サンコイチ

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原点

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 僕の世界は、優しい人達に囲まれていた。

 泣き虫で、弱っちくて、いつも誰かに守って貰ってばかりで。
 そんな僕を誰も責めなかった。

 僕を嘲笑う声は、全部届かないように耳を塞いでくれた。
 僕を虐める手は、全部二人で叩きのめしてくれた。

 そうして、どんな僕だって世界一の子供に変わりは無いと、大切な幼馴染みだと、いつだって抱きしめてくれたんだ。

 たくさんの愛情を、溢れんばかりに注がれて……ただ受け取り続けて。



 けれど

 僕は、強くなりたかった。

 守って貰ってばかりじゃ無い。
 憧れの幼馴染みのように……大切な人を守れるヒーローになりたかったんだ。


 …………


 チリンチリンと、胸からぶら下がった鈴の鳴る音が聞こえる。

「んぼっ、おげぇっ……えほっえほっ……」
「ん、無理はするなよ?どうしてもダメなら握ってるブザーを鳴らす、分かってるな?」
「うえぇ……はいぃ…………」
「ん、じゃあ続けるぞ、口を開け」

 ご主人様の前に膝立ちになり、汗と涙と涎に塗れながら、あかりは必死で口を開ける。
 そこに突っ込まれるのは、奏の腰にペニスバンドで取り付けられた小ぶりのディルドだ。

 小ぶりと言ってもいつも着けられるペニスギャグに比べれば長さも太さも一回り大きくて、、挿入される度起こる嘔吐反射に涙が止まらない。
「とにかく今は異物に慣れればいい」と動かされることこそ無いが、本当にこれに慣れる日が来るのだろうかと、霞んだ頭でぼんやり思考する。

「ん、きついな。……尚、お腹揺すってやって」
「うん」
「……!!」

 もはや、乳首からぶら下げられた錘や後孔を結腸まで貫くディルドでも苦痛が紛らわせない様子を見て取った奏が、幸尚に短く指示する。
 その言葉に更に涙が溢れるも、口の中をいっぱいに埋め尽くされた状態では何も言えない。
 ……否、何も無くたって、あかりに反抗の選択肢は無い。

(いやっ、お腹揺すられるの……きもちいいっ、きもちいいけどっ、ご主人様たちのおちんちんが欲しくて頭おかしくなるのおぉっ!!)

 幸尚の大きな手が、あかりの子宮を外から揺する。
 蕩けてしまいそうな快楽の後からやってくるのは、あのお仕置きの絶望と、絶対に満たされない渇望の嵐だ。

 決して満たされないのに、高めるだけ高められて放り出される。
 これまでは貞操帯に守られているから、洗浄時以外に直接の刺激は無かったけれど、この手法はそんな守りすら飛び越えて、しかし限りなく直接に近いが決してそれに取って代われない、残酷な刺激をあかりに与え続けるのだ。

「うぶっ、んげぇっ……ぷはぁっ、んうぅぅ……!!」
「やっぱ喉の奥に大きい物を突っ込むのは慣れがいるよな」
「奏は未だに僕のを奥までは咥えられないもんね」
「尚のは凶器だからな!……ま、あかりにはちゃんと咥えられるようになってもらうさ」

 あかりの口を性器にする調教は、その負荷もあってゆっくりと進められていた。
 指で口の中に触れるだけで気持ちよくなれるように開発した後は、徐々に太い物を突っ込んで慣れる練習を繰り返している。

「今すぐ気持ちよくなれなくてもいい、卒業までには何とかなるだろ」と繰り返されるこの行為は、しかし少しでも快楽と繋げるために幸尚が必ず下腹部を押して子宮を揺さぶってくる。
 お陰であかりは、この調教の度に胎を中途半端に愛でられ、更にこの渇望が3年以上満たされない事実を突きつけられて絶望に涙を流すのだ。

「こうやって毎回揺らしてあげれば、あかりちゃんも自分を大切にすることを思い出せるでしょ?」と、幸尚がこれまた善意100%でこの行為を行っている分、余計にたちが悪い。
 お仕置きしても忘れるなら、定期的なリマインドは必須。そうすればあかりも無茶をしない、自分達も余計な心配を抱かなくてみんな幸せだと本気で思っているのだから。

「ひぐっ……ひぐっ…………奏様、幸尚様、今日もあかりを躾けて頂きありがとうございました……」
「おう、それじゃ洗浄……あーだめだこりゃ、あかりそのまま。椅子に拘束するからちょっと待ってろ」
「っ、はい……」

 椅子の上で股間を見せつけるように拘束され、ベッドサイドに置かれる。
 ここは二人のまぐあいを堪能できる特等席であると共に、あかりが欲しくて欲しくて仕方が無い……ご主人様達の雄芯を最も間近で感じられる、生殺しのための処刑台でもあるのだ。

「よし、っと……そのまま発情したまんこを見せつけながら泣いてろ。……尚、俺もう中が疼いて堪んねぇから先に……っ!」
「うん、今日もいっぱい愛でてあげるからね……大好き、奏」

 最近では、あかりの調教で昂ぶる度にその勢いのまま幸尚とセックスするのを繰り返してきたせいなのか、あかりを甚振っても胎の疼きの方が強く感じられるようになっていた。
 バイトでその性癖を満たす時はしっかり息子さんが臨戦態勢になるからそこまで心配はしていないが、このままだと3人で楽しむときにはしっかり勃たなくなりそうな気がしなくも無い。

(まぁ、尚のクソデカ愛情を受け止めてきた証なら……尚の前ではオンナノコになるのも、悪くないかな)

 明日は休みだから、思いっきり抱いてくれ。
 そう幸尚の耳元で囁けば、普段から大きい幸尚の幸尚様が、ぐんと質量を増した。


 …………


「幸尚様は、私じゃ興奮できませんか?」

 日増しに春めいてきたある日、いつものように二人の足下で寛ぐあかりがふと幸尚を見上げて尋ねる。
 いきなりの問いかけに「え、あ、あのっあかりちゃん!?」と幸尚があわあわしていれば「その、ずっと気になっていたんです」とあかりは心情を吐露する。

「幸尚様は、いつも私の望んでいるような……本当に人として扱われない、心を抉るような調教をいっぱいしてくれるじゃないですか」
「う、うん。あかりちゃんも奏も、あかりちゃんが絶望すればするほど楽しそうだしね」
「けれど……私は何も返せないんです」
「……あかりちゃん」

 あかりが快楽に悶える姿を見せれば、幸尚だって男だ、しっかり反応している。
 おっぱいが好きなのは変わりが無くて、理性を吹っ飛ばして奏を襲うことこそ無くなったけれど、柔らかい丸みをふにふにすれば鼻息を荒くしているのもいつものことだ。

 けれど、それだけ。
 幸尚はあかりを調教すること自体に、何の性的興奮も覚えない。

「分かっているんです。幸尚様は……その、そういう意味の変態じゃ無いから興奮できないのは仕方が無いって。けど、それじゃ私はずっと幸尚様から与えて貰ってばかりになってしまう」
「……僕は、十分あかりちゃんから貰っているよ?だって、確かに僕はプレイで興奮することは無いけど、あかりちゃんも、奏もいっぱい興奮して楽しんでいる。それだけで十分過ぎるくらい貰っていると思うんだけどな」

 幸尚からしてみれば、あかりがいなければ奏の性癖を満たせない段階で、それはそれはかけがえのないものをあかりから貰っているのだ。
 ただ間接的に貰っているからか、あかりに何度話しても本人はどうも納得しないようだが。

「だから何も気に病まなくていいんだよ。僕の幸せは、二人が幸せでいることだから」
「……はい」

 どこか納得はいかないものの、これ以上話しても埒があかないと思ったのだろう、あかりは話を切り上げて幸尚の足にすり、と頬を寄せる。
 すっかり奴隷として床での振る舞いが身についたあかりの甘え方に微笑みつつ、けれど幸尚の心の中にはずっと引っかかりがあるままだ。

(……僕は、何も変わっていない)

 あかりを奴隷として堕とすことについては何の異論もひっかかりも無い。それは3人で話し合って決めたことだし、何よりあかり自身が強く望んでいることを幸尚はよく知っているから。

 けれど、ご主人様として矢面に立つのはいつも奏だ。
 塚野や賢太とあかりのことを相談するときも、率先して動くのは奏で、幸尚はそれに付いていくのがいつもの形。

(僕だって……あかりちゃんを守りたいし、あかりちゃんに与えたいのに)

 あかりが貞操帯を着けて、ご主人様としてあかり守れる様になりたいと思い始めて早2年。
 過ぎし日にあかりが自分を守ってくれたように、自分もあかりを守りたい、あかりが全てを託せる背中になりたいと、幸尚なりに色々と試みてきたものの、現実はあまり変わらないように見えて。

