学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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姫ととりまきと幻の珍獣騒動

姫ととりまきと幻の珍獣騒動 その9

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 休日にエリックは都と呼ばれる港町、リグレスへとやって来ていた。
 良い収入があったので、買い物にでもと、やって来ている。
 ツチノコ捕獲の報酬はまだだが、荷物持ち君がツチノコの居場所を記した地図はすべてグランドン教授が買い取った。
 またグランドン教授から数枚ほど、アビゲイルにも渡ったらしいが、それはエリックには関係のはない話だ。
 その為、エリックの懐はかなり温まっている。
 金は好きだが、それ以上に散財も好きなエリックだ。
 商人の息子ではあるが、その点は商人向きではないのだろう。
 しかし、本人には意図しない商才はあるようで、なぜだか、この頃はリグレスの市場に見慣れない良品が多く流れている。
 そんな市場の中をエリックが商品を見ながら歩いていると、ふと目に留まる物がある。
 露店、と言ってもよいかわからない、なんの店かと聞かれれば雑貨屋、何でも屋、ゴミ置き場ともいえるような露店ともいえないような、藁を敷いただけの場所に商品を並べている怪しげな店に一本の剣が置かれている。
 それは見た目だけなら、磨かれた銅剣のような代物だった。
 青銅ですらない。
 ただの銅だ。
 綺麗に磨かれてはいるが銅が素材では武器としては心もとない。
 銅剣と言えば、実用的な物ではなく飾りか祭具が一般的なのだが、ここにあるのは飾り気もない、ただの素っ気ない剣だ。
 ただ、エリックにはその剣が妙に気にかかるなにかがあった。
 その点は、やはり天性の商才とでもいうものがあるのだろう。
「なあ、おやじ、この剣を見せてもらってもいいか?」
 エリックは店主らしき男に話しかける。
「ああ、いいぞ。銅の剣だが業物だぞ、坊主」
 そう言って店の店主は下品な笑いを見せた。
 たしかに磨かれた銅のような輝きを持った剣だ。
 だが、どこが業物なのかはよくわからない。見た感じではあまりいい出来とは言えない。
 刃の部分もあまり鋭いようには見えない。
 エリックがその剣を手に取る。
 想像以上に軽い。
 そして、金属のような冷たさがまるでない。
 エリックはすぐにそれが銅ではないと気づく。
 だが、それが何かはまではわからない。
 それが竜鱗の剣だとは、エリックにも分からない。
 商人と言えど、ほぼ市場に出回らない竜鱗の剣を知る者は少ない。
 しかも、竜がいない南の地ではなおのことだ。
 それにしても、これを銅剣と言い張るこの店の店主もどうかとは思うが。
 エリックはこの剣が、どうしても欲しくなる。
 なにか感じるものがあった。
「おやじ、この剣いくらだ?」
 その剣を強く握りしめ、エリックは店の主人に聞く。
「銀貨五枚だ」
 店の主人はすぐに答える。
 ただの飾り気のない銅剣にしては、かなりぼった金額だ。
 この店の主人は物を見る目はないが、客を見る目は合ったようだ。
 特に、客が何を欲しているか、それを見抜く目だけは持っていたようだ。
「銅剣だろ? ボリ過ぎじゃないか?」
 せいぜい高くても半分くらいの値段だろう、と、エリックは思う。
 それほど大きな剣と言うわけでもない。
 どちらかと言えば小振りの部類だ。
 飾りも装飾も何もついていない。
 こんなものが銀貨五枚はいくらなんでもぼりすぎている。
 エリックの主張は正しいが、どうしても欲しいという気持ちを、売り手側に見抜かれてしまっている。
「業物だって言ったろ? 銀貨一枚たりともまけんぞ」
 そう言って、店の店主は笑う。
 それでもエリックが粘れば銀貨一枚くらいはまけたかもしれない。
 だが、エリックの本能はそんなはした金よりも、この剣を早く自分の物にしろと言っているようだった。
 エリックは素直にその本能に従う。
「んー、分かったよ、それで買うよ」
 そう言って、懐の財布から銀貨を五枚を出し、店主に渡す。
 今のエリックからしたら、そう大した出費でもないが、それなりの金額であることは確かだ。
 エリックも少々名残惜しいように銀貨を店主に渡す。
「へへ、一枚、二枚、三枚、四枚、五枚っと、毎度あり! 返品は受け付けんからな!」
