学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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新しい春の訪れと入学式と中央からお客様

新しい春の訪れと入学式と中央からお客様 その5

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 シュトルムルン魔術学院には来賓用の食堂、いや、この場合は料亭と言うべきか、そのようなものがある。
 基本的に全室個室になっているところで、完全に予約制の店だ。
 お値段もそこそこで最低でも金貨一枚から、そんな場所だ。

 そこに珍しくフーベルト教授とサリー教授が訪れている。
 二人とも笑顔だ。
 サリー教授は料理人並みの料理の腕の持ち主ではあるが、それはそれ、これはこれだ。
 このような場所で食事ができてうれしくないはずもない。
「いやー、良いんですかね」
 フーベルト教授も少し遠慮がちにいながらも、その顔からは嬉しさがにじみ出ている。
 美味しい食事が食べれるから、というよりはこういった場所に二人で来られることからの方が多いだろうが。
「ありがたいですね、ウオールド教授には感謝です」
 一応結婚の前祝の一環ということで、この料亭での食事を二人に贈られたものだ。
 二人とも教授という身分なので来ようと思えば、いつでも食べにくることはできるが、二人ともそう言うことには億劫なところがある。
 なにか切っ掛けでもなければ、外で豪勢な食事をする、なんてことはしない。
 それはともかく、二人は相性がいい。
 二人きりの時は、サリー教授も安心しきっているのか舌が回り饒舌になる。
 普段のサリー教授からは、想像もできないほど甘えたりもする。
 本当の彼女は甘えたがりな人物だ。

 偶然、とは言い難い。

 ライとデュガンはフーベルト教授とサリー教授の隣の部屋で食事を取っていた。
 ここは魔術学院にとっての来賓をもてなすための料亭だ。
 場合によっては密談なんかもしたりするような場所だ。
 普通なら、隣の客室の会話など聞こえるはずがない。

 はずがないのだが、その日は『偶然』にも隣の話し声が聞こえてくる。

 フーベルト教授とサリー教授はその会話が隣の部屋に聞こえているとは思わない。
 だから、彼らは彼らにとって普段通りに過ごしていた。

 それはライの知らないサリー・マサリーであり、彼が憧れてやまない女性ではなかった。
 デュガンは美味しい食事に舌鼓を打つことはない。
 ただ心配そうに、ライを見ているだけだ。