 今だって、あかりは「守る側」で、幸尚をずっと気遣ってくれる。
 それが嫌なわけじゃ無い。ただ、自分もあかりを、遠い昔に憧れたあの背中のように、守れるようになりたいだけだ。

(はぁ、大人になるって難しい……)

 ちょっと落ち込みながらも、幸尚は手を動かす。
 かごに入った毛糸の玉から生み出されるのは、春らしい色のカーディガンだ。
 後ろ手に拘束された状態でも着せられるようにオリジナルの型紙を起こし、さらに大切なところはしっかり丸見えにする、幸尚があかりのためだけに考え出した服。

 季節が一周したから随分バリエーションも増えたけれど、何せ調教で汚れたり痛んだりするのもそれなりに早いし、何より一つ作れば改善点が山ほど出てきて更に作りたくなる、の繰り返しなのだ。
 ちょっと作りすぎだよなぁと思わなくも無いのだが、あかりを見ているとどうにも製作を止められない。

 一方で、服のみならず食べるものも、ピアスにぶら下げる錘付きのアクセサリも……自分だけのために手を動かしてくれる事をどれだけあかりが喜んでいるかを、幸尚は理解していない。

 いや、ちゃんとあかりは毎回その喜びをちゃんと言葉として伝えているのだが「ご主人様ならこのくらいは当たり前」と思っている幸尚にはどうも思ったより響かないらしい。

(幸尚様は、十分私に与えてくれているのに)
(僕はあかりちゃんから十分貰っているのに)



((自分はそれに見合うだけの物を与えられない))



 複雑な面持ちの二人を幸尚の隣で眺めながら、奏ははぁ、とため息をつく。

「……何だろうなこれは……三文芝居ってやつ?」
「奏?」
「ん、いや、何でも無い」

 互いに与えていることに気付かない見事なすれ違いっぷりに、奏はどう突っ込んでいいのか毎回悩んでいる。
 こう言うのは言葉で言ったところで伝わらないのだ。二人がどこかで互いに与え合っていると自覚しない限り、どうしようもない。

 もしくは、もっと彼らだけにしか無い新たな関係が生まれでもしなければ――

 と、奏のスマホの着信音が鳴る。
「叔父さんだ、何だろ」と電話に出れば、それはイベントの誘いで。

「いや待てよ叔父さん、いくら何でもそれは尚には……むぅ、そこまで言うなら……でも俺絶対に尚に無理させねぇからな!!」

 戸惑いつつも電話を切る奏に「どうしたの?」と尋ねれば、ちょっと言いにくそうな顔をしながら奏は賢太から2人をイベントに連れてくるように誘われたと話す。

「へえ、SMバーのイベントか……毎月何かしらやっているんだよね」
「おう。それで来月なんだけどさ」
「うん」
「人間家具のイベントをするから、3人で見物に来いって」
「へっ」

 人間家具。
 随分前にその言葉を聞いた記憶がある。
 確かあの時は、あかりちゃんの果てしない欲望の一つで、奏に「尚にはまだ早い」と言われたような気が……

「あの、それ……僕が行って大丈夫なイベント……?」
「いや……俺も正直自信が無い。尚が卒倒したらどうしようってちょっと怖い」
「ええええどんだけヤバいのそれ……」

 事前に調べてから行った方がいいかもと進言するあかりに「いや、それが何も調べずに来いって」と奏は困惑顔だ。

「叔父さんのことだから、初めての衝撃を味あわせたいんだろうけどさ……」
「…………幸尚様、骨は拾いますから」
「待ってあかりちゃん早速殺さないで」

 一抹どころでない不安を感じつつも、せっかくの誘いを断るのも気が引ける。
 何よりあかりは「いいなぁ……人間家具、私もされてみたいなぁ……」とうっとりしている。
 二人が楽しいのなら、自分も挑戦ぐらいはした方がいいだろう、そう幸尚は腹を括るのだ。

「奏、無理なら骨は拾って」
「やっぱり玉砕覚悟じゃねえか」

 大丈夫かなと心配になりつつも、幸尚のことだからダメな時はちゃんとダメって言えるだろうと、奏は賢太に参加の返信を打つのだった。


 …………


「ふわあぁぁ……凄い、凄いっ!あ、これハンガーなんだ!え、待ってあり得ないところから花が生えてるんだけど!!」
「ああ、そりゃ花瓶だな。触れずに鑑賞だけだぞ?」
「こっちのテーブルは実際にご利用いただけますよ-!」
「えっ、ここに物載せちゃって大丈夫なんですか!!?」

 そのイベントは、ドアを開けた瞬間からまさに異世界だった。

 卑猥なポーズを取った状態でミイラのように全身をぐるぐる巻きにされて、台の上に飾られている『オブジェ』がある。
 息ができるのか不安になれば「ちゃんと呼吸孔は開けてあるから」と奏が教えてくれる。

 四つん這いでアクリルの天板を背中に固定された、これまた全頭マスクで目も耳も塞がれた『テーブル』や、一体どうやってその形を保っているのか想像もできない『椅子』。
 奥には何人かで作った『ベッド』もあるらしい。

「……と、とんでもないところに来てしまった……」
「まぁそう思うよな……これも拘束の一種ではあるんだけど、万人受けするものじゃねぇし」

 しんどかったらちゃんと言えよと念押しして、奏は「奏様っ!私もテーブルになってみたいです!!」とはしゃぐあかりのお守りに向かう。
 そうかあかりちゃんはこう言うのもありなのか、本当に幅が広いというか、一体どこでそんな知識を手に入れたんだろうと物思いに耽りながら、『テーブル』に置かれたジュースを飲んでいるときに、ふと目に入った物。

(…………あれは)

 それは『椅子』の一つだった。
 女性が腰掛ける椅子の――恐らく中身は男性だろう、その筐体に肌色の部分はほとんど存在しない。
 テカテカと光るラバーのような物質で全身を覆われ、手足は革製のミトンを被せられている。
 何より特徴的なのが、その折りたたまれた手足だ。
 まるで肘から先、膝から先が無くなったかのようなフォルム。
 その『先端』にはクッションだろう、分厚い蹄のような物が取り付けられている。

 口にはまるで犬のマズルのようなものを着けられている。きっと中には口枷があるのだろう。
 尻からはふわふわの尻尾が生えている。あれは恐らくアナルプラグだ。店内が騒がしいから聞こえないだけで、時折身体をひくつかせているから、もしかしたらバイブなのかもしれないが。
 本来耳のある場所はのっぺりとした黒い革で覆われ、その代わりに獣の耳が頭に取り付けられていて。

(……何だろう、あれ……)

 不思議な物体……そう、とても人には思えない、ある意味最もここにある人間家具の中で『モノ』らしい何かに引き込まれていると「あれはヒトイヌだな」と隣から見知った声がした。

「あ、賢太さん。お邪魔してます」
「おうよ、どうだ?楽しんでいるか?」
「え、ええと……僕には100年早い世界かな、なんて……」
「ははっ、そりゃまた随分だな!」

 賢太は豪快に笑い、しかしニヤリとして「だが、あれは気になるんだろう?」とさっきまで凝視していた『椅子』を指さした。

「……そっか。うん、気になるんだ」
「おうおう自覚なしかい」

 賢太の指摘に、やっと自分がその物体に強く惹かれていることを自覚する。
「興奮するかい?」と聞かれて慌てて股間を見下ろすも、そっちは大人しくしているようでちょっと安心しながら「いえ、別に」と答えた。

「ふぅん……なぁ、幸尚君」
「はい」
「……興奮ってのはな、別にちんこがおっ勃つだけじゃねぇんだぞ?」
「どういう意味ですか?」

 戸惑う幸尚に、あれを見てどう思うと賢太が感想を促す。
 ……それに応じて出てきた言葉は、自分でも驚くほど流暢、かつ膨大だった。

 以前塚野の奴隷をモニター越しに眺めたことはある。
 だから全身拘束自体を見るのは初めてでは無い。
 けれども、ここにいるどの家具よりも、あのただの真っ黒な椅子は鮮烈な美しさを放っている。

 完全な無機質に覆われた物体で、拘束により外表のみならず機能としても人間の定義を失いながら、しかしその中には明らかに命が息づいている。
 人をモノとして作り上げるならあの耳と尻尾は余計な飾りに思うけれど、それでもあの椅子は誰よりもモノらしく、誰よりも……その内にある命の美しさと欲望のドロドロしたものを想起させられて、つまりモノとして美しいのだと。

 幼い頃から手芸が好きだった幸尚は、これまでも沢山の作品を作ってきた。
 作品には制作者の魂が宿ると言うけれど、自分の作ったぬいぐるみに宿るのは自分の魂じゃ無くて、別の命が宿ればいいのに、そうしたらお友達が増えるのに、なんて何度思ったことか。