 銀貨を受け取ると、店の店主は笑いながらそう言った。
 エリックも微妙な表情を浮かべる。
 今の時点では、それが竜鱗の剣だとは流石にエリックも気づいていない。
 なんなら、なんでこんなものを買ってしまったのかと、後悔し始めているくらいだ。
 エリックがその価値に気づくのは、学院に帰り、ハベル隊長に呼び止められた時だ。
 ついでにだが、領主の護衛騎士の隊長がこの店を訪れたのは剣が売れた半時ほど後の話だ。



 あと一カ月もしないうちに学院の前期の試験が始まる頃だ。
 試験勉強ということを覚えたミアは、過ごしやすい食堂に皆で集まり試験勉強をしていた。
 ついでにだが、ディアナは勉強をし始めた直後に眠り出している。
「ミア様、あのー、まだツチノコがサリー教授の研究室にあるようなのですが、あれは良いのでしょうか?」
 そんな中、クリーネが遠慮しがちにミアに聞いてきた。
 クリーネが誘拐されてから、もう一カ月近く経っている。
 それでもツチノコはまだこの学院にある。
 クリーネとしては少し不安に思えてきているのかもしれない。
「生態もわからないので飼育する上での必要ことをサリー教授に調べてもらっているそうですよ。でも、近々信頼できる人が受け取りに来るとも聞いてますね」
 ミアは知っていることをクリーネに伝えた。
 ツチノコがまだサリー教授の研究室にあるのは、ミアが言っていた理由からだ。
 ツチノコの生態を知れるということでサリー教授も喜んで世話をしてくれてはいるが。
 今のところ、普通のモグラと同じ生態で飼育もそれほど難しくはなさそうとのことだ。
 ただ、かぶっている蛇の皮は近いうちに剥いだほうがよさそうとのことだ。
「はい、兄が…… いえ、失礼しました。元兄が取りに来る手はずになっております」
 それに付け加えるようにマルタがそう言った。
 特に元を強調して言ったので、伝えたかったことなのだろう。
「元? なんですか?」
 それに対してミアが驚いて返事をする。
 ミアがマルタの想像通り反応してくれたので、マルタが少し笑顔を浮かべる。
「はい、つい先日、兄がベッキオ様の養子となりましたので」
 そして、マルタが驚くべきことをミアに伝える。
「え? それって、私の…… 叔父になるんですか? ですよね? 私はマルタさんと親戚に?」
 と、ミアは驚いてそんなことを聞き返すのだが、
「元から親戚くらい、正確にはとこくらいの血縁関係ですよ?」
 と、マルタは無表情に言い返した。
「そ、そうなんですね、知りませんでした。すいません」
 ミアは意外と近縁とは聞いていたが、そこまで近縁だとは思ってもみなかったので驚く。
「いえ、わざとお伝えしていませんでしたので」
 驚いた顔をしているミアに、マルタはすました顔でそう言った。
「なんでです?」
 と、ミアが聞き返すと、今度はマルタが少し困った表情を見せる。
「そのー、ステッサ家というのは割と秘密の多いお家柄ですので……」
 本当はただ単に黙っていただけだが、マルタはそういう事にした。
 その方が面倒ごとは少ない。
 それに黙っていたことに何の理由もない。
 強いて言えば、マルタがミアと人物をまだ警戒しているせいなのかもしれない。
 ミアはマルタの目から見ても少し異様に思える。
「やはりそうなんですね、流石ステッサ家です!」
 それを聞いたクリーネがそう言って目を輝かせている。
 最近ではルイーズのとりまきから、ミアのとりまきになってはいるが、ミアもルイーズもクリーネのことは、あまり真面目に相手にはしていない。
 真面目に相手をしても、永遠と褒められるだけだ。
 最初こそ、ミアも悪い気はしていなかったが、ずっとその調子なので、最近は軽く流す様にしている。
 ミアにとって貴族やステッサ家をいくら褒められても心に響きはしない。
「えっと、つまり近々マルタさんの兄で、私の叔父になった人がツチノコを取りに来るんですね?」
 ミアが色々と聞かされて驚きはしたが、話を元に戻しつつまとめ、そして、一応確認をする。
「はい、恐らく今日あたりかと」
 それに対して、マルタは少し笑い、しれっとそんなこという。
 まるでミアをからかっているように思えるが、マルタにもそんなつもりはない。
 今日来るという話は、マルタも今朝方に知った情報だ。
 ついでにそれらのことは、ルイーズにはしっかりと朝のうちに伝えている。
「え? 今日…… ですが、なんか心の準備ができてませんよ?」
