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12 お腹が空いては
しおりを挟む「お待たせして、ごめんなさいね。どうぞ召し上がれ。グーちゃんはお茶でも飲むかい?」
「お気遣いなく。有難う、ウーちゃん」
「……有難うございます」
「いいえ、ごゆっくり」
料理が乗ったトレーを男性の前に置くと、ウェスタはにこやかに笑って、厨房に戻っていった。
向かい合うように座ったグレースと、男性の間に置かれた一人分の料理は、グレースが昼食に食べたものと同じものだ。
「私の事は気にせずに、どうぞ召し上がってください」
「あぁ、頂く。頂くけど、その前にだな。なんで俺をここに連れて来たんだ?」
「おなか空いてるか聞いたら、空いてるって言ったじゃないですか」
「言ったけど……。なんであの話の流れで、見ず知らずの男を食事に連れて来たのかが分からないんだよ」
あの後、詰め寄るグレースに空腹を問われ、どちらかといえば空いてる腹具合を答えた男性は、半ば強引に院内にある食堂に連れてこられていた。
患者の食事は基本、病室に配膳されるのだが、この食堂は、朝と昼の決められた時間のみ解放され、医師は勿論、患者と見舞いに来た家族が一緒に食事をとれるようになっている。昼のピークを過ぎた現在の食堂は人もまばらで、厨房からは後片付けをする音が聞こえてきていた。
「だって、おなか空いてるって」
「いや、だから」
「おなかが空いたまま、考え事するのは良くないです」
遮るようにグレースは言葉を続けた。
「二時間とは言わなくても、一時間以上はあそこに居たんですよね?さっき手を取った時、すっかり冷えきっていました」
強い風が吹くなかで、ジャケットも放り出して一時間以上もあの場に居たのなら、身体が冷えきって当然だ。
「冷えた体で空腹も気にならないくらい、弟さんの事、一人で考えてたんでしょう? でもそれ、駄目ですよ。考えがどんどん暗い方にいっちゃうわ」
グレースの脳裏に過ったのは、自身の前世である善子の戦時中の体験。
少ない食べ物を幼い姉弟達に分け、常に空腹を抱えて過ごす日々。幸い家族は全員無事だったが、ただ一人、二度と会えなくなった想い人の事を考えると、思考はまとまらず、心の中は後悔と無念、やりきれない悲しみでいっぱいだった。
そんな日々をそれでもどうにか生き抜いて、空腹を心配する事の無くなった頃には、身体の健康が心に繋がるし、逆もまた然りだと善子は学んだ。
(あの時代、行かないで欲しいなんて言えやしなかった。悔やんでも仕方ない事なのに、それでもずっと後悔してたっけ……)
「食べ物が無い時は仕方ないけど、この国はどこかと戦争してるわけでもないし、食も豊かだもの。ちゃんと食べなくちゃ」
「たかが昼一食抜く程度で大袈裟な……」
「そういうこと言う人は、忙しさを理由に二食三食平気で抜くもんです」
「うっ」
はっきりと言い放つグレースに、男性は図星をつかれたような表情を浮かべた。
そんな男性に、グレースはにっこりと笑顔を返す。
「たかが昼食、されど昼食ですよ。さ、温かい内にどうぞ!」
「……いただきます」
グレースの笑顔に多少気圧されながら、男性はトレーに置かれたスプーンを手に取った。
澄んだ金色のスープを一匙、掬い上げて口へと運ぶ。
「……!」
一呼吸置いて一口、そこから二口、三口と、次々とテンポよく男性の口に料理が運ばれていく。
止まる事無く料理に伸ばされる手に、美味しいかどうか聞くのは野暮だろう。グレースは、気持ちのいい食べっぷりに「よく噛んでくださいね」とだけ微笑んだ。
***
「ご馳走様でした」
あっという間に食べ終わり、綺麗に平らげられた皿を見て、グレースは感嘆の息をついた。
「見事な食べっぷり。やっぱり若い人の食欲は、見てて気持ちが良いわ」
「若い人って、あんたもそんなに変わらないだろ」
