前世の私は幸せでした

米粉

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4 三ヶ月の眠り

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「三ヶ月」

 鏡を見つめ続けるグレースに、ブラムが口を開いた。

「転移症者の初期症状による睡眠は早くて一日、長くて一週間で目覚めます。ですが、オルストン嬢。貴方は約三ヶ月眠り続けていました」
「さん、かげつ?」

 その言葉が直ぐには飲み込めず、ゆっくりとブラムの方に顔を向けて問い返すと、動揺が余程顔に出ていたようでブラムの端正な顔に少しだけ憐憫の表情が浮かんだ。

「本当に三ヶ月も……?」
「信じがたいとは思いますが、本当です」

 ブラムは白衣のポケットから銀色の懐中時計を取り出して、グレースに見せた。盤面の針が指す月日は、確かに倒れた日から三ヶ月後の月を示している。
 俄かには信じられなかったが、ブラムが時計を弄ってまで嘘を吐く理由もグレースには思い当たらない。

「睡眠の長さは、前世との繋がりの深さを示します。非常に稀な例ですが、繋がりが深すぎるが為に身体が前世の記憶に引き摺られ、何らかの影響を受ける場合があります。トルジニアの病院には過去にそういった事例が無く、対応が出来なかった。それが手に負えなかった理由です」

 懐中時計をポケットに仕舞い、ブラムは「鏡、お預かりしますね」と、グレースの震える手から優しく鏡を離し、元あった引き出しへと片付けた。

「貴方が三ヶ月も眠り続けたのは、それだけ前世との繋がりが深く、思い出す記憶の量が多かったからだと思います。髪の色が変化したのもその所為かと……。前世の貴方に、何か心当たりはありませんか?」

 そう言われて、グレースは自身の髪を一束摘まむように触れた。親指と人差し指で幾本もの黒の糸を擦り合わせるように触れ、その感触を確かめる。

(そういえば、若い頃はこうだった。コシもツヤもあって)

 前世の自分。
 年老いてからはすっかり白髪に染まってしまったが、若い頃は立派な黒髪だった。

「……鴉の濡れ羽のようだなんて言われたっけ」

 前世でグレースが生まれ育った家は、あまり裕福な家庭ではなかった。それでも、自分を学校へと通わせてくれる優しい両親。その負担を少しでも減らそうと、学業の合間を縫って身を粉にして働く毎日だった。
 容姿を気遣う暇はなく、いつも草臥れた姿。そんな姿を見かねた友人が髪を梳いてくれた事があり、これはその時友人が残してくれた言葉だ。
 ボロボロの姿の自分でも誰かに褒められる部分があったのかと、恥ずかしくも嬉しかった事を思い出す。
 ブロンドだった時とは明らかに手触りすらも変わっていたが、指に触れる感触に懐かしさを覚えた。

「鴉、ですか?」

 はっと我に返ると、きょとんっとした顔でブラムが首を傾げていた。
 ブラムの事を忘れて懐かしさに浸っていた恥ずかしさを隠すように、グレースは慌てて説明する。

「えっと、前世で生まれた国! 日本っていうんですけど、その、日本人の女性は黒髪なんです。それで、女性の黒髪を褒める時とか色合いを形容する言葉に、濡れた鴉の羽のようだっていうのがあって……」
「ああ、成程!」

 これではまるで自分で自分の髪を褒めている様ではないかと、言葉に詰まっているグレースには気付かず、ブラムはきょとんっとした表情を笑顔に変えた。

「確かに、瑞々しい綺麗な黒髪ですね」

 向けられた笑顔と言葉に、グレースは思わず息を呑んだ。

 神子とは清廉潔白。万人に対し優しく、清らかなりし人である。と、表された言葉を聞いたことがある。きっと、グレースに向けて発せられた今の言葉も優しいブラムの純粋な褒め言葉で、それ以外の他意は無いのだろう。分かっている。だが、余りにも、余りにもだ。

(破壊力が、凄まじいわ……)

 整った顔立ちだとは思っていたが、こんなに美しい人の笑顔と共に、自身の容姿を褒める言葉をかけられれば女性なら、いや、男性でも平然とした態度ではいられないだろう。
 見る見るうちに顔に血が集まっていくのを感じて、グレースは少しでもそれを隠そうと片手で口元を覆った。

「有難うございます……」
「いいえ、こちらこそ素敵な表現を知る事ができました。感謝します」

 変わらず優しい微笑みを向けられ、火照った顔がばれないかと心配していると、ベッドの下からくぐもった鳴き声が聞こえてきた。伺うと、ベッドの下からフィグがひょっこりと顔を出している。

「ぶあーあ」
「ん? ああ、そうですね。今日はこれくらいにしておきましょうか」

 ぬるりっとベッドの下から抜け出して全身で伸びをするフィグをみて、ブラムは椅子から立ち上がった。

「それでは、オルストン嬢。しばらくしたら看護師がやってきますので、病院での生活については彼女から説明を受けてください。今日は目覚めた貴方の様子を少し伺いに来ただけなので、明日改めて、貴方の前世について話を伺いにきますね」
「あ、あの!」