 そう言ってミアがそわそわし始める。
「そこまで緊張する必要はないですよ」
 ミアが余りにもそわそわし始めたのでマルタはそう伝える。
「いえ、おじいちゃんに会うまでは天涯孤独だと思っていたので……」
 ミアにとって家族や親族は、どう扱っていいかわからない存在だ。
 どうしても緊張してしまうものがある。
「まあ、養子なので立場上は。と言うだけで親戚のお兄さんが顔を見せに来るくらいの感覚でいいのではないでしょうか」
 そんな大した兄ではない、とマルタの顔はそう言っている。
「は、はぁ? なんか実感がわきません……」
 だが、ミアはかなり興奮しているようだ。
 それどころか、マルタが親戚と知ってマルタを見る目が変わって来ている。
 いうなれば、ミアはマルタに親しみを感じ始めている。
 それを面白くないと、スティフィは感じたのか、
「そんなことよりミア、今年はティンチルいかないの?」
 ふと思いついたようにそんなことを言いだした。
 ミアはこれから学院の前期試験があると言うのに何を言っているんだろう、と言う顔をスティフィに向ける。
 そのスティフィはミアに声をかけはしたものの、視線は魔術書に向いており、勉強を真面目にしている。
 前は人前で勉強しているところなど見せなかったスティフィだが、とうとうその余裕がなくなってきているようだ。
 ミアについて様々な魔術の講義に出ているのだから、相当苦労しているのだろう。
「いや、狙われているかもしれないのに行けないですってば」
 試験のことを置いておいても、迷惑をかけるわけにはいかない。
 ティンチルにいるときは浮かれていて気付かなかったが、あの時も実際にはすぐに学院に戻るべきだったと、ミアも今はそう考えている。
「でも、今年初めの外道種の件も、別にミアが狙われていたわけじゃないでしょう?」
 スティフィはミアには目を向けず、魔術書を読みながら適当に答える。
「でも、実際にティンチルに外道種が来たのは来ていたんですよね、あれは何だったんでしょうか?」
 ミアに言われてスティフィも試験勉強を止め、あの時のことを思い返す。
 蛇を無理やり人型にしたような外道種だった。
 荷物持ち君が反応するような外道種はあれ以外、今のところスティフィも知らない。
 そう考えると、あの外道種も謎だ。
「あれは何だったのかしらね、外道種の斥候役かなにかだったのかしらね? 海に住む外道種なんてほとんど知られてないし考えるだけ無駄ね」
 ただでさえ謎が多い外道種の上、海に住んでいるような外道種ともなればなおのこと謎だ。
 そのすべてが謎と言っても過言ではない。
 たまたま近くにいてミアを発見したのか、それとも何か思惑があったのか。それはスティフィにはわからない。
「私も本当なら、もう一度くらいはティンチル行きたいですね。あそこは確かに別世界でした……」
 ただミアもティンチルと言う場所に行きたいことは行きたいらしい。
 ミアもティンチルでのことを思い出して耽っている。
「そう言えば、ミア様と初めて出会ったのはティンチルでしたね」
 ルイーズが思い出すかのようにそう言って会話に入ってくる。
 ルイーズからすれば、その頃は貧乏なはずのミア達が、なぜティンチルに来れていたのかは若干の不思議ではある。
「はい! 福引で当たりました!」
 ミアが笑顔でそれを伝えて来る。
 ルイーズは学院の購買部の福引で、なぜティンチルへの旅行券が? と疑問に思うが色々と手広くやってるティンチルの広報を考えると何とも言えない。
「私のおかげでね」
 そう言って、スティフィは髪をかきあげて見せる。
 確かに、スティフィほどの美貌の持ち主なら、あのよくわからない神の司祭も喜ぶだろうと、ルイーズも納得はする。
「それもどうだかわからないじゃないですか!」
 結局、あの福引に不正があったのかどうか、ミアはまだ知らない。
「私も家出中の身ですし、今年はティンチルに遊びには行けませんね」
 ルイーズも残念そうにそう言った。
 それを見たミアが少し不思議そうな表情を浮かべる。
「ルイーズ様からみても、ティンチルはやっぱり素敵なところなんですか?」
「まあ、海で安全に水遊びできるのはあそこくらいですし」
 なにせ、リグレスで得た税をすべてつぎ込んでいるような場所なのだ。
 ルイーズでも非現実的な空間をティンチルでは感じることができる。
 そもそも、遊びで海水浴ができる場所など他に類を見ない。
