前世の私は幸せでした

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27 苦いお茶会

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 人目を避けてブラムの部屋から茶葉と茶菓子を拝借し、サイラスが訪れたのは三階の給湯室。
 魔法を使えばすぐに湯を用意できるが、少しばかり思考する時間が欲しい。サイラスは腕を組み、湯を沸かす火を一点に見つめていた。

「ふー……」

 強張っていたサイラスの肩から力が抜ける。
 部屋の修復は終わったが、大変なのはこれからだ。今回起こった事について、ヴェントは色々と調べようとするだろう。そうなれば、サイラスも主を支える為に尽力しなければならない。

(殿下が帰ってきた時は、何事かと思ったな)

 主であるアーヴェントが帰宅したのは、サイラスが執務室の掃除をしていた時のことだった。

「すぐにエリダルを連れてきてくれ。詳しくはあっちに行ってから話す」

 扉を開けるなり、そう告げたアーヴェントの表情は真に迫っていた。そして、その後ろに見えた扉の向こう側は、見慣れた王宮の廊下ではない。
 魔法で、病院と執務室の扉を繋げたのだと理解すると同時に、専属医エリダルを呼ぶ事態なのだと瞬時に察したサイラスは、急ぎエリダルを呼んで病院へとやってきた。

(あのご令嬢が、殿下の話してた方……)

 アーヴェントが初めて見舞いに行ったその日から、たまに耳にするようになった入院患者の女性の話。
 若く見えるが、何だか妙に落ち着いていて面白いだの、今まで出会った令嬢とは少し雰囲気が違うだの、時折話に出てくる彼女は、サイラスにとっても興味を引く存在だった。
 今日、実際に噂の彼女に会ったが、確かにアーヴェントの話の通りに落ち着いた雰囲気のある女性だった。普通の令嬢ならば、血だらけのブラムの腕を悲鳴も上げずに凝視する事はないだろう。
 あの状況で、随分と肝が据わっていると関心を覚えたほどだ。

 アーヴェントが貴族の令嬢と親しくなるのは、個人的にはとても喜ばしい。なんせ、アーヴェントには未だに婚約者と言える女性が居ない。
 本来なら、幼い頃から決められた相手が居るものなのだが、アーヴェントの母である前王妃は何故かそれを良しとしなかった。
 前王妃が病気で逝去し、最初は王宮内でも前王妃の意思を尊重していたが、そろそろ本腰を入れて決めようと話が出た事がある。アーヴェント本人がのらりくらりと避け続けていたのも決まらずにいた理由のひとつだが、その頃、立て続けに王宮内で問題が起こり、結局婚約者の話はたち消えてしまった。

(殿下にお相手ができるのは良いことだ。けど……)

「リー・オルストン。もしかして彼女の父親は――」

 グレースが名乗ったその名は、確かに聞き覚えがある。
 しばし考え込むように、サイラスは口元に手を当て俯いた。

「殿下は、彼女の家のことを知ってるのか?」



 ***



 ブラムの発案に対し「今このタイミングでお茶ですか!?」という喉まで出かかったグレースの言葉は、サイラスの行動の早さの前では、発する事すら叶わなかった。

「すぐに用意します」

 頷くやいなや、ブラムと会話を交わし、足早に部屋を出て行ったサイラス。戻ってきた彼の手にはお茶の道具が一式揃えられていた。
 テーブルへと促され、目の前にはあっという間にお茶と茶菓子が並べられる。

「あの、このお茶は一体どこから……」
「ブラム様のお部屋からです」
「今の短い時間で一階まで行ってきたんですか!?」
「少々、急ぎましたから」

 ブラムの部屋は一階にある理事長室の隣だ。どうしたらあの短時間で一階から三階まで往復し、お茶まで用意できるのか。

(有能……。あまりにも有能だわ、この方)

 笑顔で答えるサイラスに言葉を失っているグレースを見て、ブラムは小さく笑った。

「サイラス君は仕事が早いうえに、淹れるお茶も美味しいんですよ。ですから、是非冷めない内に。クッキーも遠慮なく食べてくださいね」

 正直、この部屋の惨状を眺めている事しか出来なかったグレースが、まだ戻ってきていないフィグとヴェントを置いて一息ついて良いのだろうかと思う。
 だが、淹れて貰ったお茶が冷めてしまうのも、勧められたのに口にしないのも申し訳がない。

 グレースは悩んだ末に「……いただきます」と、一口お茶を口にした。
 鼻腔をくすぐる香りと、口の中に広がる独特の風味。喉を通っていく温もりに、ほうっと息がもれる。

「美味しい……。カモミール、ですか?」
「えぇ。オルストン様には、普通のカモミールティーをご用意しました」

(普通の?)

