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蛇足
(2)初恋は義姉(現在進行形)
しおりを挟むクラウドが騎士団本部で午前中の訓練を終え、渡り廊下を歩いていると
「クラウド、噂になってたぞ!」
と、同じ隊で友人でもあるデジレに突然後ろから肩を組まれた。
デジレの距離感が近いのはいつもの事だが、流石に汗をかいた後に暑苦しいことこの上ない。
クラウドは顔を顰めてその腕を払い除けた。
「やめろ、うざい」
「あのルーカスがお前の姉さんに告ったんだって? マジかよ!あー、俺も行けばよかった! ところで今日ルーカス見てないけど、まさか殺ってないよな?」
「……」
クラウドはまたその話か、と辟易した。
あれから一夜開け出勤してみれば、職場である騎士団内にルーカスとの一件がすでに広がっていて朝一番に騎士団長に呼び出されたのだ。
しかも、デジレと同様「ルーカスの姿をまだ見ていない。まさか、殺してないよな?」と疑われたのだから面白くない。
正直、物理的にも社会的にも殺してやろうかと思ったのは確かだが実行はしていない。
それを思い留まらせたのはミレーヌだ。
ミレーヌがクラウドを選ばなければ、結果は違っていたかもしれないが。
「どいつもこいつも、俺をなんだと思っているんだ」
「度を超えたシスコン」
「ミレーヌを愛しているだけだ」
「なんかもう、ここまでくるとお前尊いわ……」
デジレはクラウドとは学生時代からの付き合いで、彼のブレない義姉愛をよく理解していた。
クラウドの溺愛する義理の姉ミレーヌは、その場に居れば周囲の視線を集めるような可憐でたおやかな令嬢だ。見た目が美しいだけでなく、気取らない性格で分け隔てなく親切だと評判も高い。
そんな彼女は義弟がクラウドというのが唯一の難点だった。
義弟のクラウドは眉目秀麗で何をやらせても優秀だが義姉の事となると、少し…いや、かなり危うい。
ミレーヌに近付きたければまずクラウドを攻略すべしと言うところだが、クラウドを攻略出来るものなど現れた事はない。
何人かは果敢にチャレンジしたが返り討ちにされ、クラウドの監視の目を潜り抜けようとしたものは言うのも憚れるほど酷い目に遭っていた。それこそ二度と血迷えないほどに。
デジレは女性が大好きだ。
あの柔らかくて良い匂いのする生き物ほど自身の欲を満たしてくれるものはない。犯罪にならない程度の少女から未亡人までと守備範囲は広く、デジレ本人も自分の甘い顔立ちが女受けする事を知っていたので、騎士という身分とともに存分にそれを生かして日夜狩りに勤しんでいる。
しかし、ミレーヌにだけは何があっても手を出さない。
どんなに美しくても、どんなに魅惑的な甘い香りがしても、万が一何かの間違いで相手に誘われたとしても、デジレはまだ死にたくないし、男性としての機能を失う覚悟もない。
それだけにミレーヌに告白したというルーカスは、デジレからしてみれば英雄であり恋に浮かされた馬鹿であるともいえた。
(真正面から行くなんて、クラウドを知っていれば普通はできない。まさに自殺行為だろう。ルーカスはきっとバカ真面目な奴なんだなあ)
けれどデジレはこれまでよく知らなかったルーカスに今回の一件で少し好感を持ったのも確かだ。
シスコンが過ぎる友人がずっとこのまま拗らせて独り身でいるのではないかという心配もしていたので、これがキッカケとなり自分のように広く自由恋愛に踏み出せれば良いのにと思う。
そうなれば、顔面がすこぶる良いクラウドを連れて合コンにいけるし、きっとより可愛い女の子が釣れるだろうと期待もしていた。
そんなデジレの邪な思惑を知ってか知らずか、隣を歩くクラウドが遠い青空を見ながらボソリと呟いた。
「女性が喜ぶデートというのは、どういうものか……」
デジレは耳を疑った。
ブレないシスコンから発せられた言葉とは思えなかったからだ。
今のは風の音か?鳥の囀りか?と、ひとしきり周囲をキョロキョロ見回してから恐る恐る隣に視線を向けると、精巧な彫刻の如き横顔の唇が動いた。
「何が良いのかわからない。デジレはいつもどこにいくんだ?」
(マジか…!!)
