学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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新しい春の訪れと入学式と中央からお客様

新しい春の訪れと入学式と中央からお客様 その8

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「えっと、これ、普通に魔方陣の円に沿って魔力を回せば良いんですか?」
 ミアはアビゲイルが書き加えた歪な陣を見てそう聞いた。
 ミアが習っているような陣は円が一つでその中にすべて神与文字が収まっているものだが、アビゲイルが書き加えた魔方陣は、ウオールド教授が用意した簡易魔法陣に盛大に手を加えられて、いくつもの円形の魔方陣が複雑に折り重なったものだ。
 ミアにはどこに魔力を流し込み回転させればいいか判断がつかない。
 普通は魔法陣に魔力を流し込み、外円に沿って魔力を回すことで魔法陣は正確に起動するのだ。
 この陣ではどうやって魔力を流し込んで魔力を動かせばいいのか、ミアでは判断がつかない。
「そうですよぉ、ただこれは魔力誘導型の陣なので、ミアちゃんは一番手前の小さな陣に魔力をくるくるしてくれれば良いですよぉ」
 そう言ってアビゲイルは一番手前の小さな陣を指さした。
 それを見てミアも安堵のため息を吐き出す。
 この陣すべてに魔力を流し込んで回せと言われてもミアの魔力制御能力では無理がある。
「オーケン殿はこの陣を読み取れますかな?」
 ウオールド教授が険しい顔をしてオーケンに尋ねる。
 ウオールド教授もなんとか解読を試みたが、単語一つ解読できずに終わっている。
 とはいえ、知らない神与文字が私用された魔法陣の解読などできるものではない。それ自体は当たり前のことだ。
 それでも、ウオールド教授なら、ある程度陣の効果は予想できるものだが、この陣にいたっては予想すらできない。
「無理だな。俺でも知らない神与文字が使われすぎてる。つーか、単語内で文字の種類を変えてんなよ。誰も読めねぇよ、こんなもん」
 魔方陣の解読には神与文字を知っていることが必須だ。
 いや、この魔方陣は複数の神与文字を複雑に組み合わせすぎていて、複合陣というよりはそれ自体がもう暗号に近いものだ。
 例え神与文字をすべて理解していても解読するのに長い時間を有する。
 なにせ神与文字は一文字で複数の意味を内包しているのが当たり前だ。そもそもが人間向きの文字ではないのだ。
 それを単語の一文字ごとに神与文字の種類を変えられでもしたら、知らない神与文字が使われている時点で解読は絶対に不可能だ。
 オーケンですらこの魔法陣の解読は諦めている。
「基本的には補填陣と変わらないですよぉ、ただ魔力制御と呪い部分に圧を集中させてるだけですよぉ、あ、この辺の記述がそうですぅ。ここが呪いの部分を判別する式で、こっちが魔力を制御する文ですねぇ。で、こっちがデュガンちゃんが立つ場所です、ここに魔力が流れてきますのでお願いしますぅ」
 アビゲイルはそう言って指をさして陣の内容を解説するが、誰一人として理解できている者はいない。
 オーケンですら魔力がどう流れていくのかを把握するので精いっぱいだ。
 何しろアビゲイルの独学で進化させた知識で描いた魔法陣だ。既存の魔法陣とは形式が違いすぎているというのもある。
「この飛び出している陣はなんじゃ?」
 ウオールド教授が一番気になっている飛び出している陣を指さして聞く。
 ここだけ他の陣よりもやけに複雑で厳重になっている。
「そこが一番重要なこの呪いを吸い上げ捕獲する式が書かれている場所ですねぇ。でも、封印するための良い触媒が手持ちにないんですよねぇ」
 と、アビゲイルは少し困った顔をした。
