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解決
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ジュノの腕の中は毛皮に包まれていてあたたかいけれど、エルシャはほとんど裸だ。ジュノが貸してくれた上着も、寒い銀狼国で着られているものだから、造りはあたたかい。
ジュノはエルシャを抱き上げ、自分は椅子に座り、エルシャを膝の上に抱えて自分の服でも包み込んであたため始めた。
「あの、ジュノ殿……」
「なんだ」
「ここまでしなくても、その、焚火があるのでなんとか……」
「だめだ。人族は寒さに弱いのだろう。
エルシャ殿に万一のことがあったらどうする」
「いえ、あの、誰かを待っているのはわかりましたから、あの、この上着だけでも充分あたたかいです」
ジュノは、本当は一刻も早くエルシャを連れて帰りたかったが、後に到着する予定の部隊を待っていなければならないと言った。
ルーファスの部隊を待っているのだろうとは思うが、到着したときにこの格好だとさすがに王の威厳がない。
「そういえば、ジュノ殿はどうしてここがわかったんですか?
ここ、銀狼国の領地ですよね?」
「エルシャ殿の匂いを辿ってきた。
確かにここは銀狼国だ。
ルーファスの考えにはあったようだな。
これだけ探しても見つからないとなると、もしかすると銀狼国側に隠し場所があるのかもしれないと言っていた。
だから、銀狼国をよく知る俺と情報を共有していた。
そんなときにエルシャ殿が攫われたのだ。
馬や人族の足では遅いと思ったので、俺が独りで匂いを辿って追った」
「匂い……、俺の……。
お、覚えてたんですか?」
「当然だ。
愛しい者の匂いも嗅ぎ分けられないようでは狼獣人失格だからな」
愛しい者。何度も心の中で反芻しては、胸と喉がきゅうと締め付けられる感覚がする。
ふいに、洞窟の出入口付近から賑やかな音や声がする。
何頭もの馬の蹄やいななく声、男たちの命令する声や軍隊靴の足音。
「来たな」
「あ、降ります、ありが……うわっ!」
ジュノは片腕にエルシャを腰かけさせるような恰好のまま、持ち上げた。
「ちょ、ジュノ殿、降ろしてください……!
さすがにルーファスたちに見られるのは恥ずかしいです……!」
「ん? ルーファス?」
ん? あれ? ルーファスの部隊じゃなかったのだろうか。
そう一瞬考えたときだった。
「おう、此度はご苦労であったな、ジュノ」
「陛下まで来られたのですか。
本当に貴方は……、近衛騎士たちを困らせないでください」
へい、か……?
エルシャがその言葉の意味を理解するより早く、真っ白な被毛に簡易の鎧を着け、悠々とした巨躯で洞窟に現れたのは、まさしく銀狼国の現国王陛下、その人だった。
「これはエルシャ殿、随分とジュノと親しくなったようだな。
良かったじゃないか」
エルシャはしばしの思考停止から抜け出して、己の今の格好を見下ろした。
野盗に服を切り裂かれた為にほとんど裸の上にジュノの上着だけを羽織り、ジュノに抱きかかえられている。
「ぎ、ぎゃああああ!
お、降ろしてください! ジュノ殿! はや、早くっ!」
「こら、暴れるな、エルシャ殿。
わかった、わかったから。
挨拶し終わったらまた抱えるぞ」
のんびりと好き勝手なことを言いながらも、渋々と下に降ろしてくれた。
「も、申し訳ありません! 白狼王!
このようなお見苦しい恰好のまま陛下の御前に立つこと、深くお詫び致します」
なんとか、言葉だけでも取り繕う。しかし、恰好は上着の下から素足が伸びている。
「よいよい、エルシャ殿。
ここは我が宮殿でもなければ、謁見の広間でもない。
ここは一つ、お互いに王の冠を今だけ降ろしてみようではないか」
「……は、はい。
しかし、勝手に貴国の領地に入ったこともお詫び申し上げなければ……。
この後始末は、国に戻り次第すぐにでも致しますゆえ……」
「だから言っておろう。
このような僻地の洞窟で会ったことは、お互いになかったことに致そうじゃないか。
おかしいだろう? 隣国の王と、その国の王が洞窟で鉢合わせなど、エルフ共にでも知られたら良い笑い種よ。
そんなことよりも、貴殿の素足は目に毒よな。
ジュノは自分の雌の肌をいつまでもほかの雄の前に晒しておくのか?」
「父上!」
ち、ちうえ……?
