学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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真冬にやって来た非常識ではた迷惑な来訪者

真冬にやって来た非常識ではた迷惑な来訪者 その9

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 マリユ教授はなにかを引きずり廊下を歩いていた。
 暴れるその物体の襟首をしっかりとつかみ歩いていた。
 その暴れる物体、アビゲイルは床に張り付こうとしたりして抵抗するものの、マリユ教授の力にはまるでかなわないかのようだった。
 マリユ教授は非常に大きな、いや、最早、人間には巨大と言って良い扉を片手だけで簡単に開けて、引きずってきたアビゲイルを大きな円環上の机の中心部に放り投げた。
 とてもじゃないがどれも人間の力ではない。
 だが、そのこと自体に驚く者はいない。
 それ以上に、何とも言えないひりつく怒気がその場を支配していた。
 そして、その怒気の源であるマリユ教授が口を開く。
「ねぇ、アビゲイル? 私に迷惑かけるなって言ったわよねぇ?」
 マリユ教授にしては珍しく激しい感情をあらわにしている。
「し、師匠! 待ってください、知らなかったんですぅ! あの外道達が私を追って来ただなんて、本当に知らなかったんですぅ! だって、私を見ても何もしてこなかったんですよ!」
 そう言って、アビゲイルは床に頭を擦り付けて許しを請う。
「それは、あなたが何重にも自身に結界を張っているからでしょうに」
 そんなアビゲイルをマリユ教授は目を細めて睨みつける。
 そんな中、幾人かの教授が、アビゲイルの張っている結界を見て驚く。
 ほとんど感知できないほど自然なものなのに、その強度は驚くべき強固さを有している。
 その結界だけでも、魔術師としての才覚は間違いなく超一流の物だとわかるほどに。
 しかも、教授でありながらにして、マリユ教授の言葉がなければその結界に気づけなかった者も少なくはないほど自然でそこに結界があるということすらわからない。
 これほど不自然なく展開されていながら、ほぼ万能と言ってもよいほど穴がない結界だ。
 普通の者なら、言われてもその結界の存在を認識できないものだし、この結界を突破することすら困難だ。
「そんな結界を常時纏ってたら、下っ端の外道には貴方を発見できるわけないじゃない?」
 さらにマリユ教授が怒りを込めてそう言った。
 そうは言いつつも、自分と離れていたにもかかわらず、また腕を上げている弟子は目を見張るものはある。
 ただ、それとこれはまた別なのだ。
「い、命だけは! それがかなわぬのなら、せ、せめて、神の呪いで呪い殺してください!」
 その怒気をまともに受けたアビゲイルは泣きながらそう言った。
 それほど高度な結界も師匠の怒りの前には無力なようだ。
「それをこれから決めるのよ?」
 冷酷にマリユ教授がそう告げる。
 その言葉を発したマリユ教授の表情は、まるで死刑を告げているようだ。
「そ、そんなぁ……」
 と、アビゲイルはあきらめたような表情を見せる。
 その様子を見ていたポラリス学院長は軽く咳ばらいをした後、
「いや、責任の追及はするが、命をどうこうと言う話ではない」
 と、そう告げる。
 それに対して、ニッコリと笑ったマリユ教授は怒気を隠さないまま、
「ポラリス学院長。遠慮しなくていいですよ? 焼くなり煮るなり好きにしてください。あの鰐の餌でも構いませんよ」
 と言った。
 その目が今の発言が冗談ではない、と物語っている。
「構いますう! 構いますよぉ!」
 泣きながらアビゲイルが懇願するが、マリユ教授には届かない。
 ただマリユ以外には届いているようだ。
 少なくともこれほどの魔術の才を持つ者を失うのは惜しいとは思わせている。
 それがマリユ教授の意図したものだったかどうかは、知る者はマリユ教授と神くらいだろう。
「とりあえず、現状の確認からだ。スティフィ・マイヤー君。話せるかね? 耳はもう聞こえるようになったのか?」
