サンコイチ

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誓約と和解

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「詳細は省くけどさ、ちゃんと3人で話し合って解決したぜ」
「おじさん、心配かけてごめんなさい。もう大丈夫だから」
「うん、君たちなら大丈夫だとは思っていたけど、あかりちゃんの顔を見て安心したよ」

 春休みの最終日、3人は奏の家を訪れていた。
 あれからあかりちゃんの様子はどうだ?と拓海からの連絡を受け、そう言えば報告してなかったなとそれぞれの家に顛末を報告することになったのだ。

 流石に本当の話はできないし、詳しいことを聞きたいわけでも無いだろうから、あかりに依存していることを自覚させたこと、その上でこのまま依存して生きたいのか、対等な関係を取り戻したいのかを尋ね、1ヶ月かけて話し合った結果これまで通り対等な関係を築いていこうという結論に達した事を手短に話す。

 それに、下手な説明よりも今のあかりを見て貰えば一目瞭然だろうという思いもあった。
 案の定、玄関先で迎えた芽衣子はあかりの様子に心底安心したようだったし、拓海もずっと「良かった、本当に良かった」とうんうん頷いている。

「幸尚君やあかりちゃんのご両親にも報告したかい?」
「はい、僕の方は昨日、ビデオ通話で。『大人になったね』って言われました」
「そうだねぇ、正直今回の一件は君たちの成長に驚かされたよ。……幸尚君とあかりちゃんの、ね」
「そこは自分の息子も褒めろよ」
「私はまだ、秘蔵の酒を飲み尽くされたことを許してないんだがね?」
「ぐぅ……次のバイト代が入ったら、叔父さんから良い酒仕入れてくるから……」
「よろしい」

 和やかに語らいを続ける中「で、あかりちゃんは?」と水を向けられたあかりは「その、メッセで」と言葉少なに話す。

「そうか……まだ、会いたくは無いかい?」
「……自分の中でもまだ整理ができて無くて……今会ったら、また感情的になって終わりな気がするから」
「そうか、今のあかりちゃんなら大丈夫な気はするけどねぇ」
「同感ね。無理強いはしないけど……そろそろ将来のことも考える時期でしょ?一度どこかで腹を割って話した方がいいと思うわよ」
「うん、そうだよね……」

 僕たちから様子は伝えて置くから考えておくんだよと拓海は3人を見送り、早速幸尚とあかりの両親とビデオ通話を繋いだ。

「紫乃さん、祐介君、あかりちゃんはもう大丈夫。しかし……やっぱりどっちがあかりちゃんとくっついているかは謎のままだね……」
『あ、ありがとうございます。そっか……まぁ二人のどちらかが彼氏なら、僕らは安心できますから』
『将来の話もしているみたいだし、この間のあかりちゃんの口調からすると、どっちがくっついても3人で住む気満々よね、あれ』
『……まさか、あかりがどっちかなんて選べない!とか言って二人を振り回しているんじゃ』
「いやいやそれは……うーん、無いとは言えないねぇ……」
『ですよねぇ……』

 そう、親たちは既に彼らの中に結婚前提で付き合っているカップルがいること、どっちがくっついても将来的に3人で住むつもりであることには気付いていた。
 ただ、二人とも距離が近すぎて、どっちがくっついているのかさっぱり読めない。

「まぁ彼らのことだし、それこそ就職が決まれば結婚の報告にも来るでしょう。それまで元気に仲良く暮らしていれば」
『そうですね……うちは、あかりとの距離が縮まらないとどうにもですけど』
「いやいや、あの調子ならきっとあかりちゃんからアプローチがありますよ」

 そんな会話の締めに、美由がぽそっと『あのさ』と漏らす。

『……実は奏くんと幸尚がくっついていたり、しないかなぁ……?』
「へっ!?そこ!!?いやいや流石にそれはないんじゃ」
『確かにあの2人も仲は良いし、距離は近いし……疑いだしたらきりが無い……』
「いや、それはない、無いことにしておこう!」
『で、ですよねぇ……あはは……』

 ……女の勘というのは恐ろしい。
 しかしその事を6人が自覚するのは、もう少し後の話である。


 …………


 外では幼馴染み、家では主従。
 これまでと変わらない生活は、しかし今回の一件を受けて同じ過ちを繰り返さないように、3人の間にはいくつか追加ルールが設けられることになった。

「あれ、今日はあかりネックレス着けてないんだ」
「え、あ、うん。留め具が壊れちゃってさ……」
「なんだ、彼氏と別れたのかと思ってたのに」
「そそ、そんなことないってば!!」

 外であかりが奴隷であることをひっそりと主張していたネックレスは、これを機に外されることになった。
 今や、あかりが幸尚と付き合っているという(事実無根の)噂はキャンパス中に広がっており、ついでに毎日奏が迎えに来ていることから「北森さんは男をとっかえひっかえして弄んでいるらしい」と随分不名誉な尾びれまで付いている始末なのだ。一体どうしてこうなった。

 だから、このネックレスの役目はもう果たしたと3人は判断する。
「俺たちの奴隷であることは変わりなくても、それはピアスだけで十分自覚できている、更に目に付く枷まで着けない方がいい」と。

 その代わり、ランチは必ず幸尚と食べるし、奏が迎えに来るまでは同じベンチに座ってまるで恋人のような距離感で過ごす。
 少しでも「変な虫」が付くのを避けたいという二人の小さな独占欲の発露は、あの日ピアスと貞操帯を再装着したあかりが自宅で宣言したことがきっかけだ。

「奏様、幸尚様」
「おう、って早速呼び方は元に戻すのな」
「はい!だって、家の中では私はお二人の奴隷ですから!!……その、私決めたんです」
「うん、何を決めたのかな?」

 すぅ、と深呼吸を一つ。
 そしてあかりは「私、やっぱり恋はできそうに無いです」とはっきり口にする。

「この2年、大学でもバイトでもいろいろな出会いがありましたし、周りでも恋バナは沢山ありますけど……やっぱり、私に恋は理解できないです」
「うん」
「なのでもう、決めたんです。私、生涯お二人の奴隷として生きます」
「「!!」」

 突然の奴隷宣言に、二人はしばし固まり……しかし「そっか」とどちらからともなく嬉しそうに呟く。

「分かった。なら、これまで以上に外の守りを固めねぇと!」
「だね、あかりちゃんには指一本触れさせない」
「へっ、あ、あの……奏様、幸尚様……?」

 いきなり張り切り始める二人に、今度はあかりが固まる番だった。
 確かにこの貞操帯を着けてからは、あかりが守られる立場になることは増えたとはいえ、ここまであからさまに守ると言われたのは初めてだったから。

「その、大丈夫ですよ?ほら、多少腕が鈍っていても2、3人ならボコボコに」
「いやいやその守り方は危険だから!相手が!!」
「あのねあかりちゃん。これはあかりちゃんのためだけじゃない、変にちょっかいをかけて半殺しにされる気の毒な男性陣のためなんだよ」
「えええ、どれだけ恐れられているんですか、私……」

 とまぁそんなわけで、外では一見すれば恋人にしか見えないほど距離の近い幼馴染みとして過ごすことが決まったのだった。

「お待たせあかりちゃん、ご飯食べよっか」
「あ、あかり彼氏のお迎え来たよ!ほらとっとと行った行った!」
「う、うんっ」

 いつものようにカフェテリアの片隅で、二人はそろいの弁当箱を開ける。
 今日のメインのおかずは菜の花の牛肉巻きだ。甘じょっぱい牛肉にほんのり苦みのある菜の花のアクセントがたまらない。

「んふ、ホント尚くんのお弁当は絶品だよねぇ……ここでしか食べられないのが残念だけどさ」
「メリハリをきっちりつけるためだからね。人間を装うあかりちゃんと、その奥にあるドロドロした奴隷のあかりちゃん、そのふたつが両立してこそあかりちゃんだから」

 話し合いの結果、排泄や衣類などは今まで通り、餌も自宅ではドロドロの流動食を強制給餌するか、ドッグフード状の餌かの二択のままになった。
 もちろん固形の餌が許されるのは、咀嚼と消化機能を衰えさせない程度の頻度に限られる。

 その代わり外にいるときに加えて、3人にとっての記念日は自由に人間らしい食事をすると決める。
 3人の誕生日と、正月とクリスマス。そして、これから増えるであろう結婚記念日。
 そういった大切な日は、例え家で過ごす場合であっても椅子に座り、お箸やスプーンを使って二人の手料理を一緒に味わうことにしたのだ。

「……その分、こっちはキツくなったけどね……んっ……」
「そりゃもう。24時間奴隷であることを忘れさせる気は無いからね。ほら、誰も見てないからしっかり触って」
「んふうぅぅ……お腹、じんじんするよぉ……!!」

 ご飯を食べれば、人影の無い場所に移動する。
「外では幼馴染みだけど、だからといって調教が緩くなるのはやだなぁ」というあかりの希望により、キャンパスでも暇を見つけては幸尚が、そしてグループチャットを用いて奏が命令を出しては、車に乗った瞬間に奴隷に戻れるよう無慈悲に昂ぶらされるようになったのだ。

 今日はベンチに座りながら、下腹部をトントンと刺激する。
 二度と同じやらかしをしないようにと散々躾けられた子宮は、今やほんのわずかな外からの刺激でも敏感に反応し、すぐにきゅうっと甘い痺れを訴えてくるようになっていた。

 だが、絶頂は許されない。
 万が一絶頂すれば、それをリセットと見做すと宣告されている。
 外から刺激されて絶頂しても満足できないことは身に染みているから、あかりも決して絶頂しないように気をつけて下腹部を押す。

 だから夕方になるにつれ、その身の内がはドロドロした熱情で満たされ……しかし決して解放されることは無いまま、それは圧縮され、無理矢理積み重ねられていく。
 何たってリセットは二人の胸三寸、最低でも6週間後と決められていて、しかもリセット直前まで一切知らされないのだから。

「あ、そろそろ講義に戻らなきゃ」
「はぁっ、はぁっ……辛いぃ…………!」
「うん、良い感じだね。汗かいたでしょ?トイレでしっかり『洗って』来るんだよ?」
「っひぃっ……はいぃ、尚くん鬼ぃ…………」
「でも、嬉しいよね」
「うん……っ……!」