「ミア君、申し訳ないですがこの護符のようなものを模写してはくれないですかな? 報酬もお支払いしますよ」
 講義の終わりに、グランドン教授がミアを呼び止めて、一枚の紙を渡してきた。
「グランドン教授、なんですか? この護符…… ですか?」
 紙に書かれたミアには読めない文字を見ながら聞き返す。
 とりあえず魔法陣でないことはミアにもわかる。
「我も頼まれ事でしてな。そう詳しくは知らないのですよ。ただ内容は護符というよりは詩に近い物ですな。魔術的な効果はありませんよ」
 とぼけるまでもなくグランドン教授は本当のことを述べた。
 隠しても仕方ないことだ。
「でもこれ、神与文字でしょう?」
 スティフィがミアの手にある紙を覗き込みながらそんなこと言った。
 そこには見たこともない文字が書き込まれている。
 神与文字なら魔法陣でなくとも何か副次的な効果があるかもしれない、と心配してのことだ。
「いえ、神与文字ですらないですよ。共通語になる前の古い時代の、人の文字ですな」
 グランドン教授もお気に入りの生徒にそんな怪しげな仕事は回さない、とばかりにそう言った。
「それ、護符として効果があるんですか?」
 けれど、ミアがもっともな返しをする。
 神与文字でないのであれば、マジナイとしても効果があるかどうかわからない。
「まあ、マジナイの類ですからな。なんならサリー教授に見てもらっても構わないですよ」
 グランドン教授は特に後ろめたいところもなかったのでそう言った。
 ついでに、実際にサリー教授に見せたところ、これは過去の物語の詩でそういうものにあやかった古い護符という回答が返って来ただけだった。
 英雄とその護衛の旅の話だそうで、旅のお守りになるそうだ。
 ただあまり効果は期待できない、そんな話だ。
「頼まれ事って、誰からですか?」
 スティフィが少し訝しんでそう聞くと、
「うむ…… それは言えませんな。守秘義務という奴です。ただ条件がありましてな。その条件に合う人物が私の知る限りでは、マリユ教授、ディアナ君、ミア君くらいのもので」
 と、困ったようにグランドン教授が答えた。
「ああ、神の巫女が条件なわけね」
 スティフィもその答えに納得する。
 また、グランドン教授がマリユ教授の名を挙げているあたり怪しい品でもないのだろう。
「はい、ディアナ君は、まあ、話が通じませんし、マリユ教授は…… 今は会いたくはないので」
 グランドン教授はそう言って深いため息をついた。
 以前なら喜んで、断れるとわかっていても頼みに行っていただろうが、今はその気力もないらしい。
「そう言えば、グランドン教授は良いんですか? マリユ教授のこと?」
 そのことをわかっていながら、スティフィは少しからかうようにそう言った。
「むぅ、相手が相手ですからな。我ではどうこうできませんよ。そもそもが我では彼女の御眼鏡にかなわなかったですし」
 わかりやすく肩を落としてグランドン教授はそう言った。
 相手がオーケンではグランドン教授でも何もできない。
「随分と簡単に諦めるんですね」
「諦める? それは違いますぞ。我の思いは憧れです。恋心がなかったわけではないですが、まあ、彼女が望むのであれば我に口出しする権利は元よりないのです。それにもとより我にはマリユ教授を抱く勇気はないですからな」
 グランドン教授にしては真面目な顔でそう言った。
 彼の中では既に、恋焦がれた時間は思い出になっているようだ。
「ふーん、随分と冷めてると言うか、なんというか、もっとドロドロしていると思ってましたよ」
 それにスティフィが詰まらなさそうにそう言った。
 スティフィ的にはグランドン教授なら、嫉妬で怒り狂っているのでは、と思っていたからだ。
