別れ際の約束を思い出して、私は一人ダンスの練習を始めた。
 結局昨日は何もできなかったからね。王子と会う前に復習しとかなきゃ。
 また胸をちくっと刺す記憶が蘇りかけた。
 慌てて首を振って記憶を打ち消して、思い出す余裕がないくらい一心に体を動かした。
 完全に頭の中がダンスのリズムを刻むようになった頃。
「おはようございます、ヴァネッサ様」
 メラニーさんがいつもより早く来た。
「はい!」
「少々お時間よろしいでしょうか?」
 扉を開けたメラニーさんがなぜか改まったことを言ってくる。
 どういうこと?
 ってよく見たら、メラニーさんの他にも人がいた!
 しかもメラニーさんと同じ侍女の服を着ている。っていうことは、王女様付きの侍女さん?!
 やばい、ダンスの練習してちょっと汗だくだし、身なりが整ってない!
 というかメラニーさんが朝の支度をしてくれるから整えようがないっちゃないんだけど、なんとなくね。パジャマ姿の時に慣れた人以外の人が来るとなんか恥ずかしいじゃん。
 兎にも角にもどうしようもないから、私は息を整えてできる限り平常心になってから応えた。
「どうぞお入りください」
「失礼します」
 一礼して入ってきたメラニーさんの後ろに侍女さんが二人続いた。
 どちらも見たことはない。
 一人は小柄ながらもふくよかな女性で、赤みがかった茶色の髪を綺麗に結い上げている。同じ色の瞳が大きく瞬いている。
 もう一人は長身のメラニーさんよりも背が高くてスレンダーな女性で、ウェーブがかった黒髪を三つ編みにした上で結っている。眼鏡の向こうで少し細めな灰色の目が眼光鋭く見えた。
 三人並んで、真ん中に立った小柄な女性が一歩前に出る。
「初めてお目にかかります。ヴァネッサ様付きの侍女をさせていただいております。サマンサ・アイビーと申します。以後、よろしくお願いいたします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
 その人につい見惚れちゃった。
 だって、フルートの音色かと思うくらい綺麗な声なんだもん。それに動きも!
 なんていえばいいんだろう。歩いてお辞儀しただけなんだけど、しなやかって言葉が真っ先に思い浮かんだ。その人の指の動き、体の動きにぎこちなさが全然なくて、でも無造作じゃなくて動きを全てコントロールしているかのような美しさ。
 自分で言っててめちゃくちゃだなぁ。でも、ハンナさんがいつも言っていることを全部体現するとこうなるんだって初めて理解した。
 瞬間的に緊張しちゃって、つい声が上擦っちゃった。
 もう一人の女性も前に出る。
「同じく、ジル・バードック。…あたしがあんたの世話をすることは絶対にないけどね」
「え…? と、その?…」
 ええ?!
 何この人?!
 サマンサさんとは正反対過ぎる!
 というかハンナさんから見たら不合格レベルの言葉遣いと所作だわ。
 王女様(偽物だけど)に対する口調じゃないし、サマンサさんのようにお辞儀もしない。名乗っただけ。しかも非友好的な発言付き!
 侍女の服を着ているだけで、絶対に侍女じゃないでしょこの人!
 しかも私が返事したら馬鹿にするような表情になった。
 驚きのあまりちゃんと返事できなかった私が悪いけどさ!
 それはないんじゃない?!
「本当にこんなのが? 揃って頭でも打った?」
 さらに放たれる雑言。
 私への悪口だけでなくて私と関わる人全員に向けられた言葉に、ついムッとなった。
 背後の二人が表情を動かさないのはさすがハンナさん仕込みだわ。
「ジル、言葉に気をつけなさい」
「必要性を感じない」
 メラニーさんに注意されても素知らぬ表情だ。それどころかもっと言葉遣いがひどい。
 逆に私はハッとした。
 何のためにメラニーさんが言葉を改めたと思ってるの?
 すぐに素の自分でしゃべってしまった自分の気の緩みに強く悔やみ、意識を切り替えて背筋を伸ばした。
「大変失礼いたしました。私は藤崎翔子と申します。王女様を助け出す時まで精一杯代役を勤めさせていただきたいと思います。こちらにおける平民の出身ですから、何かと常識の欠けたところもあるかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします」
 そして深々と頭を下げる。
 その行為に目の前の三人とも慌てて私よりも深くお辞儀していた。
「スムーズには行かなかったわねぇ」
 やれやれって感じでメラニーさんがため息をこぼした。
 あれ、もう態度崩れてるけど…
 素でいいってこと、かな?
