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プロローグ
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吹雪の森の中を必死で馬を走らせる。
木々の間から狼の姿が見え隠れする。一頭だけではない。右にも左にも、馬のすぐ後ろにも迫ってきている。
とうに姿を隠して近付いてくるのを止めたようで、木々のあちらこちらに姿を見せてこちらを翻弄する。獲物はまるでたくさんの狼に囲まれているような錯覚を起こす。
馬が怯え進まなくなるのを、必死で鞭をふるい走らせる。止まってしまえば馬も自分も狼の餌だ。
銃を構えてはみるが、ここはもうすでに獣人の国だから狼を殺してしまって戦争を悪化させる懸念が頭を過ぎり撃てない。獣人の国の狼は今まで知っている狼の一回りも二回りも大きく、獣人の獣化した姿なのではとも思ってしまう。
脅し程度の銃声は、狼に見抜かれていた。なんとか逃げ切るしかない。
自分の心臓の音とはあ、はあ、と激しく吐く息だけが大きく聞こえる。
仲間二人ともはぐれてしまった。
「ここで死ぬわけにはいかないんだ……!
必ず会わなければ……!」
吹雪で前が見えないが、それ以前に方向感覚はとっくに狂っていて自分が今どこをどう走っているのかもわかっていない。
一頭の狼が馬の足に飛びかかってきた。
「くそっ!」
銃を撃つ。もし狼に当たっても、ここで自分が死んでは元も子もない。しかし、狼は簡単に避けてまた木の間に隠れてしまう。
今度は反対側から狼が飛び出してくる。銃の乾いた音が木立に響く。
別の狼が今度は馬上の人間の足目掛けて襲いかかってきた。
引き摺り下ろしてしまえば、人間だけでも餌にできるという考えなのだろう。
「うわあっ!」
背後から飛んできた狼が馬上の人間のローブへと爪を引っ掛けた。
馬から振り落されたが深い雪がクッションとなって受け身をとったまま転がる。
ここぞとばかりに狼が四方から飛びかかり大きな身体の重みと爪が肩に食い込む激痛。
狼の開けた口の中の赤がやたら鮮明に見えた瞬間、ふと身体が軽くなった。
上に乗っていた狼が軽々と後方に投げ飛ばされていた。
「……?」
群がっていたほかの狼たちも次々に首ねっこを持って投げ飛ばされ、木に背中をぶつけてぎゃん! と鳴く。
見上げると、大きな狼など比ではないほど大きな人型のシルエットがこちらに背を向けて狼たちの前に立ちはだかっていた。しかし、頭には尖った耳が辺りの気配を窺い、腰にはふさふさとしたしっぽが垂れている。
獣人だ。
そう思った瞬間、その獣人がわずかにこちらを振り向いた。顔は口吻が長く、瞳が煌々と光り、頭や袖口から先の手も暗闇に浮かび上がる白銀の被毛で覆われていて、吹雪の中で白い雪と相まって神々しいほどに美しい。
「悪いな、この時期はみな飢えていてな」
狼たちはぐるぐると不満気に牙を剥いて抗議している。
「これは客人だ、今後見かけても手を出すことは許さん。
後で砦へ来い、羊の肉をわけよう」
獣人の言葉を理解したのか、狼たちは牙を引っ込めて森の奥へと帰っていった。
獣人は振り返り、手を差し出す。その手を恐る恐る掴むと、強い力で引き起こされた。「ありがとう、助かった」
その声はまだ年若い青年のものだった。
ローブはぼろぼろに破れ、フードは脱げてしまっていて、柔らかそうな金髪が暴風に吹かれている。その隙間から見える瞳は澄んだブルーグリーンだ。頭髪以外に肌には被毛がなく、耳は顔の横に付いている。
「人族か。まだ子供じゃないか、戦地から逃げてきたのか?」
獣人の国と人族の国は今戦争中だ。ここは獣人の国の内部であり、人族にとっては敵地だった。
「子供じゃない、もう十六だ。
貴殿の隊服は銀狼国の騎士団のものとお見受けする。
頼みがある……!
そちらの隊長殿と会わせて欲しい!
頼む、決して怪しいものではない。
エルシャーディルという名を伝えてくれ」
「エルシャーディルだと……?」
「そうだ、国王なら名をご存知である!
人族のサライ国と銀狼国との休戦を申し出る書状を預かってきている!
