学院の魔女の日常的非日常

只野誠

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非日常と精霊王との邂逅

非日常と精霊王との邂逅 その7

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 マーカスは困り果てていた。
 ここは確かに精霊の領域でこの辺りは人にとっては迷いやすい。
 が、それは人や、精霊から見た外敵に対してであって、ここで暮らすような野生の獣にとっては逆に暮らしやすい場所のはずだ。
 マーカスの乗る荷馬車を引く大猪も多少住んでいた場所は違えど獣は獣だ。この辺りでも迷うはずはない。
 なのに、どうしてもマーカスと荷馬車は第四野営地に戻ってきてしまう。
 どんなに道を変えても、最終的には第四野営地の近くに戻ってきてしまう。
 何かしらの魔術でもかけられたかのようだ。
「だとすると、あの草むらちゃんか? いやいや、彼女はデミアス教徒だ。師匠の邪魔をするのはおかしいし、さすがに目の前で魔術を使われたらわかる、よな? 彼女の使命にも関わらないと言っていた。そう考えていくと草むらちゃんでは恐らくない。だとすると、別の存在? 精霊王? 朽木様? いやいや、それこそありえない。じゃあ、誰が……?」
「誰がっていうお前が誰よ?」
 不意に男の声がする。
 マーカスは近づくその気配に気づかなかった。少し考えこみすぎていたかもしれないし、疲労がたまって来ているせいもある。
 声の方にマーカスが目をやると男がいた。
 男は大柄で筋肉質。たれ目ながらにも鋭い目をしている。
 腰にある剣に手をやり今にも抜刀しそうだ。
 その男のつけている装備から騎士隊の訓練生だと言うことがすぐにわかる。
 だとすると、こいつが師匠の言っていた黒次郎の死を決定づけた男だということにマーカスは見当がついた。
 実際に目にしても、この男に何か思うことはなにもない。師匠は自分に何を期待していたのだろうか、とマーカスは疑問に思うほどだ。
「ふむ。誰か、と改めて問われると、意外と答えずらいですね。というか、ほんとになんなんでしょうかね?」
 と自問してみるが、その答えをマーカス自身も知らない。
 マーカスは今まで自由気ままに生きてきた。
 それは騎士隊の訓練生になっても変わらなかった。それゆえ問題児などと言われていたが、マーカスは特に気にも留めなかった。
 その結果が今である。愛犬が死んだので生き返らせようと模索した結果、精霊王に捕まり氷の中に閉じ込められ、それをデミアス教の大神官に助けられ、その使い走りをさせられている。
 なぜこんなことになっているのか、マーカス自身やはりよくわからない。が、後悔もしていない。
 自分がやりたいようにやってきた結果だと納得もしている。
「とりあえず、お前が野営地荒らしの犯人だろ? 大人しくしてろよ?」
 敵意むき出しにそう言われると、マーカスにも何か来るものがある。が、相手の言っていることは正当性がある。正しい。
 何より自分は野営地荒らしであることは間違いがない、とマーカス自身が良く知っている。師匠の命令とはいえ実際に野営地を荒らしてきたのはマーカス自身だ。
 そして、マーカス的にもここで捕まっていたほうが命の保証はあるはずだ。
 ただ、荷車に積んである酒だけは師匠に届けておいたほうがいい気がする。そうしないと、おそらく師匠は怒り出す。あまり長い付き合いでもないが、あの師匠という男だけは怒らせないほうがいい。マーカスの直感がそう告げている。
「それは否定しません。はい、その通りです。が、どうしましょうかね? この後ろのお酒くらいは届けないと、師匠がお怒りになると思うんですよね?」
 自分で言っていても無駄だろうな、とマーカスも思う。
「んー? お前の師匠が怒ったからってどうなるんってんだ?」
 騎士隊訓練生、エリックはそう言いながらも剣の柄に手を付けたまま、じりじりと近寄ってくる。
「わかりません。わからないから怖いんですよ。あと、一応、言い訳のためにも精いっぱい抵抗だけはさせてもらってもいいでしょうかね? 本当は捕まることもやぶさかでもないんですけどねぇ。そろそろ文明が恋しいんですよね」
 とりあえずマーカスは本音をさらけ出す。
 ただ相手がそれをどうとるかはわからない。
「ん? なんかふざけた野郎だな、お前」