「ショウコ、楽にしていいわよ。改めて説明するわね。ヴァネッサ様付きの侍女は私たちを含めて九人いるのだけど、今まで私一人であなたの世話を担当していたわ。けれど、先の街での事件を受けて、警備態勢を強化することになったの。常時側にいる侍女は三人に増員。護衛騎士も六人から十五人での護衛となるわ。護衛騎士との顔合わせは朝食の後に行う予定だけれど、一足早くこちらの二人の紹介をしに来たのよ」
「そうなんですか」
 そういえば、昨日宰相さんが言ってたっけ。
 問題が解決するまで警備態勢を強化するって。
 昨日はユージン王子の相手で一杯一杯で、すっぽり忘れちゃっていた。
 こんなことも覚えていられないなんていけないな。
 王女様だったら逆に「警備態勢はどうなっているの?」って自分から確認する気がする。
 何にしても、気を引き締めなくちゃ!
 メラニーさんには色々教えてもらったしだいぶ甘えちゃってたけど、これからはそうじゃないんだから。
 王女様を救ってこの体を返す日まで、一瞬でも気を緩めちゃいけないんだ。
 ハンナさんの顔がパッと浮かぶ。
 気持ちを切り替えるように一度深呼吸してから、改めて新しい侍女さん二人を見た。
 サマンサさんとジルさん。
 どんな人たちなのかまだわかんないけど、どんなに嫌われていても、王女様を助ける日まではお世話になるんだ。きちんとしなきゃ。
 魔法の言葉を胸に思い浮かべる。
 こんな時、王女様ならどう対応する?
 フリじゃなくても、私の思考を動かすための大事な言葉。
「改めてよろしくお願いします。一人から三人になったということは、着替えや食事の対応も変わってくるんでしょうか? 役割分担があるんですか?」
 メラニーさんがちょっとだけ目を見開いていた。
 でも答えたのはサマンサさんだった。
「ふふふ。想像よりもきちんとしたお嬢さんなのね」
 口元に手を添えて上品に微笑む。
「その通りですわ。メラニーには今まで通りあなたのお世話を。私は身の回り以外におけるお世話を。簡単に言えばお客様への取り次ぎ、予定管理、他部署との連絡などですわね。そしてジルは魔法を担当しますわ」
 うひゃー、今まで聞いたことがないお嬢様言葉だ。メラニーさんとは割と早くから遠慮のないやりとりだから、なんかすごい新鮮。
 内心舞い上がりつつ、私は真剣にサマンサさんの話を聞く。
 そしてわからないところをすぐに聞いた。
「メラニーさんとサマンサさんの役割についてはわかりました。ですがジルさんの魔法担当とはどういうものですか? 私がいた世界では魔法が存在しないので、イメージが湧かないんです」
 私がジルさん、と言った瞬間、ジルさんの眉間にはっきり皺が寄った。対照的にサマンサさんの微笑みは崩れない。
「ヴァネッサ様はとても強い力を持った優秀な魔法使いです。ヴァネッサ様の使う魔法の杖の管理や、魔法を行使する際の補助を行う役割を受け持っております」
「あの王女様に補助なんて要らないけどね。いや、要らなかった、けどね」
 すかさずジルさんが棘を吐く。
 なんか魔法師団長さんがもう一人って感じだわ。
 でも私は魔法が使えないから、ジルさんの仕事ができないのは事実なんだけど。
 こうして話を聞いてると、何となくわかってきた。
 王女様の侍女って少数精鋭なんだ。
 メラニーさんもサマンサさんも一流だし(王家に仕えるんだから当然だけど)、ジルさんは王女様のために存在するようなものなんだろうな。三人以外の侍女の人たちも、きっと王女様が役目を果たす上で必要な技能を持った人たちが結集しているんだ。そうやって王女様を支えてる。
 護衛騎士もなんで年配の人が多いんだろうって思ってたけど、多分経験を取ったんだろうな。
 若ければ体力はある。でも変に地位やお金に執着した人だと、王女様の活動の妨げにしかならない。
 騎士っていうからには清廉潔白なイメージだけど、あの副団長さんみたいな人が他にもいないとは限らないもんね。それよりも、年齢がいってて既婚者で、戦闘経験も豊富な騎士の方がよっぽど安心だ。
 色々理解した上で、私はにっこり笑ってジルさんを見た。
「わかりました。私も魔法が使えない以上ジルさんのお世話になることはあり得ませんけど、こうして顔を合わせるようになるんですもの。短い間ですがおしゃべり相手くらいはよろしくお願いしますね」
 悪口言われて腹が立つものは立つ!