 あんまり相手にしていても話が進まないと判断したポラリス学院長は、今回の生存者兼功労者に声をかける。
「かまいません。すべて話なさい」
 ポラリス学院長の言葉を受けて、ダーウィック教授がスティフィに許可を出す。
 そうすることで初めてスティフィが返事をする。
「はい、耳のほうは大分良くなっています。目のほうがまだ開くことはできませんが」
 そう言うスティフィは確かに目に包帯を巻いている。ただ目が見えないと言った様子は伺えない。
 少なくとも包帯で物理的に見えていないはずなのだが、まるで目が見えているようにスティフィは振舞っている。
 ついでに目だけ治療が遅れているのは、鼓膜に仕込まれた魔方陣よりも、瞳に仕込まれてい魔方陣のほうが高度なものだったためだ。
 負傷自体は既に治癒されており、逆に魔方陣の再構築のために視力を使用できなくなっている状態なだけだ。
 高度な魔方陣ゆえにその修復にも時間がかかっている、というだけの話だ。
 それに対してなにか後遺症が残るようなものでもない。
 言ってしまえば、治療としては既に完了している。
「そうか。では、よろしく頼む」
 声の方向で判断しているのか、包帯で目を覆っているスティフィはしっかりとポラリス学院長のほうを見て報告を始める。
「まず相手の外道の構成ですが、確認できただけで、ヤミホウシ、五本尾の妖狐、二本尾の妖狐、一つ目一本足の外道種、数十匹の死告鳥、蛙魔人、その他に名もわからない外道種が多数存在していました。それ以外にも確認できませんでしたが強力な外道種がいたと推測できます。その総数は百を優に超えていました」
「よく三人で生き残れたものですな」
 外道種の羅列を聞いただけで驚くべきことだ。グランドン教授がスティフィを見ながらそう言った。
 ただヤミホウシや五本尾の妖狐などはスティフィ達が倒したわけではないが、それでも驚くべきことだ。
 それにしても、三人とも怪我はしているが重傷者もいない。一番重症だったたのがスティフィくらいなものだ。
 エリックも多少呪いの影響化にあったが、それも今は解呪されている。
 これらのことを考慮すると本当に幸運だったと言える。
「下水道の鰐、白竜丸の存在が大きかったです。ヤミホウシにすら引けを取らなかったので」
 スティフィは報告を続ける。
 そして何よりも白竜丸の影響が大きい。ヤミホウシという凶悪な外道種と争っていたにもかかわらず傷らしい傷すら追っていない。
 想像以上の強さを持つ鰐であり、あのカリナが竜王が孵るまで護衛者の代わりに、と言っていた意味がスティフィにもやっと理解できた。
 スティフィのその報告を聞いて、教授達も驚きを隠せないでいる。
 ヤミホウシに闇夜で出会えば、命を諦めろ、そう言われる類の外道種だ。
 それと一生物である鰐が引けを取らないとなると、白竜丸の戦闘力は相当なものとなる。
「ヤミホウシと、か。それは凄いのぉ。ワシも少し興味が出て来たぞ?」
 ウオールド老もそう言って自慢の髭を撫でた。
 ただし、続く報告書を読んで目を細める。
 そのことを追及して来たのはウオールド老ではない。
「だけど、報告書では制御を離れていたとありますが?」
 エルセンヌ教授が我先にと追及してくる。
 それも、もっともな話で、いつものようないちゃもんではなく、ヤミホウシと同等の生物の制御が効かないとなると、それはそれで新たな問題となってくる。
「そちらはマーカス・ヴィクターから詳しく」
 スティフィは一歩下がり、その話をマーカスにその場所を譲る。
 それも目が見えていないとは思えないほど優雅にだ。
 スティフィの代わりにマーカスが一歩前に出る。
「はい、まず白竜丸はミア・ステッサの護衛者の一人、竜王の卵により支配されています。ですが、竜王の卵の支配力はどうも距離により減衰するようです。それが卵の特性か、鰐の特性かまではわかりません。ただ白竜丸は血と呪詛のようなものを好むようなので、黒次郎、冥府の神に頂いた幽霊犬を通じて白竜丸に外道に位置を伝えてやれば誘導してやることは可能でした」
 マーカスは自分の見解を述べる。
