学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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日常と収穫祭と下水道の白竜

日常と収穫祭と下水道の白竜 その2

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 ミアは絶望していた。
 地下下水道清掃用の防護服。
 まず臭い。
 外側はもちろん汚水まみれになるので臭くないわけがない。
 清掃後洗い流されてはいるが、そのまんま下水の汚水の臭いが染みついている。臭い。
 内側は内側で、汚水臭いわけではないが異常に汗臭い。
 ただその臭さは汗臭い、の一言で言い表される臭さではない。
 異様な臭気を放っている。
 外側の汚水由来の臭さと、内側の汗由来の臭さで、それらが合わさり何とも言えない臭気を放っている。
 防護服という密閉状態にある服は、汗や湿気により生み出される臭いは、時としていやな方向に刺激的な臭いにまで成長する。要は汚水の臭いに負けないほどものすごく臭い。
 それが地下下水道清掃用の防護服の実物を見たミアの感想だ。
 かなり厚い作りになっているとか、所々鉄板入りだとか、かなり高度な防水仕様になっているだとか、そんなことは二の次で、ミアの感想はものすごい臭い、だ。
 しかも、これを着て木製の長い柄のついた刷子を持って汚水の中を進まなくていけないとのことだ。
 ミアが想像していたものとは、全く異なるある種の地獄のようなものだった。
「どうしたのよ、ミア、顔がひくついているけど」
 スティフィはミアの表情を理解したうえで、からかうように薄ら笑いを浮かべミアにそう聞いてきた。
「スティフィは平気なんですか? この臭い」
 ミアが嫌ななのは、特に内部の汗由来の臭いの方だ。
 何とも言えない強烈で刺激的な汗臭さがミアの表情をゆがませている。
「平気じゃないけど、これくらいどってことはないでしょう?」
 確かに臭いが、スティフィからしたら我慢できないものでもない。
 防具の種類にはよるが同様の臭いを発するものもある。
 特に布製の防具などこんな臭いになりやすい。
「えっ!? そうなんですか? すいません、私にはこの臭いきついです」
 ミアはそう言って、顔をしかめている。
 よほどこの臭いがダメらしい。
 人により臭いの好き嫌いはあるのだろうが、ミアにとっては耐えがたい臭いなのだろう。
「じゃあ、今からでもやめる?」
 少し嬉しそうにスティフィは提案する。
 スティフィも好き好んでこの臭い服を着て汚水まみれになってまで重労働をしたいわけではない。
「いえ、やめません。それにこんな時のための試作品があります」
 けれど、ミアの責任感はそれなりに高かった。
 自ら受けた依頼を投げ出すような娘でもない。
 そして、これはこれで好都合とばかりに試したい品もある。
「試作品?」
 その言葉にスティフィは嫌な表情を浮かべる。
「ミアちゃん印の蜜蝋軟膏に、ラダナ草の抽出油を使ってるんですがその時の副産物でできるんですよ」
「え? なにが?」
 と、スティフィは言いつつも、ミアの説明で大体の察しは付いた。
 本来、それが自分に向けられるはずだったそれの破壊力を、人伝えではあるが聞いている。
「これです。ラダナ草の匂い玉、の元を利用して作った消臭、ではなく、臭いの上書き剤です!」
 そう言ってミアが取り出したのは、以前始祖虫相手に使った匂い玉とは違い、魔力の水薬のような瓶だった。
「あー、あの…… 始祖虫すら怯んだ、臭い玉…… それを私にいたずらで使おうとしてたのよね? ミア?」
 マーカスの話では人に向けていいものではない、と断言していた物だ。
 少なくともいたずら目的で友人に使用して良いものでないことは確かだ。
 ミアはスティフィと目を合わさずに、明後日の方向を向いてなにやら説明しだした。
