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非日常と精霊王との邂逅
非日常と精霊王との邂逅 その1
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ミアは普段裏山に入る格好、縦に三つ目が並んだ鍔広の三角帽子、革で補強もされている野外用の長衣、故郷から持ってきた厚い革製の長靴、それにこの時期には暑く長い厚手の靴下、この辺りが普段裏山に入るときの装備だが更に今日は背中に大きな荷物袋を背嚢のように背負っている。
さらに真新しい木製の杖も大事そうに両手で持っている。杖の先端には水晶がはめ込まれていて、暗闇でなければわからないほどの本当に淡い光を讃えている。それは契約を終え使徒魔術の触媒として機能している証拠だ。
ミアの傍らにはミアの使い魔、泥人形の荷物持ち君一号が待機している。
荷物持ち君の反対側に、普段の服装とは違う、革製で野外用の装備に身を包んだスティフィも待機している。
普段刃物の類は見えない場所に忍ばせておくスティフィだが、今日は、腰に大きめの鉈、右腿に幅広で片刃の短剣、左腿には細身の短剣が鞘ごと括りつけられている。
それ以外の荷物は必要最低限の物しか持っておらず、食料などよりも身軽さを優先させた格好になっている。
ただ本人が持つのとは別に荷物持ち君に引かせる荷車に乗せる荷物は別に用意はされている。
二人と一体はそんな装備で会話もなく、ただその場に立ち尽くしていた。会話がないのはただ単にまだ眠いからだ。
そこへやはり野外用の装備を纏った一人の若い女性がやってくる。
その女性にミアは見覚えがある。
「あれ? ジュリー…… 先輩で良かったですよね? どうしてここへ?」
ミアは集合場所にやって来た人物にそう言葉を投げかけた。
今は陽も上がり切っていないまだ薄暗いほどの早朝で、この場所は裏山へ行くための外門の前だ。
そして、今この場所は裏山に行く以外の意味もある。ジュダ神から頂いた荷物持ち君の核、朽木様の苗木を使った泥人形を朽木様に見せに、いや、許しを乞うために行くための集合場所だ。
そこへシキノサキブレの件で図書館で世話になった先輩のジュリーがやってきたのだ。しかも野外活動用の装備と荷物を持ってだ。
更に言うとジュリーは隠しもしないほど浮かない顔をしている。
「久しぶりですね。ミアさん。私もこの旅へ同行させてもらうことになりました」
と、ジュリーは丁寧だが少し不貞腐れたようにそう言った。まるでここにいるのは本意じゃない。そう言っているかのようだ。
「は? なんであんたが同行するのよ? シキノサキブレの件ならともかくこの件には関係ないでしょう?」
ミアに当然のようについていくスティフィが敵意を隠さずにそう言った。
スティフィの所属するデミアス教とジュリーの所属する輝く大地の教団は神代戦争時代からの仇敵同士なのだ。
今は休戦中とはいえ、相容れない存在同士でその確執はとても深い。
だが、ジュリーはスティフィの敵意に反応せず辟易とした表情を見せただけだ。
「はぁ…… 私も同行したくはなかったんですよ。教授、いえ、この場合は司祭と言った方がいいですかね。司祭の命令で仕方なく、です。端的に言ってしまうと、スティフィ・マイヤー、あなたが同行するので私も同行させられることになったんです」
と、めんどくさそうにそう言って、さらにため息を漏らした。そのため息からはどこへも向けられない憤りの感情がふんだんに含まれている。
それを聞いたスティフィが少し驚いたような表情を見せてから、すぐに納得する。
「あっ、あー。なんていうかご愁傷様。そっちの教授は対抗意識が強いんですっけ?」
と、スティフィは意地の悪そうな表情を見せてジュリーに語り掛ける。
ダーウィック教授は特に相手していないのだが、巫女科を主に受け持っているエルセンヌ教授はダーウィック教授、というよりは闇の勢力全体に強い対抗意識を持っている。
なので、今回ジュリーがミアに同行して来ることも、本人の意志ではなくエルセンヌ教授の対抗心からくる話なのかもしれない。
エルセンヌ教授は輝く大地の教団にて司祭の役職を持ち、ジュリーはただの信徒でしかない。実は所属する派閥が違うのだが、エルセンヌ教授の命を断ることはジュリーにはできない理由もある。
「エルセンヌ教授は…… 教義に忠実な方なんですよ」
ジュリーはその言葉に、目線を合わさずに俯いて答える。
ただその俯いた表情は、嫌々参加している、と言うのが目に見えてわかるし、それを隠そうともしていない。
「どういうことです?」
と事情がよくわかっていないミアが聴くと、スティフィがすぐに、ジュリーが答える前に、答えてくれる。
「デミアス教に対抗して、輝く大地の教団もミアにお目付け役でもつける気なんでしょうね。ってかそれって、輝く大地の教団もミアに目を付け始めたってこと?」
と、自分で言っておいてスティフィはミアを見つめて驚く。
そうであるのならば、流石はダーウィック大神官様、先見の目も確かだ、とスティフィは一人、内心ながらに感動をかみしめていた。
そして、それをいち早く報告すべきか迷う。が、今はまだ早朝だ。ダーウィック大神官様ならもう知っているに違いない、とスティフィは考え、あとで連絡係にでも伝えればいい話だと判断する。
なによりもジュリーのやる気は全くないように思える。
しかし、ここにきて他の教団もミアに関心を持ってきたということだ。
もしかしたら神与知識の件でおかげでミアの特異性が広まったのかもしれない。
少なくとも学院に来たばかりのミアが色々と、それこそ本人の意図に関わらず様々な問題にかかわっていることは確かだ。
それは神々に愛されている証拠なのかもしれない。
教授達も何かしら思うところはあるのだろう。
「どうですかね。体面を気にしているだけな気もしますが……」
ジュリーはミアを少し見た後、つまらなそうにそう言った。
ジュリーとしては、ミアのこと自体は人として嫌いじゃないのだが、祟り神の巫女と目されているのでそれほど関わるつもりはなかった。
触らぬ神に祟りなし、という言葉は確かなことなのだ。
が、シキノサキブレの件でミアと面識があったためか、今回の件でエルセンヌ教授から直接言い渡されてしまった。
「あの教授は光の勢力方面の大貴族でもあるから、そっちからの圧力もあったんじゃないの?」
と、スティフィが無責任そうに言ってくる。
それに対してジュリーはとぼけた表情をする。
「さあ? どうでしょうか。農民とそう変わらないような貴族の私にはわかりませんよ」
実際、ジュリーにはなぜ自分が今回ミアについていかなければならないのか、その理由は聞かされてない。
ジュリーの想像ではただ単に、ダーウィック教授に対抗心を燃やしているエルセンヌ教授の独断と偏見な気がしてならないのだが、それを仇敵にわざわざ教えてやるつもりもない。
「ジュリー先輩も貴族なんですか?」
と、物珍しいものでも見るようにミアが聞いてきた。
ミアはここよりも辺境の地より来た、それこそ領主もいないような本当の辺境の地から来たと聞いているので、貴族という存在が珍しいのかもしれない。
が、ジュリーからしてみれば自分が貴族か、と問われればその回答に悩むほど普通の農民とそう変わらない生活をしていた。
ジュリーはミアにやさしく答える。
「ええ、と言っても私の家は普通の農家ともう変わらない程の落ちぶれようですが」
ジュリーは少し恥ずかしがりながらそう本当のことを答える。
さらに言うならば、末っ子であるジュリーには家を継ぐ資格もほぼない。順当にいけば長男が、長男に何かあればその妹の長女が家を継ぐことになる。
長女にまで何かあれば、ジュリーまでわかってくる事もあるかもしれない。
ただジュリーは家を継ぎたいとは思ったことは一度もない。
それどころか、治めている土地が貧しすぎて政略結婚の道具にもなれないでいる。
そもそも神によって人が治める土地を決められているので、領土による争いも起きることのないこの世界で政略結婚の意味合いも薄い。
貴族たちは神が指示された土地を今はただひたすらに守っているだけでいい。領土が大きくかわるとしたらそれこそ神代戦争が再開されたときのことだ。
ジュリーは出来る事ならば実家には関わらず、迷惑もかけずに魔術学院卒業後はこちらの学院で就職先を探すつもりでもいる。
食い扶持を減らせて多少なりとも仕送りをしてやれば、実家も文句は言ってこないどころか感謝すらしてくれることだろう。
それら理由から、心象をよくするためにも教授の命令は大人しく従わなければならない。魔術学院で教員としてでなくとも就職するからには教授に好かれておくことは重要なことだ。