「いえ、いつしかこうなる日が来ることはわかっていましたからな。手を出したくても出せない。自らの命を投げうって迄の想いは我には初めからなかったのですよ」
 グランドン教授にとって、マリユ教授は決して手の届かない、いや、手が届いてはいけない花だったのだ。
 手が届いてしまえば、確実に死んでしまうような、そんな美しくも猛毒の花だった。
 それだけに誰も手を出さず安心して見ていることが出来た。
 グランドン教授はそれでもよかったし、自身もその花に手を伸ばす勇気もない。
 ただ手の届かない花を眺めているのが好きだっただけだ。
 別の誰かが死ぬ覚悟でその花を手にしても、どうこう言う権利はない。
「なんの話です?」
 ミアが何も理解できずにそう聞くと、
「ミアには関係ない話よ」
 と、スティフィがにやけながらそう言った。
「むー、で、これを写せば何を貰えるんです?」
 とりあえずミアにとっては報酬の話だ。
 恐らくこれも学院の事務を通しての依頼になるはずだ。
 なら、報酬の確認はしておかないといけない。
「今のミア君なら、お金よりも荷物持ち君の素材の方が良いですかな?」
 それはもちろんグランドン教授も知っている。
 なので、ミアが喜びそうな報酬を考えてやる。
「はい!」
「とはいえ、もう大方の素材を既に提供していますし…… ああ、茸なんてどうですか?」
 色々と考えたが、荷物持ち君が喜びそうな手頃な素材はもう既に渡してしまっている。
 あと残っているようなものは、もう秘蔵の品くらいなもので、この程度の仕事の報酬で渡して良い物でもない。
 なので、グランドン教授は発想を変える。
 何もミアが喜ぶのは荷物持ち君に使う素材だけではない。
 ミアは最近よく水薬だけでなく、様々な薬の開発もしていると聞く、ならば茸はその為の良い素材となる。
 荷物持ち君、要は古老樹に生える茸ともなれば、最上級の霊薬にも使えるような物にもなるだろう。
 そして、なによりグランドン教授的にも安く済む。
「茸?」
 予想にしてなかった報酬にミアが不思議な表情を浮かべる。
「荷物持ち君を強化する素材ではないですが、霊薬などに使える類の茸ですよ。霊薬の調合はミア君にはまだ早いですがね。荷物持ち君から生えた物ならとんでもない物になるはずですぞ」
 霊芝系の茸ならきっと良い素材に成長するだろうとグランドン教授は考える。
 問題があるとしたら古老樹である荷物持ち君に茸が生えるかどうかであろうが。
 荷物持ち君が嫌がれば茸が生えることはないが、ミアが命令すれば荷物持ち君は大人しく従うだろう。結局はミア次第だ。
「う、うーん? どうなんです? 荷物持ち君に茸を生やして平気なんですか?」
 ミアも古老樹に茸が生えるかどうか疑問だし、生やしていい物かどうかも判断がついていないようだ。
 ただ、ミアの顔は少し緩んでいる。
 霊薬の材料が身近で取れるのであれば、嬉しいのだろう。
「まあ、茸が生えたからと言って生命力あふれる古老樹にとっては害はほぼないですぞ。荷物持ち君と相談してみてください、ダメなら他の物を考えます」
「わかりました。とりあえず茸で考えておいてください! 模写の方はこれから取り掛かりますから、明日迄にはお届けします」
 それほど文量が多いわけではない、ミアがその気になれば一時間も掛からない程度の文字数程度だが、ミアも一応サリー教授に相談してから、と考えての返答だ。
 なので期限を明日にまで伸ばすように交渉している。
 グランドン教授にはそのことはお見通しだが、巫女としてはともかく魔術師とはそうあるべき存在だ。
 ミアが魔術師として育っていることをグランドン教授も教師として嬉しく思う。
「はい、よろしくお願いします」
 そう言ってグランドン教授は、今回は報酬が安く済むと微笑んだ。