「これはそれをかなり薄めた消臭剤というか、臭いの上書き剤です」
 ただの副産物、それを利用しての匂い玉、さらに改良して臭いの上書き剤。
 ミア独自の発明品なのかもしれない。
 ついでにだが、匂い玉のほうは非殺傷兵器の催涙剤として騎士隊で採用するかどうか議論が上がって居たりもする。
 始祖虫にすら効いたという実績がそれを後押ししている。
 人間に対して直接使用すれば、それなりの効果はあるはずだ。
 そのことをスティフィが知ったらさぞかし顔をしかめたことだろう。
 そんな強烈な苦み成分と臭い成分だ、希釈しても大概の臭いを上書き出来てしまう。
「それ、結局はどっちもどっちの臭いじゃない?」
 スティフィの指摘はもっともだ。
 ただ、ミアはこの汗臭さが生理的に苦手であっても、ラダナ草の臭さなら耐えられるものがある。
「私はラダナ草の臭いのほうが平気ですので」
 要は慣れだ。ミアもラダナ草の臭いは非常にきつい匂いだと言うことはわかっている。
 が、なんだかんだラダナ草は雑草ながらに非常に有益な薬草でもある。
 それもなんなく大量に、季節を通して採れるため、ミアにとっても利用しやすいものだ。
 それを毎日のように利用してれば、その匂いにも慣れるというものだ。
「なるほどね……」
「スティフィも使いますか?」
「いや、遠慮しとく…… あんまり良い記憶がないし」
 スティフィにとっては、ラダナ草は騙された対象になっているので、あまりいい気がしない。
 とはいえ、一時期親近感を得た臭いでもある。
 それに、その騙される原因になったミアに憑いている精霊にも大分慣れてきてはいる。
 その存在を感じることはできるものの、もう鳥肌が収まらない、と言うこともない。
 あれほど恐れていた精霊が今やそれほどでもない。スティフィからしても不思議な感覚だ。
 ただラダナ草の匂いは、もう好き好んで嗅ぎたい臭いでもないし、汗臭い防具などはスティフィとっては慣れたものでもある。
「これには目に見えない微生物を殺す、えっと、殺菌効果? もあるっていう話です。サリー教授の受け売りですけど」
「それって毒ってこと? なおさらいらないわよ」
 スティフィは顔をしかめる。
 毒はスティフィにとって専門外だ。
 毒の種類にもよるが、人間でも耐性を付けることができる毒は、スティフィにとっては不確かな殺しの道具でしかないからだ。
 その上、痕跡も証拠も残りやすい。
 そんな理由からスティフィは仕事で毒を使うことはなかった。
 ただそれは狩り手、その全体の話ではない。毒を使う部隊もあったし、なんならそちらの部隊の方が成績は良かった。
 そんなスティフィからすると、毒に対してあまり良い感情は持っていない。
「毒は毒だけど人には効かない毒で、特定の微生物、目に見えないような、カビの仲間なんかにも効果があるって話ですよ」
 この辺りの話はミアもよく理解できていない。
 この世界には目に見えないほど小さな生物がわんさかといるとの話だ。
 それを話してくれたのが、サリー教授でなければミアも笑い飛ばしていた話の類だ。
「カビは目に見えるじゃない?」
 ミアの言葉に疑問をもったスティフィがそう聞き返してくる。
「そうなんですけど、カビの仲間には目に見えないよなのもいるらしんですよ!」
 ミアも必死に説明しているが、スティフィにはあまり伝わっていないようだ。
 目に見えない細菌や病毒因子の存在など、一部のもの好きな研究者くらいしか知られていない存在だ。
 それに何といっても、ミアも実のところは半信半疑でそこまでよく理解できていない。
 ミアも精霊のように根本的に見えない、というものは漠然とだが理解できても、小さすぎて見えない、しかも、それが様々な要因の原因になっているなどということは理解できていないでいる。
 なので、ミア自身あまり上手く説明できずにいる。
「はあ? まあ、私はいいわ、遠慮しとく」
 スティフィはそう言って防護服を既に着始めた。
 それを見たミアも観念し、臭いの上書き剤の蓋を開ける。ラダナ草のツンと来る苦みのある臭いが辺りに立ち込める。