 呪いを分離でき、確保できても、肝心の呪いを閉じ込めておく場所がない。
 何かに封じ込めておくための触媒が必要なのだが、その触媒となるようなものがアビゲイルの手元にはない。
 しかも神の呪いを封じ込めれる触媒となると通常の触媒では無理だ。かなり上質な触媒でないと触媒の方が持たない。
 アビゲイルの師匠、マリユの居る塔にならあるかもしれないが、取りに行くまでこの連中が待ってくれるかわからないし、マリユ教授がそんな触媒を快くくれるとも思えない。
「んじゃ、これやるよぉ。お前がマリユちゃんの娘みたいなもんってんなら、俺の娘みたいなもんだしなぁ。こんな面白い陣を見たのも久しぶりだ」
 そう言ってオーケンは上機嫌で、白く磨かれたこぶしより大きいくらいの石をアビゲイルに手渡す。
 受け取ったアビゲイルの右目が怪しく光る。
「これは…… 紫水晶の晶洞ですか!? しかも、小さいけどかなりいいものですねぇ!」
 アビゲイルの右目はそれが紫水晶の晶洞であることを見抜く。
 見た目はただの白い石なのだが、その中は空洞になっており、内側に紫水晶がびっしりと生える様に存在している。
 しかも表面に石の強度を上げるマジナイの文言まで書かれている。
 内側が邪気を浄化する紫水晶に囲まれているこの素材は、呪いを封印するにはもってこいの触媒となるはずだ。
 しかも、かなり品質が良いだけでなく、ただの天然の紫水晶ではない。
 魔術的にちゃんと成型されたもので、呪いを封印するのに最適化されているともいえるような代物だ。
 まるで、こうなると分かっていてはじめっから用意してあったような、そんな逸品だ。
「んなもの、どこに隠し持ってたんじゃ?」
 ウオールド教授が驚いて目を大きくさせる。
 これほどの物をオーケンが用意している暇はなかったはずだ。
 ウオールド教授が話を持ち掛け、酒を飲み、マーカスを呼び出して急行しただずだ。
 ウオールド教授は改めて、オーケンという男に恐怖を感じる。
 まるで最初から、ウオールド教授がこの話を持ち掛けることが分かっていたような準備の良さだ。
「へへっ、俺様に抜かりはねぇよ。呪いを捕まえると言い出されたときのためになぁ、用意はおこらたねぇよ」
 オーケンはそう言うが、その準備をする時間がなかったはずなのだ。
「ワシは破壊か浄化してもらうつもりじゃったんだがのぉ」
 ウオールド教授は、半ば呆れ気味にそう言った。
 初めから見透かされてたのか、とウオールド教授は考えるが流石にそれはないはずだ。
 底知れぬ、それこそ飲まれそうになるほど底が知れない男であることだけは間違いない。
「んで、そんな呪いどうするんだよぉ」
 オーケンもそうは言うものの、危険な物ではあるが確かに使い方次第では有用なものだ。
 オーケンも以前学院の下水道に呪いの元となるような呪詛痕を育てていたこともあるくらいだ。
 呪詛痕とは違い、これほど育ち古い呪いであれば、それ自体が良質な魔力の代わりにもなってくれる。
 扱いは魔力の比でないほど難しいものだが、アビゲイルならその辺も十分に心得ているはずだ。
「荷物持ち君を見ていると私も使い魔を欲しくなっちゃうんですよねぇ。この呪いなら、たいして魔力を補填してあげなくて常時稼働してくれる良いのが造れますよぉ」
 そう言って、アビゲイルは受け取った紫水晶の晶洞にほおずりをする。
「はっ? 俺様を使い魔如きの動力源にするつもりかよ! こう見えても神の呪いだぞ!」
 と、オージンが冷や汗をかきながら強がって見せる。
 アビゲイルの書いた魔方陣を見る限り、もはやライの体から追い出されないという自信がなくなって来ている。
 学会に所属するライの知識をもってしてもこんな複雑で奇怪な魔法陣を見たことすらない。
 それだけにオージンもこの陣の効果がまるで予測できない。
