前世の私は幸せでした

米粉

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38 サイラスの疑念

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「執事長、今宜しいですか?」
「どうぞ」

 王宮内、執事長専用の執務室。
 入室の許可を得て、サイラスは扉の先へと足を踏み入れた。

 室内には天井近くまで高さのある本棚と机、訪問者を迎える為のソファーとテーブルが設えられている、よくある造りの部屋だ。
 しかし、本棚の書籍やファイリングされた書類の並びは、内容、作者、本の高さまでを考慮し、見事なまでにきっちりと並べられており、机上に積まれた書類は四隅を綺麗に重ねられ、一部のズレもない。本棚から少し本がはみ出ているだとか、インク壺が斜めに置かれているだとか、そういう小さなズレすら一つも無い、全てが整えられた部屋だ。

 あまりの整い具合に息苦しさと緊張でガチガチになる新入りなんかも居るが、サイラスにとっては慣れたものだった。
 部屋の有りようは、その部屋の主を表す。
 美しい姿勢を崩さず、書類に流れるようにペンを走らせる眼前の人物以外に、この部屋に似合う人物をサイラスは知らない。

「何か用ですか? サイラス」

 王宮内の使用人を束ね、国王陛下の側付きを勤める彼の名は、ジル・ハイラント。
 シルバーグレーの髪をピシッとまとめ、執事服を着こなす老紳士は、机上の書類から目を話さずにサイラスに尋ねた。

「頼まれていた決算書類をお持ちしました。それと、そろそろ一息つきたくなる頃かと思いまして」

 流れるように走らせていたペンを止めて、ジルは視線を上げる。
 ようやっと目が合ったジルにサイラスは微笑み、用意してきたティーセットを見せた。

「お茶、いかがですか?」
「そうですね。丁度きりも良いですし、呼ばれましょうか」

 使っていたペンと書類を机上の定位置に戻し、ジルは席を立つとソファーへと移動する。
 それに合わせてサイラスもソファーへ移動し、ジルに持ってきた書類を手渡した。
 ジルが書類に目を通している間に、サイラスは二人分のお茶を用意する。

「アーヴェント殿下は大人しくしていますか?」

 書類に目を通しながらジルは問う。
 その質問に込められた意味は「部屋を抜け出さず、与えられた職務を全うしているか」だ。

「今も執務室で真面目に職務を全うしておられますよ。それに、自分が居ない間にもし城を抜け出そうとしたら、今後ブラム様の特性ブレンド茶しか出さないと言い含めてきましたから」
「ブラム様の?」

 書類から目を離さずにいたジルも流石に気になったのか、視線をサイラスに向ける。
 サイラスもその視線に手を止めて、一度ゆっくりと頷いた。

「魔力回復に特化したお茶なんですが、苦いんです。凄く」
「なるほど。それは興味深い」

 普通なら味を想像して顔を顰めるものだが、ジルの返事はは興味と好奇で満ちている。
 それはサイラスの思った通りの反応だった。

「そう言うと思って、こちら、ブラム様特性ブレンド茶です」

 ティーカップに注がれた澄んだ琥珀色は、見た目も匂いも普通の紅茶と変わりない。
 フィグは臭いで分かると言っていたが、人間の鼻には判別が難しいようだ。

「いただきます」

 色と香りを確かめてから、ジルはカップを口へ運ぶ。
 サイラスも口にしてみた事があるが、正直、緊急事態で火急の用で今すぐ迅速にのっぴきならない事情があって魔力回復をしなければいけない。という状況以外ではちょっと遠慮したい。もしくはブラムに勧められない限りは遠慮したい。

 果たしてどんな反応が返ってくるのか。
 悪戯心を隠しつつ、サイラスはジルがお茶を飲むのを見守っていた。

「ふむ。これは中々……悪くありませんね」

 表情が変わらないどころか、一口飲んだ後、一気に飲み干された。

「おっと、失礼。つい飲み干してしまった。まぁ、貴方と私しかいませんし、マナーについては良しとしましょう。もう一杯頂けますか?」

 流れるようにおかわりまで要求されてしまった。

(やっぱりこの程度じゃ顔色ひとつ変えないか。まさか飲み干すとは思わなかったけど)

 萎んでしまった悪戯心を飲み込んで、サイラスは要求されたおかわりと自分用のお茶を淹れる。
 ちなみに、緊急事態でもなければブラムに勧められたわけでもないので、サイラスの分は普通のアールグレイだ。