 それと同時に、白竜丸を自分の元へおいて置けるようにも印象ずける。
 白竜丸とは違い、神から授かった黒次郎を教授達とは言えどうこうできる権利はない。
 暴走の確立が減るのであれば、今まで通りマーカスの手元に置いておくほうが良いと判断するはずだ。
 それに元々はミアの命令しか聞かないのに加え、マーカスはミアを守る使命を神から頂いているのも都合が良い。
 その点は元から問題はない。問題なのはマーカスが現在、あのオーケン大神官の使い走りをやらされていることだ。
 相手が相手だけに厄介なことこの上ない。
 ヤミホウシと同等の戦力をオーケンの使い走りとなっているマーカスに任すのは不安でしかない、という話だ。
 それでも現状ではマーカスに任せるのが一番安全ではある、そうするしかないはずだ、とマーカスは思わせたい。
 ただマーカスも嘘を報告しているわけではない。
 マーカスにとっても手放すには惜しい戦力であるし、既に飼い主としての愛着が強い。
「なるほどな。良くそれを実践でできたな。驚嘆に値するぞ」
 ハベル教官が頷きなながらそう言った。
 自身も竜の因子を持ち竜王の卵の影響を受けるせいか、そのまなざしは真剣そのものだ。
 そして内心、ミアの住む寮から騎士隊の事務所をなるべく離れた位置に移設しようと心に決めた瞬間でもある。
「ほんとですか、ハベル隊長!」
 ハベルの言葉に、席に、つまらなそうに座っていたエリックが反応する。
「あ? ああ、まあ、な。マジールの魔方陣も役に立ったのだろう? お前に与えてよかったよ」
 そう言いつつも、ここでは無駄に口を開くな、という仕草をハベル隊長はするが、エリックがそれに気づくわけがない。
「はい、蛙魔人を一撃でしたよ」
 と、エリックが自慢げに言ったところで、カール教授が話を進める。
 それが今日の会議の一番の問題点だ。
「結局は冬山の王がすべてを凍てつかせて行ったのですよね? よく無事でしたね」
 信じられないと言った様子でカール教授はそう言った。
 冬山の王が人を見逃すなど、聞いたことのない話だ。
「それは恐らくジュダ神のおかげだろうな。話を通していてくれたそうなのでな」
 それにポラリス学院長が答え、
「デスカトロカ神の影響もあると思います」
 と、マーカスも進言する。
 デスカトロカ神も冬山の王に何か言ってくれているはずだ。
「これで、かの王も少しは丸くなってくれると助かるんじゃがの」
 目を細め、ウオールド老がそう言うが、それが望み薄いことは歴史が証明している。
 天に属するの精霊王である冬山の王は、歴史上、既に何度か神に諭されているが現在でも冬山の王が変わった様子がない。
 これも精霊の特性の一つなので、そう簡単に行く話でもないのかもしれない。
 あるいはこの地から始祖虫、そのすべてが駆逐されれば話は変わってくるのかもしれない。
 恨む対象が消えれば、精霊の怒りも収まる。
「今回だけでも見逃してくれたことに感謝しようではないか」
 ポラリス学院長はそうまとめる。
「ですな。ところで、外道種達は冬山の王に全滅させられたと考えてよろしいんですかな?」
 結局外道種達の亡骸すら持ち帰れなかったグランドン教授は、名残惜しそうに確認する。
 討伐隊に参加していた面々も冬山の王が出たと聞いて、即座に撤退しているため、山に入り込んでいた外道種がどうなったのかまでわからないでいる。
「いえ、精霊達に頼み確認したところ、まだ存在している様子です。あまり楽観はできませんね」
 グランドン教授の問いにカール教授が答える。
 そのまま山に住みつかれでもしたらことだ。
 とはいえ、冬山の王が山を降りてきている今、何もできることはない。
 次も見逃される保証は何一つない。
「じゃあ、アビゲイルに後始末をさせましょう。この子なら一人でも問題ないはず、よねぇ?」
 マリユ教授がそう言ってアビゲイルを睨む。
「は、はい、それで許して頂けるなら! お安い御用ですよ!」
 と、アビゲイルは泣きながらに歓喜する。
「大丈夫なのですか? あなたの弟子とは聞いていますが、それなりには残っていますよ?」