 ミアは自分が着る地下下水道清掃用防護服の内部に、臭いの上書き剤を振りかけて、その臭いを確かめる。
「おお、こんな臭いにも効くとはさすがです…… 見事に臭いが上書きされてます!」
 思いのほか効果があった。
 あの何とも言えない汗のすえた刺激的な臭いが苦味のあるラダナ草の臭いに上書きされている。
 人によりけりだが、ラダナ草の方が苦手という人間もいるような苦味の強い臭いなので消臭とは全く違うものだが。
「それほんと? あっ、ほんとだあの酸っぱ臭い臭いがラダナ草の臭いに上書きされてる…… こんなにすぐ効果があるなんて凄いわね」
 スティフィも気になって、臭いを嗅ぎに来て驚きつつも関心もしている。
 こうもあっさりと臭いを上書きできるのであれば、もしかしたら需要ある商品になるかもしれない。
 とはいえ、臭いを上書きしたところ臭いものは臭い、別の臭さに置き換わるだけだ。それを考えるとやっぱり売れるとは考えられない。
「スティフィも使いますか?」
 と、ミアは少し得意げになって瓶をかざすが、
「だからいいってば、布製の鎧なんて結局こんな臭いになるんだし」
 と、スティフィはそれを断った。
「え? そうなんですか?」
 と、ミアは驚いた表情をしている。
 だが、スティフィは知っている。初めてミアと出会った時、ミアの巫女服もここまでではないが似たような臭いが若干漂っていたことを。
 それを指摘すると、間違いなくミアは怒るのでスティフィは口にはしないが。
 なにせロロカカ神の巫女服の話だ。それを臭いと言ったらミアが怒ることは必至だ。今となってはそんなへまはやらかさない。
「手入れをさぼれば、だけどね。にしても、参加者、私達だけじゃない? 二人でやるには下水道、広すぎなんじゃない?」
 狩り手になる前、厚い布製の防具もこんな臭いしていたと、スティフィはなんとなく思い出しながら周りを見る。
 ここ、地下へと続く下水門の前に今いるのは、スティフィとミア、それと騎士隊の下水管理を任されている騎士隊員一人だけだ。
 その騎士隊員もあまり寝てないのか、目の下に隈を作り眠そうにしていてやる気もなさそうだ。
 二人が防護服を着るのを手伝ったあと、その騎士隊員は下水門の鍵を開き、
「では、私は書類整理があるので、終わったら騎士隊の詰め所まで来てくださいね。ああ、一応、清掃後は防護服の上から水で汚水を洗い流してからお願いします。詰め所前で防護服を脱ぐのを手伝いますので」
 と、眠そうにそう言った。
 よくよく見ればかなり大きめのタライと水瓶がすでに用意してある。
 それらを使って清掃が終わったら、汚れを落とした後で詰め所まで来い、という事らしい。
 なにせ、一度この防護服を着てしまうと自分では脱げない。
 それは着るときも同様で一人では完全に着ることもできない。
 背中側から防護服に入り込むように着て、最後には他人に背中側を閉じてもらう仕組みになっている。
 それだけに防水性も高い造りとなっていて汚水が防護服の内部に入り込むこともないのだが、防護服の内部はものすごく蒸し暑くなる。
 それにより、この服はとてつもなく汗臭くなってしまう弊害がある。
「はい」
 と、防護服の頭に付いている硝子のはめられた除き窓からミアは返事をする。
 その声は少しくぐもった声になっており聞き取りにくくもある。
 その様子をみた騎士隊員は疲れた表情になんとなくだが笑顔を浮かべる。
「しかし、女性でよくこの依頼受けましたね、私も長いこと下水管理をやらさせてもらってますが、初めてですね」
「この子が世間知らずなだけよ」
 騎士隊員の言葉にスティフィがすぐに返事をする。ただその言葉は騎士隊員にではなくミアに向けられてはだが。
 ミアも今回ばかりは反省していて、スティフィの言葉に対して返す言葉もない。
「はぁ? まあ、今日は多くは望みません。教えられる人もいないですし、今日はできる限りでいいので清掃してください、お願いします。明日はもう少し人がいて経験者も何人か参加するはずなので、明日からが本番ということで」
