学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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新しい春の訪れと入学式と中央からお客様

新しい春の訪れと入学式と中央からお客様 その4

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「で、ライ殿。どうでしたかな、昨日今日とフーベルト教授と話して」
 ミアの巫女服が元に戻されたその日の夜、学院の来客室にてライとデュガンが豪華な椅子に座り話し合っている。
 デュガンの問いにライは嫌な顔をしつつも、昨日と今日、フーベルト・フーネルという男と語り合って思ったことを素直に話す。
「……いい人でしたよ。知識も豊富ですし、実際に神に何度も直接会いに行っているというのも頷けます。ですが……」
 ただ、認められないことはある。
 ライにとっては決して認められないことだ。
 確かに悪い人間でないのはすぐに分かったし、その知識の幅の広さは確かに魔術学院の教授として相応しいものだった。
 でも、それだけなのだ。
 ただの平凡な、少し優秀なだけの、人間に過ぎない。
 ライが幼き頃より憧れに憧れて来たサリー・マサリーの相手として認めることなどできやしない。
「まあ、そう簡単に納得できるものでもないのでしょうが。今は仕事で来ているのです。私情は挟まぬように。特にあなたの場合は……」
 そう言ってデュガンは目を細めてライを見つめる。
 デュガンもライ自身は、悪人面ではあるがそう悪い人間ではないことを知っている。
 知っていたからこそ、この仕事、ライをお目付け役を受けたのだ。
 ただ彼の性分は彼の人柄に関係がない。
「わかっています。サリー様の前で暴走などできませんよ、絶対に」
 ライはそう言って目と固くつぶった。
「よろしい」
 デュガンはそう言ってこの調子であれば、今のところは問題はなさそうだと判断する。
 恐らくではあるが、昨日オーケンが姿を現せたのもそのためだったのだろう。
 ライを、いや、ライの闇の人格を牽制するために早々にライの前に姿を現したのだ。
 それにライが己の中にいる闇の人格を制御するのに、サリー教授の前では暴走しない、という誓いは大いに役立つものだ。
「そちらはどうだったんですか?」
 今度は逆にライが自分のお目付け役を投げだしてまで、近くの山の頂上までデュガンがわざわざ見に行ったものが気になる。
「ふぅむ。いやいや、驚きました。カマクラと魔法陣、両方とも一見の価値がありですな」
 デュガンはそう言って、深く頷きながら自分の顎を撫でる。
 特にあのカマクラを見た後では実感せざる得ない。
 やはりミア、門の巫女という存在に人の身でありながら関わるべきではないと。
「カマクラ?」
 ライはそう聞き返す。
 そのカマクラを見たら学会に属するライこそが興味を引かれる事なのだが、ライはそのことを知らない。
「ほら、例の巫女の泥人形がいたでしょう。あれが作ったカマクラがあるのですよ。驚きですよ」
 とはいえ、あの使い魔の核に古老樹が使われていることは知っていても、その古老樹が生きていることは知らない。
 死んだ古老樹の枯れ木を核として使っている物だと今は二人共がそう考えている。いや、そう考えていた。
 ライに至っては、使い魔が作ったカマクラに何の意味があるのか今一理解できていない。
 実物を見ればまた違った反応をしたのだろうが。
「はぁ? はぁ……」
 ライも今は訳も分からずそう言うしかない。
 だが、カマクラの実物を見たデュガンは古老樹が生きているのではないかと疑念を持ち始めている。
 そうでなければ、あれほどの魔法陣は描くことなどできやしない。