 そのやり取りに対して、カール教授が驚いたように聞き返す。
 精霊達が伝えて来た残りの外道種の生き残りは一人でどうこうできなくはないが、それらが今はまとまっておらず山々に散らばっている。
 それをこの厳しい冬の最中に一人に対処させるというのは、流石に無理が過ぎる。
「どうせ追いかけてた外道も元は貴女が面白半分にからかった連中なんでしょう?」
「まあ、はい……」
 マリユ教授に言われ、アビゲイルはそのことを認める。
「ん? ヤミホウシや五本尾の妖狐もいたのですよね?」
 ローラン教授が少し驚いて聞いてくる。
 それらの外道は基本的に個人で対処をするような相手ではない。
 討伐するには軍を使用し、さらに専用の対策をして初めて討伐ができるような相手だ。
 少なくとも個人が面白半分に手出せる相手ではない。
「それが可能なのよ。このアビゲイルは。だから、唯一生き残っている私の弟子なんですよぉ」
 少し呆れてはいるがマリユ教授は、少し、ほんの少しではあるが自慢げにそう言った。
「あれ? 私が離れている間に、とうとう師匠の弟子、私一人になってたんですか?」
 マリユ教授の下にはそれなりの人数の弟子がいたはずだと、アビゲイルは思い出すが、師匠のことだからと納得もする。
 実のところ、マリユ教授も飛びぬけた才能があるからこそ、アビゲイルを自分の元に置いていなかった。
 自分の性格をよく理解している。
 自分の後継者に、と手元に置いておいても自ら壊してしまうことは何度もあった。それがマリユと言う魔女の本質だ。
「そうよ」
 当然とばかりにマリユ教授が答える。
「あー、まあ、しょうがないですね。でも何があったんです?」
「聞きたいの?」
 少し不機嫌にそう返されたので、アビゲイルはその答えを聞くことを諦める。
「いえ、良いです。外道種の後始末は私一人でどうにかしますですぅ!」
 どうせ聞いたところで、ろくでもないことだろうと、アビゲイルは気にすることを辞めた。
 何事にも深入りしない。それがマリユ教授、いや、魔女であるマリユの弟子をしていて生き残るコツだ。
 あとは怒らせないことだが、それはアビゲイルには不可能だ。
 彼女は意図的にしろ、ないにしろ、厄介ごとを引き起こす。
 マリユは最近似たような人物が自分の前に現れた、と気が付き、まさかと思いつつも、その娘、サリー教授の顔を見る。
 流石にサリー教授とアビゲイルの顔は似ていない。
 だが、ないとも言い切れない。
 なにせその相手はオーケンなのだから。
「本当に一人で大丈夫なのか?」
 ポラリス学院長もそう確認してくる。
 それはアビゲイルの安否より、外道の始末のほうを問題視してだが。
「冬山の王が出てきたら流石に無理ですけど、それ以外なら平気ですよぉ。この子、まあ、言いたくはないですが、本物の天才ですからね。魔術の腕だけは確かですよ。学院長、そちらの点は私が、マリユ・ナバーナがその名をもって保証します」
 ポラリス学院長の問いに、マリユ教授は自信をもって答える。
 なにせ自分が後継者になりえると選んだ人間なのだ。
 その才能だけなら、自分以上だともマリユ教授は考えている。
「キミがそこまで言うのなら信じよう。では、立場的には完全に部外者というか、当学院の新入希望者に言うのもなんだが、今回の件の後始末はすべてアビゲイル・フッカーに任せる」
「はい! 喜んでぇ!」
 と、なんとか死なずに済んだと、アビゲイルは喜ぶ。
 どんな外道が残っているか知らないが、ヤミホウシや五本尾の妖狐が既に冬山の王に倒されているなら、そこまで苦労することもないだろうと、たかをくくる。
 ただそれは驕りではない。自分の実力をわかっていることからくる余裕だ。
「良かったわね、その程度で済んで」
 憎々しげにマリユ教授がアビゲイルを睨みつける。
「はい、師匠もありがとうございますぅ……」
 そう言って、アビゲイルは床に頭をこすりつける。
「まあ、こんなんでも私の後任予定ですから、皆さま、よろしくお願いいたします」
 そう言って、マリユ教授は礼儀正しく頭を下げた。
 その行為に教授達が少なからず驚く。