 相手は笑みを浮かべてそう言ってくるが、同時に舌なめずりまでしている。
 どうも腕にはそれなりに自信もあるようだ。
「よく言われますよ」
 そう言いつつ、マーカスは自分の持っている武器を考える。
 使徒魔術の触媒である杖はすでに限界だ。もう使うことはできない。
 配下にした大猪のグレイス君ならいい勝負をしてくれそうだが、仮にグレイス君が怪我でもしたらかわいそうだ、とマーカスは考え選択肢から省く。
 となると、野営地から借りている短刀くらいしかない。
 この肉を捌くくらいにしか使えなさそうな短刀で、訓練用のとはいえ長剣と渡り合えるかどうか、マーカス自身判断がつかない。
 そもそも、相手の力量もわからない。ただ少なくともあの異様な殺気をまとった草むらちゃんよりはその実力は下だと判断はできる。
「さてさて、グレイス君。手は出さないでください。俺が負けたら、その呪具を解くことを許すので、自然に帰ってくださいね」
 マーカスが荷車から降り、大猪をなでながらそう言うと、大猪も、わかった、とばかりにその頭を大きく振るう。
「ん? なんだ、その猪は使わないのか?」
 エリックが一番警戒していた猪を使わない、ということに驚きながらも、気を抜くわけではない。
 ただ動物などを使い言葉で命令する種類の使役術では、嘘は付けない。
 たとえ嘘でもそれは本当になってしまう。
 この場合は、とりあえずマーカスが負ければ、あの大きな猪は呪具を自ら破棄し自然へと帰っていく。そこまでが一つの命令となっている。
 呪具を破棄した時点で新しい命令の上書きもできなくなる。
「ここ最近、酷使してますからね。怪我でもしたらかわいそうですよ」
 マーカスは猪を撫でるのをやめ、エリックに向き合う。
「悪いヤツではなさそうだが、泥棒には変わりないよな? 俺は、エリック・ラムネイル。今は騎士隊の訓練生だが、将来は竜の英雄になる男だ」
 いきなり名乗られ、マーカスも驚きはしたが、そう悪い奴じゃなさそうだ、と判断する。
「ハハッ、それはいい。俺はマーカス・ヴィクター。何者にも慣れない、ただのはぐれ者ですよ」
 マーカスはそう言って短刀を構える。
 そうするとエリックは剣をゆっくりと抜く。
 マーカスの想像通り騎士隊の訓練用の鉄剣だ。刃はつぶされてはいるが、エリックの図体から繰り出される鉄剣の一撃をまともに受けたらただでは済まされないかもしれない。
 エリックがどの程度の腕かわからないが、早々に降参したいとマーカスは思っている。
 その後で、この酒だけでも、あの草むらちゃんに頼んで師匠に届けさせれば、師匠もそこまで怒らないかもしれない。
 ただ、竜の英雄になる、と、ほざくこの男がどれくらいの力量か見てみたい気持ちはある。
 エリックは剣を両手で正眼に構える。
 基本だがいい構えだとマーカスは思う。
 マーカスはとりあえず力量を見るために、右手に持った短刀を牽制するように軽く振るう。
 そうすると、エリックの剣が若干下がり、物凄い勢いで切り上げられた。風切り音を伴って振り上げられた剣は、またそのまま振り下ろされる。
 マーカスは後ろに下がることでそれらをかわすが、その膂力は下がってなお、剣圧を十分に感じれるほどのものだった。
「おお、怖っ!! その図体は伊達じゃないんですね」
「図体だけじゃないぜ?」
 そう答えてエリックは再び正眼に剣を構える。
 マーカスもとりあえず力任せの剣だけではないと判断する。自分の長所を知っていてそれを生かす剣筋をしている。
 ちょっとした貯めの後に大ぶりの一撃が来る。かわしやすくはあるが、当たれればそれで終わりだ。
 自分の獲物では分が悪すぎる。あの膂力で振るわれる剣をこの短刀で受けきることはおそらくできない。
 受けきれずに短刀を弾き飛ばされるか、短刀そのものがへし折られるかのどっちかだ。
 マーカスは更に距離を取るために後ずさる、が、その背に木が当たる。
 この木を下手によけようとして隙を見せれば、そこに致命的な一撃を貰いかねない。
「逃げ場はないぜ?」
 エリックが正眼の構えのまま、そう言って距離を詰めてくる。
 そして、エリックの間合いに入るや否や鉄剣を右に、地面と平行になるように傾ける。
 次の瞬間エリックの剣はそのまま右に振るわれる。ただこれは力をためる為の予備動作だ。
 本命はこの動作で貯められた力を込められた一撃だ。
 振るわれた剣はその逆方向へと渾身の力で薙ぎ払われる。
