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34 別れの時とその後に
しおりを挟む「一通り片付けたし、病院の皆さんに挨拶もした。荷物も詰めたし、忘れ物は……うん、無い」
呟きながら指折り確認し、グレースは部屋の中をぐるりと見回して頷く。
今まで着ていた入院着は軽く畳んでベッドの上へ。
家から持ってきていた着慣れたワンピースに袖を通すも、黒髪になって以来着ていない所為か、姿見に映る姿に違和感を感じた。
「家に戻ったら、クローゼットの中を見直さないと駄目ね」
長い髪をゆるく一つにまとめ、身支度を整え終えると、杖と荷物を手に廊下へと出る。
回れ右をして再度見回した室内は、入院したばかりの時のように殺風景な部屋だ。
元から私物もあまり持ち込んではいなかったが、少ない私物でも部屋に彩を与えていたのだと、グレースは実感する。
「姉さん」
聞こえてきた声の方を向くと、アーティがこちらへと向かってきていた。
「準備できた?」
「えぇ。お父様とお母様は、まだブラム先生とお話し中かしら」
「さっき終わったよ。だから、呼びにきた」
アーティはグレースの隣に立つと、何も言わずに荷物をグレースの手から引き受ける。
「ありがとう」
「ん。部屋の中見てたけどどうかした?」
「ちょっとお別れをね。今日まで、お世話になりました」
向き直り、室内に向かって一礼するグレースにアーティは不思議そうな視線を向ける。
「なんで、部屋にお礼?」
「なんでと言われると……そうねぇ。人でも物でも場所でも、お世話になったのなら敬意を表すのが礼儀だと前世で教えられたの。入院してからずっとこの部屋で過ごしてきたしね」
「礼儀を表す……」
アーティはグレースの言葉を反芻すると体を向き直し、大きな体を折り曲げて頭を下げた。
「姉がお世話になりました」
突然の事に瞬きを繰り返すグレースに、アーティは顔だけを向ける。
「これで合ってる?」
「えぇ、とても綺麗な一礼。有難う、アーティ」
弟の素直さに胸が温かくなり、グレースはアーティの頭に手を伸ばし軽く撫でる。
転移症になる前は感じなかった感情だが、いうならば子供を見守っている時のような微笑ましさだ。
普段から大きく表情が変わらないアーティが少しだけ驚いているのを感じて、グレースはすぐに手を離した。
「ごめんっ、嫌だったかしら」
「いや、なんか」
撫でられた部分を擦りながらアーティは体を起こす。
「久々に、人に撫でられた気がする」
どうやら嫌がっていたわけではないらしい。
「家族の中で誰よりも大きいものねぇ」
淡々としたアーティの返事に笑いながら返して、グレースは部屋の扉を閉める。
名残惜しさを飲み込んで「行きましょうか」と、グレースはアーティとその場を離れた。
***
「いやー、話には聞いていたがどれも本当に美味しかった!」
「でしょう? しかも、退院だからってグレースの好きなものを出してくれて、帰りの馬車でどうぞって、クッキーまでくださって。ホーウェンさんも調理場の皆さんも素敵な方々だったわ」
バートとライラの言葉に、アーティもこくりっと頷く。
食堂での食事が余程気に入ったようで、正門で馬車を待つ間も称賛の声が止まらなかった。
「あとで、お礼と感想を伝えておきますね」
グレースは、ウェスタと今後も手紙のやり取りで交流を続けようと約束をしていた。お礼を伝えれば、きっと喜んでくれるだろう。
「オルストン嬢」
呼ばれて振り向いた先に居たのは、フィグとブラムだった。
「先生、フィグっ!?」
名前を呼びきる前に、駆け寄ってきたフィグがグレースに向かって飛び上がる。落ちないように慌てて抱き抱えると、よろめいたグレースをアーティが後ろから支えてくれた。
