前世の私は幸せでした

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28 退院と彼女の決意

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「失礼します」

 訪問を告げるノックの音にグレースが答えると扉が開き、ブラムが現れた。

「こんにちは、オルストン嬢。体調に異変はありませんか?」
「こんにちは、先生。今日も変わりありません」

 病室に様子を見に来たブラムとの、いつも通りのやり取り。
 普段ならここで、フィグが合わせた様にひと鳴きするのだが、今ここにフィグの姿は無い。

「フィグとリヴェル君はお元気ですか?」
「フィグは相変わらずです。でも、今日はリヴェルが朝食を完食しまして」
「本当ですか!?」
「はい。おかげで残り物にありつけなかったと、フィグが嘆いていました」
「ふふっ、本当に相変わらずですね」

 食が細いリヴェルが残した朝食を、代わりに食べるのが最近のフィグの日課なのだろう。
 食いしん坊なフィグの、肩を落とす姿が目に浮かぶようだ。

「二人とも、元気そうで良かったです。あの、リヴェル君の癇癪は……」
「そちらも今のところは起きてません。サーリーもあれ以降大人しいですし、まだまだ不安定な部分はありますが、リヴェルも精神的に安定してきています」
「そうですか。良かった……」

 グレースは、ほっと胸を撫で下ろした。

 リヴェルの魔力暴走から一週間。
 速やかに退院手続きを済ませ、つい数日前にリヴェルはあの部屋を出て行った。
 大きすぎる魔力の暴走により、院内の人間を傷つける可能性がある。よって、これ以上は置いておけないとして、ブラムはリヴェルの退院を院内のスタッフに告げたそうだ。

 しかし、それはあくまで表向きの話。

 現在もリヴェルは、院内にあるブラムの部屋で秘密裏に生活をしている。

 リヴェルを狙う犯人の目的、正体も分からず、今後また同じように襲ってくる不安を考えると、居場所のない家に帰す事は勿論、今までのように一人で病室に閉じ込めておく事もできない。
 家にはヴェントがいるが、四六時中一緒に居る事はできず、身内に犯人が潜んでいる可能性を考えれば親類一同にも頼めないだろう。
 ならば、フィグとブラムのそばで、信頼できる退院先が見つかるまで匿うのが一番安全という話になった。
 このことを知っているのは、魔力暴走の時にあの部屋にいたダイナー以外の人間だけだ。

「院内の看護師さんとか、他の働いてる方々にはバレてないんですか?」
「特に皆さん気付いてる様子はないですね。元より私が生活してる部屋なので環境は整っていますし、今回の事で強化しましたが以前から侵入防止の結界も張ってあります。食事も大食いなフィグの分だと言えば、食堂の皆さんは気にしませんよ。問題は、リヴェルがオルストン嬢に会えない事を寂しがっている事くらいです」

 ブラムとフィグのどちらかは、必ずリヴェルについていなければいけない為に、フィグは以前ほど頻繁にグレースの部屋を訪れることは無くなった。そして、リヴェルとは魔力暴走の騒ぎ以降、会えたのは一度きり。
 どこで誰が見ているか分からない以上、リヴェルの居場所を知られるような行動は慎まなければと、グレースはリヴェルの元を訪ねるのを控えていた。

「私も寂しいです。また皆で食事会をするの、楽しみにしてたんですけど」

 グレースの言葉を受けて、ブラムは困った様に笑う。

「幼い頃から見ていますが、リヴェルがあそこまで他人に懐くのを初めてみました」
「幼い頃からって、リヴェル君が入院する前からですか?」
「えぇ。知り合いであろうと患者さんには平等に接しなければと、人前では呼び方にも気をつけていたつもりなんですが、今回の騒ぎではそこに気を掛ける余裕もありませんでした」

 そういえば、ブラムが患者の名前を呼び捨てで呼ぶところを見た事がない。リヴェルの事もグレースの前では「リヴェル殿」と呼んでいた事をグレースは思い出す。

「もう書類上は病院から退院してますし、これからは彼を多少贔屓目で見る事も許されるでしょう。なので、リヴェルの悲しむことは出来るならしたくは無いんですが……」
「ブラム先生?」

 口を閉ざしたブラムにグレースが声をかけると、ブラムは困った様に微笑み、再度口を開いた。

「オルストン嬢、貴方の退院が決まりました」

 いつも通りの穏やかで優しい声音。
 けれど、いつもとは違う、伝える事を覚悟した真っ直ぐな視線にグレースは頷いた。

「分かりました」
「……驚かないんですね」
「脚も日常生活に問題が無い程度には動くようになっていましたし、薄々、そろそろかなっと思っていました。詳しい日取は、もう決まっているんですか?」
「いえ、ご家族の都合もありますし、一度ご両親と話し合ってから決めるつもりです」
「退院について話したいって言ったら、お父様、きっと飛んできますよ」

 喜び、家を飛び出そうとする父と、それを諫める母の姿を想像し、グレースは笑みを浮かべた。
 我が家に帰れることは純粋に嬉しい。思いの外、居心地の良かった入院生活や、ここで出会った人々と別れるのは寂しいが仕方のない事だ。

(仕方ない。仕方ない事だけど……)

 グレースの脳裏に、泣きながら謝っていたリヴェルの姿が浮かぶ。

(このままは、やっぱり嫌だわ)