書状にエルシャーディルのサインもある。
銀狼国の国王に取次ぎを願いたい!」
必死で獣人の隊服に取り縋る青年を、獣人の青い目が訝しげに見下ろす。
まかり間違えば、今この場で殺されるかもしれない。しかし、全て覚悟の上で冬の雪山を越えて敵国へ入ってきたのだ。死の覚悟などとうにしている。
このまま戦争が悪化し人族の国が滅びるか、それとも休戦の協定が結ばれまだ国として生き残る手段があるかの分かれ目なのだ。
雪山を越えたときも、国境の警備を突破したときも、狼に襲われたときも、死ななかった。天はまだ、サライに、人族に、チャンスを与えてくれようとしている。
それならば、今ここで、自分が死ぬ道理はないだろう。
いや、たとえば自分が殺されたとて、この獣人が書状を銀狼国の王へ渡してくれさえすれば、誰かがこの密約を進めてくれる。
「頼む。
俺を怪しむのなら捕えて捕虜にでもすればいい。
その代わり、この書状を国王に渡すと約束して欲しい。
俺の命と引き換えに、この書状を渡すと約束してくれ」
「お前、俺は銀狼国の騎士団だぞ。
人族の言葉を信じるとでも思っているのか。
お前をここで殺し、書状など読みもせず破り捨て、越境してきた敵国のスパイを狼の餌にした、と報告を上げるだけかもしれんぞ」
この獣人は信用できる。なぜか、そう直感していた。きっと、この書状を隊長なり国の要人なりに渡してくれる。そう確信していた。
青年をじっと見つめる青い双眸は、戦争時特有の狂気も持たず、人族への憎しみや歪んだ正義感に捕らわれていることもないように見えた。
「貴殿はきっと渡してくれる」
しばらくお互いに睨み合うように相手を見据えた後、獣人が軽くため息をついた。
「……預かろう。
必ず国王の手に渡るよう約束する」
「……ありがとう、ありがとう」
青年は懐から書状を取り出し、獣人の手に握りこませるように手渡した。
「お前はすぐにこの国を出てサライの国境の町ジュリスで待て。
必ずこの書状の返事を持って行かせる」
獣人はそう言って、青年を立たせ、馬まで探して連れてきてくれた。
木々の間から狼の姿が見え隠れする。一頭だけではない。右にも左にも、馬のすぐ後ろにも迫ってきている。
とうに姿を隠して近付いてくるのを止めたようで、木々のあちらこちらに姿を見せてこちらを翻弄する。獲物はまるでたくさんの狼に囲まれているような錯覚を起こす。
馬が怯え進まなくなるのを、必死で鞭をふるい走らせる。止まってしまえば馬も自分も狼の餌だ。
銃を構えてはみるが、ここはもうすでに獣人の国だから狼を殺してしまって戦争を悪化させる懸念が頭を過ぎり撃てない。獣人の国の狼は今まで知っている狼の一回りも二回りも大きく、獣人の獣化した姿なのではとも思ってしまう。
脅し程度の銃声は、狼に見抜かれていた。なんとか逃げ切るしかない。
自分の心臓の音とはあ、はあ、と激しく吐く息だけが大きく聞こえる。
仲間二人ともはぐれてしまった。
「ここで死ぬわけにはいかないんだ……!