魔術学院において教授の権力は想像以上に高い。
「この辺りの貴族…… じゃないわよね? 黒髪だし」
スティフィが何かを思い出しながらそんなことを話し出した。
ジュリーの髪は綺麗な黒髪である。ミアも綺麗な黒髪をしているが鍔広の三角帽子をいつも被っているのでその印象は薄い。
「ええ、よくご存じで。私の実家は西南側の…… ですね。言ってしまうと、暗黒大陸との境目付近ですね」
と、ジュリーは一瞬言うかどうか迷ってから、少し自虐的にそう言った。
その場所は草木も育たない荒れ地だ。
噂では神代戦争の影響の余波でその地は未来永劫、呪われた荒れ地なのだという。
そんなところを領地に持つ貴族などたまったものではない。
が、先祖がまだ王を名乗っていた時代から先祖代々受け継ぐその土地を手放すわけにも行かず治め続けなければならない、その土地を治めていくことが神々の協定で決まったこととはいえある種の呪いのようなものだ。
そのため、ジュリーの実家は貴族として財をなせるわけもなく、土地から出ていくわけにも行かず、農民とそう変わらない暮らしになってもその土地を形上だけでも治めていかなければならない。
「うぇ、また大変なところの出身ね。だから離れた魔術学院にってところ?」
と、本来仇敵であるはずのスティフィが少し同情するぐらいの地域だ。そこら一帯に魔術学院もない。離れるも何もジュリーにとってはここが一番近い住み込みで通える魔術学院だっただけの話だ。
その距離はそれなり離れてはいるが、ミアやスティフィと比べると、ジュリーはまだ近い場所とはいえる。
「流石、いろいろ詳しいですね。元狩り手のスティフィさん」
と、ジュリーはデミアス教徒に同情の視線を送られたことに何か思ったのか、少し挑発的な言葉を発する。
「そういえば、暗黒大陸ってなんです? たまにその名称を聞きはするんですが、誰も詳しく教えてはくれないので」
そして、ミアがその空気を読まずに疑問に思ったことを発言する。
特に暗黒大陸の話が禁忌という事ではない。ただその大陸が現在どうなっているのか、人類には知られていないのだ。だから暗黒大陸と呼ばれている訳でもある。
最近では暗黒大陸の調査なども行われているようだが、その情報は断片的な物でしかない。
「人類始まりの地にして神代戦争の主戦地、と言われている場所で、今は神と外道だけが住んでいるって言われている未踏じゃないけど未踏の地ね。教えてくれないのは誰も詳しいことを知らないからよ、多分だけど……」
スティフィが早口で即座に答える。
ジュリーが口を開くよりも早く、という感じにだ。
実際ジュリーが答えようとして、口を開いていた、が、先にスティフィが発言したのでそのまま口を閉じた。その様子をスティフィがしたり顔で見ている。
「暗黒大陸が人類始まりの地というのは諸説ありますけどね。少なくとも今は人が住んでいない事だけは事実です」
スティフィの表情を見てため息をついた後、ジュリーは補足を付け足した。
「そんな土地もあるんですね」
と、ミアが感心した表情を二人に向けた。
そこへもう一人の人物がやってくる。
背が高く大柄でひょうひょうとした軽薄そうな男だ。
「おっ、ジュリー先輩じゃん! どーしたんですか? あっ、俺の見送りに来てくれたんですか? ありがとうございます!! あっ、それと、おっはよぉーうござぁいまーす!!」
と、エリックがやはり野外用の装備と荷物を持って集合場所に現れた。
しかも、朝早いというの随分と元気がいい。
「エリック…… 見送りってことはあなたも同行するんですか?」
ジュリーはかなり、スティフィに向けるよりも強く怪訝そうな表情をしてそう言った。
顔を合わせるごとに自分を口説いておようとするこの軽薄な男をジュリーは心底軽蔑している。その一番の理由は美人であればだれでも口説く様なまさしく軽薄な男だからだ。
「ん? そーなんですよ、グレン鍋の調理法を盗み見たこと結局バレちゃってさ、ミアちゃん係に任命されちゃいまして」
「私の係ってなんですか?」
と、ミアが唖然となって抗議の声を上げるが、エリックは笑って無視した。
「ある意味ここにいる三人がそれよね。ミアちゃん係。祟り神かもしれない未知の神の巫女。しかもかなり力を持っている神様の巫女ときている…… となると、色々な理由から監視役はつけておいた方が良いとどこも考えているのかしらね。恐らく私が一度も祟られていないので、同じ学生という条件で選んだんじゃないのかしら?」
と、スティフィが少し呆れながらにそう言った。
「はぁ、それは…… ありますね……」
と、ジュリーもスティフィの発言にいやそうに同意した。
「ロロカカ様は祟り神なんかじゃないですよ!」
と、ミアが抗議の声を上げるが、もう慣れているのかスティフィとエリックには完全に無視される。
ジュリーだけが少し驚いたようにミアを見たが、反応はそれだけだった。
「ん? 俺は美人さんばっかで嬉しいけどな。あっ、じゃあさじゃあさ、今度親睦を深めると言うことで皆で裏山にでもまた遊びに行こうぜ? 俺またグレン鍋作るからさ!!」
と、エリックはご機嫌だ。
「あんた、なんも懲りてないのね」
スティフィがそうぼやく。
この間は利用できれば利用してやろうとスティフィも考えていたのだけれども、あまりこの男と関わっていると無関係な面倒ごとに巻き込まれるような気がしてならない。
スティフィはこの軽薄そうな男とどう付き合っていくべきか未だに決めかねている。
「いや、だってよ、こんな美人が二人もいるようなところに関わり合いになれるっていうならば、それはもうご褒美も同じじゃん?」
と、エリックはそう言って嬉しそうにしているが、
「二人?」
と、ミアがさらに怪訝そうな表情をする。
さすがにこれは無視できないとエリックも思ったのかミアに反応した。
「いや、いやいやいやいやいや、ミアちゃんも十分かわいいと思うよ、うん、かわいい。けどさ、スティフィちゃんもジュリー先輩も、なんていうの? 女の色香? が違うんだよ! な? わかるだろ?」
と、エリックなりに必死に言い訳をして、さらにミアに同意も求めてくる。
「私に分かるわけないじゃないですか……」
と、ミアが憤然として答える。
そんなやり取りをみたジュリーが深いため息をつく。
「はぁ…… 朽木様に許しを乞いに行くって聞いているんですけど、あなたたち、その重大さがわかってるんですか?」
まるで緊張感がない集まりに心配になったのかジュリーがそう問うと、
「私は死ぬ覚悟はもうとっくの昔にできているわよ」
と、当然とばかりにあっけらかんとスティフィが答える。
そして、その言葉に嘘偽りもない。
それに対しその言葉が嘘じゃないと感じ取れてしまったジュリーは、これだからデミアス教は…… と声には出さないがそう言った表情を見せる。
「死ぬって、そんな大げさな。大丈夫よ、どうにかなるってさ! 俺に任しときなよ? な? 全部うまくいくからさ!」
と、エリックは無責任に言い放つ。
それを聞いたジュリーはうんざりした表情を見せる。
「はぁ…… 先が思いやられる……」
と、一人頭痛でもするのか頭を押さえてジュリーが唸る。
「神の命で動いているので、古老樹とはいえどこちらには危害を加えないって話を聞いているのですが、そんなに危険なのですか?」
ミアが少し心配そうにそう聞くと、ジュリーは心配どころの話ではない、という表情を返した。
それでも、この中で一番まともそうなのが、祟り神の巫女かもしれないミアという事にジュリーは眩暈を覚える。
「私もそう聞いてるわ。けど、相手はあの朽木様なのよ? あなたたちは遠方の地から来たから知らないでしょうけど、かなり恐ろしい古老樹の一本なのよ? それこそ伝承で語り継がれるほどの」
そう言うジュリーも実はこの魔術学院に来てから朽木様のことを知ったのだが、それは黙っておく。
ただ朽木様という古老樹が恐ろしい力を持っていることは事実だ。
「たしか、自分が枯れかかり延命のために数百、数千もの人間を含めた生物を養分にするために地中に引きずり込んだって話よね?」
スティフィがミアが朽木様の苗木を得た後に、一夜漬けで覚えた知識を思い起こして答える。
「ん? じゃあ、枯れ掛けってこと? 恐れる必要もないじゃんかよ」
と、それを聞いたエリックがそんなことを言い出す。
ジュリーからもスティフィからも白い目で見られているがエリック本人はそのことに気づいていない。
古老樹という人間ではどうにもできない上位種が相手だということがエリックにはまるで分ってないからだ。