「こらっ、フィグ! 危ないでしょう」
ブラムの叱責にフィグは「ぶあっ」と鳴くだけで、グレースの腕に顔を埋めている。
「大丈夫ですよ、先生」
毎日のように感じていた腕の中の重みを、感じる事が出来なくなるのだと思うとやはり寂しい。
フィグの体を優しく撫でると、白い瞳を細めて小さく喉を鳴らした。
「ブラム先生。娘が長い間お世話になりました」
「医師として、病院として、当然の事をしたまでです。それに、フィグもご息女にすっかり懐いてましたし、色々と助けられました」
バートが差出した右手をブラムも握り返して握手を交わす。
「オルストン嬢も長い入院生活お疲れ様でした」
ブラムはそう言うとグレースに一歩近づいて、フィグを抱いたままのグレースの右手をそっと手に取る。
握手を求められているのだと理解し、グレースがその手を握り返すとブラムは小さな声で呟いた。
「今、隣にリヴェルが居ます。周囲には見えないようにしていますが、そのまま二回、瞬きをしてみてください」
「!」
表情は変えないように、言われるままグレースは二回瞼を閉じる。
すると、先程までは誰も居なかったブラムの隣に、リヴェルが佇んでいた。
(リヴェル君!)
長い鉛色の髪を三つ編みでひとつにまとめて、いつもの入院着ではなく、揃いのパンツとジャケットに身を包んだリヴェルはどこか所在なさげな表情を浮かべている。
しかし、グレースが見えていることに気付いたリヴェルは、ぱっと笑顔を浮かべ、声を出さないように「おねぇさん」と口を動かして見せた。
「そのまま気付かないふりをしてください。ご両親には説明してありますが、あちらに着く頃には魔法が切れて、皆さんにも姿が見えるようになります。さ、フィグ。丁度良く馬車も来ましたし、名残惜しいですがお別れですよ」
ブラムの言う通り、近づいてきた馬車がすぐそばに停まり、御者から「お待たせしました」と声が掛かる。
ブラムはグレースの手を離し、そのまま受け取るようにフィグを抱きかかえた。
「暫くは定期検診で顔を見る機会もありますが、何かあれば遠慮無く連絡をくださいね」
「はい。先生もフィグもお元気で。病院の皆さんとヴェントさん達にも宜しくお伝えください」
(退院までにもう一度ヴェントさんに会えたらと思っていたけれど、やっぱり難しいわよね)
何せ相手はこの国の王太子だ。
城を抜け出す事も本来なら難しく、リヴェルの一件で抜け出していた事がバレた為に監視の目が厳しい状態だとフィグが言っていた。
淡い期待を飲み込んで、惜しむようにフィグの頭を「またね」と撫でると、指先をぺろりっと舐められる。
「姉さん、そろそろ」
「うん」
いつの間にか馬車に荷物も積み終わり、あとは乗り込むだけになっていた。
ブラムが隣のリヴェルに目配せをすると、リヴェルはグレースの隣へと移動する。
声を発する事ができないリヴェルは、挨拶の代わりにブラムへと深々と頭を下げた。
その姿に驚いたようにブラムは目を見開くも、すぐに優しく微笑んだ。
「それじゃあ、失礼します。本当に有難うございました」
深々と一礼して、グレースはリヴェルと共に馬車へと乗り込んだ。
緊張と不安が入り混じったような顔で、グレースの隣に座るリヴェルの手をそっと握る。
「大丈夫。ちゃんと傍に居るからね」
グレースの言葉にこくりっと頷いて、リヴェルはブラムとフィグが見えなくなるまで窓の外を見つめていた。
***
「行ってしまいましたね」
馬車を見送って、ブラムは腕の中のフィグに話しかける。
「何か言葉をかけなくて良かったんですか?」
猫の姿のフィグは人語を話せない。
人型に化けて出てこなかったのはあえてなのだろうと察してはいたが、せめて一言ぐらい声をかけても良かったのではないかとブラムは思う。