「先生、私からもお話があるんです」
「なんでしょう?」

 膝の上に置いた両手を強く握りしめ、グレースはブラムを見つめた。

「リヴェル君を、我が家で預からせて頂けませんか?」
「!」

 驚きの表情を浮かべるブラムから目を逸らさず、グレースは続ける。

「先日の騒ぎの後から、ずっと考えていたんです。うちなら部屋も空いてますし、このまま病院で隠れて過ごすよりは良いんじゃないかと」
「それは……確かに願ってもない提案ですが賛同しかねます。分かっていますか? 最悪の場合、貴方だけでなく、ご家族まで危険に巻き込むことになる。それに、リヴェルを狙う人物だけでなく、サーリーも危険の対象なんですよ?」
「重々承知していますし、家族には私から説明します。それに、リヴェル君を狙う人物も、まさか赤の他人の家に居るとは思わないんじゃないでしょうか」

 魔力暴走のあと、リヴェルの退院の話が出た時からグレースは考え続けていた。
 他人の自分が首を突っ込むのは迷惑かもしれない。
 だが、他人だからこそできることがあるのではないか。

(私が病院でリヴェル君と仲良くしているのを知ってるのは、限られた人達だけ。話に聞いた黒い鳥も見てないし、私の事を犯人が知ってる可能性は低いはず)

「サーリー君の事も、不安が無いと言えば嘘になります。でも、私の家族なら大丈夫だと思うんです」

 本来なら何の根拠もない言葉だと、ブラムはグレースを嗜めるだろう。
 しかし、グレースの母であるライラと、弟のアーティは武に長けた人物であると聞いた事がある。
 グレースの家族が見舞いに来た際、二人を目にしたフィグが「あの二人は敵に回しちゃ駄目な奴だ……」と、遠巻きに眺めながら呟いていたのを覚えている。

「ご両親が承諾するとは限りませんよ?」
「その時は、許可を得られるまで説得するだけです」

 凛とした視線と言葉に、表情には出さないもののブラムは内心驚いていた。

(……本気で、リヴェルと向き合おうとしてくれてるんですね)

 普段、穏やかなグレースにしては珍しい、強い意志表示。
 暫しの沈黙のあと、ブラムは小さく頷いた。

「分かりました。リヴェルに話をしてみましょう」
「本当ですか!」
「現状として、いつまでもこのままではいられないのも事実ですし、オルストン嬢の言う事も一理あります。リヴェルも、貴方のそばでなら精神的な不安に駆られる事も少ないでしょう。しかし、先ずはオルストン家の皆様は勿論、リヴェルの家族から了承を得なければいけません」

 家族の了承を得る。それは当然の事だと、グレースも分かっていた。
 自身の両親の説得は自分次第だ。だが、リヴェルの母親への疑念が拭えない状態で、果たしてリヴェルの家族の許しを得る事などできるのか。
 グレースの不安を察したのか、ブラムは「オルストン嬢」と、優しく声をかけた。

「先ずはヴェントに私から話してみます。彼も貴方を心配して、簡単には首を縦に振らないかもしれませんが、オルストン嬢の気持ちはしっかりと伝えておきますね」
「はい、よろしくお願いします」

 軽く頭を下げながら、ブラムの口からヴェントの名を聞いて、グレースは前回別れた時に掛けられた言葉を思い出していた。

『今日は一旦戻るけど、近い内にまた来る。その時、話聞いてくれるか?』

(明確にいつとは言っていなかったし、一週間程度ならまだ近い内に入るのかもしれないし、勝手に二、三日くらいだと私が思っていただけで……来ない事はない、はず……)

 日が経つにつれて不安が過る心を、きっと忙しいのだろうと納得させてグレースは一週間を過ごしていた。
 ヴェントに話す気が無くなったとしても、それを咎めることは出来ない。話す話さないは、ヴェントの自由だ。

(やっぱり、前も今も待つのは苦手だわ)

 サイドテーブルに飾ったヴェントから貰った花束を一目みて、グレースは心の中で小さく息をついた。

「あの、ヴェントさんがいつ頃来るか、先生は分かりますか?」
「そうですね……」

 少し悩む素振りを見せて「あ」と、呟いたブラムに、グレースの肩が期待でわずかに跳ねる。

「ヴェントの事は分かりませんが、明日は王宮から視察団が来ますよ」
「視察団、ですか」
「えぇ。年に二度、院内の様子を見にくるんです。今回は王太子殿下も同行するとの事で、患者さんも看護師達も皆さん浮足立ってるんですが……オルストン嬢は王太子殿下より、ヴェントが来た方が良さそうですね」
「そ、そういうわけでは……!」

 目に見えて肩を落とす姿にちょっとした悪戯心でヴェントの名を出すと、グレースは今度は焦ったように首を横に振った。

「……これは、ヴェントも複雑でしょうね」

 その反応にブラムはくすりっと笑い、グレースには聞こえないよう小さな声で呟いた。

「? 何か仰いましたか?」
「いえ、そういえばそろそろ昼時ですし、リハビリがてら良ければ食堂までご一緒しませんか? 今日の昼食は、新作に挑戦してみたと食堂の皆さんが張り切ってましたよ」
「新作! ぜひ!」
「では、行きましょうか」

 グレースの即答に、ブラムは微笑んで杖を差し出す。
 明日、王太子殿下を見てどんな反応をするのか。場合によっては、ヴェントのフォローに回らなければ。と昼食に目を輝かせるグレースを横目に、ブラムは病室の扉を開けた。

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