「今は精霊王の朽木の王と呼ばれる存在と共にいることで、持ち直しているし、気性も落ち着いているそうなんだけど…… ついでに古老樹としての力はかなり高い方で、地中に引きずり込んだ中に竜もいたって話ですよ」
ジュリーがそう言うと、
「げ? 竜を? まじ?」
と、エリックが今度は素直に驚く。
「朽木様が枯れるきっかけをつくったのも竜種と言われているけれどね。実は虫種だったという話もあるけども……」
さらにジュリーが捕捉する。少なくとも人間がどうこうできる相手ではなく、その機嫌を損ねただけで殺されかねない相手なのは確かだ。
「さすが竜だな。竜最強だろ」
が、エリックはそんなことは理解しておらず、今度はなぜか竜を誇りだした。
「エリックは少し黙っててくれる? はぁ、まあ、恐らくは平気だけども、殺される可能性も捨てきれないって話よ、それがわかってるのかしら?」
そう言ってジュリーはもう何度目になるかわからないため息を漏らした。
「だから、私は死ぬ覚悟はもうできているって」
と、スティフィは平然と言って見せる。
「あなたは、まあ、そうよね。元狩り手なのだから。ああ、そうだ。これも大事よね、しばらく、二週間近くはかな、一緒に旅することになるんだから。無駄にもめるの嫌だから先に言っておくと、私は輝く大地の教団でも学術派閥の人間だから。仲良くする気はないけれども、無駄に対立するつもりもないので」
それを聞いたスティフィが少し驚いた表情を見せた。
「あー、なるほど。エルセンヌ教授の名が出てたからてっきり…… 私としてもむやみに大きな揉め事を起こす気はないから。私の使命はミアと親友になることとその護衛だから」
スティフィはそう言って態度を少し軟化させた。
「え? なに? 二人ともどうしたの?」
急にジュリーとスティフィの二人の間の空気が変わったことにエリックが気づくが、
「宗教上の問題よ、口出さないで」
とジュリーに言われてしまう。
「学術派閥ってなんです?」
とミアが聞くが、さすがに他宗教の事なので知ってはいるがスティフィは口を閉じたままだ。
その様子を見て、ジュリーがミアの質問に答える。
「輝く大地の教団というのは…… 大きな教団でその中にもいくつもの派閥があるんです。その中の一つで、学会という組織に近い派閥で、争いよりこの世界の真理の研究を優先する派閥のことです。輝く大地の教団の中でも穏健派ってところですね」
「だから、仇敵のスティフィの宗教とももめたくないってことですか?」
ずけずけと聞いてくるミアに若干ジュリーが引いていると、
「仇敵は仇敵でも今はそもそも表向きは休戦中なのよ」
ジュリーに向かって聞いていたミアの問いにスティフィが割り込んできて答える。
ミアとの親友の座は譲らない、と言った気迫を感じるがジュリーからしてみると、やはりミア本人は嫌いではないのだが、祟り神とはお近づきになりたくはないので、スティフィの行動自体にはありがたいと思ってしまうくらいだ。
「表向きはって……」
と、ミアが絶句しているので、仕方がない、とばかりにジュリーが捕捉する。
「そもそも神代戦争が再開されるのは、地上の外道種を全て討伐して、更にこの世界を完璧な姿に変えた後って話なのですよ。それは気が遠くなるほど遠い未来の話ですよ。少なくとも私は生きてないでしょうしね。それに、この地にいる小鬼の王ですら不死で討伐できないっていうのに、すべての外道の討伐がそう簡単に終わるわけがまずないのよ」
「小鬼の王?」
と、新しく出た言葉にミアが興味を示す。
スティフィはすかさず口を開く。最近はミアが興味を示しそうなことに対して必死に予習までし始めているスティフィだ。
少しでもミアに対して優位に立ちたいと思う一心で始めたことだが、ミアにかかわる人物が増えるのであるならば、親友という立ち位置を明け渡さないための努力にもなる。
ただ潜入任務が多かったスティフィからするとそれは日常的なことでもあったのだが。
「闇の小鬼って言う外道種の王の一人で、不死で討伐できないので東の海岸沿いの山に閉じ込めているって話ね」
とはいえ、さすがにスティフィもその知識は付け焼刃で、その程度の知識しかない。
どういった外道なのかと、ミアに突っ込まれでもしたら今のスティフィには答えられない。
これ以上聞かないで、とスティフィが心の中で願う中、ミアが口を開き何かを言いかけた瞬間、エリックが大きな声で、
「ん? じゃあさ、そんな未来はこないってことだろ? みんなで仲良くしようぜ? な?」
と、言い放った。
スティフィとジュリーが同時に刺すほどの睨むような視線をエリックに向けるが、その発言を受けてミアが、
「なんかエリックさんが言うとあれですが、一理ある気がしますね」
と反応する。
神代戦争が再開されるという話は光の勢力の神々も闇の勢力の神々も言っている事なので、エリックの発言はその両陣営に喧嘩を売っているようなものだ。
ただ、ミアが一理ある、だなんてことを言っている手前、スティフィは何か言うことを止め、ジュリーはそもそもエリックを居なかったことにしただけで済んだ。
場合によってはこんなことからでも抗争は始まってしまう。なにせ神々の争い、神代戦争ですら元は人間の言い争いから始まったのだというのだから。
とりあえずスティフィは闇の小鬼のこと話が変わったことに内心安堵した。そして、エリックの発言は聞かなかったことにした。
しばらく頭の中で葛藤していたジュリーが結局は怪訝そうな表情を見せ、
「仲良く…… ですか。割と無理な相談ですよ」
と、答える。
しかし、この話題は続けたくなかったのかジュリーは続けざまに更に話題を変える。
少なくともこれからしばらく旅を一緒にするのに最初から揉め事を起こすのは馬鹿らしい、とジュリーは考えている。
「そういえば、ミアさんはシキノサキブレや古老樹の苗木の件以外にも、なんか色々あったそうで、大変だったそうですが大丈夫なのですか? 詳しくは聞かされてないんですが、先日にも命を狙われたとか聞きましたが? 私が同行する表向きの理由もそこから来てましたし……」
ジュリーにはミアの情報は断片的にしか伝わっていない。
神与知識の権利を得たことなどは本来内密にすることなので伝わっていなくて当然の話だが。
ミアが破壊神と会っていたことなどもジュリーには伝えられていないし、ジュリーが知っているのは裏山でミアが何者かに襲われた、という噂話くらいなものだ。
ジュリーからすると、ミアがなぜ古老樹の苗木を手に入れたのかもわからないしそもそも興味がない、命を狙われたのも、その古老樹の苗木を狙ってのことだと、勝手に解釈している。
「え? あっ、は、はい、私は大丈夫です。荷物持ち君もいたしスティフィが守ってくれていたので」
ミアはそう言いつつもその表情はどこか寂しそうだ。
「おばちゃんクビになっちゃっうんだよなぁ……」
それに加えエリックもどこか落ち込んだようにそんなことを言い出した。
事情を知らないジュリーからすると訳が分からない反応だが、エリックの反応なのでとりあえず聞かなかったことにした。
「息子が都の牢屋に入れられるので都の方へ移り住むって話ね。自業自得の話でしょう? ミアが気にすることないのよ? 食堂でもパン作りが再開したんだから、ミアもそれでいいでしょう?」
切なそうな表情を浮かべるミアを元気づけるようにスティフィが言い出すが、ジュリーにはなぜパンの話になるのか理解できない、が話の流れから、ミアを襲ったのが最近首になったという食堂の職員、その息子なのか、と想像する。
外れてはいるが、それで大体つじつまが合ってしまうところもある。
完全には理解できないのでジュリーはとりあえず黙って成り行きを見守る。
「でも、あのパンさ、うまいよな。ちょっと高いけどもさ。前に食べたのはあんなに柔らかくなくもっとガチガチに硬い奴だったぜ」
なぜパンの話になったか理解できないが、ジュリーがパンのことで知っている事と言えばこのことだけだ。
「そういえば、そのパンの売り上げでこの地に訪れていたという破壊神の御社を立てるそうよ。って、待って…… ミアさんはその件にも関わってるってこと? はぁ…… 私が思ってた以上にあなた大物なのね……」
その知っていることを言っている途中で、ミアがその件にも関わっていることがなんとなく理解できたジュリーは素直に驚いた。
まさか破壊神の件にまでかかわっていたとはジュリーは思いもよらなかったし、その件が大元なのだとは考えもしない。
また、今のところ「パン」というものは神与知識の権利がなければ早々作れない環境になってしまっている。
