学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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試験が終わった後の夏休みと海でのいつもとちょっと違う日常

試験が終わった後の夏休みと海でのいつもとちょっと違う日常 その14

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 マーカス・ヴィクターの場合。

 マーカスは特に臆するでもなく霧の中を歩く。
 近くに亡者達が取り囲むように群がってきてはいるがマーカスに直接手を出すことはない。
 マーカスもそれがわかっている。だから臆さない。
 濃霧でまともに先が見えないような道をマーカスはしっかりとした足取りで歩んで行く。
 マーカスがしばらく進むと霧の中に小さく揺れる明かりを発見する。
 それが焚き火の明かりであることもマーカスは知っている。
 ここへ訪れるのはこれで二度目だ。
 焚き火の元へと行くと、染料で塗ったような青い肌をした老人が機嫌が悪そうに仏頂面で胡坐をかいて座っていた。
 マーカスは青い肌の老人と焚き火を通して対面になるようにして、マーカスも胡坐をかいて座り込んだ。
 そして、そのまま額を地面につけるまで頭を下げる。さらに両手を平のほうを天に向ける様にしてまっすぐ伸ばした。
 少し奇妙な恰好だが、これが冥府の神デスカトロカに対する正式な礼儀だ。
「ふむ。久しいな。面を上げ。して、ワシとの約束をほっておいてどうしておった」
 青い肌の老人、冥府の神デスカトロカが不機嫌そうに険しい表情を向けてそう聞いてきた。
 マーカスはゆっくりと上半身を起こした。
「冬山の精霊王に捕まり、数年間、生きたまま氷漬けにされておりました」
 正直に話す。
 神の前で嘘をついたところで意味はない。
 神に嘘をついたところで、ばれて自分の立場を悪くするだけだ。
「なに? ワシの名を出せとあれほど言うたであろう?」
 デスカトロカ神は少し驚いて見せた。そして不審そうな表情を浮かべる。
 ただしその表情の矛先はマーカスではなく別の存在へとだ。
「取り合う暇もなかったですね」
 と、マーカスは軽く、まるで大したことでもなかったかのような口調で返す。
 実際マーカスには何もできなかったし、一言も発する暇もなかった。
 出会い頭に捕まりそのまま氷漬けにされた。
 それで数年、とはいえ時間が過ぎる感覚もなかったが、苦しみはした。
 それはそれで自分が納得してやっていることで後悔も特にない。黒次郎という名の犬を助けれなかったことはマーカスにとって心残りだが。
「そうか、それはすまなんだ。ワシはおぬしがワシとの約束を破ったものとばかり思っておったぞ。それに加えて外道の奴らまで現れる始末じゃ。ワシの機嫌もますます悪くなるというものよ。まあ、おぬしの犬の死体があった場所は、ワシの土地ではない故、助けられなんだが」
 デスカトロカ神はそう言って渋い表情を見せる。
 ただ外道種が現れたときには黒次郎の死体は既に死蝋化しており、もう復活を望めるような状態ではなかった。
 あの時点でデスカトロカ神が外道を追い払ってくれていても、もう手遅れなのは変わりはない。
「そのお心使いありがとうございます。そして、申し訳ありません」
 それに対しまず感謝を述べ、そして、マーカスは素直に謝る。
 自分がへまをして冬山の王に捕まったせいで神を怒らせ、目的も果たせなかった。
 その結果、外道を学院に招き入れることにまでなってしまった。
「いや、おぬしのせいではない。あやつめ、少々気が短すぎる。後でワシの方から言っといてやるから許せ」
 デスカトロカ神が言っている、あやつ、とは恐らく冬山の王の事だろう。
 あの情け容赦がない精霊王が神から怒られるというのであれば、それはそれでマーカスも見て見たい気がする。
「ありがとうございます」
「じゃあ、これで手打ちじゃな」
