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5 白い瞳の黒猫
しおりを挟む病室を出た後、看護師長にグレースの事を頼み、ブラムは自室である院長室に戻ってきていた。
椅子に腰かけ、机上の書類に目を向ける。グレースが目覚めた事を知らされ、急いで向かった際に読みかけにしていた書類だ。途中だったそれに最後まで目を通して内容を把握した後、裏返して机の端に寄せる。
「フィグ」
次の書類に手を付ける事をせず、応接用のソファーで毛繕いをするフィグに視線を向けた。
「どうして、ちゃんと守護をかけなかったんです」
エトラディオ王国は全ての生物が使えるわけではないが、魔法による発展を遂げてきた国だ。
記憶転移症の初期症状である睡眠は、眠り続ける日数が長ければ長いほど、患者の身体を衰弱させてゆく。最初の内はある程度の治療とケアでどうにかできるものの、眠りが長引けば長引く程、目覚めた後の患者の生活、看護師達の患者のケアも大変なものになってしまう。
決められた数日で患者が目覚めなかった場合、守護魔法で患者の身体を守る様に決められているのだ。
しかも、グレースに関しては特例中の特例。
看護師達の力では三ヶ月もの間、守護を続ける事が出来ず、動物でありながらも神子であるフィグに守護魔法を頼んでいた。
フィグはブラムを一瞥したが、構わずに毛繕いを続けている。
「オルストン嬢の守護は貴方に任せた筈です。長期間の睡眠で彼女の身体が衰弱しないようにと」
「ぶ?」
「しっかりと守護をかければ、足の筋力だけが落ちるなんてありえない。何故あんな守護をかけたんですか?」
「ぶぶ?」
「フィグ」
「ぶぶぶ?」
「……分かりました」
わざとらしく首を傾げ続けるフィグに、ブラムはにっこりと笑みを浮かべて、見せつけるように鋏を取り出した。フィグの微睡んだ白い瞳がまん丸に見開かれる。
「最近、少し気温も高くなってきた事ですし、毛を短く切り揃えてあげましょう」
「!?!?!?」
「鋏しかないので斑になるかもしれませんが、我慢してくださいね?」
「ぶあっ!!!!!」
正直に話さないとお前の毛を刈る。というブラムの心の声が聞こえたのか、待てと言わんばかりにフィグが鳴き声をあげた。
笑顔を浮かべたブラムが椅子から腰を上げると、焦ったように毛を逆立てる。そして次の瞬間、フィグの姿はまったく別の形に変容していた。
「止まれ!ちゃんと話すから鋏をしまいやがれ!!」
そこに、丸々とした体躯のフィグの姿は無い。その場所に居たのは、上下ともに黒いワイシャツと半ズボン姿に、短く揃えた黒髪。フィグと同じ白い瞳を持った十歳くらいの少年だった。
「最初から大人しく話せばいいでしょう?」
「だって、怒るだろうが」
「オルストン嬢にちゃんと守護をかけなかった時点でもう怒ってるんです」
両の手の平を向けて静止を促すフィグに、やれやれっと溜息をついてブラムは元の椅子に腰を下ろす。
「もう一度聞きます。何故あんな守護をかけたんですか?」
「足が動かなけりゃ治療が必要になるし、その分、ここに留まる期間が延びるだろ」
「まさか入院を伸ばすためにやったんですか?何のために?」
「気に入ったから」
「……つまり、私欲ですか」
「悪いかよ」
「悪い以外の何者でもありません。神子が私欲で他者を困らすなど、あってはならない」
「神子なんて周りが勝手に呼んでるだけだろ。俺は妖怪猫又だ、私欲で動いて何が悪い」
「それは前世の話でしょう」
ブラムが幼い頃、フィグは目が白い以外の特徴を覗けば普通の黒猫だった。
長い眠りから目覚めたフィグが「自分は猫又だ」と、人に変化し、人語を発したあの日の事を、ブラムは今でも鮮明に覚えている。ブラムの居た教会の人々はフィグを記憶転移症と判断し、その白い瞳を理由に神子へと召し上げたのだ。当のフィグは「神さんに仕えるなんざ、死んでも御免だ」と教会の決定に酷く苦い顔をしていた。