 まあ、古老樹が生きていたとして、人間になにができるわけでもない。
 ただ単に手をこまねいてみていることしかできないのに変わりはないのだから。
 それにデュガンとしては、もう関わりにならないと決めている。
 どっちであろうと見て見ぬふりだ。
「まあ、それと外道寄せの魔法陣でしたか、確かアビゲイル・フッカーとか言う魔術師でしたか、あれは何者ですか? 学会のほうはご存じで? 魔法陣の痕跡を見ただけですがあれは尋常な魔術師ではないですよ」
 デュガンはそう言って山の頂上に描かれていた魔法陣を思い出す。
 少なくとも数十種類の神与文字で書かれた魔法陣で下手をすれば単語内でもその文字の種類が違う、それ自体が高難易度の暗号のようなもので常人でなくとも解析など不可能だ。
 とてもじゃないがまっとうな方法で書かれたものではない事だけは確かだ。
「マリユ・ナバーナの弟子、無月の神の巫女の弟子で次の無月の神の巫女候補と説明は受けましたけども。その人物、アビゲイル・フッカーなる人間の記録は学会にもありません。そもそもマリユ・ナバーナという人物も学会の記録もほとんどないですからね。まったくもって謎ですよ」
 ライからすればアビゲイルもマリユも胡散臭い人間でしかない。
 ただ世界の中心である中央からしたら、この地も辺境であることに変わりない。
 その地方の教授の情報が抜け落ちていたとしても実はそれほど不思議ではない。
 そもそも地方の教授は、この魔術学院の精霊魔術の教授であるカール教授のように中央で権力争いに負けた者が流れ着く様な場所でもある。
 実力さえあれば出自はあまり気にされるものではない。
「流石、秘匿の神が納める地ですね。謎が多きことで」
 デュガンはそう言って笑って見せた。
 学会や騎士隊と言えど、いや、だからこそ領地の方針に口を出すことなどできない。
 騎士隊はあくまで中立の軍隊であり、学会はあくまで魔術学院の上位組織として、その在り方を学問として定義していくだけの機関だ。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 領主の方針に口を出すなどもってのほかだ。
「悪魔憑きの魔術の神の巫女に、それに、あれは巨人なんですかね? 初めて見ましたよ。確かにこの地には特異点が多すぎますね…… なんて報告したらいいんでしょうか」
 ただそれはそれとして、この地に特異点的なものが多すぎるのも事実だ。
 そのほとんどが結局のところミアに収束していってはいるが、どうにもこうにも人間が手を出してよい案件ではない事だけは確かだ。
 それをどうまとめて、頭でっかちばかりの上に報告することを思うだけで、ライは大きなため息を吐きたくなる。
「それはそうと、こちらは当初の目的は果たせましたのでライ殿待ちなのですが、どれくらい滞在するおつもりですかな?」
 デュガンは騎士隊全体としては関わるべきではない、と早々に判断し、後はこの地に滞在する騎士隊に全て押し付けるつもりでいる。
 少なくとも騎士隊全体で関わるべきではない、いや、そもそも人が関わるべき事柄ではないとデュガンはしっかりと理解している。
 要は触れず触らず成り行きに任せるつもりでいる。
 神々の政に人が率先して関わるべきではないのだ。
 助けが必要であれば、その時に改めて手を差し伸べればいいだけだ。
 デュガンという男はそのあたりのことをちゃんとわきまえている。
「あ、秋の、収穫祭までは……」
 だが、肝心のライは言い辛そうにそんなことを言いだした。
 デュガンは呆れたように深くため息を吐きだす。
「はぁ、サリー殿の結婚式にまで参加する気ですか? 学会がそれまで待ってくれますかな?」
「……」
 デュガンの問いにライからの返答はない。
「そこまでは流石に付き合えませんぞ? 一人で平気ですかな?」
 デュガンは訝しげな顔をしてライを見る。