 海は精霊達の物であって人間の世界ではないのだから。
「あっ…… ルイーズ様、ミア様、兄が到着したようです」
 そんな話をしていると、この食堂の結界に引っかかった人物がいる。
 その人物に心当たりのあるマルタはそれを主に伝える。
「マルタの兄…… リカルド様でしたか……」
 ルイーズはその報告を受けて、リカルドがどんな人物だったかを思い出す。

「お久しぶりです。ルイーズ様。この度、ステッサ家の養子となり、リカルド・ステッサと名乗ることを許されることとなりました」
 小綺麗な身なりの男がルイーズにむかい深く頭を下げてそう告げた。
「お久りぶりです。リカルド様。では、やはりステッサ家はリカルド様が?」
 それに対してルイーズが確認するように問う。
 もう外道狩り衆は解散したとはいえ、クリーネを見ればわかるように未だその影響力は大きい。
 今でも裏の支配者などと言われている貴族の家だ。
 そんなこともあるのでルイーズ的にも、この辺りの話はちゃんと確認しておきたかったのかもしれない。
「はい、ミア様が考えを改めていただければまた話は別ですが」
 そう言ってリカルドはミアを見つめる。
 そして、深くうなずく。
 リカルドもミアから何らかのものを感じ取っているかのようだ。
「はじめましてですよね? リカルドさん。私の叔父さんで良いんですよね?」
 そんなリカルドに対してミアも深々とお辞儀をする。
「はい、ミア様。立場上は叔父ということになります」
 リカルドの方もミアにお辞儀し返してそれを認めた。
「あ、あと考えを改めるとは?」
 なんとなくわかりはするが、ミアも一応は確認を入れる。
「神の巫女を辞め、貴族として生きるときの話ですよ。そもそも貴族というのも神に選ばれた一族ではありますので……」
 と、リカルドがそう言い始めると、それに被せるように、
「あっ、それはないです。諦めてください」
 と、ミアが即座に言い放った。
 その言葉には有無を言わせない強い意志を感じられる。
「左様ですか…… それはとても残念です」
 ただ、その言葉にもリカルドは感心しているように思える。
 ステッサ家の真の主はミアと認めているかのように。
「おじいちゃんのことよろしく頼みます」
「はい。承知いたしました」
 一通り挨拶が終わったところで、ルイーズの許可を得てから、ルイーズの護衛であるブノアが前に出て来る。
「リカルド…… いや、リカルド殿。お久しぶりです」
 そう言って軽く頭を下げる。
「これはブノア殿。お久しぶりになります。これからは同じような立場となりますのでよろしくお願いします。それと、愚妹のことも、もうしばらくよろしく頼みます」
 そう言ってリカルドも頭を下げる。
 リカルドの方が大分若いが、立場的には同等となった。
 月の呪印自体が行方不明だがリカルドが月の呪印を受け継ぐステッサ家、ブノアが太陽の呪印を受け継ぐビヨンド家の者という事だ。
 外道狩り衆の頭領は代々ステッサ家がやっているのは、太陽の呪印よりも月の呪印の方が重要とされているからだ。
 そもそも、外道狩り衆が解散する切っ掛けも、月の呪印をミアの母親が持ち出し、行方不明となったという事もその要因の一つだ。
 その時も色々もめはしたが、ベッキオが力で抑え込んでどうにかしている。
 ただ、一応は責任を取って現役からはその時に引退している。それがさらに外道狩り衆の解散を早めたことにもなったのも事実だ。
「はい。マルタはよくやってくれています。何分こちらには女性が少ないので姫様の身の回りの世話で大変助かっています」
「そうですが、それは良かった」
 ステッサ家とビヨンド家は交互に領主の護衛役を昔からしている。
 現当主ルイを護衛しているのがステッサ家ならば、その子であるルイーズを護衛しているのがビヨンド家だ。
 もしルイーズに子供が来たのであれば、リカルドがその護衛騎士となる予定だ。
「ああ、そう言えば、ツチノコを取りに来てくれたんですよね」
 特にいがみ合っているわけではないが、ルイーズはなんとなく話に入ってみた。
 対抗意識と言うものはどうしても出てきてしまうものだ。
「はい。ミア様にご挨拶するついでではありますが」
「え? 私にあいさつに来たんですか?」
 ミアが驚く。
 それを、ミアが本気で驚いていることに、逆にスティフィが驚きの目をミアに向ける。
 ミアは余りにも貴族というものを軽視し過ぎている。
「そうですよ。ステッサ家に養子に入るあたり、当然のことですよ」