神与知識の権利の弊害である。そういった意味ではこの世界はいびつな成長の形をしていると言える。
とはいえ「世界」として、まだ始まってもいない準備段階の世界なのだ。多少歪でも問題はないのかもしれない。
なにはともあれ、そんなパンが急に学院の食堂で作られるようになったのは中々の出来事だ。
それにまでミアが関わっているならば、エルセンヌ教授が自分をミアに近づけさせようとしたことも納得できる、と、ジュリーはミアの評価を改める。
そして、ミアを改めて見る。
けれども、ジュリーにはミアは普通の学生にしか見えない。ただの真面目そうな自分以上に貧乏な学生にしか見えない。
「ミア、ほら、気にしない。あれはあっちの自業自得なんだから」
「は、はい……」
スティフィがミアを励ましているのをジュリーが見て、必死に頑張って大変そうと、少し冷めた感情を抱いていると、そこへ新たに二人の人物がやってきた。
そのうちの一人が、おずおずと声をかけてくる。
「あっ、あの…… ぜん…… 全員そろ、そろってますか? な、なんか…… 大人数です…… けども……」
この魔術学院の教授の一人、サリー教授だ。
「サリー教授、おはようございます。ついてきてくださり、ありがとうございます」
ミアが丁寧にお辞儀をして挨拶と礼を述べる。
朽木様と精霊王がいる高原までは、山をいくつか超えていくしかない。
生徒だけで行かせられるところではない。
ただ普通なら助教授が請け負う話なのだが、今回は事情が事情なだけにサリー教授がその案内役を買って出てくれていた。
「い、いえ、良いんです。こ、これも…… 仕事の…… うちですし…… えっ、えっと、私はサリー・マサリーって言います。主に自然魔術の…… 教授をやらさせて頂いています……
あと魔術具の作成なんかも…… ですね、してます…… ね…… こ、この機会に、良ければ私の…… 講義も受けて…… ください…… なんて。で、こ、こちらが……」
おずおずと自己紹介をし、隣にいるまだ若い、恐らくは二十代後半の男性を指さす。
「インラム・スミスです。サリー教授の下で助教授をしています。六人と使い魔一体ですか、これまた朽木様に会いに行くというのに大人数ですね」
インラムはテキパキと挨拶をして、ここに集まっている人数が予想よりも多いことに驚いていた。
事前に聞いていた話では、ダーウィック教授の使いが一人同行するという話だったのだが、実際にはさらに二人も人数が増えている。
「ミアの人徳よね」
と、スティフィがミアにまとわりついてそう言うと、
「私の人徳…… ではないと思うのですけれど?」
まとわりつかれたミアは全く気にせずに素直に答えた。
「あっ、あの、インラムさん……」
サリー教授が目で頼るように訴えながらインラムを見つめながらもじもじと言うと、インラムは手馴れているのかすぐに理解する。
「はい、事前説明ですね。僕がいたします。えっと、もう知ってはいると思いますが、精霊王と朽木様がいる高原までは山道を順調に進んで五日ほど歩く距離があります。一応途中までは整備されている山道はありますが、後半はほぼ獣道のような道となりますので覚悟しておいてください。後ですね、裏山にはいない熊や虎と言った猛獣も生息していますので注意してください。その代わり精霊王の領域なので外道などは居ません。獣除けの護符は用意してあるので出会うことはないと思いますが、念のため注意してくださいね」
インラムはそこまで一息で説明して、一呼吸を置いてからさらにつづけた。
「後は…… そうですね、一応は聞いておきますが精霊に嫌われている方とかいますか?」
「はい」
と、スティフィが返事をして静かに挙手した。
自然とスティフィにその場にいた者、全員の視線が集まる。
「え? 理由をお聞きしても?」
インラムはなぜそのような人物が同行するのか不思議であったが、彼女が信仰している宗教を考えれば色々と事情があるのだろうと深く考えるのをやめた。
なるべくならば深い関わり合いを持ちたくはない、とも態度には出さないが考えている。
「はぐれ精霊と争ったことがあり、その時の精霊は剥がしてもらったんですが、それ以降どうも精霊には余り好かれていないようになっているようで。私も最近、カール教授経由で教えてもらった、というよりは注意されて知ったんですけどね、どうも精霊自体に嫌われてしまっているらしいです」
「な、なるほど…… はぐれ精霊と争って無事なのは凄いですね……」
と、インラムは信じられない、と言った感じだ。少なくともはぐれ精霊と渡り合えるような人間がなぜ生徒をしているのかわからない。
「無事じゃないですよ、色々あった結果、左手がまともに動かなくなりました」
狩り手であるならば隠しておかなければならないことだが、もう自分は狩り手と呼ばれる懲罰部隊ではない。
言ってしまっても問題ない、もうあの頃の自分とは違う、とばかりにスティフィはそう言った。
「え? そ、それは大変でしたね…… では、ええっと……」
インラムは、目の前の生徒の左手が動かないっていうことに、どうしたらいいかわからない。
「スティフィです。スティフィ・マイヤー」
戸惑っているのを名前でもわからないのかと思ったスティフィが名前を名乗る。
「はい、ありがとうございます。スティフィさんだけは、そうですね。ええっと、たしか…… 護衛役との話でしたよね? え? 護衛役なんですか?」
インラムは事前に貰っていた資料に目を通しながら答えようとしたが、スティフィの項目にある「護衛役」という文字に驚く。
生徒が生徒の護衛をする、しかも左手が不自由な生徒がだ。
優秀ながらも平和で平凡な人生を歩んできたインラムからしたら理解できない話だ。
だが、これもデミアス教ということを考えると納得できなくはないし、急に参加する二人も装備を見ればその所属がわかる。男の方は騎士隊、恐らくは訓練生で、女の方は輝く大地の教団所属のようだ。
どちらもまだ学生の身分だが騎士隊と輝く大地の教団の人間が参加するからには、このミアという少女に何かしらの理由があるのだろう、と推測できる。
そもそも精霊王ではなく朽木様に会いに行く、というところからして少しきな臭い話だ。インラムはやはり深く考えるのをやめた。
触らぬ神に祟りなし、それだけは確かなことだ。
「ええ、親友兼護衛役です」
スティフィが自信をもって発言する。
それにインラムは若干引きつつも、なるべくは顔に出さないようにだけは努力する。
「わ、わかりました。けれども、はぐれ精霊とはいえ精霊と因縁のある方を精霊王に合わせるのは危険ですので、第四野営地で待機していただくと言うことでいいですか?」
「まあ、それは…… したかがないわね。私がついていくことでミアに危険が及ぶって話なら……」
スティフィが護衛役として役に立つのはあくまで人間相手の話だ。
相手が古老樹や精霊王ともなると人間ではできることなどなにもない。
なら、できる限り相手のご機嫌を損なうことをしないことのほうが重要となってくる。
「あ、あの…… インラムさん。朽木様に会い…… に…… 行くのは…… 私と…… ミアさんだけで…… 精霊王も朽木様も…… 大勢で会いに行くのは…… 余り…… ですので……」
サリー教授がオロオロとしながらそう言ってくる。
「はい、教授。では教授とミアさんだけ精霊王のところへと、言うことで残りは第四野営地で待機ですね」
表情には出さないがインラムは、精霊王はともかく朽木様と会わずに済んだことを喜ばずにはいられない。
なんなら本来は小躍りして喜びたいくらいの話だ。
この地で生まれ育ったインラムにとっては朽木様は昔話で聞かされるような恐怖の対象でしかない。
「はい…… それでおねがい…… します……」
「では、忘れ物はないですか? 道は整備されいますが距離は一番ありますので、早速出発したいのですが。細かいことは道中話しますので。今日は第一野営地を目指しますよ。今から出ても三時過ぎくらいですね、到着できるのは。到着した後も野営地の手入れもしないといけないのでそのつもりでお願いします」
インラムはこの奇妙な同行者たちに、何とも言えない不安を感じつつも、初日は危険な場所はほとんどない、と自分を自分で安心させた。
それに改めて見回しても、全員旅慣れているのか装備はしっかりしているように思える。それだけは安心だ。
「あっ、皆さん、荷物は荷物持ち君の引く荷車に乗せてくださいね。ただかなり揺れるのでしっかり括りつけておいてください」
が、ミアが言ったその言葉にインラムは不安を覚える。
確かに使い魔とはいえ古老樹に何をさせているんだ、そもそもなんだその名前は、と心の中で突っ込みを入れ再度朽木様に会わずにいられることを喜ぶ。