 言われっぱなしでいられるか!
 私の毒舌に、メラニーさんがギョッとした顔になり、サマンサさんがちょっとだけ目を見開き、ジルさんの表情が固まった。


 メラニーさんの給仕で朝食を食べている時に、ユージン王子から知らせが入った。
 持ってきてくれたのはサマンサさんだ。
 ジルさんの姿はない。
 三人は普段、王女様の私室と続きになっている控え室で待機しているんだって。いざという時のために私室からも直接行けるようにドアがあるけど、今まで開けたことはない。その部屋のさらに隣にジルさん専用の工房があって、普段はそこにいるらしい。
 ちなみに、廊下を挟んで反対側に王女様の服を作る衣装部屋がある。王女様付きの侍女のうち二人が衣装担当なんだって。
 お城の中って広いけど、王女様の私室と王様がいる執務室、レッスンで使う広間とトムさんの勉強部屋にしか行ったことがない。
 たくさんのドアが並んでいるのをみると、入ってみたい気持ちにはなったけど、必要最低限の移動しか許されていなかったからね。
「ユージン王子からお茶会のお誘いがありますわ。本日午後、二時間程度のご予定となります。いかがいたしますか?」
 昨日、ダンスを申し込んだけど、名目上はお茶会ってことなのかな。
 あまり時間は取れないって言ってたから、王子の都合がいい時間を指定してきたのかな。
「お受けしますと伝えていただけますか?」
「かしこまりました。本日夕刻よりサイネリア使節団の皆様の歓迎パーティーが行われます。準備のために午後三時にはお戻りください」
「はい」
 うわー、なんか秘書って感じだ!
 予定管理ってこういうことか。
 サマンサさんは王女様に対するように接してくれているんだろうけど、あまりにも自然だからなんか勘違いしちゃいそうになる。
 他にも今日の予定について話したあと、サマンサさんは控え室へ入っていった。
「メラニーさん、サマンサさんっておいくつなんですか?」
 私はこっそりメラニーさんに話しかける。
 王女様の私室はすごく広いから聞こえないとは思うんだけど、隣の部屋ってわかるとつい声が小さくなっちゃう。
「あら、女性の歳を聞くなんて…」
 メラニーさんの声は普通だ。
 私の質問に、呆れた顔をしている。
「失礼、ですよね。でも気になるんですもん! すっごいお若く見えますけど、なんていうか王女様みたいに凛としていて経験豊富みたいに見えますし」
「まあねぇ。…いくつだと思う?」
 メラニーさんがニヤッとした顔になった。
 この逆質問って辛い。
 実年齢より多すぎても少なすぎても失礼に当たるんだもん。
 しかもこう言われるってことはギャップが大きいってことじゃない?
 ぱっと見十代に見えるんだよね。でもあの落ち着きようは絶対十代じゃない。
「え。…メラニーさんと同じ二十四歳、くらいですか?」
 悩んだ末に答えたけど、メラニーさんがますますニンマリした顔になった。
 あ、これはハズレだな。
「ああ見えて三十二歳よ」
「え!」
「しかも十六歳の子持ちよ」
「ええ?! 嘘ですよね?!」
 ちょっと待って!
 三十二歳で十六の子供がいるってこと?!
 つまり、少なくとも十六歳で結婚して子供産んでるってこと?!