 そして、オージンが虚勢をはり言った言葉にアビゲイルがわかりやすい作り笑顔で反応する。
「神の呪いですかぁ、私には結構似たような物を既にいっぱい持ってますよぉ。まあ、あなたはその中でもかなり上位ですけどねぇ」
 その笑顔に、、オージンはゾクゾクした寒気を感じる。
 たしかにアビゲイルを取り巻く呪いは複雑すぎて正確な呪いの強さはわからないが、神の呪いがいくつか混じっていても全然不思議ではない。それほどの闇が、呪いが、アビゲイルを取り巻いている。
 ただ、オージンは寒気を感じるとともに、このハチャメチャな女に仕えるのもそう悪くはないかもしれない、と思えてしまうところがある。
 そう思わせてしまうある種の呪いに好かれ従わせるような、そんな禍々しさがアビゲイルの本質にはある。
「ふざけるな、化け物過ぎるだろ! 神が黙ってないぞ! 俺様は神罰そのものだ!」
 ただオージンも強がって見せるのはやめない。
 神の呪いとしての誇りと言うものがある。
「その点は大丈夫ですよぉ、ミアちゃんの神様が関与しているので恐らく手出しして来ませんよぉ」
 そう言ってアビゲイルは更に、顔の形が変わるほど笑って見せる。
 アビゲイル我慢できないほどの笑みを浮かべる。
 この実験が成功し、神が何も言ってこないのであれば、それは逆にロロカカ神の有効性が証明されることでもある。
 これは恐らくウオールド教授、オーケン共々同意見だ。
 だからこそ、この二人は動いたのだ。
 そうじゃなければ、アビゲイルのような奇人でもなければ、神の呪いなどを欲しがるこどか解こうとすらしない。
 更にアビゲイルからすれば、この呪いの捕獲が成功するということは、ミアの力を借りれれば神の呪いをを集め放題の状態でもある。笑いが止まらなくなるというものだ。
 そして、それはウオールド教授がいっていた通り、魔術史の歴史に名を遺すような快挙ともなることだ。
「んなことあるわけねぇだろ!」
 と、オージンは流石にそれは信じられないと喚く。
 神がそんなことを許すわけがない、と。
 だが、オージンは知らない。
 ロロカカ神が神々の間でどういった神なのかを。
「あるんじゃな、これが。そうじゃなきゃワシだって早々動かんよ」
 ウオールド教授はそう言って笑う。
 ウオールド教授の考えでは、その名を聞いただけで同格の神が逃げ出すのだから、ロロカカ神が関わっていれば戦いと勝利の女神と言えど干渉しては来ないだろうという推測からだ。
 ロロカカ神が未だにどういった神か理解できていないが、その推測は恐らく正しい。
 色々と謎ではあるが、ロロカカ神と言う神はそう言った神なのだろう。
 雑に関わっていい神でないことは確かだが、いざと言ときに使えばその効果は絶大だ。
 その分、それだけの負債を抱えるかもしれないが、ミアはロロカカ神に好かれているのは間違いはない。
 ミアを通して力を借りれるのであれば、その心配も最小で済むというものだ。
「んじゃ、この紫水晶をここに置いてっと。デュガンちゃんもそこに立ってください! 後ろ側、この辺りからある程度調整された魔力が流れ出てきますので、後はお任せですよぉ!」
 アビゲイルは興奮して、待ちきれないとばかりに魔法陣の一部を指さしている。
「末恐ろしい女だな。これは本物の稀代の天才って奴だな。マリユちゃんが自慢するわけだぜぇ……」
 オーケンですら頭をかきながら、アビゲイルの魔術師としての才能を認めざる得ない。
 魔術師としての才能だけなら、人間の領分をはるかに超えたところにいる。
 それこそ、上位種に手が届きそうな、それほどの能力を有しているのかもしれない。
「いあー、伝説の大神官様にそんなこと言われると照れちゃいますねぇ」
「アビィちゃんはそんなすごい方だったんですか?」
