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蛇足
(21)デジレは見た。
しおりを挟む(あれは、ルーカス殿と……えっ、姉上殿!?)
デジレは見た。
親友の義姉と、同僚の騎士が、真昼間のカフェテラスで向かい合い、お茶を楽しんでいる姿を。
(デ、デート!? でも、ルーカス殿はフラれたんじゃなかったのか!?)
道の真ん中で思わず足を止めて立ち止まったのは、デジレだけではないだろう。
あれだけ目立つふたりがテラス席にいるのだから、道行く人々の視線は自然と引き寄せられている。
覗くなといわれても、これは不可抗力に近い。
「ねえ、どうしたの? 早く行こうよ」
「あ、ああ、ごめんね」
そういうデジレもデート中であったため、拗ねた女の子に腕を引かれ真相を確かめる事もできずにその場を後にしたが、ふたりの和やかな光景がしばらく頭を離れなかった。
(まさかルーカス殿がこんなに早く行動に出るとは思わなかったな。先日の寮の風呂場でルーカス殿の背中を押したのは正解だったか。これでうまくいったら、俺って愛のキューピッドじゃん!)
ルーカスには感謝され、クラウドは行き過ぎたシスコンから真っ当な道に戻る。
そして。
(更生したクラウドと一緒なら、可愛い女の子のナンパ成功率が上がる!)
女の子と腕を組みニコニコと笑顔を浮かべてデートをしながら、相変わらずデジレはそんな下衆なことを考えていた。
※※※
「よっ、クラウド!」
デジレが寮に戻るとクラウドが食堂にいたので、早速隣の席を陣取った。
最近の女の子は異様に小食で、デートで彼女に合わせた食事では全く足りなかったデジレにとって本日二度目の夕食である。
「他にも席は空いているが」
「そうだな。でもお前の隣はここだけだから」
「……」
いつもザワザワと賑やかな食堂は、時間をずらせば人もまばらになり落ち着いて食事ができるため、物静かな団員はわざとその時間帯まで食事を遅らせてとる。
今はその時間帯で、この食堂にいるのは適度な距離感を保ち、お互いに干渉しない暗黙のルールを分かっている者だけだ。
例に漏れず出来れば静かに食事をしたい派のクラウドだったが、すでに許可なく隣に座りニコニコと話しかけてくる同僚にこれ以上言っても無駄だと早々に諦めて、黙々と自身の食事を再開した。
「なあ、あの花の子とはどうなってるんだ?」
「……」
「定期的に贈ってるんだろ? そんなに可愛いの?」
「……」
デジレはローストビーフサンドにかぶりつきながら、世間話という名の探りを入れていた。
全く答えてくれないが、そもそも食事中のため仕方ないかとクラウドの表情だけで読み取ることにしている。
(街に一緒に行ったとき、クラウドが花を贈ると言い出したのには驚いたけど、花を選ぶクラウドはすごく優しい目をしてたんだよなぁ。それって、その子をよほど気に入ってるってことだろ)
質問に対してピクリとも動かない表情筋は、おそらく順調の証。
作り物めいた男の顔を横目に「ふうん」とひとり相槌を打った。
まともになったクラウドに掛かれば、落ちない女はまずいないだろうとデジレは思っている。
クラウドは機敏に聡く、意外と細やかに気の回る男だ。その上、今まではミレーヌにだけ発揮されていた情熱を向けられているのなら、きっとそのお目当ての女性だってすでにクラウドに懸想していることだろう。
(驚異のシスコンと名高かったあのクラウドに、こんな日が来るとはなぁ。まあ、姉上殿とはいくら仲が良くても所詮家族だし、恋人としか得られないものの方が遥かに魅力的だもんな)
実に非常に良い傾向だと、クラウドの変化にデジレは密かにほくそ笑んだ。
友人は早く義姉への依存から解き放たれて、恋愛の楽しみを味わうべきだとずっと思っていたのだ。
(だって遊べるのは、今しかないから!!)