 そのライの顔は隠すまでもなく不安そうだ。
「だ、大丈夫ですよ、ここにはオーケン様がいらっしゃいますし……」
 確かにオーケンであれば、暴走したライを止めることは容易だろう。
 だが、
「あの御仁はライ殿が暴走しても止めはしませんよ? サリー殿くらいは守るでしょうが。自身の性分を忘れたわけではないですよね?」
 デュガンにはあのオーケンという男がライを助けるとは思えない。
 恐らく暴走するライを見て酒の肴にするくらいだろう。
 ついでに言うのであれば、サリー教授であれば自力でどうにかしてしまうだろうが。
「それは重々承知してますよ。気を付けます」
 真剣な表情でライはそう言うが、ライの性分は気を付けてどうにかなるようなものではないが、確かに気の持ちようには大きく左右される。
 そういう意味ではこの地は、憧れのサリー教授とその婚約者がいるこの地は、ライにとって良くない場所だ。
「昨日、オーケン殿がいなければ早速暴走してたのではないですかな?」
 昨日フーベルト邸に行くまでライが発していた殺気、あれはライが暴走しだす事前の症状の一つでもある。
 ライの中にいる闇の人格、厄災のタンデン家と言われる由縁、それが表に出かかっていた証拠でもある。
 ただそれも、オーケンのその強力な気に気圧されて、なりを潜めてしまったので、当分は心配はないのだが。
「それは…… はい、その通りです」
 ライ自身もそのことを認めた。
 ライの中には、いや、タンデン家の人間には生まれつき多重人格なものが多い。
 普通の人間としての性格と、破壊衝動をもった闇の人格の二つの人格を持って生まれて来る。
 ライの精神状態が不安定になると闇の人格が出やすくなるのだ。
 真実はわからないが、それは光の神の巫女と闇の大神官の間に、子が産まれたからだと世間では言われている。
 その闇の人格の暴走を止めるためにデュガンはお目付け役としてもライに同行している。
 魔力を武術に応用した新しい格闘術の使い手であるデュガンはライの闇の人格を抑制するのにうってつけだからだ。
「厄介な性分ですな。光と闇の人格ですか。本来、神に光も闇もないはずなのですがね」
 デュガンは憐れみの目を持ってライを見た。

「とうとう今日、今期の講義の予定が発表ですよ、掲示板を見に行きましょう!」
 ミアが朝から元気にそう言った。
 それに対し、ミアの部屋に来ているスティフィは気だるそうに言い返した。
「張り出されるのは昼過ぎからよ。お昼ご飯の後でいいでしょう。あー、明日から講義が始まるのかぁ……」
 スティフィは心底気だるそうにしている。
 ダーウィック教授の講義はスティフィにとって嬉しいが、それ以外の講義はスティフィにとってあまり意味はない。
「そうですよ、待ちに待ってました!」
 スティフィとは対照的にミアは目を目を輝かせている。
「ミアはなに受ける気なの? 神霊学の第二部は必修よね?」
 神霊学は神の力を使った魔術の総称だ。拝借呪文も一応この系統にあたる。
 現在ではもっとも基礎的な魔術であると共に、神の力を安全に扱うために必須な学問でもある。
 なので、基本的に神霊学は必修科目となっている。
 主に闇に属する神々に仕える生徒達をダーウィック教授が受け持ち、光に属する神々に仕える生徒達はエルセンヌ教授が受け持っている。
 さらに言うとこの二人の講義は、更に男女別で違う講義の内容となっている。
 それは男女で神に対する接し方が違うというのが理由だ。
 また騎士隊やそれ以外の一般科の生徒は、様々な神の知識を持っているフーベルト教授が受け持っている。
「精霊学と使魔学は受けないといけないですし、あとサリー教授の自然学、魔具生成の講義は絶対に受けたいです! あ、あと使徒魔術の続きの講義もですね。あとは受けられるようになった講義から受けられるだけ受けますね!」