 ミアも魔術師としては天才と称される部類の人間ではあるが、それは常識の範囲内での話で、アビゲイルはまさに桁違いの、常識外の才能の持ち主だ。
「とにかく規格外ってことだけは確かじゃな。ワシも後で裏山の頂上にある陣を見に行こうかのぉ、興味がでてきたわい」
「おっ、俺も行くぜぇ、まだ見てねぇんだよ。カマクラもな」
 どうもオーケンはウォールド教授のことを気に入ったようだ。
 それに対して、ウオールド教授は遠慮もせずに少しだけ嫌な顔をする。
 まさかオーケンがついてくるとは予想してなかったのだろう。
「あのカマクラ、魔術師達の間で名所になってるらしいじゃん」
 魔法陣を観察していたスティフィが理解するどころか、その陣の記憶すること自体を諦め、ミアに話しかけた。
 余りにも複雑すぎてスティフィでもその形状を記憶にとどめておくことすら不可能だ。
「え? そうなんですか? なんでですか?」
「ミア…… あんた興味ないことはほんと感心がないわよね」
 スティフィはそう言って呆れかえる。
 恐らくは永遠に残るだろう、古老樹が作ったカマクラなのだ。
 そんな物が魔術学院の近くにあれば、理解できなくて生徒用の教材にはならないだろうが、良い研究資料にはなる。
 魔術師の、特に教授やそれを目指すような人間にとっては、喉から手が出るほど欲しい研究資料だろう。
「配置につきましたが、ここでいいのですよね?」
 大男のデュガンが借りてきた猫のようになり、複雑な魔法陣のほぼ中央に立ち確認をしてきた。
 騎士隊の副隊長であるデュガンですらこんな複雑な魔方陣を見たことがないので無理もない。
「はいはい、大丈夫ですよぉ! では、ミアちゃん、やってください!」
「この手前の小さい円で魔力を回せばいいんですよね?」
 ミアは最後にもう一度確認する。
「そうですよぉ、とびっきりに強い魔力でお願いしますぅ! ちゃんと自動で出力を調整してくれるはずですのでガンガンやって平気ですよぉ! ライさんを助ける人助けですよぉ」
 人助けと聞いてミアも気合を入れる。
「は、はい! そう言うことなら、気合を入れさせてもらいます!」
「えぇ…… それ平気なの……」
 スティフィは気合の入ったミアを見て、その陣からかなり距離を取る。
 それを見たマーカスもジュリーを連れて、陣からさらに離れた。

「フゥベフゥベロアロロアニーア、フゥベフゥベロアロロアニーア……」
 ミアがロロカカ神の拝借呪文を唱え始める。
 人助けということでミアも気合を入れて、集中し、強く念じながら呪文を唱える。
 ミアの願いに応えるように、普段より強い、深淵の底から這い出てくる闇そのもののようなとびっきり不吉な魔力がミアの身に宿り始まる。
「な、なんだよぉ、その魔力は…… こんな不吉な魔力を持つ神がいるってのか?」
 その魔力を、残滓ではなく魔力、その神の御力そのものを、闇よりもなお暗い、そんな魔力を直接見てオージンがそう声を漏らしてしまう。
 そして、そのオージンのそのつぶやきがミアの耳に届いてしまう。
 それが原因でミアの気合の入りようが一気に跳ね上がる。
 ミアの底しえぬ怒りに呼応するように、ロロカカ神より拝借した魔力が際限なしに強くなる。
 それを見たオーケンとウオールド教授すらも後ずさりをはじめ、魔法陣から距離を取る。
 明らかに魔力の強さが強すぎる。
 ここまで強い魔力を流すような魔法陣であるならば、何かより強靭な素材に彫り込んだ物でないと魔法陣自体が耐えきれない。
 ただの石畳の地面に描いただけでは陣が崩壊してしまう。
 のだが、アビゲイルだけが間近で目を輝かしただけで、その場から離れようとしない。
 その不吉な魔力の一部を受け入れなければならいデュガンが自らの命を覚悟し、冷や汗を流し始める。
 オージンは、よりよくその魔力を見れてしまう、呪い故、その本質に気づいてしまったオージンは絶句していた。