これからその古老樹の親に、神の指示とはいえ使い魔としてしまったことを許しを乞いに行くというのには不安を隠せないでいる。
インラムは自分が第四野営地までの付き添いで良い事を心の中で神に感謝した。
さらに真新しい木製の杖も大事そうに両手で持っている。杖の先端には水晶がはめ込まれていて、暗闇でなければわからないほどの本当に淡い光を讃えている。それは契約を終え使徒魔術の触媒として機能している証拠だ。
ミアの傍らにはミアの使い魔、泥人形の荷物持ち君一号が待機している。
荷物持ち君の反対側に、普段の服装とは違う、革製で野外用の装備に身を包んだスティフィも待機している。
普段刃物の類は見えない場所に忍ばせておくスティフィだが、今日は、腰に大きめの鉈、右腿に幅広で片刃の短剣、左腿には細身の短剣が鞘ごと括りつけられている。
それ以外の荷物は必要最低限の物しか持っておらず、食料などよりも身軽さを優先させた格好になっている。
ただ本人が持つのとは別に荷物持ち君に引かせる荷車に乗せる荷物は別に用意はされている。
二人と一体はそんな装備で会話もなく、ただその場に立ち尽くしていた。会話がないのはただ単にまだ眠いからだ。
そこへやはり野外用の装備を纏った一人の若い女性がやってくる。
その女性にミアは見覚えがある。
「あれ? ジュリー…… 先輩で良かったですよね? どうしてここへ?」
ミアは集合場所にやって来た人物にそう言葉を投げかけた。
今は陽も上がり切っていないまだ薄暗いほどの早朝で、この場所は裏山へ行くための外門の前だ。
そして、今この場所は裏山に行く以外の意味もある。ジュダ神から頂いた荷物持ち君の核、朽木様の苗木を使った泥人形を朽木様に見せに、いや、許しを乞うために行くための集合場所だ。
そこへシキノサキブレの件で図書館で世話になった先輩のジュリーがやってきたのだ。しかも野外活動用の装備と荷物を持ってだ。
更に言うとジュリーは隠しもしないほど浮かない顔をしている。
「久しぶりですね。ミアさん。私もこの旅へ同行させてもらうことになりました」
と、ジュリーは丁寧だが少し不貞腐れたようにそう言った。まるでここにいるのは本意じゃない。そう言っているかのようだ。
「は? なんであんたが同行するのよ? シキノサキブレの件ならともかくこの件には関係ないでしょう?」
ミアに当然のようについていくスティフィが敵意を隠さずにそう言った。
スティフィの所属するデミアス教とジュリーの所属する輝く大地の教団は神代戦争時代からの仇敵同士なのだ。
今は休戦中とはいえ、相容れない存在同士でその確執はとても深い。
だが、ジュリーはスティフィの敵意に反応せず辟易とした表情を見せただけだ。
「はぁ…… 私も同行したくはなかったんですよ。教授、いえ、この場合は司祭と言った方がいいですかね。司祭の命令で仕方なく、です。端的に言ってしまうと、スティフィ・マイヤー、あなたが同行するので私も同行させられることになったんです」
と、めんどくさそうにそう言って、さらにため息を漏らした。そのため息からはどこへも向けられない憤りの感情がふんだんに含まれている。
それを聞いたスティフィが少し驚いたような表情を見せてから、すぐに納得する。
「あっ、あー。なんていうかご愁傷様。そっちの教授は対抗意識が強いんですっけ?」
と、スティフィは意地の悪そうな表情を見せてジュリーに語り掛ける。
ダーウィック教授は特に相手していないのだが、巫女科を主に受け持っているエルセンヌ教授はダーウィック教授、というよりは闇の勢力全体に強い対抗意識を持っている。
なので、今回ジュリーがミアに同行して来ることも、本人の意志ではなくエルセンヌ教授の対抗心からくる話なのかもしれない。
エルセンヌ教授は輝く大地の教団にて司祭の役職を持ち、ジュリーはただの信徒でしかない。実は所属する派閥が違うのだが、エルセンヌ教授の命を断ることはジュリーにはできない理由もある。
「エルセンヌ教授は…… 教義に忠実な方なんですよ」
ジュリーはその言葉に、目線を合わさずに俯いて答える。
ただその俯いた表情は、嫌々参加している、と言うのが目に見えてわかるし、それを隠そうともしていない。
「どういうことです?」
と事情がよくわかっていないミアが聴くと、スティフィがすぐに、ジュリーが答える前に、答えてくれる。
「デミアス教に対抗して、輝く大地の教団もミアにお目付け役でもつける気なんでしょうね。ってかそれって、輝く大地の教団もミアに目を付け始めたってこと?」
と、自分で言っておいてスティフィはミアを見つめて驚く。
そうであるのならば、流石はダーウィック大神官様、先見の目も確かだ、とスティフィは一人、内心ながらに感動をかみしめていた。
そして、それをいち早く報告すべきか迷う。が、今はまだ早朝だ。ダーウィック大神官様ならもう知っているに違いない、とスティフィは考え、あとで連絡係にでも伝えればいい話だと判断する。
なによりもジュリーのやる気は全くないように思える。
しかし、ここにきて他の教団もミアに関心を持ってきたということだ。
もしかしたら神与知識の件でおかげでミアの特異性が広まったのかもしれない。
少なくとも学院に来たばかりのミアが色々と、それこそ本人の意図に関わらず様々な問題にかかわっていることは確かだ。
それは神々に愛されている証拠なのかもしれない。
教授達も何かしら思うところはあるのだろう。
「どうですかね。体面を気にしているだけな気もしますが……」
ジュリーはミアを少し見た後、つまらなそうにそう言った。
ジュリーとしては、ミアのこと自体は人として嫌いじゃないのだが、祟り神の巫女と目されているのでそれほど関わるつもりはなかった。
触らぬ神に祟りなし、という言葉は確かなことなのだ。
が、シキノサキブレの件でミアと面識があったためか、今回の件でエルセンヌ教授から直接言い渡されてしまった。
「あの教授は光の勢力方面の大貴族でもあるから、そっちからの圧力もあったんじゃないの?」
と、スティフィが無責任そうに言ってくる。
それに対してジュリーはとぼけた表情をする。
「さあ? どうでしょうか。農民とそう変わらないような貴族の私にはわかりませんよ」
実際、ジュリーにはなぜ自分が今回ミアについていかなければならないのか、その理由は聞かされてない。
ジュリーの想像ではただ単に、ダーウィック教授に対抗心を燃やしているエルセンヌ教授の独断と偏見な気がしてならないのだが、それを仇敵にわざわざ教えてやるつもりもない。
「ジュリー先輩も貴族なんですか?」
と、物珍しいものでも見るようにミアが聞いてきた。
ミアはここよりも辺境の地より来た、それこそ領主もいないような本当の辺境の地から来たと聞いているので、貴族という存在が珍しいのかもしれない。
が、ジュリーからしてみれば自分が貴族か、と問われればその回答に悩むほど普通の農民とそう変わらない生活をしていた。
ジュリーはミアにやさしく答える。
「ええ、と言っても私の家は普通の農家ともう変わらない程の落ちぶれようですが」
ジュリーは少し恥ずかしがりながらそう本当のことを答える。
さらに言うならば、末っ子であるジュリーには家を継ぐ資格もほぼない。順当にいけば長男が、長男に何かあればその妹の長女が家を継ぐことになる。
長女にまで何かあれば、ジュリーまでわかってくる事もあるかもしれない。
ただジュリーは家を継ぎたいとは思ったことは一度もない。
それどころか、治めている土地が貧しすぎて政略結婚の道具にもなれないでいる。
そもそも神によって人が治める土地を決められているので、領土による争いも起きることのないこの世界で政略結婚の意味合いも薄い。
貴族たちは神が指示された土地を今はただひたすらに守っているだけでいい。領土が大きくかわるとしたらそれこそ神代戦争が再開されたときのことだ。
ジュリーは出来る事ならば実家には関わらず、迷惑もかけずに魔術学院卒業後はこちらの学院で就職先を探すつもりでもいる。
食い扶持を減らせて多少なりとも仕送りをしてやれば、実家も文句は言ってこないどころか感謝すらしてくれることだろう。
それら理由から、心象をよくするためにも教授の命令は大人しく従わなければならない。魔術学院で教員としてでなくとも就職するからには教授に好かれておくことは重要なことだ。
魔術学院において教授の権力は想像以上に高い。
「この辺りの貴族…… じゃないわよね? 黒髪だし」
スティフィが何かを思い出しながらそんなことを話し出した。
ジュリーの髪は綺麗な黒髪である。ミアも綺麗な黒髪をしているが鍔広の三角帽子をいつも被っているのでその印象は薄い。
