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生まれる疑念
大湾勉
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「おおわんつとむ?なんじゃそりゃ鉄腕アトムのまがい物みたいな名前だな」
俺の前にいる三島が言った。
「よく言われます」
なるほどね、と言いながら三島は頭をかいた。額には汗が吹きでている。今年の夏はかなりの暑さになるというのはテレビで見たが、七月もまだはじめなのにすでにえらく暑い。
「とりあえず、アトムさん、悪いけどその車の後ろ、草生えてっから除草剤頼むわ。」
つとむですよ、と苦笑いしながら三島が指す方を見ると三島の軽トラックがあった。フロントガラスに反射して、雲一つない青い空が伺えた。
「先月もやってくれたんだろうけどさ、すぐ生えてきちゃうんだよ。困っちゃうよねほんと」
あ、そうだ、と三島は缶コーヒーを俺に渡した。三島の腕は骨と皮しかないのではないかというほど細く、そして浅黒かった。額から吹き出ていた汗が不思議に思えるほど瑞々しさのない肌は、日焼けとはまた違い血色が悪く不健康さを感じる。
「ほい。いつもご苦労さん。これ、あげるよ。暑いでしょう。頑張ってね」
ありがとうございます、と言いながら缶コーヒーを受け取る。ヒヤッとした缶の冷たさが心地よい。掃除するマンションやアパートの住人にものをもらってはいけないという決まりはなかった。本当はすぐにでもプルタブを開けて一息に飲み干してしまいたいくらい喉は乾いていたが我慢した。ここで缶コーヒーを飲んでしまうと、三島はおそらく会話開始の合図と言わんばかりにまくし立ててくるだろうから。
俺たち清掃人は、独り身でおそらく友人と呼べる人がいないような住人からよく話しかけられた。特に三島のような老人はこちらの仕事は考えずに話しかけてくることが多かった。孤独、という二文字が俺の頭に浮かぶ。
このアパートへは月に一度掃除へ来るが、先月と先々月くらいの清掃からだろうか、この三島という男は部屋から出てきておつかれさん、だとか、今日はいい天気だね、だとか一言二言言葉を発し、さも別の用事があってたまたま出てきた風を装いながら自分の車が止めてあるあたりをうろうろしてから部屋へ戻っていく。今日はというと、俺が清掃を開始する前から、つまりこのアパートの道路わきに車を停めて出てきたときには、三島は外にいたのだ。清掃のスパンは一定だし、そもそもアパートの掲示板に清掃日が貼ってあるので、狙って待ち伏せていたに違いない
「それで、アトムさんはいくつ?」
「41ですね」缶コーヒーを飲まなくても、三島は会話を続けてくる。
「今年41?それとも今年42?」
「今年で41ですね」
「ふーん」
中年を超えた男と、おそらくは60代くらいであろう男が初対面で話しても盛り上がる道理はないのだ。特に会話も続かない。これが10歳くらいの輝かしい子供同士であれば、すぐに仲良くはなれるだろうが。大人になるにつれ、友達が出来るから友達を作るに変わっていくんだよ、と言っていた上司の言葉を思い出す。
「暑いよねぇ。今年は特に、って。ニュースで毎日言ってんよ。」
「そうですねぇ」と気のない返事をしながらも、こめかみから汗が流れてくる。三島との会話を続けながら、俺はざっとアパートの全体を見渡す。階段や自転車置き場に落ちてるごみや虫の死骸、張ってある蜘蛛の巣や基礎周りの雑草など、清掃にかかる時間を見積もり、虫やごみはそこまで酷くないから、まずは雑草掃除からだな、とあたりを付ける。
「ワタシたちみたいな老人は、暑さにはホント、敵わないからねぇ。熱中症なんて、なったらすぐ、コロッと」肩をすくめるように三島は言う。
「独り身には辛いもんよ」
そろそろ仕事を始めたいのだが、三島の話が終わることはない。
「あれ、あんた飲み物持ってたのか?」
三島が俺のリュックのポケットにさしてあるペットボトルを指さして言う。
「いえ、これは」除草剤です。と俺は答えた。
「ペットボトルにいれんのか」
除草剤は主にポリタンクの中に入っており、背負えるようになっている。そこからホースで噴霧するのだが、いかんせん重さがあり、ましてやこの暑さだとすぐにへばってしまうため、掃除の際はペットボトルに除草剤をいれて持ち歩いた方がよいのだ。ペットボトルのキャップには錐で数か所穴をあけてあるためいちいちキャップをあける必要もなく、まるで花に水をあげるように草を除去できる。
「なるほどなぁ。よく考えてあるもんだな」
「どうも」あまり褒められることがないため、少し照れてしまったが顔には出さないようにした。
「それに、あれだな。いざって時につかえそうじゃねぇか」
「いざ?」と俺は聞き返す。
俺が興味を示したのが嬉しかったのか、三島は乾いた唇をひとなめした。
