ある日、家に帰ったら。

詠月日和

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掃除する。

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 窓を開けて網戸にして、程よく風が入るようにする。厚い遮光カーテンは纏めたままで、レース地のカーテンだけを広げておいた。
 陽光を透かし、時折風に柔らかく揺れるこの天然の演出は実に素晴らしい。我ながら完璧だと思う。
 満足して振り返った先では、取り込んだばかりの布団の上でペンギンが寝ていた。仰向けになって、ぐうすかと盛大に。これはいただけない。あまりにも『お約束』な状況だ。

 「まったく、家主より先に寝るなんておかしいでしょう。干したての布団で寝るのは至福と決まっているし、だからこそ功労者の特権なんですからね」

 ペンギンが今日したことを挙げるならば、腹が減ったと騒ぎ立て、ビニール袋に穴を開け、ごみを散らかし。掃除機に吸われたり、ベランダから落ちそうになったり。なかなか散々な目にあってはいるが、すべて自業自得だった。いちいちフォローするはめになった私のほうが散々な目にあっている。思い出せば出すほど、マイナスにしか働いていないじゃないか。おかげで普段の倍の時間がかかった作業がどれだけあっただろう。

 ひとつ大きく息を吐き、腰に手をあててペンギンを見下ろした。

 「このお邪魔怪獣、どうしてくれようか」

 すぴょすぴょと寝息をたてるペンギンは本当に気持ちよさそうで、起きる気配がまったくない。
 少し眺めていたが、やがてくるりとこれみよがしに腕を回してみた。

 「……よし!」

 ゆっくり前傾姿勢になりながら、それでも言葉をかけるのは忘れない。

 「ペンギン、覚悟っ!」

 とうっ、とばかりに勢いをつけてペンギンへ、正確には折り畳まった布団へ目掛けて顔から飛び込んだ。干されてふわふわの布団が三つ折りになってクッション性を高めているからこそ出来る贅沢だ。この弾力と衝撃吸収効果が無ければ実行などしなかっただろう。
 ばふっ、と間抜けな音がするが早いか、ペンギンが「ぐぇ」とカエルみたいな声を出した。しかしそんなことよりも、飛び込んだ瞬間にふわりと広がった優しい香り。所謂お日さまの香りをいっぱいに吸い込むと、心までふわふわ浮かんでいくようだった。

 やはり干したての布団は良い。天気のいい日万歳。

 そうして幸せに浸っていたのに、耳元でペンギンがうるさい。そろそろ無視できなくなってきた。
  我ながら狙いは完璧で、ペンギンに衝撃を与えながらも直撃で潰すようなことはぎりぎりで避けたというのに。相変わらず大袈裟に騒ぐペンギンだ。 

  「うるさいよ」
 「慰謝料や、慰謝料。わいの可愛いボディに何てことしてくれるん」
 「直撃じゃなかったでしょうに、この嘘つきペンギン。今日の被害で言うなら私のほうが大変だったからね、君の不始末の後片付けのために労働力を費やしました。慰謝料欲しいのはこっちだわ」

 報復が野蛮だなんだとうるさかったが、適当に流していると段々気力が削がれていくようだった。無理もない。このふかふかの布団の上で、お日さまの香りに包まれて、温かい陽を受けているとなれば、長閑な雰囲気に包まれるというものだ。
 やがてすっかり抗議の声が聞こえなくなってから、ペンギンを呼んでみた。

 「ペンギン」
 「んー?」

 語尾を伸ばした返事は眠気を含んでいた。

 「呼んだだけだよ」
 「んー」
 「ペンギン」
 「んー?」
 「呼んだだけだよ」
 「…んー」
 「ペンギン」

 今度は返事が無かった。一拍待ってから、付け足す言葉は念のため。

 「……読んだだけ」
 「何なん!」
 「あれ、起きてる」
 「起きてる、やあらへんのよ、喧嘩うっとんのか!」
 「ねえ、ペンギン」
 「だから何なん!」
 「いやあ、ね。平和だなあと思ってさ」

 風がカーテンを揺らした。陽はまだ隠れはしないけれど、どこかとろりとした重みのある色に変わってきて、ほんの少しずつ確かな傾きを感じさせていた。

 「…自分、ほんまに何言うとんの」

 こてりと横に寝そべるペンギンを見れば、目があった。ここまで台詞に相応しい表情が出来るものかというほどに、不可解なものを見る目を向けられていた。何度も何度でも思ってしまうことだけれど、この摩訶不思議なペンギンは表情が豊かすぎやしないだろうか。

 「何だかんだで答えてくれるペンギンって優しいよね。そういうところ好きだよ」

 意図してにこやかに言葉を紡げば、答えになっていないと渋い顔を返された。
 答えになっていないことが、答えになっているときもある。謎かけみたいだ。意味は自分でもよくわからない。でも、ペンギンがそれ以上深く聞いてはこないので、そういうところだよなあ、とひっそり笑った。

 段々と、頭が重くなってきた。息が深くなっているのは自分か、横にいるペンギンか、もしかして両方か。身体を滑る風が優しい。頬にあたる布団の生地が柔らかい。

 眠いなあ、眠い。

 今日という日の話をしようか。

 例えば、誰かにとって平和じゃなかった今日だとしても、私とこのペンギンにとっては間違いなく平和で長閑な今日だった。 
 そうして考えるだけでなんとなく不思議で、なんとなく特別な今日に見えてくる気がしないだろうか。

 もう少しのんびりしたらアイスを買いに行こうかな。掃除を頑張ったご褒美に、ということで割高なコンビニ限定アイスに挑戦するのも悪くない。一人で食べているとうるさいから、ペンギンの分も必要なのだろう。仕方ないから、掃除中に宣言したペンギンのおやつ禁止令も一時開放にしてやろうかな。

 もう少ししたら。あと少ししたら。

 網戸じゃなくて窓を閉めて、洗濯物を畳んで、買い物に出掛けて。

 もう少し、したら。

 そう思って、目を閉じた。

  
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