あのクラウドが……!『初恋は義姉(現在進行形)』だと堂々と言ってのけ周囲をドン引きさせていたシスコンが…女性とのデートに興味を示している…!!
デジレは震えた。
己の考えていた『もしクラウドがシスコンを卒業したら』計画が唐突に始まろうとしている。
(ルーカスの死は無駄じゃなかったってことか!? それとも気付かない内に徐々に姉離れしていた? そりゃそうだよな、成長すれば普通はそうなる。俺も姉貴とは昔は仲が良かったが、今やあんな女とだけは結婚したくないと思うもんな!)
友人の心境の変化に『なになに? どうした!?』と追求したくなるが、それをしたらクラウドは逃げてしまうだろう。
好奇心をグッと抑えてデジレは良い笑顔で再びクラウドの肩を組んだ。
「よしクラウド、任せておけ! 俺がお前に女の子の喜ぶものを教えてやるからな!」
「……」
クラウドが胡散臭いものを見る様な目をしていたが気にしない。
デジレは仲良くしている女の子達から仕入れた流行りの店や好きなものなどをクラウドに嬉々として話して聞かせる事にした。
※※※
仕事仲間に何故か死んだと思われていたルーカスは、騎士団本部へ出勤するとすれ違った何人かにお化けを見た様に怯えられ、また何人かの同僚には「ドンマイ!」とニヤニヤしながら肩を叩かれるという状況に首を傾げた。
終いには、騎士団長に呼び出され「おお、無事か! いや、無事ではないのか…? あーほら、なんか大変だったようだし、今日は休んでも良かったんだぞ?」と、腫れ物に触るように気遣われた事で、夜会での一件が職場内にも広がっていることを知った。
どうやら同じ夜会に参加していた奴らが吹聴したようだ。
ルーカスは、自分は何を言われても構わなかったが、ミレーヌが弟に甘いブラコンのように言われているのが腹立たしかった。
自分を振って義弟を選んだのは確かだが、彼女は「弟が心配」だと、「弟が幸せにならなければ自分は幸せになれない」のだと言っていた。
それは、ルーカスが思っていた通りの家族思いで愛情深く優しい女性だということだ。
間違ってもブラコンなどという俗物的な言い方をされるような女性ではない。
(あんな姉上が居たら、依存してしまうクラウド殿の心境もわからなくもない。義母との折り合いが悪いと聞くし、余計にミレーヌ嬢も心配なのだろう。 クラウド殿が独り立ちできるよう、俺も何か手助けできれば良いのだが…)
ルーカスは、言われた事を額面通りに受け取る真っ直ぐな男だった。
※※※
ミレーヌは昼下がりの自室で静かに読書をしていると見せかけて、内心は悶々としていた。
なぜ、弟の恋路を阻むような我儘を言ってしまったのか。
仕方ないなとばかりにミレーヌの要求を受け入れてくれたクラウドは、もう自分で将来を共にする相手を決められる歳なのだ。いつまでも子供扱いして『まだクラウドには私が必要だ』と自惚れていた自分を張り倒したい。
(ルーカス様にも自信満々に弟が心配だなどと宣ってしまったわ。気付いたら置いて行かれるのは私の方なのに。なんて恥ずかしい。結局私は問題を先送りにしただけ。心の準備なんて、どうしたらいいのかわからないのに…)
悩みや迷いはいつも親友に話を聞いてもらうのだが、ナタリアに手紙を送っても返事は返ってこないまま。
それもミレーヌの気持ちを落ち込ませていた。
そんな折に、一羽の鳩が窓から滑り込むように入り込んできた。
「お嬢様!危険です、お下がりくださいっ!」
すぐさま侍女が側にあった分厚い書籍を振り上げて追い出そうとするが、それはミレーヌの愛読書『恋と小姑』の第二巻である。
「あああ、ダメよ!そんな事はしないで!」
「ですがお嬢様っ、この鳩は不潔です!」
「いいの、そのままにして。さあ、その本をこちらに渡して」
「お嬢様……」
ミレーヌは困ったように眉を下げ微笑むだけで、突然入り込んだ小汚い鳩を追い出そうともしない。
侍女は自身が仕えるお嬢様はなんてお優しいのだろうと胸を打たれ大人しく本をテーブルの上に戻したが、ミレーヌは鳩を庇ったのではなく本の無事にホッとしているだけだ。
(良かった…まだ二巻は読んでなかったから、鳩と一緒に捨てられてしまうかと焦ったわ。それにしてもこの鳩はどこから来たのかしら?)