 デスカトロカ神は少し残念そうにそう言った。
 冥府の神にとって天に属する精霊王の体の一部がどんな意味を成すのかわからないが、デスカトロカ神が欲していたことは確かのようだ。
「いえ、物自体はどうにか手に入れることができたのです」
 マーカスは少しバツが悪いように、そのことを告げる。
「ふむ? では、なぜ捧げない?」
 デスカトロカ神は不思議そうな表情を浮かべた。表情だけ見るには怒っている様子はない。
「それが、入手した先が、その、どうにも信用ならない人物で、学院のほうで本物かどうか精査中でして、ですね」
 冬山の王、その髪の毛の一本をくすねて来たのは、あのオーケンだ。
 そう、あのオーケンである。
 それが本物だという保証はどこにもない。そしてオーケンであれば寸分たがわぬほどの偽物を作り出すのもお手の物だろう。
 また、とても珍しい物なのでそれが本物であるかどうか、中々確証が得られずにいる。
 下手をすれば天に属する精霊王の体の一部など、人類が初めて入手したものなのかもしれない。
 人にはそれが証明のしようがない物でもある。時間が掛かって当たり前だ。
「そうか。ワシのほうは約束を守れんかったのに苦労を掛けたな」
 デスカトロカ神はそう言ってねぎらいの言葉までかけてくれた。
 約束を守る者に対しては、この神はどこまでも寛大で優しい神であることをマーカスは知っている。
「いえ、俺の方こそ、力及ばずに何もできずに捕まりそのまま凍らされるとは思っても見なかったので。それで遅れたせいで死体が死蝋化してしまい、外道を呼んでしまったそうで。申し開きもありません」
 そうだ。
 あの時氷漬けにされなければ、無謀だと思えていた黒次郎の復活さえも可能だった。
 だが、マーカスが精霊王に捕まり氷漬けにされたことで、腐敗しない犬の死骸は死蝋化してしまった。
 また魔法陣の起動に地脈の力を利用していたので、そこからシキノサキブレという外道種を招き寄せてしまった。
「まあ、ワシがしてたのは腐敗を防いでいただけじゃからの。契約上それしかできんかったのじゃ、許せ」
「とんでもありません。全ては俺が判断を誤り、力不足から招いた結果です。想定通りなら防腐処理だけで間に合うはずでしたが、それがそもそもあまかったのです。本当に申し訳ありません」
 マーカスは悔しそうに眼を閉じる。
 判断を誤らなければ、黒次郎は蘇り学院に外道を呼び込むこともなく、そして神を怒らせこんな事態にはなっていなかったはずだ。
 ついでに言うならば、オーケンの使い走りみたいな真似もせずに済んだはずだ。
「まあ、よい。自分を責めるな。今回の件、ワシの方に非があるように思える。あやつのことを少々甘く見ておった。まだ人間にそれほどの恨みを抱えているとはな。あやつも精霊だけあって、王ともあろうのにほんに執念深い。まあ、なんだ。おぬしには苦労を掛けた」
 デスカトロカ神はマーカスをいたわるように優しい視線を向けた。
「いえ、滅相もないです」
 マーカスは畏まって本心からそう言った。
 本来であれば、黒次郎の復活も目の鼻の先だった。
 冥府の神であるデスカトロカ神と直接会い契約できたことがなによりも大きい。
 後は、冬山の王にデスカトロカ神の使いできた、と一言伝えられれば、冬山の王も無暗にマーカスに敵意を持たなかっただろう。
 だが、冬山の王はマーカスの想像以上に、人間に敵意を持っていた。
 それがこの惨事を招いただけの話だ。
「ふむ。話は変わってなんなんじゃが。一人、おぬしと同行していた巫女がおるじゃろ?」
 デスカトロカ神は少し居心地が悪そうにして話を変えた。
 マーカスに対してではない。話を変えた先にに、神だからこその不安があるからだ。
「ミアのことでしょうか? ロロカカ神の巫女の……」
 マーカスの言葉に、すぐにデスカトロカ神から叱咤が飛ぶ。
「おまえ、その名を気やすく呼ぶ出ない」
 デスカトロカ神の表情は真剣そのものだ。
 まるでロロカカ神の名すら禁忌として恐れているような、そんな気さえする。