「……」
ブラムの腕から飛び降りて、フィグは足早に院内へと戻る。
すれ違う患者達とにこやかに挨拶を交わしながら、フィグの後を追って廊下を進み、院長室へとたどり着いた。
「お前、分かってて言ってるだろ」
部屋の扉が閉まるや否や、フィグは人型へと変化する。
上下ともに黒で揃えたシャツと短パン姿の少年は、フンっと鼻を鳴らしてソファーに勢い良く座った。
「何がです?」
睨みつけるように見上げるフィグをブラムは笑顔で躱す。
「白々しいぞ。アーヴェントからリヴェルにって預かった封筒、あれに何が入ってるか大体分かるつーの!」
「それでも、別れの言葉くらい伝えても良かったのでは?」
「すぐに会えるって分かってて何を言えってんだ! まったく、あいつもその気なら最初から言っとけよな」
けっと悪態をついて、フィグは頭の後ろで手を組んでふんぞり返る。
(不満を言いたかったが為に、さっさと部屋に戻ってきたんですね)
院長室はいくつもの結界で守られ、覗き見や盗聴などができないようになっている。
リヴェルを隠す為に元からはっていた結界を更に強化し、外部からの魔法に関する干渉も不可能だ。
怒りを振りまくフィグは、数日前まで別れを寂しがり静かだったフィグとはえらい違いだ。態度の変化に思わず笑いだしそうになるが、笑えばきっとフィグは怒るだろう。
これ以上の燃料を投下しないよう、コホンっと咳払いを一つして、ブラムは話題を変えるべく窓際へと移動する。
「そう言えば、気付いてましたか?」
今日は暑すぎず寒すぎず、過ごしやすい気候で退院にはもってこいの良い天気だ。
グレースも無事見送り、急患もなく、滞りなく業務も進み、いつも通りの病院の空気。
その中に一瞬だけ混じった異質をブラムは感じ取っていた。
「あぁ、鳥に見られてたな」
フィグも気づいていたようで、さして驚く事も無く頷いた。
「案の定、緩めた結界の隙間から入ってきたようです」
リヴェルを退院扱いにし院内で匿うと決めた時、アーヴェントは王宮内の人間は勿論、王妃にも事実を隠し「リヴェルは退院させた」とだけ告げた。
命を狙われ危険な状況だという事と、その犯人が王宮内にいる可能性がある為に行き先を話す事はできないとし、グレースがリヴェルを預かる事も誰にも伝えていない。
リヴェルが王宮に戻って来ないとなれば、行き先を調べるべく、犯人が再度病院に忍び込む可能性がある。ならばそれを利用し、万が一にでもグレースに気付かれないように注意をこちらに向けようと、ブラムとフィグは相手を招き入れるべく、結界の一部の魔力を僅かに弱めていた。
「思ったほど強くなさそうだけど捕まえるか? ダイナーを操った時みたいに誰かに入り込まれたら事だぞ」
「多分、他者を操る程の力はありませんよ。以前より魔力が弱い。リヴェルの魔力に当てられて相手も無事では済まなかったのか、もしくは院内を探る為だけに必要最低限の魔力で再度放たれたか」
考え込むように腕を組み、ぶつぶつと呟くブラムの思考を中断するように「なんにせよ、だ!」と、フィグは勢いをつけてソファーから立ち上がる。
「こっちに気を向けてくれてるなら作戦通りだろ。その為に院内の結界の貼り直しやら、色々準備してきたんだからな」
そう言うと、フィグは別の姿に変化する。
「しばらくは、俺に騙されて貰うぜ」
そこに居たのは、鉛色の長い髪を三つ編みでひとつにまとめた幼い顔立ちの少年。
フィグは入院着を着たリヴェルに変化して、リヴェルが到底しないような意地が悪い笑みを浮かべていた。
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