学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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日常と収穫祭と下水道の白竜

日常と収穫祭と下水道の白竜 その1

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 魔術学院の一角には、半球状に積まれた石煉瓦の建物が点々と建っている場所がある。
 わざわざ建て難い半球状なのは、意味があり、この建物を一つの完結した世界と見立てて、なるべく外界と隔てているという魔術的意味合いがあるからだ。
 一種の結界のようなもので、呪いと呼ばれる分野の魔術の一種だ。
 なにせ生徒用の魔術の実験施設だ。魔術の失敗など頻繁に起こる。
 その為にこんな造るのが難しい形状とはなっているが、周囲に被害を出さないとなると、この形状の建物の方が都合がいい。
 ついでに地上からは見えないが地下の部分までちゃんと球状に作られている。
 その中はそこそこの広さはある。
 中には炉と製図台、本棚に素材置き場、水瓶など必要最低限の物だけ壁際に置いてある。
 壁際が様々な設備や物を置く場所で、さらに環状の通路がある。
 その通路の内側、中央には、陣を描けるように何も置かれていない。ただ成型された凹凸のない綺麗な磨かれた継ぎ目もない石材の床があるだけだ。
 天井には魔力灯の角灯が吊り下げられているが、煙突はあっても窓はない。
 夏場は熱気で酷いことになりそうだが、その夏はもう終わりを迎えつつある。
 これもやはり外部とのかかわりをなるべく絶つために窓はわざと作られていない。
 夏の間の使用は何らかの対策がいるのだが、この工房を借りるような生徒はその対策をなんだかんだで幾通りかは持っているものだ。
 だが、この工房の主であるミアはその方法を一つも持っていない。
 そういう意味では夏の間にこの工房を借りれなかったことは、幸運だったのかもしれない。
 そもそも、入学して半年の生徒がこの個人用の工房を借りるのは稀なことだ。
 それは魔術師としては最小の大きさの魔術工房だが、借りるにはかなりの金額を要求されるのもあるが、ある程度の知識がないと工房を持っていても意味がないのが一番の理由だ。
「ここがミアが借りた魔術工房?」
 スティフィがミアが鍵を開けたばかりの扉を開き、そのままその工房に遠慮なく入っていく。
 ミアがそれを慌てて止めようとするが、スティフィはもう入った後だ。
「ちょっとスティフィ! まだ私も入ったことないのに先に入らないでください!」
 恨めしそうにミアはスティフィに文句を言う。
 始祖虫が出現してから三週間経ち、やっと落ち着いてきたころ、ミアの個人工房の手続きが今日やっと終わったのだ。
 そろそろ講義が再開されるので、ミア的には不満たらたらではあったが。
「別にいいじゃない。どうせ新築じゃないんでしょう?」
 スティフィは工房の内部を確認しながらそんなことを言った。
 スティフィの言葉通り既に年々も使われたような跡がある。
「それはそうですけど……」
 と、ミアは文句を言いつつも持ってきている荷物を工房に運び込む。
 ミアが持ってきたものは主に薬草などの素材だ。
 水薬や軟膏のための素材だ。
 ミアの後には大きな魔女釜と呼ばれる特殊な釜を持った荷物持ち君もいる。
「で、ここでミアの神様の研究するのはわかるけど、具体的に何を研究するのよ? まさかいきなり新魔術の開発とか言わないわよね?」
 スティフィにそう言われたミアはムッとした表情をスティフィに向ける。
「私も学院で学び始めて半年ですよ。さすがにそれは無謀ってわかりますよ。まずは御使い様を自力で呼び出せるようにですね。そこから使徒魔術の更新も自力で、ですね」
 使徒魔術は魔力の先払いができる唯一の魔術だ。
 御使いに先に契約し魔力を支払っておくことで、簡単な呪文と手印などだけで魔術を素早く発動させることができる。
 先払いした魔力がなくなるまえに、再度御使いと契約し、魔力を先払いしておくことで契約の更新をすることができる。
 ただ魔術学院に通う生徒が、いきなり御使いを呼び出し契約を結ぶなどは難しい。最初のうちは代理人をたて、その者を通じて契約をするものだ。
 ミアの場合、その代理人は悪魔の使徒魔術、黒魔術と呼ばれる魔術の専門の教授であるカーレン教授となる。