 ミアは自身に憑いている精霊を制御するために精霊学、カール教授の精霊魔術の講義も必須になる、それに荷物持ち君の強化のために使魔学、グランドン教授の使魔魔術の講義もできる限りでたいとミアは考えている。
 それにあまり使ってはない、というかスティフィがオーケンより貸し与えられた妖刀と同じく荷物持ち君の背中の籠の中が定位置になりつつある古老樹の杖を、せっかくの世界最高峰の使徒魔術の触媒である杖を持っているのだ。
 使徒魔術の講義もミア的には外せない。
 更に様々な魔術の集大成とも言える自然魔術や魔術具の作成方法もミアは学びたくて仕方がない。
 一年目は基本的に魔術の基礎しか教えてもらえない。
 一年目は自分に合った魔術を探す時期でもあるのだ。
 だが、二年目からはそれらの講義が細分化し専門化していく。受けられる講義の数が格段に増す。
 普通はその中から自分に合った魔術の系統を選び、一つの道を究めるのが魔術師としての基本である。
 ミアのようにどれもこれもと様々な系統の魔術に手を伸ばすのは、新米の魔術師としてはあまりいい傾向ではない。
 それをわかっているがスティフィは、
「うへぇ…… 私はそれに加えて、ダーウィック大神官様のデミアス教の専攻の講義だけは受けたいのよね。多分被るなぁ…… 受けられるかなぁ」
 と、そこを懸念している。
 ミアは恐らくどの系統の魔術でも大成をなせる才能を持っている。
 稀にだが、どの系統の魔術にも精通している天才はいるものだ。
 それらの天才にミアがなれるかどうかまではスティフィにはわからないが、可能性はそう悪くない、とは考えている。
「楽しみですね!」
「うー、勉強漬けになりそう……」
 ミアに付き合わなければならないスティフィも必然的にそれらの講義をでることとなり、それらの講義の試験を合格するため、勉強漬けになるのは半ば強制的だ。
 その結果、ミアほどではないが、スティフィも成績優秀な優良生徒となっている。
 悪い事ではないが、スティフィ的にはたまったものではない。
「学生の本分ですよぉ」
 そう言ってアビゲイルもミアの部屋に入り込んで来る。
「あんたはまだ一年生だから、受けられる講義も少ないのよね。受ける意味もなさそうだけど…… むしろ教える側でしょう」
 ステフィの耳に入っている情報では、このアビゲイルという人物は本物の天才と言うことだ。
 既にそこらの魔術教授よりも高い知識と技術を持ち合わせている。
 ただ彼女はすべて独学なので、魔術師としての資格のようなものは一切持ち合わせていない、という話である。
 マリユ教授の後を継ぐために、その資格が必要なので講義を受けなければならないだけだ。
「まあ、面倒ですが得られるものは多いですよ。あっ、ディアナちゃんが寮の前でお待ちですよ」
 アビゲイルがミアの部屋の窓から外を見下ろしてそう告げた。
「今日は起きているのね」
 と、スティフィが反応する。
 最近、寝続けていただけに連日起きている事が気になったようだ。
「飴があると起きていられるみたいですね」
 ミアは少し嬉しそうに、身支度をしながら言った。
「なに、ただの栄養不足で寝てただけなの」
 スティフィがそう言って、それにアビゲイルが付け加える。
「まあ、それもなくはないですよ。御使いをその身に宿しているだけで肉体的には消耗するはずですからねぇ。意外とそれが原因で寝ていたのかもしれませんよぉ」

 結局のところ、ミア達が集まるのはいつもの食堂だ。
 まあ、貸し切りにしてしまっている以上、使わないのは逆に失礼な話でもある。
 そして、それ以上にこの集まりが集まれる最適な場所もそうそうない。
「珍しく今日は全員いますね」
 ミアがそう言って食堂に集まっている面々を見渡す。
 なんだかんだでかなりの人数がいる。
「ん? ほんとだ。ミアちゃん係全員集合だな」