「ええ、よくご存じで。私の実家は西南側の…… ですね。言ってしまうと、暗黒大陸との境目付近ですね」
と、ジュリーは一瞬言うかどうか迷ってから、少し自虐的にそう言った。
その場所は草木も育たない荒れ地だ。
噂では神代戦争の影響の余波でその地は未来永劫、呪われた荒れ地なのだという。
そんなところを領地に持つ貴族などたまったものではない。
が、先祖がまだ王を名乗っていた時代から先祖代々受け継ぐその土地を手放すわけにも行かず治め続けなければならない、その土地を治めていくことが神々の協定で決まったこととはいえある種の呪いのようなものだ。
そのため、ジュリーの実家は貴族として財をなせるわけもなく、土地から出ていくわけにも行かず、農民とそう変わらない暮らしになってもその土地を形上だけでも治めていかなければならない。
「うぇ、また大変なところの出身ね。だから離れた魔術学院にってところ?」
と、本来仇敵であるはずのスティフィが少し同情するぐらいの地域だ。そこら一帯に魔術学院もない。離れるも何もジュリーにとってはここが一番近い住み込みで通える魔術学院だっただけの話だ。
その距離はそれなり離れてはいるが、ミアやスティフィと比べると、ジュリーはまだ近い場所とはいえる。
「流石、いろいろ詳しいですね。元狩り手のスティフィさん」
と、ジュリーはデミアス教徒に同情の視線を送られたことに何か思ったのか、少し挑発的な言葉を発する。
「そういえば、暗黒大陸ってなんです? たまにその名称を聞きはするんですが、誰も詳しく教えてはくれないので」
そして、ミアがその空気を読まずに疑問に思ったことを発言する。
特に暗黒大陸の話が禁忌という事ではない。ただその大陸が現在どうなっているのか、人類には知られていないのだ。だから暗黒大陸と呼ばれている訳でもある。
最近では暗黒大陸の調査なども行われているようだが、その情報は断片的な物でしかない。
「人類始まりの地にして神代戦争の主戦地、と言われている場所で、今は神と外道だけが住んでいるって言われている未踏じゃないけど未踏の地ね。教えてくれないのは誰も詳しいことを知らないからよ、多分だけど……」
スティフィが早口で即座に答える。
ジュリーが口を開くよりも早く、という感じにだ。
実際ジュリーが答えようとして、口を開いていた、が、先にスティフィが発言したのでそのまま口を閉じた。その様子をスティフィがしたり顔で見ている。
「暗黒大陸が人類始まりの地というのは諸説ありますけどね。少なくとも今は人が住んでいない事だけは事実です」
スティフィの表情を見てため息をついた後、ジュリーは補足を付け足した。
「そんな土地もあるんですね」
と、ミアが感心した表情を二人に向けた。
そこへもう一人の人物がやってくる。
背が高く大柄でひょうひょうとした軽薄そうな男だ。
「おっ、ジュリー先輩じゃん! どーしたんですか? あっ、俺の見送りに来てくれたんですか? ありがとうございます!! あっ、それと、おっはよぉーうござぁいまーす!!」
と、エリックがやはり野外用の装備と荷物を持って集合場所に現れた。
しかも、朝早いというの随分と元気がいい。
「エリック…… 見送りってことはあなたも同行するんですか?」
ジュリーはかなり、スティフィに向けるよりも強く怪訝そうな表情をしてそう言った。
顔を合わせるごとに自分を口説いておようとするこの軽薄な男をジュリーは心底軽蔑している。その一番の理由は美人であればだれでも口説く様なまさしく軽薄な男だからだ。
「ん? そーなんですよ、グレン鍋の調理法を盗み見たこと結局バレちゃってさ、ミアちゃん係に任命されちゃいまして」
「私の係ってなんですか?」
と、ミアが唖然となって抗議の声を上げるが、エリックは笑って無視した。
「ある意味ここにいる三人がそれよね。ミアちゃん係。祟り神かもしれない未知の神の巫女。しかもかなり力を持っている神様の巫女ときている…… となると、色々な理由から監視役はつけておいた方が良いとどこも考えているのかしらね。恐らく私が一度も祟られていないので、同じ学生という条件で選んだんじゃないのかしら?」
と、スティフィが少し呆れながらにそう言った。
「はぁ、それは…… ありますね……」
と、ジュリーもスティフィの発言にいやそうに同意した。
「ロロカカ様は祟り神なんかじゃないですよ!」
と、ミアが抗議の声を上げるが、もう慣れているのかスティフィとエリックには完全に無視される。
ジュリーだけが少し驚いたようにミアを見たが、反応はそれだけだった。
「ん? 俺は美人さんばっかで嬉しいけどな。あっ、じゃあさじゃあさ、今度親睦を深めると言うことで皆で裏山にでもまた遊びに行こうぜ? 俺またグレン鍋作るからさ!!」
と、エリックはご機嫌だ。
「あんた、なんも懲りてないのね」
スティフィがそうぼやく。
この間は利用できれば利用してやろうとスティフィも考えていたのだけれども、あまりこの男と関わっていると無関係な面倒ごとに巻き込まれるような気がしてならない。
スティフィはこの軽薄そうな男とどう付き合っていくべきか未だに決めかねている。
「いや、だってよ、こんな美人が二人もいるようなところに関わり合いになれるっていうならば、それはもうご褒美も同じじゃん?」
と、エリックはそう言って嬉しそうにしているが、
「二人?」
と、ミアがさらに怪訝そうな表情をする。
さすがにこれは無視できないとエリックも思ったのかミアに反応した。
「いや、いやいやいやいやいや、ミアちゃんも十分かわいいと思うよ、うん、かわいい。けどさ、スティフィちゃんもジュリー先輩も、なんていうの? 女の色香? が違うんだよ! な? わかるだろ?」
と、エリックなりに必死に言い訳をして、さらにミアに同意も求めてくる。
「私に分かるわけないじゃないですか……」
と、ミアが憤然として答える。
そんなやり取りをみたジュリーが深いため息をつく。
「はぁ…… 朽木様に許しを乞いに行くって聞いているんですけど、あなたたち、その重大さがわかってるんですか?」
まるで緊張感がない集まりに心配になったのかジュリーがそう問うと、
「私は死ぬ覚悟はもうとっくの昔にできているわよ」
と、当然とばかりにあっけらかんとスティフィが答える。
そして、その言葉に嘘偽りもない。
それに対しその言葉が嘘じゃないと感じ取れてしまったジュリーは、これだからデミアス教は…… と声には出さないがそう言った表情を見せる。
「死ぬって、そんな大げさな。大丈夫よ、どうにかなるってさ! 俺に任しときなよ? な? 全部うまくいくからさ!」
と、エリックは無責任に言い放つ。
それを聞いたジュリーはうんざりした表情を見せる。
「はぁ…… 先が思いやられる……」
と、一人頭痛でもするのか頭を押さえてジュリーが唸る。
「神の命で動いているので、古老樹とはいえどこちらには危害を加えないって話を聞いているのですが、そんなに危険なのですか?」
ミアが少し心配そうにそう聞くと、ジュリーは心配どころの話ではない、という表情を返した。
それでも、この中で一番まともそうなのが、祟り神の巫女かもしれないミアという事にジュリーは眩暈を覚える。
「私もそう聞いてるわ。けど、相手はあの朽木様なのよ? あなたたちは遠方の地から来たから知らないでしょうけど、かなり恐ろしい古老樹の一本なのよ? それこそ伝承で語り継がれるほどの」
そう言うジュリーも実はこの魔術学院に来てから朽木様のことを知ったのだが、それは黙っておく。
ただ朽木様という古老樹が恐ろしい力を持っていることは事実だ。
「たしか、自分が枯れかかり延命のために数百、数千もの人間を含めた生物を養分にするために地中に引きずり込んだって話よね?」
スティフィがミアが朽木様の苗木を得た後に、一夜漬けで覚えた知識を思い起こして答える。
「ん? じゃあ、枯れ掛けってこと? 恐れる必要もないじゃんかよ」
と、それを聞いたエリックがそんなことを言い出す。
ジュリーからもスティフィからも白い目で見られているがエリック本人はそのことに気づいていない。
古老樹という人間ではどうにもできない上位種が相手だということがエリックにはまるで分ってないからだ。
「今は精霊王の朽木の王と呼ばれる存在と共にいることで、持ち直しているし、気性も落ち着いているそうなんだけど…… ついでに古老樹としての力はかなり高い方で、地中に引きずり込んだ中に竜もいたって話ですよ」
ジュリーがそう言うと、
「げ? 竜を? まじ?」
と、エリックが今度は素直に驚く。
