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第2章 救国のハムスターは新たな人生を歩む

40 ニルス王子の想い その1

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 ハーミア様は兄上の肩からフワフワと飛び立つと、僕の手のひらにちょこんと乗っかった。


『こんにちは、ニルス殿下』

 という可愛らしい声が頭の中に響く。


 神の使いである救国のハムスター様は、触れている相手と念話ができるとは聞いてたけど、まさかこんなにここちよい声だとは思わなかった。

 それに、手のひらからじんわりと伝わってくる温かさが、僕の体全体をも包み込んでいる。



 ずっと昔に、僕をふんわりと包みこんでくれたお母様のことを思い出した。

 その頃のお母様は、すでに、ひとりでは起き上がれないほど、体を悪くしていた。

 お母様には僕を抱きしめる力さえ残ってないんだ。

 そう思うと、悲しかった。

 ギュッと力いっぱい抱きしめて欲しかった。

 でも、ハーミア様に触れて、初めてわかった。

 お母様は僕のことを心の底から大事に思ってて、その気持ちで僕を包みこんでいたんだって。



 ハーミア様はとってもお優しい方だった。



 魔王を倒し、王国に攻め込んできた隣国の大軍も、あっという間に追い払ったほどの力を持っているのに、僕のことをニルス殿下と呼んでくれて、まったくえらぶるところがなかった。

 まるで、昔からの友だちみたいに、コロコロと転がるような声音で、僕にいろんなことを話してくれた。



 生まれつき体が弱かった僕は、ずっとウルネスの離宮で暮らしていた。

 体にいい温泉が湧いてて、緑にも恵まれた離宮だけど、外の世界とは隔絶された箱庭のようなところだった。



 魔王が王国に攻め込んできていたことも、王国が二度も存亡の危機にひんしていたことも、僕には知らされていなかった。

 僕を気づかってのことだとは思うけど、離宮を取り囲む高い壁を乗り越えて、僕の耳に入ってくることは何もなかった。



 ううん。

 本当はそうじゃなかったのかもしれない。

 僕自身が、戻れるとも思えない外の世界に、ずっと興味を示さなかったせいかもしれない。

 そのせいで、離宮のみんなの口が、次第に重たくなっただけなのかもしれない。



 でも、ハーミア様はちがった。

 ハーミア様は外の世界のことをいっぱい教えてくれた。



 精霊祭や幻獣祭、神祈かむほぎ祭に建国祭に新年の行事など、神の使いとしてありとあらゆる行事に引っ張りだこのハーミア様は、僕の知らないいろんなことをおもしろおかしく話してくれた。