「しかしな、本当にどこの魔術学院で学んだことがないのかね? どう見ても、その結界だけでも恐ろしい程の腕前じゃとわかるぞ」
 ウオールド老ですら、こんな結界見たことない。
 いくつかの呪術を組み合わせ、つぎはぎの魔術ながらに穴のない完璧な結界を築き上げている。
 それを常時張り続けているなど、魔術師の常識を覆すようなものだ。
 どうやって必要な魔力を保持しているのかすら、想像がつかない。
 どの教授もその原理を聞きたくはあるが、それを教授としての誇りが許さないでいる。
「はあ、まあ、全部独学でわかっちゃうので、学ぶというか、教わるまでもないかなとぉ」
 アビゲイルからしたら、魔術は学ぶものではなくひらめくものなのだ。
 先人たちの知識など、アビゲイルにとってはどうでもいい一周どころか何週も遅れた知識でしかない。
 ただ、それでもマリユの知識だけは例外だ。
 気が遠くなるほど生きているマリユの知識だけは、その年期が違いすぎるし、その目で見て来た嘘偽りのない事実は変えが効かないものだ。
「ハハッ、コイツは頼もしいのぉ」
 アビゲイルの言葉に、ウオールド老は笑ってはいるが、その目は少し不安な目をしている。
 白竜丸同様、制御できない力は危険なものでしかない。

 いつも通りのいつもの食堂。
 結局、ミア達が集まるのはこの場所だ。
「スティフィ、大丈夫なんですか? 色々大怪我したって聞きました」
 ミアが心配そうに、会議から帰ってきたスティフィをいたわる。
 スティフィは目が見ないはずなのに、ちゃんとミアのほうを向き答える。
「大怪我は元々してないわよ。直接攻撃を受けたわけでもないし。問題はこっちのほうよ、この妖刀はどうするのよ」
 そう言って、鞘に納められた刀を見せる。
 血を吸わせなければ暴走することはないが、それでも危険なものには違いない。
「師匠がそのまま持っていてよいと言ってますが……」
 マーカスは少し困ったようにそう言った。
 その時、マーカスの師匠であるがオーケンが笑っていたのがとても気になる。
 だが、スティフィの暴走の様子を見ていたマーカスは何とも言えない表情を見せる。
 あの妖刀の力は、ミアの護衛をしているスティフィには不必要なものでしかない。
 ただ、そうオーケン大神官に言われたら、立場的にスティフィはそれを断ることはできない。
「いや、流石に私でもこれは扱いきれないわよ? 何この妖刀?」
 どうしたものかと、スティフィもこの呪物と思わしき刀をどうすべきか判断に困る。
「たしか、その刀のことを血水黒蛇って呼んでましたね」
 その名を聞いて、驚くスティフィにはその名に心当たりがる。
「は? 伝説の妖刀じゃない…… というか、一応は悪神からではあるけれど授けられた神器のはずよ? オーケン大神官にお返しするか、荷物持ち君に奉納でもしたいんだけど……」
 したいのだが、スティフィはデミアス教徒としてそれはできない。
 けれど、こんなものを持っていたら間違いなく自滅する。
 血に狂いミアを傷つけようとしても、その精霊か荷物持ち君に阻止されるだろが、その時はスティフィが死ぬ時である。
 ならば、神器と言えど手放すのが正解なのだが、スティフィの判断ではそれもできない。
「荷物持ち君はゴミ箱ではないですよ」
 そんなスティフィの気も知らないでミアが少し怒ったようにそんなことをいう。
「いや、呪物を一番安全に封印できる方法は古老樹に奉納するのが一番なのよ」
 古老樹も呪詛に強い耐性を持ち、その力を吸い呪物を無効化する事が出来る。
 人に扱えないほどの呪物であれば古老樹に奉納してしまうのが一番安全である。
 それこそミアの髪の毛のように。
「そうなんですか? 後で聞いてみますね。それにしてもスティフィ、本当に見えてないんですか?」
 スティフィは荷物持ち君が許可を出したとしても、手放せないから困ってるのだと半笑いを浮かべる。
「目は開けばもう見えるわよ? でも、目を閉じているほうが早く治るから包帯の下でも閉じてはいるけど?」
 ミアはそう言うことを聞いているわけではないのだが、スティフィとしては普通なことだ。