「そんな危険な神なのですか?」
 あっけに取られマーカスは聞き返した。
 力は強くはあるがただの祟り神だろうとばかり思ってたマーカスにとって、デスカトロカ神の慌て様はそれを否定するようなものだ。
 ただの祟り神ではなく、恐るべき、それこそ神々が恐れるほどの祟り神であるかのようにすら思える。
「むやみやたらに危険な神というわけではない。列記とした、それこそ本当に古き神々の一柱であり、高貴な方でもある。が、まあ…… なんじゃ、危険な神であることはあるのじゃ。この話はよい、あまり触れるでない。しかし、そうなるとまた随分と早い段階で選んだものじゃの」
 デスカトロカ神は何とも言えない不思議な表情を浮かべた。
 だが、あまりロロカカ神のこと自体のことは語りたがらないように思える。
 けれども、その巫女であるミアのこと、門の巫女のことは気がかりなようだ。
「門の巫女が選ばれた件ですか?」
 様々な話をまとめると、神々や精霊、古老樹の間でも門の巫女の誕生は、想定より早い、とのことがわかる。
 ただ、門の巫女の誕生自体は、上位種にとっても喜ばしいことではあるのは間違いがなさそうだ。
「そこまで知っておるのか」
 デスカトロカ神は少し驚いた表情を見せた。
「はい」
 と、返事をしたマーカスに、デスカトロカ神は少し悪態をついて見せた。
「どうにもワシは冥府にいることが多くてな。神の座に中々帰れないでいる。そのせいで現世の情報にはどうも疎くてな。門の巫女のこともおぬしがどうなっていたかも知らなんだ。すまんのう」
 神が神の座と呼ばれる場所にいると、全知全能の力を有すると伝えられている。
 だが、デスカトロカ神は冥府の神だけに天空にあるという神の座に中々帰れないでいるため、神としての知識を得られないでいるのかもしれない。
 だからこそ、神ではあるのだが、デスカトロカ神は人にとって親しみやすい神でもある。
「いえ、そんなことは。結局は俺がへましただけですので」
「しかし、そうか、もう門の巫女を選んだのか。となると大変よのぉ」
 デスカトロカ神は少し遠い目をして焚き火を見つめた。
 その眼はあの巫女を憂いているようにも見えた。
 マーカスはそれに少し心当たりがある。
「外道種が襲ってくるという話ですか?」
「それも知っているのか?」
 どうも当たりだったようだ。
 となると、スティフィの見立て通り海からやって来た外道はやはりミアを襲いに来たと言うことで間違いはなさそうだ。
 それらの話も全て含めて、この事態が起きているのかもしれない。
 むしろ、そういう風に話を、行動を、すべてを、誘導されているのかもしれない、とマーカスは思い始めた。
 なにせ相手は神だ。
 元々すべてはこうなる運命であり、知らないように装っているだけなのかもしれない。
「はい、実際に先日、襲われそうになってました。古老樹の護衛者が未然に防いでいたようですが」
 あの二体の護衛者が居れば、いかに外道種と言えどミアに早々手だしすることはできないだろう。
 少なくともマーカスが居ても足手まといにしかならない。
 種としての力が違いすぎる。
「そうかそうか。あの古老樹と精霊が護衛者であるか。良き護衛者を得ているようじゃな。そこは安心じゃのぉ。しかしながら、もう襲われておるか。なら、侘びも兼ねておぬしにこれを授けてやろう」
 デスカトロカ神がそう言うと、一度ニヤリと笑って見せる。
 まるで初めからそうするつもりだったような、そんな深く凄みのある笑みだ。
 マーカスがデスカトロカ神の笑みに見入っていると、焚き火に照らされたデスカトロカ神の影から、黒い何かが這い出て来た。
 それは大きな狼のような形をしているしなやかで真っ黒い四足獣の姿をしていた。眼だけが黄色く爛々と輝いている。
「こ、これは…… この感じは…… 黒次郎? なのですか?」
 マーカスは慣れ親しんだ、何とも言えない気配をその黒い影のような獣から感じ取った。
 この感じは間違いなく黒次郎の気配だとマーカスは断言できる。