必ず会わなければ……!」
吹雪で前が見えないが、それ以前に方向感覚はとっくに狂っていて自分が今どこをどう走っているのかもわかっていない。
一頭の狼が馬の足に飛びかかってきた。
「くそっ!」
銃を撃つ。もし狼に当たっても、ここで自分が死んでは元も子もない。しかし、狼は簡単に避けてまた木の間に隠れてしまう。
今度は反対側から狼が飛び出してくる。銃の乾いた音が木立に響く。
別の狼が今度は馬上の人間の足目掛けて襲いかかってきた。
引き摺り下ろしてしまえば、人間だけでも餌にできるという考えなのだろう。
「うわあっ!」
背後から飛んできた狼が馬上の人間のローブへと爪を引っ掛けた。
馬から振り落されたが深い雪がクッションとなって受け身をとったまま転がる。
ここぞとばかりに狼が四方から飛びかかり大きな身体の重みと爪が肩に食い込む激痛。
狼の開けた口の中の赤がやたら鮮明に見えた瞬間、ふと身体が軽くなった。
上に乗っていた狼が軽々と後方に投げ飛ばされていた。
「……?」
群がっていたほかの狼たちも次々に首ねっこを持って投げ飛ばされ、木に背中をぶつけてぎゃん! と鳴く。
見上げると、大きな狼など比ではないほど大きな人型のシルエットがこちらに背を向けて狼たちの前に立ちはだかっていた。しかし、頭には尖った耳が辺りの気配を窺い、腰にはふさふさとしたしっぽが垂れている。
獣人だ。
そう思った瞬間、その獣人がわずかにこちらを振り向いた。顔は口吻が長く、瞳が煌々と光り、頭や袖口から先の手も暗闇に浮かび上がる白銀の被毛で覆われていて、吹雪の中で白い雪と相まって神々しいほどに美しい。
「悪いな、この時期はみな飢えていてな」
狼たちはぐるぐると不満気に牙を剥いて抗議している。
「これは客人だ、今後見かけても手を出すことは許さん。
後で砦へ来い、羊の肉をわけよう」
獣人の言葉を理解したのか、狼たちは牙を引っ込めて森の奥へと帰っていった。
獣人は振り返り、手を差し出す。その手を恐る恐る掴むと、強い力で引き起こされた。「ありがとう、助かった」
その声はまだ年若い青年のものだった。
ローブはぼろぼろに破れ、フードは脱げてしまっていて、柔らかそうな金髪が暴風に吹かれている。その隙間から見える瞳は澄んだブルーグリーンだ。頭髪以外に肌には被毛がなく、耳は顔の横に付いている。
「人族か。まだ子供じゃないか、戦地から逃げてきたのか?」
獣人の国と人族の国は今戦争中だ。ここは獣人の国の内部であり、人族にとっては敵地だった。
「子供じゃない、もう十六だ。
貴殿の隊服は銀狼国の騎士団のものとお見受けする。
頼みがある……!
そちらの隊長殿と会わせて欲しい!
頼む、決して怪しいものではない。
エルシャーディルという名を伝えてくれ」
「エルシャーディルだと……?」
「そうだ、国王なら名をご存知である!
人族のサライ国と銀狼国との休戦を申し出る書状を預かってきている!
書状にエルシャーディルのサインもある。
銀狼国の国王に取次ぎを願いたい!」
必死で獣人の隊服に取り縋る青年を、獣人の青い目が訝しげに見下ろす。
まかり間違えば、今この場で殺されるかもしれない。しかし、全て覚悟の上で冬の雪山を越えて敵国へ入ってきたのだ。死の覚悟などとうにしている。
このまま戦争が悪化し人族の国が滅びるか、それとも休戦の協定が結ばれまだ国として生き残る手段があるかの分かれ目なのだ。
雪山を越えたときも、国境の警備を突破したときも、狼に襲われたときも、死ななかった。天はまだ、サライに、人族に、チャンスを与えてくれようとしている。
それならば、今ここで、自分が死ぬ道理はないだろう。
いや、たとえば自分が殺されたとて、この獣人が書状を銀狼国の王へ渡してくれさえすれば、誰かがこの密約を進めてくれる。
「頼む。
俺を怪しむのなら捕えて捕虜にでもすればいい。
その代わり、この書状を国王に渡すと約束して欲しい。
俺の命と引き換えに、この書状を渡すと約束してくれ」
「お前、俺は銀狼国の騎士団だぞ。
人族の言葉を信じるとでも思っているのか。
お前をここで殺し、書状など読みもせず破り捨て、越境してきた敵国のスパイを狼の餌にした、と報告を上げるだけかもしれんぞ」
この獣人は信用できる。なぜか、そう直感していた。きっと、この書状を隊長なり国の要人なりに渡してくれる。そう確信していた。
青年をじっと見つめる青い双眸は、戦争時特有の狂気も持たず、人族への憎しみや歪んだ正義感に捕らわれていることもないように見えた。
「貴殿はきっと渡してくれる」
しばらくお互いに睨み合うように相手を見据えた後、獣人が軽くため息をついた。
「……預かろう。
必ず国王の手に渡るよう約束する」
「……ありがとう、ありがとう」
青年は懐から書状を取り出し、獣人の手に握りこませるように手渡した。
「お前はすぐにこの国を出てサライの国境の町ジュリスで待て。
必ずこの書状の返事を持って行かせる」
獣人はそう言って、青年を立たせ、馬まで探して連れてきてくれた。
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