 そのため、ミアが使徒魔術の契約の更新をするには、今はカーレン教授立ち合いの元に行わなければならない。
 新任とはいえ、いや、新任の教授だからこそ、まだ下に助教授が付いていないのでカーレン教授自身がとても忙しい。
 ミアとしても使徒魔術の更新の度に頼るのも、なんだか心苦しいものがあり、カーレン教授の予定もあるのでミアの望むときに契約の更新が出来なかったりもする。
 なので、ロロカカ神の御使いをミアは自分で呼び出せるようにしておきたいのだ。
 スティフィもミアの答えに頷く。
 戦闘で使うことが多い使徒魔術の契約の内容を人に知られるのは、自分の手の内を晒すような物だ。
 なるべく早いうちに、自分でやれるようになっておいた方が良い。
 本来なら陣を使って使徒を呼び出す魔術も、高い技術を有しなければならないのだが、普段からミアは神の招来というより高度な陣を描いているので、技術面の心配もないし、何よりミアは神とその御使いにも愛されている。
 御使いとの交渉も心配いらない。
「あと魔力の水薬やら軟膏やらも、もうここで作るのよね?」
「はい、もう場所代は取られません!」
 スティフィの問いに、ミアは自信満々に答えるが、スティフィは呆れた顔を返す。
「その数倍どころじゃない場所代をこの工房に取られているじゃない」
「祖父? おじいちゃん? が、払ってくれているので」
 と、ミアは少し戸惑いながらも自慢げに答える。
「あー、これだからお貴族様は」
 と、スティフィは言いつつミアを見るが、どう見ても貴族には見えない。
 ミアはやっぱりただの田舎娘に見える。
 が、実際にこの領地の貴族と正式に認められたし、なんなら領主自身は自らの娘と未だに主張しているらしい。
 長年行方不明だったステッサの令嬢の娘が見つかったと、ミアの名と例の写し絵が新聞に乗ったくらいだ。
 本人に自覚があるないにかかわらず、ミアはこの地方の貴族として認めなくてはならないということだ。
 ただミアは神の命でこの学院で魔術を学んでいるため、領主や祖父からの過度な干渉は行われていないようだ。
 その件でも、色々もめているそうだが、ミアは一切そのことを気にしていないし、関わってすらいない。
 そもそも、この地方の貴族の地位を継ぐ気もなく、この学院で魔術を学び終えたのちにはリッケルト村に帰るつもりでいる。
「貴族って便利なんですね、今までリッケルト村に送金しようとしても断られていたんですけど、ステッサの、貴族の名をだしたらしぶしぶ送金してくれることになりました」
 今まで、特に使い魔格闘大会で得たあぶく銭の一部をリッケルト村に送金しようとしたら、定期便がない、という理由で断られていた。
 だが、貴族の家名を出すことで、それすらも可能となった。
「故郷に送金とはミアも偉くなったものよね」
「せめて路銀で頂いた分くらいは送金しないと」
 金額的にはそう大した額ではなかった。
 けれども、リッケルト村としたらかなり苦労してかき集めたお金だったことはミアも知っている。
 そもそも、通貨よりも物々交換の方が主流の村だ。
 通貨自体が村にそれほど存在しない。そんな中、集めてくれた路銀だ。
 自分に余裕ができた今では、それくらいは仕送りしても罰は当たらないだろう。
 ただし、ミアが路銀として渡された数倍の金額を既に送金している。それはただ単に送金の最低金額がそうだっただけだが。
 近況を書いた手紙も一緒に送っているのでそのうち返事が来るだろうが、それは本格的に冬になってからだろう。
「神の命でミアは動いているんだから、気にしなければいいのに」
「それはそうなんですが、まあ、気持ちの問題ですよ。今の私はお金に困っていませんので。あっ、荷物持ち君、魔女釜は炉の上においてください」
 ミアは黒く金属でできた大きな釜を持ったまま、立ち尽くしていた荷物持ち君に気づいて、指示を出してやる。
 荷物持ち君は備え付けの炉の上に、魔女釜を置く。
 ピタリとはまるように炉の上に置くことができる。
 それも当たり前で、この工房用に造られている釜で、新しく購買部で購入してきた物なのだから。
 魔女釜等の利用料をもう取られないというのもミアにとっては嬉しいことだが、それ以上にこれからは自分の好きな時間で使う事ができる方が大きい。
 今までは事前に使用のための申請をわざわざ出さなくてはならない上に、申請した時間しか使えなかったのだ。その手間もなくなるし、時間に縛られることもないのは嬉しいことだ。