 あまりにも懐かしさにマーカスは自然と涙を流し始める。
 ただ黒次郎はここまで大きな犬ではなく、どちらかというと小型犬だったはずだ。
 それがこの黒い獣は大型の狼と同程度の大きさをしている。
 だけれども、その黒い獣からは間違いなく黒次郎と同じ気配を感じる。
「そうじゃ。復活の際、手間が無いようにとワシがその魂を確保しといてやった。本来、犬などの獣は魂は冥府には来ないのだがな。ワシが特別に呼び寄せてやったのじゃ。じゃが、おぬしが帰ってこなかったからな、ワシの影の中に住まわせてそのままにしといたら、こやつめ、こんなにも成長しておる。おぬしの使いとして連れていってやれ。そして、巫女を守れ。あの巫女は世界のために必要な…… 贄じゃ」
 デスカトロカ神が真顔になりそう言った。
 巫女が贄だ、と、しっかりと神は言った。つまりは、ミアが贄であると神がそう言ったのだ。
「贄…… ですか?」
 マーカスは少し驚いてそう聞き返してしまった。
「かわいそうじゃが、一度選ばれてしまえばその運命だけはかわらぬ。まあ、まだまだ先の話じゃ、人であるおぬしが気にすることはない」
「はい」
 と、マーカスは返事をする。
 マーカスも少し思うことがあるが、神々が決めたことに異を唱えるつもりはない。
 それにミアならば、その神がそう命じるのであれば、喜んで贄になるのだろうと、マーカスにも容易く想像できてしまう。
 しかしながら、これでマーカスはミアのことを守るとデスカトロカ神と約束してしまった。
 デスカトロカ神は温厚な神であるが、約束を破ると途端に機嫌が悪くなる。マーカスも本格的に、生涯をかけてミアちゃん係に任命されたような物だ。
 元々騎士隊を目指していたマーカスからすれば、外道種と戦うこと自体に抵抗も恐怖もない。
 それにこれは神より直接命じられた天啓そのものでもある。
 それを思うとマーカスも本格的に覚悟と決心を決めなければならない。
「ふむ、そうじゃな。巫女の話はもういい。余り話して気にされても厄介じゃからの。そうじゃな、おぬしが手にしたというもの、それを偽物か本物かに関わらずワシに捧げよ。それで今度こそ、この件は手打ちとしよう。あと、その犬を巫女を守るために使え。まあ、元々おぬしの犬じゃがの。役に立つくらいには育っているはずじゃ」
 デスカトロカ神はそう言って満足そうにうなずいた。
 その笑みは最初からこうなることが分かっていたかのような、そんな笑みだ。
 神の座に居なくとも、すべてのことを知りすべてが予定通りとばかりの、そんな笑みを浮かべている。
 マーカスはその笑みを見て、自分も初めからこうなる運命だったと言うことを悟った。
「はい、わかりました。必ずそのように。ありがとうございます」
 そう返事をしつつ、マーカスは内心焦っている。ミアを守る約束をしたことにではない。
 この会話もオーケンが見聞きしていることだ。
 あのオーケンが、この会話を聞いて動かない訳がない。マーカスにはそれがわかっている。
 たとえ今、学院にあるのが本物の天に属する精霊王の髪の毛だとしても、オーケンならそれをすり替えるなど簡単な事だろう。
 デスカトロカ神は偽物でも良い、と言ってくれてはいるが、できる限り本物を捧げておきたい。
 冥府の神と縁を持つことなどそうそうできる物ではない。できる限り良い縁でいたい。
 いや、相手は神だ。それすらも織り込み済みなのかもしれないのだが。
「いや、おぬしにはほんとうに済まぬことをした。ああ、それとおぬしと似た気配の者を数人捕まえてしまった。まあ、それ以外にも怒りに任せて数人程、霧に捕らえはしてしまったがの。どれも命までは奪っておらん。その者達に謝っておいてくれ」
「はい、承知いたしました」
 自分と同じ気配を持つ者。
 マーカスにはそれに心当たりがない。だが、神から命じられた以上は見つけ出し謝っておかないといけない。その他の者達もだ。
「あと、その力は他の神にも嫌われるから余り使うなともな」
「はい、そのように」