「なんか危険な目にあったとする。誰かに襲われたりとか。そしたらそのペットボトルで撃退できるだろ。誰も、ペットボトルが武器になるなんで思わないだろうから」
俺の前にいる三島が言った。
「よく言われます」
なるほどね、と言いながら三島は頭をかいた。額には汗が吹きでている。今年の夏はかなりの暑さになるというのはテレビで見たが、七月もまだはじめなのにすでにえらく暑い。
「とりあえず、アトムさん、悪いけどその車の後ろ、草生えてっから除草剤頼むわ。」
つとむですよ、と苦笑いしながら三島が指す方を見ると三島の軽トラックがあった。フロントガラスに反射して、雲一つない青い空が伺えた。
「先月もやってくれたんだろうけどさ、すぐ生えてきちゃうんだよ。困っちゃうよねほんと」
あ、そうだ、と三島は缶コーヒーを俺に渡した。三島の腕は骨と皮しかないのではないかというほど細く、そして浅黒かった。額から吹き出ていた汗が不思議に思えるほど瑞々しさのない肌は、日焼けとはまた違い血色が悪く不健康さを感じる。
「ほい。いつもご苦労さん。これ、あげるよ。暑いでしょう。頑張ってね」
ありがとうございます、と言いながら缶コーヒーを受け取る。ヒヤッとした缶の冷たさが心地よい。掃除するマンションやアパートの住人にものをもらってはいけないという決まりはなかった。本当はすぐにでもプルタブを開けて一息に飲み干してしまいたいくらい喉は乾いていたが我慢した。ここで缶コーヒーを飲んでしまうと、三島はおそらく会話開始の合図と言わんばかりにまくし立ててくるだろうから。
俺たち清掃人は、独り身でおそらく友人と呼べる人がいないような住人からよく話しかけられた。特に三島のような老人はこちらの仕事は考えずに話しかけてくることが多かった。孤独、という二文字が俺の頭に浮かぶ。
このアパートへは月に一度掃除へ来るが、先月と先々月くらいの清掃からだろうか、この三島という男は部屋から出てきておつかれさん、だとか、今日はいい天気だね、だとか一言二言言葉を発し、さも別の用事があってたまたま出てきた風を装いながら自分の車が止めてあるあたりをうろうろしてから部屋へ戻っていく。今日はというと、俺が清掃を開始する前から、つまりこのアパートの道路わきに車を停めて出てきたときには、三島は外にいたのだ。清掃のスパンは一定だし、そもそもアパートの掲示板に清掃日が貼ってあるので、狙って待ち伏せていたに違いない
「それで、アトムさんはいくつ?」
「41ですね」缶コーヒーを飲まなくても、三島は会話を続けてくる。
「今年41?それとも今年42?」
「今年で41ですね」
「ふーん」
中年を超えた男と、おそらくは60代くらいであろう男が初対面で話しても盛り上がる道理はないのだ。特に会話も続かない。これが10歳くらいの輝かしい子供同士であれば、すぐに仲良くはなれるだろうが。大人になるにつれ、友達が出来るから友達を作るに変わっていくんだよ、と言っていた上司の言葉を思い出す。
「暑いよねぇ。今年は特に、って。ニュースで毎日言ってんよ。」
「そうですねぇ」と気のない返事をしながらも、こめかみから汗が流れてくる。三島との会話を続けながら、俺はざっとアパートの全体を見渡す。階段や自転車置き場に落ちてるごみや虫の死骸、張ってある蜘蛛の巣や基礎周りの雑草など、清掃にかかる時間を見積もり、虫やごみはそこまで酷くないから、まずは雑草掃除からだな、とあたりを付ける。
「ワタシたちみたいな老人は、暑さにはホント、敵わないからねぇ。熱中症なんて、なったらすぐ、コロッと」肩をすくめるように三島は言う。
「独り身には辛いもんよ」
そろそろ仕事を始めたいのだが、三島の話が終わることはない。
「あれ、あんた飲み物持ってたのか?」
三島が俺のリュックのポケットにさしてあるペットボトルを指さして言う。
「いえ、これは」除草剤です。と俺は答えた。
「ペットボトルにいれんのか」
除草剤は主にポリタンクの中に入っており、背負えるようになっている。そこからホースで噴霧するのだが、いかんせん重さがあり、ましてやこの暑さだとすぐにへばってしまうため、掃除の際はペットボトルに除草剤をいれて持ち歩いた方がよいのだ。ペットボトルのキャップには錐で数か所穴をあけてあるためいちいちキャップをあける必要もなく、まるで花に水をあげるように草を除去できる。
「なるほどなぁ。よく考えてあるもんだな」
「どうも」あまり褒められることがないため、少し照れてしまったが顔には出さないようにした。
「それに、あれだな。いざって時につかえそうじゃねぇか」
「いざ?」と俺は聞き返す。
俺が興味を示したのが嬉しかったのか、三島は乾いた唇をひとなめした。
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