 マーカスはそれを、まるで糸が切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちることで回避する。
 マーカスの頭を掠るかのようにものすごい勢いで鉄剣が通過していく。
 エリックの剣はそのままマーカスの後ろにあった木に突き刺さり、そのままその木をなぎ倒した。
 寸前のところでそれを交わしたマーカスも、自分の後ろの木がエリックの剣を受け止めてくれると考えていた。
 大木ではないがかなり太い木だったはずだ。刃の潰された剣でそれを膂力だけでなぎ倒したのだ。
 マーカスにとって懐に潜り込む機会ではあったが、あまりにもの威力に恐れを抱き、再び距離を取る。
「うっわ、なんちゅう威力だよ」
 なぎ倒された木を見てマーカスがぼやく。
 ただエリックからの返事は返ってこない。
 さすがに手でもしびれでもしたのか、エリックも距離を取って左手だけで剣を持ち、右手は剣から手を放し振るっている。
「今の当たっていたら死んでいましたよ。騎士隊で人間相手ならまず確保を優先させろと、教わりませんでした?」
「ん? まだ俺は訓練生の身だからな、習ってないかもな」
 そう返してエリックは再び剣を両手で構える。が、違和感を感じる。
 さっきの一撃で剣の芯が歪んでしまったようだ。すぐさま壊れるようなことはないだろうが、学院に戻ったら点検にでも出したほうがよさそうだ。
「一番最初に習うことでしょうに」
 マーカスが呆れてそう言うが、それに対してエリックはにやりと笑みをこぼす。
「あんた、騎士隊の関係者か?」
「むっ、どうしてそれを? まあ、ばれたところでどうという事もないですけどね、すでに名乗ってしまっていますし」
 このボロボロの服からは、さすがに元騎士隊訓練生であることはわかるはずもない。
 しかも、おそらくは当たりを付けられて鎌をかけられた感じでもある。
 とはいえ元々マーカスも特に隠してもいない。
「サリー教授やインラムさんが話していたのを聞いてたんでね。あんまりにも野営地の場所を正確に把握しているから、学院か騎士隊の関係者じゃないかってな。卒業生…… ってわけでもないよな?」
 エリックの言葉にマーカスも納得する。
 それに、これ以上の抵抗は無意味だとマーカスも納得する。
 なによりあの剛剣を一度でも受けたら本当に死にかねない。ここいらが辞め時だ。酒さえ届けられれば、師匠への義理も果たしてはいると判断する。
「まあ、そんなところですな。抵抗はやめるので捕まえてくれませんかな?」
 マーカスは短刀を投げすて両手を挙げた。
 が、その瞬間、近くからまた別の声が聞こえた。その声にはつい最近聞き覚えがある。
「使命は完遂されなければなりませんよ?」
「げ、草むらちゃん……」
 マーカスが声のほうに視線を向けると、やはり草むらがいた。
 日は暮れては来ているが、ただまだ夜ではないので、草むらというよりは、草を身に纏い周囲の風景に溶け込んで潜んでいるだけのようだと言うことに気が付く。
 さすがにそれが効果がないとはいえ精霊除けの為だとは、マーカスも気づかない。なんなら本人も効果がないことを知らない。
 それに以前あったときは真夜中でよくわからなかったが、えらく美人だ。
 こんな美人がなんでこんな草むらのような恰好をしているのか、マーカスには理解できない。
 草木に紛れる、という意味ではわからなくはないが、着けている草の種類のせいか、非常に臭い。目に染みるような臭さで逆に居場所を特定できそうな気もしなくはないほどだ。
「あ、みんな。野営地荒らし捕まえたぜ?」
 エリックはマーカスに剣を突きつけながらそう言ったが、そこへスティフィが音もなく近寄ってくる。
 そして、右手だけでエリックを軽々と投げ飛ばす。
 どういう技術かマーカスには見当がつかなかったが、エリックはその場で一回転させられ、背中から地面に落ちた。
 そこへ手放した鉄剣が落ちてくるが、スティフィをそれを右手でつかみ取る。
「ここは私に任せて、あなたは使命を完遂させてください」
 マーカスを庇うように草むらちゃんこと、スティフィが後からやってきたインラム助教授とジュリーに立ちはだかりそう言った。
「いや、しかしね、どうもマジナイをかけられているようで、どうしてもここに戻ってきてしまうんですよねぇ」
 と、マーカスが頭を掻きながらそう言うと、一瞬だけスティフィがマーカスの全身を確認する。