 これもマーカスには訳が分からないが、神からの命だ。
 よくわからないが、なんとしてでも伝えなければならない。
「では、迷惑をかけた。ワシも帰るとする。ワシの冥府はあまり広くはないのだが、それでもあまり長く空けることはできんのでな」
 その言葉を聞いたマーカスは再び頭を地面に触れるまで下げ、両手の平を天に向けてまっすぐに伸ばした。
 この辺りを取り囲んでいた霧がものすごい勢いで吸い込まれ、消えていくのが地に伏せたマーカスにも感じることができた。
 しばらくそのまま待ち、霧の気配が完全に消えたことで身を起こす。
 そうすると、驚いた表情でマーカスを見ている見知った顔を見つけた。
 マーカスは屋外、しかも焚き火の前に座っていたはずだが、その焚き火すらなく、いつの間にかにボロボロの廃屋と言って良い屋内に座っていた。
 こちらを驚いた表情で見ている馴染みの顔に声をかける。
「やあ、ジュリー…… と、領主の姫さんとその護衛さん」
 そう声をかけて、恐らくは姫様の護衛が、自分と同じ気配の者なのだと、マーカスはなんとなくではあるが感じ取った。

「話は分かりました。そして既に解決したことも。神は怒りを沈め去られたのですね。それで、結局のとことは私達はあなたの気配と間違われて巻き込まれただけと、いうことで良いのですね?」
 マーカスが話を一通り話すと、ルイーズはそれに納得したようだ。
 となると、やはりこの姫の護衛がその力の使い手なのだろう。少なくともこの姫様には心当たりはありそうだとマーカスも察する。
「はい、あとその力が何をさしているかまではわかりませんが、他の神にも嫌われるから使うなとも申されていました」
 マーカスはそう伝えると、ルイーズは苦笑いを浮かべた。
「このようなことにならなければ、そもそも使うことには…… 詳しくは話せませんが、その件は他言無用でお願いします」
 マーカスとしても、自分とおなじ気配とやらが気になるが、あまり深く知らないほうが良さそうだと判断する。
 こういうことを深く知って得することはない。
「はい、俺は神に誓って言いませんが、この眼を通して見ている者のことまでは誓えません。なので、余計なことは言わないでくれると助かります」
 マーカスは額に刻まれた刺青を見せてそう言った。
「その眼は……」
 ルイーズは首を傾げ覗き込んだ。
 それをブノアが止め、ルイーズの代わりに覗き込む。
「監視者の目とか、そんな名前の、呪術、いや、呪いの一つですね。その眼を通して見聞きができるそうな」
 ブノアにはその術の知識があるのか、見ただけですでにその術の効果を理解できたようだ。
 それを聞いたルイーズは少し渋い表情を浮かべる。
 マーカスの前で余計なことを喋ってしまったかどうか思い出しているのかもしれない。
「ブノア、解呪できますか?」
 一考した後、ルイーズはブノアに向かい聞くが、
「これは…… 私でも無理です。これを刻んだ者は相当な術者かと」
 と、首を横に振りブノアが答えた。
「デミアス教のオーケン大神官ですよ。あの伝説の。今、学院に来てるんですよ」
 マーカスがそう告げると、ルイーズもその伝説を聞いたことがあるのか、顔を引きつらせた。
「わ、わかりました。しかし、あなたと似ているということは……」
 ルイーズとしてもデミアス教徒揉めることは嫌なようだ。
 それもそのはずで、今となっては邪教と呼ばれながらも、大きな町にはデミアス教の神殿が一つはあるほどの宗教となっている。
 もちろんその信者の数も多い。
 領主側としては、それだけにもめたくはないし、なんなら触れたくもない話題でもある。
 そのルイーズはマーカスをずっと嫌な表情で見つめている。
 伝説の大神官、歩く厄災とまで言われる男をどう対処するか悩んでいるのかもしれないし、マーカスと外道狩り衆の関係についてどうするか迷っているのかもしれない。
「ルイーズ様。彼はヴィクターの家名を持ってますので、恐らくは……」