 1日2回の排尿制限に慣れたとはいえ、尿意が無くなるわけでは無い。
 あくまでも溜めておけるようになっただけ、耐えがたい尿意でも何食わぬ顔をして歩けるようになっただけで、その排泄欲求に変わりは無くて。

「ひうぅ……っ、ここからまだ2時間あるのにぃ……もう、こんなにおしっこしたい……!」

 水流と水音で良い感じに排泄衝動を高められ、さっきまで溜め込んだ熱情と混ざって頭がぐちゃぐちゃになりながらも、あかりは心の中で泣き叫び……涎を垂らし渇望に侵される被虐を堪能しながら、次の講義へと向かうのだった。


 …………


「そう言えば、幸尚様はプロポーズしないんですか?」
「ぶっ!!」
「えほっえほっ……な、なな、なにをあかりちゃああぁん!?」

 いつものようにただお腹が膨れるだけの餌を注入され、夜の日課までのゆったりしたひととき。
 これまたいつものように、尿意に腰をもじもじさせ、止まらない渇望にソファの側面に乳首を擦りつけて時折悩ましい声を漏らしながら話しかけたあかりの爆弾発言に、二人は飲んでいたお茶を思い切り噴き出した。

「あかり、今のは突然すぎるだろうが!もうちょっとこう、前振りとか」
「そんなものを私に求める方が間違っていると思いますけど」
「そうだった」

 もうやだこの天然奴隷め、とがっくりしながら、しかしようやくあかりらしさが戻ってきたことにちょっと安堵しつつ……いや、やっぱり振り回されるのは大変だわと奏は未だあわあわしたまま固まっている幸尚の前で「おーい、戻ってこーい」と手をひらひらさせた。

「……はあぁ…………びっくりしたぁ……でも、何でまたそんなことを」
「だって、そろそろ幸尚様は就活だって始める時期でしょ?インターンシップの申し込み用紙も持っていましたし」
「あ、うん。けど、流石にプロポーズはまだ早くない……?」
「早くないですよ!」

 結婚とは意外と準備に時間がかかるものらしいとあかりは力説する。
 これはきっと渇望に焼かれた頭で妄想が捗り、二人の結婚を夢見てそのまんま「ここは私が一肌脱がねば」と斜め上に突っ走っちゃったんだな、と奏と幸尚は生暖かい目であかりを眺めていた。

 あかりの調査結果によると、結婚するなら1年くらい前から式場を探したり準備を始める必要があるらしい。
 調査結果って、一体いつから調べていたんだと尋ねれば「え、大学に入った頃から」と当たり前のように答えが返ってきて、ああ、あかりはもう最初から自分が他の人に恋をする未来なんて考えてもいなかったのだなと改めて思う。

 確かに既に賢太の店を継ぐ事が決まっている奏や、今のバイト先がそのままインターン状態で最終的に在宅での受託開発を目指しているあかりはともかく、今のところ就職予定の幸尚は4年の夏頃までは忙しい生活を送ることになるだろう。

 何より、自分達には両親へのカミングアウトという難関も待ち受けているのだ。
 であれば、なるべく早くから情報収集に動いた方がいいんじゃないかというのがあかりの意見だった。

「そう言われてみると、早めに動いた方が良いよね……就職活動が始まったらプロポーズなんて余裕が無くなりそう」
「ですよね?だからもうプロポーズしちゃって婚約しちゃえば」
「こここ、婚約うぅぅ……!?……はっ、結婚式をするってことは奏がウェディングドレスを」
「おい待てどうしてそんな発想になるんだよ!俺は絶対着ねぇからな!!」
「……頑張って縫うけど、だめ?」
「だめに決まってるだろうが!!そこは二人でタキシードでいいじゃんか、親父が卒倒するぞ!」

 …………前言撤回。よくぞ今切り出してくれた、あかり。
 まさか幸尚が自分にお手製のウェディングドレスを着せようだなんてあかり並みに斜め上へ突っ走るとは思いもしなかった。
 これは早めに準備を始めて、3人の意思疎通を図った方がいい、うん間違いない。

「じゃ」
「え」
「……ほら、頑張れよ、プロポーズ」
「………………へっ、い、今!?」
「そうそう、思いついたが吉日ですよ!頑張って幸尚様」
「そ、そんなっ今すぐにってあわわわ……!!」

(ど、どうして二人はいつもいつもそう性急なんだよおぉぉ!!)

 プロポーズというのは、そんな明日の献立を決めるような気軽さでするものじゃ無いはずだ。
 ああ、彼らに深謀遠慮という言葉の欠片でも良いからその頭に放り込みたいと、幸尚は耳まで真っ赤になりながら「……無理…………死ぬぅ……」とその場に崩れ落ちた。


 …………


 数日後。
 いつものように「おちんちん欲しいぃ……」と涙と涎を垂らしながら股間に顔を突っ込むあかりを撫でながら、幸尚は作戦会議を開いていた。

「……やっぱりさ、プロポーズって言うからには一生思い出に残るようなシチュエーションがいいなって思うんだよね」
「んふぅ……例えば……?」
「そうだなぁ、景色の良いところとか、ちょっといいレストランとか?」
「でも、奏様はあまりそういう演出に興味が無い気がするんですよね」
「ううん、難しいなぁ……」

 いつにするかは決めた。後はどうするかなんだよ、と幸尚は頭を抱える。
 そしてその股座で元気になった息子さんをズボン越しにすりすりするあかりと「遊園地とかどうだろ」「子供っぽく無いかな、むしろ海とか」「綺麗な海……そこまで行くのが大変そう」と議論を交わしつつ、隣にいる奏に「ね、奏はどんなのが良い?」と熱っぽい吐息を漏らしつつ囁いてくる。

「……一つ聞いて良いか?」
「うん」
「そういうのはさ、プロポーズされる側がいないところで話すもんじゃねぇの?」

 サプライズはどこに行った、と突っ込む奏に「だって」と幸尚が返すのは見事な正論だ。

「奏、僕が奏のことを好きだってあかりちゃんに相談したとき、どうなった?」
「めちゃくちゃわかりやすい説明だな、納得した」
「そんな酷い……」
「じゃ、あかりは当日まで俺に隠し通せると」
「絶対無理ですね!」
「ほら合ってるじゃねえか!!」

 なんだかなぁとため息をつきつつも、もうそうやって自分のために素敵なプロポーズにしようと幸尚が頭を悩ませてくれているだけで、奏は幸せなのだ。
 けれどそんなことを言ったら、せっかく張り切っている二人に水を差してしまいそうで。

「……俺は、3人にとって思い出深いところがいいかな」

 ちょっと照れながら、二人に意見を返すのだった。


 …………


 それから2ヶ月の時が経つ。
 夏休みに入り帰省する前日、ダイニングテーブルには所狭しと幸尚の手料理が並べられていた。

「奏ちゃん、誕生日おめでとう!」
「おう、ありがとう。そっか、今年からはあかりも一緒に食べられるんだな」
「うん!格好はこのままだけどね!やっぱり服ってどうも苦手で」
「せめて枷くらい外しゃいいと思うんだけど……まぁいっか、あかりが楽しいなら」

 テーブルの上に並べられたのは、朝から仕込んでいた丸鶏のローストチキンとパエリア、トマトの冷製ポタージュにシーザーサラダ。さらに桃のコンポートゼリーまで冷蔵庫に用意してあるという豪華っぷりだ。

「……うん、美味いな」
「美味しいよねぇ、いつもの餌との落差が凄くて……あはぁ、興奮しちゃうぅ」
「おい待てこんな時に思い出すな」
「だってぇ……あ、そういや奏ちゃんの誕生日ってさ、オナニーの日なんだって」
「…………そうかそうか、今夜は限界まで乳首とケツでオナニーショーをさせられたいと」
「ごめんなさい口が滑りました」

 軽口を叩きながら3人でテーブルを囲み同じ料理を堪能する時間だなんて、いつぶりだろうか。
 帰省しているときはともかく、少なくともこの家に3人で住み始めてからは一度も無かった光景だ。

(ああ、いいなこれ)

 どれだけ主従関係を徹底していても、どれだけあかりを被虐の沼に堕としても、自分達のベースはこの関係なんだと、奏はしみじみ再確認する。

 あの時、あかりが幼馴染みの関係を捨てないでいてくれて、本当に良かった。
 日常全てを主従関係に浸食されていても、あかりを幸尚と二人で大切に飼い続ける事に変わりは無かっただろうけど、この幸せを感じることはできなかっただろうから。

(……最高の舞台じゃねぇか、尚)

 特別な、ある意味ではありきたりなシチュエーションでは無く、3人にとって思い出の場所。
 確かにこれは自分の希望通りだと、奏は胸にこみ上げるものをぐっと堪えた。

 だめだ、まだ、だめだ。
 尚の用意してくれた最高のプレゼントを、受け取るまでは。

 そうこうしているうちにあれだけあった料理はすっかり器だけになり、デザートと紅茶がテーブルに運ばれる。
 それと同時に、幸尚が何かを抱えて持ってきた。

「……奏、これを」

 目の前にぽふっと置かれたのは、2匹のクマのぬいぐるみ。
 少しオレンジがかった明るい茶色のクマが左に、真っ黒なクマが右に。

 そして、そのぬいぐるみが抱えるのは、二つのリングが飾られたリングピローで。

「なるべく、シンプルなデザインにしたんだ。内側にお互いの誕生石を入れてある」
「……おぅ」

 震える手で、幸尚がリングを手にする。
 すっと差し出した左手の薬指に、ぴったりとはまる、プラチナのシンプルなリング。

「…………奏、僕の伴侶になって下さい」

 掠れた声は、もう涙混じりで、ああもうどこまでも尚らしいなと苦笑する奏の瞳にも、涙が滲んでいて。

 もう一つのリングを手に取り、幸尚の左手の薬指に嵌める。
 これが、答えだと。

「……おう、大切にする。尚も俺を大切にしろよな、特に尻」
「うん、うんっ…………ひぐっ……でも、お尻は保証できない……」
「できねぇのかよ!」

 そこは確約して欲しかったんだけどな、と涙声で突っ込みながら、ぎゅっともう嗚咽が止まらない幸尚を抱きしめる。

「ずっと、一緒だ……死ぬまで、離さねぇから」
「うん……うん…………!」

 固く抱きしめ合ったまま涙を流す二人を、あかりは(良かったね、奏ちゃん、尚くん)と温かい眼差しで祝福するのだ。

「……ひぐっ…………あ、ごめん、あかりちゃんを放置しちゃった」
「いいよ、推しの感動のシーンだもん、ここは壁になっているから」
「ったく、あかりもブレねぇな」

 ようやく落ち着いたのだろう、幸尚が「あと、あかりちゃんに二つ渡すものがあるんだ」と奏と目配せする。

「渡すもの……?」
「おう。先に尚からな」

 手を出してと指示され、前に手枷で繋がれた手を差し出す。
 幸尚はポケットから出した小箱を開け、二人の婚約指輪と同じ形のリングをあかりの左手の薬指につけた。

「……え……ええええっ!?」

 予想外の出来事に目を丸くして叫ぶあかりに「これは魔除けね」と幸尚はにっこり微笑む。

「ま、魔除け……?」
「うん。ほら、僕らはもうずっと指輪を着けているからさ。学校に行ったときに、あかりちゃんが指輪をしていないのはまずいでしょ?」
「あ、なるほど」
「あかりちゃんへの正式なプロポーズは、もうちょっと後で、ね」
「へっ、私もプロポーズされるの?」
「まぁまぁ、それはまだ先だからさ。それより先にこっちをやろうぜ」

