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Prologue
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のインジケーターが点灯していることに気が付いたとたん、感じていなかった寒さが一気に襲い掛かってきた。
夜空の寒気はいつの間にか機体を侵していたようで、パイロットスーツ越しに冷気が肌に伝わってくる。
それは極寒の中で立ち尽くす中で襲い掛かってくる、肌を刺すようなものではない。ゆっくりと体の芯に向かってじわりじわりと染み込んでいくような、そんな感覚だ。
すぐには気づかない、いつの間にか体はじんわりと冷えていた。
「うわ、さっぶ」
思わず独り言が漏れた。
球体で全面がディスプレイとなっている、三メートルほどの空間の中心。操縦レバーやコンソール等の機器と一体化している座席に座る青年、サキトは少し身震いをする。
青と白が映える体のラインに密着するスーツ、その輪郭から細身ながら鍛えられていることが分かる。ややブラウンがかった髪に、極東地域の生まれ特有の黒い瞳。その目線は機体の状態を表示するコンソールの画面上を忙しなく動く。
作戦開始から早一時間。その時間はコックピット内の気温を一桁台に下げてしまうには十分な時間だったようだ。吐く吐息が白い。呼吸とともに白く小さな雲が現れては、すっと消えていく。それがずっと繰り返されている。
これほど操縦席内の温度が下がっていることに気が付かなかったのは、パイロットスーツの断熱性能の高さによるものだといえる。
それは気温が真冬並みに下がっていても、そのことにほとんど気づかず作業を続けられるほどだ。
いかなる状況、環境下においても行動が求められる自分たち[機甲士]の最大の相棒―――人型装甲機動兵器[AFV]の搭乗者として、これもまた身近な相棒でもある。
とはいえ任務終了、交代人員に引き継ぐまではまだたっぷり二時間は残されている。この程度の寒さ、耐えられないことはないが、かといってこのまま我慢し続けたまま過ごすのも精神衛生上良いものではない。
そこでサキトは座席に付随されている空調ユニットの起動ボタンに手を伸ばした。
本来ならば機甲士が負傷した際に使用される応急処置用の薬品が入っているユニットが置かれている場所、それをあえて取っ払って換装した空調ユニットはサキトにとって必需品だ。しかし、軍規によって応急治療品の装備は義務付けられているため、大っぴらにばれてしまうと処分が下されるのは間違いないだろう。
が、
「あれ、無い……?」
小型のそれがあったはずのスペースには、ただの何もない空間があるだけで、伸ばした手は虚しく空を切った。
そこで、つい三日ほど前に戦闘中に壊してしまったことを思い出す。
「……そういや」
敵との戦闘中、無茶に機体を旋回、急加減速を繰り返すうちに仮止めされていたボルトが弾けて、動力ケーブルを自重で引きちぎったユニットの姿が脳裏に浮かんだ。
無いものはどうしようもない。諦めることにした。
ただ、この徐々に体温を奪われていく中でただ座ったまま耐えるというのは辛い。
「運動がてら機体動かすか…」
そして、目の前のディスプレイ越しに広がる大雲海に目を戻して、スロットルを押し上げた。
高度10000メートル。
ここは雲よりも高く、機体の飛行を邪魔するものは何一つとして存在しない。
目下を月の光を鈍く、わずかに反射して輝く純白の雲の大平原がはるか彼方まで広がっているのみで、不可侵の清浄が保たれた空域を白を基調に塗装された機体が飛行する。
機械というよりも甲冑という方が正しいような、なだらかな流線を描いている本機―――[トリニティ]は量産機であり、数あるAFVの中で特段目立った性能をもつというわけではない。おまけに多くの高性能武装を装備するトップクラスの機甲士の専用機に比べて、両腕の弾倉装填式40ミリバルカン砲と超硬硬度を誇る特殊合金製の大剣のみというあまりに貧相ななりをしている。
ただそのおかげで空気抵抗が少ないため空中飛行時の加速度は高く、空気を押しつぶすようにして飛ぶ他機に対して風に乗るように飛ぶ。そこが最大のメリットであり、サキトが選ぶ理由でもあった。
背面の翼型ブースターユニットを巡行最大出力で駆動。時々旋回をはさみ、機体の足先が雲にわずかに触れないかといった雲面すれすれを飛ぶ。
その姿は神に仕える翼をもつ天上の騎士、そんな印象を見る者に与える。
全長15メートルを超える騎士は、動作を確認するよう腕部や脚部を動かし、精巧に作られた拳を開いたり閉じたりを繰り返していく。
そこで、左腕の動きがいつもより鈍いことに気がついた。
「ちょっと腕の関節がきてるな」