 ブノアにはなにか心当たりでもあるのか、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているルイーズにそう進言した。
 ただルイーズはその話を聞いても、その表情は変わらなかった。
「うちとなにか関係があるんですか?」
 マーカスが疑問を持ち聞くと、ブノアは曖昧な笑を浮かべた。
 そして告げる。
「まあ、俺の遠い親戚って奴だ。一応はおまえにも貴族の血が薄くではあるが流れているということだな」
「へ? うちが? 何かの間違いではなく?」
 マーカスからしてみれば信じれない話だ。
 マーカスの生家は農民と狩人の二足のわらじで生計を立てている。とてもじゃないが、貴族とはほど遠い生活をしている。
 ただ爺様が呪術の達人だった、という話なら聞いたことがある。その程度だ。
「まあ、その眼があるうちは話してやれんがな。その眼が消えたら俺を訪ねてこい。その気があるなら話してやろう。おまえにも聞く権利くらいはあるはずだ」
 そう言ってブノアはニヤリと笑った。
 騎士団として正式な立場を持つ今だからこそブノアも堂々と言える言葉だ。
「彼は平気なのですか? その、封印しなくとも?」
 ルイーズが少し小声でブノアに確認をする。
 外道狩り衆にもその役職を抜けた者もいる。
 もちろん禁呪ある扱いの刺青である呪印の回収を済ませ、外道狩り衆のことを口外出来ない呪いを掛けた上で、の話だが。
 マーカスの生家も実はそう言った家系である。
「力は受け継いでないでしょうから問題はないかと」
 ブノアが見る限り才能はあるようだが、マーカスは呪印は受け継いでいない。
 そもそも外道狩り衆を抜けるときに、呪印は回収されているはずなので受け継がれるわけもない。
 であるならば、ほっておいても問題はない。
 外道狩り衆にとって危険なのは刺青であり呪印の紋様なのだから。
「わかりました。このままここで一夜を明かし、合流は明日と考えましょう。マーカスさんの話ですと、死傷者もいないようですしね」
 もう完全に日が暮れてしまっている。
 実際に何日経過したのかルイーズには確証はなかったが、今から動くのは流石に危険だ。
 明日、日が上がれば自然と護衛達となら合流できるだろう。他の護衛の者達もブノアの有能な部下たちなのだから。



 オーケン・アズメイルの場合。

 オーケンは上機嫌だ。
 その足取りも軽い。
 久しぶりに面白い物を見れた。
 冥府の神などそうそう見れる物ではない。
 それにマーカスに授けられた犬も実物を見るのが楽しみだ。
 魂だけの犬だ。俗にいう未確認種だ。幽霊犬とでもいうべき存在だ。これもそうそう見れる物じゃない。
 しかも、冥府の神から直接授けられ外道種に対抗するための存在だ。超常なる力を授けられていても不思議じゃない。
 とても、とても楽しみだ。
 楽しみだからこそ、もっと面白くしたくなる。
 それがオーケンという男だ。
 軽い足取りで廊下を進む。その先には学院の保管庫だ。
 自分が贈呈した精霊王の髪の毛もそこに保管されているはずだ。
 冥府の神は、偽物でも手打ちにすると言っていた。
 なら、本物をくれてやることはない。
 それに、本当に偽物を捧げられた冥府の神がどう出るかも楽しみで仕方がない。
 もう自然と鼻歌が漏れ出てしまうほどに上機嫌だ。この魔術学院に来てから楽しいことだらけだ。
 が、保管庫の扉に手をかけたところで、オーケンは嫌な顔を浮かべた。
「やぁ、サリーちゃん。ごきげんよう? どうした、そんな不機嫌な顔を父ちゃんに向けて」
 いつの間にかにサリー教授がオーケンの背後にすごい剣幕で佇んでいる。
 オーケンは振り返りそう言うと、オーケンに刃物のような鋭い視線が突き刺さる。
「どうしたもこうしたもないでしょう?」
 サリー教授にしては、珍しくはっきりとした言葉でその怒りを露わにさせた。
「い、いやー、もしかしてサリーちゃんたら覗いてたの? 俺の術を覗くとは、さすが俺の娘だねぇ」
 オーケンは少し舐めすぎてたか、と内心焦る。