 よっこいしょ、と奏が箱を持ってくる。
 幸尚があかりの手を後ろに拘束し直し、貞操帯の鍵を外した。

「……え」
「ほらあかり、これからはこっちを着けるからな」
「!!」

 奏が両手に抱えているもの。
 それはフルステンレスの……あかりが初めて知った、そしていつか着けてもらいたいとずっと思っていたタイプの貞操帯だった。

「これな、特注品なんだぜ。ほら、あかりのクリトリスはぶっといピアスが付いているだろ?」
「このタイプの貞操帯だと普通はピアスが干渉しちゃうんだよ、だから干渉しない形に変えて貰ったんだよね」
「へっ、と、特注ってそれ、お値段は……」
「…………聞かない方がいいぞ」
「う……うん、やめとく……」

 でもそんな高価な物を、と戸惑っている内にさっさと奏は新しい貞操帯を取り付けていく。
「スリットにビラビラを入れる分ちょっと手間かな」と言いつつもその手つきは手慣れていて、恐らく塚野のところで何度も練習をしたのだろう。
 そう言えば春にピアスを再装着したときに採寸されたっけな、とステンレスのひやりとした感触にびくりとしながらも、あかりは大人しくより堅牢になった檻に己の性器を閉じ込められる。

「ふぅ、これで南京錠をロック…………一緒にやろっか、奏」
「だな。やっぱり新しい貞操帯の時は一緒がいい」
「……ふふ、新しいって楽しいよねぇ……またあの時みたいな気持ちよさが欲しいなって思っちゃう」
「そうだね、あれはネタが分かっていてもきっと楽しめると思うんだ。定期的にあかりちゃんをオナニー中毒にして、閉じ込められる絶望を味わうのもいいかもね」
「尚は相変わらずえぐいな……ほら、じゃあ閉めるぞ」

 二人の指が重なり、カシャンとロックがかかる。
 それはあの時のような強烈な快感こそ無かったけれど、新しい関係のために与えられた堅牢な檻を見つめながら、あかりは「はぁっ……!!」と心の底から湧き出る至福に身を震わせるのだった。


 …………


「っ、あかり!?」
「……稽古着、貸してくれる?あと模擬刀も」
「え、ええ、全部あかりのを取ってあるから……いつものロッカーよ」
「……そう」

 うだるような暑さに蝉の鳴き声が拍車をかける8月のある日、あかりは自宅の道場の門をくぐった。
 この時間ならまだ門下生は来ていないはずだ。

 案の定、中にいたのは母の紫乃だけだった。
 木刀の手入れをしていたのだろう紫乃は、人の気配に顔を上げ、驚愕と動揺を浮かべる。
 そんな母を無視して、あかりは更衣室へと入っていった。

 ロッカーには、あかりの稽古着が丁寧に畳まれていた。
 埃一つ無いところを見るに、恐らく定期的に洗ってあるのだろう。
 ……戻ってくるかなんて分かりもしないのに、ずっとこの日を待ち続けていたのか。

 久々に胴着に手を通す。
 ブラで押さえてあるから、リングタイプのピアスでも動きには問題なさそうだ。

(問題はこっちなんだけど)

 下着を取り去り、藍染めの袴に足を通す。
 帯を締めれば自然と姿勢が伸びるようで、あかりは懐かしい心地よさを感じていた。

 その場で軽く、刀を持たず型を試す。
 今までよりも堅牢な貞操帯は、しかしぴったり身体にフィットしていて、あかりの動きを全く妨げない。
 これまでの物と快適性は変わらないどころか、集中すれば着けていることすら忘れてしまいそうだ。

(股間が見えないのがちょっと残念だけど……でも、本当にいい貞操帯なんだな)

 これなら大丈夫。
 そうあかりは確信して、模擬刀を片手に更衣室を後にした。

 正座し一礼して、道場に足を踏み入れる。
 家を飛び出したあの日から、まるでここは時間が止まっているようだ。

「……あかり」

 戸惑いながら話しかける紫乃の前に、あかりは正座し、刀を右脇に置く。
 まずは神前に礼。そして……師範に、礼を。

「…………」
「………………」

(何から切り出せば良いか分からないから、家じゃ無くて、ここに来たの)

 あかりはじっと、母を見据える。

(……私とあなたの間は、これで十分でしょう)

 果たしてその想いが伝わったのか、紫乃が静かに口を開いた。

「まずは基本稽古から。その後で、型を見せなさい」
「はい」

 あかりはすっと立ち上がると、刀を袴の帯に差した。


 …………


(鈍っているな)

 流石に3年もまともに刀を振っていなければ、その腕が錆び付くのは当然だろう。
 思い描く形に、腰が、腕が、足が付いていかない。

 身体は覚えていても、そのために必要な筋肉がごっそりと落ちているのを感じる。
 不思議と下半身はそこまででも無いのだが、特に上半身が酷い。
 一振りするごとに、剣筋が流れるのを感じてしまう。

 けれども、不思議とあかりの心は落ち着いていた。

(前はこんな振り方をしたら、叱られるって緊張していたのに)

 あかりは淡々と、ただ型をこなす。
 その腕は確かにあの頃とは比べものにならないほど劣っていたけれども、5歳で稽古を始めてから一度も見たことが無いほど伸びやかな、自由な剣筋だった。

(……そう、これがあなたの……3年間の集大成)

 その拙さに指導したいところなんて山ほどある。
 だがそれ以上に、あかりが自分の元を飛び出して得たものの大きさを、紫乃は実感していた。

 母の『普通』に縛られず、自分で決めた普通を貫き、その責任を引き受ける。
 そこに至るまでに、きっと沢山の葛藤があっただろう。年末のあかりの様子は、明らかにおかしかったが、あれもきっと成長の過程だったのだろうと紫乃は思いを馳せる。

(本当に……あなたはもう、親離れするときがきたのね)

 正直に言えば、寂しさの方が強い。
 けれどここで手を離してやらなければ、あかりはきっと再び両親を拒絶し……そして二度とここには帰ってこない。

 一通りの型を終えたあかりが、その場にすっと正座する。
 じっと母の顔を見つめるあかりに、紫乃はただ一言、静かに告げた。

「……成長したわね」
「…………はい」

(ああ)

 あかりの中で、何かがほどけていく。

(初めて、お母さんに認められた)

 ずっと、ずっと心残りだったしこりが溶けていく。

(……これで、良かったんだ)

 もう、大丈夫。
 私はもう、母の手のひらで踊る子供では無い。
 だから、大人として……一人の人間として、母と接することができる。

「……私は、この家には戻らない」
「ええ」
「けれど、その前に……ちゃんと話をしておきたかった」
「……そうね」

 紫乃が扇風機をつける。
 生ぬるい風は、シャアシャアと喧しい音の暑さを、少しだけ和らげてくれる

 改めて向き合い座ったところで、あかりが口火を切った。

「……駆け落ちするほど、恋って凄いの?」
「へっ……?」

 一体何を聞かれるのかと身構えていた紫乃は、思いがけない話題に一瞬虚を突かれる。
 だがあかりの左手に光る指輪に、ああ、これは話して置いた方がいいと口を開いた。

「どうして駆け落ちしたかは、話したことが無かったわよね」
「……はい」
「お父さんに……祐介さんに会ったのは18の時なの。バイト先のお客さんでね。向こうが一目惚れだった」

 祐介の猛アタックにより、程なくして二人は結ばれる。
 そして1年後、大学生だった紫乃は子供を授かるのだ。

「当時だしね、デキ婚なんてとんでもないと両家の親から猛反対されたわ。うちの両親は祐介さんに会ってすらくれなかった。とりつく島もないってああ言うことを言うのね」
「…………」
「それで、ある日両親に無理矢理産婦人科に連れて行かれて……その場で子供を堕ろせと言われたのよ」
「!!」

 結婚に反対されるのは仕方が無い。こんな形で結婚を決めた上、昔気質で剣の道一筋だった両親に、デイトレーダーなんて仕事は理解しがたいものだろうから。
 けれど、お腹に宿った命には何の罪も無いのだ。


 この子を守れるのは、私だけだ。
 何としてもこの子を守らなければ……!