 と、騎士隊員は疲れた表情を見せて誰にでもなく笑った。
 騎士隊員からすれば、今日はこの防護服に慣れてくれればいいくらいの気持ちだ。
 本来なら騎士隊員も防護服を着て清掃の仕方を教えながら、というところなのだが、今は人手不足で人員を割けないし、一人は誰か残っていないとこの防護服を脱ぐこともできない。
 防護服の分厚い手袋を通した手では、この服を脱がせるような細かい作業は無理だ。
「お掃除頑張ってきます!」
 ミアは気合を入れる様にそう言って、スティフィと共に慣れない防護服を着て、下水道の奥へと進んでいった。
 ついでに荷物持ち君は入口に留守番だ。
 粘土の体を持つ荷物持ち君が汚水に触れたらしばらく臭いが取れなくなるし、衛生的な問題も出てくるためだ。

 防護服の頭部には魔力灯で光る角灯が付けられている。
 この魔力灯に流し込まれている魔力の水薬の効果が残っている間が大体の労働時間であり、魔力の水薬に宿っている魔力が尽きる前に帰ってこなければならない。
 なにせこの下水道には明かりが一切ない。
 角灯の明かりが消えたら、暗闇に閉ざされた迷路のような場所だ。
 時計代わりでもある魔力灯の角灯となっている。
 その青白い明かりおかげで下水道の中でもある程度の視界は確保できている。
 魔力の水薬に宿っている魔力が少なくなると、明かりも弱くなるので、ある程度、明かりが弱くなったら帰還するのが習わしだ。
 魔術師であれば拝借呪文で魔力を借りれば、魔力の水薬の魔力が尽きても角灯の明かりをともすことはできる。
 が、この防護服を着ての過酷な環境下の労働だ。
 魔力の水薬の魔力が切れた辺りが、作業の終わり時でもある。
 というか、そういう風にこの角灯に入れられる魔力の水薬の量を調整されている。
 ついでにだが、今日この角灯に入れられている魔力の水薬の量は、ミアもスティフィも女性と言うことでかなり少ない量が入れられていたりもする。
 今日は経験者もいないので、騎士隊の担当者としても早く終わらせたいし、彼自身が教えている時間も今はないからだ。
 騎士隊は今も始祖虫の後処理に追われたままだ。

 下水門から入ったばかりのこの場所はまだ下水道ではない。
 下水道へと通じるただの地下通路だ。
 その割には、鼠の類が足元をやたらと駆け回っているし、黒いやけに素早い虫もわんさかいる。
 それをミアは柄の長い刷子で追い払いながら進む。
 無駄なその動きのせいですでにミアの防護服の中は酷く蒸し暑くい。
「鼠なんて気にするだけ無駄よ。この服着てれば噛まれてもなんてことないんだから」
 と、スティフィにくぐもった声で言われて、ミアも一瞬悩みはしたが、気にしないことにした。
 この暑くも厚い防護服の上からでは、得体のしれない虫も鼠もそれほど気にならないのも確かだ。
「そうですね、先を急ぎましょう、まだ下水道にすら達してませんし」
 しばらく進むと鉄格子の門が見る。
 格子の戸を鎖で巻かれ結ばれてはいるが、鍵はかかっていないようだ。
 鎖を取りはずだけで簡単に開けることができる。
 その格子の門をくぐるとそこは下水道だ。
 石煉瓦で円状に作られた下水道。
 その底の溝を灰色とも緑とも、茶色ともつかない粘度の高そうな液体が流れている。
 その溝の両側に一応足場のようなものがある。
 ただその足場も汚水まみれなところをみると、この足場辺りも場合によっては汚水が流れているのだろう。
 汚水が流れている溝の幅もかなりあり、この防護服を着て飛んで渡るのは無理な距離くらいはある。
 この防護服なら溝の中にも入っていける、とは聞いてはいるが、同時にお勧めしないとも聞いている。
 この溝は見た目位以上に深いそうだ。
 一度下水の溝に落ちると、この防護服を着て這い上がるのも大変なのだとか。
「思った以上に広いし汚いです…… 下水道ってこんな場所だったんですね」