 特に周囲、手の届く範囲であればさほど苦労はない。
「えぇ…… なんでそんなに普通に生活できているんですか?」
 目が見えていないというのに、まるで困った様子がないスティフィにミアは不思議で仕方がない。
「まあ、そういう訓練を受けてきているのよ。真っ暗闇で生活もできるような、ね。ある程度は気配でわかるから」
 こともなさげに行っているが、それはつらく厳しい人道的とは程遠い訓練の末に身につく技術だ。
「流石スティフィですね」
 と、ミアはそう言って感心する。
 ミアが感心してくれたことにスティフィはとりあえず満足し、この妖刀をどうするか、まじめに考える。
 オーケン大神官の言葉があるため、下手に手放すことはできない。
 一番いいのは携帯しておいて使わない、だ。
 というか、それしか方法はない。幸い血を吸わせなければ何か干渉してくることはないようなので、その点は安心できる。
 とはいえ、妖刀であり呪物なのは間違いない。
 ただ神器登録された神器ではあるため、図書館にでも行けば詳細がわかるかもしれない。
 スティフィがその名を知っていたのも神器登録されているからだ。
 厄介な手荷物が増えた、とスティフィはうんざりする。
 左手が使えないスティフィにとって手荷物が増えるのは想像以上に負担が大きい。
 そこへ今回の元凶である、アビゲイルが食堂に入ってくる。
 山に入るための装備を着こんでいるので、これからすぐにでも残りの外道種の殲滅に出向くのかもしれない。
「やぁやぁ、ごめんえねぇ、私のせいで色々と迷惑かけちゃえってぇ」
 笑いながらそう言ってくるアビゲイルに、その場にいる全員が鋭い視線を向ける。
「ほんとにね…… 危うく死にかけたわよ。しかも、私達が大変な目に合っている間、随分と暇していたそうじゃない?」
 ミアから聞いたなしでは、一晩中、お茶や茶菓子をつまみながらルイーズの部屋でくつろいでいたとのことだ。
 スティフィは目を瞑ったままではあるが、殺気だけをアビゲイルに向ける。
 その殺気を受けても、アビゲイルはニンマリと笑うだけだ。
 アビゲイルからすれば、師匠であるマリユ教授の怒気と比べれば、かわいらしい殺気でしかないのかもしれない。
「いやー、あんまりにも暇なので、小鬼退治の遊戯をミアちゃんと永遠としてましたよ」
「一度も言いくるめれませんでした!」
 ミアが悔しそうにアビゲイルを睨む。
「ああ、うん、本当に暇してたのね……」
 それを聞いたスティフィは逆に良くそれで一晩暇を潰せたと感心する。
 殺気を浴びせて無駄だとわかり、それもやめる。
「まあ、後始末はまかせてぇ…… おっと、良い物をお持ちで? これは…… 血水黒蛇ですか? 力と共に黒蛇の毒に侵されるので気を付けてくださいね」
 アビゲイルがスティフィが腰からぶら下げている刀をまじまじを見ながらそう言った。
 そして、その刀の名を言い当てる。
「は? そ、そんな危険な妖刀なの?」
 あのなのかを斬りたくなる衝動が黒蛇の毒なのか、とスティフィは思い当たる。
「はい、黒蛇の毒は強力で恐怖をなくし、力を与えてくれるんですが、体を蝕み溶かし、気が付くと使用者がドロドロの血だまりになるんですよ」
「え…… 何かを斬りたいとかそういう衝動に襲われるだけでなく?」
 スティフィは想像以上に酷い毒に焦る。
 しかも、アビゲイルの言っていること、恐怖を取り払い、力を与えてくれるということが合っているだけに焦りだす。
 流石に、普段から死を覚悟しているスティフィもドロドロに溶けるような死に方は嫌だ。
 スティフィとしても、できれば死に方くらいは選びたい。
「あー、自我も失うんでしたっけ? それも黒蛇の毒の証拠ですよ。確か柄を持つと針に刺されたような痛みがするらしですよぉ。それが黒蛇に気に入られ噛まれた証拠ですねぇ」
 それを言われたスティフィにはたしかに柄を持っ時に、針に刺されたような痛みを感じてることを思い出し、更に焦りだす。
「あ、あぁ…… たしかに、それは感じた……」
 スティフィは半ばあきらめたようにそう言った。
 神器がもたらすような毒だ。もう手遅れかもしれない。