 この魔力は、この神は、触れてはいけない神であると。
 ウオールド教授が言っていた意味がようやく理解できる。
 こんな魔力を受ければ呪いもの物が粉みじんに砕けてしまうし、ライの魂だって持ちやしない。
 不滅のはずの神の魂すら、浸食してしまいそうなその魔力がミアの手により魔方陣に流し込まれ、そして、陣に沿って円に回され始める。
 そこに描かれた神与文字に動かされ活性化した魔力が宿り力を持ち始める。
 それと同時に強力な魔力が回転するごとに魔方陣から花火が舞い散る。
「ちょっ、魔力が強すぎますよぉ! こ、これは流石に予想外ですよぉ」
 魔方陣から花火が上がっているのを見てアビゲイルが興奮しながらも慌て始める。それでもアビゲイルだけはその場から離れようとしない。
 ミアにより流し込まれた魔力は陣に従い流れていく、一定量のみデュガンがいる場所に流れ、それ以外はライの、オージンの呪いめがけて圧縮され勢いよく陣に沿って流れていく。
 その間も魔法陣のあちらこちらから花火が散り始めている。
 そして、ロロカカ神の魔力がオージン、その大元の呪いに触れる。
 呪いがその凶悪な魔力に触れ、萎縮しライの魂をかき乱す。
「がぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁあぁぁぁ!!」
 ライが、オージンが、声にならない叫び声をあげる。
 更にデュガンにもロロカカ神の魔力が届く。
 ねっとりと粘度のあるとびっきり不吉な魔力だ。
 デュガンはそれを身にまとう。
 全身に悪寒が走り、震えが止まらない。
 それでもデュガンは何とかその魔力を制御して指先に集め、それをライの頭部へと接触させ、魂へ、呪いの根幹へと狙いを定め流し込む。
 ライがものすごい勢いでもがくが、ライを縛っている縄がライをきつく縛り上げ身動き一つさせない。
 デュガンは脂汗を大量に流し始めたが、それでもロロカカ神の魔力をどうにか操り、ライにかかった呪いに向けさせる。
 その魂に深く根を張った根を一本ずつ丁寧に引き剥がすように。
 そして、引き剥がした呪いをロロカカ神の魔力が押し流していく。
 魔法陣の至る所で花火が舞い散っている。
 いつ陣が崩壊し魔力暴走が始まるかわからない状態だ。
 それでもアビゲイルはその様子を間近で観察し、興奮している。
 アビゲイルは自分の魔法陣に自信がある。
 多少陣が破損したところで何重にも保険を掛けている。
 それでも陣が耐えれるかギリギリのところだが、アビゲイルはこの光景を目に焼き付けたかった。
 これは正に世紀の瞬間だ。
 ライの体から徐々にではあるが黒い影のようなものが引き剥がされていくのが普通の肉眼でも確認できる。
「おいおい、呪いが直接視認できてるぜ? この呪いも相当なものだな」
 オーケン自身が原因とはいえ、これほど強力な呪いだったことにオーケンも驚く。
 呪い自体が肉眼で視認できるなど、そうありはしない。それだけ強力な呪いと言うことだ。
 ただそれだけにライの魂から引き剥がせるかどうか怪しい。
 アビゲイルの陣もミアが拝借したロロカカ神の魔力も想像以上だ。だが、タンデン家にかけられた呪いはそれ以上に強力な物だった。
 これでは一時的に引き剥がすことはできても、縁を切ることが出来ずに、すぐにライの体に戻ってしまう。
 アビゲイルの捕獲するための陣まで引き剥がすことは不可能だし、逆に呪いがその陣まで行ってしまうと、ライを魂を引っ張り肉体から魂を引き剥がしてしまう。
 その結果はライの魂ごと封印するしかなくなってしまうこととなり、そうなるとライは当然のごとく死んでしまう。
「むむっ、これでもダメなのか」
 それはウオールド教授も感じていたようだ。
 だが、あと一歩、あと一歩だけ足りない。
 オーケンはその一歩に心当たりがある。