「ミア、良かったの? 怪しくない?」
 次の講義の準備のために自室に戻る途中で、スティフィがミアに注意を促す。
 とはいえ、グランドン教授もミアにはかなり好意的だ。
 なにか不利になる様な仕事ならミアに振ることもないだろう。
「でも、神代文字でもなく詩の模写なら問題ないんじゃないですか? それにこの後一応サリー教授にも相談しようと思ってますよ、ちょうど次の講義はサリー教授の講義ですし」
「それも…… そうか。巫女ってそんな仕事も貰えるのね」
 それなら問題ないと、スティフィも安心する。
 サリー教授の目が入るなら、なにか怪しいことがあれば止めてくれるはずだ。
「それより魔術学院でも巫女って三人しかいないんですか?」
「そんなことないわよ。ただ、力のある巫女となると、ミアとディアナ、そしてマリユ教授って話にはなるかもね」
 形式上だけの巫女や自称巫女という存在なら確かに多くいる。
 ただ本物、力のある巫女となると、グランドン教授も言っていた通りその三人がまず挙げられる。
 神に気に入られた人間はそう多くはいない。
「学院長とかは違うんですか?」
「あの人は神官であって巫女ではないわよ」
 と、スティフィは答えてはいるが、そこに明確な違いはない。
 ただミアやディアナ、そしてマリユのように神に巫女として選ばれた人間ではないことは確かだ。
 マーカスのように神に使命を与えられた人間ではあるが。
 巫女とそうでないものを明確に分けるならば、やはり神の意志が関与しているかどうかだろうか。
「その辺の違いもよくわからないですね」
 ミアはそう言って難しい顔をした。
 この一年、魔術学院で魔術のことを学び出しはしたが、それまで閉ざされて環境で生きて来たミアにはまだまだ知らないことが多い。
「そのあたりはちゃんと定義されてないし、仕える神によってもまちまちだしね。まあ、神様が認めているかが一番重要なのよ」
 そう言った意味では、スティフィにはマリユ教授のことはわからないが、ミアやその身に神を宿していたディアナは確実に神に気に入られていることだけはわかる。
 間違いなく力ある巫女と言っていい。
「ふへへ」
「何笑って」
「つまり私はロロカカ様に認められた巫女というわけですね」
 ミアは上機嫌だ。
「まあ、夢見でお告げを貰える時点でそうでしょう」
 スティフィなどお告げなど貰ったこともない。
 それ以前に神の声すら聞いたこともない。
 だからスティフィは教義に従順なのだ。
 少しだけ、神を身近に感じられるミアを羨ましく思う。