 エリックもそう言ってその顔ぶれを見る。領主の娘から元懲罰部隊の人間まで様々な人間が集まっている。
「ま、まあ、今日は講義の予定表発表ですからね。それを見てしっかりと予定を組まないといけないですし」
 ジュリーがそう言って机の上で紙に大きな格子状の線を書き込んでいる。
 自分用の講義の時間割を作る気なのだろう。
「そういや、ジュリーは三期生か。成績優秀なあんたなら、今年で卒業?」
 専門職に就かないのであれば、一般的な魔術師と呼ばれるような存在は、早ければ三年で資格を揃えることが出来る。
 ジュリーの成績であれば問題はないはずだ。
「いえ、もうしばらく滞在するつもりです。今故郷に戻っても何もできませんからね。もう少しサリー教授に学びます!」
 元々ジュリーは魔術学院を卒業後、この魔術学院に就職するつもりでいた。
 なので、ジュリーの卒業自体はもう少し先であるし、今はサリー教授の下について助教授を目指すのも悪くないと考えている。
「はぁ、完全にエルセンヌからサリー教授に乗り換えたのね」
 スティフィはそう言って、からかうような視線をジュリーに送る。
「元々あぶれないために、しかも学術派閥の方に入っただけですからね。そもそも、それほど親交があったわけでもないですし、私がミアさんと関りあいがあると知って目をつけられただけですからね」
 そう言ってジュリーはため息をついた。
 エルセンヌ教授は西側の貴族なので特に対面を気にする。
 闇の勢力に対する対抗心が特に高い。
 ジュリーをミアにつけたのも対抗心からだが、おかげというわけではないがジュリーはサリー教授という師に出会え、感銘を受けて現在に至っている。
「サリー教授は優秀な弟子が出来たと喜んでましたよ」
 ミアが笑顔でジュリーを伝えると、ジュリーは素直に嬉しそうな顔を見せる。
「この学院は地方にあるにしては優秀な教授が多いですよねぇ」
 アビゲイルがしたり顔でそんなこと言ってはいるが、ほとんどの教授は自分以下だとも思っているし、自分の師匠であるマリユ教授だけは更に別格だと思っている。
「それは…… まあ、確かに。とはいえ南じゃ一番栄えている領地だし、妥当じゃない?」
 スティフィはそう言いつつも、ダーウィック大神官様だけは更に特別だと、心の中だけで確信している。
「騎士隊もハベル隊長で優秀だしな」
 エリックもハベル隊長だけは更に別格だと、心の中で思い、それを外側にまで出してきた。
「ここは成り立ちからして色々と特殊らしいですからねぇ」
 アビゲイルはこのままでは神代大戦の再現になるのでは、と本気で思ったわけではないが話題を若干変えてみる。
「そうなんですか?」
 それにミアが食いつく。
「はい、確か、学園長と副学園長、それとカリナさんとダーウィック教授とで四人で、カリナさんのために作ったそうです」
「カリナさんのため?」
 ミアがそう聞き返すと、アビゲイルは笑って答えをはぐらかした。
「詳しくは私も聞いてないですよ。で、その後、師匠が知り合いだったカリナさんを訪ねてこの地に来た、って聞きましたよ」
「へー、そうなんですね」
 ミアはアビゲイルがはぐらかしていった言葉だけで納得したようだ。
「大体百五十年くらい前、私の年齢と一緒くらいですね」
 アビゲイルが笑顔でそう言って、それと聞いたほとんどの者が驚く。
「そんな歳いってたね。もう驚かないけど。あれ? じゃあ、あんたこの学院は初めてじゃないの? 弟子だったんでしょう?」
 アビゲイルの言っていることが本当なら、そのはずだ。
 だが、アビゲイルはあまりこの学院の地理にも詳しくない。昔のことだ、と言われたらそれまでだが。
「いえ、昔は学院の外に、今師匠が住んでいる塔ができる前は、学院の外に師匠用の専用のお屋敷があったんですよ。私が知っているのはそこだけですね。今はもう廃墟になっていましたが」
