前世の私は幸せでした

米粉

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3 記憶転移症

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 ある日、神様はひとつの箱を創りました。

 その中に、大地と風、炎と水、朝と夜。そして、あらゆる生命を産み出し、美しい箱庭を創り上げたのです。
 育まれる自然。その中で生きる生命の進化と発展。神様は幾年月、とてもとても長い時間の中で箱庭を眺めて過ごし、その小さく美しい世界を愛でていました。

 神様がいつもの様に箱庭を眺めていたある日の事、箱庭に住む人類達の間で、小さな争いが起こりました。

「いずれ収まるだろう」

 今まで箱庭を眺め続けてきた間にも何度か小さな争いがありましたが、少し経つと争いが収まっていた事を神様は知っていました。同時に、争いは時に人類の発展に繋がる事も神様は長い時の中で何度も見てきたので、あえて止める事もしませんでした。
 ですが、争いは収まるどころか徐々に大きくなり、その所為で箱庭の自然は穢れ、神様が気づいた時には人類の進化の歩みは止まりかけていたのです。
 醜く変わっていく箱庭に涙を流し、争いを放置した自身の浅はかさに頭を抱えて嘆く神様に、別の神様が手を差し伸べました。

「生を全うした私の箱庭の者が、直に私の元へ帰る。その者は中々の知恵を持っている。戻り次第、君の箱庭へ住まわせよう」

 その手に縋るように神様は提案を受け入れて、別の箱庭の住人を新たに自身の箱庭に住まわせました。すると、その住人は元居た箱庭の知識を使い、争いばかりの箱庭の中を少しずつ変えていったのです。
 その様子を見ていた別の神様達も「私も協力しよう」と、自身の箱庭の住人達をそこへ住まわせ始めました。

 多くの救いの手によって、少しずつ、少しずつ、箱庭は以前の姿を取り戻しました。
 そして、別の箱庭の住人達の手によって、止まりかけていた進化と発展の道を再び歩き始めることが出来たのでした。



「めでたし、めでたし」

 病名を告げた後、語り始めた昔話の結びの言葉を述べて、ブラムは両手を合わせた。

「今お話した物語はご存知ですか?」
「勿論。寧ろ、知らない方が珍しいと思いますけど」

 エトラディオ王国に生まれた子供なら、両親や周囲の大人達に必ずしも読んで聞かされるであろう昔話。世界の成り立ち、そして、記憶転移症を語る上で欠かせない物語の一つだ。
 神々の名前や争いについて等々、事細かに記した分厚い教典が元になっているのだが、ブラムが読み聞かせたのは子供用に分かりやすく簡略化したものだ。グレースも幼い頃に何度も寝物語に聞かされていた。

「ええ、ご存じとは思いましたが念の為にお話しさせて頂きました。神の創った箱庭が私達の住むこの世界。そして、争いばかりの世界を正すために遣わされたのが最初の神子であり、記憶転移症者。その後、神子では無い者にも転移症者が見られ、世界は急速に発展していきます」

 記憶転移症。
 簡単に言ってしまえば「前世の記憶を思い出す奇病」であるのだが、罹っている人間はこの世界の約半分であるとも言われ、決して珍しい病気ではない。珍しい病気ではないのに奇病と呼ばれてしまうのは、発症の原因が不明な点、罹った人間によって症状の重さが違う点等々、解明されていない謎が多く、治す事も出来ない為だ。

「オルストン嬢。貴方には記憶転移症の初期症状が見られた為、当院に運ばれました」
「転移症の初期症状?」
「呼びかけても目覚めず、只々眠り続ける。これは転移症の初期症状なんです。最初は何かしら別の病を疑いましたが、昏々と眠り続ける貴方の身体は健康体そのものでした。そして、目覚めた時には前世の記憶を思い出している筈なんですが……」

 伺う様に視線を投げかけるブラムに、グレースは小さく頷いた。

「確かに、前世の記憶と思われるものが私の頭の中にはあります。ですが、何故サントルムの病院に?ここが記憶転移症の特別病院とは存じていますが、私の町の病院でも対処はできた筈です」

 ここが首都サントルムだと聞いた時、グレースは疑問に思っていた。グレースの住む町は首都サントルムから町を一つ跨いだところにあるトルジニアという町だ。小さな町ではあるが病院もあるし、転移症者も看ている。それなのに何故、自分はわざわざ首都の病院に居るのだろうか?

「最初は、貴方の住む町の病院に入院していました。ですが、数日経っても目覚めない貴方に病院の医師が手に負えない可能性があると判断し、こちらに移されました」
「手に負えないって、どういう事ですか?」

 確かに、目覚める前に半狂乱で泣き叫んでいたのは覚えているが、目覚めた今、体は至って健康。前世の記憶がある以外に、気を失う前と変わった所は感じられない。記憶転移症という病気自体珍しいものではない筈なのに、病院が手に負えないと判断するような何かが自分にあるとはグレースは思えなかった。

「……鏡をご覧になりますか?」

 そう言うと、サイドテーブルの引き出しから手鏡を取り出し、ブラムはグレースに差出した。鏡を差し出された意味が分からず戸惑ったものの、戻されることなく差出され続ける鏡にグレースは手を伸ばす。裏返しで渡されたそれを受け取り、そっと鏡面を自身に向けた。

「……は?」

 そこにいるのは、自慢のブロンドの長い髪をもった見慣れた自身の姿。
 いつもと変わらない自分がそこにいる。

 筈だった。

「何、これ」

 震えだす鏡を抑えようと、グレースは左手で、右手ごと鏡の柄を握りしめた。

「ま、真っ黒、じゃないですか……」

 小さく震える鏡面に映っていたのは、驚きの表情を浮かべた漆黒の長い髪の少女。
 思っていた姿とあまりに違う姿に「何かの間違いだ、これはきっと別人だ」と、叫びたい衝動に駆られたが、鏡を見る程に叫ぶ事が出来なくなる。

 ブロンドの髪と同様に、両親が綺麗だと褒めてくれた自慢の瞳。

 変わらない紅い瞳が鏡に映る人物をグレース自身であると、確かに証明していた。

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