「年齢を聞くのも失礼だけれど、ああ見えてって言葉も失礼ではないかしら?」
 いつの間にかサマンサさんが戻ってきていた。
 ドアを開ける音とか全然聞こえなかった。
 私だけじゃなくてメラニーさんも「しまった!」っていう顔をしている。
「メラニー。あなたは侍女として完璧だけれど、一度本性を見せた相手には緩すぎるわ。もう少し職務意識を持ちなさい」
「申し訳ありません」
 長身のメラニーさんが小柄なサマンサさんに頭を下げている図ってちょっとクスッとくる。
 でも朝の謎が解決したわ。
 いつもならメラニーさんが率先して喋るはずなのに、朝の紹介ではサマンサさんがメインだった。あれは、サマンサさんの方が職歴も年齢も上だからなんだ。
 今まで完璧に見えたメラニーさんが叱られている光景ってすごい新鮮。
 ついまた笑っちゃって、メラニーさんに睨まれちゃった。
「午前中のスケジュールに変更が入りましたのでご連絡します。十一時に魔法師団長様が訪問されます」
「ありがとうございます。あの、どんな要件なんでしょうか」
「この部屋の警備について魔法の観点から調査するとのことです。陛下直々の案件ですわ」
「わかりました」
 サマンサさんは華麗に一礼してまた侍女の控室に戻っていった。
 うーん、何だろう。
 サマンサさんて美人だし笑顔も素敵だしいかにも有能秘書って感じで、年齢と子持ちってことにギャップもあるけど、なんかそつがなさすぎてとっつきにくい感じがするなあ。無駄話が一切できない感じ。
 初めて会った人だから私自身まだ緊張しているのかもしれないけど、ちょっとだけ窮屈にも感じる。
 なんて言えばいいのかな、この感じ。
「さて、無駄話はこれくらいにして準備しましょうか。魔法師団長様がいらっしゃるまではペラルゴニウム先生の講義よ」
 メラニーさんが切り替えるように動き出した。
 でも口調は砕けたままだ。
 サマンサさんにはああ言われたけど、今さら口調を変える様子はない。その方が嬉しいけどさ。メラニーさんにも慇懃な言葉遣いで接せられたら壁を造られたようで嫌だな。
「あ、そっか。お姉ちゃんだからか」
「何?」
「いえ! 何でもありません!」
 独り言を拾われて私は慌てて首を振った。
 サマンサさんに感じている違和感。
 あれは他人だからだ。
 初めは険悪だったけどハンナさんはお母さんみたいな感じ。王女様やメラニーさんはお姉さん。国王様はお父さんみたいな感じ。
 サマンサさんもジルさんも赤の他人なんだ。メラニーさんと同じ侍女だからって私は勝手に親近感を持っていたけど、二人が私に対して同じような親近感を持てるはずがないんだ。
 だって二人が抱いているイメージは、きっと改心する前の私だから。
 メラニーさんから何かしら話がいってるかもしれないけど、二人にとっては王女様の体を乗っ取った悪人っていうイメージが第一にある。だから嫌味を言われたり他人行儀に接せられても文句は言えない。
 それはこれからの関わりの中で私が変えていかなくちゃいけないことなんだ。
 二人だけじゃない。
 これから顔を合わせることになる新しい護衛騎士の人たちもだ。
 きっと事情は説明されていると思う。
 中には王女様の体を乗っ取った悪人をなんで守らなきゃいけないんだって思う人だっているはずだ。
 そういう人たちに、私はどう向き合えばいいんだろう。
 馴れ馴れしく話しかけたら絶対腹立つ。
 だってあのいじめっ子たちが急に笑顔で親しげに話しかけてきたら、ただただ気色悪い。何企んでるんだっていう警戒心しか起きない。
 だからって素っ気ない対応するのもおかしいし。
 あーもーどう対応するのが正解なんですか?! 王女様!
 なんていう苦悩は、護衛騎士の紹介に同席する為に訪れたハンナさんによって打ち砕かれた。
「おはようございます、ハンナさん」
「おはよう、ショウコ。これから新任の護衛騎士との対面があります。今までの王女様のご意志を汲み、既婚かつ経験豊富な騎士を派遣していただきました。ですが護衛増員は急なこと。現場の混乱を避け、円滑に任務を遂行するため、王女様の魂が誘拐され、別人が身代わりをしているということは内密といたします」
 悩んだことが無駄になったわ。
 でも逆に不安になる。
「正体がバレた時はどうするんですか? 余計に混乱するんじゃないかと思うんですけど…」
 当然ハンナさんも心得ていて、淀みなく返事をくれた。
「事情を知る者が直接護衛に当たります。新任の者たちは当面の間、先触れであったり周辺の護衛に当たっていただきます。宰相様からの発案です。安心なさい」
 片眼鏡をクイっと持ち上げる宰相さんの顔が浮かんだ。
「それなら、私はこれから王女様として振る舞わねばならないということですね」
「直接護衛ではないとはいえ、より身近にあなたを見る目が増えるのです。一層細心の注意を払って生活なさい」
「はい」
 私は背筋をピッと伸ばして頷いた。
 そこでハンナさんがちょっと表情を和らげた。
「…息苦しい生活だとは思いますが、これも先の襲撃事件を踏まえた上での措置。あなたの身を守るためでもあります」
「ありがとうございます」
 ちょっと前だったら「私じゃなくて王女様の体でしょ」って食いつくところだ。
 でもハンナさんが私自身を心配してくれているってわかってる。それがわかるくらい信頼関係を結べたってことだよね。
 よし、やる気が出てきたぞー!