「朽木様が枯れるきっかけをつくったのも竜種と言われているけれどね。実は虫種だったという話もあるけども……」
さらにジュリーが捕捉する。少なくとも人間がどうこうできる相手ではなく、その機嫌を損ねただけで殺されかねない相手なのは確かだ。
「さすが竜だな。竜最強だろ」
が、エリックはそんなことは理解しておらず、今度はなぜか竜を誇りだした。
「エリックは少し黙っててくれる? はぁ、まあ、恐らくは平気だけども、殺される可能性も捨てきれないって話よ、それがわかってるのかしら?」
そう言ってジュリーはもう何度目になるかわからないため息を漏らした。
「だから、私は死ぬ覚悟はもうできているって」
と、スティフィは平然と言って見せる。
「あなたは、まあ、そうよね。元狩り手なのだから。ああ、そうだ。これも大事よね、しばらく、二週間近くはかな、一緒に旅することになるんだから。無駄にもめるの嫌だから先に言っておくと、私は輝く大地の教団でも学術派閥の人間だから。仲良くする気はないけれども、無駄に対立するつもりもないので」
それを聞いたスティフィが少し驚いた表情を見せた。
「あー、なるほど。エルセンヌ教授の名が出てたからてっきり…… 私としてもむやみに大きな揉め事を起こす気はないから。私の使命はミアと親友になることとその護衛だから」
スティフィはそう言って態度を少し軟化させた。
「え? なに? 二人ともどうしたの?」
急にジュリーとスティフィの二人の間の空気が変わったことにエリックが気づくが、
「宗教上の問題よ、口出さないで」
とジュリーに言われてしまう。
「学術派閥ってなんです?」
とミアが聞くが、さすがに他宗教の事なので知ってはいるがスティフィは口を閉じたままだ。
その様子を見て、ジュリーがミアの質問に答える。
「輝く大地の教団というのは…… 大きな教団でその中にもいくつもの派閥があるんです。その中の一つで、学会という組織に近い派閥で、争いよりこの世界の真理の研究を優先する派閥のことです。輝く大地の教団の中でも穏健派ってところですね」
「だから、仇敵のスティフィの宗教とももめたくないってことですか?」
ずけずけと聞いてくるミアに若干ジュリーが引いていると、
「仇敵は仇敵でも今はそもそも表向きは休戦中なのよ」
ジュリーに向かって聞いていたミアの問いにスティフィが割り込んできて答える。
ミアとの親友の座は譲らない、と言った気迫を感じるがジュリーからしてみると、やはりミア本人は嫌いではないのだが、祟り神とはお近づきになりたくはないので、スティフィの行動自体にはありがたいと思ってしまうくらいだ。
「表向きはって……」
と、ミアが絶句しているので、仕方がない、とばかりにジュリーが捕捉する。
「そもそも神代戦争が再開されるのは、地上の外道種を全て討伐して、更にこの世界を完璧な姿に変えた後って話なのですよ。それは気が遠くなるほど遠い未来の話ですよ。少なくとも私は生きてないでしょうしね。それに、この地にいる小鬼の王ですら不死で討伐できないっていうのに、すべての外道の討伐がそう簡単に終わるわけがまずないのよ」
「小鬼の王?」
と、新しく出た言葉にミアが興味を示す。
スティフィはすかさず口を開く。最近はミアが興味を示しそうなことに対して必死に予習までし始めているスティフィだ。
少しでもミアに対して優位に立ちたいと思う一心で始めたことだが、ミアにかかわる人物が増えるのであるならば、親友という立ち位置を明け渡さないための努力にもなる。
ただ潜入任務が多かったスティフィからするとそれは日常的なことでもあったのだが。
「闇の小鬼って言う外道種の王の一人で、不死で討伐できないので東の海岸沿いの山に閉じ込めているって話ね」
とはいえ、さすがにスティフィもその知識は付け焼刃で、その程度の知識しかない。
どういった外道なのかと、ミアに突っ込まれでもしたら今のスティフィには答えられない。
これ以上聞かないで、とスティフィが心の中で願う中、ミアが口を開き何かを言いかけた瞬間、エリックが大きな声で、
「ん? じゃあさ、そんな未来はこないってことだろ? みんなで仲良くしようぜ? な?」
と、言い放った。
スティフィとジュリーが同時に刺すほどの睨むような視線をエリックに向けるが、その発言を受けてミアが、
「なんかエリックさんが言うとあれですが、一理ある気がしますね」
と反応する。
神代戦争が再開されるという話は光の勢力の神々も闇の勢力の神々も言っている事なので、エリックの発言はその両陣営に喧嘩を売っているようなものだ。
ただ、ミアが一理ある、だなんてことを言っている手前、スティフィは何か言うことを止め、ジュリーはそもそもエリックを居なかったことにしただけで済んだ。
場合によってはこんなことからでも抗争は始まってしまう。なにせ神々の争い、神代戦争ですら元は人間の言い争いから始まったのだというのだから。
とりあえずスティフィは闇の小鬼のこと話が変わったことに内心安堵した。そして、エリックの発言は聞かなかったことにした。
しばらく頭の中で葛藤していたジュリーが結局は怪訝そうな表情を見せ、
「仲良く…… ですか。割と無理な相談ですよ」
と、答える。
しかし、この話題は続けたくなかったのかジュリーは続けざまに更に話題を変える。
少なくともこれからしばらく旅を一緒にするのに最初から揉め事を起こすのは馬鹿らしい、とジュリーは考えている。
「そういえば、ミアさんはシキノサキブレや古老樹の苗木の件以外にも、なんか色々あったそうで、大変だったそうですが大丈夫なのですか? 詳しくは聞かされてないんですが、先日にも命を狙われたとか聞きましたが? 私が同行する表向きの理由もそこから来てましたし……」
ジュリーにはミアの情報は断片的にしか伝わっていない。
神与知識の権利を得たことなどは本来内密にすることなので伝わっていなくて当然の話だが。
ミアが破壊神と会っていたことなどもジュリーには伝えられていないし、ジュリーが知っているのは裏山でミアが何者かに襲われた、という噂話くらいなものだ。
ジュリーからすると、ミアがなぜ古老樹の苗木を手に入れたのかもわからないしそもそも興味がない、命を狙われたのも、その古老樹の苗木を狙ってのことだと、勝手に解釈している。
「え? あっ、は、はい、私は大丈夫です。荷物持ち君もいたしスティフィが守ってくれていたので」
ミアはそう言いつつもその表情はどこか寂しそうだ。
「おばちゃんクビになっちゃっうんだよなぁ……」
それに加えエリックもどこか落ち込んだようにそんなことを言い出した。
事情を知らないジュリーからすると訳が分からない反応だが、エリックの反応なのでとりあえず聞かなかったことにした。
「息子が都の牢屋に入れられるので都の方へ移り住むって話ね。自業自得の話でしょう? ミアが気にすることないのよ? 食堂でもパン作りが再開したんだから、ミアもそれでいいでしょう?」
切なそうな表情を浮かべるミアを元気づけるようにスティフィが言い出すが、ジュリーにはなぜパンの話になるのか理解できない、が話の流れから、ミアを襲ったのが最近首になったという食堂の職員、その息子なのか、と想像する。
外れてはいるが、それで大体つじつまが合ってしまうところもある。
完全には理解できないのでジュリーはとりあえず黙って成り行きを見守る。
「でも、あのパンさ、うまいよな。ちょっと高いけどもさ。前に食べたのはあんなに柔らかくなくもっとガチガチに硬い奴だったぜ」
なぜパンの話になったか理解できないが、ジュリーがパンのことで知っている事と言えばこのことだけだ。
「そういえば、そのパンの売り上げでこの地に訪れていたという破壊神の御社を立てるそうよ。って、待って…… ミアさんはその件にも関わってるってこと? はぁ…… 私が思ってた以上にあなた大物なのね……」
その知っていることを言っている途中で、ミアがその件にも関わっていることがなんとなく理解できたジュリーは素直に驚いた。
まさか破壊神の件にまでかかわっていたとはジュリーは思いもよらなかったし、その件が大元なのだとは考えもしない。
また、今のところ「パン」というものは神与知識の権利がなければ早々作れない環境になってしまっている。
神与知識の権利の弊害である。そういった意味ではこの世界はいびつな成長の形をしていると言える。
とはいえ「世界」として、まだ始まってもいない準備段階の世界なのだ。多少歪でも問題はないのかもしれない。
なにはともあれ、そんなパンが急に学院の食堂で作られるようになったのは中々の出来事だ。
それにまでミアが関わっているならば、エルセンヌ教授が自分をミアに近づけさせようとしたことも納得できる、と、ジュリーはミアの評価を改める。
