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29 十二歳の王子と「王都を捉える」守護精霊

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 これ見よがしに、胸にぶら下げられた勲章。華奢ななで肩を隠すようにつけられた、金ピカの肩章。目障り過ぎる。洗練されたというよりは、うさんくさいと言ったほうがいいだろう。いかにも、ご貴族様ふうに取り繕った紅白男が、左手を胸に当て、後ろ手で扉を指し示した。

「ルイ王子殿下。ここからは、わたくしが御者を務めさせていただきます。さあ、どうぞ、こちらへ」

 紅白男の背後には、金ピカの馬車――ではなく、魔道車と呼ばれる、車輪のついた荘厳な大きな車室が、これでもかと威圧感を放っている。両開きの扉には、金の盾に六精霊と剣と弓が配置されたノルドフォール王国の紋章が、キラキラと光り輝いている。開け放たれた扉の前で、紅白男は誇らしげに鼻をヒクつかせた。

 まるで、紅白男が魔道車を用意したかのような顔をしているが、実際に、王家専用の魔道車をルイのために手配したのは、王妃とモンフォール伯爵のようだ。



 昨日の夜、王様はいつ死んだのかと尋ねたわたしに、モンフォール伯爵は二ヶ月前だと答えた。ただ、亡くなる三ヶ月ほど前には、もはや言葉を交わせるような容体ではなかったらしい。

 ミレーヌの言うとおりにしていれば、生きている間に、王様の顔を拝めたかもしれないが、言葉を交わせなければ、たいした意味はない。

 いくぶんかホッとして、その場から離れようとしたわたしだったが、なぜか、ふたりにすがりつかれた。

 いつもながらの面倒な話を聞かされることになったのだが、モンフォール伯爵の話はヒョロ男たちよりは、わかりやすかった。ルイを王太子に任じて、さらにその一ヶ月後には、王位を継がせたいということだった。

 わたしがどこにいるのか、わからなかったのだろう。「ロベールの命だけは、助けたいのです」と、王妃は涙ながらに、四方八方に向かって訴えかけた。

 シャルルに頼めばいいじゃない? というわたしの提案は、鼻水を垂らさんばかりに頭を振った王妃によって、即座に却下された。どうやら、シャルルのニコニコ顔が信用できないらしい。

「幾度となく命を狙われたにもかかわらず、悠々と笑みを浮かべている十二歳など、どこにいましょうか?」と、王妃は涙をこぼした。

 笑ってダメならどうすればいいんだろう、と思ったが、わたしには関係ないので、聞き流しておいた。

 面倒になったので、ルイは村に帰るから、あとは勝手にしてね、と告げ、ついでに少しだけ脅しておいたのだ。



 それと関係があるのだろうか? 陽もずいぶんと傾いた頃だ。王都をぐるっと囲む壁から、ぐっとせり出した大きな門のところで、馬車を下りたわたしたちの前に、魔道車がごろごろと進み出てきた。パレードというわけではないけど、ルイを出迎えるために用意されたらしい。

 これに難色を示したのが、ブルンヒョル男爵とヒョロ男だ。魔道車に不審な物が仕掛けられていないかを調べながら、キアラがこっそりとわたしに教えてくれた。

「ようするに、王妃派はシャルル殿下よりも、ルイを格上として扱おうとしているのです。この魔道車にルイが乗り、シャルル殿下があちらの馬車に乗るのを許せば、ブルンヒョル家は何をしていたのだと、ルカリヨン侯爵に責められるでしょうな」



 というわけで、いつもながらの面倒くさい人の世の事情というやつで、揉め事が始まったようだ。

 紅白男は魔道車にルイを乗せて、自分が御者を務めると言い張っているし、シャルルは、自分もルイと一緒に魔道車に乗りたいと、笑顔ながらも譲らない姿勢を見せている。

「お待ちください、セーデシュトレーム子爵。御者ならば、このわたくしにお任せください」

 シャルルのすぐ横に突っ立ていたヒョロ男が、グイッと前に出た。何を考えているのかわからない暗い瞳が、紅白男を真っすぐに捉える。対する紅白男は、ヒョロ男を一顧だにせず、シャルルに薄い笑みを送った。