 あれは、まさに自分が作りたかった『命があるモノ』なのだ――

「でもどうせ作るならあの頭のマスクも首から下と同じ素材が……って、すみません長々と」
「いやいやいいさ、こりゃ随分とご執心だな」

 こんなに一気に話したのなんて、一体いつ以来だろう。
 手芸店のイベントでだってこんなに饒舌に喋ることはないというのに。

 自分で語りながらもどこか戸惑いを隠せない幸尚に、賢太は「見つけた」とニヤリとする。
 そしてずっと探し続けていた答えを幸尚に披露するのだ。

「うん、幸尚君のSMの要素はこれなんだな」と。


 …………


 ――あの衝撃的なイベントから、1週間が経った。

 今日も講義が終わり、奏の迎えをのんびりと待つ。
 幸尚の運転はあの一件以降「練習しなきゃ上手くはならねぇけど、ちょっとずつ、な!!」と二人に押し切られたお陰で、バイトに行くときだけ運転する状況だ。
 確かに運転をするとちょっと開放的な気分になるけれど、もうちょっと信頼してくれてもいいのにと思わなくも無い。

 しかしスマホで暇つぶしをしていても、脳裏に浮かぶのはあの『椅子』のこと。
 気がつけば画像を検索し、そして「これじゃないよな……」と独りごちる。

 あの時、いつまで経っても戻ってこない二人を待ちがてら賢太と沢山の話をした。
 それはあまりにも驚きに溢れていて、正直なところまだ自分の中で整理が追いついていない。



「SMの要素、ですか……?」
「ああ。誰だってひとつやふたつくらいは、この世界に繋がる素質を持っているもんでな。幸尚君は恐らく拘束系のどれかだろうとは思っていたが……人をモノにする事に強く惹かれるんだな、君は」

 モノになるのでも、モノを使うのでも無い、モノを作る側。
 幸尚の中に芽生えたこの世界への縁は、どこまでも彼らしい切り口だった。

 ちなみにあの中に奏がいるとしたらどう思うんだい?と尋ねれば、途端に真っ赤になって俯く。
 そんな幸尚に、ああ、君の股間は本当に奏に一途なんだねと賢太はどこか嬉しそうに笑うのだ。

「いやあ俺としては嬉しいよ、可愛い甥っ子をそこまで想ってくれるだなんてな!」
「っ、でも僕、奏をあんな風にしたいとは思わないです……」
「だろうな。それは奏が望まないからだろう?……あかりちゃんは、望むんじゃ無いのか?」
「……そ、それは……っ」

 ギョッとして凍り付く幸尚に「まあ焦る必要は無いさ」と賢太はその背中をポンポンと叩く。

「まずは色々と見てみるといい。その上で、君が思うように動いてみればいいさ」
「……そういうもんですか」
「そういうもんだ。困ったことがあればいつでも相談に乗るからな」

 けれど、どうしてこんなことを。
 話の感じからして、まるで賢太は幸尚がこの世界の何かに目覚めるのを待っていた様に思える。
 全くのノーマルなご主人様では、あかりがかわいそうだと思ったのだろうか。

 そう問いかければ「君のためだよ」と賢太はどこか慈しむような視線を向ける。

「……君は、いずれ奏と結婚するんだろ?」
「え、あ、あわわ……は、はい……そのつもり、です…………」
「忘れてるかもしれないが、君と奏が結婚すれば、俺は君の親戚になるんだぞ」
「あ」

 そうでなくても、SMバーの経営を引き継ごうとしている奏と結婚するのだ。
 パートナーだからそちらの知識に明るくなければならない、なんてことは無いけれども、このとてつもなく愛が大きくて重い、なのに臆病な彼が奏と添い遂げるには、きっとこちらの世界との繋がりがあった方がいらぬ不安を抱かなくてすむだろう。

「可愛い甥っ子とその配偶者、そして奴隷ちゃん。みんな幸せになって欲しい、それだけさ」

 さあ、機は熟した。
 君たちのサンコイチの輪を、完成させておいで。

 そう心の中で幸尚を励ましつつ、賢太は当惑しつつも未だあの椅子から目が離せない幸尚を眺めるのだった。



「あ、尚くんもう終わってたんだ」
「あかりちゃん。今日は遅かったね」
「うん、課題が思ったより難しくってさ」

 実習を終えたあかりが、幸尚を見つけて駆け寄ってくる。
 家に帰れば主従となり常に敬語を欠かさなくなったあかりだが、外ではちゃんと幼馴染みのまま、くだけた話し方に切り替えている。
「ここまで良く切り替えられるよね」と二人が感心すれば「だって演技派だからね!」と胸を張って嬉しそうに笑うのだ。

 ドロドロに溶けたあかりちゃんの恍惚とした顔もいいけど、やっぱり僕はこの眩しい笑顔が好きなんだよなぁ、としみじみ思う。

 と、あかりが幸尚の膝の上に置かれたスマホに気付いた。

「ん?尚くんそれ何見てたの?」
「え」
「……え、うわ……尚くんが、これを見てたの……!?」
「わあああああお願い見ないでえぇぇぇ!!!」

 スマホの画面に表示されていたのは、黒い革とラバーで満たされた画像検索の結果画面。
 てっきり好きな作家さんのサイトでも見ているのかと思っていたあかりも、この画像にはぽかんとする。

(えええ、尚くんがこんなのを見るの……!?)

 しかし幸尚の涙混じりの悲鳴にあかりは我に返って「だ、大丈夫だよ尚くん!!」と慌てて幸尚を慰める。
 ここで下手なことを言ってはいけない。そんなことをしたら幸尚のことだ、しょんぼりして暫く部屋に引きこもりかねない。
 何より……これまでプレイの勉強や自分達を知るために、必要に駆られてしか見なかったこういう情報を、何故かは分からないが幸尚が自主的に見ているのだ。

 これはもしかしたら、自分に与えられるものができるのでは無いかという直感を、あかりは信じることにする。

「尚くんは、こう言うのに興味がある?」
「え、あ、えっと……その、あるんだけどちょっと違ってて」
「…………やってみたいとか?」
「やってみたい……プレイを?それはないかなぁ」

 賢太さんには「作る側」だって言われたんだけどとつれつれとこの間の話をあかりに明かす。
 そして、あれからずっと『椅子』のことが頭から離れないこと、検索して色々と眺めているけれど、どれもピントがずれていて何か違うと感じることも。

「画像も動画もいっぱい見たんだけどさ、どれ見ても中の人に……その、色々突っ込んだりとか付けたりとかして鳴かせてるんだよ」
「うん、まぁそういうプレイだしねぇ」
「そう言うのは要らないんだ。素材はただそこにあればいいんだよ、余計な成分を足して欲しくない。表から見て一目で生き物だと分からない、けど確かに中に命があるのが良くて」
「……そっか、尚くんはそう言うのを自分で作りたいんだ」
「…………!!」

 目を丸くする幸尚の様子に「まさか、気付いてなかったんじゃ」と問いかければ「そういうことだったんだ……」とどう見ても今まさに気付いたばかりのような反応をする。

「作る側ってどういうことかピンと来てなかったんだよ。そっか、僕は自分の作品を……自分が美しいと思う形のモノを作りたいんだ」
「ふふ、尚くん興奮してる」
「え、ちょ、いや反応はしてないからっ!!」
「おちんちんが反応しなくたって興奮はしてるでしょ?今の尚くん、生き生きしていて素敵だと思うよ」
「……っ、そう、かな…………」

 そうこうしていると、「おーい早く乗れよ」と奏の声がする。
「あ、もう来てたんだ、行こう!」と先に立ち上がり手を差し伸べるあかりを見上げた瞬間、幸尚は気付いてしまった。

(……理想の素材が、ここにあった)

 ああ、この眩しい人をこの黒い覆いに閉じ込めて作る作品は、どれだけ素敵だろう。

 あの沢山の画像を見ながら、ずっと思い描いていた理想の作品とその素材。
 それが目の前で輝き、手を伸ばしている。

(そんな……僕は)

(守りたい人を……自分の欲望を叶える素材として見てしまっているんだ)

 ……余りにも歪んだ願望に愕然とする。
 幸尚の世界の全てが、色を失い止まった気がした。


 …………


「……なぁ、あかり。尚なんか大学であったのか?めちゃくちゃ落ち込んでたんだけど」
「車に乗るまではずっと元気でしたよ。乗った途端にショックを受けたような顔をしてましたけど」
「まじか、俺なんかしたっけな……」

 あれから家に戻り、幸尚はそのままバイトに向かう。
 さっきまであれだけラバー拘束やらヒトイヌやらの画像に興奮して熱く語っていた幸尚が、車に乗るや一転して深刻な顔つきで押し黙ってしまったのを、あかりは「何かまずいことを言っちゃったかな」とちょっと気にしていた。

