前世の私は幸せでした

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「……生きてた」

 微睡む意識の中、グレースは呟いた。

 目覚めた視界に広がる真っ白な天井に「これが天国か」と一瞬錯覚を起こしたが、横たわる身体の感覚がそれを否定する。
 どうやら意識を失っていただけだと気付き、グレースはほっと胸を撫で下ろした。
 意識を失う前までの混乱は既になく、呼吸も心臓も落ち着いている。
 まるで生まれ変わったかのように視界は良好、心は静かだ。

 いや、生まれ変わったかのように、ではない。
 本当に生まれ変わったのだ。
 夢でみた景色は現実で、グレースにとって、ただ一度きりの生涯。の筈だった。

「だと思っていたんだけど……。まさか二度目の人生を送れるなんてねぇ」

 やれやれと息をついて体を起こそうとしたその時、やたらと体が重い事に気付く。特に重さを感じる腹部に目をやると、微睡んだ双眸と目が合った。

「ぶあー」

 間延びした鳴き声をあげて、黒い毛玉がそこに居た。
 全身真っ黒な毛色の中で唯一白い、二つの眼がこちらを見つめている。

「猫ちゃん……?」

 尖った三角の耳と丸々とした毛むくじゃらの体躯。猫のように見えるが、やたらと長い二本の尻尾に確証が持てず、思わず疑問系で問いかけた。

「ぶあーお」

 応える様に一声鳴いて立ち上がると、丸々とした見た目から想像出来ぬほど軽やかにベッドから降り、扉に向かって歩いていく。
 閉じた扉の前まで進むと尻尾を器用にドアノブにかけ、扉を開けて出て行ってしまった。丁寧に扉を閉めていく姿に、器用な猫ちゃんだな。と思わず感嘆してしまう。
 あの猫ちゃんは何なのか?そもそも猫なのか?等々、気になる事は多々あるが、目下一番気になっている事柄へとグレースは思いを馳せた。

「ここ、どこ?」

 意識を失う時、確かに自室に居た筈だ。自宅にはこんな部屋は無い。
 白を基調とした内装に、大きめの窓と扉がひとつ。
 壁に埋め込まれた収納扉はクローゼットだろう。ベッドの横には簡易的なサイドテーブルと椅子が置かれている。
 さほど広くない部屋の造りに、どことなく感じる既視感を思い出そうと思考を巡らせ、ふっとある場所を思い浮かべた。

「病院?」

 今も昔も病院に入院した事は無いが、前世で晩年の頃、友人やご近所さんが入院したと聞いては、見舞いに足を運んだものだった。見舞いに行くと、ベッドが並ぶ大部屋の病室に通される事が多かったが、一人用の個室に通される事も度々あった。その時見た個室に、どこか雰囲気が似ているのだ。
 あの頃は「いずれは私もお世話になるのかしら」などと友人達と冗談交じりに笑いあっていたが、遂には病院の世話になる事はなく、自宅の縁側で最期を迎えた。年齢による身体の痛みはあったが病気には縁遠く、我ながら実に健やかに天寿を全うしたものだ。

 窓から差し込む陽射しに「健康な前世を有難う、神様」と手を合わせていると、コンコンっと扉を叩く音がした。

「は、はい!」
「失礼します」

 急な来訪に驚きながらも、ささっと身なりを確認してノックに応える。現れたのは先程の猫らしき生物と白衣の男性だった。
 すらっとした長身に均整のとれた顔立ち。三十代くらいだろうか。後ろで結ばれた白い長髪に、髪と同じく真っ白な瞳がとても儚げで、思わず息を呑んだ。
 あまりに綺麗な白髪に、前世の自分なら間違いなく「若い内から苦労が絶えなかったのかしら」などと失礼な事を思っていただろう。


 だが、この国では「白」は特別な意味を持つ。


 エトラディオ王国。
 この国では、白は神の色だ。白い髪、白い瞳。体のどこかに白色を宿して生まれてきた子供は「神子しんし」と呼ばれ、人々に敬われ、尊ばれる存在になる。
 古くから「神の声を聞き、人々に救いと安寧をもたらす白き導き手」と言い伝えられ、その特徴を持って生まれた多くが国に保護され、王宮や教会で神に従事する職に就く。

(神子様が居るって事はここは教会?でも、白衣を着てるって事はお医者さん……じゃあ、やっぱり病院?)

 疑問を持った眼差しをまじまじと向けるグレースに、白衣の男性は優しく微笑んだ。

「初めまして、私はブラム・アドラシオン。貴女の担当医です。こちらの彼はフィグ。そしてここは首都サントルムにある特別病院です」
「ぶあー」

 紹介に応える様に一声上げながら、フィグと呼ばれた猫らしき生物は長い二本の尻尾をゆらゆらと揺らした。
 その可愛らしい姿に頬が緩む程度には、グレースは猫が好きだ。それは前世の頃から変わらない。いつもなら少し触らせて貰おうとするのだが、今はそれどころではない。

 首都サントルムにある特別病院。

 それは、神子の存在と同じくらい、この世界で知らない人間はいない場所だ。
 ある病気専門の病院で、この世界に生きる人間の約半数がその病気を発症していると言われている。
 今、自身に起きている状況から、きっとこの病気に罹っている事は確実なのだろう。

 グレースは意を決して口を開いた。

「あの先生、私は……」

 続く言葉を遮る様にブラムは右手でグレースを制した。

「先ずは、体調は大丈夫ですか?どこか苦しいとか、痛むところはありませんか?」
「えっと、大丈夫です」
「そうですか、それは良かった」

 神子と呼ばれる人間は皆こんなに優しい雰囲気を持つのだろうか。それともブラム自身が持つものなのだろうか。
 優しい声音と微笑みに、一瞬強張ったグレースの身体から力が抜けていく。

「大丈夫なようでしたら、少しずつ話をしていきましょう。焦る事はない。貴方はこれから、この病気と一生を過ごさなければいけないのです」

 ベッドの横にあった椅子を引き寄せて座ると、ブラムは小さく息をついてグレースを見た。

「グレース・リー・オルストン嬢」

 ブラムの瞳は変わらず優しい。だが、名前を呼ぶ声にどこか強いものを感じて、グレースも目を逸らさず、ブラムを見つめ返した。


「貴方は、記憶転移症です」


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