「シャルル王子殿下、拾った犬をずいぶん可愛がっていらっしゃるご様子ですが、しょせん、そやつは野良犬でございます。御者が務まるとは思えませんし、ルイ王子殿下にもう一度、噛みつかないという保証などございません」

「どうかな、ルイ? ラーシュは魔道車の扱いにも慣れているし、セーデシュトレーム子爵の手をわずらわせることもないんじゃないかな? ここはひとつ――」

 いつものニコニコ顔でルイにやさしく語りかけたシャルルの言葉を、わたしは鋭くふるわせた風でさえぎった。

《ダーメ! ヒョロ男は絶対にダメだよ!》

「おお、さすがはルイ王子殿下の精霊様でございます。精霊様、この魔道車はルイ王子殿下に用意された物でございます。シャルル王子殿下が同乗されるというのも、よろしくないと、お思いになりませんか?」

 勝ち誇った笑みを浮かべた紅白男とヒョロ男の間に、ブルンヒョル男爵が渋い表情で割って入る。

「ふたりの王子殿下が共に王都に帰還されたのですぞ。争いの種になるようなことは、お慎みください」

 紅白男とブルンヒョル男爵が牽制し合うように、チリッと視線を交える。またしても、緊迫した空気が流れる中、カエル男があぶら汗を拭いながら、ぶあつい唇をカパッと開いた。

「まあ、しかし、でございますね。この魔道車は、王妃様がルイ王子殿下のためにご用意くださったのでありますから、シャルル王子殿下はあちらの馬車にて、王城に向かうがよろしいかと愚考いたしますです、はい」

「おや、これはヒュランデル子爵ではないか。久しぶりだね、子爵」

 一緒に王都まで来たにもかかわらず、初めてカエル男の存在に気がついたかのように、シャルルが笑顔のまま口角をキュッとあげた。

「たしか、子爵は王都の役人にも顔が広かったね?」

 カエル男が口を開けっぱなしにして、大きなまぶたをパタンと一往復させた。

「王妃様はおやさしい方だからね。くつろげるようにと、わたしにも馬車を用意してくださったのだろうけど、わたしとルイは一緒に魔道車に乗ったほうがいいと思わないかい? 王都に住まう者たちも、ひと目でルイがわたしと双子だと気がつくだろう。父上も長らく公の場に姿を見せていない今、仲睦まじい双子の王子の姿を見せれば、皆も安心するだろうからね。子爵の力で、なんとかならないかな?」

 シャルルは首がかゆいのか、しきりと首のあたりを手で擦りながら、カエル男の濁った目をのぞき込んだ。

「お、お、おっしゃるとおりでございます。ご、ございますが……」

 カエル男は、なぜだか、両手で首をギュッと押さえながら、紅白男の方に視線を滑らせた。

 と、その時、誰かが大きな声を出した。

「精霊様だ! 火の精霊様がこちらに向かってるぞ!」

 あたりが騒然となり、王都へと入るために列をなしていた人々が、ひざまずいて感謝を捧げ始めた。

「火の精霊様だと!?」とか、「魔獣が出たのか!?」とか、「プレンナーの精霊様か!? いつ以来だ!?」などと、姿勢を低くして、みんながキョロキョロとあたりを見回す。

 広大な王都をぐるっと取り囲む街壁の上に立っていた兵士たちも、慌ただしく動き始めた。周囲を警戒するように見回したが、魔獣の姿を見つけられなかったのだろう。壁の上でひざまずいて頭を垂れた。

「精霊様がお呼びになったのですか?」

 カエル男に向けていた意味ありげな視線を、シャルルはルイに向けて滑らせた。口の端にチラリと浮かんだ苦笑に押されたように、ルイはわたしに向き直って、ちょこんと首をかしげた。不思議そうに瞬きかけるルイの瞳に、わたしはグイッと身を寄せた。そのまま、ルイをやさしく包みこみ、宙へと浮き上がらせる。