 そして、それが真実であることを確認する。何かしらの魔術的な力が作用しているのがスティフィの目には見ることができる。ただその効果まではわからない。
「インラム助教授、解けますか?」
 と、スティフィはインラムに剣を向け、半ば脅すように質問する。
「解かなくちゃいけない理由は?」
 殺気を感じつつも、インラムは割と落ち着いている。
 まるでこうなることが分かっていたかのようだ。
 スティフィが裏切るような行為をしているのにもかかわらず、その驚きは一切見られない。逆にジュリーの方は本気で慌てふためていて何もできずにいる。
「宗教的な理由です」
 と、スティフィが端的に答える。それ以上の理由はない。そして言うべきでもない。
 だが、それはスティフィにとってここに居る者をすべて排除してでも遂行されなければならない理由でもある。
「じゃあ、これで解決できるかな。サリー教授にはそう言われているんだけども」
 インラムはそう言って一枚の木札を取り出す。
 かなり年季の入った札だが、そこにはマーカスが所持するのと同じ古い字で「五」の数字が彫り込まれていた。
「なっ…… なんで…… それを?」
 スティフィの目が見開かれる。
 この短い期間で世界各地を放浪しているような大神官の木札を再び見るようなことが起きようとはスティフィも思ってもみなかった。
「いや、ボクもさっぱりわからない。ただサリー教授にスティフィさんが宗教的な理由で敵対するようなことがあれば、これを見せろと言われてましてね。それで解決するだろうからと…… 解決…… しました?」
 スティフィはその木札を凝視する。そしてそれが間違いなく本物だとわかる。ただかなり年季も入っている。明らかにマーカスが持っていたものとも別物だ。
 スティフィは目を閉じて考える。が、結論が出ない。判断もできない。
 ならば、自分の都合がいいように動くほうがまだいい。
 スティフィは持っていた鉄剣を地面に突き刺した。
 そして、マーカスのほうを見る。
「どういうことです?」
 と、スティフィは鋭い目つきで質問する。
「俺にもさっぱりですな。ただ師匠は酒を求めている。この酒を届けてはくれないかな。それで一応は丸く収まると思うよ。俺のことはこのまま学院に連れてってくれていい。俺もそれを望んでいる」
 とだけ、答えた。
 そう言われたスティフィは今度はインラムを見る。先ほどのような殺気はもう向けていない。
 ただ指示を待つ部下のように、その言葉を待っている。
「君の師匠というのは?」
 とインラムがマーカスに向かって聞くと、
「その木札の本来の持ち主、デミアス教の第五位の大神官です」
 と、マーカスではなくスティフィが答える。
「デミアス教の大神官? ダーウィック教授ですか?」
 インラムが少し困惑しながら聞き返すと、
「ダーウィック大神官様は…… 第六位の大神官です……」
 スティフィが少し答えづらそうに答えた。
 その姿から、インラムにもスティフィ自身の意思はこの件に介入してないことだけは理解できた。
 しかし、その答えでおおよその事情は知ることができたし、スティフィがダーウィック教授の命を放棄してまで、野営地荒らしの肩を持つ理由も理解ができる。
 デミアス教徒とはそういうものだ。
「ダーウィック教授よりも上の位の大神官ですか。それが、その方がこの精霊に捧げるための酒を欲しているのですか? 縁起物かもしれませんが、そんな珍しい物でもないですよ?」
 インラムは、関わりたくない、と内心思いながらもここまで関わってしまったら、すでに手遅れか、とあきらめて事情聴取を始める。
 それにしてもそんな人物が欲しがるものとも思えない。特に特別なものでもないし、なんなら学院の購買部にも同じものは売られている。
 何か魔術的な意味合いがあるのかもしれないが、インラムにはそれも心当たりがない。
「それはわかりませんが、俺はその命令で、ああ、助けられた恩がありましてね、断れずにいるんですよ。というか、その札は何なんですか?」
 マーカスがスティフィを見ながらそう聞くが答えは返ってこない。
 なので、ちょっと間を置いてから、インラムが答える。
「さあ、ボクにもさっぱり。デミアス教の何か、伝令でも伝える類の物なのでしょうね。深くは詮索しないほうがいいかもしれませんね。とりあえず野営地へ戻りましょうか。教授が帰ってきてからすべて判断します。それでいいですね? この木札もサリー教授から預かった物ですし。そちらの野営地荒しも、逃亡…… できないようですし」