基本的に自由奔放な性格で、神子と呼ばれることを嫌がるフィグだが、私欲で守護をかけないなんて事は今までに無い。腹に据えかねた患者に、嫌がらせ程度に悪戯を仕掛けているのを多々目撃した事はあるが、気に入った相手を長居させる為に守護をかけないなど、余程の理由があるのだろう。
「あいつの」
ソファーの上に胡坐をかいて膝に頬杖をつくフィグをみて、どうしたものかとブラムが内心で頭を抱えていると、ブラムの心情を察したかのようにフィグが静かに口を開いた。
「あいつの毛色が変わっていくのを見て、もしかしたら同郷の人間かもって思った」
「同郷というと」
「日本。俺も以前は日本の生まれだ」
「確かに貴方が小国の生まれだとは聞いてましたけど、日本だとは初めて聞きましたね」
「此処とは文化も歴史も何もかもが違う。一から日本という国がどういう国かだなんて説明するのは面倒だったんだよ。それに、さして思い入れもない」
「思い入れはないと言いながら、日本の生まれであったオルストン嬢を気にかけるんですね」
「…………」
「今までこの病院でも、片手で足りる程ではありますが前世が日本という国の生まれの方々がいらっしゃいました。でも、こんな反応する事はなかったでしょう? 日本の生まれという事が、貴方が私欲に走る理由ではない筈です」
ブラムは席を立って、フィグと対面するようにテーブルを挟んだ向かいのソファーに腰かけた。
「事と次第によっては神子として、この病院の医師として、患者の治療の妨害行為と見做し、貴方に罰を科さなければいけない。話してはくれませんか?フィグ」
ちらりっとブラムを一瞥して、フィグは再び目を逸らした。その目の光が揺れた様に感じたのは、ブラムの気のせいではないだろう。
「似てたんだ」
「誰にですか?」
「前世で俺を生かしてくれた人」
「……」
「けど、先に死んでしまった人」
フィグは目を閉じて少し長めに一息つくと、ブラムを真っ正面から見据え返して、自身の膝を軽く叩いた。口角を引き上げて笑うフィグの姿は、先程の揺らぎを隠しているように見える。
「ま、前世の話だ。なんて顔してんだよ相棒」
「フィグ」
「神子として、医者として、罰でもなんでも与えてくれ。お前の仕事の邪魔して悪かった。俺は少しでも長くあいつの傍に居たかっただけなんだ」
所詮、他人の空似だってのにな。と、自虐を含めた様に笑うフィグにブラムは何かを言いかけて、開いた口を閉じた。フィグの前世を知るブラムが、軽々しく何か言葉をかけるのは違うような気がしたのだ。
「分かりました。フィグ、貴方に罰を与えます」
「ん」
「オルストン嬢の入院中の世話および治療の補助。これを貴方への罰とします」
「……は?」
「どんな時であろうと、オルストン嬢の傍に仕え、最善の治療とリハビリを尽くす事」
「おい、待て。それじゃあ罰になってないんじゃ……」
「勿論、看護師達に休みはありますが、貴方は休日返上で働いて貰います。猫の姿で彼女の心に癒しを施す事も忘れないでくださいね」
てっきり、グレースとの接触を禁じられるくらいの罰はあるかとフィグは覚悟していたが、科された罰は想像の範囲外だった。
ブラムはソファーから立ち上がって踵を返し、まん丸く見開かれた目を何度も瞬かせるフィグを見て、気づかれないように笑った。
「以上、何か異論は?」
「……無い」
「宜しい。では、明日からしっかり職務に励んでくださいね、相棒」
有無を言わさぬ笑みを浮かべてフィグを見れば、人から猫の姿に戻り「ぶあっ」と返事を返される。
その声音に隠れた長年の友人の照れには気付かない振りをして、ブラムは机上の仕事を片付けるべく、書類へと意識を向けた。
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