前世の私は幸せでした

米粉

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 グレースは、灯りを手に真っ暗な廊下を一人で歩いていた。
 目的の部屋まではそう遠くない筈なのに、何だか距離が長く感じる。

(見回りの時間は避けたけど、本当に居るのかしら……)

 リヴェルから渡された封筒に入っていた紙片。そこに書かれていた一文に応える為、グレースはリヴェルの病室へ向かっていた。
 差出人であるサーリーに呼び出される理由など、グレースには皆目検討がつかない。食事会の後、見舞いに来てくれた家族との面会中も「なぜ? どうして?」と、グレースの頭は疑問でいっぱいだった。

「……開いてる」

 リヴェルの病室につくと、呼び出しの一文通りに扉が開いていた。

「お、来た」

 開いた扉の向こう側、暗い部屋の中を見つめていると、声と共にぼんやりと人型ひとがたが浮かぶ。
 その正体は、椅子を引きずりながら現れたリヴェルだった。
 だが、表情や振る舞いから彼が別人だと分かる。

「リヴェル君、じゃないのよね?」
「そうだよ。改めまして、俺はサーリー」
「……グレース・リー・オルストンです」
「グレース、グレースね。よいしょっと」

 名前を名乗る事に多少の戸惑いを感じたが、相手も名乗っている以上、返すのが礼儀だ。
 グレースが名乗り返すと、サーリーは名前を反芻しながら持ってきた椅子に座る。

「あ、ごめんね。椅子、貸してあげたいんだけどさ、この前の誘拐騒ぎで結界強化されちゃって。結界に髪の毛一本触れようもんなら、先生に察知されちまうんだよね。おかげで部屋から椅子も出せやしない」

「本当、いい迷惑だわー」と、サーリーは口を尖らせる。
 幼い容姿から発せられる大人びた言動に違和感はあるものの、初めて出会った時のような恐ろしい雰囲気は感じられない。

「というか、よく来たね。しかも一人で」
「貴方が呼び出したんでしょう?」
「そうだけどさ。普通、先生とか黒猫に相談するもんじゃない? 俺とリヴェルに近付くなとか言われてないの?」

 勿論、ブラムとフィグに相談する事を考えなかったわけではない。
 だが、サーリーが危害を加えようとしたグレースに再度接触を謀ろうとしたと知れば、サーリーとリヴェルに対する病院の対応は、結界の強化だけでは済まない可能性がある。

「言われてるけど、この事を相談したら貴方とリヴェル君の現状が更に厳しくなるかもしれない」

 今の軟禁に近い状況も幼い子供には厳しすぎるのではないかと思うが、病院の方針や対応に、グレースがどうこう言うことは出来ない。

「これ以上、リヴェル君の自由が減ってしまうのは、本意ではないもの」
「ふーん……。思たより、まともなんだな。頭のわるーいご令嬢ってわけじゃないんだ」
「それより、どうして私を呼び出したの?」

 まるで値踏みするかのような視線に後ずさりしそうになる足を踏みしめ、グレースは話を本題へと移した。すると、サーリーは満面の笑みをグレースに向ける。

「グレースちゃんって何歳?」
「は?」

 想像もしてなかった質問に、グレースの口から声が漏れた。

(歳……? というか、ちゃんって???)

「だから、歳だよ。とーしっ」

 そんな事を聞いて何になるのか。グレースの頭の中は混乱でいっぱいだが、答えなければ話が進みそうもない。

「えっと、十七……」
「じゃあ、前は?」
「きゅ、九十八」
「ばーちゃんじゃん!! なるほど通りで、妙に落ち着いてんなと思った。じゃあさ、格闘技とか喧嘩とか、殺しの経験は?」
「格闘技というか、武術は幼い頃に少し……。殺しは、あるわけないでしょう!?」
「え、貴族のお嬢様って武術も習うの?」
「いえ、母が前世で嗜んでた影響で、うちが特殊なだけかと」
「じゃあ殺気に気付いたのもその影響か。鍛え方が良いのかな。グレースちゃん、才能あるんじゃない?」
「いや、才能はどちらかというと弟の方が……というか、さっきから何なんですか……!」

 気付けばすっかりサーリーのペースだ。
 矢継ぎ早に繰り出される質問の意図が分からず、グレースは声を上げた。

「何って、グレースちゃんを知ろうと思って。俺だって仲良くなりたいし。あ、俺だけ質問してるのもフェアじゃないね。グレースちゃんも俺に質問していいよ?」

 意図が読めず戸惑うグレースに、サーリーは笑顔を向け、口を閉じた。どうやら、グレースからの質問を待っているらしい。

「あの、じゃあ、サーリー……君の年齢は?」

 呼び方に戸惑いつつも、一先ず、リヴェル同様の君づけで、質問も同じ内容で返す事にした。
 明らかに子供離れした言動に、サーリーの年齢が気になっていたのも確かだ。

「はは! 呼び捨てで良いのに! 俺は、多分二十後半くらいじゃない?」
「くらいって」
「歳なんて気にしてなかったし、誕生日とか知らないもん。多分、死んだ時の年齢がそんくらいかな」
「それは、随分若かったのね……」
「別にー。好きに生きて死んだから、大して後悔もないよ。だから、そんな辛気臭い空気出すの止めて貰える?」
「ご、ごめんなさいっ……」

 誕生日も知らず、若くして亡くなるというのはグレースにとっては衝撃的な話だ。
 だが、当のサーリーはまったく気にしていないのだろう。むしろ、同情を嫌うような口ぶりに、グレースは頭を下げた。