 野営地荒らしにかけられている呪いを見てインラムはそう言った。
 恐らくサリー教授がかけたもので、自分がこれを解く場合少なくとも一晩はかかるような代物だ。
 いつかけたかはインラムにはわからないが、まだ真新しい呪いだということだけはわかる。
 それなら先にある程度教えてくれていてもいいのに、とインラムにしては珍しい事だが、言葉足らずの教授のことを少し恨む。
 自分のあの木札を託す、という事は、サリー教授はおおよそのことは見当がついているはずだ。
 なのに、インラムが言われたことは、スティフィが宗教的な理由で敵対する場合はこの木札を見せれば解決する、という事だけを言われている。
 ただデミアス教のことを詳しく話されるのも、インラム的にはごめんこうむりたい話ではある。
「ええ、できませんな。やはりなにかしらの術がかかってるんですかね? あとグレイス君、この猪を逃がしてもいいですかな?」
 インラムはそう言われて猪をみる。立派な猪だが首にかけられている装飾具は魔術的にあまり良い物には見えない。
 呪具の類の物だ。
 ただその猪は大人しくその場でこちらの様子を見ているだけだ。つけている呪具を外そうとはしていない。
「使役術…… それも、あんまりいい類のものじゃないですね」
 と、インラムは判断する。
 とりあえず下手に解呪するのは躊躇するくらいのものではある。
「まあ、マリユ教授に教わったものですからね。呪術まがいなんじゃないですか」
「君は一体……」
 と、インラムはマーカスを見るが心当たりがない。ただ五年前の学院にいたころのマーカスなら見覚えがあったかもしれない。
 ただ今はその風貌は変わりすぎている。思い当たらないのも分からない話ではない。
「俺はあなたのことを知ってますよ、インラム助教授」
 マーカスは面白そう、と理由だけで名乗るのを止め成り行きを見守る。
 もちろん聞かれたら答えるつもりではあるし、すでにエリックに対しては名乗っている。
 ただ今は、面白そうだからという理由だけで、自分からは名乗るつもりはない。
「騎士隊の関係者ぽぃですよ、そいつ。うー、いててててて…… いきなりひどいよ、スティフィちゃん」
 エリックがそう言って起き上がり片膝をついた状態でその場に座り込む。
「気絶させるつもりだったのによく平気でいられるわね」
 スティフィは若干呆れながらに答える。が、その顔から表情というものは消えている。
 未だ地べたに寝そべり背中を痛がるエリックを見下ろしながらスティフィはそれだけ言って口を閉ざした。
「まあ、サリー教授の判断を仰ぎましょうか。何もなければそろそろ戻ってくる頃でしょうし。猪は好きにしてくれて結構ですが、その術を解くのはあなたがやってください。ボクは下手に手を出したくはないので」
 そう言って、インラムは特に死傷者が出ていないことに安堵のため息をつく。

「なんで、あなたが…… あの木札を持っているんですか?」
 しばらく口を開かなくなっていたスティフィが口を開いたのは、ミアとサリー教授が戻ってきてからだ。
 ミアが無事なのを視線だけ確認しながら、先にサリー教授の前まで行って、そしてサリー教授に跪いた。
 そして、口から出て来た言葉がそれだ。
 その行動に一番驚いていたのはミアだ。
 ついでに、一番困り果てているのは、サリー教授だ。
「そ、それは…… そ、そのうち…… わ、わかります…… と、時が着たら…… なんたら…… です……」
 困り果てた末、サリー教授はどっかで聞いたような言葉でその場を濁していく。
「で、この方はどなたなんですか?」
 ミアは縄でぐるぐる巻きにされ寝転がされている男を見ながらそう聞くと、スティフィの問いから逃げたいサリー教授がおずおずとしながらも答える。
「マー…… カス・ヴィクター…… 訓練生です…… ま、まだ席はあると…… 思いますよ」
 と答える。
 その答えにマーカスが驚く。自分の正体を知られていたことではなく、自分の席がまだ騎士隊にあった事にだ。
「おや、まだ俺の席があるんですか?」
「い、いえ…… 死亡扱い…… だったんですが、ひょんなことから、生存しているのが、わかった…… ので、復帰している…… はずです…… ただ…… 今後…… どうなるかは…… わかりませんが……」
 魔術学院なら退院にされることはないが、騎士隊の方だとその判断はサリー教授には付かない。