 バルコニーを見れば、フルプレートの騎士が整列しているのが見える。
「ショウコ、心の準備はいい?」
 メラニーさんがバルコニーへの扉に手をかける。
「はい、どんとこい! です!」
 気合の一声を上げたら、二対の怪訝な目を向けられた。
 その後、バルコニーに整然と並んだ鎧姿の騎士さん達と会い挨拶をした。みんな兜の顔の部分を開けて一人一人名乗ってくれたけど、一度に全員を覚えられたかは怪しい。王女さまだったら一瞬で覚えるんだろうなー。
 挨拶を終えてすぐに私室に戻る。
 長々いてボロが出ても嫌だしね。
 その時の私は、護衛の人が増えて嬉しいけどますます気を引き締めなきゃってことで頭がいっぱいだった。
 幸か不幸か、その日の夜までに新しい護衛騎士のうち二人がいなくなっていたことには、最後まで気づかなかった。


「国同士でも村同士でも風習や言葉は異なるもの。世界が違えばそのような言葉もあるのですね」
 トムさんがそう言って笑い皺を作った。
 新任騎士への挨拶の前にハンナさんとメラニーさんに言った気合の一言をトムさんに言ったら「面白いですね」って返された。サフィニアを含めてこっちの世界ではあまり聞いたことがない言葉なんだって。
「それにしてもだいぶ板についてきましたね。言葉遣いも姿勢も」
 改めてトムさんが私を見て言った。
 トムさんの言葉はお世辞ゼロってわかってるから、素直に嬉しい。
「ありがとうございます。皆さんが私を矯正してくださったおかげです」
 午前中のトムさんの授業。
 今日は引き続きサイネリアとの国家間情勢と、貴族についての授業だ。
「そうでしょうか。あなたは元々高い学習意欲をお持ちでした。私が与える課題もあっという間に吸収されました。あなたの強い意志があなたを生まれ変わらせたのです」
「私、変われたんでしょうか…」
「ええ。良い表情になられました。私はこう思っています。サフィニアの危機にショーリアがあなたを遣わせてくださったのだと。そしてサフィニアもあなた自身も、ショーリアが良い方向へお導きになっているのだと」
 トムさんの穏やかな表情は揺るぎない。
 私は特別に信仰している宗教なんてないし、導きとかって言われてもいまいちピンとこない。
 でもここにきてなかったら、いつまで経っても自分勝手な考えに囚われたまま世の中を恨み続けて生きていたと思う。
 そんな人生よりも、王女様のように凛と立って前を見て、軽やかに生きたい。
 そういう風に変われたって意味でなら、私にとってもショーリアは王女様だ。
 トムさんが言うことも、すんなりと納得できた。
「さて、授業を始めましょうか。本日はサイネリア王子御一行様の歓迎会があります。前回の舞踏会とは比にならぬ貴族たちがあなたとユージン王子と会話したがるでしょう。今回は国内貴族だけではありません。明日のお披露目式に向けて続々と各国の要人がサフィニアに集まっています。彼らの情報も全てお話ししましょう」
 次第にトムさんの表情が真剣なものになる。
「これを」
 トムさんがテーブルの上に置かれた紙を指した。
 名簿だ。
 なんの名簿かは書かれていないけど、きっと歓迎会やお披露目式に出席する国内外の要人の名前だ。その中に前回の舞踏会で少し話したヨルドー伯爵夫妻の名前も見つけた。
「彼らが何を祝福しているのか、何を危惧しているのか。そして何を求めているのか。それらは直接言葉として発されることはありません。貴族の会話というものは、相手の言動からそれらの機微を推測し、己の利に導こうとするもの。中には二重三重に張り巡らせ、言葉巧みに惑わす者もいるでしょう。狡猾に己の利だけを求める者もいるでしょう。ヴァネッサ様がお戻りになるその時まで、ヴァネッサ様のお立場をお守りできるのはあなたしかおりません。プレッシャーをかけるようですが、あなたにはそれらを卒なくこなしていただかなければなりません」
 トムさんの言葉一つ一つが胸にズンと重くのしかかる。
 この名簿って重要機密だよね。
 普通は他人に見せていいものじゃない。それをトムさんがわざわざ用意して見せてくれたってことは、国王様や宰相さんの承諾の元で私に本気で王女様の身代わりをやらせようとしてるってこと。
 その思いに応えないわけにはいかないじゃない!