「サイラス」

 書類をテーブルの端に置いて、今度は味わうようにゆっくりと出されたお茶を口にしながら、ジルはサイラスを見た。

「殿下の外出を見逃すのも良いですが、あまり甘やかしすぎないように」

 ばれている。
 普段、城を抜けだす協力をしていた事、やはり隠し通せていなかったか。と、内心では冷や汗ものだが決して表情には出さない。しかし、言い訳したところで無駄だとサイラスは分かっていた。

「殿下の性格を考えると、縛り付けてばかりは逆効果だと思いまして」

 否定も良い訳もせず、サイラスは事実だけを伝えた。
 王宮の執務室に缶詰にしたところで良い結果は得られない。ストレスが爆発したアーヴェントが力づくで王宮を飛び出し、丸二日帰ってこない。なんてことが過去に実際あったのだ。その時の苦労と後始末の大変さを思えば、数時間の外出を時折許すだけで全て丸く収まるなら安いものだ。

 苦笑を浮かべるサイラスに、ジルはカップを置く。

「アーリベル様もグランド様も、城下に降りては市井の様子をその目と耳で感じ、政に活かしていました。しかし、御身に危険があってはならない。病院での件は、アーヴェント様の側付きである貴方にも責任があるという事を決して忘れないように」
「はい」
「一番は、あの方々がこちらの言を聞いて自重を覚えてくだされば良いだけの話なのですが。グランド様からヴェンダー様へ王冠が引き継がれ、日々の苦労もようやっと軽くなるかと思いきや、まさか嫁がれてきたアーリベル様が息子を連れて意気揚々と市井へ繰り出すようになるなどと……この一族の側付きを振り回す才は最早遺伝です」

 説教半分、愚痴それ以上。
 ジルの言いたい事は、アーヴェントの側付きを勤めているサイラスには痛いほどよく分かる。

 先王グランドは現国王ヴェンダーの父であり、アーヴェントとリヴェルの祖父にあたる人物だ。
 グランドはやること成すこと豪快で大胆、快活な人物だったが、息子であるヴェンダーは淡々と粛々と、寡黙で冷静。まるで太陽と月のような親子だと、周囲や国民からは例えられていた。
 しかし、決して不仲なわけではない。真逆な二人でも、国や民を大切に思う気持ちは同じものを持っていた。

「まぁ、真面目な息子が構ってくれないからって、意気投合した息子の嫁に城の抜け出し方を伝授する先代が一番手に負えませんが。大体――」

(これは止まりそうにないな)

 以前はグランドの、そして現在はヴェンダーの側付きを勤めているジルの日頃の鬱憤は察するに余りある。このままでは執事長を訪ねた本来の目的が果たせないと、サイラスは話の矛先を変えることにした。

「執事長の苦労、よく分かります。それに本来なら、別の方がヴェンダー陛下の側付きを勤められる筈だったんですよね? 確か――」

 サイラスの言葉にジルの眉が僅かに動く。

「バート・オルストン」

 サイラスが名前を口にすると、空気に少しの緊張が混じる。

「いや、今はご結婚されてバート・リー・オルストン伯爵になられたんですよね。現在はグラバー領を統治しているとお聞きしましたが、一体どうして側付きをお辞めになられたんですか?」

 その緊張に気付かないフリをして、サイラスは笑顔で続けた。そんなサイラスとは対照的に、ジルの表情は変わっていない。

 目が、笑っていない。

「その名をどこで知ったんですか?」
「どこで、とは?」
「この城で彼の名を進んで口にする者は限られています。一体どこでその名を知って、どうして彼の事を調べようとしているのか。 急ぎでもない決算書類を

 またしても、ばれている。
 書類など別にいつでも良かった。本来の目的は、バート・リー・オルストンについて知ること。

(さて、どうしよう。リヴェル殿下がオルストン邸に居るので家主について知りたいです。とは言えないし、黙ってたら怪しまれる……)

 アーヴェントはグレースに信頼を置いている。
 サイラスも実際に彼女に会い、悪い印象は抱かなかった。
 しかし、オルストンの姓を耳にした時、一瞬過ったのは昔聞いた真偽の分からない噂話。
 果たしてアーヴェントに伝えるべきか。
 まずは真偽を調べなければと事実を調べている間に、リヴェルの匿い先がオルストン邸に決まり、迂闊に伝える事も出来なくなった。
 不確かな噂を伝えて全てが白紙になってしまえば、リヴェルの行き先はどこにもない。
 そうなれば、アーヴェントの心労はますます増えるばかりだ。