 その場から逃げ出した紫乃は、すぐに祐介に連絡を取り、そのまま着の身着のままで祐介のアパートに匿われる。
 幸いにも両親が拒絶していたお陰で、祐介の連絡先は一切知られていなかったのが功を奏した。
 スマホはその日のうちに初期化してSIMカードもろとも海に投げ捨てた。

 紫乃は大学を退学し、祐介もまたこの事態が両親に知られるのを恐れて、すぐさまアパートを解約する。
 その上で居場所を知られないために互いの両親から籍を抜き、地元から遠く離れたこの地に身を寄せ、婚姻届を出したのだ。

 それ以来、互いの両親の消息は分からない。知ろうとも思わない。

「幸いだったのは、祐介さんが在宅のデイトレーダーで十分な蓄えもあったことね。結婚式も新婚旅行もできなかったけど、私が高卒で大した職にも就けない状況でも生活に困ることはなかった」
「……そこまで、好きだったの?」
「今も好きよ。……けど、好きとかそういう問題じゃないの。あの時は……お腹の赤ちゃんを守らなければ、それしか考えられなかったから」
「そう……」

(そっか……自分は生まれる前から守られて、愛されていたのか)

 その愛情は、確かに自分を苦しめたけれども、少なくともそれは紫乃にとって精一杯の愛情だったのだろう。
 その事を、今のあかりは静かに受け止められるくらいには成長していた。

「その頃は、道場をやってなかったんだ」
「ええ。そう、あなたはまだ小さかったから覚えてないわね。道場を設立したのは尊が1歳になった頃だし」
「……覚えてる。母さんに、手を振り払われたの」
「あかり……?」

 生まれたての弟が帰ってきて、怖い顔をした母がいて、寂しくて抱きしめて欲しくて、手を伸ばしたら振り払われた。
「お姉ちゃんでしょ、我慢しなさい!」と叫ばれたあの日の記憶をぽつぽつと話せば「……ああ、覚えているわ。覚えているわよ……!」と紫乃は天を仰いだ。

「……謝りたかったはずなのに、いっぱいいっぱいで忘れていたのね」

 そうして紫乃は、あの日の……彼女にとって人生最大の試練となった日々のことを話し始めた。


 …………


 天国から地獄とは、まさにこういうことを言うのだろう。

 尊が生まれて、さぁこれから二人の育児を頑張らなければと幸せいっぱいで迎えた退院日、迎えに来るはずの夫の姿は無かった。

 不思議に思う紫乃のところに現れたのは、泣きじゃくるあかりと、それを一生懸命宥める奏を連れた拓海と芽衣子だったのだ。

 不安に苛まれながらも「とにかく家へ帰ろう」と二人に促され家に戻れば、目を真っ赤に腫らしげっそりとやつれた夫と、「だめだ、死ぬだなんて考えちゃだめだよ、祐介君!」とこれまた大人たちの剣幕にわんわん泣いている幸尚を抱っこしつつ、必死で祐介を説得する守と美由の姿があった。

「え…………追証が、1500万……!?」

 告げられた事実に、目の前が真っ暗になるとはこういう事かとどこかで冷静な自分が囁いていたのを覚えている。
 そのくらい、あのときのショックは大きかった。

 祐介も、待望の息子が生まれて浮かれていたのだろう。
 さらに付き添い出産の疲れも重なり、危ないポジションを持ったまま居眠りこけ、その間に指標の発表があって……事もあろうにこのときに限ってロスカットの指定をしていなかった結果、目が覚めたときにはとんでもない額の追証が表示されていたのだ。

 あの時、入院中のあかりの世話を美由や芽衣子に頼んでいて本当に良かったと思う。
 そうでなければ、異変に気づくのが遅れていて……考えただけでゾッとする。

「当面の生活費とトレード用の資金を除いて全ての貯金を突っ込んだ。けど、800万の残債が……だから、僕の生命保険があれば」
「バカなことを言うんじゃ無いよ、祐介君!生きていればいくらだってやり直せる、死ぬことだけは選んじゃだめだ!」
「そんな、住宅ローンだってあるんですよ!いくら何でも二人の子供を育てながらこの金額を返すなんて無理です……!」

 泣き崩れる夫と、それを必死で説得してくれる友人たち。
 暫く呆然としていた紫乃は「……バカなことを言わないで」と祐介に言い放った。

「紫乃さん……」
「子供が生まれたばかりなのよ!死に物狂いで何とかしようと思いなさいよ!私は、私は諦めないから……!」
「っ……!」

 そう、その時確かに、抱っこをせがんだあかりを振り払った記憶がある。
 すぐに悪いことをしたと罪悪感に駆られたけれど、もはやそれに構っていられるほどの余裕すらあの頃の自分には無かったのだ。

 そして、それからの紫乃の行動は早かった。
 子供たちを見て貰いながら、産後の身体でなるべく低金利で貸してもらえる融資先を探し回った。
 幸い拓海のつてで調剤薬局の事務として働き口を見つけ、産後8週からすぐにフルタイムで働く事もできた。
 子供たちは芽衣子と美由が快く引き受けてくれたお陰で保育料も抑えられた。

 祐介が立ち直り仕事に復帰するまでの半年間、中河内家と志方家で何度食事を頂いたか。
 そして何度「このまま祐介さんが相場に復帰しても、今後もリスクがあることに変わりは無い。何かできることは無いか」と相談に乗って貰ったことか。
 最終的には紫乃が居合5段の腕前であること知った両家から「これは紫乃さんへの投資だから」「その素晴らしい腕前を活かすべきよ」と設立資金の半額を両家から借金し、この道場を立ち上げたのである。

 何でそこまで、と尋ねたとき、彼らは笑って返したのだ。
 自分達は血こそ繋がってないけれど、家族みたいなものだから、と。

「中河内さんところも、志方さんところもね、結婚した当初からずっと良くしていただいて……私たちが訳ありなのを全部知った上で、それでもこの地に馴染めるようにずっとサポートして下さったのよ」
「そうだったんだ……」
「ちなみに借金は返し終わったわよ、去年」
「去年!?まだ払ってたんだ」

 知らなかった。
 祖父母はいないけど至って普通の家庭だと思っていたこの家に、これほどのドラマがあっただなんて。
 母がこれほどの苦労を重ねて、今の道場主としての地位を築いただなんて。

 そして……あかりは今ようやく、あの時投げかけられた拓海の言葉の意味を知るのだ。


『君が思っているほど紫乃さんは大きくはない。君らや僕らと同じ、ただ一生懸命生きている人間なんだってことだよ』


(……本当だった。お母さんも、必死で生きていた……ただの人間だった)

 静かに流れる涙は、何の感情だろうか。今のあかりには理解できない。

 これまでされてきた事を許せるわけでは無い。
 けれど、それを責め立てる気持ちも今のあかりからは消え失せていた。

 少なくとも、自分が望む形では無かったとしても彼らに愛はあった。
 そして彼らなりの精一杯は尽くしていたのだと知れたから。

 ただ、だからこそ聞いてみたくなったのだ。
 その人生に後悔は無かったのかと。

 そう問われれば、紫乃はきっぱりと「無いわ」と断言する。

「私は常にベストを尽くしてきた。間違った選択肢だってあると思うわ、それでも……どれ一つとっても、無駄な事なんて無かった。何より私は、ずっと周りの人たちに恵まれていたから」

 ……そう、ただひとつを除いては。
 あかりには同じ轍を踏んで欲しくないから、紫乃はその後悔を話し、託すのだ、

「でも、親とはもっと話し合えばよかったと思うわ」
「……あれだけのことをされたのに?」
「されても、よ。諦めて逃げちゃったのよね、結局は。……もしかしたら理解は得られなくても絶縁までは無かったかも知れない、あんたたちからおじいちゃんとおばあちゃんを奪わなくてすんだかも知れないって今でも思う」

 あんたは間違えちゃだめよ、そう言いながら立ち上がる紫乃に「……はい」とあかりは静かに頷いた。

(大丈夫、私は間違えない)

 全てが決まったら、ちゃんと話しに来よう。
 理解が得られるかどうかは分からない。もしかしたらこの母のことだ、何発かは殴られるかも知れない。
 それでも、対話することを諦めることだけはしない、そうあかりは誓い、道場を後にする。

 一方でその背中を……いや、腰元を、紫乃は見つめていた。

(……今は何も聞かないわ)

 型稽古で見せた、明らかに何か固いものを下半身に装着している腰の動き。
 そして、手の内が変わるにも関わらず外さない、左手の薬指に輝く真新しい指輪。

 きっとこの子たちは、何か自分達に理解しがたいものを抱えている、そう紫乃は直観する。
 そして静かに心の中で決意するのである。

(ええ、私たちも今度は間違えない。……いつかその日が来たら耳を傾けなければ)

 明確な和解の言葉があったわけでは無い。
 けれども確かに今日、二人の関係には雪融けが訪れたのだ。


 …………


 忙しい月日は、あっという間に過ぎていく。

 幸尚は夏頃から本格的に就職活動を始めたものの、趣味が講じて作ったネットショップや『作品』作りで知った革製品の創作に力を入れたい気持ちもあって、しかしそれだけでは生活が成り立たないと悩む日々を送っていた。

「生活はできないとだめだし、でも……やりたいこともあって、どっちを選べば良いか未だに答えが出ないんだ」

 そんな悩みをぽつりと年末恒例の飲み会でこぼしたら、まさかの親たちによる「就職だけが道じゃないし、就職したって副業で続ける道だってある」と、それぞれの経歴をフルに活かしたプレゼンが始まってしまう。
 酔っ払いのいるところで出す話題じゃ無かったなと思いつつも、確かに彼らの熱弁にも一理あると、子供たちはその長々と続く話を拝聴する羽目になったのである。

「……ま、考えてみたら俺らの親って誰一人一般的なサラリーマンはしてねぇのよな」
「そうなんだよね。会社の選び方や就職活動のコツとかも聞きたかったんだけど、そもそも就職活動をした人がいなかったとは予想外」
「お医者さんって昔は就職活動もなかったんだね、あれはびっくりした……『国試合格したらお世話になります』って電話するだけで良かったなんて、就活生が聞いたら卒倒しそう」

 そんな中、すっかり酔っ払って上機嫌になった祐介から「それで、君らはどっちがあかりと結婚するんだい?」とド直球の突っ込みが入ったことにより、飲み会は更に混迷を極める。

「ぶっ!!ちょ、おじさん何を」
「そうだ、そろそろ種明かしといかないかね?私は幸尚君の方に賭ける!」
「あ、私も幸尚君に」
「僕も幸尚君かなぁ……これじゃ賭けにならないね」
「いやいや人の恋バナを賭けの対象にすんなよ!あとそこまで俺は信頼ねぇのかよ」
「私はどっちもありだと思うけど、安定志向なら幸尚君を選ぶわね」
「師範まで酷い」

 大体そんな、思わせぶりに3人揃って指輪を着けているのが悪い!と叫ぶ拓海は、今年はお気に入りの酒を奏が持ってきたお陰ですっかり上機嫌だ。
 つまり、タチの悪い酔っぱらいということだ。