「奏様、あの、実は……」

 これは多分、3人で共有した方がいいことだ。
 そう思ったあかりは講義後のやりとりを奏に話す。

 まさか幸尚がそんな物を見ていて、しかも作りたいと思っているだなんて……と最初こそ衝撃を受けた奏だったが、なるほど賢太が言っていた「素質」はこれだったのかとどこかで納得もしていた。

「あれかな、自分がノーマルだと思っていたのに変態だったって気付いてショックを受けたとか……」
「奏様と私、大概な変態が側に二人もいて今更ショックは無いように思うんですけど」
「ひでぇ言い方だな。ま、でもそっか……むしろこれで俺たちに近づけたって尚なら喜んでも良さそうなのに」
「ですよねぇ、人間家具やヒトイヌや全身ラバー拘束なら大好物なのに」
「あかりはちょっと自重しろ、むしろあかりにNGプレイなんてあるのかよ」
「…………ううんと……食糞とか、リョナとか?」
「んな論外なもんやるわけねぇだろ!!」



 こりゃ帰ってきたら問いただすしかねぇな、と二人が話している頃。

 幸尚はいつもの手芸店で、しかし心ここにあらずと言った様子で働いていた。
 店長も珍しくぼんやりしている幸尚に心配そうだが、幸い今日はお客も少なそうだしそっとしておくことにしたようだ。

(……人工皮革なら、手は出せるよな…………うち、革の取り扱いは少ないから店長に相談すれば……って、僕は何を)

 在庫をチェックしながらも頭の中に浮かぶのは、あかりをどうすれば一番美しい作品にできるかという妄想ばかり。
 こんなの、だめなのに、と幸尚は慌ててかぶりを振る。

(よりによって、あかりちゃんを素材にだなんて……僕は何てことを考えたんだ)

 創作意欲が止まらない。
 そして、罪悪感も……止まらない。

 あかりちゃんを守りたいのに。
 奏とは違うベクトルで大好きで、どこまでも大切にして、沢山幸せにして、ずっと笑顔でいてほしいのに。
 今、自分の中に渦巻くこの創作への熱意は、そんなあかりの全てをただの素材として消費して、押し込めてしまう。

 そんなこと、許されるはずが無い。
 いくらあかりちゃんが底なしの変態だからって、快楽を与えることすらしない完全なモノ扱いなんて、彼女を苦しませるだけだ。

(忘れよう。きっとそれがいい。……頑張って、忘れるんだ)

 幸尚は気付いている。
 その情熱は、一目惚れに近い欲望は、そう簡単に消し去る事なんてできないことに。
 特に自分には、普段はそこまで何かに執着しない一方、一度これと決めてしまえば何が何でもそれを貫き通す悪癖がある。それで一体何度奏を泣かせてきたことか。

 それでも、無理かもしれないけれど、この想いは絶対に出しちゃいけない。
 ……あかりを傷つけたくない。
 もう欲望のままに突き進んでいい子供じゃ無いんだ、あかりちゃんを守るためにも、忘れよう……

 そう決意して帰宅したら、事は思わぬ方向に進展していた。



「ただいまぁ……えっと、奏?ん……」
「おかえり尚、ほら、こっち座って」
「へっ」

 帰宅した途端に玄関で待ち構えていた奏に抱きしめられ、キスの雨を降らされる。
 戸惑いつつも息子さんはそれだけで臨戦態勢だ。これは奏が可愛いから仕方が無い。
 そのままソファになだれ込み、珍しく積極的な奏と口づけを交わす。

「ん……んふ…………どうしたの、奏?」
「いや、あのさ……尚、俺らでできることなら何だって協力するから」
「え」

 嫌な予感がする、と床の方を見れば「ごめん全部喋っちゃった」と言わんばかりの顔をしたあかりと目が合う。
 まさかたった数時間の内に、全力で隠す予定の秘密がバレバレになっているとか。

 いや気持ちは分かる。自分だって奏やあかりが黙りこくって落ち込んでいたら、やっぱり相談していただろうから。
 でも、これは知られたく無かったなぁ、と幸尚は大きなため息をついた。

「……ありがとう、でも大丈夫だから」
「いやいやあの顔は大丈夫の顔じゃねぇだろ。……俺らに言えないことか?」

 ……言えるわけが無い。
 あかりをあんな風にしたいと思っているだなんて。

 俯く幸尚に、しかしあかりは相変わらず天然で鋭い。

「あの、幸尚様」
「……なに?」
「私を作品にしたいって、思ってますか?」
「っ!!」

 途端に顔色の変わる幸尚に、ああやっぱり、とあかりは得心する。
 幸尚の一変した態度からして、あかりにはそれしか思いつかなかったから。

「それは……」と口ごもる幸尚に「いいじゃん」と奏はあっけらかんとしたものだ。

「元々あかりは全身拘束も人間家具もヒトイヌもやってみたいって言ってたんだし、やってみりゃいいんじゃ」
「でも、僕が考えているのは、その、プレイじゃ無いんだよ?」
「いやいや、ただ放置するのだって十分プレイだって!別に絶対何かしら刺激を与えなきゃいけないわけじゃねえんだからさ」
「そ、そういうもの……?」

 だから大丈夫だって、と勧めるも、幸尚は頑として首を縦に振らない。
 そしてぽつりと零すのだ。

「……だって、そんなの……あかりちゃんを、大切にできない……」
「…………あ」

 ああそういうことか、と二人は何故ここまで幸尚が頑なに自分の欲望を押し込めようとするかを理解する。

 幸尚の感覚は、これだけ自分達の歪んだ世界を受け入れているにもかかわらずノーマルなままなのだ。
 奏やあかりが喜ぶための調教はできても、自分の欲望であかりをないがしろにすることはできない。

(きっと尚にとって、これは『あかりを守るご主人様』からは外れてしまうんだ)

 奏からすれば、あかりがその扱いを望んでいるなら自分のポリシーなんて少々曲げたって何てことは無い。
 けれど、長い付き合いだから、そして同じ男だからよく分かるのだ。

 ずっとあかりに守られてきた幸尚にとって、あかりを守るというのは何よりも大きな目標なのだと。

 これは長期戦かな、と奏は覚悟を決める。
 急ぐ必要なんて無い、幸尚がそんな歪んだ創作欲を持っていたからって、ここにそれを咎める人はいない。
 だから、幸尚の心が受け入れられるまで見守ればいい。

 いいはずなのに

「……あああああもうっ!!!」
「あ、あかり!?」
「奏様!今だけ口調を戻すから、ね!!」
「お、おおぅ!?」

 幸尚の煮え切らない態度に爆発したのは、あかりの方だった。
 そうだよあかりは思いついたら即断即決即実行じゃねぇか、今までそれでどれだけ俺たちを振り回して泣かせてきたと思ってるんだ!と、最初にあかりを止めなかったことを奏はちょっとだけ後悔する。

 まぁ、今更後悔したってもう遅い。
 賽は投げられたのだ。

「あのね、尚くん!」
「はっ、はひっ!!」

 ずいっとあかりが近づく。
 そしてその胸の谷間に幸尚の顔を思い切り押しつけた。
 むにっと柔らかいマシュマロの中で、幸尚が硬直する。

「@&■#△*%$◎――!!」

 なるほど、両手が後ろで拘束されていて抱きしめられないからってそう来たか。
 どうすんだ、尚が完全にパニックに陥ってるじゃねぇか。

「私が!!されたいの!」
「もご、ふがっ……」
「尚くんがどうか、じゃないの!私が尚くんにモノにされたいんだよ!!」

 やっと見つけたのだ。
 どうしてもこの性癖の悦びを分かち合えなかった心優しいご主人様と、繋がる鍵を。
 なんとしてもこのチャンスを逃すわけにはいかない。

「だからっ」

 あかりは必死に想いを伝えようとする。
 私だって、尚くんに与えたいんだと。
 ……残念ながらその熱い想いは今の幸尚には届いていないだろう、主にその胸のせいで。

「えーとあかり、そろそろ顔から離れてやれ。そのままじゃ尚が窒息死するか腹上死する」
「え、あっ、ごめんね!?生きてる尚くん!!?」
「……おはなばたけが、みえるぅ……」
「うわあぁぁぁごめん尚くん死なないでえぇぇ!!」


 ――10分後。


 ようやく正気に戻ったものの「天国と地獄を一緒に見た……」とちょっと呆けた様子の幸尚にあかりは平謝りだった。

「ごめん!ほんっとーにごめん!!ぎゅってしたかったの!」
「うん、気持ちは伝わったから、大丈夫」
「でさ」
「いやあかり、どうしてそう間髪入れずに話を進めるんだ!?」
「いいじゃん!こういうことはちゃっちゃと進めるの!!……尚くん!」
「っ、はいっ」