「で、お金に困ってないお貴族様のミアは何で、下水道の掃除の仕事なんて請け負ったのよ?」
 今度は不満たらたらに、スティフィがミアを問い詰める。
 ミアはオオグロヤマアリ退治でもこりてもいないのか、新しい厄介極まりない依頼を数件受けている。
「始祖虫が出たせいで、講義の再開が遅れたからですよ。暇じゃないですか」
 確かに講義はもうすぐ始まりはするが、それは今日明日の話ではない。
 それに工房を借りはしたものの、まだ魔術学院に通い始めて半年のミアに研究できることなどそれほどない。
 せいぜい、魔力の水薬などを作る際に自分専用の場所ができた程度の事でしかない。
 言ってしまえば、宝の持ち腐れだ。結局のところ現在のミアの知識では、誰かに教示を受けないと魔術の研究などままならない状態だ。
 そのあてもないこともないのだが、ミアがあてにしてした人物、フーベルト教授も騎士隊科の教鞭をとる教授と言うことで始祖虫の件で駆り出されていて、そんな暇はなさそうだ。
 まあ、今はなんだかんだで暇なのだ。
「でも、なんで下水掃除なのよ…… 付き合わされる私の身にもなってほしんだけど」
 スティフィももちろんその依頼を受けている。
 そして下水道の掃除の過酷さを知っているので、不満たらたらなのだ。
「結局アリの巣探検ほとんどできませんでしたからね、その代わりに下水道探検です」
 そう言ってミアは楽しそうにしているが、ミアは下水というものを知らないでその仕事を受けている。
 学院の下水道は汚水が垂れ流されるどころか、魔術で使われた後の廃棄物も流されるような地下下水道だ。
 ただ汚い、臭いだけで済む話ではない。
「汚いし臭いし、水薬なんかの垂れ流しで危ないって噂だけど」
 スティフィは無駄だとわかっていながら、反対の意思を露わにするが、ミアが気にするわけがない。
 それにミアならスティフィが一緒に受けなくとも一人で依頼を受けることにためらいもない。
 だが実際にこの魔術学院の地下下水道は危険だ。
 多くの廃棄された水薬や、その作成に使用された素材なんかも下水に、物理的に流せるものは、流されてしまっている場合が多い。
 色々な魔術的要素が混ざりあり一種の呪詛のような物まで生まれてしまう場合もある。
 その為、定期的に下水道掃除は行われている。
 本来は騎士隊の訓練生達の仕事なのだが、その訓練生達も今は色々と忙しい。中には繰り上がりで騎士隊に正式採用された者も少なくない。
 今は特に下水の掃除などしている暇は訓練生達にはない。
「掃除専用の服があるらしいですよ、それ着てお掃除らしいですね、面白そうです」
 服という名がついているが、実際は全身鎧と着ぐるみを組み合わせたようなものだ。
 魔術学院の下水道など、何が流されたかなど知れたものじゃない。
 危険な呪物がこっそりと流されていても何ら不思議ではない。
 その為の防護服で、防水どころか、物理的にも魔術的にもかなり強固に作られた専用の服である。
 それを着ての作業となる。
「収穫祭の葡萄酒造りにも参加するのよね?」
 ミアの受けた依頼は、下水の掃除だけではない。
 とはいえ、こちらは前々からミアが受けると言っていた依頼でもあり、危険も何もなく、給金も良い。
 スティフィとしてはこういう依頼だけ受けておいて欲しい。
「そっちは少し先ですけどね、もちろん参加します! お祭りは好きです」
 精霊王に捧げるための葡萄酒造りで、味よりも作法を重要視した葡萄酒造りとなる。
 と、いってもミア達がやることは通常の物と大して変わらず、葡萄を踏んで潰す役だ。
「ほんと学院生活を楽しんでるわね、で、下水の掃除はいつからやるんだっけ?」
 一緒に、嫌々ながらも依頼を受けたはずのスティフィは既にその開始日時を覚えていない。
 どうせミアと四六時中一緒なのだ。
 なんなら、スティフィはミアが忘れてくれれば、それに越したことはない、とすら思っている。
「今日ですよ、今日! この荷物運び終わったらですよ!」
「嘘でしょう…… 他のミアちゃん係の連中は?」
 スティフィは絶望した表情を見せた。
「そのミアちゃん係って言うの止めませんか? ジュリー先輩は誘いましたが真顔で断られてしまいました。マーカスさんは師匠に呼び出されたとかで今日は参加しません。エリックさんはそもそも誘ってません」
「本来は下水道の掃除も、騎士隊の訓練生の仕事でしょうに……」