再び、言葉の意味を図りかねて、思考停止に陥ったエルシャを抱きかかえ、ジュノが自分のシャツで足を隠す。
「いくらこの場が無礼講とはいえ、そのような言い回しはお控えください。
エルシャ殿は父上とは比べ物にならないほどに純粋で無垢な王であらせられる」
「確かに、純粋で無垢であろうな。
マーキングもまだなのか。
エルシャ殿からお前の匂いが一向にせん」
白狼王が鼻をふんふんと鳴らし、エルシャ付近の空気を嗅ぐ。
「父上」
静かに怒気を孕んだ声でジュノが言葉少なに窘める。
「なんだ、お前、本命には奥手なタイプか?」
「父上!」
ついにジュノの怒声が響く。
「敵国の王に仕えるなら筋を通せと仰ったのは父上でしょう。
お望み通り、隠されていた鉄鋼を見つけました。
これで、協定書通りの割合で計算通りの鉄鋼が銀狼国に入るでしょう。
俺は晴れてサライの近衛兵として志願できますな、エルシャ殿?」
「あ、はい……え?」
白狼王はすでに、そこらの空き樽の椅子にどっしりと腰かけ、鉄鋼は一緒に来ていたと思われる部隊の獣人たちによって次々と運び出されている。
つまり、このほとんど裸にジュノの上着だけを羽織りジュノに抱っこだれている隣国の王を、皆が見ているということだ。
そして、現国王とジュノとの会話も。
「あの……、俺、一人だけ話が見えていないのですが……」
ついに、エルシャは恥を忍んで説明を求めた。
「なんだ、お前なにも話しておらんかったのか」
白狼王がジュノを見ると、ジュノはすっと目を逸らした。
「それを儂が全てここで言ってしまうのも野暮というもの。
そこの頭の固い頑固者に寝物語にでも聞かせてもらえばよい」
「ね、ねもの…………っ!」
エルシャは顔を真っ赤にする。
なにが悲しくて国交を結んだばかりの他国の王に自分の閨事の話をされなければならないのか。しかも、相手は、その……息子、なのだ。
「これだけは言わせてもらおう、人の王よ。
そやつは正真正銘、儂のせがれ、銀狼国の王太子よ。
だがな、そやつは昔から王位を継ぐことなどとんと興味がなくてな。
何事もそつなくこなすが自分の欲、願望というものがない。そんな獣人には王など無理な話。
だが、此度の休戦協定を結ぶことが確実となった折に、初めて己の我儘らしい我儘を言いよった。
なんだと思う?
休戦協定を結んだ国の王に仕えたい、護衛として傍で守ってやりたい、だと」
ジュノの顔を見上げる。しかし、いつもの無表情でまっすぐ前を見るジュノの横顔しか見ることができなかった。
「エルシャ殿、それはな、照れとるだけだ」
「……え?」
「父上!」
グルルルル、と頭上から唸り声が聞こえる。
「人族にはまだよく獣人の表情が読めんかもしれんな。
まあ、そいつは獣人の中でも無愛想な方だが。
親の儂が言うのもなんだが、顔も良けりゃ腕は立つし真面目で浮いた噂の一つも流せんとくれば、言い寄る雌も求婚もそれは多くて」
「きっ、求婚……」
眉を寄せて俯いてしまったエルシャに慌ててジュノが言葉を重ねる。
「全て断っている! 俺が愛しているのはエルシャ殿だけだ!」
その言葉がまたさらに恥ずかしさでエルシャを俯かせていることにジュノは気付いていない。
「とまあ、このように無粋なせがれだが、有能で使える雄だ、よろしく頼む、エルシャ殿」
「! は、はい、こちらこそ……!」
「父上、そろそろ運び出し作業も終わろうとしてます。
早く行って指示を出された方がよろしいのでは?