「別に卒業しても3人で住むのは構わんがね、やきもきするんだよ!ほら、もうここで真実を明らかにしてみんなでスッキリしようじゃ無いか!」
「それ、スッキリするのは親父だけじゃねぇか!」

 しかも、それは多分スッキリしない。
 それどころか、折角の楽しい飲み会が地獄と化す可能性だってある。
 いずれカミングアウトする気ではいるけれど、それは今じゃ無い。こちらにだって心の準備というものが必要だし、こんな大事な話はシラフで聞いて欲しい。

 困り果てた3人を救ったのは、一人冷静な守だった。
 ……というか、幸尚の父が酒豪だというのは聞いていたがここまでとは思わなかった。
 何でワインのフルボトルが2本丸々開いているのに顔も赤くならず、まるでジュースでも飲んでいたかのように話せるのか。

「まあまあ、彼らにだって考えがあるんですよ。やはり将来に関わる大切な話ですし……幸尚の身の振り方が決まらないと話せない、そんなところじゃないのかな?」
「あ、う、うん」
「それなら待ってあげるのが親ってもんでしょう。昨年と違って3人とも一回り成長しましたし、僕は次の一時帰国が楽しみですよ」
「そう言えば父さん、次っていつなの?」
「ああ、今回は年が明けたらすぐ向こうに戻って……7月には日本で学会があるから一度帰ってくる予定だな」
「そっか。……うん、その頃には僕の今後も決まってるだろうから、その時に」
「ほら、幸尚もこう言ってますし、ここは一旦おしまいってことで、ね」

 酔っぱらいたちは少々不服だったらしいが、守の説得と、何より幸尚の宣言に「まぁ来年の夏にはちゃんと話すというなら」と渋々引き下がるのである。

「……ごめん、勝手に夏にカミングアウトするって宣言しちゃったようなもんだよね」

 謝る幸尚に「いや、良かったんじゃね?」と答えるのは奏だ。

「どこまで話すかはともかく、いずれ話さなければならない事だしさ」
「だよね。むしろ期限が決まったからこうやって動き出せた部分もあるし」
「うん、ありがとう、二人とも。……でも、ちょっと怖いね」
「あー……楽しみ半分、怖さ半分かな。俺も生で見るのは初めてだから」

 立春を過ぎた頃、3人はこれからの相談のために臨海都市の一角にあるタワーマンションを訪れていた。
 初めての豪華なエントランスやコンシェルジュの存在に、3人とも顔がカチンコチンに強張ったままである。

 フロントで貸し出されたカードキーをかざし、27のボタンを押す。
 じわじわと上がっていく感触に、緊張は高まるばかりだ。

「……つ、着いたぞ…………押すぞ、押すからな」
「う、うん……っ」
「あああ、心臓が飛び出そう…!」

 目的の部屋に着いて、奏がインターホンを押す。
 暫くしてガチャリとドアが開いて顔を出したのは

「いらっしゃい、ほら冷えるからさっさと入りなさい」
「は、はいっ、お邪魔します!」

 髪を下ろしボンデージに身を包んだ、塚野だった。


 …………


「うわ、広っ……!!」

 廊下のドアを開けると、目の前に広がるのはオーシャンビューのリビングダイニングだった。その広さと設備を見れば、一目でここが高級マンションであることが分かる。

 だが広々とした部屋にはあちらこちらにフックが取り付けられていて、ここがただの一般的な家では無いことを無言で知らせてくる。
 一角には見る人が見れば分かるペット用の檻やトイレも完備されていて、本当にここで人が飼われているのだという実感がじわじわと湧いてくるのだ。

「お茶を出すからちょっとソファで待ってて。……あかりちゃんは約束通り、ね」
「っ、はい」

 奏と幸尚は上質な革のソファに腰掛ける。
 その横であかりは全ての服を脱ぎ、持ってきたトートバッグに畳んで片付けると、床に跪いていつものように奏と幸尚に挨拶をした。

「奏様、幸尚様……今日は塚野様と一緒に淫乱奴隷のあかりをお楽しみ下さい」
「おう。ほら、首輪と枷を着けるぞ」

 両手足に枷を嵌め、首輪をつけて鎖を取り付ける。
 鎖の端はソファ近くの床からポールを引き出して、あかりが側から離れられないように固定した。

「ありがとうございます……へぶしっ……!」
「あ、ちょっと寒いかな?塚野さん、あかりちゃんにはちょっと寒そうだから服を着せます」
「良いわよ。うちのハルはオスだからこのくらいの温度でちょうど良いんだけど、メスだと寒いかも知れないわね」
「っ……メス…………あはは……」
「当然でしょ?家畜以下の奴隷なんだから。……ほんと、いい顔をするわね」

 お茶と茶菓子を持って、塚野がリビングに戻ってくる。
 そしてあかりの格好を見て「これ、どこで手に入れたの?」と二人に尋ねれば「あ、僕が作ったんです」と幸尚が答える。

 今日のあかりの『服』は、アーガイル柄のスクエアネックのセーターだ。
 手枷を着けたままでも着せられるようになっていて、頭から被せたあと袖から腋を通って裾に伸びるファスナーを閉めればちゃんとセーターの形になる様に作られているらしい。
 お腹を冷やさないよう、貞操帯の腰ベルト上部ギリギリまでの丈で身体のラインが出るように編まれたニットは、しかし乳輪部分は丸く開いていて、ピアスに穿たれ勃ったままの乳首を余すことなく見せつけている。

 その説明に、塚野が目を丸くする。
 幸尚が小さい頃から手芸を趣味としていて、それが高じてあかりのために拘束具や服を作っているという話は聞いたことがあったが、まさか拘束したまま服を着せられるようにしてしまうだなんて。

「……これ、手編みなのよね?作るの大変じゃなかった?」
「うーん、いつも編んでるから特に大変さは……ただ編み物だとファスナーを着けるのがちょっと気を遣うくらいですかね。ベルクロでもいいんですけど、このファスナーで閉じ込めていく感じが良くて」
「はあぁ……凄いわよこれ、拘束した奴隷にそのまま服を着せるという発想はガチで奴隷を飼わないと出てこないわね。どんな生地でも作れるの?」
「一般的な服に使う生地なら大丈夫です。布地だとハトメを着けて、紐で締める形も捨てがたいです」
「……ちょっと、後で採寸させてあげるからハルの服を一着作ってくれない?ヒトイヌ状態でおしゃれさせてみたくて。ちゃんと費用は払うわ」
「あ、それなら犬服を参考に作れますからいいですよ」

 お茶を頂きながら、話が弾む。
 今日の茶菓子は以前振る舞われたことで幸尚がすっかり嵌まった芋けんぴだ。
 あかりも餌皿に置かれた芋けんぴを、ぽりぽりと美味しそうにかじっている。

「さて、と。じゃあそろそろ連れてくるわね」
「あ、はい」

 ひと心地着いたところで発せられた塚野の言葉で、3人の顔に緊張が走る。
「そんなにビビらなくても大丈夫よ」と笑いながら塚野が隣の部屋から何かを引いてきた。

「ほら、しゃんと歩きなさい。今日は大切なお客様が来ているの、粗相の無いようにね」
「あおぉ……!」

 じゃらり、と鎖の音を立てながら、よたよたと手をミトンで封じられた四つん這いの黒い物体が現れる。
 黒のキャットスーツに覆われ、しかし股間だけ全ての覆いが取り払われた姿は、実に卑猥で惨めったらしく、嗜虐者の興奮を誘う。
 その尻に挿入されたアナルフックは首輪と繋がれ、さらに睾丸を挟む黒くて長い板が取り付けられている。
 その姿に奏が「……うわ、ハンブラーかよ」と顔をしかめた。

「ハンブラー?」
「玉を拘束すんだよ。あれ着けているとな」
「あ、見せた方が早いわね。ほらハル、立ちなさい」
「あごっ!?んごおおおおおっ!!!」

 睾丸を挟む板を幸尚が指摘すれば、塚野は無理矢理奴隷を立たせようとする。
 しかし太ももに邪魔された板はギリギリと睾丸を引っ張り、哀れな奴隷に激痛を与えるのだ。
「はぁっ、はがっ、おおぉ……」
「とまぁ、こんな感じでこれをつけると四つん這いでしかいられなくなるの。今日はお披露目のためにフラット貞操具も取ってあるから、こういう飾りもいいかなって」
「ヒィ……想像しただけでタマヒュンしちゃうぅ…………」

 余りの痛みにその場にうずくまる奴隷に「ほら姿勢を正してしっかり見せる!」とよりによってその睾丸に乗馬鞭を入れ悲鳴を上げさせる塚野に、彼らは彼女が嗜虐嗜好の持ち主であることを再確認させられるのである。

(にしても、間近で見るとまたすげぇな)

 改めて3人はまじまじと奴隷を眺める。

 奴隷の頭は、アイマスクとリングタイプの開口器がベルトでしっかり固定されている。
 開口器のリングは2重になっていて、内側のリングで舌を押さえつけられるタイプだ。あれはご主人様が舌を触り放題なのに、喋ることもできないし涎も垂れ流しになって被虐感が増すのがいいんだよな、とあかりはどこか羨ましそうにその姿を眺めていた。

 そんなあかりの姿にちょっと嬉しそうな表情を見せながら、塚野は先ほどの痛みが覚めやらぬのだろう、ガクガクと震えながらもご主人様の命令に従い、口から涎を、そしてその股間のいきり立った欲望から透明な汁を滴らせ姿勢を保つ獣を自慢げに披露した。

「後で口枷を外して挨拶はさせるから。これが私の奴隷『ハル』よ」


 …………


 紹介された奴隷は、時折呻き声を上げながらも静かに姿勢を保っている。
 あかりの向かいにこれまたポールに鎖を繋いで固定された奴隷を、時折鞭でピシピシと打ちながら、塚野は「それで、何を聞きたい?」と3人に話しかけた。

「えっと、塚野さんの奴隷との生活のことと……後は、カミングアウトをどうしたのかを知りたくて」
「ふぅん。その話を聞きたいって事は、親に打ち明ける気になったんだ」
「……はい。僕の就職が決まってからになりますけど」
「そう。……良く決意したわね」