 スティフィもそう言いつつも、それが無理な事も分かっている。
 あのエリックですら毎日忙しそうにしているのだ。
 ミアがエリックに声をかけなかったのも、その為で、関わりたくないからでは、多分ない。
「それができないから、掲示板に張り出されてたんですよ。あっちもあっちで未だにごたごたしてますからね」
「まあ、教官の一人が死んで騎士隊本隊がほぼ全滅だものね」
「……」
 スティフィの言葉にミアが表情を曇らす。
 今回の件は流石にミアのせいではない。門の巫女とも何も関係ない出来事のはずだ。
 それでももしかしたら、とミアは考えてしまっているのかもしれない。
「いや、始祖虫、それも複数の始祖虫が出てあれだけの犠牲で済んだのは奇跡に近いことなのよ? 下手したらこの地方全域が滅んでいてもおかしくない相手だったんだから」
 それに気がついいたスティフィはミアを元気づける言葉をかける。
 実際に、被害は歴史的に見ても、これだけの犠牲で済んでいる方が珍しいほどだ。
 始祖虫の能力を見れば、その地域全域が滅んでいてもおかしくない相手だ。
 始祖虫が始祖虫を生み出せるようになる七本角にまで成長していたら、場合によってはこの地方は壊滅されその後、竜種により完全な焦土へと変えられたことだろう。
 その後の再開拓は人間の仕事だろうが、今のような生活に戻るまで百年単位で必要になるかもしれない。
 外界から来た虫種に対して、この世界の神々はあまり関与したがらないのもその要因の一つだ。
 相手が外道種であれば、神の座にいる神々もその力を遺憾なく貸してくれはするのだが。
「確かに、あれは人間ではどうこうできる相手じゃなかったですね」
 ミアも始祖虫という存在を思い出す。
 どうあがいても人間の能力では太刀打ちできない生物だと言うことがミアにも十分に理解できる。
「そうよ、あの巨女が規格外すぎるのよ。そもそも、あの触手の一撃を普通に耐えるってどういうことなのよ…… 鉄でできた鉄騎ですら瞬時にバラバラになるような攻撃なのよ」
「それどころか、大地を吹き飛ばして大穴作ってましたよね」
 ミアはオオグロアリの巣の前に作られた縦穴を見て、すぐに理解することがミアにはできなかった。
 これが一生物の力によって、しかも、瞬時に作られた縦穴だと理解するのに少しの時間が必要なほどだった。
 あれを見る限りミアには始祖虫という存在は人間にはどうしようもない存在だと言うことはわかる。
「あの後、一応竜種に応援を頼んだけども、やっぱり断られたらしいわね」
 スティフィはまるで興味がないのか、まるで他人事のようにそう言った。
 スティフィにとってはどうでもいいことなのかもしれない。
 ハベル教官は学院に帰り、落ち着いた後、自分に力を貸してくれている竜種と魔術で連絡を取り、助力を乞おうとしてはくれたが竜はやはり動かなかった。
「でも、また始祖虫が出たらすぐに駆け付けてくれるって約束は取り付けてくれたらしいじゃないですか」
「まあ、そうだけど、竜達の山脈からくるから、竜の翼でも数日はかかるそうよ」
 遥、北にある竜達の山脈と呼ばれる場所は言うならば、この地からは世界の反対側だ。
 天空を翔ける竜達の翼をもってしても、この地まで来るのにそれなりの日数がかかる。
「難しい問題ですね。カリナさんに倒してもらっても、まだ生き残りが隠れている可能性もありますし、一度竜種を呼んで徹底的に探してもらうってこともありなんじゃないですか?」
 ミアの言うことはもっともなことだが、竜種を呼ぶのにも金品が物凄い必要となる。
 ただ話はそれだけではなく、始祖虫を相手できるような竜種を呼ぶとなるとかなりの金額になるし、なにより始祖虫は地に潜るため、竜達も大地をほじくり返す。
 必然的に大地が荒れ果てもする。
 それにスティフィの言う通り、竜種達を呼ぶには、始祖虫が確認された後、竜種が来るまで耐えなければならない。
 場合によっては村や町を数カ所、放棄しなければならなくなし、始祖虫の行動次第では尋常じゃないほどの犠牲者が出る。
「そうよね、実際に複数の始祖虫が確認されたわけだからね、三匹目がいない訳もないのよね」
 始祖虫も規格外とは虫種であることに変わりない。
 一匹いたら数匹いても不思議ではない。
 ただ始祖虫の成長には長い年月を有する。個体差はあるが角持ちになるまで最低でも数百年、また角が増えていくのにも同じ年数が掛かるとも言われている。