 と、ミアとスティフィが明かりをともって下水道に入ってくると、光を避ける様に、ここを根城にしている鼠たちと虫たちが逃げ出していく。
 その数にミアも防護服の中で顔をしかめる。
「当たり前でしょう…… まあ、どこの下水もこんなもんよ」
 潜入任務の多かったスティフィは脱出路として何度か下水道を使用したことがあるが、どこもこんなものだ。
 汚く臭い。そういう意味ではこの防護服がある分、今日はましな気がする。
「この下水はどこに流れていくんですか?」
 ここまで汚れた水が流れているとはミアも思っていなかった。
 そんな水がどこへ流れていくのか気になる。
「下水処理施設よ。そこで処置して、ここのは…… どうだろう? わかんないけど、川かどっかに放流してるはずよ」
「えぇ!? この下水をですか?」
 ミアは下水処理施設というものをあまり良く理解していないので、この汚水をそのまま川か何かに放流している物と勘違いして驚いている。
「下水処理場で処置された水は綺麗な水らしいわよ、私もよくは知らないけど」
 それを聞いたミアは安心し、そして、不思議そうな表情を防護服の中で浮かべる。
「やっぱり魔術とか神様の力とか使うんですかね?」
 その方法がわかれば、ラダナ草の臭いと苦味だけを消して有効成分だけを抽出できるかもしれない。
 そうすれば、ミアちゃん印の軟膏の売り上げもきっと上がるはずだ。
 と、ミアは考えているのだが、既に貴族の祖父から支援を受けているミアにって軟膏の売り上げなどどうでもいいことなのだが、それに気づいていない。
 今のミアにとっては売り上げは二の次で良いはずなのだが、貧乏生活が染みついてしまっているせいか、どうしても気にしてしまう。
「さあ? その辺は私も知らないわよ」
「とりあえず下水には来たので、お掃除ですが…… これはどこから手を付けていいかわかりませんね」
 目につくすべての場所がミアには汚れて見せる。
 どこから掃除して良いか見当もつかない。
「適当で良いって言ってたし、まじめにやる必要もないでしょう? 明日から頑張ればいいのよ、勝手もわからないんだし」
 そう言っているスティフィは既にさぼる気満々だ。
 ミアに付き合っているだけで、そもそも下水道の掃除などスティフィには元々やる気がしないのだ。
「とりあえずこの門の周りだけでもきれいにしましょう」
 そう言って、ミアは格子の門周辺の足場を、刷子でこすりだした。
 刷子でこすりだした場所に灰色の汚れた泡が立ち始める。
 刷子には特に洗剤等はついてないはずだが、なぜか泡立っていることにミアも手を止めてしまう。
「真面目ね、まあ、ミアがやるなら手伝うけども…… って、どうしたの、固まって」
「洗剤もついてないのに、なんか床を刷子でこすったら、勝手に泡立ってきてしまって……」
「何が原因で、とか考えないほうが精神衛生上、良いわよ」
 スティフィはその不気味な泡を見て何とも言えない表情を浮かべる。
「は、はい…… とりあえず擦ります…… これ、掃除になってるんです?」
 ミアは無心で刷子で床をこすり続けた。
 洗剤のように永遠と泡が出るわけではないが、粘度の高いねばついた小さな泡が気味悪くできていく。
「知らないわよ、そんなの」
 スティフィはさぼる気満々で、見ていて楽しいものではないが、辺りを見回す。
 周りの汚れ具合から下水が流れる溝にも、もっとゴミが溜まっていてもいい気がするが、特にゴミが詰まっていたりしてはいない。
 この下水は意外と手入れがされているという感想をスティフィは得ていた。
 そんな時、一匹の鼠がミアの足場磨きに驚いてか、下水の溝に飛び込んでいくのをスティフィは目撃する。
 そして、その鼠が汚水の中を器用に泳いでいくのを見ていると、白い大きな何かが水面を滑るように移動してきて、その鼠を大きな口で一飲みした。
 その姿は、スティフィには竜に見えた。


 
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