学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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夏の終わりは地底で涼みながらの虫駆除な非日常

夏の終わりは地底で涼みながらの虫駆除な非日常 その1

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 騎士隊訓練校の教官、ハベルの指揮のもと簡易的に作られた駐屯地にミア達は来ていた。
 場所的には精霊王に会いに行くための第三野営地と第四野営地の中間地点で更に学院から見て奥の山脈よりの場所だ。
 川を挟んで山影に見える洞窟のような穴がヤマグロオオアリの巣の入口だ。
 態々川を挟んでいるのは、一応の安全のためだ。オオグロヤマアリはある程度深い川を渡ることができない。
 その上でこの駐屯地には虫除けの陣が敷かれている。この陣自体でオオグロヤマアリの巣に蓋もしている。
 その入口は反対の川岸からでも確認することができるほどの大きさの穴で人でも悠々に入れるほどの大きさをしている。
 巣の入口の前には大量に虫除けの香が焚かれ、精霊により風と共にその煙を巣の内部へと送り続けている。
「あれで蟻を退治できるんですか?」
 とミアが不思議そうにその様子を眺めながらそう言った。
 あくまで焚かれているのは虫除けの香で、虫を寄せ付けないことはできるが、殺虫作用はない。
「いや、あれは蟻を外に逃がさないためと、空気の確保をわかりやすくするためね。あと他の入口があったときに臭いでわかるようにね」
 それにスティフィが答える。
 スティフィはオオグロヤマアリの討伐に参加する気はなかったのだが、ミアが参加するということでついてこないわけにはいかなかった。
 一応装備を整え、いつぞやにエリックから借りたままの連弩まで持ち出してきている。
「他の入口のことはわかりますが、後のことはどういうことです?」
 ただでさえ蒸し暑い中、火の番で汗をかき作業の手を休めずにスティフィに聞き返した。
 そのスティフィは暑いからか、火を焚いている竈の近くから少し離れて手うちわで扇ぎながら返事を少し大声で返す。
「簡単に言うと、地中…… というか洞窟内には空気がない危険なところがあるのよ。それで、それを避けやすくするために、あの香の匂いが届いている場所は、空気の流れがあって空気があるよっていうことね」
 スティフィから返ってきた答えにミアは疑問符を浮かべる。
「よくわからないんですけど、空気がないとどうなるんですか?」
 ミアは不思議そうにそう聞き返してきた。
 空気がないという状況を、あまり想像できている様子ではない。
 なので、スティフィは簡潔に伝えてやる。
「死ぬわよ」
 その言葉にミアは素直に驚きを隠せないようだ。
「え? そ、そうなんですか?」
「しかも、割と危険な瓦斯が溜まっている事もあって一息でも吸うと死んじゃうらしいわよ。それを防ぐための処置なんだってさ。ミアも気を付けなさいよ。風と匂いが頼りよ」
 そう言いつつもスティフィも事前に一夜漬け、ですらなく、ここに来るまでの間に騎士隊が話していたことをまるで自分の知識のように語っただけでしかない。
 それを得意げに披露しているだけだ。
「私は後方支援なので…… そもそも巣の中には入らないと思いますよ。ひたすら魔力の水薬、それと暇を見て軟膏を作るのが役目です」
 実際にミアは今も魔力の水薬を作っている。そのための竈で火の番だ。
 とはいっても基本、薬草を煮込むだけなので作業の大半もただの火の番でもある。
「まあ、両方とも有用だからね。それに戦闘もろくにできないミアができる事なんでそれくらいか」
 ミアの護衛や持っている杖は超一級の代物だが、ミア自身、なにかとの戦いなどしたことがない、との話だ。
 あってもイノシシと死闘を繰り広げたくらいだ。