 とはいえ、何かしらの重い罰則は課せられることにはなるはずだ。
「サリー教授はあの木札を持っていた、ということは、誰が後ろにいるかは、わかっているんですよね? だったら、酒だけでも届けたほうがいいと、具申するのですが?」
 と、マーカスは続ける。
 少なくともサリー教授は師匠と面識がある。そうでなければあの木札を持っているわけはない。
 で、あるならば、師匠の恐ろしさはサリー教授なら十分わかっているはずだ。
「はい…… けど、大体は把握しているので…… だ、大丈夫…… です…… お酒は、ここに置いていきますので……」
 サリー教授は本当に困った表情を浮かべてそう言っている。
「これだけは聞かせてください。 サリー教授はデミアス教徒なのですか?」
 そこへサリー教授へ跪いたままのスティフィが真剣な眼差しで問う。
「ち、ち、違います!! 違うんですよ…… ただ…… えっと…… その…… そのうち…… これもわかるかと…… わ、私の口からは…… 言いたくないんです」
 冷や汗をかきながらサリー教授は自身がなさそうに答える。
 それがスティフィの不安を煽る。
「まあ、その木札がある以上、私は従うしかありません……」
 けど、スティフィにできるのは表向きそれだけだ。
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「で、でしょうね……」
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 深く考えることを諦め、流れに身を任せることにしたスティフィは気になってはいたミアが手にしている杖のことを聞く。
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「まさに…… 伝説の…… 杖ですね……」
 と、答えた。
「朽木様の枝ですよ! 杖にと言ってくれました!」
 ミアが嬉しそうにその杖を掲げながら付け加えた。
 それに対して、木札のことは一旦諦めたのか、エリックも話に乗ってくる、のだが出て来た言葉が、
「ただの枝じゃなかったのか。なに大事そうに持ってるのかと思ってたよ。薪にでもするのかと思ってた」
 だった。
 その言葉にその場にいる全員の白い視線を集める。
「薪って…… 君は本当に何を言っているんだ」
 インラムが本当に呆れたようにぼそりと呟いた。
 魔術の才能が少しでもあれば、あの杖に強大な魔力が宿っていることはすぐにわかることだ。
「まあ、これ、壊れても再生するらしいので大丈夫ですよ」
 ミアがあっけらかんとそんなことを言った。
 その言葉にスティフィが驚く。壊れても再生する。
 魔術では高度ではあるがすでにある技術だ。荷物持ち君の支えに使われている陶器も、割れても再生するとのことだ。
 ただ使徒魔術の触媒で、となると話が変わってくる。
 そもそも、使徒魔術の契約破棄により破壊は、通常の破壊とは意味が違う。
 物理的にも、霊的にも、魔術的においても、徹底的に火曜種の御使いによって、神の先兵たる、神の剣たる、そのような者によって破壊されるのだ。
 基本的にはそれにより破壊された物は不可逆だ。
 スティフィの左手だって形だけは存在しているが、その部分の魂や霊的な物は破壊尽くされ、少なくとも人の持つ力ではどうにもできないものだ。
 逆に言えば、人の力以上の存在、上位種であるならば、スティフィの左手も治療可能という証拠になる話でもある。
「なにそれ……」
 そのような存在を知って、スティフィは絶句する。
 ただ、スティフィは不便ではあるが、左手を治したいとは思ってはいない。
 左手が壊れたからこそ、スティフィは今、概ね自由でいられるのだ。
 逆に左手が治ったならば、狩り手として再雇用される、とも思えないが、北に呼び戻される可能性はなくはない。
 未だ尽きぬしがらみはあるが、スティフィが生きて来た人生の中では今が一番自由な期間であることだけは間違いがない。
 その自由を捨ててまで、左手を治したいとはスティフィは思わない。
「そんなことより、スティフィ、聞いてください!!」
 そんなことがどんなことか、スティフィにはわからないが、仮にそんなこと、が杖の事だとするならば、次にミアが話すことは、さぞ度肝を抜かれるような話なのだろうとスティフィは思った。
 ミアが目を輝かせて迫って来る。何かすごく興奮しているのが一目でわかる。