 床に正座するあかりに釣られて、幸尚もいそいそと床に正座する。
 あかりは幸尚の目をまっすぐに見据えて、その想いの全てを言葉に乗せた。

「……私が、尚くんの手で、モノにしてほしいの」
「あかりちゃん……」
「だから……私という素材を渡すから……とびっきり素敵な作品にして、ね!」

 にっこりと笑うあかりは、どこまでも眩しい。
「いいの、かな……」と幸尚が震える声で呟けば「いいんだよ!」と明るい声が返ってくる。

「……怖くないの?だって……あんな、完全に人じゃ無いモノにされるんだよ?なのに」
「んー、怖くないと言ったら嘘になるかな。あれ目も耳も口も塞がれるでしょ?」
「う、うん。少なくとも僕はそうするつもり」
「でもね」

 尚くんだから、全部預けられるんだ。

 そう笑ってはっきりと断言するあかりに、「え」と幸尚は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 もう、なっていたんだよ。
 そうあかりの笑顔が語りかけてくる。

 尚くんは、私が全てを託せるだけの、ご主人様になっていたんだよ、と。


(……ああ、そっか)


 ずっと、誰かを守れる人になりたかった。
 憧れの幼馴染みのように、かっこよく、剣のように、盾のように守りたいと思っていた。

 憧れて、奮闘して、けれども道は遠くて、落胆して。
 そうやってもがいているうちに手に入れていたのは……思い描いていたものではない守り方。


「尚くんはさ、奏ちゃんの暴走をきっちり止めてくれるし、何より……どんなときでもずっと側に、共にいてくれるじゃん」
「あかりちゃん……」
「何も押しつけずに、受け入れてただ側にいてくれる……私はもう、いっぱい尚くんに守って貰っているんだよ」

 守り方は、ひとつじゃ無い。
 何も固執する必要なんて無かった。
 思い描いた、かっこいい姿じゃ無かったけれど……自分にしかできない守り方を持っていたのだ。

(そっか)

(僕は、あかりちゃんをもう守れていたんだ)

(そしてあかりちゃんはもうずっと前から、僕に託してくれていたんだ――)

 ぽたり、と雫が床に落ちる。
 ひとつ、ふたつ……大粒の涙が幸尚の頬を伝い、こぼれ落ちていく。

「ひぐっ、ひぐっ……うあああ……っ!!」
「ふふっ、尚くんの泣き虫は直らないねぇ」
「そりゃ尚だもんな。……大丈夫だって尚、もうお前は立派にあかりを守れるご主人様だ」
「うん……うんっ…………!」

 泣きじゃくる幸尚を奏が抱きしめ、あかりがそっと寄り添う。
 幸尚の……優しいご主人様の世界は、今まさに色を取り戻し、鮮やかさを増し生まれ変わったのだ。


 …………


 それからの幸尚の行動は早かった。

 丸々1週間、熱心にあちこちのサイトを巡って「こんな風にしたいんだけど」とあかりに話を持ちかけてきたのが3日前。
 あかりと奏の承諾(もなにも賛成しか無いのだが)を得たと思ったら、早速自ら賢太にアポを取って、講義も休み一人で『Purgatorio』を訪ねていた。

「賢太さん、僕、あかりちゃんのためだけの装具を作りたいんです」
「……そうか、いい感じに話は進んだみたいだな」
「えっと……いい感じかどうかは分からないですけど、多分……?」
「いや、大丈夫さ。君のその顔が全てを物語っているから」

 きょとんとする幸尚は、自分の変化には気付いていない。
 全く、男子三日会わざれば刮目して見よとはよく言ったものだと、賢太は何かから解き放たれたような幸尚の姿に(一つ大人になったな)と感慨深さを感じていた。

「で、装具って何を作るんだ?」
「ええと……これだけあるんですけど」
「どれどれ…………ちょっと待った、これ、全部作る気か!?自分で!!?」

 そこに上がっているリストに、流石の賢太も目を丸くする。
 キャットスーツに始まり、ラバーの手袋と全頭マスク……極めつけはコルセットと手足を折りたたむ、所謂ヒトイヌ拘束具。

 いくら何でもこれは大変すぎないか……?と尋ねれば「そうですね」と幸尚は涼しい顔だ。

「革製品はほとんど作ったことが無いですし、ラバーは未知の素材で」
「えええほとんどってレザークラフト経験者!?幸尚君、思った以上に謎のポテンシャル持ちだな!」
「その、昔……両親と仲直りするときに、バッグと財布を。でもそれだけです」
「……おいおい中学生の発想とは思えないな……そうか、じゃあ物作りには慣れているんだな」
「はい。でもメインはぬいぐるみと洋裁ですし、流石にこの手の装具はさっぱり分からなくて」

 だから、専門家を紹介して貰えませんか?と幸尚は頭を下げる。
 その熱意に(ああ、なるほど奏がしょっちゅう抱き潰されるのも分かるな)と賢太は心の中で一人納得していた。

(この子の愛は、大きすぎるんだ。きっと沢山の人たちから目一杯愛情を注がれて育ってきて、愛する基準が爆上がりしたせいで愛を与える加減を知らないから)

「市販品を買った方が安くすむし、ちょっと金銭的に頑張れるならオーダーメイドって手もあるぞ?」と勧めながらも、きっと幸尚は自分で作ると言うだろうなとどこか確信する。
 むしろその方がいいかもしれない、これほど大きい愛情は奏とあかりに分散させた方が、可愛い甥っ子の尻を守れるに違いないから。

 案の定「僕の手で創ってみたいんです、全てが作品ですから」ときっぱり宣言する幸尚に「それなら」と賢太は目の前で電話をかけ始めた。

「……ご無沙汰しています、中河内です。……ははっ、元気で何よりっすよ、ところでちょっと相談が……」

 どうやら相手はこの世界の装具を作っている職人らしい。
「ありがとうございます、では」と電話を切った賢太はグッと親指を立てた。

「いいってよ、一度見学に来て話をしてからになるけど、装具作りを教えてやるって」
「!!本当ですか!ありがとうございます!」
「なに、まだ決まったわけじゃねぇからな?気張ってこいよ!あとラバーはこの店にアポ取って行ってみろ、必要な物は全部揃うし、不定期に講習会もやってる」
「はいっ!」

 喜びを隠しきれない様子で連絡先のメモをキラキラした目で眺める様は、まだまだ子供っぽさを感じさせる。
 この子の素直さと一途さは、きっと職人堅気な連中には受け入れられるだろう。

(眩しいな、俺にもこんな頃があったっけ)

 人よりは自由気ままに夢を追い続けている自信はあるが、それでも若さ特有の向こう見ずな輝きには勝てねぇなと一抹の寂しさも覚えつつ、しかし新たな縁を、未来を繋げたことに賢太はどこか満足感を覚えていた。

 何より、この世界に飛び込みながらも繋がる糸口の見つけられなかった彼が、ようやくその一歩を踏み出し3人の世界を完成させられそうなことが嬉しくて。

「……こりゃ千花にも報告して、今日はパーッと飲むかねぇ」

 何度も頭を下げながら店を去る幸尚の背中を見送りながら、賢太は塚野の連絡先をタップするのだった。


 …………


 あれから、実に半年の時間が過ぎた。

 学業とバイトをこなしながら、休みになればやれ『師匠』のところで勉強するだ、ラバーの講習会に出てくるだと、幸尚は多忙な日々をこなしていた。
 革職人の師匠はすっかり幸尚の熱意を気に入り、今では工房の一角に幸尚用の道具を置かせて貰っているほどである。
「卒業したら、就職せずに装具作りの道に進むのもいいかな」なんて言葉が出るくらいには幸尚もすっかり創作に嵌まっている。

 あかりの全身を採寸し、時には工房に連れて行って試着させ(もちろん終わった後はご褒美のケーキ付きだ)、少しずつ、少しずつ『作品』に必要なパーツが出来上がっていく。
 物によっては「どうも気に入らないから作り直す」と最初から作り直した物まである。材料費が非常に心配だが、どうやら幸尚はバイト代から折半している生活費を除いた全額を、この作品のために投入しているらしい。

「あの、奏……ごめんちょっとこの部分仕上げてから寝たいから」
「おぅ、心配するな。むしろがっつり頑張れ」
「ありがとう。ん……おやすみ」

 しかし何よりも驚きだったのは、あの幸尚が夜の誘いをしない日ができたことである。
 奏から誘えば確実にベッドに押し倒されるが、そうでなければ制作や勉強を優先する事も増えた。
 ……増えたと言っても、週7日のセックスが週5日に減ったりちゃんと暴走せず3回戦で終わるようになったくらいで、奏にとってはむしろ休肝日ならぬ休尻日ができてちょうどいいかもしれないと思っていたりする。