 素人にしたら、それでも十分凄い方ではあるとスティフィは思うが、オオグロヤマアリの相手は荷が重い。
 オオグロヤマアリはその巨大な大きさ故、動きは鈍いのだが、まず数が圧倒的に多い。また恐怖という感情を思っていないため、がむしゃらに、数にものを言わせて攻め立ててくる。
 選択を間違えば一瞬のうちにその群れにのまれ、骨すら噛み砕かれあとには何も残らない。
 またそれでだけでなく同じ場所に何日も岩のように動かず潜み、機会をうかがい奇襲を仕掛けてくるような役割の蟻もいる。
 戦い慣れしてない人間を巣穴に送り込むなど、餌を投げ込んでいるのとそう変わりない。
「スティフィは巣に入らないのです?」
 ミアは確かに自分には、巣穴に入り子犬大まで成長している蟻の駆除など無理だということは理解できている。
 だが、スティフィなら、それも可能なのだろう、という謎の信頼がミアにはある。
「私はミアの護衛でついてきただけで、そもそもこの討伐には参加してないのよ? わかる? 無給なの? 無給! 私には報酬出ないのよ?」
 と、スティフィは必死になって言い返した。
「うう、す、すいません……」
 スティフィに反対されると思って、黙っていたのだが、そのうちに定員に達し募集が閉め切られてしまった。
 なので、スティフィはこんな場所までついてきてはいるが、部外者であり報酬もでない。
 ただ自分の、ある意味自分の意思でついてきてはいるので文句はミア以外には言わない。
 ミアにだけそういうことを言うのは、心を許しているからか、そう演技しているからか、それはスティフィ自身もわかっていない。
「でも、マーカスとエリックは、今も巣に入っているのよね?」
「らしいですね」
 オオグロヤマアリの巣の攻略は、何部隊かに分け波状攻撃しつつ、アリの巣を崩落しないように補強し、人が通れるように拡張しながらといったものになっている。
 オオグロヤマアリは例え女王アリを討伐しても、卵が残っていれば新しい女王アリが生まれる可能性があり、隅々まで探索し殲滅させなければならないからだ。
 そのため、この討伐は長期間にわたる作戦であり、一大作戦でもある。
 ついでにマーカスは取りこぼしの蟻の索敵係、エリックは補強建築係で巣の中へ入り込んでいる。
 実際の殲滅戦は騎士隊の本隊が行っているので、戦闘面での出番は訓練生にはない。
「マーカスもミアの護衛のはずなのに」
 スティフィがそんな愚痴を漏らした。
「なんでマーカスさんが私の護衛なんですか?」
 未だにマーカスから何も伝えられてないミアは訳が分からない。
「冥界の神と約束したらしいわよ。門の巫女うんぬんってやつでね。あと、あのお姫さんの護衛の…… ブノア? だっけ? あいつにも頼まれてるらしいわね」
 一応、人間でミアの護衛と言えば、スティフィが先輩ということでマーカスもスティフィにはそのことを打ち明け話だけは通してある。
 スティフィの目的は、ミアを自分に依存させてデミアス教に引き込むことなので、マーカスの存在は邪魔なのだが、神の命がらみなのでスティフィも邪険にできず受け入れるしかない。
 それに冥界の神より幽霊犬を授かったマーカスは、スティフィの目から見ても厄介だ。ミアの護衛という意味ではそれだけ頼りにはなるということでもある。
 特に対虫種であれば、自分よりマーカスのほうが役に立てるとさえ思っている。
「だからなんで私の護衛なんですか…… あー、でも、なんかマーカスさんとブノアさん遠縁らしいですよね。さらに遠縁らしいですが私ともそうらしいですね。案外身内って近くにいるものなのですね。天涯孤独と思ってただけに驚きです」
 ミア自身、外道種に狙われている、とは頭でわかっていても実際にミアの目の前に現れたわけでもないので、未だに実感が湧いていない。
 なので、自分が護衛される意味がよくわかっていない。
 そのことを今、ミアに言っても仕方がないので、スティフィはもう一方の会話に反応し話を続ける。
「そうよね、なんだかんだでミアがお貴族様なのよねぇ…… 似合わないわね」