 その答えにスティフィも納得する。
 あの塔自体相当なものだ。
 天と地、その両方から魔術的にも隔離されたようなところに半ば幽閉されるかのようにマリユ教授は住んでいる。
 その塔が出来る以前は、恐らく学院の敷地内にマリユ教授が住むこと自体が許されなかったのかもしれない。
 無月の女神の巫女、祟り神の巫女とは本来そういう対応をしなければならない存在だ。
「ああ、まあ、信仰している神が神だからね、そこは仕方ないか」
 スティフィがそう言うと、ミアが怪訝な顔をしてスティフィを見た。
 ミアは無月の女神をロロカカ神に重ねてみたのだろうが、スティフィはミアの視線に気づきつつも気づかない振りをする。
「まあ、確かに。一般的には素晴らしい神とは言えないですからねぇ、私的には最高の神様なのですが」
 ただ、アビゲイルはその辺のことはあまり気にしてないのか、自らそう言ってあっけらかんとしている。
「で、その子はさっきから何食べてるの?」
 ミアの視線もあるのでスティフィは一旦別の話題をふる。
 やはりミアの前で下手に神の話をするのは余り良くない、なにかと気を使いすぎる。
「はちみつ漬けの木の実ですね。やっぱり甘い物が好きみたいですね」
 ミアも余り言及せずにその話題に乗った。
 神のことを人がどうこう言うこと自体が間違いだとミアは知っているからだ。
 神は神としてその場に存在している、ありのままを受け入れるものだ。
 そのことをミアは理解できている。
 理解はできているが、それはそれとして、ミアの気持ちはまた別という話だ。
「うわ、それ高い奴じゃん。それをそんなに雑にボリボリと食べて…… お姫さん、あんた何餌付けしてるのよ」
 ディアナが口にしているのは、様々な木の実を蜂蜜で漬け込んだ物だ。
 この地方で取れない木の実も使われているようでかなり高級品のはずだが、それをディアナは無造作にボリボリと食べている。
 とはいえ、ディアナ自身が積極的に食べているわけではなく、それを食べさせている人間がいるわけだが。
「え? いえ、なんか可愛くて…… つい……」
 ルイーズはそう言いつつも木製の匙を使って、はちみつ漬けの木の実をすくって、ディアナの口の近くに運ぶ。
 ディアナは口を開けてそれを頬張り、幸せそうな顔を見せる。
 ルイーズもその顔を見て、幸せそうに微笑む。
 それを護衛のブノアが何とも言えない顔をして見守っている。
 だが、それ以上この話は進展しない。
「そういや、オーケン様はこの間の…… 子孫様についてなんか言ってた?」
 スティフィは話題を変えて、今度はマーカスに話を振る。
 オーケン絡みの話は情報としてスティフィにも降りてこないので、マーカスから直接聞く必要がある。
「んー、特に何も言ってないですね」
 眠そうにしているマーカスからそんな解答が返ってくる。
 なんでも朝早くから白竜丸の世話をしているのもあるが、白竜丸の餌代が想像以上にかかり、餌代を稼ぐのに忙しいらしい。
 餌は下水道の鼠でも問題ないのだが、マーカス的にはいいものを食べさせてやりたい気持ちが強い。
 白竜丸には外道との戦いで大いに助けられている。
「マーカスさんは復学しないんですか?」
 現在マーカスは休学中という立場だ。
 本来は騎士隊科所属の訓練生という立場なのだが、オーケンの使い走りという微妙な立場でもあるので騎士隊科への復帰は見送っている。
 それに加え、マーカスは冥府の神より、門の巫女であるミアを手助けすると言う使命を預かっている。
 そちらの使命も優先させないといけない。
「神に使命を頂きましたし、師匠がいるので。せめてどっちか片付いてからですね」
 マーカスはそう言って頭を掻いた。
 ミアも神の使命を受け、この魔術学院に学びに来ている身なので、それ以上多くのことは言えない。
