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⑤全部誤解です。
しおりを挟む逃げるように会場を後にしたミレーヌは、クラウドとともに馬車で帰路についていた。
まだ夜会は続いている。
ナタリアに頼まれていたアリアナ嬢のことを投げ出す形になってしまい、何より会場を自分のことで騒がせてしまったことに、ミレーヌは頭痛を堪えるように額に手を当てていたナタリアに去り際に謝罪をした。
「ふふ…ミッちゃん、大丈夫よ。ミッちゃんが弟に激甘だってことを失念していた私のミスだし、ルーカス様のフォローはしておくから。それより暫くミッちゃんと音信不通になるかもしれない事が気がかりだわ…。きっと手紙も届かないし会いにも行けなくなるけど、私を忘れないで!」
「え?え?」
縋るように抱きつかれて戸惑っているとクラウドに強く手を引かれ引き剥がされた。
そのまま引き摺られるようにして夜会を後にしたのでナタリアに発言の意味を問えなかったけれど、遠くから「鳩を…っ、鳩を飛ばすからぁ…っ!」と謎のメッセージを残され、ミレーヌは更に困惑したのだった。
(音信不通になるだなんて、ナッちゃんはやっぱり怒っているのね。私、嫌われてしまったかもしれない…。
それに、なぜ、鳩を…?屋敷を鳩の糞だらけにしてやるという事かしら…?確かに植物は枯れてしまうし臭いもキツいから微妙に困るわ…。でも、私は甘んじて受け入れなくては。大切な友人である彼女が許してくれるまで…)
ミレーヌは帰りの馬車の中でも息をつくことができないでいた。
クラウドが何も言葉を発しない。
いつもなら隣に座って手や頬に触れてくるのに、今は珍しく向かいのシートに長い足を組んで座り、静かに瞳を閉じている。
こっちはこっちで、弟をダシに使って求愛を断ったことを怒っているのだろうか。
「クラウド…ねえ怒っている?」
ミレーヌが沈黙に耐えきれず思い切って声を掛けると、クラウドの目蓋がゆっくりと開いてミレーヌと視線を合わせた。
「ごめんなさい。もう少し言葉を選べば良かったと反省しているわ。私も動揺していてついうっかり…」
「……うっかり、なに?」
「うっかり思った事がそのまま口に出てしまったの」
本音を上手に隠して世を渡るのが貴族だ。
それなのにミレーヌはどうもそう言った戦術が苦手なのである。事前に考える時間があれば別だが、あの様なサプライズには対応できない。
しゅんと項垂れると目の前でクラウドは大きな溜息を隠す事なく吐き出した。
「思った事がそのままって……本当に姉さんは……」
「ご、ごめんなさい…」
「何処まで俺を喜ばせるの?」
「……え?」
「こっちは必死で我慢してるってのに人の気も知らないでどういうつもり?そんなに馬車の中でめちゃくちゃにされたいの?」
「え?え?」
(めちゃくちゃ?え、殴られるの!?ボッコボコに!?クラウドはそこまで怒ってるの!?そう言われてみると胸の前で組んでいる腕が私に手を出さないように耐えているようにも見えなくもない。伏せていた瞳も私を視界に入れないようにしていたとか?嘘でしょう!?クラウドが私に暴力なんてあり得ない!いやでもこれが原因で屋敷から親子共々追い出されたりする!?)
急に悪夢が現実味を帯びてきた気がしないでもない。
「ごめんなさいクラウド…っ、違うのよ、貴方の名誉を傷つけるつもりはなかったの。ああでもクラウドが『お前の姉ちゃんブラコンだな』って揶揄われたら私のせいだわ!?どうしましょう…今からでもやっぱりルーカス様のお申し出を受けて…っ」
ガンッ
(ひぃ…っ!)
クラウドの長い足が音を立ててミレーヌの座っているシートの端を蹴った。
クラウドは馬車の扉との間を遮るように片足をシートに乗り上げさせたまま前傾し、綺麗な顔をゆっくりと近づけてくる。
貴族とは思えぬ乱暴な振る舞いに、ミレーヌの心臓はひえぇえっと情けない悲鳴を上げて縮みあがった。
「ク、クラウド…?お行儀が…」
「ルーカスの申し出を受ける?何故?姉さんは俺を選んだでしょう」
「い、いや、だって、クラウドが怒って…」
「俺は喜んでいると言ったよね?なのに今更あのカスに戻る?本気で言ってるの?」
ミレーヌは『やばい』と本能的に悟った。
何故かわからないが火に油を注いでしまったようだ。
もうクラウドがルーカスをカス呼ばわりしていることなどどうでもいい。今は義弟の暴言を諫めている余裕はない。
「わっ、私は、クラウドがそうしろと言うならします!」
「だから、誰がそんな事を…」
「ルーカス様にはとても失礼だと分かっています!でも私にとっては貴方の幸せが最優先だものっ!」
ミレーヌはその為なら愛のない結婚もバッチコイだった。家のためにどうせ遅かれ早かれいつかはそうなると思っていたのだから、追い出されて路頭に迷った挙句に殺されるよりずっといい。
(痛いのは嫌だし、できればあったかいお布団で安らかに死にたい)
「貴女って人は…っ」
クラウドは両手で顔を覆って俯いてしまった。
「クラウド?」
少し乱れた前髪の隙間から鋭い眼光が覗いたかと思えば、ミレーヌはクラウドに背中を引き寄せられて気付けば彼の膝に乗せられる形で強く抱きしめられていた。
(ひぃいぃ!?)