 3人はそれぞれの進路について話す。
 奏は予定通り、叔父である賢太のSMバーを継ぐことになっていて、当面はスタッフとして、また経営者としての修行に明け暮れることになりそうだ。
 あかりも今のバイト先と業務委託契約を結ぶ方向で話がまとまったらしい。完全フルリモートで、さらに家庭の事情があるということにして毎日6時間だけの稼働になる予定だ。余裕が出てくれば幸尚のネットショップの管理も行うつもりでいる。

「それで、幸尚君は就職と」
「はい。一応建築事務所をいくつか回って……ただ正直、迷っていて。手芸を活かして何かできれば良いなって思うんですけど、ネットショップだけじゃお小遣い稼ぎが精一杯だし。漆原さん……あ、革職人さんのところからも声をかけて貰っているんですけど、どっちにしても生活費を稼ぐにはちょっと物足りなくて……」
「別にその分は俺やあかりが稼ぐから大丈夫だって言うんだけどな、何気にあかりの稼ぎが大きいし」
「まあでも、ご主人様としては奴隷の稼ぎに頼りたくは無いわよね。……そっか、あんたたちはそういう形を選んだんだ」

 あかりに家事をさせない方針だとは聞いていたから、仕事もさせないのかと思っていたと塚野がちょっとほっとした様子で話せば「これもあかりちゃんの依存を防ぐ手段のひとつですから」と幸尚が返す。
 しかしこのままでは、むしろ金銭的に自分が依存してしまいそうだとしょんぼりしつつ。

(……うん、やっぱりこの子がいいわ)

 そんな幸尚を眺め、塚野はひとつの決心を固める。
 そして奴隷の方を向くと「ハル」と声をかけた。

「うちの店を継がせる子が見つかったわよ。……いいわね」
「!!あがぁ……」

 ぶんぶんと首を縦に振る奴隷を「良い子ね」と撫でながら、塚野は幸尚にひとつの提案をした。

「……幸尚君、うちの店を継いで、ついでにアパレルブランドを立ち上げない?」
「へっ!?」

 突然の提案に固まる幸尚と「また急に何だよ」とこれまた驚きを隠せない奏に塚野は「前々から考えていた事よ」と返す。

 塚野の店は、SM専用のアダルトショップ兼ピアススタジオだ。
 開業して10年になる店は、賢太とのパイプと本物の医師がその知識と経験に基づいた医療的観点からのアドバイスをしてくれる事もあって、その筋ではそれなりに名の知られた店となっていた。

 ただ、もう一つ何か特色が欲しい。
 更に言うなら、自分達には子供がいない。ここから先事業を広げて行くのであれば、後継者探しも必須になるであろう。

 だから、ここ数年は賢太に頼んで後継者になりそうな子を探していたのだ。
 もし見つかれば更なる事業拡大を目指す、見つからなければ還暦を目処に店を閉め、女王様も引退して愛しい奴隷と老後をのんびり過ごそうと決めていた。

「初めて会ったときは、ただのノーマルな……しかも外見詐欺な、随分なよっちい子だと思ったんだけどね」
「うぅ、否定できない……」
「でも、覚えてる?初めてあかりちゃんがピアスを開けようとしたときに、ちゃんと知りたいからってへそピアスを開けに来たときのこと」

(あれが、全ての始まりだったのよね)

 たかがボディピアスを開けるだけでちびってしまうほど臆病な子が、それでも愛しい恋人と大切な幼馴染みのために何とかこの歪んだ世界を受け入れようと奮闘している姿を、塚野はずっと見守り続けていた。
 賢太の見立てもありすっかり性癖を自覚させられて、それでも彼は奏やあかりと異なり、この世界にどこか染まりきらず、かといって離れることもなく独自の世界観を作り上げている。

(うちの店に、この個性が加われば面白いことになる。何よりこの子は、どんな性癖であろうと誠実に受け止められる子だ)

 だからこそ幸尚を選んだのだと、塚野は語るのだ。

「もちろん無理にとは言わないわ。けれどこの仕事なら、就職するよりは何かと動きやすいでしょうし、何より幸尚君のその洋裁の腕を活かせる。あかりちゃんに着せているその服、その発想は素晴らしいわ、きちんと製品化して売れるレベルだと思うもの」
「そ、そんなにですか……?」
「ふふっ、幸尚君はもっと自分に自信を持ちなさいな。既にネットショップだって持っているんでしょう?ならうちの実店舗とネットショップを利用して試す価値はあるわよ」
「そっか……僕の、腕が活かせる…………」
「ま、ひとつの選択肢として考えてみてくれる?返事は今すぐじゃ無くて良いから」

 さぁ、この話はここまでにして、そろそろ本題に移りましょうか。
 そう話を切り上げると、塚野は鎖を持って立ち上がり「部屋を案内するわ」とリビングの外へ3人を誘った。


 …………


 それは、どこまでも愛する奴隷のために作られた家だった。

「特別プレイルームは決めていないのよ」と言うだけあって、トイレや風呂も含めて家中至る所にフックや鎖が仕掛けてあるし、ちょっとした棚には必ずローションと潤滑剤、そしてディスポの手袋が用意されていた。
「ここが保管庫みたいなものね」と通されたのは一見するとただのがらんどうとした部屋だが、そのクローゼットの中には大量の道具や衣装が詰まっている。

 部屋の片隅には謎の機械がいくつも据え付けられていて、何かと尋ねれば「ハルもここで保管するから」と塚野は答え、その言葉にうっとりするあかりを見てニヤリとするのだ。

「前に映像は見せたでしょ?ここがその部屋」
「あ、なるほど」

 徹底した温湿度の管理にセキュリティ会社と契約した見守りサービス、その上で奴隷が『快適に』保管されるよう考え出した自動給餌・給水システムと数々の拘束具、そして商品のモニターを兼ねて使われる大量の玩具たち。
 床もただの板張りでは無い、長時間放置しても問題が無いようにクッション材が使われている上床暖房付きときた。

「ハルは扱いとしては家畜奴隷だからね。結婚してから一度も射精させてないって話はしたでしょ?もう一つ、この生活になってからは一切手を使わせてないわ」
「え、それで生活が成り立つんですか?」
「だってハルの仕事は、私を満足させることだけだもの。無様に泣き叫んでればそれで十分、あとは餌も風呂も着替えも排泄も、何もかも私が管理するわ」
「……理想的な、生活ですね…………はぁぁ……」
「でしょうね、一度体験すればもう戻れないくらいに幸せらしいわよ、ドMにとっては」

 そうだ、折角だから良いものを見せてあげよっか、とその場で塚野が奴隷からアナルフックを外す。
 そうして「ハル、そろそろ1ヶ月だからスッキリさせましょ」と声をかければ、奴隷は「あぼおおぉぉっ!!」とどこか甘さを滲ませた悲鳴を上げた。

「口枷も外して、っと……ほらハル、お行儀良くおねだりしなさいな」
「あが……っ、はぁっ、ご主人様っ、ご主人様ぁ……」

 キョロキョロしながら塚野を探す奴隷の睾丸に「ほら」と容赦なく鞭が振り下ろされれば、それでご主人様の場所を把握したのだろう、奴隷は呻き声を上げつつ塚野の足に口付けを落とす。

「ごっ、ご主人様っ、ハルの……ハルのおちんぽミルクの素を、全部絞って下さいぃ……」
「いいわよ、ハルの役立たずのおちんちんから、無駄なミルクを全部出しちゃいましょ」

 シャーレを床にコトリと置き、細身のディルドを手にした塚野が後ろ側に回る。
 何をするのかいまいち分かっていない奏や幸尚とは対照的に、あかりは目をらんらんと輝かせてその様子を見守っている。

「……その様子だと、あかりちゃんは知っているのね」
「はい!ミルキングは射精管理ものの醍醐味ですから!!いいですよねぇ、頑張って溜めた気持ちいいを全部剥奪される瞬間って」
「あーなるほど、そういやあかりちゃんは腐女子だったっけ……ならじっくり見てなさい、妄想が捗るわよ」

 潤滑剤を纏ったディルドが、ぬぷ、と腹の中に消えていく。
 入る時に「んっ」と声を上げた奴隷を「静かに」と諫めつつ、塚野は慎重に…まるで快楽を味あわせないようにディルドを挿入し、何やら内壁に押しつけているようだ。

 と、幸尚の隣から「出てきた……」とあかりの声が上がる。
 その視線の先は、すぐにでも暴発しそうな程いきり立った奴隷のペニスと、そこから音も無くたらたらとシャーレの中に流れ落ちる……白濁した液体があった。
 その光景に「ええっ」と思わず幸尚が目を丸くする。

「え、射精?でも勢いがない……」
「何か無理矢理搾り取ってね……?」
「そうよ。ミルキングって言ってね、溜めに溜め込んだ精液……正確には精嚢分泌液だけど、それを精嚢を直接こうやって中からで押すことで、全部出しているの」
「うっそだろ、それやられたら精液無くなっちまうのかよ」
「精液の素が無くなる、というのが正しいわね。オスはあまり長い間射精しないと、これが溜まりすぎてお腹が重くなったりするのよね。だから月に1回、こうやって絞ってあげることでスッキリさせるのよ」

 ま、スッキリするのはお腹の重さだけだからね、と意地悪な顔で笑う塚野に、ああこれはきっと残酷な処置なんだなと二人の背中に冷や汗が走る。
 そしてその予想は当たっていて。

「ほらハル、お客様にどんな状態か詳しく説明しなさい」
「はっはいっ、ハルはミルキングしていただいても全然気持ちよくないんですっ!お腹を押されて、おしっこ漏らすみたいにおちんぽミルクを垂れ流して、シコシコしてビュッビュする気持ちいいは全部お預けなんです……!だからっ、出しちゃって虚しいのに、ずっと、ずっと射精したいまんま……ああっご主人様っ、ハルもしゃせーしたいですっ!白いの、いっぱい勢いよく出したいいぃ!!」
「そうねぇ、ハルはもう15年くらい射精してないもんねぇ。でも、その前にいっぱい我慢したおちんぽミルクを、何回も寸止めしてたっぷり出す気持ちよさを忘れないように叩き込まれたもんね?」
「ひいぃっ、そうですっ!!ご主人様が全部、教えてくれましたっ!!搾り取られる度に思い出して、ご主人様を喜ばせるためにぃ……」