「あんなのはサリー様ではない…… あんなのはサリー様ではない……」
 昨日の晩からライはうわごとのように口走っている。
 デュガンも徹夜でライを監視しているせいか、少し眠たげだ。
 このままではまず間違いなくライの闇の人格が表に出て来る。
 デュガンの編み出した新しい格闘術を用いた技術で、闇の人格だけを封じる、いや、殺すことが出来る。
 ただし、それでも一時的な処置に過ぎない。
 根本的な解決にはならない。
 デュガンには闇の人格の発生を止めることまではできない。
 それに闇の人格はライの精神状態が乱れれば乱れるほどその力を増す。
 溜め込ませずにある程度、吐き出させておかないとならない。
 不安定な気持ちを溜め込み、それを一気に解放されでもしたら、それこそ手が付けられなくなる。
 デュガンは憐れみの目ではあるが、心配そうにライを見守る。

「おっとぉ、これは珍しい客人だよなぁ? 真昼間から酒でも飲みに来たのかよ、爺さん」
 この学院の副院長、ウオールド・レンファンス。
 その人物が、オーケンの仮屋を訪ねていた。
 そのオーケンは昼から酒を飲んでいる。
 酒瓶を見る限りかなり上等な酒のようだ。
「自分の半分しか生きていない人間を爺さん扱いか?」
 そう言ってウオールドは笑って見せる。
「ん~、こういうのは見た目の問題だろ、爺さん」
 オーケンは酒を飲みながら、ウオールドの相手をする。
 客人がいても酒を飲む手を止めない。
「まあ、それも一理ある。ワシはもう講義を持っていないのでな、酒を飲んでも構わないのじゃがな、それは要件が終わった後じゃな」
 そう言って、ウオールドもオーケンの前の席に腰かける。
 それに対してオーケンは、杯も酒も差し出しはしない。
 逆に全部自分の物だと、ばかりに逆に酒瓶を抱え込む。
 そんな子供じみた行動をしたうえで、顔だけはウオールドをいぶかしむ。
「ほほぅ? この俺様に何の用だ」
 そして、面白そうに笑って見せる。
 ただその笑みには大型の猛獣のような凄みがあり、常人であればその笑みを見ただけで震えて逃げ出したくなるほどの物だ。
 ウオールドはそれを受け流し、懐から硝子の箱に入った光り輝く物を取り出す。
「まずはこれを」
 ウオールドはそれを机の上に置く。
 それを目にした瞬間、オーケンから凄みという物が完全に抜け落ちる。
 そして、本物の子供のように無邪気な笑顔を見せる。
「これは…… へへっ、またすげぇもん持ってんな」
 そう言いつつ、それには手を出さない。
 下手に手を出せば、オーケンでさえただでは済まないものだ。
 それは拳ほどの大きさに切られた長細い何かの断片に見える。
 ただそれ自体が光を放っている。
「光鯨の髭じゃ。ワシ一番の宝もんじゃな」
 ウオールドは自慢げにそう言って見せる。
「光鯨ねぇ、海の精霊王か…… そういや、爺さんは最果てを見に行った調査船団の一人だったな」
 そう言って、オーケンはその秘宝とも呼べるものから視線を外す。
 あまり見ていると欲しくなってしまう。
 殺して奪うことは容易だが、今それをしてしまうのはオーケン的にとても不味い。
 それにこうやって見せびらかす、と言うことはそう言うことなのだろう。それがわからないオーケンでもない。
「ワシが僻地とはいえ神官長の地位にあるのも、そのおかげじゃな」
 オーケンがそんな心の葛藤を知ってか知らずか、ウオールドは呑気にそんなことを言った。
 ただそれでオーケンの興味も多少、その髭からずれる。
「で、最果てはどんな場所だった? 俺ですら見た事ねぇからな」
 オーケンにとってまだこの世界で行っていない場所の方が少ない。
 海の終わり、世界の最果てもその一つだ。
「何もない。ただ暗く闇が広がり、そして、何もない。闇に海が飲み込まれているだけじゃ。命がけで行くような場所ではない事だけは確かじゃな。巨大な滝が自分の命より好きなら見に行く価値はあるかもしれんのぉ」
 ウオールドはそう言って自慢の自分の長い髭を撫でる。
 そして、当時のことを思い出し、感慨深い気持ちになる。
「ふーん、思ったよりつまらなそうだな」
「まあ、お前さんを喜ばすものは、これ以外はないじゃろうな」
 ウオールドはそう言って、硝子の箱に丁寧にしまわれている光鯨の髭を見る。
 大元は長く立派な髭であったが、それを船員達全員で分けた物だ。
 それでもとてつもない力を秘めた物だ。
「で、それを見せつけてどうする気だよ?」
 そう言って、オーケンがウオールドをぎょろりと睨む。
 ウオールドはそれをニヤリと笑って正面から受ける。
「これを、おまえさんにやろうと思うてな」
 そう言って笑う。
 当時のことを思い出すと、手放すのが惜しい品ではあるが、今のウオールドに必ずしも必要なものではない。
「は? 何考えてやがる」
 オーケンの方が面食らう。
 天の精霊王の体の一部も大概だが、海の精霊王ともなるとその希少性は更に跳ね上がる。
 天の精霊王は稀に地上に舞い降りはするが、海の精霊王は世界の最果て、人間を拒絶している海をひたすら進まないとまず会うことすらままならない。
 国宝級の秘宝どころの話ではないし、それに込められている力はオーケンでも計り知れない。
「もちろん、代わりのものを頂くつもりじゃよ」
 ウオールドがそう言ってしたり顔で笑みを浮かべる。
「俺と取引とはずいぶんと豪気だな。俺はこう見えてケチだぜ?」
 オーケンもそう言って笑って見せる。
「なに、お前さんの物を代わりにもうつもりはない。ただ……」