 リカルドはそんなミアを見てほほ笑むだけだ。
「そ、そうなんですか。なんかすいません、わざわざ」
「いえ、当然のことです。私もこの学院に何泊かさせていただく予定ですので、ミア様とも折り入って話したいことがあるのですが、よろしいですか?」
 仰々しくリカルドはミアにお辞儀をしながらそう聞いて来た。
 ただ無理にでも話には付き合ってもらうと言う圧はかけている。
「え? はい。あっ、ステッサ家は継ぎませんよ?」
 ただミアがそんな圧を感じるわけもない。
 そう言って、きょとんとした表情を見せた。
「あっ、はい…… 無理強いはするなとベッキオ様からも言われていますので」
 自分の圧を意にも介さないミアに驚きつつも、リカルドは残念そうにそう言った。



 その晩、リカルドはミアを学院に借りている部屋に呼び、話をした。
 話の内容だが、門の巫女の話だ。
 だが、そのことをミアは既に知っている。
「あー、その話なら既に知ってますよ。なんかそうらしいですね」
 ミアはそう言って照れたように頭を掻いただけだった。
 特にこの場で初めて知ってもミアなら同じ反応だっただろうが。
 リカルドはミアの反応に驚くが、そこまで覚悟が決まっているのなら、というか、それを当たり前のことだと受け止めているミアを見てリカルドもあきらめざる得ない。
 そして、父となったベッキオにそのことを伝えなければならないことを残念に思う。
「知っておられていたのですね。それでも決心は変わらないと」
「はい」
 と、ミアは特に普段と変わりなく答える。
 その様子をみてリカルドも、説得などそもそも不可能だと思い知る。
 ミアは生贄になることを恐れているわけではない、自分の命が失われることを惜しんでいるわけでもない。
 ただ自然のことだと、自然の摂理であり、神の意志であり、当然のことだと、必然であると受け入れているのだ。
 そして、本人もそれを心の底から望んでいるのだと、リカルドには思えた。
 ベッキオもそのことをわかっていたから、止めようともしなかったのだと。
「わかりました。であるならば、私ももう何も申し上げません。ステッサ家のことはどうか私にお任せください」
 ならば、リカルドにできることはステッサ家を存続させていくことだけだ。
「よろしくお願いいたします」
 そう言ってミアは軽く頭を下げた。
「マルタ。今のことはルイーズ様にも口外しないように」
 リカルドは同室に居るマルタに口止めをする。
「はい」
 と、表情を何一つ変えることなくマルタは返事をする。
 マルタはルイーズが知ったらどう行動するか、と思考を巡らせるが、案外なにも行動しないのだろうと、なんとなく思う。
 まだ幼いルイーズだが、あれで人の上に立つ者の器であることは間違いがない。
 私情で動く人間ではない。
「では、私の要件はすみましたので明日にでも帰ろうと思います。それとこれがツチノコ捕獲の報奨金です」
 ミアを止められないのであれば、リカルドがここにいる理由はもうない。
 リアルドは大きな鞄を机の上に開け、それを開いてみせる。
 中には真新しい金貨が百枚ほど綺麗に並べられて入れられている。
「ツチノコのことをよろしくお願いします」
 と、ミアは自分が生贄になることより、ツチノコの方が気がかりとばかりにそう言った。
 なんなら、金貨百枚を直に見たことの方が衝撃は大きそうだった。
「はい、ああ、それと強制するわけではないですが、いずれステッサの地を訪れて頂けないでしょうか。ベッキオ様も会いたがっていると思います」
 ベッキオはああ言ってはいたが、会いたくないわけはないだろう。
「ティンチルの先でしたっけ?」
「はい。ティンチルからもかなり遠いですが」
「あー、でも私、外道種に狙われているかもしれないので迷惑が……」
 ミアはそう言って見せるが、リカルドは笑顔を見せるだけだ。
「その点は安心してください。ステッサ家の裏の顔は外道を狩る専門家ですので。このことは口外しないでください」
 むしろ、その外道を探し出して狩っていた側だ。
 ステッサ家としては何の問題もない。
「そうなんですね。確かにそれなら……」
 と、試験が終われば夏休みだ。
 一度訪れるのも良いのかもしれない。
 ミアもそんなことを考えていた。

 こうしてツチノコはミアの手元から去っていった。
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