そして、ミアを改めて見る。
けれども、ジュリーにはミアは普通の学生にしか見えない。ただの真面目そうな自分以上に貧乏な学生にしか見えない。
「ミア、ほら、気にしない。あれはあっちの自業自得なんだから」
「は、はい……」
スティフィがミアを励ましているのをジュリーが見て、必死に頑張って大変そうと、少し冷めた感情を抱いていると、そこへ新たに二人の人物がやってきた。
そのうちの一人が、おずおずと声をかけてくる。
「あっ、あの…… ぜん…… 全員そろ、そろってますか? な、なんか…… 大人数です…… けども……」
この魔術学院の教授の一人、サリー教授だ。
「サリー教授、おはようございます。ついてきてくださり、ありがとうございます」
ミアが丁寧にお辞儀をして挨拶と礼を述べる。
朽木様と精霊王がいる高原までは、山をいくつか超えていくしかない。
生徒だけで行かせられるところではない。
ただ普通なら助教授が請け負う話なのだが、今回は事情が事情なだけにサリー教授がその案内役を買って出てくれていた。
「い、いえ、良いんです。こ、これも…… 仕事の…… うちですし…… えっ、えっと、私はサリー・マサリーって言います。主に自然魔術の…… 教授をやらさせて頂いています……
あと魔術具の作成なんかも…… ですね、してます…… ね…… こ、この機会に、良ければ私の…… 講義も受けて…… ください…… なんて。で、こ、こちらが……」
おずおずと自己紹介をし、隣にいるまだ若い、恐らくは二十代後半の男性を指さす。
「インラム・スミスです。サリー教授の下で助教授をしています。六人と使い魔一体ですか、これまた朽木様に会いに行くというのに大人数ですね」
インラムはテキパキと挨拶をして、ここに集まっている人数が予想よりも多いことに驚いていた。
事前に聞いていた話では、ダーウィック教授の使いが一人同行するという話だったのだが、実際にはさらに二人も人数が増えている。
「ミアの人徳よね」
と、スティフィがミアにまとわりついてそう言うと、
「私の人徳…… ではないと思うのですけれど?」
まとわりつかれたミアは全く気にせずに素直に答えた。
「あっ、あの、インラムさん……」
サリー教授が目で頼るように訴えながらインラムを見つめながらもじもじと言うと、インラムは手馴れているのかすぐに理解する。
「はい、事前説明ですね。僕がいたします。えっと、もう知ってはいると思いますが、精霊王と朽木様がいる高原までは山道を順調に進んで五日ほど歩く距離があります。一応途中までは整備されている山道はありますが、後半はほぼ獣道のような道となりますので覚悟しておいてください。後ですね、裏山にはいない熊や虎と言った猛獣も生息していますので注意してください。その代わり精霊王の領域なので外道などは居ません。獣除けの護符は用意してあるので出会うことはないと思いますが、念のため注意してくださいね」
インラムはそこまで一息で説明して、一呼吸を置いてからさらにつづけた。
「後は…… そうですね、一応は聞いておきますが精霊に嫌われている方とかいますか?」
「はい」
と、スティフィが返事をして静かに挙手した。
自然とスティフィにその場にいた者、全員の視線が集まる。
「え? 理由をお聞きしても?」
インラムはなぜそのような人物が同行するのか不思議であったが、彼女が信仰している宗教を考えれば色々と事情があるのだろうと深く考えるのをやめた。
なるべくならば深い関わり合いを持ちたくはない、とも態度には出さないが考えている。
「はぐれ精霊と争ったことがあり、その時の精霊は剥がしてもらったんですが、それ以降どうも精霊には余り好かれていないようになっているようで。私も最近、カール教授経由で教えてもらった、というよりは注意されて知ったんですけどね、どうも精霊自体に嫌われてしまっているらしいです」
「な、なるほど…… はぐれ精霊と争って無事なのは凄いですね……」
と、インラムは信じられない、と言った感じだ。少なくともはぐれ精霊と渡り合えるような人間がなぜ生徒をしているのかわからない。
「無事じゃないですよ、色々あった結果、左手がまともに動かなくなりました」
狩り手であるならば隠しておかなければならないことだが、もう自分は狩り手と呼ばれる懲罰部隊ではない。
言ってしまっても問題ない、もうあの頃の自分とは違う、とばかりにスティフィはそう言った。
「え? そ、それは大変でしたね…… では、ええっと……」
インラムは、目の前の生徒の左手が動かないっていうことに、どうしたらいいかわからない。
「スティフィです。スティフィ・マイヤー」
戸惑っているのを名前でもわからないのかと思ったスティフィが名前を名乗る。
「はい、ありがとうございます。スティフィさんだけは、そうですね。ええっと、たしか…… 護衛役との話でしたよね? え? 護衛役なんですか?」
インラムは事前に貰っていた資料に目を通しながら答えようとしたが、スティフィの項目にある「護衛役」という文字に驚く。
生徒が生徒の護衛をする、しかも左手が不自由な生徒がだ。
優秀ながらも平和で平凡な人生を歩んできたインラムからしたら理解できない話だ。
だが、これもデミアス教ということを考えると納得できなくはないし、急に参加する二人も装備を見ればその所属がわかる。男の方は騎士隊、恐らくは訓練生で、女の方は輝く大地の教団所属のようだ。
どちらもまだ学生の身分だが騎士隊と輝く大地の教団の人間が参加するからには、このミアという少女に何かしらの理由があるのだろう、と推測できる。
そもそも精霊王ではなく朽木様に会いに行く、というところからして少しきな臭い話だ。インラムはやはり深く考えるのをやめた。
触らぬ神に祟りなし、それだけは確かなことだ。
「ええ、親友兼護衛役です」
スティフィが自信をもって発言する。
それにインラムは若干引きつつも、なるべくは顔に出さないようにだけは努力する。
「わ、わかりました。けれども、はぐれ精霊とはいえ精霊と因縁のある方を精霊王に合わせるのは危険ですので、第四野営地で待機していただくと言うことでいいですか?」
「まあ、それは…… したかがないわね。私がついていくことでミアに危険が及ぶって話なら……」
スティフィが護衛役として役に立つのはあくまで人間相手の話だ。
相手が古老樹や精霊王ともなると人間ではできることなどなにもない。
なら、できる限り相手のご機嫌を損なうことをしないことのほうが重要となってくる。
「あ、あの…… インラムさん。朽木様に会い…… に…… 行くのは…… 私と…… ミアさんだけで…… 精霊王も朽木様も…… 大勢で会いに行くのは…… 余り…… ですので……」
サリー教授がオロオロとしながらそう言ってくる。
「はい、教授。では教授とミアさんだけ精霊王のところへと、言うことで残りは第四野営地で待機ですね」
表情には出さないがインラムは、精霊王はともかく朽木様と会わずに済んだことを喜ばずにはいられない。
なんなら本来は小躍りして喜びたいくらいの話だ。
この地で生まれ育ったインラムにとっては朽木様は昔話で聞かされるような恐怖の対象でしかない。
「はい…… それでおねがい…… します……」
「では、忘れ物はないですか? 道は整備されいますが距離は一番ありますので、早速出発したいのですが。細かいことは道中話しますので。今日は第一野営地を目指しますよ。今から出ても三時過ぎくらいですね、到着できるのは。到着した後も野営地の手入れもしないといけないのでそのつもりでお願いします」
インラムはこの奇妙な同行者たちに、何とも言えない不安を感じつつも、初日は危険な場所はほとんどない、と自分を自分で安心させた。
それに改めて見回しても、全員旅慣れているのか装備はしっかりしているように思える。それだけは安心だ。
「あっ、皆さん、荷物は荷物持ち君の引く荷車に乗せてくださいね。ただかなり揺れるのでしっかり括りつけておいてください」
が、ミアが言ったその言葉にインラムは不安を覚える。
確かに使い魔とはいえ古老樹に何をさせているんだ、そもそもなんだその名前は、と心の中で突っ込みを入れ再度朽木様に会わずにいられることを喜ぶ。
これからその古老樹の親に、神の指示とはいえ使い魔としてしまったことを許しを乞いに行くというのには不安を隠せないでいる。
インラムは自分が第四野営地までの付き添いで良い事を心の中で神に感謝した。
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