 スティフィの素直な感想がそうだった。
 ミアの地は意外とせこくて庶民的で思いのほか図々しい。神さえ関わらなければただの田舎娘と言って良いかもしれない。
 とてもじゃないが、貴族とはかけ離れている。
「ですよね、正直めんどくさそうですし……」
 と、ミアもそれに同意して渋い表情を見せた。
 あれ以来、領主であるルイから手紙が届くらしい。流石に駐屯地に来ている今は読めていないが、ルイ達が帰ってからの三日間は絶えずルイからの手紙が届いている。
 一応そのすべてにミアは目を通しているけれども、どうもミア的にも気が滅入る内容が多いようだ。
 読み終えるたびに微妙な表情をミアは浮かべている。
 ただそれ以外のことに対して、ベッキオより生活費名目で補助金を毎月貰う事にあったことを除けばだが、ミアの生活に何の変化もない。
 貴族のきの字もないが、ジュリーというお手本が身近にいたので、そう珍しいことでもないのかもしれない。
「でも金銭的援助してもらえることになったんでしょ? こんなのに参加しなくていいじゃない」
「参加した後にそうなったんですよ、ベッ…… おじい様が訪ねてきたときにはもうこっそり受けてましたし」
 と答えつつも、面白そうだからと、もし援助を貰えた後でも参加するつもりではいたが。
 なにせ夏季休暇中はやることがない。
 金銭的余裕が本格的に生まれたので、魔術の研究を始めようと思ってはいるが、その準備にも時間がかかる。
 またそれはすぐに始められるものでもない。まずは自分の工房を借り、そこに研究に応じて必要な設備を運び込むところからしなければならないのだが、そもそもミアは自分が何を研究したいのかも漠然としていて定まっていない。
 ただ一つだけは決まっているのは、ロロカカ神の研究だけは絶対にするつもりでいる。ただ今まで未知の神だったロロカカ神の研究ともなると当もないので何の準備もできずにいる。
 それに、工房を借りる申請も、なぜか事務員たちが忙しそうにしていて後回しにされている。恐らくは夏季休暇明けまで受理されることもないだろう。
 まあ、要は今は暇なのだ。
「というか、荷物持ち君に突っ込ませれば、それですべてが解決するんじゃないの?」
 実際時間はかかるだろうが、それが確実だったりするのかもしれない。
 朽木様からほど近い、ここいらの土地であれば、荷物持ち君の親である朽木様の根も地中に存在する。
 そんな場所で荷物持ち君が蟻ごときに後れを取るわけもない。
 ただ、荷物持ち君はミアの護衛者であり、長期間ミアのそばを離れることはない。
 そのような命令は流石に荷物持ち君も了承することはない。
 あくまで護衛者としてミアを守ることを最優先としている。
「流石にどうですかね、マーカスさんとエリックさんの話ですと、この入口を制圧するのもずいぶん苦労したって話ですよ」
 人間がオオグロヤマアリを相手するのはそれなりに厄介だ。
 その外骨格には鉄分を多く含み、大型肉食獣の牙や爪も寄せ付けないほど厚く硬い。
 騎士隊の本隊も参加しているとはいえ、先発隊が入口の制圧するのにも苦労したそうだ。
 ただ制圧後発見した巣の規模から考えると、オオグロヤマアリの反撃はかなり少なかったとのことだ。
 それでも、オオグロヤマアリ、その中でも馬ほどまで大きくなる兵隊アリの戦闘能力は異常に高い。
 大きさが大きさなので素早くはないものの、その力は強く食いつかれたら、鋼鉄製の鎧をつけていようが、胴ごと真っ二つにされるとのことだ。
 実際に使い魔の鉄騎と呼ばれる動く鉄甲冑ともいえる使い魔が兵隊アリに数体ほど破壊されたとのことだ。
 またかなりの精度で酸性の毒液を飛ばしてくるのも厄介だ。
 更に毒針を刺され酸性の毒を注入されると、人間ではほぼ即死とも言われている。
 まだ死者は出てないらしいが、吹きかけられた酸にやられたり、喰いつかれて大怪我を負った者はたくさんいるとのことだ。
 ただスティフィからしたら、それらのことはどうでもいいことだ。