 アイマスクで吸いきれなくなった涙がぼたぼたと床に落ちる。
 それでも奴隷は決して腰を振ることも、床に擦りつけることも無い。
 まぁ、床に擦りつけるのは物理的に無理なのだろうが。

 1ヶ月かけて溜め込んだ快楽の元を、何の快楽もなしに搾り取られ、しかしその満たされない射精欲は一切収まることが無い。
 残酷な処置に「これはやべぇ」と奏が呟けば「オスの管理には必須だからね」と塚野が返した。

「1ヶ月以上貞操具を着けるなら、1ヶ月でチューブの交換とミルキングは必ずやること。まぁあんたたちにそんな機会は無い……こともないのね、その表情だと」
「おぅ。先月も勢いに任せて俺を抱き潰して1ヶ月フラット貞操具の刑に処したばかり。なるほどこうすれば1ヶ月を超えても」
「ひぃっごめんなさいごめんなさい、ちゃんとちんちんの管理はするからそれだけは許してえぇ……!!」
「あー……相変わらず幸尚君はお盛んだったと。まぁいいじゃない、たまには抱き潰されるほど愛されるのだって」
「バイト明けに24時間耐久セックスをさせられてもそれを言うか?」
「ごめんなさい、それは幸尚君が悪いわ」

 精嚢は左右にあるからね、と更に恐ろしい知識を奏に与えつつ、塚野はどれだけ押しても白い液体が出なくなるまで、奴隷が頑張って溜めた快楽の源を搾り尽くす。

「いつもはね、貞操具を着けたままやるのよ」

 そして和やかに精液の溜まったシャーレを奴隷の口元に置いて頭を押さえつけ「舐めなさい」と命令しつつ塚野は3人の方を向いた。

「万が一、勝手にペニスを刺激してしまったらおしまいだからね。当然辛いお仕置きが待っているわ……敢えて仕置きをして泣き叫ぶ姿を堪能したいならともかく、無駄なお仕置きは奴隷のためにも避けるべきでしょ」
「お、おう」
「でもね、ハルはもうそんなことをしなくても、ちゃあんとお利口さんで絞らせてくれるのよ。それを見せたかったの。……あんたたちだって知ってるでしょ?恐怖や絶望、快楽だけじゃ無い、信頼や愛情も立派な枷になるって」

 涙を流しえずきながらも、自分の出したものを必死で舐める奴隷を塚野は本当に愛おしそうに眺める。

(ああ、どこまでも歪んでいて、けれど彼らは確かに愛し合っている)

 そして彼女が見せたかったものを、3人は正確に受け取るのだ。

 設備や技術は確かに大事だ。それは奴隷を守るために必要なものだから。
 けれども最も大切なことは、例え同じ形でなくとも互いへの愛情や信頼を持ち続けることなのだと。

 そんな3人に塚野は「ね、だから大丈夫よ」と微笑んだ。

「この関係になってからの5年近くを、いいえ、生まれてからこれまでの関係を信じなさい。あんたたちはもう、ちゃんと一番大切なものを持っているから」


 …………


 リビングに戻り、また鎖に繋がれる。
 奴隷はハンブラーを外され、そのまま大人しくフラット貞操具を装着されていた。
「毎日洗浄時に、限界まで寸止めして泣き叫ばせるのが楽しいのよね」とさらっと恐ろしい話をしては「よし、次の尚のお仕置きから取り入れよう」と奏がこれまた恐ろしい宣告を下し、幸尚は必死で土下座して謝っている。

「あれ、口枷は戻さねぇの」
「ああ、あんたたちだから良いわよ。ただしアイマスクはだめ」
「それはどういうこだわりなんですか……?」
「簡単よ、ハルに私以外の人を見せたくないだけ」
「うわぁ……意外とオーナーの愛は重かった」
「よほど親しい人じゃなきゃそもそもこの家に入らせないし、その中でもお客様の声を聞かせるのはあんたたちと賢太さんくらいよ」
「めちゃくちゃ徹底されてんじゃん」

 そういやオーナーは奴隷に「ご主人様」って呼ばせるんだな、と奏が意外そうな顔をする。
 SMバーでは必ず「女王様」と呼ばせているのを知っているからだ。
 それを尋ねれば「そりゃそうよ」と塚野はこれまたどこか嬉しそうな表情を見せる。

「ご主人様、の呼び方は私がハルにだけ許した特別なものだからね」
「あー、もうラブラブすぎて胸焼けしてきた」
「いくらでも惚気てあげるわよ、私の自慢の奴隷なんだから……と、ちょっと待ってて」

 チャイムの音に、塚野が壁に付いたモニターを確認する。
「はい……はい、どうぞ」と何か操作をして数分後、部屋には重そうな箱が届けられていた。
「ん?荷物?」
「ええ。これは……あ、やっぱりみかんね」
「みかん」

 箱を開ければ、そこにはぎっしりとみかんが詰まっていた。
「また芽衣子さんとこに持って行かなきゃ」と言いながら、塚野はスマホを取り出してどこかに連絡を入れ始めた。

「もしもし、千花です。みかん届きました、いつもありがとうございます。……ええ、変わりないです。お義母さんは……そうですか…………どうされます?……ええ、ちょっと待って下さいね」

 スマホを持った塚野がこちらに寄ってくる。
 そして「ハル、お義母さんよ」とその口元にスマホを差し出し、スピーカーモードに切り替えた。

「もしもし」
『もしもし、晴臣な?元気にしょんな?』
「うん、変わらんで。お袋と親父はどんなんな」
『どなんちゃないで、ついじゃわ。今年はがいに冷やこていかんけんどな』
「ほらいかんなぁ、ぬくにしとるんで……いつもおみかんありがとう」
『今年のは甘もて美味しいけんな、また千花さんに配ってもらいまいよ」
「うん、言うとく」

(……すっげぇ、何となくしか意味が分かんねぇ)
(奴隷さん、実は関西の田舎の出身……?さっきまでと全然違う言葉になってる)

 暫く、親子の会話が続く。
「ほんだらな」と会話を終えると、スマホを切った塚野に「ありがとうございます、ご主人様」と奴隷は頭を下げた。

「いいわよ。……しかし今回もお義母さん張り込んだわね。芽衣子さん、いっぱい持ってきて良いからって言ってたけどどうやって消費してるんだろ」
「あー、オーナーのところから来たお裾分けは、俺ら3人の家とクリニックのスタッフと患者さんに配られてるぜ」
「うん、この紅いみかん、毎年食べてる気がします」
「この時期は毎年みかんなのよ。先月のが山北みかん、今月は小原紅早生……お陰ですっかりみかんの品種に詳しくなっちゃったわ」
「むしろみかんにそんなに種類があるとは……」

 塚野曰く、奴隷の故郷では一年中スーパーで様々な品種のみかんが売られているらしい。
 いつだったか、彼が母に「こっちのスーパーはみかんが少ないらしい」とこぼして以来、実家からは季節に合わせた大量のみかんが送られてくるようになったそうだ。
 そしてそれは年月を経るごとに地元のお菓子や名産品にまで広がり、どう考えても二人では捌ききれない量に塚野は芽衣子を頼ることにしたのだという。

 そうか、あの店での茶菓子も全部ここからだったのか。
 道理で食べたことの無い茶菓子だらけだったわけだと3人は納得する。

「えっと、その、奴隷さんのお家の人はお二人の関係を」とあかりが尋ねれば、塚野は「知ってるわよ」とみかんを剥いて奴隷の口に運びながら、彼らのカミングアウトの話を始めた。

「……長い、話になるわよ」


 …………


 奴隷が塚野と出会ったのは、賢太の店だった。
 当時田舎から上京し、パワハラ三昧のブラック企業でうだつの上がらないサラリーマンをしていた彼は、その日も死にそうな顔をしながら半ばやけになってSMバーに乗り込み……そこで塚野による初めての鞭打ちを体験してすっかり目覚めてしまったのだという。

 最初はただの女王様と客であり下僕だった二人は、彼の2年に渡る猛烈なアプローチの末愛を育み……それは主従としてではあったが……結婚という生涯に渡る主従契約を結ぶことを決める。

 だが、二人の本当の関係は互いの両親には秘密にしていた。

 奴隷はそもそも両親と離れて暮らしているから知られようが無いし、塚野は当時表向きは形成外科医として大学の医局に所属していたから、流石にバレるのはまずいと考えていた。
 別に医局に二足のわらじを履いていることがバレるだけならまだいい。だが塚野の父は、全国展開する美容外科チェーンの理事長だ、そちらにバレれば色々とまずいことになるだろう。

 だから、ただの恋人として互いの両親には紹介し結婚の承諾を得よう、カミングアウトはせずにあくまで家の中だけでひっそりとこの関係を続けていこうと決めたはずだった。

 なのに、そういうときに限って珍事は起こるものである。

『は……千花、お前なにを……?』
『塚野先生、今日は体調が悪いって言ってませんでしたっけ』
『えええ、父さんに医局長……!?いやいや何でこんなところに来てるんですか!!』

 よりによって、医局の納涼会を欠席してSMバーに女王様としてバリバリのボンデージ姿で鞭を片手に出勤していたら、そこに3次会だといって医局の男性陣と、どうやら途中で合流した父とが乗り込んできてしまったのだ。
 お陰で、大学時代から隠し通してきた裏バイトが全てバレ、ついでに結婚相手も「そういう関係」であることを白状した結果、医局からは追放、さらに実家とは絶縁する羽目になったのである。

 ただ彼らも、そういう店に来てしまった後ろめたさはあったらしい。
 追放と言いながらも口止め料として退職金は普通に出たし、医局を離れた後のバイトも斡旋して貰えた。
 さらに父親からはこのマンションをこれまた母親への口止め料と手切れ金として渡されたのである。

 ちなみに調子に乗った准教授に鞭を振るってドはまりさせた事は、多分一生忘れない。
 あれがあったからこそ、今でもバイトが途切れずにすんでいるのだ。なんなら准教授は教授に昇進した上、今でもうちのお客様だ。ありがたいけど凄く複雑な気分になるのは仕方が無い。

「……とまぁ、そういうわけでね。うちの方はカミングアウトさせられた状態だったのよ……隠して何とかしようだなんて、ホント考えが甘かったわ」
「いやそれ、考え以前にとんでもないところでバレてる事の方が問題では」
「何言ってるの、この業界いろんな意味で変態だらけなんだから。こういうことに興味を持つ先生がいたって全く不思議じゃ無いわよ」
「な、謎の説得力がありますね……」

