死に行く前に

yasi84

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第1章 いじめ

不穏なニュース

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 野良犬と別れて、特に話すこともなく秋山さんと2人で黙々と歩き、お店に帰ってきた。
 もちろん暖房を消していた店内は外の気温と大した差はなく、私と秋山さんはひんやりとしたソファに腰をかけた。
「秋山さんも、素直じゃないですよね。最初から取り返した5千円を返しに行くって言えばいいのに」と私が言ったのは、テレビをつけようとリモコンを探している時だった。リモコンはテーブルの端に無造作に置かれていた。座ったソファの位置から動きたくなかったので目一杯腕を伸ばして取ろうとした。こうゆうとき、だいたい指の先端が触れるか触れないかの微妙な距離に物があるのはなぜなのだろうか。
 秋山さんは聞こえているだろうがそれにはなにも答えずに文庫本を開き、読み始めている。
 私は遂に観念し、お尻を浮かせテーブルの端のリモコンを掴んだ。リモコンに罪はないが、私は敗北感のようなものを感じて、リモコンを掴む力が少し強くなってしまう。
 テレビを付けた。静かだった部屋が途端に賑やかになる。バラエティ番組だ。わざとらしい笑い声が店内に広まる。やがて司会の男が「宴もたけなわですが」と古臭い言い回しをして番組は終わった。次に始まったのはニュースだった。先ほどの番組とは打って変わって、真面目な顔で真面目な声の男が、東京は今10年に一度の大雪に見舞われていると言い、中継で雪の様子を映し出した。大雪の中、リポーターが雨合羽を着ているのにも関わらずフードをせずに頭に雪を積もらせていた。雪の凄さを伝えるためだろうが、さすがに大袈裟な表現なのではないか、と私は顔を歪める。不思議なことに、東京では大雪らしいが神奈川県の方はあまり雪は降っておらず南足柄に至ってはただ寒いだけで雪の気配はない。
 画面の中が大雪とは打って変わって暖かそうなスタジオに戻る。すると『あの事件から三年』というテロップが現れた。それと同時にキャスターが同じ言葉を言う。
 あの事件、とは大型ショッピングモール放火事件のことだった。もう三年も経つのか、と私は驚いた。
 大型ショッピングモール放火事件とは三年前のちょうどこの時期、横浜にある大型ショッピングモールが放火され多くの従業員と客が亡くなった、悲惨な事件のことだ。放火犯はすぐに捕まった。重度の薬物中毒だったらしい。
 確か、と私は思い出す。その火災で助かった人の中の一人が事件の後自殺をしたらしい。助かった命を無駄にした、と世間は大きく批判していた。私自身せっかく助かったのに自分勝手すぎるのではないか、と思ったのも事実だ。
 こんなにも悲惨で多くの人が亡くなった事件でも、忘れているものなのだな、と少し後ろめたさを感じる。秋山さんが言っていたように、事件が報道されなくなっても事件が消えたわけじゃない、のだ。人々の悲しみや悔しさはずっと画面外のこの世界に残り続ける。
 ふと隣を見てみると秋山さんがおらず、秋山さんが座っていたところには文庫本が置かれていた。いついなくなったのだ、と思いながら私は特に気になるニュースもないのでその文庫本を手に取ってみた。詩集ともエッセイともつかない種類のもので、主に動物について書かれていた。その中には、先ほど秋山さんが言っていた「赤面しろ!」もあった。意外にも面白く、私は付けたテレビそっちのけで読みふけっていた。
 その文庫の中に、『威厳ある、心優しき、立派な友よ、高座を下りて、私の隣にお坐りくだされ。』とあった。これは猫について書かれたものだ。私はなんでか、この文章を読んで秋山さんの姿を思い描いてしまった。秋山さんは、猫に近いのかもしれない。
 そんなことを思っていると、いつの間にか秋山さんがタオルを肩にかけ、髪を濡らし湯気を立て店内に戻ってきていた。
「お風呂はいってたんですか?」
「そうだ。お前、いつまでいるんだ?」
「もうそんな時間なんですか」時計を見ると8時半を超えており、私は急いで立ち上がった。
「ずっと思っていたんだが、なんで学校から帰ってくるときに家に帰らなかったんだ?」
「私も今、思いました」
 人が最も敏感に反応する言葉は、自分の名前らしい。雑踏の中にいても、自分の名前を呼ぶ声は正確に聞き分けることができる。その時の私は、そのような感じだったのかもしれない。まったく意識していなかったところから、自分の知っている人物の名前が出て私はすぐにテレビに目をやった。
「先日、神奈川県南足柄市にある足柄山で見つかった男女2人の遺体の内、男性の身元が判明しました。男性の名前は宮本慎吾27歳会社員。女性の身元は以前判明していません」
 なんで、と私は心の中でつぶやいたつもりが、どうやら言葉にして発せられていたらしく「ん?」と言いながら秋山さんが近づいてきた。
「どうした?」タオルでワシャワシャと髪の毛を拭きながらやってくる秋山さんからは柑橘系の良い匂いがし、そういえば猫は柑橘系の匂いは嫌いなのだったな、などと私は現実を受け入れられず思考を必死に違う方へ持って行こうとしていた。それでもテレビから流れるニュースは私を逃すまいと流れ続ける。
「警察では依然として女性の身元を調べるとともに、宮本慎吾さんと交際している緑川明美さんの行方が、事件後分からなくなっているとのことで参考人として行方を捜査中です」
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