そろそろ自分達の年齢なら身を固めてもおかしくはないのだから、将来の事を考えれば遅いくらいだ。
完全にデジレの持論ではあるが、結婚したら嫁の尻に敷かれ、給料は全て取り上げられ、浮気なんてしたら殺される。
その実例として、結婚前はどちらかといえば大人しかったはずのデジレの実姉は今や義兄を顎で使う鬼嫁である。
どんなに可愛くても結婚し子供を産めば女は変わるらしい。
『嫁には決して逆らわない』
『返事はイエスかハイのみだ』
それが家庭円満の秘訣であると遠い目をした義兄が教えてくれた。
(だったら男は自由なうちに楽しんでおくべきだろう。結婚したら嫁だけになるんだから、浮気心は今のうちに満たしておけばいい。将来、真っ当な家庭を築くためにも、今の遊びは必要だと思うんだよなぁ)
物思いに耽っていると、クラウドはいつの間にか食事を終えて席を立とうとした。
デジレは慌ててそれを制す。
「ちょ、ちょっ、待てクラウド! まだ俺の話は終わってないんだ!」
「話?」
「俺はお前を誘いに来たんだよ。ほら、例の花の子とうまくいってんのはわかってるけどさ、たまには違う子とも遊んでみないか?」
「……」
立ち上がったクラウドから見下ろされるように、凍えるほど冷ややかな目を向けられた。侮蔑を含む視線から(何言ってんだこいつ)と思っているのがよく分かる。
クラウドはミレーヌ以外の女性に素っ気無いくせに、根底には意外にもフェミニストなところがあるのだ。きっと自分本位に日替わりで恋愛を楽しむデジレを理解できないのだろう。
しかし、そんなものは想定内。痛くも痒くも無いデジレはニコリと笑顔を返す。
「独身の奴らなんて、みんなそんなもんだって。まだ若いんだし色んな女の子を知って経験を積むのもいいんじゃないか? ひとりに絞るのはいつでもできるし、まあ、浮気はバレなきゃ浮気じゃない」
「お前、いい加減にしないといつか刺されるぞ」
「だぁーいじょうぶだって! 俺は毎日その為に騎士団で鍛えているんだから!」
「そんな事のために……」
クラウドは呆れて溜息を吐いた。
デジレは悪い奴ではない。むしろ男同士であれば面倒見も良く社交的でいい奴だ。
けれど、その反面女にとっては最低極まりない貞操観念の低い男である。
だからこそクラウドはデジレに常々言っている。
「貴様ミレーヌに近づいたらぶっ殺すからな」
と。
今回もお馴染みの言葉を浴びせられたデジレはいい笑顔のまま「もちろんわかってるって!」と軽い調子で頷いた。
「あ! そういえば、姉上殿も順調みたいだな。今日、お前に教えたカフェでふたりがデートしてるのを見て驚いたよ。まあ、クラウドにとって大切な義姉に変わりはないんだろうし、弟としては複雑かもしれないけど、相手がルーカス殿ならお前も安心して……」
そこまで話して、デジレはクラウドの纏う空気がガラリと変わったことに気が付いた。
「ん? なんだ、どうした?」
「……俺が花を贈っているのは、ミレーヌだ」
ぼそりと落とされた呟きの意味を、頭の中で咀嚼する。
(へぇー、花を贈っているのはミレーヌちゃんって言うのか……。姉上殿と同じ名前だ、な……って、え?!)
「は……はいぃい!?」
「そんなに可愛いかと聞いたな? 死ぬほど可愛いに決まってるだろ」
「ミ……っ、え、でもクラウドだって、他の子とデートして」
「俺がミレーヌ以外と? ……ハッ、なんの冗談だ」
(冗談!? それこっちのセリフなんですけど!! ど、どういうこと?! え、じゃあ、クラウドはっ、シスコンを卒業どころか……さ、さらに拗らせてたってこと!!??)
とんでもない誤解をしていたことに気付いてしまったデジレの脳内では、これまでの記憶が走馬灯のように流れ込んできた。
幼い頃の家族旅行、初恋の女家庭教師、歴代の彼女達、クラウドに上から目線でアドバイスしたデートスポットや贈る花、そしてルーカスへのお節介と要らん後押し……
(いやぁあぁあこれ死ぬ前に流れるやつぅうぅ……っっっ!!!!)
「で。ミレーヌと、ルーカスが、なんだって……?」
デジレは恐る恐る声のした方へ顔を向け、その表情に凍りついた。
そして、知った。
悪魔は微笑んでいる時ほど、恐ろしいということを。
※※※
「クラウド!」
ノックの音にミレーヌが部屋の扉を開けると、クラウドが立っていた。
「帰ってきていたの? 気付かなかったわ! 事前に連絡をくれれば出迎えたのにっ」
「急に戻ってきたら、ダメだった?」
「そんなわけないじゃない。おかえりなさい」
ミレーヌは義弟の帰宅に嬉しさを滲ませてニコリと笑顔を咲かせる。
クラウドはそれに薄く微笑み返して、自然な動作でするりと部屋の中へ足を踏み入れた。
「クラウド、お腹は空いてない?」
「夕食は騎士団で済ませたから大丈夫だよ」
「そうよね、もうこんな時間だものね。じゃあお茶を入れるわ。アンナが用意してくれたものがあるの」
侍女のアンナにクラウドとの真夜中のお散歩の話をしたら、また夜中に喉が乾くといけないからと自分が下がる前には必ず水差しを部屋に常備してくれるようになった。
「飲んでも飲まなくても構いません。必要なものがあれば私やメイドを呼んでくださいとお願いしても、お嬢様はきっとなさらないでしょうから勝手に用意させて頂きます。ですからどうか、夜中におひとりでお部屋を出ることのないようお願いいたします」と、渋い表情で注意されてしまった。
アンナはその日のミレーヌの体調や気分などを見て様々な飲み物を用意してくれる。爽やかなレモンが浮かんでいたり、果実やハーブを使ったデトックス水の時もある。
ミレーヌは侍女のその優しさが嬉しくて、寝る前にいつも少しだけ口をつけるのが楽しみになっていた。
今日は安眠効果のあるカモミールティーをクラウドにもお裾分けだ。
「ミレーヌ」
上機嫌にグラスにお茶を注いでいるとクラウドの吐息が耳朶を掠めた。
ミレーヌの細い腰を抱くように後ろからクラウド長い腕が絡まり、ヒタリと身体が密着する。
(ひぃぃいっ?! なにごとっ!!??)