 そして、ミアの話は確かにスティフィのみならず、周囲にいた者達の度肝を抜くような話だった。
「な、なによ?」
 と、少し気圧されながら聞き返すと、ミアは嬉しそうにそれを、耳を疑いたくなるようなことを報告した。
「スティフィが怖がっていた精霊! 今は私の配下になってます! これでもう安心ですね!!」
 言われた瞬間、スティフィはその頭脳で理解することができなかった。
 けれど、少しずつ脳が理解していく。
 自分の部隊を壊滅させた、あの悪夢そのもののはぐれ精霊が今はミアの配下になったのだということを。
「はぁ? はぁぁぁぁぁぁぁああああぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!!?」
 思わずスティフィは奇声を上げる。そして、そのままミアに向かい捲し立てる。
「なっ、何言ってるのよ!! あれは、はぐれ精霊だったのよ? そ、そんなん訳……」
 それは水を操る精霊だった。
 水を操り土石流なども任意で起こすようなとんでもない精霊だ。
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 精霊王まではいかなくても、大精霊と言っても過言ではないほどの力を持っていた精霊だったはずだ。
 そんな精霊が人の配下になるなど、考えられる物ではない。
「それが……、あ…… あるんです……よ」
 と、疲れている、そして、半ばあきれ顔でサリー教授がそう言った。
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 それを聞いたミア以外の全員がミアに驚愕の視線を向ける。
「な、なにが…… 起きたんですか……」
 と、インラムがぼそりと呟く。
「色々…… 起きたんです…… わ、私も…… 心労が酷い…… ですので…… あと、話を…… 整理しないと…… いけないので…… 今日は…… 夕食を食べてもう寝ましょう…… あ、明日…… 帰りに道に…… でも…… ね? お話…… しますので…… ほんと…… もう疲れ…… ました…… ので」
 と、泣きそうな表情でサリー教授がそう言った。
 その顔は本当に疲れた表情をしている。
 そのまま少しの間、誰も口を開かない、いや、開けなかった。
 そこに、これが最後の忠告とばかりにマーカスが、
「本当に師匠にお酒を届けなくていいんですか? 忠告はしましたからね? 俺は知りませんよ?」
 と、忠告をしてくる。
 けれど、サリー教授はやはり困った表情を浮かべて、
「私も…… こんなもの…… 送られても、困るので……」
 と、つぶやいた。
「え? どういうことです?」
 と、マーカスがよくわからず返すが、サリー教授は愛想笑いをしているだけだった。
「いえ…… こちらの話…… です…… と、とにかく…… その件だけは…… 心配しなくて、大丈夫…… です」
 サリー教授としては珍しく自信をもってそう言った。
「知りませんからね?」
 と、マーカスもマーカスなりに親切心で忠告している。
 マーカスの知っている師匠は普段は、話半分に聞いているだけなら、気のいい面白い男でしかない。
 が、ひとたび怒り出すと、それは周囲を巻き込めるだけ巻き込み災いを振りまく存在になる。それ故に、歩く厄災とまで言われる男だ。
 怒らせてはいけない。何がどうなるか。恐らく本人もわかってなどいない。
 だが、サリー教授はそれらのことを知ってか知らずか、ニッコリと心配してくれているマーカスに微笑みかした。
「だ、大丈夫…… です。そもそも…… あの人は…… 占術…… の、達人…… です…… こうなること…… も、最初から…… わかってたんで…… すよ……」
 と、説明した。
 それを聞いたスティフィが、
「知り合い…… 、しかも、それなりの知り合いって、ことで良いんですね?」
 と、サリー教授の目をじっと見つめてそう言ってきた。
 デミアス教徒、しかもその教育を受け、その中心たる狩り手に所属していたスティフィにとっては、強者の命は神の命にも等しいのだ。
「ま、まあ…… そんな…… ところで……」
 サリー教授はまっすぐ刺すように視線を送ってくるスティフィに、疲れた表情を見せつつ、視線を外しそう言った。


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