「頭なんてさげないでよ。素直だなぁ。ね、グレースちゃんの前の世界ってさ、平和だった?」
「……そうじゃない時もあったけど、平和だったと思うわ」

 突然の質問に首を傾げながらも、グレースは前世の世界を思い出す。
 争いばかりの辛い時代もあったが、平和な時代に善子は骨を埋められたと、グレースは思っている。

「いいね、ハッピーじゃん。俺んとこも良い世界だったよ。力で全部解決できるシンプルな世界」

 サーリーは、椅子の上で胡坐をかきながら両腕を組んだ。

「あの大工の兄弟も金が欲しいなら、殺して奪えば簡単なのに。俺ならそうする」

 たちの悪い冗談かと思ったが、悪びれず、至って普通の声のトーンで話すサーリーに、グレースはフィグの言葉を思い出した。

『あいつは性格も、前世での行いも褒められたもんじゃない』

 加えて、初対面でグレースに向けられた殺意。身を持って体験した筈なのに、どこか確信を持てずにいたが、口振りから察するにきっとそうなのだろう。

(やっぱり……)

 サーリーは人を殺した事がある人間だ。

「……サーリー君の世界は、人を殺す事が禁じられてはいなかったの?」
「駄目だったよ? でも、だから何って感じ」

 あっけらかんと、サーリーは言い放った。

「生まれた時から優劣は決まってて、貧乏人は泥水啜って生きるしかない世界だった。それでも生きるには奪うしかないって時に、規則なんて守ってなんになるのさ。腹の足しにもなりゃしない」
「…………」
「俺の周囲はそんな奴らばっかだったよ。 でも、リヴェルの周りの人間は、皆クソ真面目で潔癖だ。だから、人殺しの悪党を前世に持つ子供の存在は許されない。そりゃあ、母親も扱いに困って見放すわけだ」

 何も言葉がでないグレースとは対照的に、からからとサーリーは笑う。

「俺が最初にグレースちゃんの事を勘違いしたのもさ、てっきりリヴェルの母親が殺し屋でも雇って殺しに来たのかと思ったし、なんならあの大工の兄弟も、本当はそれが狙いなんじゃないかなーって」

 サーリーの言葉に、グレースは目を見開く。
 そんなわけがない、思い込みではないのかと、口をつきそうになる言葉をグレースは飲み込んだ。
 確かにヴェントと話した時、家族がリヴェルと距離を置いている事も聞いている。
 グレースは、リヴェルの母親を知らない。ありえないと否定できる要素も無いのだ。

「本当に、リヴェル君のお母様がそんな事を?」
「さぁ? 確証はないけど、あのババアならやりそうだなって話」
「でも……」
「ま、信じるか信じないかはグレースちゃんの自由だけどね。あ、そういえばさ」

 グレースがにわかには信じられずにいると、サーリーはそう言って、椅子から飛び降りた。

「俺の眼、褒めてくれてありがとね」
「え?」
「お月さまみたいな金色」

 それは、グレースが食事会の時にリヴェルに言った言葉だ。

「リヴェルの元の眼の色は、こいつの兄貴と同じ色だよ。この金色は、俺の」

 前世の身体的特徴が身体に現れるのは、前世との繋がりが深い事を意味する証。
 グレースが前世と同じ黒髪になったのと同様、リヴェルはその瞳に前世の姿が現れたのだ。
 サーリーは少しだけ身を乗り出して、グレースに瞳を見せた。
 暗がりで、グレースの持つ灯りに照らされたその瞳は、昼間みた時よりも怪しく輝いている。

「リヴェルの母親はこうなってから目も合わせようとしなかったけど、グレースちゃんは逸らさないんだね」
「……だって、とても綺麗だもの」

 美しい金色が少しだけ見開かれて、次いで「ははっ!」と、声を上げて細められた。

「俺の眼に見惚れてる間に、俺に刺されでもしたらどうするの?」
「え!?」
「うそうそ、冗談、刺さないよ。あー、本当に素直だし、警戒心足んないなぁ」

 後ろに後ずさるグレースを笑いながら、サーリーはひらひらと片手を振る。

「もう少し話したいけど、そろそろ見回りが来る時間だから今日はこれでお終い。それじゃあ、またね。グレースちゃん」
「え、ちょっと……!」
「気をつけて部屋戻るんだよ」

 何か言いたげなグレースの事は気にも留めず、サーリーは扉を閉める。
 扉の内側で、静かにグレースの気配が去っていくのを感じながら、サーリーは部屋の奥へと向かった。

(こっちの世界で眼を褒められたの、初めてだな)

 食事会の時、リヴェルの中で聞いていた時も面食らったが、まさか正面切って綺麗と言われるとは思ってもいなかった。
 前世でも金眼は珍しく、仲間内には「売れば高いんじゃないか」などと笑われ、戯れに夜を共にした女に物珍しさで見られる事はあったが、素直に綺麗だと言ってくれたのは母親ぐらいのものだ。

「グレースちゃんが母親だったら良かったのに。なぁ、リヴェル」

 内側で眠るリヴェルに向けて呟くと、サーリーはベッドに飛び乗った。
 いつもなら見回りに来るブラムを適当にからかって遊ぶのだが、今日は気分が良い。
 たまには見過ごしてやるかと、サーリーは大人しく寝た振りでやりすごすべく、布団の中へ潜り込んだ。

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