本当になんのために来たんですか、貴方は……」
ふと見ると、獣人たちが運び出す鉄鋼も、残り少なくなってきている。それを確認して、白狼王も腰を上げた。
「なんだ、せっかちな奴め。
可愛い息子ができたんだ、話くらいさせよ」
「父上」
「わかった、わかった。
そう言えば、あそこに転がっておるぼろ雑巾のような人間どもはこちらで拷問にかけたらいいのか?」
「いえ、あれは私が」
ジュノの一段低くなった声には、未だ怒りが含まれていて、白狼王も息子の本気の怒りを感じ取り、銀狼国側では手出し無用となった。
洞窟を出ると空は晴れ渡っているのに吹雪が舞っているという空模様で、万年雪はきらきらと陽光を反射させて眩しい。
鉄鋼は何台ものソリに積み込まれていて、それを巨大な馬が引いていくようだ。
「ルーファス殿とやらに引き渡せばいいんだな」
「はい、国境のジュリスで待っているはずです」
「わかった」
白狼王の率いるソリの部隊が行ってしまうと、そこにはジュノとエルシャと一頭の馬、そして一台のソリだけが残った。
「すまなかったな、王がうるさくて」
「いえ、本当に気さくに話してくださって。
きっと攫われてここで酷い目にあったと思われる私を気遣ってくださったのでしょう」
「……そうか? 父は本当にただ単にエルシャ殿と話をしたかっただけだと思うぞ?」
玉座と謁見の広間という場所から離れたところで語らうあの獣人はとても陽気で気さくな、ジュノという息子を愛する、ただの父親だった。
エルシャの父であった先王にはないものだった。
エルシャはそれが少し、羨ましかった。
「ジュノ殿はどのようにしてこんな頂上近いところまであんなに早く来られたんです?」
「獣化して走ってきた」
「え、」
獣人にはもう一つの姿があり、獣そのものの姿だ。獣人たちは獣の姿こそ本来の姿、本来の力を発揮できる姿として、誇りを持っている。
しかし、あの姿になれば、その後の反動が大きいと聞く。獣の本能や感情が強くなりすぎ、人から離れてしまう。本能のままに生きることをその獣人個人が状況や理性で許してしまった場合、獣人への戻り方を忘れてしまうのだという。
あの洞窟内でジュノは人を殺しかけた。それは、エルシャのことが心配で、自分を責めて、必死で探して走ってきた結果、怒りに我を忘れて憎い相手を殺すという本能が強くなり過ぎたのだろう。
獣化するということは獣人にとってリスクもあるものだった。
「俺のために……申し訳ありませんでした」
「なにを言う。
自分の大事なものが奪われて壊された後で後悔しても、もう理性を保った獣人ではいられないだろう。
その犯人を喰い殺し、獣として生きる。
エルシャ殿が居なくなった世界で人の理性を持って生きようとは思わん」
「ジュノ殿……」
あのときのジュノの様子は思い出しただけで哀しくなる。
別に獣になることが哀しいわけではない。
獣になれば忘れられるのでは、と縋ってしまうほどの痛みや哀しみをジュノが感じてしまうことが哀しい。
もしかすると自分がそんな取り返しのつかない哀しみをジュノに与えてしまっていたかもしれないと思うと、本当に、軽率な行動を深く反省した。
洞窟で倒れて息も絶え絶えの男たち三人を縄で縛り、ソリに乗せる。
エルシャはジュノの懐に抱かれて、馬に乗った。
ルーファスはジュリスに居るらしいので、一先ずジュリスに向かう。
イェドの隣町で、実際に国境に接しているのはジュリスだ。
エルシャの匂いが国境を超えて行ったとわかったときに、ルーファスはエルシャを助け出す役割をジュノに譲ったらしい。
サライの兵が、たとえ自国の国王を助け出すためだからといって、国境を勝手に超えるなどあってはならない。エルシャが無事に助け出されようと、後々国際問題に発展しかねない。
だから、もともと銀狼国の獣人であるジュノがそのまま匂いを追いかけたのだ。
銀狼国側へはジュノが火急の伝令を飛ばした。
鉄鋼が隠されている可能性がある、という建前でエルシャを探しに入国する、と連絡しておいた。
あんなに早く鉄鋼の回収に銀狼国の小隊が到着できたのもその為だ。
ジュリスに着くと、ルーファスにも縋りつかれて叱られて、泣かれた。
「すまなかった。
怪我をした衛兵と案内を頼んでいたこの町の人は大丈夫だっただろうか」
「なにを仰っているのです、陛下!