「マーカス、幽霊犬にこの呪いを噛み切らせろ!」
 オーケンがマーカスに向かい叫ぶ。
 マーカスもすぐにそれに応える。
 幽霊犬の黒次郎と意識を同調する。
 マーカスの視界でも、ライの魂からはがれかけの呪いが、影のようにではなく明確な存在として認識できるようになる。
 確かにまだ深くライの魂と繋がっておりこのまま続けても引き剥がすことは不可能だ。
 だが呪いのほとんどは、今、ライの魂から引き剥がされている。
 それを今なら黒次郎で噛み切ってやれば、完全に引き剥がすことが出来る。
 幽霊犬の、冥府の神の影で育った死の猟犬である、黒次郎にはそれができる。
 マーカスは同調した黒次郎で必死にライの魂にしがみ付こうとしている呪いに噛み着く。
 同時に呪いの不快さとそれ以上のロロカカ神の力に対する恐怖をその身に、黒次郎もマーカスも深く感じる。
 マーカスの額の目を通じて、オーケンにもそれが伝わる。
 オーケンですら耐えきれずその場に跪く。
 マーカスは恐怖に耐えきれず錯乱し、黒次郎との同調が切れる。
 黒次郎も何とか呪いを噛み切りはしたものの、ロロカカ神の魔力に当てられ、すぐさまマーカスの影に逃げ帰った。
 だが、そのおかげで呪いはライの魂から完全に離れ、捕獲陣へと流れ、ロロカカ神の魔力に押し流されて、紫水晶の晶洞の中へと封印されていった。
 それを見たアビゲイルが紫水晶の晶洞に封印の陣を完成させ封をする。
「ミアちゃん、もう大丈夫です。止めてください! ゆっくりと、ゆっくりとですよぉ!」
 紫水晶の晶洞を大事そうに取り上げた後、アビゲイルがその場から離れながら声を上げる。
 ミアは言われた通り魔力の勢いをゆっくりと緩めていき、余分な魔力を空中へと放出させていく。
 魔法陣は崩壊寸前のところだ。
 ロロカカ神の魔力が流れたところの石畳が深く抉られている。
 陣も三分の一程度が焼け落ちている。
 これでも陣が崩壊しなかったのはアビゲイルの技術の高さからだろう。
 ウオールド教授もロロカカ神の魔力が強力なことを知っていたので単純な陣で挑もうとしていたのだが、これほどだとは思っていなかった。
 そのまま、最初の魔法陣で今の魔力を流されていたら、簡易魔法陣ごと吹き飛んでいたかもしれない。
 頑丈な特別製の布で作られていたその簡易魔法陣も今ではズタズタに引き裂かれている。
 ミアが本気で魔力を込めるとこうなるのか、とウオールド教授は恐怖すら覚えるほどだ。
 これはミアには個別の特別授業が必要かもしれない。
 この凶悪な魔力が暴走でもしたらとんでもないことになる、と、ウオールド教授は確信する。
 また魔力が解放されたのを確認してからデュガンがその場に崩れ落ち意識を失う。
 ライはもちろん意識を失っているどころか、見た目だけでは生きているのか死んでいるのかすらわからない状態だ。
 絶叫した表情で固まりピクリとも動かない。
 あたりからロロカカ神の凶悪で邪悪で不吉な魔力がゆっくりと霧散していく。
「成功しましたか?」
 と、怒りに身を任せ、想像以上の魔力を借りてしまい魔力を制御するのに必死で現状を確認できなかったミアだけが普段通りの顔でそう聞いて来た。
 その問いに答える人は誰もいない。



 その夜、カリナは不審な気配を感じとり、ミアの元を訪れようと動いていた。
 だが、カリナの前に立ったのは、その身に御使いを宿す少女だった。
 ふらふらとおぼつかない足取りでカリナの前に立ちふさがる。
「お前ががなぜ立ちふさがる? お前の守護すべき巫女が危険かもしれないぞ」
 カリナがそう問うと、ディアナは笑みを浮かべる。
「巫女様、巫女様、巫女様。知る、しる、する、権利、ある。巫女様、知る、権利、権利ある」
 そう言われたカリナは顔を歪める。
 この御使い憑きの言っていることは当然のことだ。