「やります! 全部覚えますから!」
 勢いこんで言うと、トムさんが満足げな表情で頷いた。
「良い意気込みです。ですが全てを思える必要はありません。ヴァネッサ様と直接お話になられる方は限られております。まずはその方々を中心にお教えしましょう」
 こうして、私は時間いっぱいを使って出席者名簿と睨めっこした。
 一部って言っても何百組もいるうちの一部だ。
 パートナーも含めると六十人はくだらない。
 闇雲に暗記したって意味がないし効率も悪い。
 だから、自分の生活との繋がりから紐づけて覚えるようにした。ヨルドー伯爵は朝食のお供オレンピーナの産地っていう感じでね。
 歓迎会では当然隣にユージン王子が立つ。
 あの王子ならサフィニアの主だった貴族は網羅してるんだろうなって簡単に想像できるから、それに遅れをとるわけにはいかない。むしろこっちがリードするくらいじゃないと!
「続いてこちらはドラセナ国からの来賓です」
 ドラセナ、と聞いて私はつい身構えた。
 だって王女様の魂を誘拐した国だもん!
「ドラセナ国からはヴォートン王の妹姫であらせられるヴァレリー王女がいらっしゃいます。ヴォートン王は五年前に亡くなられた父君の跡を継いだ若き王。ですが非常に優秀で自国の問題を解決するため次々と施策を打ち出しています」
 トムさんは今までと変わらず淡々と説明していく。
「彼の国は薬草の一大産地ということもありまして、薬草の栽培だけでなく優秀な薬師も数多く輩出しております。この王宮にもドラセナ出身の薬師が勤めていますよ。特に有名なのは放浪薬師ですね。旅をしながらその土地で必要とする薬を売り、時には各地の薬草採取をしたり医院での取引もしております」
「サフィニアには魔法がありますけど、お薬も必要なんですか?」
「もちろん。魔法による治療は外傷に限られます。ですから災害や戦争で大怪我をした時には活躍しますが、病気には効かないのですよ。建国神話には汚れを清めたり病を治したという奇跡がありますが、いつの頃か失われてしまったと言われています。ですから、ドラセナの薬は各国にとってなくてはならないものなのですよ」
「悪い国、じゃないんですね…」
 てっきり陰湿な国だと思っていた。
 ぽつりと呟いたその言葉を拾ったトムさんに「物事を一つの面だけで見ることはとても危険です」と窘められた。
「でも、口減らしのために子供を売るって聞きました。魔法の才能を持った子供をサフィニアの貴族が高いお金を払って養子にするとか」
 前に王女様が教えてくれた話。
 アランさんの話だ。
 けど、トムさんが穏やかな表情で逆に質問してきた。
「果たしてそれは悪いことなのでしょうか」
 信じられない返事に、私はかっとなって叫んでいた。
「悪いですよ! だって家族と引き離されるんですよ! それに家族に売られるんですよ?!」
「確かにそのような面もあるでしょう」
 トムさんは冷静な表情で続けた。
「ですが、こうは考えられないでしょうか。『稼ぐことのできる者が稼ぎ家族を養う』。豊かな国であれば大人が担うことですが、貧しい国では子供でも働かねば生きていけません。己よりも弱い弟妹のために、病気の親のために、理由はさまざまです。自分のために家族のためにどんなことをしてでも必死に稼ぐのが当然なのです。そんな時に『子供を養子に迎えたい』と言う者が現れた時、貧しいまま食べ物もなく一家揃って飢え死ぬよりも、一人でも裕福なところで生きてくれたら幸せだ、と親であれば思うでしょう」
「でも! 家族と離れ離れになって幸せな子供なんているんでしょうか」
「少なくとも、親にとっては子の幸せが一番。己の不甲斐なさで子を飢え死にさせるなど、無念でしかありません」
「…トムさんもそう思いますか?」
「私に子はいません」
「あ、すみません…」