この期に及んで人の心配ですか!
両者とも無事で、医者による治療も終わってますよ!
あとは、陛下だけです!」
そう怒りはしたが、ジュノに抱えられて馬から降りたエルシャがほとんど裸だった姿を見たとき、青ざめて、すぐに人払いと風呂の用意を頼んでくれた。
エルシャの身体を調べるのが自分で良いか、それとも見知らぬ医者が見ても良いか、などとても気を遣ってくれた。
しかし、服は破られはしたが、すんでのところでジュノが助けてくれたから無事だったと言うと、泣かれたのだ。
ルーファスは、以前にもエルシャとはぐれたが為にエルシャの命を危険に晒したという負い目を勝手に持っているようなので、これでまた心配性と過保護が激しくなるのだろう。
しかし、それもある程度は甘んじて受けてあげるべきだとジュノは言った。
曰く、
「自分が守ると誓った大事な人を守れなかったときの騎士は己が死ぬより辛いもので、自分の存在価値そのものが揺らぐほどのことだ」
らしいので、騎士には守らせてやらねばならない。
ジュノはエルシャを抱き上げ、自分は椅子に座り、エルシャを膝の上に抱えて自分の服でも包み込んであたため始めた。
「あの、ジュノ殿……」
「なんだ」
「ここまでしなくても、その、焚火があるのでなんとか……」
「だめだ。人族は寒さに弱いのだろう。
エルシャ殿に万一のことがあったらどうする」
「いえ、あの、誰かを待っているのはわかりましたから、あの、この上着だけでも充分あたたかいです」
ジュノは、本当は一刻も早くエルシャを連れて帰りたかったが、後に到着する予定の部隊を待っていなければならないと言った。
ルーファスの部隊を待っているのだろうとは思うが、到着したときにこの格好だとさすがに王の威厳がない。
「そういえば、ジュノ殿はどうしてここがわかったんですか?
ここ、銀狼国の領地ですよね?」
「エルシャ殿の匂いを辿ってきた。
確かにここは銀狼国だ。
ルーファスの考えにはあったようだな。
これだけ探しても見つからないとなると、もしかすると銀狼国側に隠し場所があるのかもしれないと言っていた。
だから、銀狼国をよく知る俺と情報を共有していた。
そんなときにエルシャ殿が攫われたのだ。
馬や人族の足では遅いと思ったので、俺が独りで匂いを辿って追った」
「匂い……、俺の……。
お、覚えてたんですか?」
「当然だ。
愛しい者の匂いも嗅ぎ分けられないようでは狼獣人失格だからな」
愛しい者。何度も心の中で反芻しては、胸と喉がきゅうと締め付けられる感覚がする。
ふいに、洞窟の出入口付近から賑やかな音や声がする。
何頭もの馬の蹄やいななく声、男たちの命令する声や軍隊靴の足音。
「来たな」
「あ、降ります、ありが……うわっ!」
ジュノは片腕にエルシャを腰かけさせるような恰好のまま、持ち上げた。
「ちょ、ジュノ殿、降ろしてください……!
さすがにルーファスたちに見られるのは恥ずかしいです……!」
「ん? ルーファス?」
ん? あれ? ルーファスの部隊じゃなかったのだろうか。
そう一瞬考えたときだった。
「おう、此度はご苦労であったな、ジュノ」
「陛下まで来られたのですか。
本当に貴方は……、近衛騎士たちを困らせないでください」
へい、か……?
エルシャがその言葉の意味を理解するより早く、真っ白な被毛に簡易の鎧を着け、悠々とした巨躯で洞窟に現れたのは、まさしく銀狼国の現国王陛下、その人だった。
「これはエルシャ殿、随分とジュノと親しくなったようだな。
良かったじゃないか」
エルシャはしばしの思考停止から抜け出して、己の今の格好を見下ろした。
野盗に服を切り裂かれた為にほとんど裸の上にジュノの上着だけを羽織り、ジュノに抱きかかえられている。
「ぎ、ぎゃああああ!