「ライ殿、大丈夫…… ではないですな、どう見ても。しっかりと気を持ちなさい」
 そろそろライの限界は近い、デュガンはそう判断をして声を掛ける。
 もう何時、闇の人格が出て来ていてもおかしくはない。
「デュガン…… すまない…… もうダメだ……」
 ライのその言葉に、まだライの意識があると、とりあえずデュガンは安心する。
「ライ殿。では、我に任せてしばらく眠りなさい。その為の同行ですからな」
 そう声をかけ、デュガンが拝借呪文を唱えようとしていたところで、ライが急に跳ねて飛び、デュガンから距離を取る。
「よぉ、大将、久しいなぁ、いや、俺様とは初めてか? 前の俺様はあんたに眠らされてから…… いつ振りだぁ?」
 そう言って、デュガンを見るライの人相はまるで別人のように醜く歪んでいる。
「ふむ、一年半振りといったところですかな。今回は何という名ですかな?」
 デュガンは構え、警戒しながらもゆったりと話をする。
「んー、そうだなぁ、オーケンと名乗りたいけど、名乗ったら俺様、殺されちまうかなぁ?」
「さあ、どうですかな」
 デュガンは焦っている様子は見せない。
 それが隙になることを知っているからだ。
 この人格は以前デュガンが会った人格とはまた別ものではあるが、ずる賢く狡猾であることは変わりないはずだ。
「ただあやかりたいとは思っているぞぉ、あんな人間は初めて見たし、うーん、オージンとかどうだ?」
 そう言って、ライ、改めオージンは笑って見せる。
「ほぼそのままですな。まあ、どうでもいいことですな。また我が眠りにつかしてあげましょう」
 デュガンは眠らすと言っているが、実際のところそうではない。
 この闇の人格を殺さなければ、ライが再び目覚めることはない。
 そして、その為のデュガンだ。
 魔力と格闘術を融合し使うことで闇の人格そのものに影響を与えることが出来る。
 だから、ライにデュガンは同行している。
 ライの闇の人格を見るのはデュガンは三度めだが、どれも破滅的な性格だが全員別人のように性格が違う。
 まあ、いうならば別人格なのだろう。
 ただライを通じて記憶は持ち越しているようだが。
「ギャハハハハハッ、今回の俺様はすげぇ強いぜぇ? こいつ相当絶望してやがる! 女一人に、しかも他人の女に入れ込みやがってよぉ」
「ですな。前回のようにはいかないでしょうが」
 デュガンもそれを肌で感じている。
 今回の人格は圧が違う。
 相当抑圧さえた感情を元に生まれて来たのだろう。
「だけどなぁ、おまえのその、なんだ? 魔術でもないソレは俺様にとって非常に厄介なんだよぉ、だ・か・ら、今回は逃げさせてもらうぜぇ?」
 ライを通じて記憶を持ちこしているため、デュガンの技もオージンと名乗った人格には筒抜けだ。
 それは同時に、デュガンの技術が闇の人格に対して有効でもあると言うことだが。
「そう簡単に逃がすとでも? 既にこの部屋は結界で封じて……」
 デュガンの言葉に被せる様にオージンが割り込んでくる。 
「悪くない結界だぁ、けどよぉ、ライの知識は俺様も利用できるんだぜぃ? 学会に属する学者様の知識がなぁ」
「む? だとしても、それを我が見逃すとでも?」
 そう言って注意を払いつつ、デュガンは拝借呪文を唱えようとするが、
「違う違う、もう済んでるんだ。デュガン…… すまない…… もうダメだ…… って、中々うまい演技だったろ? それとも、あんなのはサリー様ではない…… ってところの方が良かったかぁ?」
 オージンはそう言って、デュガンを嘲笑い、結界が張られ空かないはずの扉を悠々と開けて見せた。
「なっ!」
「逆にこの結界はおまえをここに閉じ込めてくれるなぁ! じゃあな! 俺様は好きにさせてもらわ」
 そう言い残してオージンは部屋を出ていった。
「結界を解析し、書き換えたのか…… それに演技まで…… 以前の人格とは大分異なっていますな」