(ある程度は想定内だし、仕方ないか)

「先日、殿下が街に行った際にオルストン伯爵のご息女、グレース様とお会いしたそうです」

 サイラスは隠す事を諦めて、口を開いた。

「殿下は変装中だったそうですが、気が合ったご様子でして。お名前をお伺いしたところ、グレース・リー・オルストンと名乗られたそうです。そこでオルストン伯爵のお名前を思い出しました」
「思い出した?」
「昔、アーリベル様の葬儀で大人達が話しているのを耳にしたんです」

 どこで、どういった状況で出会ったのかは伏せたままだが、嘘はついていない。
 過去に伯爵の名前を聞いた事があるのも事実だ。


 あれは前王妃アーリベルの葬儀の時、子供だったサイラスも大人達に交じり、裏方として王宮内を走り回っていた。悲しみに暮れる間もなく、慌ただしく働いてようやく迎えた休憩時間。
 人気のない所で休もうと場所を探していた時のことだった。

「やはり、あいつは来ていないな」

 聞こえてきたのは、聞き覚えのある男の声。
 反射的に身を隠して様子を伺うと、そこに居たのは、嫌われ者の貴族の男だった。
 自分より身分が低い者に対して横柄で傲慢な態度をとる男で、執事やメイドからの評判はすこぶる悪い。
 サイラスの存在には気付いていないようで、男とその友人らしき男は会話を続けていた。

「あいつ?」
「バート・オルストン、いや、今はバート・リー・オルストンだったか」
「おいおい、来れるわけがないだろ! 陛下よりも女を選んだ裏切り者がどの面下げて来れるって言うんだよ」
「ははっ、違いない! もしもこの場に来ていたら、どの面下げて来ているんだと追い返してやったのにな」

 品の無い陰口と笑い声に「時と場所を考えろ」と呆れながら、幼かったサイラスはすぐにその場を離れた。
 普段なら他者の陰口など気にも止めない。しかし、男の言っていた「陛下よりも女を選んだ裏切り者」という言葉だけが頭の片隅に残っていた。


「――最近までそんな話を聞いた事も忘れていましたが、グレース様からお名前を聞いた時に思い出したんです」

 サイラスは当時見聞きした記憶をジルに伝えた。
 話を聞いた途端、先程まで感情を表に出さずにいたジルの眉間に深い皺を刻まれている。

「陛下がお許しになった事をまだとやかく言う者が居たとは……それも時と場所をわきまえず…………痴れ者が」

 決して声には出さないが、怒りを露わにするジルにサイラスは「こわっ」と心の中で呟いた。
 ジルと付き合いの浅い人間がこの場に居たら、恐怖で速やかに部屋を退出し、何も見なかった事にするだろう。
 ジルはサイラスに執事のいろはを叩き込んだ人物だ。故に付き合いも長く、この鬼の形相を浮かべるジルに怒られたことなど一度や二度じゃ無い。

「まぁまぁ、お茶でも飲んで落ち着いて」

 サイラスは再びお茶を淹れ直して、ジルの前に置く。
 淹れ直されたお茶を口にして、ジルはフーッと息を吐いた。

「オルストンが辞めたのは、結婚して城を出ることを選んだからです」
「結婚、ですか? でも確か、側付きが結婚した場合、王宮に家族と暮らせる離れか部屋が用意される筈じゃ…」

 側付きは普通の執事やメイドとは違い、常に王や王妃の側に仕える、言うならば王族専属の従者だ。
 側付きが結婚する場合、王宮内に家族と住む場所が与えられ、何不自由ない生活が保証される。

「結婚する場合、奥方には仕事を辞めて王宮に入って貰う決まりがある。けれど、オルストンの奥方は、自分の仕事に誇りをお持ちの方で、辞めて王宮に籠る生活など出来ないと拒絶されたそうです。しかし、オルストンは側付きという立場にいる以上、主の側を離れる事はできない。だから」
「側付きを辞めた……」

 側付きとは、数いる従者の中から王の信用と信頼を得て直々に選ばれる、名誉ある仕事だ。
 時には主の盾となり、矛とならなければならない。
 この身体と魂の全ては主のために。

 そう教えられてきた。

(つまり、オルストン伯爵は仕えるべき主よりも、恋人と生きることを選んだ)