「そう言えば会って来たんですよね、紹介してもらった冥府の神の信者に」
 その代わりにジュリーが会話に入り込んで来て、マーカスにそのことを聞いた。
「はい、とても参考になりましたよ。半分冥府に足を突っ込んでいるので気を引き締めろと言われました、でないと冥府に引きずり込まれるとも」
 マーカスは難しい顔をしてそう言った。
 それを聞いたミアを含む少数の人間以外が難しい顔を見せる。
「信仰の行く末が死とか嫌ね」
 スティフィなどはそう言って笑ってはいるが、自身もそうなるかもしれない可能性が非常に高い。
 だからこそ、スティフィは笑っているのだろうが。
 ついでにミアにとっては信じる神のために死ぬことは本望なので何とも思っていない。
「いえ、元は逆ですよ。死から遠ざかるために冥府の神を信仰したのが始まりとのことですよ。まあ、結局死後の世界の神なので、信仰の行きつく先は死なんですよね」
 死を知ることで死から遠ざかる。
 それが死後の世界の神を信仰する最初の理由だと、マーカスもつい最近聞かされた。
 ただ元々はそのはずなのに、信仰が深すぎると神の身元に行くために自ら死ぬ信者もいるとのことだ。
「死後の神様達は面白いですよねぇ…… 神の座に大体居ない神様達なので変わってる方が多いんですよ」
 アビゲイルはそう言って笑って見せた。
 まるで死後の世界の神にあったかのような口ぶりだ。
「それってどうなの? 拝借呪文は有効なの?」
 神の座にいないと聞いて、スティフィはその疑問を口にする。
 拝借呪文は、神の座の場所を示す言葉とされている。
 その場を指し示しても、そこに神がいなければ意味はない。
「ええ、冥府などの死後の世界を管理する神の神の座には、特別に御使いがその神の座に常駐しているらしく、その御使いを介して神の力を借りれるそうですよぉ」
 アビゲイルは何の気なしにそんなことを言ったが、もしそれを学会に属するライが聞きでもしたら、大事件になっているようなことだ。
 世間一般では、あまり、いやほとんど知られていない事実なのだから。
「そうなの? 神の座に居ないと借りられないって思ってた」
 スティフィですら、半信半疑ではあるがそう言った。
 アビゲイルはそれほど嘘つきというわけでもない。
 特に魔術に関することについては嘘はつかない。
 ただ本人に嘘を付いているという自覚がないときは多々あるようだが。
「基本はそうですよぉ、例外がいくつかあるだけでぇ。中央にいる門の守護神も地上にいますが、その御力を借りることができるはずですよぉ」
 ただ中央にいる門の守護神の名はほとんど知られていない。
 それ故にその名を知らぬ者はその力を借りることはできない。
 拝借呪文が手紙で言うところの住所であるならば、神の名はそれこそ宛名なのだ。
 その両方を知らなければ、神がどこに居ようと力を借りることはできない。
「へぇー。門の神ねぇ、ミアと関係あるんじゃない? 案外それがミアの神様の正体だったりして」
 スティフィが無責任にそんなことを言い放つ。
 それを聞いたミアがそわそわしだす。
「そ、そうなんですか? 門の巫女と門の守護神、確かに関係ありそうですが……」
 その様子をアビゲイルは笑って見ていたが、
「いやぁ、どうですかねぇ、私も門の守護神を直接見たことあるんですが、魔力の気配は全然違いましたねぇ。それに門の神と言っても地上におられない神様でいいのならたくさんいますしねぇ」
 と、釘を刺した。
 アビゲイルの見立てでは門の守護神はロロカカ神ではない。
 何よりアビゲイルの知る門の守護神の名はロロカカでもない。
 なにより神としての気配が違いすぎる。
「そりゃそうか」
 スティフィはそう言って、詰まらなさそうにそっぽを向いた。


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