「さてさてさて、まずは避けなきゃいけない連中だ。あの大女に、オーケン、それとミアとディアナ。教授連中も避けるべきかなぁ? それ以外はやっちゃっていいよなぁ? 弱い連中が行けないんだよなぁ、ここにはひよっこの学生もたくさんいるしなぁ! さーて、誰からいたぶり殺し……」
 そう独り言を大声で言いながら、辺りの人間を物色しようとして初めに目に留まった人物にオージンは呆れかえる。
「あっ、ライさんどうも」
 そう言って挨拶してきたのは、避けなきゃいけない人物に今さっき自らあげたミアだ。
 ミア自体は問題ないが、それを守る連中はとんでもない。
「あー、いやだいやだいやだいやだ、これだから神に愛されている連中はぁ、なんでこうもすぐに出会っちまったかなぁ……」
 既に護衛者と呼ばれる使い魔が戦闘態勢に入っている。
 近づけば間違いなく殺されることがわかる。
「ミア、様子が変よ、下がって」
 それだけじゃない。
 デミアス教徒の服を着た少女、スティフィもライがライでないことに気づいたようだ。
「え?」
 ただミアはそんなことに気づいた様子はない。
 それでも、素直に言われた通り、戸惑いながらではあるがオージンと距離を取る。
「良いから早く!」
 それをスティフィが更に急かす。
 オージンはその様子を見て、こいつは相手にするだけ無駄だ、とすぐに悟る。
「はぁ、どうすっかな。本当はたくさん人を殺して更にライの奴に絶望を与えてやりたかったんだけどなぁ、ヒッヒャッヒャッ、あー、運がねぇなぁ。にしても相変わらずえげつない魔力の痕跡を、よくそれで正気を……」
 オージンはミアを見てゾッとする。
 自分などよりも更に深い深淵に立つその存在、それでいて普通の人間でいられるミアという存在が不思議で仕方がない。
「ライさんじゃないんですね?」
 そんなミアからそう声を掛けられる。
「いんやぁ、体はそいつのもんだよぉ? ただ別の人格ってだけでぇ。にしても分が悪い、悪すぎる…… 手ぇ出したら、これ俺様死んじゃうじゃん?」
 ライ、いや、オージンからすれば、ミア自体も手が出し難かった。
 それを実際にオージン自身の目で直接見て理解できた。
 隙だらけではあるが、ミアの纏う気に、オージン自体が飲まれそうになってしまう。既に恐怖すら感じている。
 特にあの髪がヤバスギる。
 神器である帽子で隠してはいるが、なんで人間があんなものを生やして生きていられるのかがわからないものだ。
 恐らく護衛者が居なくても、オージンがミアを殺そうと近づけば、身を震わせてそれどころではなくなってしまう。
 特にオージンはライよりも、深い深淵を覗いている。
 だから、その、ミアの髪のやばさがより一層理解できてしまっている。
 それほどミアの髪の毛は場違いすぎる存在だ。
 そこへもう一人、オージンから見てヤバイのが笑顔でやってくる。
 こっちもこっちで、オージンから見て信じられないほど色々とおかしい。
 様々な神々の呪詛を現在進行形でその身に受け、それでもなお平然としている。
 いや、呪詛と呪詛を上手く合わせ、打ち消し合っている、そんな芸当が人間にできるわけもないのだが、実際にそれが目に前にいる。
 それは恐らく意志を持つ呪詛であるオージンにしか認識できないことであるが、その女は強力な呪いの渦に守られたような状態になっている。
 新しく来た女にもオージンとしては関わりたくはない。
「おんやぁ、これまた凄い化物がいますねぇ」
 その人物、アビゲイルが笑顔で歩いてやってきた。
「アビゲイルさん」
「ハッ、次から次へと…… 化物はてめらのほうだろう? 化物ばかりホイホイ出てきやがってよぉ、あんたも呪いを身に宿してんのかぁ? 一体いくつその身に呪いを宿してんだよぉ」
 オージンは呆れかえりながらそう言った。
 自分も相当ヤバイ存在のはずだが、それ以上の化け物が目の前にゴロゴロと出てきている。
 それは尻込みもしたくなる。
「私のは祝福ですよぉ?」
 アビゲイルはそう言って作り笑いを見せる。
 ただアビゲイルは神々の呪いを本気で祝福だと思ってはいるが。
「それでかぁ?」
 呪いその物のような人格のオージンから見ても、それを祝福だと言い切れるアビゲイルを理解することはできない。