 立ち去ろうと背を向けたブラムを引き止めようと、ベッドから急いで足を降ろしたその時だ。

「わっ!?」
「ぶあっ!?」

 足が上手く動かせず、グレースはバランスを崩してしまった。立て直すことが出来ず、足元に居たフィグを潰してしまうと思った寸でのところで、体に衝撃が走る。床と衝突したにしては柔らかい衝撃に、もしや本当にフィグを潰してしまったのかと恐る恐る目をあけると、目の前には真っ白な白衣。

「オルストン嬢、大丈夫ですか!?」

 次いで頭上から聞こえてきた焦るようなブラムの声。何が起こったのかと状況を確認すると、尻を着いて倒れるブラムの胸板に、しな垂れかかる様にグレースは寄りかかっていた。倒れる寸前でブラムが抱き留めてくれたのだと、瞬時に理解する。

「ごめんなさい! 大丈夫ですか先生!!」
「私は大丈夫ですが、怪我は?どこか痛い所はありませんか」

 神に仕える神子を下敷きにするだなんて、神への冒涜に近い行為だ。グレースは急いでブラムから離れたが、その顔面からは一気に血の気が引いていく。

「大丈夫です、私ったら神子様になんて事を……ごめんなさい、本当にごめんなさい……!」
「謝らないで。支えきれずに尻をついたのは私なんですから、悪いのは私です」
「そんな!」
「患者を守るのは医者の務めです。そこに神子である事は関係ないんですよ」

「だから、気にしないでください」と、今日何度も見る優しい笑みに、青ざめた顔に血が戻るのをグレースは感じた。

「立てますか?」
「はい……」

 衣服の汚れを払いながら立ち上がり、ブラムは座り込んだままのグレースに手を差し伸べた。グレースは申し訳なく思いながらも、差し出された手を取り立ち上がろうとしたが、思ったように足が動かない。

「あれ?」
「どうしました?やはり、どこか痛みが……」
「いえ、痛みはないんですが足がうまく動かなくて。三ヶ月も寝てたから、筋力が落ちたんですかね」

(そういえば、ただでさえ歳をとって筋力が落ちたのに、病院ではベッドで過ごす事が多くて、増々筋力が落ちたってご近所さんが言ってたわね)

 入院経験がある知り合いとの前世での会話を思い出す。今現在は若いとは言っても、三ヶ月も動かずに居れば筋力が落ちるのも当たり前かと、グレースは自身の足を擦った。

「筋力、そんな筈は……」
「ぶああーお」

 ブラムの言葉を遮るようにして聞こえてきたのは、フィグの鳴き声。座り込んだままのグレースに近づき、まるで気遣うかのように、フィグは自身の頭をグレースの足に擦りつけてきた。

「もしかして心配してくれてるの?」
「ぶあ」
「有難う、フィグ」

 応える様に小さく鳴いて擦り寄るフィグに、グレースはついつい頬が緩んだ。そっと撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らす姿が一層愛らしい。

「そういう事か」
「先生?」

 ブラムが何かを呟いた気がして視線を向けると、にっこりと笑って返される。ブラムはグレースの隣に膝を着いた。

「オルストン嬢、肩を貸すのでベッドに戻りましょう」
「は、はい」

 ブラムの手を借り、どうにかベッドに戻れたが、中々に一苦労だ。一息ついて、グレースは改めてブラムに謝辞を述べた。

「お手数お掛けして本当に申し訳ありません、先生。その、引き止めたのは家族の事を聞きたくて……父が騒ぎ立てたりしませんでしたか?」

 グレースがまだ幼い頃、風邪をひいて数日寝込んだ事がある。ただの風邪だったのだが、父は大急ぎで医者を呼びに行き、グレースが寝込んでいる間は仕事にも行かず、四六時中グレースの心配をしていた。
 母は落ち着き払っていたが、そんな父の慌て様を見て、もう怪我や病気で心配をかけまいと子供ながらにグレースは誓ったのだ。

「確かに少しばかり賑やかでしたが、随分と心配していらっしゃいましたよ? 特にお父様は入院するとなった時、目覚めるまでここに泊まると仰っていたくらいです。結局お母さまが連れて帰られましたけど」
「やっぱり……」

 賑やかという言葉に置き換えられてはいるが、相当騒がしかっただろう。駄々を捏ねる父を有無を言わさずに連れ帰る母が目に浮かぶようだ。
 三ヶ月も眠り続けている間、両親にどれだけ心配をかけたか計り知れず、グレースは小さく溜息をついた。

「ご家族には連絡しておくので、安心してください。足はリハビリ次第で元通り歩けるようになるでしょうし、転移症についても少しずつ慣れていきましょう。だから、あまり気負わずに。ね?」

 どうやら溜息に気付かれてしまったようで、気遣うようにブラムの手が肩にそっと添えられる。その優しい声音に、これ以上心配は掛けさせまいと、グレースは笑顔を返した。

「それでは、今日のところはこれで失礼します。行きますよ、フィグ」
「ぶあー」

 踵を返して扉へ向かうブラムの後ろを、二本の尻尾を揺らしながらフィグが着いて行く。
 扉が閉まり切る前にこちらに向けて、もうひと鳴きするフィグに「またね」と、グレースは手を振った。


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