お、降ろしてください! ジュノ殿! はや、早くっ!」
「こら、暴れるな、エルシャ殿。
わかった、わかったから。
挨拶し終わったらまた抱えるぞ」
のんびりと好き勝手なことを言いながらも、渋々と下に降ろしてくれた。
「も、申し訳ありません! 白狼王!
このようなお見苦しい恰好のまま陛下の御前に立つこと、深くお詫び致します」
なんとか、言葉だけでも取り繕う。しかし、恰好は上着の下から素足が伸びている。
「よいよい、エルシャ殿。
ここは我が宮殿でもなければ、謁見の広間でもない。
ここは一つ、お互いに王の冠を今だけ降ろしてみようではないか」
「……は、はい。
しかし、勝手に貴国の領地に入ったこともお詫び申し上げなければ……。
この後始末は、国に戻り次第すぐにでも致しますゆえ……」
「だから言っておろう。
このような僻地の洞窟で会ったことは、お互いになかったことに致そうじゃないか。
おかしいだろう? 隣国の王と、その国の王が洞窟で鉢合わせなど、エルフ共にでも知られたら良い笑い種よ。
そんなことよりも、貴殿の素足は目に毒よな。
ジュノは自分の雌の肌をいつまでもほかの雄の前に晒しておくのか?」
「父上!」
ち、ちうえ……?
再び、言葉の意味を図りかねて、思考停止に陥ったエルシャを抱きかかえ、ジュノが自分のシャツで足を隠す。
「いくらこの場が無礼講とはいえ、そのような言い回しはお控えください。
エルシャ殿は父上とは比べ物にならないほどに純粋で無垢な王であらせられる」
「確かに、純粋で無垢であろうな。
マーキングもまだなのか。
エルシャ殿からお前の匂いが一向にせん」
白狼王が鼻をふんふんと鳴らし、エルシャ付近の空気を嗅ぐ。
「父上」
静かに怒気を孕んだ声でジュノが言葉少なに窘める。
「なんだ、お前、本命には奥手なタイプか?」
「父上!」
ついにジュノの怒声が響く。
「敵国の王に仕えるなら筋を通せと仰ったのは父上でしょう。
お望み通り、隠されていた鉄鋼を見つけました。
これで、協定書通りの割合で計算通りの鉄鋼が銀狼国に入るでしょう。
俺は晴れてサライの近衛兵として志願できますな、エルシャ殿?」
「あ、はい……え?」
白狼王はすでに、そこらの空き樽の椅子にどっしりと腰かけ、鉄鋼は一緒に来ていたと思われる部隊の獣人たちによって次々と運び出されている。
つまり、このほとんど裸にジュノの上着だけを羽織りジュノに抱っこだれている隣国の王を、皆が見ているということだ。
そして、現国王とジュノとの会話も。
「あの……、俺、一人だけ話が見えていないのですが……」
ついに、エルシャは恥を忍んで説明を求めた。
「なんだ、お前なにも話しておらんかったのか」
白狼王がジュノを見ると、ジュノはすっと目を逸らした。
「それを儂が全てここで言ってしまうのも野暮というもの。
そこの頭の固い頑固者に寝物語にでも聞かせてもらえばよい」
「ね、ねもの…………っ!」
エルシャは顔を真っ赤にする。
なにが悲しくて国交を結んだばかりの他国の王に自分の閨事の話をされなければならないのか。しかも、相手は、その……息子、なのだ。
「これだけは言わせてもらおう、人の王よ。
そやつは正真正銘、儂のせがれ、銀狼国の王太子よ。
だがな、そやつは昔から王位を継ぐことなどとんと興味がなくてな。
何事もそつなくこなすが自分の欲、願望というものがない。そんな獣人には王など無理な話。
だが、此度の休戦協定を結ぶことが確実となった折に、初めて己の我儘らしい我儘を言いよった。
なんだと思う?