 サイラスの言葉に首を傾げつつ、お茶を続けているとフィグとヴェントが揃って部屋に戻ってきた。

「お、クッキー!」
「サイラス、俺にも淹れてくれ」

 一目散にテーブルの上にあるクッキーを容器ごと抱きかかえ、摘まんで口へ放るフィグと、サイラスが淹れた紅茶を立ったまま一気に飲み干すヴェント。
 美味しそうに咀嚼するフィグとは対照的に、ヴェントの表情が、みるみるうちに歪んでいく。

「…………にっっっげぇ!!!!」

 勢い良くティーカップをサイラスに突き返して、ヴェントは苦渋の表情を浮かべる。

「行儀が悪いですよ、ヴェント様」
「……っ、何入れたサイラス……!」
「ブラムのだろ、その茶。魔力回復用の。匂いは悪くないけど苦くて飲めたもんじゃねぇぞ」

 くんくんっと鼻を動かして、フィグはヴェントを見ながらクッキーを次々と口へ運んでいく。

「失礼な。確かに苦味は強いですが、魔力回復に特化するように色々調合してありますから、効き目は抜群ですよ」

 顔色ひとつ変えずにお茶を口にするブラムに、舌を出しながら、フィグは苦々しい顔をする。ヴェントはそんなフィグからクッキーを奪い取り、苦味を誤魔化すように口に放り込んだ。
 そのやり取りを見て「成程、先生がお茶を提案したのは魔力回復のため……。そして、あれが普通じゃないお茶。青汁? いや、どくだみ茶みたいな感じかしら」と、グレースは心の内で、前世でよく口にしていた健康飲料を思い出していた。

「それで、どうでしたか?」

 ブラムはティーカップを置き、ヴェントを見る。

「部屋の結界は案の定破られてた。見張りの守衛と、そいつの弟、ディックだったか。どちらも怪我は無し。眠らされてたよ」

 後ろ手に縛られたまま、壁に寄りかかるように座らされているダイナーは、未だに気絶したままだ。
 ダイナーの隣に片膝をつき、ヴェントは守衛とディックから聞いた話を語り始めた。

「先ず守衛の話だと、ダイナーとディックに普段と変わった所は特に無く、自身もいつも通りに部屋の外で見張りを続けていたそうだ。けど、急激な眠気に襲われて、気付けば意識を手放していた。周囲と窓の外にも人影は無し。見えたのは、窓の外を黒い鳥が一匹飛んでいるだけだった」
「黒い鳥、ですか」

 ブラムが眉根を寄せて呟くと、ヴェントは頷き返す。

「俺が着いた時、廊下の窓が開いてたけど、守衛は開けた覚えが無いらしい。ディックも言ってたよ。扉が開いて、黒い鳥が部屋に入ってきた。途端に眠くなって、倒れる間際に、兄さんの体に鳥が入り込むのを見たってな」
「鳥が体にって、どうやって……」
「本物の鳥ならば無理でしょうね」

 グレースの問いに答えるとブラムは席を立ち、ヴェントと入れ替わるようにダイナーの横に膝をついた。

「鳥の詳細、入り込んだ際の状況は聞きましたか?」
「鴉みたいに見えたけど、鴉よりも大きい。兄さんに勢いよく飛び掛かって、胸から兄さんの中に入っていった」

 ディックの言葉をそのまま伝えるように、今度はフィグが答えて、クッキーを食べながらブラムの向かい側にしゃがむ。

「俺も途中から合流したけど、こいつらの部屋から鳥の臭いなんて一切しなかった。間違いなく魔法の類だろ。随分と簡単にやってのけてるけどよ、やろうと思って出来る魔法か? これ」
「普通ならば無理でしょうね。他者を乗っ取るなど、もし出来たとしても使ってはいけない。禁忌の魔法の類いですし、使えば罪に問われます」

 禁忌の魔法。
 それは、倫理、道徳を軽んじ、害を及ぼし、人が扱うには余りある、様々な理由で使用を禁じられた魔法をさす。
 だが、並みの魔力を持つ程度じゃ使うことは先ずできない高度な魔法がほとんどだ。
 この世界で生きていて、その言葉の意味を知らない者は居ない。部屋に居る全員が一様に、険しい表情を浮かべていた。

「それに、これだけ高度な魔法、普通ならば多少なりと魔力の残滓が残ります。しかし、今のダイナーからはそれが一切感じられない。残滓さえも残さず消し去っているのは、こちらの追跡を不可能にする為でしょうが……ここまでの魔法、そうそう扱えるものじゃない」
「随分と厄介な奴に目を付けられちまったな、リヴェルの奴」