「なんつーか……改めて尚の愛の重さを知ったわ……」
「私も愛されてるんですね……奏様とは違う形だけど」
「愛されまくってるな。というか2人でもまだ両手に余りそうな勢いじゃねえか、あのばかでかい図体に愛情詰め込みすぎだろ」
「まぁ、私たちも詰め込みまくった張本人ですし」
「違いない」

 自分はとても恵まれていた、と幸尚は語る。

 うちの子は世界一だと公言してはばからない親バカな両親は、男の子が興味の持ちそうな物には見向きもせず、砂場に行ってはままごとに興じ、家ではぬいぐるみやお人形とばかり遊んでいた幼い幸尚を「幸尚が楽しいと感じている事が一番」だと決して否定せず、親戚からの心ない言葉からもずっと守り続けてくれた。

 兄弟のように育った奏やあかりは、早生まれで身体も小さめだった幸尚からすれば同い年でも「兄」や「姉」に近い存在で、幸尚が虐められていると聞くやいなや相手を口でけちょんけちょんに叩きのめし、ドロップキックをかますようなちょっと過激な守り方をしてくれた。

 礼儀作法にうるさく非常に厳しかったあかりの母ですら「男の子なんだからもっと強くなりなさい」とは一度も言わなかった。
「幸尚君は幸尚君のペースで育てばいい」と、稽古は厳しかったがいつも見守ってくれていたのだ。

 そうやって、沢山の人から守られ、育てられ、愛情を一身に受けて育った幸尚は、非常に愛され慣れている側面を持つ一方で、周りの人たちのように誰かを愛したくて堪らない青年に育ったのだ。

 ずっと満たして貰った物を返し、また繋いでいく。
 幸尚にとって当たり前のこの愛情は、きっと普通の人にはちょっと重すぎるのかもしれない。

 けれど、幸尚が選んだのは奏だった。
 そして今、あかりとの間にも新しい関係が築かれる。

 だから、どんなに大きな愛情だって、全部受け止められる。受け止めてみせる。
 自分達の歪んだ世界に飛び込んできてくれた優しい幼馴染みに祝福を。

「さ、今日も尚は遅くなるって言ってたし……何やるかなぁ」
「あのっ、久しぶりに奏様の鞭を頂きたいです!」
「お、いいぜ。こないだ俺専用のバラ鞭を買ったから、慣らしがてら打つか!」

 二人はその日を心待ちに、いつも通りの生活を営むのだった。


 …………


「……てわけで、これを全部装着した状態で、このテーブルの上に飾ろうと思うんだ」

 製作の合間を縫って、幸尚はあかりをどう作品に仕上げるかを事細かに説明していく。
 幸尚の中にはそれがプレイであるという認識は薄いようで、それ故に素材となるあかりには全てを説明し納得の上で作品になって貰いたいという想いがあるようだ。

「飾る、ってことは動いちゃダメですか?」
「そうだね。僕が作りたいのは家具と言うよりは……純粋に飾る物なんだよ。今回は素材の良さを生かしたオブジェだけど、いつか花瓶も作ってみたいなって。あかりちゃん、身体も柔らかいからいろんな形で作れそうだし」
「となるとテーブルに固定?てかヒトイヌの拘束具ってあの足で長時間立てるのか?」
「固定はしない。あとテーブルの上に体圧分散のクッションは敷くつもりだよ。拘束具の底にもしっかりクッションはいれてあるし、そんなに長時間飾るつもりは無いから。あ、写真は撮るからね!」
「ひえぇ……こ、公開はちょっと……」
「公開されたところでのっぺらぼうだから特定はされねえんじゃ」
「あ、確かに」

 不安なこととかあったらどんどん言ってね!とあかりに話す幸尚は、20年近い付き合いの中でも見たことが無いくらい生き生きしている。
 創作に燃えているのもあるだろうが、やはりあかりが自分の背中を頼ってくれるという事実は大きかったのだろう。

「……幸尚様が、急に大人になった気がします」
「分かるわ。……もう、俺らの後ろに隠れて泣いている尚じゃねえな」

 まるで自分の背を追い越されたときのような嬉しさと寂しさを二人は感じていた。
 でも、これでいいのだ。
 守るだけの、守られるだけの関係では、きっとどこかで疲れてしまうから。

「俺らも、大人になれるかな」
「……なれますよ。私だって、立派な奴隷になりますから」
「あかりはホントにブレねぇよな!」

 ……そして、朝晩に秋を感じるようになってきたある日。
 とうとう幸尚の口からその時が告げられた。

「……あかりちゃん、奏、準備ができたから……今度の週末に『作る』よ」


 …………


「な、何かめちゃくちゃ大がかりなんですけど……その、幸尚様一体どれだけ……」
「ん?ああ、貯金はスッカラカンになっちゃったけど、それはまたバイトとネットショップで頑張ればいいから」
「ひぇ……尚、かなり溜め込んでいたよな……情熱半端ねぇわ……」

 その日、展示場所として選んだのはいつものリビングダイニングだった。
 ダイニングテーブルには体圧分散マットが敷かれ、その上から真っ白な布がかけられている。
 壁にも白い布をかけ、これまたどこで手に入れたのかスタンドライトとレフ板が脇に置いてある
 どう見ても本格的に展示して撮影する気満々である。

「でも流石にカメラまでは買えなかったから、今回はスマホね。いつかお金を貯めて、一眼レフを買うから」
「あはは……幸尚様の本気、凄すぎ……」

 今日のあかりは貞操帯を外されていた。
 着けたままでもラバースーツを着れなくはないがどうしても生地が傷みやすくなるし、何より「一切の飾りの無いあかりちゃんを使いたい」と幸尚が希望したためだ。
 ピアスも昨日のうちに塚野のところで外して貰っている。今日、プレイが終われば報告兼ねて再装着に出向く予定だ。

「ちょっと心許ない感じがするなぁ……」

 ずっと覆いの中に閉じ込められているせいだろう、股間の頼りなさをあかりがぼやく。
「うん、すぐに全部覆うから大丈夫だよ」と幸尚はいつになく真剣な眼差しで装具をチェックしていた。
 その間に奏とあかりはしっかり爪を切ってヤスリをかけておく。あかりの爪を切るのは当然奏の仕事だ。

「……ん、大丈夫。じゃ、あかりちゃん、作っていくから」
「はい」

 全身にヌルヌルした液体をたっぷりと塗られる。
 ローションかと思ったらこれはドレッシングエイドという、ラバースーツを着用するときに滑りを良くするためのものらしい。

「しっかりヌルヌルにしないと、かなり着るのは大変だからね。ただ……採寸したときよりあかりちゃんのウエスト周りがちょっと……」
「ううう、ごめんなさい……新作のモンブランが美味しすぎて……」
「そりゃ自業自得だな、ほら頑張って着るぞ」

 首から下をすっぽり覆うキャットスーツは、あえてファスナーを取り付けていない。
 少しでも異物感を無くしたいという幸尚のこだわりからだ。

「ふんぬっ……!ちょ、これ結構キツい!!あかり、早く右足通せっ!」
「はっ、はいっ!」

 首の開きを二人で無理矢理拡げて、そこにあかりが足を通す。
 にちゅ、となんとも言えないぬめった感触に背中がぞわぞわする。

「これ、ヌルヌルさせてても着るの大変だな……」
「あかりちゃん、しっかり足のたるみを引き上げて。きっちり合うように作ってあるから」
「はい」

 少しずつ、少しずつたくし上げて、右足が終われば左足。
 もうこの段階で奏と幸尚は汗だくだ。

「うえぇ……お腹キツい……」
「そりゃそうだ、それ首がぴっちりはまる様に作られてるんだから」

 そのまま腕ごと胸の部分まで引き上げて、二人が片腕ずつ外から引っ張り、ずるんと腕を通す。
 細かなしわも許さないとばかりに、細かくたくし上げていく幸尚の目は真剣すぎてちょっと怖いくらいだ。

 そうして肩を通り抜ければ、あれほど広がっていた首の部分がキュッと狭まり、ぴったりと皮膚に張り付いた。

「……はぁっ……!これ、凄いぴったりぃ…………!!」

 もはや自分の皮膚と同化したかのような密着感があかりを包み込む。
 まだ包まれただけだというのに、そのぴっちりした感触と圧だけで蕩けてしまいそうだ。

「はぁっ、はぁっ……ほ、本当に着せるの大変だった……」
「ぜぇっぜぇっ……尚さ、俺らマジで身体鍛えて置いた方がいいんじゃね……何やるにも体力っているだろ、これ……」
「同感……真面目にランニングもするかなぁ……」

 一方のご主人様たちは、キャットスーツを着せ終わった段階で既に息切れしていた。
 しかしそこは幸尚である、念願のオブジェのためにすぐに息を整えると「あかりちゃん、次これ」とラテックスの手袋を履かせた。

「本当は頭まで全部一体型の方が密着感も凄いんだろうけど……流石にそこまではまだ難しくて」
「ん……十分、気持ちいぃです……」
「そっか、それなら良かった」

 続けて手に取ったのは、レザーのコルセットだ。
「一番心配なのはこれなんだよね」と呟きながら、幸尚が背中から回し、前面のベルトを留めていく。
 ベルトの穴はひとつしか開いていない。これを着るあかりにぴったり合うサイズに仕上げてあるからだ。

 ベルトを留めれば後ろに回り、位置を調整しつつ紐を引き絞っていく。
 少しの緩みも出ないように、あかりのちょっと食欲の秋を満喫してしまったウエストを無理矢理コルセットの形に押し込める。

(うああああきっつ!きっつい!ギチギチは好きだけど贅肉に効き過ぎるぅ!!)