「いいえ、私も少し言葉が過ぎましたね。対象が妻と子では本当に親の気持ちを理解できるとは言い難いでしょう。ですが、妻を失うくらいであれば我が身を惜しむことなく捧げる覚悟があります」
「奥さんも、ですか?」
 トムさんはふっと笑った。
「彼女はこう言うでしょうね。『なぜ二人で死ななければならないの? そんな覚悟を決めるくらいなら這いつくばってでも二人で生き延びる道を歩むわ。生きていれば笑い合うこともできるのだから』と」
 胸元にあるショーリアのペンダントに触れながら言うトムさんはどこか穏やかで、きっとその言葉は想像じゃなくて実際に言われたんだろうなって思えた。
 どうしてそ思えるんだろう。
 トムさんも、奥さんも。
 トムさんには絶対に奥さんを守るっていう覚悟があって、奥さんもきっと二人で生きるっていう覚悟があるからそういう言葉が出てくるんだと思う。
 でも私には覚悟って言葉がピンとこない。
 覚悟って何?
 私が王女様を助けたいって思う気持ちは覚悟っていう?
 絶対助けたいって思ってるし、そのために頑張ってるけど、覚悟っていうのとはなんか違う気がする。
 少なくとも一つだけわかるのは、それがあるからこそ、王女様は凛としているんだってこと。
「…サフィニアの女性って強いですね。王女様も、トムさんの奥さんも」
「あなたにもきっと覚悟を定める時が来ます。その時にどうか良い導きがあらんことを祈ります」
「トムさんにもショーリアの導きを。奥さんと末長くお幸せに」
「ありがとうございます」
 それから二人クスリと笑った。
「少し話が逸れてしまいましたね。どこの国でも大なり小なり裕福な者と貧しい者がいます。このサフィニアも例外ではありません。特にドラセナは薬草と薬師で国を支えていますが、すべての民を貧しさから救うには圧倒的に足りません。それを補うために、サフィニアの魔法を喉から手が出るほど欲していることも事実です。代替わりしたドラセナの王は情の深い方で貧困に尽力していると聞きますが、歴史の闇は深い。サフィニアには建国の理念があり、魔法を行使するにあたって厳格な掟がありますが、ドラセナがそれに準じるかはまた別です。それが争いの火種でもありますが、現状、サフィニアが打てるのは魔法の力を持って生まれた子供たちを見つけて正しく知識と技術を教えることだけなのです」
 さっきの家族の話が国に置き換わったと思うと、少しはイメージしやすくなった。
 国民という子を守るために親である王様は決断するんだ。それが他人から見たら非情だと思われることだとしても、子の幸せのために実行する。
 国王様も言ってた。
 人としての情よりも王として民を導かなければならないって。
 多くの人に理解されない苦しみがあるって。
 その苦しみを胸に刻みながら下す決断が覚悟ってことなのかな。
 国王様も、ドラセナの王様も?
 でもだからって王女様を誘拐するなんて間違ってる!
「来賓のヴァレリー王女は非常に聡明な姫だと聞き及んでおります。社交的であり薬術にも長けているそうです」
「トムさんはお会いしたことないんですか?」
「若い頃はその代の陛下のお供をさせていただき、各国の方々とお会いさせていただきましたが、今は老いて隠居の身。彼の国の若き王族の方々とは直接の面識はないのですよ。ただ一つ。ヴァネッサ様はかの姫君の才を大変賞賛しておられましたが、同時にかの姫君と相対される際には常に鎧をまとっておられました」
 トムさんの言う鎧っていうのは比喩のことだってピンときた。
 比喩の鎧を纏うってことは臨戦態勢ってこと。
 つまり、常に王女っていう鉄壁の鎧を纏っている王女様がさらに鎧を纏わなきゃいけないレベルの相手ってことでしょ?
「それって強敵ってことですよね?」
 トムさんが笑みを深くした。
 普通に「そうです」って言われるより真実味がありすぎて嫌なんですけど!
 あの王女様が絶対に隙を見せられない相手ってめちゃくちゃやばいってことじゃん!