 僕もハーミア様にいっぱいしゃべった。

 普段は無理をすると、すぐぐったりしてしまう僕だけど、ハーミア様に触れているとちっとも疲れなかった。

 ハーミア様の持っている絶対結界の力が、僕のことも包みこんで守ってくれてたんだと思う。



 ハーミア様に出会うまで、僕はいろんなことをあきらめていた。

 毎日毎日ベットの上で陽が沈むのを見つめて、ため息をついた。

 毎日が退屈で退屈でたまらなくて、でも、何かしようとすると、すぐ熱が出て寝こんでしまう。

 その繰り返しで、だらだらと毎日を過ごしてしまっていた。



 だけど、ハーミア様に触れてから、ハーミア様と話してから、僕は少しずつ変わり始めた。

 ハーミア様がいる王都に行ってみたいと思った。

 ハーミア様とお祭りに行って、同じ景色を見て、同じ話題で盛り上がって、一緒に笑ってみたいと思った。


 もちろん、ハーミア様は兄上が大好きだから、僕とずっと一緒にいてくれるわけじゃない。

 でも、ハーミア様は優しいから、僕にも笑顔を向けてくれると思う。

 可愛らしい声で応えてくれると思う。



 ハーミア様はよく、シーラっていう人と勇者様の愚痴ぐちをこぼす。

 でも、話をよくよく聞くと、いつもシーラさんのお願いを聞いてあげて、勇者様に迷惑をかけられても、怒るでもなく許してあげている。

 僕だってきっと迷惑をかけるだろうけど、ハーミア様は笑って許してくれると思う。


 それに、ハーミア様の絶対結界に包まれてから、僕の体はすこしずつ元気になっていった。

 王都にある王立学園に行くための勉強も始めた。

 毎日散歩もして、ほんのちょっとだけど筋肉だって付いた。



 この調子なら、王立学園に入学できる十五歳になる頃には、王都で暮らせるようになりますねって、専属の魔術師も言ってくれた。



 僕は大喜びでハーミア様がお見舞いに来てくれるのを待っていた。

 でも、やって来たのは兄上だけだった。

 信じられなかった。



 ハーミア様はそれまで、一年に二度、必ずお見舞いに来てくれていた。

 だけど、ハーミア様が僕に会いに来てくれなかったことが、信じられなかったわけじゃない。

 兄上がひとりだけで来たのが、信じられなかった。



 ハーミア様はティトラン王国を守ってくださってるって、離宮のみんなは言ってたけど、僕はそうは思っていなかった。


 ハーミア様は兄上が大好きだ。

 ずっと兄上だけを見て、兄上だけを守っていた。

 兄上を守るために、そのために王国を守っていた。


 みんなに言うと叱られそうだったから黙ってたけど、ハーミア様とほんの少しでも話せば、誰だってわかることだ。


 ハーミア様にとって兄上はいちばんとかじゃなくて、唯一の存在だった。

 そのハーミア様が兄上をひとりで離宮に送り出すわけがなかった。



 僕は兄上を問い詰めた。

 でも、ハーミア様は王宮で楽しく暮らしているとしか、兄上は言わなかった。

 何度聞いても、返事は同じだった。

 兄上は何かを隠していた。



 いつも、そうだった。

 本当に大事なことは、僕には教えてもらえない。

 お母様が亡くなった時だって、僕には何にも知らされなかった。

 春が過ぎて、少し暑くなってきた頃だった。

 ある寒い冬の朝に、お母様が冷たくなっていたって知らされた。


 体が弱い僕のために、体調を崩さないようにって、ずっと隠されてた。

 僕のために? 

 本当に僕のために? 

 じゃあ、今度も僕のために何か隠してるの? 

 僕のために、また、ウソをついてるの?

 早く元気になって、王都に行かなくちゃって、心の底から思った。




 次のお見舞いの時にも、ハーミア様は来なかった。

 でも、その頃には僕にはわかっていた。


 王立学園への入学を目前にして、僕がすっかり健康になったと伝え聞いた人たちが、挨拶あいさつにやって来たからだ。

 そのうちのひとりが僕に教えてくれたんだ。



 兄上が同盟国であるルステル王国の第一王女と婚約したって。



 信じられなかった。

 ハーミア様がいるのに、他の人と婚約するなんてありえないって、僕は言った。

 でも、その人は笑いながら言った。

 大丈夫ですよ。

 将来、第一王妃になられるのはハーミア様ですからって。



 大丈夫なんかじゃない。

 ハーミア様のことを何にもわかってないって、僕は思った。

 いちばんじゃダメなんだって、言いそうになった。

 ハーミア様はいちばんなんかじゃない。

 唯一なんだって。




 でも、ひとりでお見舞いに来てくれた兄上には、そう言えなかった。

 兄上はいずれ国王になる。

 国王になれば、もちろん後継ぎが必要だ。

 いずれは、第二王妃を迎えなければならないって、僕だってわかる。

 たぶん、兄上も苦渋くじゅうの決断を迫られたんだと思う。



 だけど……ハーミア様は悲しんだんじゃないのかな? 

 ひょっとして、お見舞いに来ないのもそのせいなんじゃないのかなって思った。


 ハーミア様は悲しみにくれて、兄上と一緒にお出かけしなくなったのかもしれない。

 ハーミア様はちっちゃくて可愛らしくて、とっても心やさしい方だ。

 兄上のことを想いながら、寂しく泣いているのかもしれない。



 ハーミア様がぽつんとひとりうずくまってると思うと、いてもたってもいられなくなった。

 僕なんかじゃ、兄上の代わりにはならないけど、ハーミア様のためならなんだってできる。

 僕にとって、ハーミア様は世界で唯一の存在だ。



 もうすぐだ。

 もうすぐ、僕は王都に行く。

 ハーミア様に会って、話を聞いて、それで、ハーミア様がどうしても、兄上と王女様の婚約が許せないって言うのなら、できるかぎりのことをしよう。

 ハーミア様が笑っていられるように。


 僕はそう決意して、王都に向かう馬車に乗り込んだ。
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