 強力な呪詛同士が複雑に絡み合い、奇跡的にアビゲイル本人に届いていない、そんな状況なのだ。しかも、恐らくはそれを本人も自覚している。
 まるではめ込み細工の飾りのように呪い同士がぴったりと噛み合って支え合っているのだ。
 少なくとも偶然の産物ではないが、それを人手で作り出せていると言うのも理解しがたい。
「そうですけども?」
 アビゲイルは笑顔でそう答える。
「とりあえず行っていいか? さすがの俺様もあんたらとやる気はしないんで、別の獲物を探すんで」
 そう言ってオージンはその場を去ろうとする。
 少なくとも一番の脅威、護衛者の荷物持ち君は去ろうとする脅威を追撃するようなことはしないはずだ。
「獲物?」
 と、ミアが反応する。
「弱い連中だよぉ? そいつらをいたぶって殺すんだよぉ、その為に俺様は存在するんだぜぃ?」
「それを聞いたら行かせられません」
 ミアがそう言ってオージンを睨みつける。
「えー、私たちでやるんですか? めんどくさいですよぉ。相手は神の祝福、いえ、呪い持ちですよぉ?」
 アビゲイルがそう言ってはいるものの、その呪いに興味ありと頬を緩ませている。
「神の呪い? ミア、こいつの相手は別の誰かにさせなさい」
 それを聞いたスティフィがミアに注意を促す。、
「そうはいかないですよ。荷物持ち君、杖を」
 が、荷物持ち君から古老樹の杖を受け取ってそれを構える。
 ミアはやる気のようだ。
「ああ、もう! でも殺しちゃだめよ、呪いがこっちに移るわよ。とどめはせめて荷物持ち君に任せなさいよ」
 強力な呪いという物は、対象が死んだからと言って終わるものではない。
 死後にその対象を変えると言うことはよくある話だ。
「こ、殺さないですよ!」
 と、ミアは焦りながら言い返す。
「いやいやいや、俺様はあんたらみたいな化物とやり合う気はないってのぉ。じゃあな」
 そう言って忽然とライの体に宿るオージンは、自分の左手の小指を躊躇なく骨ごと折る。
 その瞬間、ライの体は忽然とミア達の目の前から消えた。
「消えた!?」
 と、スティフィが驚く。
 だが、オージンの気配は消えてはいない。ただゆっくりとではあるが、離れてようとはしている。
 スティフィ的にはそっちの方が都合がよい。ただ警戒だけは怠らない。
「隠行術の一種ですねぇ、でも、甘いですよ。アビちゃんの前で、そんな目くらましで逃げれると思ってるんですかぁ?」
 そう言ってアビゲイルが両手を勢いよくあわせる。
 バチンと大きな音がして、消えたオージンが突然現れる。
「嘘だろ、おい…… なんだ、なんなんだよぉ? 化物すぎんだろ? 小指まで折ったってのによぉ」
 流石のオージンも焦りだす。
 まさか今の術を一瞬で破られるとは考えもしていなかった。
「隠行術? それを見破って一瞬で解除!?」
 スティフィが両者の術者としての実力に驚く。
 ライの隠行術もかなりのものだが、それを一瞬で解除したアビゲイルの芸当は魔術的に理解しがたい物がある。
 余りに高度すぎて、幸いにもミアにはそのことが分かっていない。
 だからスティフィとは違いミアは動くことが出来た。
「えーと、とりあえず捕まえますね!」
 ミアはそう言ってオージンに向かい、荷物持ち君から受け取った古老樹の杖を向ける。
「威光の前にひれ伏せ!」
 ミアが発動の呪文を唱えると、杖の先端が歪み、巨大な目が現れる。
 ただの目ではない。
 炎に包まれた眼球だ。その眼球がオージンを睨む。
 その眼に睨まれた瞬間、魔力感知がずば抜けているオージンは震えあがる。
「ヒィッ!!」
 そうして、更にオージンが地面に押しつぶされるように仰向けになって地面に張り付く。
 圧倒的な力で地面に押し付けられているように、オージンは身動き一つできない。
「な、なんだ、こりゃ、う、動けねぇ」
「これは…… また凄い使徒魔術ですねぇ…… 惚れ惚れしちゃいますねぇ!!」
 為す術なく無力化されたオージンは、やっぱり運が悪かった、と、心の中で嘆いた。



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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

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