 だが、自分の前に立ちはだかるほどのことはではない。
「誰かに誑かされたか、オーケンの奴か?」
「そう、そうだけど、違う。巫女様、その結末、どうなるか、どう、どうなるか、知る、権利ある……」
 ディアナはそう言ってゆらゆらとしながらも、視線だけはまっすぐにカリナを見る。
「なるほどな。確かにそれはそうだ。だが、いいのか? お前の巫女様とやらが危険なことにあうかもしれんぞ」
 カリナのその言葉に、ディアナが激しく反応する。まさに燃え上がる炎のように。
「その時は、使徒、使徒様、使徒様が許さない、許さない、許しておくべきか!」
 そう言ってディアナはその人相が変わるほど残忍で凶悪な怒れる表情を見せる。
 その表情から見るに、ディアナ自身も今ここにいることは不本意なのかもしれない。
 それでも、ミアは、門の巫女がどういったものなのか、知る権利があると、信じる神は違うなれど同じ神に仕える者として、そう言っているのだ。
「まあ、そうだな。確かに知る権利はある。ならば、私から言うことは何もない。あとはお前の責任でどうにかしろ。私は責任を取らんぞ」
 そう言ってカリナは引き返した。
 まだミアは候補でしかない。替えはきく。
 カリナが無理をしてでも守るべき存在ではない。
 引き返すカリナに向かいディアナが言葉を掛ける。
「大丈夫、だい、大丈夫、未来…… 未来は決まっている…… 変わらない、何も変わらない……」
「そうか、ならいい」
 それに対してカリナは振り返らず簡潔に返事をしただけだ。

 同じころ、青い顔をしたハベルが荷物持ち君と対峙していた。
「おいおいおい、これは洒落にならんぞ」
 ハベルは槍のようなものを作り出している荷物持ち君を目にして、この場から離れたいのに離れなれない自分を悔やむ。
 オーケンという男を容易く信じた結果がこれだ。
「だいじょうぶだって、相手も事情はわかってっからよぉ、護衛者の役割として対峙してるだけだよぉ。殺さない程度に手加減してくれるぜ? 多分な」
 オーケンは、ミアが書いたお守りの紙をひらひらとさせながらハベルにそう言った。
 このお守りは旅のお守りであり、英雄とその護衛の物語だ。そして、それを書いたのはミアだ。
 護衛はその命を懸けて英雄を守る、そんな物語だ。
 それ故に、このお守りの今の持ち主であるオーケンをハベルは竜王の強制力が故に守らなくてはならない。
 ハベルは竜王の強制力が書かれた文字にまで影響を及ぼすことを理解できたなかった。
「オーケン殿、いや、オーケン! 貴様ぁ!」
 と、ハベルは叫びながらどうすることもできない。
 目の前の荷物持ち君は上位種であり、竜の力を扱える英雄であろうと人のかなう存在ではない。
 相手が手加減してくれるとはいえ、気を抜いて良い相手ではない。
「いや、まあ、悪いとは思うけどさぁ、少しだけそいつの相手しておいてくれよぉ…… じゃあ、がんばれよ」
 そう言ってオーケンは約束の場所へと急ぐ。

「スティフィ、なんですか、こんな夜中に外に呼び出して」
 第二女子寮の裏手、まだ寒いのにも関わらずミアはスティフィに連れ出されていた。
 ただそのスティフィの様子はどこか落ち着きがない。
「ごめん、私も逆らえないのよ。なるべく、できる限りは守るようにするからさ…… 私のことはいいから、危険と思ったらすぐ逃げるのよ」
 スティフィは真剣な表情でそう言った。
 スティフィにできるのはここまでだ。
「え? 何言って……」
「よぉ、ミアちゃん、今晩はっと」
 そう言ってオーケンがやってくる。
 スティフィがビクッとして直立不動に立つ。
「オーケンさん……」
 ミアも何かを察したかのように、スティフィを庇うように立ちオーケンを睨む。


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