休戦協定を結んだ国の王に仕えたい、護衛として傍で守ってやりたい、だと」
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「エルシャ殿、それはな、照れとるだけだ」
「……え?」
「父上!」
グルルルル、と頭上から唸り声が聞こえる。
「人族にはまだよく獣人の表情が読めんかもしれんな。
まあ、そいつは獣人の中でも無愛想な方だが。
親の儂が言うのもなんだが、顔も良けりゃ腕は立つし真面目で浮いた噂の一つも流せんとくれば、言い寄る雌も求婚もそれは多くて」
「きっ、求婚……」
眉を寄せて俯いてしまったエルシャに慌ててジュノが言葉を重ねる。
「全て断っている! 俺が愛しているのはエルシャ殿だけだ!」
その言葉がまたさらに恥ずかしさでエルシャを俯かせていることにジュノは気付いていない。
「とまあ、このように無粋なせがれだが、有能で使える雄だ、よろしく頼む、エルシャ殿」
「! は、はい、こちらこそ……!」
「父上、そろそろ運び出し作業も終わろうとしてます。
早く行って指示を出された方がよろしいのでは?
本当になんのために来たんですか、貴方は……」
ふと見ると、獣人たちが運び出す鉄鋼も、残り少なくなってきている。それを確認して、白狼王も腰を上げた。
「なんだ、せっかちな奴め。
可愛い息子ができたんだ、話くらいさせよ」
「父上」
「わかった、わかった。
そう言えば、あそこに転がっておるぼろ雑巾のような人間どもはこちらで拷問にかけたらいいのか?」
「いえ、あれは私が」
ジュノの一段低くなった声には、未だ怒りが含まれていて、白狼王も息子の本気の怒りを感じ取り、銀狼国側では手出し無用となった。
洞窟を出ると空は晴れ渡っているのに吹雪が舞っているという空模様で、万年雪はきらきらと陽光を反射させて眩しい。
鉄鋼は何台ものソリに積み込まれていて、それを巨大な馬が引いていくようだ。
「ルーファス殿とやらに引き渡せばいいんだな」
「はい、国境のジュリスで待っているはずです」
「わかった」
白狼王の率いるソリの部隊が行ってしまうと、そこにはジュノとエルシャと一頭の馬、そして一台のソリだけが残った。
「すまなかったな、王がうるさくて」
「いえ、本当に気さくに話してくださって。
きっと攫われてここで酷い目にあったと思われる私を気遣ってくださったのでしょう」
「……そうか? 父は本当にただ単にエルシャ殿と話をしたかっただけだと思うぞ?」
玉座と謁見の広間という場所から離れたところで語らうあの獣人はとても陽気で気さくな、ジュノという息子を愛する、ただの父親だった。
エルシャの父であった先王にはないものだった。
エルシャはそれが少し、羨ましかった。
「ジュノ殿はどのようにしてこんな頂上近いところまであんなに早く来られたんです?」
「獣化して走ってきた」
「え、」
獣人にはもう一つの姿があり、獣そのものの姿だ。獣人たちは獣の姿こそ本来の姿、本来の力を発揮できる姿として、誇りを持っている。
しかし、あの姿になれば、その後の反動が大きいと聞く。獣の本能や感情が強くなりすぎ、人から離れてしまう。本能のままに生きることをその獣人個人が状況や理性で許してしまった場合、獣人への戻り方を忘れてしまうのだという。
あの洞窟内でジュノは人を殺しかけた。それは、エルシャのことが心配で、自分を責めて、必死で探して走ってきた結果、怒りに我を忘れて憎い相手を殺すという本能が強くなり過ぎたのだろう。
獣化するということは獣人にとってリスクもあるものだった。
「俺のために……申し訳ありませんでした」
「なにを言う。
自分の大事なものが奪われて壊された後で後悔しても、もう理性を保った獣人ではいられないだろう。
その犯人を喰い殺し、獣として生きる。
エルシャ殿が居なくなった世界で人の理性を持って生きようとは思わん」
「ジュノ殿……」
あのときのジュノの様子は思い出しただけで哀しくなる。
別に獣になることが哀しいわけではない。
獣になれば忘れられるのでは、と縋ってしまうほどの痛みや哀しみをジュノが感じてしまうことが哀しい。
もしかすると自分がそんな取り返しのつかない哀しみをジュノに与えてしまっていたかもしれないと思うと、本当に、軽率な行動を深く反省した。
洞窟で倒れて息も絶え絶えの男たち三人を縄で縛り、ソリに乗せる。
エルシャはジュノの懐に抱かれて、馬に乗った。
ルーファスはジュリスに居るらしいので、一先ずジュリスに向かう。
イェドの隣町で、実際に国境に接しているのはジュリスだ。
エルシャの匂いが国境を超えて行ったとわかったときに、ルーファスはエルシャを助け出す役割をジュノに譲ったらしい。
サライの兵が、たとえ自国の国王を助け出すためだからといって、国境を勝手に超えるなどあってはならない。エルシャが無事に助け出されようと、後々国際問題に発展しかねない。
だから、もともと銀狼国の獣人であるジュノがそのまま匂いを追いかけたのだ。
銀狼国側へはジュノが火急の伝令を飛ばした。
鉄鋼が隠されている可能性がある、という建前でエルシャを探しに入国する、と連絡しておいた。
あんなに早く鉄鋼の回収に銀狼国の小隊が到着できたのもその為だ。
ジュリスに着くと、ルーファスにも縋りつかれて叱られて、泣かれた。
「すまなかった。
怪我をした衛兵と案内を頼んでいたこの町の人は大丈夫だっただろうか」
「なにを仰っているのです、陛下!