「うふふっ、外見だけじゃ分からないものですよ」
「?」
「あらあら、綺麗に食べてくれたのねぇ」
疑問の眼差しを向ける男性に、グレースが笑顔で返していると、食べ終わったのを見計らって、ウェスタが厨房からやってきた。
「とても美味しかったです。ご馳走さまでした」
「いいえ、こちらこそ全部食べてくれて嬉しいわ。有難う」
年上のウェスタ相手に礼儀正しく接する男性を見て、グレースの前世を知ったらどういう反応をするのだろうかと思いつつ、グレースは二人のやり取りを見守っていた。
「さっき、グーちゃんに聞いたんだけど、弟さんが入院してらっしゃるのよね?ひとつ、お聞きしても良いかしら?」
「なんでしょう」
「弟さんの好物とか苦手なものとか、食事の好みを教えて頂きたいの」
「食事の好み、ですか」
「ええ。ここを利用する患者さんとか、ご家族さんにたまに聞いてるの。患者さんには、出来るなら好きなものを食べて欲しいし、毎日の献立を考える参考にもしたくてねぇ」
食堂に来た際、グレースはウェスタに男性の弟が病院に入院している事を伝えていた。そして、多分それが特別室の患者ではないかという事も。
中庭のベンチに座りながら、男性が見上げていた部屋は、グレースが気にかけている特別室だった。
少し考え込むような素振りを見せながら、男性はふっと思いついたような表情を浮かべる。
「……りんごのタルト」
ぽつりっと呟かれた言葉をウェスタとグレースは聞き逃さなかった。
「あら、いいわねぇ。デザートにピッタリ」
「ウーちゃんの作るタルト、きっと美味しいわ」
「あ、いや……!あいつが本当に好きかどうか、確証はないですよ!」
エプロンのポケットからメモを取り出して書き残すウェスタと、味を想像して目を輝かせるグレースに、申し訳なさそうに男性は言う。
「あいつ、体が弱くて部屋に籠りきりだったんです。だから、一緒に食事する事も少なくて。たまに一緒に食べても殆ど残すんですけど、でも、ある日デザートに出されたりんごのタルトだけは残さず食べてた」
「余程おいしかったのねぇ」
「普通のタルトだったと思うんですけど……。俺は、あいつが嬉しそうに全部食べてるのが印象に残ってて、その時のタルトの味なんか覚えてないんです」
「弟さんの事、良く見てたのねぇ。良いお兄さんが居て、弟さんが羨ましいわ」
ウェスタの「良いお兄さん」という言葉に、少しだけ驚いた顔を見せた男性は、直ぐに困ったように笑って、身体ごとウェスタに向き直った。
「……いいえ。あの、貴方に言うのもおかしいかもしれないけど、弟の事、宜しくお願いします」
「ふふっ、とびきり美味しいりんごタルトを作りましょ。お話し聞かせてくれて有難う。今度の献立の参考にさせて貰いますね」
膝に両手をつき、深々と頭を下げる男性に、ウェスタは目尻の皺をいっそう深くして微笑むと、男性の食べ終えた食器を手に厨房へと戻っていった。
「ウーちゃんの料理は本当にどれも美味しいの。きっと、弟さんも喜ぶわ」
「……なぁ」
「はい?」
「あんた、名前は?」
男性は頭を下げ続けた姿勢のまま、グレースに問い掛ける。
「グレースです。グレース・リー・オルストン。貴方は?」
「……ヴェント」
名前を告げると、ヴェントは勢いよく頭を上げて、グレースに向き直る。
「ありがとな、グレース。俺をここに連れてきてくれて」
「お礼はウーちゃんに。私はただ友達の美味しい料理を食べて貰いたかっただけなので。今度来た時は、弟さんと一緒に食事できるといいですね」
長い前髪の隙間から見える、隠れた丸眼鏡の奥。深い紫と橙が入り混じる、薄明のような瞳と初めて目が合った。
「あぁ、そうだな」
そう言って細められた美しい瞳からは、ベンチに座って俯いていた時のような、もの悲しさは感じられなかった。
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