「両国の立場を考えれば、表向きの友好関係を維持することに尽力なさることが重要でしょう。間違っても軋轢を生じさせてはなりません。ほんの少しの言い回し、僅かな表情の動きで相手を真逆の思考に誘導してしまうことのないようにご注意ください」
 ズンズンどころかドシンドシンと石がのしかかったかのように胸が重たくなる。
 トムさんの授業でこんなに背筋が凍りそうになるのは初めてだ。
「いいですか、社交界において味方はごくわずか。大半は敵か静観者です。敵を見極め牽制し、静観者を味方に引き入れること。少なくとも敵とならないよう根回しをすることが何よりも重要なのです」
 トムさんの穏やかな表情とは裏腹に、その言葉は辛辣だ。
(無理です)
 その言葉が喉まで出かかる。
 どう考えたってたった十六年しか生きてない私にできることじゃない。
 ううん、きっと王女様なら私と同じ歳でもやってみせるんだろう。
 でもそれは幼い頃からそういう世界にいたからできることだ。そんな世界とは無縁な平和な世界で暮らしていた私に、今すぐできるわけがない。
 十六年間で身につけたことといえば、負けん気といじめっ子たちをどうやったら躱せるか素早く考えることくらい。
 王女様と同等の相手に太刀打ちできるはずがない。
「…トムさんは、私がどこまでできると思いますか?」
 本当は「私にできると思いますか?」って聞きたいところだけど、そんなの返事は決まってる。私自身わかりきってることだもん。だからあえて質問してみた。
「半々、と思っておりますよ」
「本当ですか?」
 意外な返事に驚いて立ち上がった。ちょっと前のめりになっちゃったけど、トムさんは全然動じない。
「すでに一度、あなたは敵を味方に引き入れることに成功したと聞いております。ご自覚なさっているでしょう。知識も経験もまだまだである、と。ですから、私はあなたの機転の良さに半々、と申し上げます」
 え、一度っていつ?
 私そんなことしたっけ?
「ヨルドー伯爵ですよ」
 すぐに返事できなかったことから、私の戸惑いを簡単に見破られちゃった。
「あなたが難攻不落であった伯爵夫人を落としたことで、ヨルドー伯爵含め、伯爵と同じ派閥の者たちにも変化が生じ始めています。たった数日で、ヴァネッサ様にとって良い方へ変化しつつあるのです。これはあなたにしかできなかったことでしょう」
「あの、もしかして舞踏会の時のこと、ご存知なんですか?」
「人伝に、ですが。随分健闘なさったようですね」
「あ、ありがとうございます」
 うわ、嬉しい。
 不安通り越して不可能材料しかない私だけど、それでもそう言ってくれる人がいるっていうだけで支えになる。
 よし!
 時間がないんだ。
 うじうじ悩んでる暇はない。そんな暇があったら貴族の名前と関係を覚えたほうがよっぽど有益だ。
 その後も、ひたすらトムさんに国内外の貴族や王族についてのレクチャーを受けた。
 授業がもうじき終わろうという頃、私はどうしても気になっていたことをトムさんに聞いた。
「…それにしてもトムさんって色々お詳しいですよね? もしかして学者さんってだけじゃなくて何か役職をされてたんですか?」
 トムさんの紹介を受けた時に「学者」って言ってたから鵜呑みにしてたけど、今日はなんか学者って枠から大きく外れている気がする。
 イメージだけど学者って言ったら大学の教授と一緒で何かを研究する人のことだよね。
 貴族とか権力構図とかとは無縁な気がするんだよね。
 だけどトムさんはスラスラとたくさんの貴族の名前を言えるし、その全ての関係性もさらっと口にしていた。国内だけじゃなくて国外も。
 王様のお供で国外に行ったことがあるなんて言ってるけど、もしかして学者として行ったんじゃなくて別の役目があって貴族に詳しいんじゃないかって思ったんだ。
 私のちょっと疑うような眼差しに、「ほっほっほ」と笑うトムさんはどう見ても好々爺だ。
 その表情のまま、さらりと爆弾が投げられた。
「なんのなんの。その昔、宰相などを少々務めていただけのことですよ」
「…え? ええええ?! 宰相さん?!」
 トムさんのいつもの微笑みの中に、ニヤリと意地の悪い笑顔が紛れていた気がした。
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