驚きのあまり声にならず、脳内で悲鳴を上げる。
(何事!?いやそれよりクラウドは細身に見えて騎士団ゴリラの一員なのだ。ギュッとされるほど背中がミシミシ言うんですけど、ちょっとまって!?背骨がっ、背骨が折れるーっ!!)
「クッ、クラ、苦…っ」
「姉さん姉さん姉さんっ」
「いや、だから、手加減っ!!!」
「!!ごめん!!」
決死の覚悟で叫んだ声は淑女とは思えぬ程のドスが効いていた。焦ったように緩められた腕に抜け掛けていたミレーヌの魂が戻る。さすがに今回はマジでヤバかった。
(ごめんじゃないわ毎回言うけど次こそお姉ちゃん死んじゃうからね!?それとも追い出す前にさり気なく事故に見せかけて圧死させようとしてんの!?ねぇ!?)
胸ぐらを掴んで文句の一つも言ってやりたいが、目の前で本当に申し訳なさそうに眉を下げた義弟を見るとグッと言葉に詰まってしまう。
ミレーヌはとことんクラウドに甘かった。
「姉さんごめん…俺は本当に馬鹿だ…」
「え?ええ、まあ、背骨は大切だから次からは気を付けてね…?」
「姉さんはいつも俺の幸せを願ってくれているのに、俺は自分の幸せばかりを求めて姉さんの幸せなんて考えてなかったんだ」
「ん?」
『力加減が馬鹿』だという話かと思って聞いていたが、どうやら何か違うらしい。よくわからないがクラウドが神妙な顔をしているのでミレーヌもそれに合わせて少し悲しげな表情を装って小首を傾げ、話の続きを促した。
「これからは俺も姉さんの幸せを一番に考えるよ」
「え」
「貴女が嫌がる事は決してしないし、願いがあれば全力で叶えてあげる」
「!」
(な、なんという事でしょう!
それって、それって…追い出し殺害エンドは無しってことよね!?まじ!?)
「本当に…?」
「ああ、約束するよ。今までごめんね、姉さん」
リンゴーン
リンゴーン
ミレーヌの頭の中で祝福の鐘が鳴り、パッカリとくす玉が割れて煌びやかな光が降り注いだ。
今、ミレーヌは身の安全を保証されたのだ。
内心で盛大に淑女らしからぬガッツポーズをとる。
(ッシャー!言質は取った!なんなら後で書面にしてもらったほうがいいかしら?!
悪夢に怯えること十数年。長年義弟に媚を売ってきて本当に良かった。あっ、涙が…)
「クラウド…ありがとう、そう言ってもらえて本当に嬉しいわ」
「ああ、姉さん泣かないで。幸せを履き違えていた俺にいつも本当の愛を教えてくれていたのは姉さんだけだ。これからは俺が姉さん…いや、ミレーヌを誰よりも幸せにするよ。愛してる」
「私も愛してるわ。貴方は自慢の弟よ」
「ん?」
「え?」
ミレーヌとクラウドは顔を見合わせた。
分かり合えたはずのお互いの頭上には、はてなマークが浮かんでいる。
「……ミレーヌ、どうやら誤解があるようだ」
「誤解?……はっ、まさか!私の幸せを一番に考えるって発言を取り消すと言うの!?ひどいわ、舌の根も乾かぬうちに…っ!やっぱり約束事には書面が必要なのね!?」
「書面?そうだね。同感だ。親しい仲こそ契約は必要だよね。今後翻る事のないよう、帰ったらすぐに書面にしお互いに誓いを立てよう。いいね?」
「ええ!もちろん!」
うっそりと仄暗い笑顔を浮かべたクラウドに、ミレーヌは望むところだと意気込んで返事をした。
掴み掛けた安全保証に気持ちが焦っているミレーヌがそれが悪夢で見たクラウドの笑顔とそっくりだったことに気付くのは、伯爵邸に着いてクラウドが用意した書面『婚姻誓約書』を見た30分後のことである。
おわり
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