 そんなこんなで失意、と言うほどでは無かったがまあ少々落ち込んでいた塚野に、奴隷は懇願したのだ。
 自分の故郷に来て欲しい、そして全てをカミングアウトしたいと。

「うちはど田舎のパセリ農家ですし、この世界のことなんて当然知りませんから、多分反対されて受け入れて貰えないと思います。でも……ハルはご主人様との関係を隠したくない。何にも悪いことをしていないから、両親にはきちんと伝えたいんです……ハルはこの関係を選んで、幸せなんだって」

 そう言われて、電車と飛行機と迎えの車を乗り継ぎ4時間かけてたどり着いた奴隷の実家で、自分達の関係を包み隠さず話した二人は、案の定「理解はできん」「何でそんなことに」「東京に行かすんやなかった」と両親を泣かせてしまう。
 ……自分達が住んでいるのは東京では無いが、彼らからすれば関東一円は全て東京扱いなのだそうだ。

 けれども、拒絶はされなかった。
「理解はできんし、もうここには来んといてほしい、近所の目もあるけん」とは言われたものの、今でも定期的に電話でやりとりはするし、こうやって息子のために……奴隷曰く「これは自分のためだけで無く、近所に配って周りの人と仲良くやっていって欲しいという田舎あるある」らしいのだが、何かと言えば地元の名産品を大量に送ってくる。
 なおビデオ通話は「怖いけん」と頑なに拒否されたままである。

「……ハルの方は元々勘当されて当然だと思ってカミングアウトしたからね。正直、この結末は予想外だったわよ」と塚野はしみじみ語る。
 そして「あんたたちは間違えちゃだめよ」と諭すのだ。

(ああ、それはお母さんにも言われたっけ)

「全てを包み隠さず、とまでは難しいかも知れないわ。それでも話せる限りを話して、筋は通してきなさい」
「……はい」
「私は、親に隠したままにしていたことは後悔しているの。親の立場を考えれば絶対に受け入れられないと勝手に決めつけて、隠し通そうとしたことにね。だからあんたたちは、先入観無く、誠実に話してらっしゃい。その結果どうなろうが……前にも言ったけど、私と賢太さんはずっとあんたたちの味方だから」
「はい……!」

(……自分達は恵まれている)

 3人は心の底から思う。
 かつての過ちを繰り返さないように、こうやって諭してくれる人がいる。
 味方だと、言ってくれる人がいる。

 だから、どんな結果になろうと、全てを伝えよう。

 同じ思いを抱いたことを感じ取ったのだろう、3人は顔を見合わせて頷き合った。


 …………


「さてと、じゃあそろそろやろっか」

 湿っぽい話はおしまいね、と塚野が別の部屋に奴隷と3人を連れていく。

 拘束台がどでんと置かれたこの部屋は、奴隷の処置室兼お仕置き部屋らしい、だから奴隷がちょっと怯えた様子なのか。

「はい、じゃああかりちゃん、貞操帯を脱がしてここにきっちり拘束するわよ」
「へっ」

 その光景に1年前の辛い出来事がよぎったのだろう、不安そうな顔をするあかりに「今回は大丈夫だから」と奏と幸尚が宥めながら、頭のてっぺんから足の先まで身動きできないようにベルトでかっちりとあかりを縫い付ける。
 もちろん、その足は大切なところを見せつけるかのように拡げられた状態だ。

(一体、何が……)

 それでも不安を隠せないあかりのところに、幸尚が何かを持ってくる。

「あかりちゃん、これを」
「これ……指輪…………じゃない……!?」
「あかりにプロポーズするなら、これだろ?」
「あ……あは……あははぁ……っ!」

 あかりの全身にぶわっと鳥肌が立つ。
 どくり、と胎の奥が疼き、蜜がこぼれ落ちる。

 幸尚が手にしていたのは、焦げ茶色のクマのぬいぐるみ。
 あのプロポーズの日に見た二つのぬいぐるみと同じ、あかりの髪色を模して作られたクマが両手に持つのはリングピロー。

 ……そこには、3つのリング状のピアスがキラキラと輝いていた。
 二人の誕生石が嵌め込まれた二つのリングと、それよりは一回り小さいあかりの誕生石付きのリング。
 3つとも明らかにこれまでより一回り太い。

「乳首は10G、クリトリスは12G。今までよりワンサイズ上げてある」
「あかりちゃん、今期の講義はもう終わっているのよね?なら家で痛みに耐えるだけの時間はあるわね」
「へっ」
「……最初に開けたときの状態を、覚悟してね?」
「あひぃ…………っ……」

 怯えた声を上げる、しかしそのあかりの蜜壺からは、歓喜の涎が滴っていて、ああ何の問題もなさそうだね、とご主人様たちはニヤリとするのだ。

(ほんと……あんなぶっといのを着けられるのに、私、嬉しくて……堪んない……!)

 リングピローから抜き取ったリングを消毒薬に浸け、元のピアスを外して乳首を消毒した塚野が手袋を装着する。
 まるで初めてのピアッシングの時のような厳重さに、心臓の高鳴りが止まらない。

 興奮からか涙と一緒に涎まで垂らしていることに、あかりは気付いていない。
 そんなどこまでも変態で、淫乱な可愛い幼馴染みを見つめ、二人は少しだけ緊張した面持ちで拘束台の隣に立ち、口を開いた。

「あかり。俺たちの奴隷として生涯共にあって欲しい」
「……奏様」
「生涯、僕たちの奴隷として、モノとして、大切に扱う事を誓う。だから……僕たちの奴隷になって下さい」
「幸尚様……っ!」

(初めてだ……初めて、二人の口から、求められた)

 あかりの頬を、新たな涙が伝う。
 これまでだって散々奴隷だ、俺たちのものだとは言われてきた。
 けれどこんな風に面と向かって、奴隷になって欲しいと懇願されたことは無かったのだ。
 いつもあかりが懇願して、二人に受け入れて貰う側だったのに。

(……お二人が、求めて下さる。奴隷としての、モノとしての私を……!)

 首が動かせないから、頷く事もできない。
 だから涙混じりの声で微笑みながら、答えを返すのだ。

「はい……奏様、幸尚様、あかりはお二人のモノです。どうか生涯、奴隷としてお仕えさせて下さい」
「……おう、ありがとな」
「うん、ありがとう、あかりちゃん」

(ああ、私は……これで正式に、生涯お二人の奴隷になれるんだ)

「……いくわよ」
「…………はい」

 拡張器に装着されたピアスが、鉗子で把持された右の乳首にそっと触れる。
 覚悟を決め、頷くと同時にぐっと押されて……途端、裂けるような痛みに襲われる。

「ぐっ……ああぁ……っ!!」

 そう、この痛みも、お二人が与えてくれたもの。
 お二人の奴隷として生涯飼って頂く、誓約の痛み。


(……ああ、幸せだな)


 痛みに泣き叫ぶあかりの、しかしその涙には歓喜の想いが込められていた。


 …………


「ううう、痛いよう……これ、歩いて帰れる自信がないぃ…………」
「それ、最初の時も言ってたわね。痛み止めが1時間もすれば効くからそれから帰りなさいな。あと乳首の方は出血もあったから……消毒はもう大丈夫ね?」
「おう、これだけやってりゃ流石に慣れるわ」

「初回ほどは痛まないだろうけど念のため」と痛み止めと消毒セットを渡される。
 今は痛みでそれどころで無いが、きっとこの傷が癒える頃にはこれまで以上に3つの枷からもたらされるじくじくした疼きに悩まされるのかと思うと、それだけで興奮してついごくりと唾を飲み込んでしまう。

「じゃあ、幸尚君のご両親が帰ってくる夏にカミングアウトするのね」
「はい。それまでには結論を出して報告します」
「ええ、良い報告を待ってるわよ、でも大切なことだからしっかり考えてね」

 そうだ、後これを持って帰りなさい、と塚野が台所から箱を持ってくる。
「手土産よ。この場合誰に渡せば……まぁいいわ、あんたたちどうせ3人で食べるでしょ」
「?おぅ。開けてみても?」
「いいわよ」

 綺麗な化粧箱を奏が開ければ、そこには淡い色の丸いお菓子がびっしりと詰まっていた。
 大きさはパチンコ玉くらいだろうか。白、緑、ピンク、水色……七色の丸い玉が可愛らしくて「うわ、綺麗」とあかりから思わず声が漏れる。

「へぇ、お菓子?あられかな」
「似てるけど食感は全然違うわよ、おいりっていうの」
「おいり……ふうん…………ちょっと食べてみよっか」
「おいおいさっきまで痛いって泣いてたのはどうなったんだよ!」
「お菓子は別腹だもん!」
「別腹も腹に付くけどね!」

 わいわいと賑やかにはしゃぎながら「ふわふわサクサクだね」「口の中で溶けちゃう」とおいりを頬張る3人を眺めていると「あの、ご主人様」と隣で床に正座していた奴隷が声をかけた。

「どうしたの、ハル」
「あれ、おいりってさっき……それは、んっ」
「…………だめ、それ以上は今話さない」
「……申し訳ございません」

 唇に指を当てられ窘められた奴隷は慌てて口を噤んだ。
 良いわよ、でもあの子たちには変に重いものを背負って欲しくないからね、と語るご主人様の顔は見ることができないが、きっと静かに微笑んでいるのだろう。

「あの子たちにとっては、ただのお菓子で良いのよ。お祝いはピアスの装着代だけで十分、ね」
「……はい」

 後にひょんな事からおいりの事を調べた3人は、その込められた意味に涙したという。
 それは、描く未来とは違えど同じように歪んだ関係を選んだ彼らへの、祈りと祝福。

「……きっとあの子たちは幸せになるわ、私たちみたいに、ね」
「…………はい、ハルはご主人様に飼って頂いて、すごく幸せです。……ご主人様が認めた子たちなら、絶対に幸せになれます」

 応援してるわよ、サンコイチ。
 その培ってきた全てを賭して、幸せを、祝福を、もぎ取ってきなさい。

 来るべき決戦の時が無事終わりますようにと、塚野はただ、静かに祈るのだった。
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