 袴の背板で腰が伸びるとか、そういうレベルでは無い。もはやぐうたらな姿勢を取ることすら許されない。
 余りの圧迫に横隔膜の動きが制限されるのだろう、呼吸も浅くなる。

「はぁっ……はぁ……」
「うん、いい感じ。……ああ、あかりちゃんには見えないもんね」
「ほら、一枚写真撮ってやるよ。見てみろ」
「はぁ……えええウエスト細っそ!!!」

 そこには真っ黒なラバーに首から下を包まれ、コルセットで見たことも無い細腰に矯正された姿が映っていた。
 その顔はラバーの密着間と締め付けで上気していて、我ながらなんて淫猥な表情なんだと顔が赤くなる。

「……コルセット着けると、おっぱいが大きくなる……」
「そりゃ相対的な話な!俺らはあかりのおっぱいが小さかろうが気にしないし、世の中には微乳派もいるんだからそう悲観する必要はって痛い痛い踏むなって!!」
「今のは奏が悪い」
「ぐぅ」

 何とかソファに座らされ、膝を曲げられる。
 幸尚の作ったヒトイヌ用の拘束具は、手先と足先をミトンの中に閉じ込めることができるように作られていて、先に足先にミトンを被せられた後、膝からすっぽりと袋のような拘束具に包まれ、これまた紐できっちり締め上げた上でさらにベルトで固定していく。
 その複雑さに「良く覚えてるな」と奏が幸尚を褒めれば「そりゃ何回も練習したから」と幸尚は何でもなさそうな様子で手を動かす。

(何回も、なんてレベルじゃねえけどな)

 時間を作っては塚野や賢太のところに顔を出し、装具のつけ方を教わりスタッフで練習させて貰っていたことを奏は知っている。
 ただ、幸尚はそういった努力を二人には伝えない。それは努力を知られたくないのでは無く、努力だとすら思っていないから。

 それもまた、幸尚の自覚の無い愛情の一つだろう。

(ほんっとうに愛されているよな、俺も、あかりも)

 にやけそうになる顔を必死で引き締める。
 そうこうしているうちに両手足の拘束が終わったようだ。

「……痛みや痺れは?」
「ない、です……これ、視覚的にも来る……」
「ん、じゃあ予定通り、顔の拘束をしてから手足を繋ぐベルトを着けて飾るから。飾るのは30分だけ、ダメなときは右前足でタップ3回、いいね?」

 こくりと頷けば、目を閉じるように指示される。
 あかりの頭に合うように立体裁断されたマスクは、目も耳も口も完全に無かったものにしてしまう。
 鼻の穴に差し込む呼吸用のチューブだけが、あかりの命綱だ。

 耳には耳栓が差し込まれ、無音では無いけれどかなり音が遠くなる。
 そうして、マスクの内側に伸びた2本のチューブが鼻の穴に触れる。

(……怖い)

 あれをかぶってしまえば最後、意思表示はできなくなってしまう。
 もしチューブが詰まれば……考えただけで震えが来る。
 事前にチューブの選択と試着(?)は塚野のところでしてきたけれど、あの時とは恐怖の質が違う。

(そっか、初めてなんだ……何の快楽も無い状態での拘束は)

 恐怖を紛らわすための、いつもならじわじわと発情を煽るピアスからの刺激すらない。
 初めて感じる生身の恐怖は鮮烈で、けれど今のあかりにとって二人から与えられる恐怖は、簡単に快楽に変えられることを知っている。

 だから…………幸尚が全部作って考えたものだから、全てを任せられる。

 呼吸用のチューブを通し、そのままマスクをかぶる。
 たるみの無いようにしっかりと引っ張られているのが分かる。

(あ……すごい、これ……全身が……全部、切り離されて)

 ただのラバー一枚なのに、今の自分は完全に外界と隔絶している。
 その事実が興奮を呼び覚ます。

「シューッ……シュッ、シュッ、シュッ……」

 呼吸用のチューブは径が小さめで、横隔膜の拘束もあって興奮すればすぐに息が苦しくなってしまう。
 息をするのにこんなに努力が必要だなんて、生まれて初めての経験だ。

 プシュプシュと音を立てながら呼吸する様子に「大丈夫そうだね」とつぶやき、幸尚があかりを四つ足で立たせる。
 そうして最後に足先と手先を革ベルトできっちり固めれば、もはやあかりの手足はただの短い棒に成り果てるのだ。

「……できた」

 ため息のようなつぶやきを幸尚が漏らす。
 目の前にあるのは、芋虫のようにもぞもぞと動く、黒い塊。

(あのあかりちゃんが、こんな……こんな無力なモノに……!)

 しばしその姿に魅入るも、感動している場合じゃ無いと「奏、載せるから手伝って」と声をかけて頭を切り替える。
 二人であかりを抱え、テーブルの上に載せれば軽く尻を叩いてもう動くなと命令すれば、あかりは……いや、そのオブジェは四つん這いのまま、ビクッと震えてそのまま静止した。

「ちょっとライティングを調整した方がいいかな」
「これ、熱くねーの?」
「ライト?LEDだからそこまで熱くは無いと思う。ただラバー自体が相当暑いと思うんだよね。だから真夏は避けたんだけど」
「予定外にあかりの食いしん坊が爆発したと」
「まぁ、その分はコルセットでごまかせたから問題なし」

 照明を調整して、幸尚は正面に置いた椅子に座る。

 静かな部屋の中、目の前の白い台に飾られたのは真っ黒な塊。
 遠目に見ればただのオブジェにしか見えない置物。

 だがその中には、確かに憧れの幼馴染みが、あの眩しい彼女が詰め込まれていた。


 …………


 命令通り、四つん這いのまま微動だにしないオブジェ。
 時々「シューッ!!」と聞こえる呼吸音が、この中に命が詰まっていることを教えてくれるが、それが無ければ目の前にあるのは……道具ですら無い、ただ人の目を楽しませることしかできないただのモノだ。

 あかりで無ければ作れなかった、今自分に作れる最高の作品。
 素材があかりだからこそ、この無力さが輝き、無力化されることを赦して、託してくれた喜びを与えてくれるのだ。

 誰にも見せたくない。
 これは幸尚と、奏だけのためのモノだから。

「…………美しいな」

 もはやため息しか出ない。
 言葉でこの美しさを表現することすら烏滸がましい。
 あかりにも見せたいから写真は撮ったけれど、この鮮烈さはレンズを通せば失われてしまう事に気付く。

(今、この瞬間を全て僕の中に焼き付けるんだ)

 だから、幸尚はただ静かに……いつまでもそのモノを見つめていた。

「大丈夫か、尚」
「……あ、ごめん。なんか…………想像以上に素敵で……」
「そっか。尚が楽しめてるならいいさ。時間はこっちで計ってるから、ゆっくり堪能しろよ」

 その横顔を見て、ああこういう気持ちだったのかと奏は知る。
 好きな人が楽しむ姿は、こんなにも心を幸せで満たしてくれるのだ。
 なるほど、幸尚だけ置いてけぼりにしていることをそこまで心配する必要は無かったのだ。
 けれどこれは経験しなければ納得できないなとも思う。

「……でも、奏は楽しくないよね」

 そう気遣う優しい恋人に「そりゃ逆になっただけだ」と奏はそっと口づける。

「すげぇとは思うけど興奮はしねぇし、何なら俺はこの状態でバイブとかローターとか電マとかをがっつり仕込んで無様に泣かせる方がいい」
「うん、奏ならそう言うと思った」
「でもさ、尚が楽しいのは幸せだぞ?……尚はこんな気持ちで俺たちのプレイを見ていたんだな」

 だから何も気にする必要なんて無いんだ。
 二人で存分に楽しんでくれ、そう奏はぎゅっと幸尚を抱きしめた。

「……それはそうと、あかりちゃんは楽しんでるのかな……拘束以外、何の刺激もないんだけど……」
「いやぁ、あかりなら何だって快楽に変えてしまえるだろ!案外さ、今頃あのマスクの下じゃドロッドロに蕩けたアヘ顔晒しているかもしれねぇし」
「めちゃくちゃ説得力があるねそれ」