 今回、ミアは巣に入らないのだから。その予定なのだから。
「にしても暑いわね……」
「そんな革の鎧着てるからですよ」
 デミアス教の耳という伝達部隊が使用している黒く染められた全身を覆う革鎧を借りてきている。
 非常に高性能で対刃性能と通気性、さらに隠密性もいいのだが、暑いものは暑い。何もしないのに自然と汗が垂れて来るほどだ。
 だからスティフィは竈から少し離れた位置に陣取って、ミアと少し大声で話し合っている。
「流石に虫種相手に肌を晒したくはないわね。あの蟻、酸の液を飛ばしてくるらしいし。というか、暑い原因はどう見てもこの炊き出しでしょう?」
 そう言ってスティフィが周りを見回すと、移動式の簡易竈が六基置かれており、そのどれもが火をともし稼働している。
「仕方がないじゃないですか、質の良い魔力の水薬をできるだけ納品しろって話なんですから。スティフィも魔力注入だけは手伝ってくださいよ。さすがに私一人じゃ魔力酔いを起こしちゃいますよ」
 薬草は騎士隊が用意したものでミアが普段使っているものではない。
 相性の関係で多少性能が落ちるが、今は大量生産を優先したい、とのことで流れ作業的に魔力の水薬を作っている。
「何でミア一人しかいないのよ。魔力の水薬だなんて誰でも作れるでしょうに」
 スティフィが文句を言うが、
「もちろん私以外にもいますよ。ただ今は私の番なだけで、他の人は休んでいるんですよ」
 とのことだ。
 ミアの前に魔力の水薬を作っていた者は、魔力酔いの寸前まで頑張り、今は近くの天幕で休んでいる。
 基本的に薬草を煮込んで魔力を込めるだけなので、竈が六基あっても担当者は一人で十分だからだ。
「ああ、そういうことね。にしても暇ね」
「暇なら巣の様子でも見てきたらどうですか? マーカスさんもエリックさんも巣の中に行っていますし」
 その言葉にスティフィは冗談じゃない、と言った表情を浮かべる。
「マーカスはともかくエリックは役に立つのかしらね。にしても、あっちでも火を起こしてるわね、あれは何してんのよ、このクソ暑いなかで」
 スティフィが少し離れた場所で、ミアが使っている竈よりもかなり本格的な、簡易的ではあるが製錬炉のような物を見ていった。
「あー、なんでもこの蟻から特別な鉄が取れるとかで、いくつか抽出して質を確かめてるって話です」
「蟻鉄って奴ね。酸に強くて錆びない鉄って話ね」
 あまり主原料として使われる素材ではないのだが、錆止め用に表面を蟻鉄で覆うと非常に錆びにくく、酸にも強い物になるという。そんな使われ方をする鉄、正確には合金だ。
「そうなんですか、私の聞いた話だと既に錆びるところまで錆びてしまったから、これ以上錆びなかったり、酸に溶けることもないって聞きましたよ」
「同じことでしょう。行きつくところまで行きついてしまったから、酸にも錆にも強いのよ。まあ、その分、普通の鉄より脆いらしいけどね」
 蟻鉄で短刀などを作っても、とても柔らかく曲がったり折れたりしてしまい使い物にならない。
 ただそれだけに蟻鉄は柔らかく加工もしやすい。鎧の錆びやすい部分だけ蟻鉄で覆う、何てことも可能だ。
「へえ、脆いんですか?」
 ミアは以外と言った表情を浮かべた。
「ただ鎧なんかの表面を蟻鉄で薄く覆うらしいのよ。それで酸にも強くなるし錆止めになるんだってさ」
 蟻鉄は銅と同じような、少し赤みがかった黄茶色の金属でほとんど電気を通さない。
 また非常に安定した物質で状態変化も硝子並みに抵抗があるとされている。
 ただその製法は不明で、オオグロヤマアリの体内でしか生成されないと言われている。
 そんなちょっと変わった合金の一種だ。
「ほー、そんな使い方があるんですね。なるほどです。
 荷物持ち君も少し分けてもらいますか?」
 ミアが荷物持ち君に向かい聞くと、荷物持ち君はいらない、とばかりに頭を横に振った。
「いらないのですか」
 とミアは笑顔でその様子を自らの使い魔を見てかわいがっている。
「荷物持ち君が欲しがるような物は伝説の素材とかそんなんでしょう?