「陛下よりも女を選んだ裏切り者というのは、そういう意味――」
「裏切ってはいませんよ。見ようによってはそう見えるかもしれませんが。むしろ、結婚を諦めようとしていた彼の背を押したのは、ヴェンダー陛下とアーリベル様です」

 ジルは、サイラスの言葉を遮ってはっきりと否定したかと思うと、今日何度目かの溜息を吐いた。

「……まったく、箝口令が敷かれていたにも関わらず、そんな噂を口にする者がまだ居たとは。実に腹立たしい」
「箝口令?」

 聞き覚えの無い言葉にサイラスは尋ね返した。

「彼が辞めた当時、それこそ王宮内は彼の噂で持ち切りでした。裏切り者と謗る者も居た。それを見かねたヴェンダー陛下が、オルストンについて根も葉もない噂話をすることを禁じると、箝口令を敷いたんです。後にも先にも、陛下が怒りを見せたのはあの時のみ。あの、陛下の冷え切った瞳を見た者なら、軽々しく噂話なんて出来ませんよ」

 幼い頃から王宮で従事しているが、ヴェンダーが怒っているのをサイラスは見た事が無い。

(本気で怒った陛下の箝口令。そりゃ、噂もそこまで広がらないし、調べても当たり障り無い情報しか出ないわけだ)

 サイラスはオルストン伯爵について、信頼のおける他の古株のメイドや執事にもそれとなく話を聞いていた。
 しかし、得られた情報は「よく仕事が出来た」「働き者だった」程度のもので、退職の理由については一身上の都合としか聞いていないと、不思議なほどに皆が口を揃え、サイラスが聞いた噂については何も出て来なかった。

 だから、ジルの元を訪ねたのだ。誰よりも長くこの城に勤めているジルならば、何か知っているのではないかと。

(来て正解だった。伯爵の噂について疑念は晴れたし、オルストン邸に殿下を預け続けていても大丈夫そうだな)

 むしろ、元側付きがいるならリヴェルの事を安心して任せておけると、サイラスは安堵した。

「兎に角、オルストンは何か不義を働いて辞めたわけでは無いのでご安心を。本格的に関係を進めるようでしたら、早めに報告してください。こちらにも色々準備がありますから」
「関係?」
「オルストンのご息女とアーヴェント殿下の仲を取り持つために、ご息女の周囲を調べていたんじゃないんですか?」

 どうやらジルは、サイラスがアーヴェントとグレースの関係を進展させようとしていると勘違いしているようだった。
 正確には違うのだが、リヴェルの事が話せない以上、勘違いしてくれているのなら好都合だ。
 サイラスは「あぁ、そうでした」と笑顔で話を合わせる事にした。

「すいません、話に気を取られてしまって。オルストン様も悪い方では無さそうですし、家柄も申し分ない。いずれ良い関係になって頂けたらとは思ってますが、すべては殿下次第ですかね」
「そうですね……と言いたいところですが、決めるなら早い方が良い。殿下のお心は二の次に、婚約者候補を宛がわれる前に」

 リヴェルの所在が不明になった王宮では、第一王位継承者としての立場を確固たるものにしようと、アーヴェント派の人間が動きを見せている。
 最近、殿下に娘を紹介したいだの、良い相手が居るだの、サイラスにそれとなく殿下に話をしてくれと頼む人間が多いのもその為だろう。
 全て笑顔で躱しているが、正直鬱陶しい。

「陛下がお元気ならこんな事にはならなかったのでしょうが……民を欺き続けるのもいずれ限界が来ます。それは王妃様とて同じです。そうなれば、アーリヴェル殿下かリヴェル殿下のどちらかが王位を継がなければいけなくなる」
「えぇ……」

 ジルの言葉にサイラスは頷く。

 リヴェルが安心して王宮に戻れるよう、アーヴェントは犯人探しに尽力しているが、それを片付けてもアーヴェントには考えるべき問題が山ほど用意されている。
 王位について、国について、国王について。

(だからこそ、殿下を支えてくれる相手が居てくれたら良いのに)

 側付きとして、アーヴェントを支えていくのがサイラスの仕事であり使命だ。
 だが、従者の自分では支えきれない部分があることも理解している。

「……本当にグレース様が殿下の婚約者になってくれればな」

 サイラスは心からの願望をジルには聞こえないように、ため息交じりに吐き出した。

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