 …………


 一方、テーブルの上。
 身動きを禁じられたあかりは、すっかり出来上がっていた。

 最初はラバーの密着感と、それぞれの拘束具が織りなす圧迫感に溺れていた。
 誰にも……ご主人様にも見えない、知られない自分だけの空間で揺蕩う経験は、唯一外界と繋ぐ呼吸すら制限されているのもあって簡単にあかりの理性を融かしていく。

 けれど快楽に現を抜かし呼吸の努力を忘れた途端、苦痛で現実に引き戻される。
 ……それもまた、気持ちがいい。

(何もなしで閉じ込められたら退屈かなって……ちょっと怖かったんだけど)

 この作品の概要を聞いたときに、真っ先によぎったのは、やはり刻み込まれた退屈への恐怖だった。
 幸尚にもその恐怖は真っ先に伝えてあって「それは何か考えるよ」と言われていた。

 恐らくこの呼吸用のチューブ径は、意図的に細くされたものだ。
 動きを制限されたあかりが生きるために退屈を忘れられるような、幸尚らしい愛情と配慮だなと苦笑する。

(にしても、不思議……今私、手と足がただの棒になってるんだよね……)

 限界まで曲げられた手足は、痺れと身の置き所の無いだるさを訴えている。
 けれどもあかりがこの棒と化した手足を動かすことは叶わない。
 例え命令が無くても、あかりに合わせてギチギチに作られた拘束具は、もはや自分に膝から先と肘から下があったことすら否定する。

 そうしてどのくらいの時間が経ったのだろう。
 ふとあかりは、その事に気付く。

(無い……手足が、無い…………)

 手の形が、足の向きが、分からない。
 あれ、今私なんで、立って……る……?


 ドクン


 消えた、手足。
 そんなはずは無いのに、けれど私の感覚は全力で訴える。


『お前に、もう人の手足は無い』


 そしてその感覚に追い打ちをかけるように、心の奥底に住む被虐の獣が囁くのだ。


『必要ないだろう?お前はただのモノなのだから』と――


 足掻けば……この棒を少しでも動かせば取り戻せるのかもしれない。
 けれど、それはご主人様に禁じられていて、私は私の手足が失われるのを、ただ後ろから見つめるだけで。

 無くなる、私が、無くなる
 私だと思っていたものが、すぅっと音も無く消えていく……!
 怖い怖い怖い助けて怖い……

 一瞬頭を支配する恐怖。
 しかしそれは即座に反転する。


(…………ぁ……………………)


 頭の奥から、何かが迸る感覚に、飲み込まれて。


(ちがう)


 真っ暗に閉ざされているはずの視界に、眩い光が生じて。
 足だけで無い、天地も、身体がもう地面にあるのすらよく分からない。


(消えるの、きもち、いい…………!!)


 何が起こったのか、全く分からない。
 何も刺激されていないのに、むしろどんどん失われていくのに、気持ちいい。

 いつもの熱情と似ていて、けれどずっと静かで、穏やかで……幸せで。
 絶頂しているわけでも無いのにふわふわと満たされて。

 覆われて、隠されて、隔絶されて、失って……けれど『私』は消えていないと知る。


(……ああ、モノになっても……人の形を失っても、私はここにいる)


 閉じ込められて、モノに変えられても、存在は失われない。
 あかりはその幸福と喜悦の海を、暗黒の覆いの中で心ゆくまで漂い続けていた。


 …………


「……ええと、あかりちゃん……だいじょ、ぶ……?」
「気分は悪くねぇか?どこか痛いとかは?」
「ぷはぁ……えへぇ……だいじょぶぅ…………」
「そ、そっか……じゃあキャットスーツも脱がして」
「やだぁ、このままでいるのぉ……」
「ええええ……」

 きっかり30分が経って、まだ名残惜しそうな幸尚と共にあかりを台座から降ろす。
 マスクを取ればそこには案の定、蕩けきって幸せそうに顔を緩めているあかりがいた。

「な、心配ないって言っただろ?これでもちゃんとあかりは楽しめてる」
「うん。そっか、いいんだ……素材にして、モノにしてもいいんだね」
「……それに尚もしっかり興奮できたみたいだしな」
「へっ」

 奏に言われてようやく気付く。
 これまでどんなプレイでも、いや、あのSMバーのイベントで『椅子』に惹かれていたときですら大人しかった幸尚の股座は、今や痛いほどにいきり立っていた。
「鑑賞し始めてからずっと勃ってたぜ」と奏に追撃を食らえば、もう頭のてっぺんまで真っ赤になっているようだ。

「うっそ……あわわわそんなっ僕、あかりちゃんで興奮しちゃうだなんて……」

 がっくりと膝を折る幸尚に「いーじゃん、別に」と奏の表情はどこか嬉しそうだ。
 きっとそれは、恋人が本当の意味で『仲間』になった喜びなのだと思う。

「俺だってあかりを虐めて興奮するけど、あかりを抱きたいとは思わねぇ。尚だって同じだろ?それとも……浮気したくなったか?」
「それはない。絶対無い。僕が抱くのは奏だけ」
「じゃあ何の問題もねぇな!」
「な、無いのかな……」

 戸惑う幸尚にあかりは「やっと、幸尚様も楽しめたぁ……」とぽやぽやしている。
 少なくともあかりは興奮されることに嫌悪感は感じていないようだから、まぁいいのだろうと幸尚も無理矢理納得することにした。

 そうして急いで拘束具とコルセットを外し、手足の動きに問題が無いかを確認してさぁキャットスーツを脱がそうとしたら「やだ」の一点張りである。
「むしろもう一回、マスクも着けて欲しいなぁ」とすっかりあかりはラバー拘束の魅力に取り憑かれたようだ。

「良かったな、尚。これならどれだけ作品にしてもあかり大喜びだぞ」
「う、うん、良かった……良かったんだよ、ね?」

 ちなみにどんな感じだった?と幸尚が尋ねれば、あかりは今までのプレイとは質が違う不思議な快楽の体験を語る。
 まだその余韻が抜けきらなくて、このスーツを脱いだら全部無くなりそうで惜しいから脱ぎたくないのだとも。

「……手足が切り落とされたような恐怖と快感…………む、難しいよう……」
「身体が消えるのに存在がある幸福……?あかり、だいじょぶか?酸欠で頭やられてないか?」
「ひどいなぁ、だってホントにそんな感じだったんだもん……」

 困惑する二人に口をとがらせながらも、あかりは「ありがとうございます、幸尚様」と微笑んだ。

「……やっと幸尚様とも、分かち合えた気がします」
「うん……凄かった、凄く綺麗だったよあかりちゃん……もう、なんて言っていいか、分かんないけどありがとう」

 ぬめるラバーの上からぎゅっとあかりを抱きしめる。
 幸尚の小さな太陽は、どれだけ無力化しても輝きを失わない、その事に安堵しながら。

「でもあかりちゃん、そろそろ脱ごっか。塚野さんのところにも行かないとだめだし」
「あ、そうだった……ううぅ、脱ぎたくない……」
「分かるけど今日はおしまい。また作ってあげるから、ね!」

 その後、30分かけてこれまた汗だくでキャットスーツを脱がし「もういいや3人でシャワー浴びちまえ」と素っ裸になって(もちろんあかりは拘束して)子供の頃のように一緒にお風呂に入る。

「はぁ……きもちいぃ」
「気のせいかな、幸尚様のおちんちんが前よりおっきくなったような」
「そりゃ毎日あれだけ元気にしてりゃおっきくもなるだろ」
「奏様の雄っぱいも心なしか」
「それは触れるな」

 あの頃とはすっかり変わってしまった身体に、懐かしさとほんの少しの切なさを感じながらも、身体だけじゃ無い、サンコイチの関係もちゃんと成長しているんだと、3人はどこか満たされたひとときを過ごすのだった。

 これ以来、幸尚は定期的にあかりを素材としてモノを作り上げるようになる。
「モノとして扱われたい」あかりに新しいモノの定義を与えた関係は、調教とは別に彼らの心を満たす大切な時間になったという。

 なお

「……あのさ、今の尚の愛は……種類は違うけどさ、俺とあかり両方に向いてるよな?」
「うん、これまでは奏に全力だったけど、今はあかりちゃんにも全力で向いている気がするね」
「じゃあなんで、セックスの回数が変わらねぇんだ!?装具を作っているときは回数も減ってたじゃねぇか、何で元に戻ってるんだよ!!」
「え、減ってるよ?だって、毎日3回戦まででちゃんと終われるようになったもん」
「それ最初からの約束をずっと尚が破ってただけじゃねえかあぁぁ……!!」

 ……奏が思っていた以上に幸尚の愛情は底知らずで、どうやら奏の尻の安息日は当面訪れそうにないようである。
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