この期に及んで人の心配ですか!
両者とも無事で、医者による治療も終わってますよ!
あとは、陛下だけです!」
そう怒りはしたが、ジュノに抱えられて馬から降りたエルシャがほとんど裸だった姿を見たとき、青ざめて、すぐに人払いと風呂の用意を頼んでくれた。
エルシャの身体を調べるのが自分で良いか、それとも見知らぬ医者が見ても良いか、などとても気を遣ってくれた。
しかし、服は破られはしたが、すんでのところでジュノが助けてくれたから無事だったと言うと、泣かれたのだ。
ルーファスは、以前にもエルシャとはぐれたが為にエルシャの命を危険に晒したという負い目を勝手に持っているようなので、これでまた心配性と過保護が激しくなるのだろう。
しかし、それもある程度は甘んじて受けてあげるべきだとジュノは言った。
曰く、
「自分が守ると誓った大事な人を守れなかったときの騎士は己が死ぬより辛いもので、自分の存在価値そのものが揺らぐほどのことだ」
らしいので、騎士には守らせてやらねばならない。
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実は俺には秘密があって、前世の記憶があるんだ。日本という島国で暮らす一般人(サラリーマン)だったよな。事故で死んでしまったけど、今は転生して自由気ままに生きている。
一人で生きるようになって数十年。過去の人間達とはすっかり縁も切れてこのまま独身を貫いて生きていくんだろうなと思っていた矢先、事件が起きたんだ!
前世持ち特級Sランク冒険者(α)とヤンデレストーカー化した幼馴染(α→Ω)の追いかけっ子ラブ?ストーリー。
!注意!
初のオメガバース作品。
ゆるゆる設定です。運命の番はおとぎ話のようなもので主人公が暮らす時代には存在しないとされています。
バースが突然変異した設定ですので、無理だと思われたらスッとページを閉じましょう。
!ごめんなさい!
幼馴染だった王子様の嘆き3 の前に
復活した俺に不穏な影1 を更新してしまいました!申し訳ありません。新たに更新しましたので確認してみてください!
宰相閣下の執愛は、平民の俺だけに向いている
飛鷹
BL
旧題:平民のはずの俺が、規格外の獣人に絡め取られて番になるまでの話
アホな貴族の両親から生まれた『俺』。色々あって、俺の身分は平民だけど、まぁそんな人生も悪くない。
無事に成長して、仕事に就くこともできたのに。
ここ最近、夢に魘されている。もう一ヶ月もの間、毎晩毎晩………。
朝起きたときには忘れてしまっている夢に疲弊している平民『レイ』と、彼を手に入れたくてウズウズしている獣人のお話。
連載の形にしていますが、攻め視点もUPするためなので、多分全2〜3話で完結予定です。
※6/20追記。
少しレイの過去と気持ちを追加したくて、『連載中』に戻しました。
今迄のお話で完結はしています。なので以降はレイの心情深堀の形となりますので、章を分けて表示します。
1話目はちょっと暗めですが………。
宜しかったらお付き合い下さいませ。
多分、10話前後で終わる予定。軽く読めるように、私としては1話ずつを短めにしております。
ストックが切れるまで、毎日更新予定です。
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