『わたしの宝物に手を出したらどうなるかを、王都の人たちにも教えておこうと思ってね』

 ルイの口からこぼれ落ちた「えっ?」という戸惑いの声は、あちこちから沸き起こった喧騒にかき消された。ゆっくりと大地から離れていくルイに、みんなの驚愕の視線が釘付けになっている。

『行くよ、ルイ』

「えっ? どこに?」

 どうしたらいいのかわからず、あたふたしているルイの背中を風で押し、背すじをシャキッと伸ばす。ローブも風ではためかそう。うんうん、これでいい。人を脅すには威厳が必要だ。

『プレンナーの精霊をほめてあげないとね』

「そ、そうなんだ」と、釈然としない声を発したルイの足もとを、大きな風の壁でおおう。これくらいでいいだろう。これならば、下にいる人たちが吹き飛ばされることもないはずだ。

 よしっ。準備万端だ。わたしは、こちらに向かっているプレンナーの精霊との距離を測って、いっきに風を上空へと舞いあげた。吸い込まれるようにプレンナーの精霊が加速し、わたしが起こしたつむじ風に引き寄せられて、グルグルとルイの周りを回り始める。

『わーい! すごいですねー! まわるまわるぅー! わーいわーい!』

 いつもながら、おこちゃまなプレンナーの精霊が、新しいおもちゃで遊ぶこどものように、キャッキャキャッキャと風の渦に巻き込まれて、その姿を伸び縮みさせる。ひとしきり、プレンナーの精霊を遊ばせた後、わたしは、遠くにいる人にも聞こえるように、大きく風をふるわせた。

《ねえ、プレンナーの精霊。王都の空はあなたのなわばりなのよね?》

 大勢の人が地上でうずくまりながらも、頭だけを持ち上げて、じっと様子をうかがっている。わたしの姿は人には見えないけど、巻き起こしたつむじ風とたわむれる火の精霊を目の当たりにして、わたしの声を聞けば、誰にだってわかるはずだ。ルイを守っているのが、高位の風の精霊だと。

《もちろん、そうですよー。わーいわーい》

 何かが激しく燃え盛るような火の精霊の声が、空に響き渡った。《わーいわーい》というところは余計だけど、おこちゃま精霊にも、すこしは記憶力というものがあったようだ。昨日、わたしが言いつけたとおり、思念ではなく、人の言葉を使っている。

《じゃあ、なわばりに敵が入り込んだら、あなたはどうするの?》

《もちろん、やっつけちゃいますよー。わーいわーい》

 ちょっとイラッとしたが、おくびにも出さず、上機嫌をよそおって、会話を続ける。ここからだ。ルイを守るためには、この暑苦しいおこちゃまな精霊の手を借りるのが手っ取り早い。猫の手よりは、よっぽどましなはずだ。

《あなたの敵って、どんな奴なの?》

《魔獣ですねー。あと、風の精霊さんの敵も、もちろん、ぼくの敵ですよー。あっ、そうそう、風の精霊さんの守護主さんの敵も、やっつけちゃいますからねー。ご安心くださいー。わーいわーい》

 またしても、イラッとしたが、人に聞かせたかった言葉は、ちゃんとしゃべっている。合格だ。こいつに威厳まで求めるのは、無理というものだ。わたしはプレンナーの精霊を引き連れて、ゆっくりと高度を下げた。魔道車の上空にプレンナーの精霊を浮かせ、できるだけ低く風をふるわせる。

《じゃあ、王城まで護衛をよろしくね》

《おまかせくださいー》

 魔道車の上でクルリと宙返りしながら返事をしたプレンナーの精霊を見ながら、わたしは、ぽふっと溜め息を吐き出した。しつけが必要かもしれない。だけど、今は見逃そう。そう思いながら、わたしはルイを地上へと降り立たせた。
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