「この地方の伝説にもいくつか関わっているそうですね、始祖虫」
 ミアにとっては後から聞かされた話だが、朽木様を枯れる寸前まで追い込んだのも、冬山の王という天に属する精霊王を天から落としたのも始祖虫なのだという。
 上位種と言われる種族とも渡り合える始祖虫はやはり人の手に負えるものではない。
 けれども、それを極北の地より、この地に持ち込んだのは人間なのだという、しかも、それを孵化させたのはこの地方の北にある冬山の王の領域だったと言われている。
 なので、冬山の王は今も人間を恨んでいるという話だ。
「まあ、この地方に伝わるのは始祖虫と名指しされていたわけじゃないけどね、今回の朽木様の言葉からそれが決定づけられたわけでもあるけど」
 スティフィの調べた限りでは千年近く、もしくはそれ以上昔の話で、余り正確な年代は特定すらできなかった話だ。
 始祖虫の生態を考えると更に数千年前に始祖虫の卵がこの地にもたらされたことになる。
 これは人間がその頃からいた証拠にもなる話でもある。
 ただミアが本格的に作業を始めたので、この話もここまでで終わりのようだ。
 生乾きの薬草をこの工房の中で干そうとしたが、干すだけ無駄とミアもすぐに気づいた。
 この工房の中の空気は窓もないため空気が停滞している。
「む、この工房だと薬草を乾かすのは難しそうですね。外に干さないとダメかもしれないですね」
 工房の外、庭というべき場所も工房のうちなので自由に使っていいはずだ。
 場合によっては、菜園を作り薬草を育てることも可能なはずだ。
「窓もないしね、後水汲みも大変そうね、ここ」
 スティフィは空の水瓶を見ながらそう言った。
「井戸が少し遠いんですよね。でも、私には荷物持ち君がいますし」
 ミアは笑顔でそう言っているが、スティフィは少し引いた表情を見せた。
 自分の使い魔であるとはいえ、上位種である古老樹に平気で水汲みなどの雑用を任せられるミアの神経がスティフィには未だに理解できない。
「それこそ精霊魔術を学びなさいよ。ミアには水の精霊が憑いているんだから」
 スティフィがそう言うと、ミアは自然と顔をしかめた。
「この子、力が強すぎで私では上手く扱えないんですよ…… そもそも私は精霊魔術の適正があんまりないって言われましたし……」
 ミアはそう言った後、少し落ち込んだ。
 せっかく朽木の王のこんな素晴らしい精霊を頂いたというのに、それをうまく使いこなせていないどころか、使うことすらままならない。
「それは女子全員そうでしょう。女には生理があるからね、女は基本的に全員、精霊魔術向きじゃないのよ」
 したり顔でスティフィはそんなこと言うが、スティフィも最近知ったことだ。
「でも精霊魔術は女性に人気ですよね? なんで生理があると精霊魔術向きじゃないんですか?」
 これはあくまで統計では、の話だが、男は使魔魔術を、女は精霊魔術を学びたがる傾向がある、と言われている。
 何か理由があるわけではないのだが、なぜかそういった傾向があるのだ。
「人気なのは、なんか神秘的な印象があるからじゃない? ただそれだけよ。理由なんてないんじゃないの? まあ、精霊魔術は便利ではあるけれども。後、生理はね、魔術的な意味合いでは、体内で生と死を定期的にに繰り返していることになってるのよ。精霊はそれを嫌うって話ね」
「死がない精霊は死を理解できなくて嫌がるって話でしたっけ?」
「まあ、そんなところね」
「にしても、まだ蒸し暑いですね。少し動いただけで汗が出てきましたよ。確かにこんな時には風の精霊で風を起こしたくなりますね」
 自分でそう言っておいて、確かに精霊魔術は便利だ。と、そう思う。
 下位精霊達はほんのわずかな魔力で一生懸命働いてくれる、つまりは自然の一部を操れるのだから、人気が出るというのも納得だとミアも思う。
「今からやる下水道掃除はこんなもんじゃないはずよ?」
「何言ってるんですか、スティフィ。地下で水道ですよ。暑いわけないじゃないですか」
 ミアは数時間後、この言葉を言った自分を怨むことになる。
 物理的にも魔術的にも防備に優れた全身鎧とも着ぐるみとも取れる服はもちろん防水加工もされている。
 酷く蒸し暑いものなのだ。
 それを着ての重労働だ。
 本来なぜ基本的に男しかいない騎士隊訓練生の仕事だったか。
 少し考えればわかる話だった。


 
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