 蟻鉄なんてちょっと珍しいだけの素材なんだから」
 そもそもほぼ粘土でできている荷物持ち君にとって錆は無縁だ。
 荷物持ち君が欲しがるような物でもない。
「では、荷物持ち君、着けてもらった眼の具合はいいですか?」
 ミアは荷物持ち君に取り付けられたクリクリっとして輝いている二つの琥珀を見ながらそう言った。
 その質問には荷物持ち君は嬉しそうに頭を縦に振った。
「その眼、どういう役割なのよ。実際に見えているわけじゃないのよね?」
 荷物持ち君は古老樹だ。
 視覚的情報など元からいらないはずなのに目などつけてなんになるというのか、スティフィにはわからない。
「グランドン教授が言うには、魔術の起点や制御、そして精度の向上といってましたね。スティフィの言う通り人間の目のように何かを見る物じゃないですよ。普通の使い魔だと宝石を通して相手の位置を確認する、それこそ目の役目もあるらしいんですけどね。その機能は荷物持ち君にはいらないので」
 スティフィはその話を聞いて、泥人形の癖にますます化物になっている、と再確認する。
「へー、なるほどね。って、戻って来たみたいよ」
 そんなとりとめのないことを話していると、巣の入口から何人か戻ってきている。
 手漕ぎ船で渡る者や川に貼った縄を伝って川に入りながら渡る者もいる。
「何か運んでますね、あれなんでしょうか」
 ミアの言う通り数人の騎士隊訓練生達が顔を引きつらせながら何かを運ばされている。
 半透明で白い円柱状の物体で少しつやつやしているが、内部に何かがいるのがわかる。それを訓練生達が嫌な顔を浮かべながらも大事そうに運ばされている。
「げ、卵じゃないの…… あれ……」
「あー、竜の好物なので、孵らないようにして交渉材料にするようなことを言っていましたね。随分と大きいんですね。一抱えくらいありそうじゃないですか」
 そんな様子を眺めていると、手漕ぎ船でこちらの岸まで帰ってきた、マーカスとエリックがミア達に気づき近寄ってきた。
 マーカスは無傷だが、エリックは少し火傷のような傷を左肩に負っている。蟻の酸にやられたようだ。
「エリックさん、その傷大丈夫ですか? ミアちゃん印の軟膏ならあっちの天幕にありますのでつけてください。今つければ跡も残らないで治るはずですよ」
 と言って、その治療用の天幕があるほうを指さした。
「おお、ありがとう! あっ、スティフィちゃん、良ければ軟膏縫ってくれないかな? な?」
 まるで肩の傷など元から気にしてないような、デレデレの表情を浮かべてエリックはそう言うが、
「嫌よ、自分で塗りなさいよ。ミアの軟膏臭いし」
 と、スティフィに言われて、落ち込みながら治療用の天幕のほうへと歩いていった。
 エリックが天幕に入るのを確認してから、ミアがスティフィに声をかける。
「スティフィ、ラダナ草の匂い好きだったじゃないですか」
「あれは精霊除けの効果があると思っていたからで、別に好きなわけじゃないし、そもそも効果がないって話じゃない!」
 スティフィは憤慨してそう叫んだ。
 精霊魔術の権威、カール教授はラダナ草が精霊に避けられているのはただの迷信、と断言していた。
 その後、野外授業でもラダナ草の群生地で精霊反応を見せ、それを証明して見せていた。
 スティフィが機嫌悪くなったので、ミアはマーカスに視線を向ける。
「で、巣穴のほうはどうだったんですか?」
 ミアがワクワクしながらそう聞くと、マーカスが得意そうな表情を見せた。
「卵を置かれた場所を初めて見つけましたよ。戦利品は燻製にして竜との交渉に使うそうな。竜との交渉だけなら金と同価値になるそうですね」
 そういうマーカスは記念に一つ貰いたいですね、とも小声で漏らしていた。
「え、そんな価値高いの? 蟻の卵が?」
 スティフィが驚きの声を上げる。
 あの蟻の卵が同量の金と同じということは、今持ち出された分だけでも相当の金額になる。
「まあ、竜との交渉なら、ですけどね。それより、ミアさんの魔力の水薬、凄い質のいい魔力ですね」
 マーカスは他の水薬と比較にならないほど高品質な魔力の水薬に驚いている。
 これほどの物は市場には滅多に出回らないし、ミアの卸先である購買部でも即座に売れきれるほどの好評だ。