 そう言って、また一枚クッキーを口に放ると、フィグはその場を離れグレースの隣に座る。

「……どうして、リヴェル君がそんな人に」

 深夜サーリーと交わした会話。彼の言葉を全て信じているわけではないが、サーリーの言っていたリヴェルの母親の事が頭を過る。

 小さく呟いたグレースの言葉が聞こえたのか、フィグがトントンッと指でグレースの肩を叩く。
 横を向くと、グレースの口に大きめのクッキーが差し込まれた。

「んむっ!?」
「そんな心配そうな顔すんなよ。言ってただろ? ちゃんと話すって」

 フィグは、ブラムと話を続けるヴェントに視線を向ける。

「色々と予想は出来るけど、俺には話せる権利が無いからな。もうちょっとだけ待っててやってくれ」

(それは、ヴェントさんの話を聞けば、リヴェル君が狙われる理由が分かるってことで良いのかしら?)

 クッキーで塞がれて返事が出来ない代わりに、グレースが一度だけ頷くと、フィグは「よしっ」と笑った。

「あとは、ダイナーとリヴェルが目覚めてから各々に聞き取り調査を施します。良いですか? ヴェント」
「あぁ、頼んだ。俺も色々と調べてみる。が、問題はリヴェルをどうするかだな……。もう襲われないとは言いきれないし、今後こんな事が起こった場合、病院の人間を巻き込む可能性が無いとは言いきれないからな」
「家に戻すわけには?」
「誰が狙ってるか分からない以上、厳しいな」
「なら、早急に別の場所を用意するしかないですね」
「別、別か……」

 悩むヴェントとブラムに「あの、お話し中、失礼します」と声をかけたのは、サイラスだった。

「どうした?」
「重要な話の最中に、申し訳ありません。怪我の治癒も必要ですし、そろそろ戻らないと気付かれるかと」

 声を潜めて差し出された時計を見て、ヴェントは眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めた。
 その表情に何かを察したのか、ブラムは「分かりました」とヴェントの背を軽く叩く。

「リヴェルの事は、任せてください。今日は、フィグと協力して側で見ているつもりですし、何かあればすぐに知らせます」

 きっと、ヴェントはリヴェルの側に居たい筈だ。それが出来ないのは、何かしら事情があるのだろうと、ヴェントの表情からグレースは察した。

「……ブラム、フィグも。悪い。リヴェルの事、宜しく頼む」
「えぇ」
「礼は菓子折りでいいぞ」

 ヴェントは頭を下げると、今度はグレースに向き直る。

「グレースも、巻き込んで悪かっ――」
「ま、待った! 」

 謝ろうとするヴェントの言葉を止めて、グレースは立ち上がり、ヴェントの前に移動する。

(危険だと分かっていて、それでも関わろうと決めたのは私だもの。巻き込まれたわけじゃない。結界で守って貰って、傷ひとつ負ってもいないのに、ヴェントさんの謝罪を受けるわけにはいかないわ)

「自ら望んで関わったのは私です。謝罪の言葉は必要ありません」
「でも――」
「そー、そー、謝罪なんて食えないもんより、グレースだって菓子折り貰った方が良いよな」
「そういうわけじゃないけど……でも、そうね。貰ったお菓子で、今度はリヴェル君も一緒に皆でお茶出来る方が嬉しいわ」
「あぁ、それは良いですね。新しく魔力回復用のお茶を作って試したいので、サイラス君に淹れて貰って、エリにも医者目線の感想を聞いて」
「腕によりをかけて、お淹れしますね」
「…………」
「やめろ。苦い茶と一緒にされる菓子の身になれ。普通の美味い茶会にしろ。おい、エリ、お前も頷いてんな! なんでお前ら二人は、ブラムにそんな従順なんだ!」

 苦々しい顔でサイラスとエリダルを睨むフィグ。
 そのやり取りを、呆気にとられたように眺めるヴェントに、グレースは声をかけた。

「お茶会楽しみですね」
「あんた……本当、敵わないな」

 微笑むグレースに、ヴェントは困ったように呟く。
 その顔からは先程までの険しい表情は消えていた。

「今日は一旦戻るけど、近い内にまた来る。その時、話聞いてくれるか?」
「もちろん。ちゃんと怪我を治して貰ってくださいね」
「分かってる。それじゃ、また」

 グレースから離れて、眠るリヴェルの頭を撫でると、ヴェントは賑やかに騒ぐフィグから二人を引き剥がし、病院を後にした。

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