 術の内容を覗かれでもしない限り、流石にこの瞬間にサリーがこの場で待ち伏せているようなことはないはずだ。
 恐らくはあの無月の神の巫女の助力あっての事だろうが、それでも自分の術を覗かれたのは想定外だ。
 ここの教授共はぼんくらも多いが、侮れないもの多いらしい。
「……」
 サリー教授は険しい表情を向けるだけで、オーケンに対して何も言わないし、行動を起こしもしない。
「いや、ほら、偽物でもいいと言ってんだから、本物をくれてやることはねーじゃねーかよ?」
「……」
 オーケンは薄ら笑いを浮かべながらもそう弁明するが、サリー教授はやはりただ睨むだけで何も答えない。
「あれ、とっても貴重な物なのよ? 天に属する精霊自体、滅多に地上にいないんだからさ。あいつらだいたい手の届かない高い空の上にいるような奴らだよ? な? サリーちゃん?」
「……」
 これは本当のことだ。あの髪の毛が本物と証明されれば、精霊魔術的にはとんでもない事になる代物だ。
 あの精霊王の髪の毛を触媒に、精霊と契約すれば精霊王にほど近い上位の精霊と主従契約を結ぶことすら可能となる。
 精霊魔術師からすれば、喉から手が出るほど欲しい代物だ。
「まあ、聞けよ、サリーちゃん。いくらサリーちゃんと言えど、この俺を止められると思ってるのか?」
 オーケンがその気はまるでないが、まるで脅すように凄みを利かせて、逆にサリー教授に詰め寄った。
「私が一人で来たとでも…… 思って…… いるんですか?」
 それに対して、サリー教授は、そう言いながらも、本当に晴れ晴れした笑顔を見せた。
 その表情はそう出るなら、こちらにも用意があります、と声には出さないが如実に語っている。
 そして、サリー教授自身それを望んでいたようにも思える。
 少しは痛い目を見るべきだと。
 次の瞬間、オーケンの背筋に悪寒が走る。
「はっ?」
 オーケンが気配を感じ振り返ると、保管庫の扉がゆっくりと開く。まるで地獄の、冥府の扉が開くようにゆっくりと開いた。
 いろんなものを運び込めるようにかなり大きな造りの扉だが、それでも小さいとばかりにくぐり出る様にカリナが出てくる。
 オーケンの頬を一筋の冷や汗が垂れ落ちる。
「あっ、いやー、これは参ったね、ハハハハッ、嘘だろ、おぃ……」
 オーケンはどこへ行っても自分が全てにおいて一番優れた人間だった。
 なので、久しく忘れていた。
 自分以上の化け物の存在がいると言うことを。
「もう少し痛い目を見ないとわからないらしいな」
 カリナはニヤリと笑い、そう言った。



 この話の最後に、エリック・ラムネイルの場合。

 エリックはスティフィの写し絵を大切そうに胸にしまい込んで、夜通し馬の乗り駆けていた。
 急いでティンチルへ、楽園へと駆けていた。
 騎士隊の試験代わりの山狩りに参加していて、学院に帰ってきたエリックは愕然とした。
 あやしい男があられもない姿で水浴びしているスティフィの写し絵を売っていたからだ。
 その写し絵はとても精巧でまるで本物にしか思えないほどのものだ。
 数枚、いや、数十枚ほど買いあさったエリックは、その写し絵の話を詳しく聞き、ミア達がティンチルへ行っていることも聞きだした。
 そのまま、たぎる思いとスティフィの写し絵を胸に抱いて全てを置いて駆けだしたのだ。馬に乗って。
 そして、夜通し馬を駆けティンチルへと向かっていたのだ。もう少しでティンチルへと着く、とエリックは心を躍らせていた。
 あの写し絵の実物を見れるのだと。拝めるのだと。
 ミア達は既にティンチルを既に出発しており、霧にさらわれるも解放された、まさにその時だ。エリックがそう思っていたのは。
 ついでに、霧から解放されたミア達のいる場所は街道から少しだけ外れていた。
 もしかしたら、それはデスカトロカ神のちょっとした配慮だったのかもしれない。
 もちろんエリックとミア達は合流することなどはない。
 ただそれだけの話だ。


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