全体的に灰色で、羽には土汚れが付いているお世辞にも綺麗とは言えない鳥だった。
困った事に出ていく気配もなく、トットットッと軽快にミレーヌの足元に近づいてきた。人を恐れていないところを見ると何処かで飼われていたのかもしれない。
ふと、鳩の足首に赤いリボンが結ばれている事に気付いた。そのリボンの端には小さな手紙のようなものが付いている。
「手紙……?あなた、それを私に届けに来たの?」
まるでそうだというように、鳩が羽を震わせた。
(え、どうしよう……私、鳩、触れないわ……)
ミレーヌは動物と触れ合った事がない。
犬猫ならなんとなく頭を撫でることはできそうだけれど、鳩は想定した事もない。どう接するのが正解なのか。
(手紙を外そうとして暴れられたらどうしよう。つつかれたら痛いだろうな……これ、無理だ……。このまま気付かなかった事にしてお帰りいただくか、クラウドが帰ってきたら取ってもらうか……)
鳩をジッと見つめて思案を巡らせていると、ふとナタリアの言葉が脳裏に蘇った。
あの夜会の別れ際に、ナタリアは『鳩を飛ばす』と叫んでいた気がする。それきり本当に音信不通になってしまっているけれど、もしかしてこの鳩は親友からの手紙を持ってきたのではないだろうか。
そうなるとすぐに確かめたくなり、クラウドを待ってなどいられなかった。
ミレーヌは侍女が止める中、恐る恐る鳩に手を伸ばす。
(お願い動かないでね? ちょっと触るだけ、ほら、ちょっとだけだから怖くないわよ、ね?)
鳩に愛想笑いを浮かべつつ震える手でリボンを解いていく。鳩はやはり人によく慣れていて、大人しくされるがままだった為、手紙を受け取る事に無事成功した。
(やれば出来る)
ミレーヌは達成感を味わいながら、いそいそと手紙を開いた。
そこには思った通り、見知った親友の文字が並んでいた。
『親愛なるミレーヌ
これが15羽目の鳩です。
今度こそ、貴女に届く事を願ってこの手紙を送ります。
先日の夜会後の貴女の身を案じています。
私はいつだって貴女の味方です。
この手紙を読んだらクラウド様に見つからないように燃やして消炭にし、クラウド様に見つからないように送った鳩に返事をくくりつけて飛ばしてください。
どうかクラウド様には見つかりませんように。
貴女の親友 ナタリアより』
「ナッちゃん……!」
親友は自分の事を忘れたわけではなかったのだと、ミレーヌの胸は熱くなった。
夜会で騒動を起こし、失礼にも逃げるようにその場を後にしておいて改めた謝罪にも出向けていなかったというのに、なんて心の広い友人なのだろう。
(ナッちゃん大好き! 何故か三度もクラウドには見つかるなと書かれているけれど、きっとこれは女同士の内緒のやりとりということね! わかったわナッちゃん! なんだか秘密ってワクワクする。ふふふ)
ナタリアと連絡をとって、きちんと謝罪の場を取らせてもらおう。そしてまたお互いの家を行き来する親友に戻りたい。
ミレーヌはお気に入りの便箋で早速手紙の返事を書いた。
鳩の足に手紙を付けるのは侍女の手を借りたけれど、ミレーヌは無事に空へ飛んでいく鳩を見送り安堵のため息をついたのだった。
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