「俺はそんなことなかったと思いますね。師匠め、そんな危険な物を……」
 マーカスも蒼い顔をして何度か柄に手をやっていたことを思い出す。
 そんな危険な妖刀だとは知らなかったとはいえ、それをスティフィに渡したのはマーカス自身だ。
 その責任は十分に感じている。それもあるが、自分も黒蛇に噛まれていないかという疑念が生まれてくる。
「ちょっと見てみますねぇ、うん、マーカスちゃんには黒蛇の毒は回ってないですね。スティフィちゃんはがっつり毒されてますねぇ」
 アビゲイルは左目を手で隠し、右目だけでマーカスとスティフィの様子を見る。
 マーカスの魔力の流れは普通の人間とは変わってはいるが、それは血筋由来のもので状態としては正常なものだ。
 スティフィの魔力の流れは色々と複雑だ。
 人の手により色々と弄り回され改造されているので、見分けずらいが明らかに人由来ではない強力で呪詛のような魔力が流れ込んできているのを見分ける事が出来た。
 そして、それをアビゲイルは正直に告げてやる。
「え? あー、私、死ぬ? 案外呆気ない最後ね。けど、溶けて死ぬのは嫌ね……」
 スティフィはあきらめたようにそう言った。
 そんな死に方するくらいなら、自分で首でも落として死のうと考え始める。
 神器から流れ込んだものであれば、人間では対抗のしようがないと諦める。
「あー、大丈夫ですよ。何度も連続で使わなければ。昨夜ほどの戦いを何度も連続でしたらそうなるって言われているはずですねぇ。詳しくは神器目録で確認してくださいね、確か詳しく乗っていたかと」
 それを聞いて、とりあえずすぐに死にようなものでもないということがわかり、スティフィは安堵のため息を吐き出す。
「平気なんですか? 解毒方法とかないんですか?」
 だが、それらの話を呆然と聞いていたミアが必至な顔をしてアビゲイルに食いついてそう聞いてきた。
「神器目録に解毒方法も乗っていたはずですよぉ。神格の高い神様の力を借りないといけないらしいですが、ミアちゃんの神様なら平気じゃないですかね? もちろんデミアス教の暗黒神でもですねぇ」
 アビゲイルはそう言って、ついでにミアの魔力の流れを右目だけで見る。
 首から下げている竜王の卵とそれを止めている髪の毛、それらも十分に恐ろしい物ではあるが、ミアの髪の毛自体のほうがアビゲイルには禍々しく見えた。
 この髪の毛に比べれば、黒蛇の毒など大したものではない。
 そうしてうっとりと眺めていると、今度はミアのかぶっていた帽子、その目の模様の部分が、まるでアビゲイルを見るような反応する。
 そこで神器である右目の義眼の起動を慌てて止める。
 改めて面白い逸材だと、アビゲイルは思う。こんな面白くも面倒な巫女の手伝いをしろと命令してくれたマリユにアビゲイルは心底感謝をする。
 これは間違いなく東の沼地などよりも十分に刺激的だと。
「スティフィ、すぐ図書館に行って調べましょう! 後その剣は封印です! 荷物持ち君に封印しましょう!」
 ミアはそう言ってスティフィの手を引き外に向かう。
 ミアちゃん係の面々もそれに従う。
「そ、そうね…… いや、でも、オーケン大神官の……」
 スティフィは煮え切らない態度でそう言うが、ミアの引く手に抵抗はしない。
「そんなこと言っている場合じゃないですよ!」
 ミアのほうが慌ててそう言って駆け出す。
 それにつられて、スティフィも駆け出す。
「さあ、図書館へ行きますよ!」
 急ぎ図書館を目指すミア達をアビゲイルが面白そうに見送る。

 その後、スティフィに回っていた黒蛇の毒は無事、ミアの手により解呪される。
 また血水黒蛇は荷物持ち君の体内に保管されることなった。
 古老樹の手に渡ってしまえば、オーケン大神官も流石に手出しはできない。
 アビゲイルは二週間かけて山々に散らばった外道種達を始末して回ったそうな。
 その時、アビゲイルが少し癖のある外道寄せの魔術を使い、また別の問題を起こしはしたが、それはいつものことの範疇であり、特に語られるような話ではない。



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