「当たり前ですよ、元はロロカカ様の魔力ですよ」
 ミアは、当然です、とばかりに胸を張ってそういった。
「それは納得の品ですね。やはり相当神格が高い神なのは間違いないですね」
 マーカスのその言葉に、ミアがにんまりと笑顔を浮かべた。
 ロロカカ神が褒められて心底嬉しそうな表情をしている。 
「でもあれよね、ミアの神様。実際はすごい、なんていうか、凄い存在感の気配なんだけど、魔力の水薬にすると、その気配がないのよね」
 スティフィは言葉を慎重にそう言った。
 ロロカカ神の魔力は、常人には底冷えするような不吉さを感じさせるものだが、魔力の水薬に込められたものからはそんな気配はしなくなる。
「魔力の相性と宿り属性ってやつですね。水に宿る魔力は基本、純粋な魔力が宿りやすいですから、その神の痕跡や特徴などは残りにくいんですよ」
 マーカスがその理由を簡単に説明する。
 だから、祟り神の巫女が作った物と分かりつつも、その性能からミアの魔力の水薬は売れ行きが良いのだ。
 ただそれのことをまだ知らない生徒などからすると、やはり敬遠されがちではある。
「流石お店を開ける魔術師ですね、まだ習っていませんよ、そんな話」
 ミアは少し難しい顔をしてそんなことを言った。
「お店? ああ、第六級のことですか?」
 マーカスははじめミアが、なんのことを言っているかわからなかったが、少し間があってから見当が思い当たった。
 マーカスとしては店など開くつもりがないので、それが思い当たるまで少しの時間を要した。
「あいててて、まだしみるよ、スティフィちゃん、慰めてくれよ」
 そうこうしている間に自分で軟膏を塗り包帯を巻いたエリックが帰ってくる。
 そして、そのままスティフィの隣を陣取る。
「嫌よ、あっち行きなさいよ、暑苦しい」
 それをスティフィが邪険に扱う。いつもの光景ではある。
 それを見たマーカスは笑うが、それと同時に少し不安そうな表情を浮かべる。
「ハハハ。にしても、この巣、少しおかしいんですね。これだけ攻めて、卵がある部屋にまで行っても、蟻の本隊がまだ出てきてないんですよ」
 マーカスは本来は気性の荒いオオグロヤマアリの抵抗が、巣の卵まで持ち出された割には少ないことを不思議に思っている。
「そうなんですか?」
「ええ、本来のオオグロヤマアリなら巣の入口に近づくだけでぞろぞろと湧いてでて、その本隊も出てくるものなのですがね。騎士隊本隊の話だと、深い場所にはまだうじゃうじゃひしめき合ってるらしいですよ」
「なんか違う虫種もいるって話よね?」
 スティフィもなんか違和感を感じているのか、あまりい顔はしていない。
 マーカスもそれに同意するように難しい顔を浮かべた。
「ええ、それも偵察用の使い魔で、どちらも確認済みとのことです」
 先行させている使い魔により、巣内に他の虫種や奥底に潜んでいるオオグロヤマアリの確認もできている。
 これらは通常あり得ないことだ。
 普段と何か違う。
 そのほとんどの場合はただの気のせいなのだが、それでもやはり何か起き前はそんな空気がそれとなく感じれるものだ。
 多くの死線をくぐってきたスティフィには、その空気を敏感に察知している。
「オオグロヤマアリも元は北の虫だろ? 気候が合わなくて勝手に弱ってんじゃねぇの?」
 エリックが楽観的にとらえてそう言うが、スティフィにすぐ否定される。
「なら、こんな大きく育たないわよ。兵隊蟻の死骸みた? 本当に馬みたいな大きさよ」
 巣穴から運び出されたオオグロヤマアリの兵隊蟻は本当に馬のような大きさの蟻だった。
 しかも、まるで甲冑でも着こんでいるような姿で物々しさがある。
「あー、見た見た、あれすげぇな。あそこまでいくとカッコイイまであるよな? な?」
 と、エリックも一人で盛り上がっている。
 一応はマーカスだけがそれに同意していた。

 一日目はこうして何事もなく無事に終えることができた。
 もっとも何事も起きなかったのは、この討伐作戦の間ではこの日だけだ。


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