ミレーヌは溢れそうになった悲鳴をすんでのところで押し留めた。逆にこれを拒めば自分が意識していることを悟られてしまう方が怖かったのだ。
ガウンを羽織っているとはいえ薄手の夜着越しに感じる自分以外の体温に心臓がズンドコズンドコとおかしなリズムで音を立てる。
以前クラウドを諫めた過度な触れ合いのことなどすっぽりと頭から抜け落ちていたミレーヌは、ただ動揺を悟られまいと平静を装って敢えてゆったりと返事をした。
「な……なあに?」
「今日、ルーカスと会っていたんだって?」
「え?」
動揺を表すようにグラスの中のハーブティーが僅かに水面を震わせると、チラリとクラウドの視線がその手元に落とされた。
クラウドの大きな掌がミレーヌのグラスを掴む手をそのまま包み込む。堅い親指の腹が扇情的に彼女の指間を掠った。
「デジレがふたりでいるところを見たと言っている。それは、本当?」
(デジレ様に、見られていた!?)
思わずミレーヌは体を捻るようにして振り返り、クラウドを見上げた。
まさか会話の内容を聞かれていないだろうかと不安が過ぎる。
クラウドに恋をしているのではないかとルーカスに指摘され、否定したとはいえ本人には聞かれたくない話題だ。
しかし見上げたクラウドの表情からは何も読み取ることが出来ない。
(そ、その顔は? ……無?)
喜怒哀楽のどれでもない気がする。
まるで見る角度や相手によって印象が変わる人形のような顔だ。
困ったミレーヌが少し間を開けて「たまたまカフェでお会いして、お話ししただけよ」と無難に答えれば、クラウドの瞳がミレーヌの心を暴こうとするかのようにすうっと細められた。
「今更、何の話?」
「それは……」
(き、聞かないで……っ! 別に、ルーカス様が言っている事は誤解だし、言っても構わない事かもしれないけれど、クラウドに何て思われるか……っ)
ミレーヌの頬が段々と朱色に染まる。
(私は、お、弟に変な感情なんて、持ってない……っ! 絶対に、違う! だから、そんな目で見ないで!)
クラウドの細められた瞳が妙に色香を孕むものだから、その視線を意識し過ぎてどうしていいかわからない。ミレーヌは居た堪れずに、すいっと横に視線を逸らした。
それにクラウドは「へえ」と冷たい声音で応える。
「俺に言えないような話なんだ?」
「そん、な……」
「大方、また告白でもされた? 考え直してほしいと? それでミレーヌはなんて答えたの?」
(違うっ! いや違わないけど、言えないのはそっちじゃない!)
矢継ぎ早に問われても動揺したミレーヌにはすぐに答えることができない。
ミレーヌが忙しなく視線を泳がせ何かを誤魔化す言葉を探して見つけられずに口籠ってしまっていることに、クラウドが気付かないはずもない。
部屋の空気がヒリヒリと焼けつくような緊迫感に満ちていく。
クラウドの片手がミレーヌの顎を掬い上げ、逸らされていたミレーヌの視線は強制的に交わせられた。
「クラウド……?」
目は合っているはずなのに、クラウドはミレーヌの事を見ていないように感じる。
いつもミレーヌへの慈愛に満ちている彼の瞳は、今は暗く何の感情も浮かべていないかのようだ。
(……いえ、違う。これは)
ミレーヌは、この顔を知っている。
そういえば昔数度だけ見たことがある。
子供だけが集められた貴族のお茶会の帰りだ。ミレーヌの手を痛いくらいにギュッと握りしめて、クラウドはこんな顔をしていたかもしれない。
(もしかして、少し、怒っている……?)
クラウドはミレーヌの顎を掴んだまま、ポツリと言葉を落とした。
「何も言わなくていいよ。どう答えようと、もう、どうせルーカスに会えはしないからね」
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