まあ、問題はないか。全天ディスプレイに映る左腕の関節を見ていると、短くアラームが鳴った。帰投の折り返し地点を通過した合図だ。
スロットルを下げて、機体速度を落とす。脚部の姿勢制御用のスラスターを点火して滞空姿勢をとる。
そのまま画面を操作して通信モジュールを起動、慣れた手つきで接続先を指定した。
「本部へ。こちら、第十三番基地隊サキト三尉、識別名[タリス=セカンド]。折り返し地点に到着、帰投開始する」
すると、わずかな無言ののち着信時特有のノイズがはしった。
「こちら本部、了解した。細心の注意を払い帰投せよ」
「了解した」
言われなくとも、とは思ったが一言だけ言って通信接続を切る。
そして、もと来た方角に機体を回頭転進する。低出力にセレクトしていたスロットルを再び上げる。
アイドリング状態から再始動する際の駆動音を鳴らしながら、徐々に機体が加速していく。
一機につき三時間、全部隊から一機ずつ合計三十機による定時偵察、サキトの任務はこれでほとんど終了した。
空中を人類の拠点としてから二百年余り。
二十万の市民が住む空中の都市はこうして守られている。
厄介な相手を敵に回したものだ、サキトは毎度のように思いつつ偵察をこなしている。
結果として三時間に一度こうしてAFVによる索敵を常にし続け、こうしてサキトは寒い思いをしているわけだ。
AFVに乗るのが嫌いというわけではない。むしろその逆だ。
人は空を飛べない。
機体で空を飛ぶのは、生きる場所を制限され、息苦しい中で生きるサキトを何もかもから解放するようなそんな感覚があった。
ただ、機甲士という立場である以上、人類のために戦う義務を持つ。
そこには不意の死もあり得る。
いつ敵が襲ってくるのかもわからない。奇襲されてこの美しい雲海のなかにあえなく沈む可能性も、戦闘であっけなく敗れる可能性だってすらある。
しかしサキトにとって、戦闘でさえ生の実感を感じられる瞬間でもあった。
ただ、空だけ飛び続けられたらいいのに。
サキトは飛行する機体の影が雲の上を動くのを虚ろな目でディスプレイ越しに眺める。
その時だった。
突如、甲高い警報音が狭い操縦席の中で高らかに鳴り響いた。
機体の外の景色を映していた目の前に“EMERGENCY”と警告を知らせるアナウンスが表示される。ぼんやりと雲を眺めていたサキトの瞳が一変した。明確に警戒の色が浮かぶ目はすぐ前のディスプレイから、手元のコンソールに移った。
未確認飛行体捕捉。
真紅の文字が表示され、しばらくするとレーダー画面に切り替わる。
そこには五つの反応を示す赤い光点が表示されている。
二時の方向。
そちらへ視線を向けると、目線を検知した機体のシステムがその方角一帯の映像を拡大表示する。
そこにはわずかに切れた雲の隙間があった。月光に照らされる雲と、その下の夜の宵闇だけが映っていた。
サキトはそのまま視線を動かさない。
そして、息を呑んだ。
闇からゆっくりと這い出るように進む、黒光りする異形の姿が表示される。
菱形、例えるならば機械化した甲殻類のような、直線と曲線のバランスが取れたフォルムだ。
下部には実体弾を発射する電磁加速砲の砲身が覗き、内部機構を上から覆いかぶさるように装甲が装着されている。
全長はAFVと同じほどの15メートルほど。
心拍数が上がるのがわかった。あれ程までに寒く感じていたコックピット内の気温も今はもう感じない。呼吸数も上がる。首筋に汗がにじむ。
人類の最大の脅威で、唯一の共通敵。
敵性自立兵器[カーヴェイン]
同型の目標五体はサキトの機体と平行に雲を通過するのも構わず進む。サキトの[トリニティ]には一切気づいていないようだ。
サキトと平行に進んでいる、つまり目標の推定終着地点は帰投先と同一。
ここから導き出される結論は一つ。
サキトは操縦桿を引いた。
機体の右腕が動き出し、背面に取り付けられていた大剣の柄を握り、抜き放つ。
そしてコンソールを操作し、両腕のバルカン砲のロックを解除する。
ガシャン、両腕から作動音が響き、セーフティロックの制御棒がせり出すのが見えた。すると両腕装甲内に格納されていたバルカン砲が展開され銃身が覗いた。
スロットルを下げ、その場に滞空する。
そして、言葉を紡いだ。
「AI起動。規定制御から、思考制御への切り替え開始」
《航行・戦闘独立支援システム起動します。AFV[トリニティ]思考制御への切り替えシークエンス開始します。操縦桿から手を放してください》
そのアナウンスを聞いてサキトは操縦桿から手を離した。
《確認。事前シークエンスオールグリーン。機甲士と機体間の脳波リンク開始します》
操作系の切り替えが始まり、機体が少し揺れ始める。
操縦桿が音を立てて変形、機体の操縦するためのものから、機体の武装や細部を操作するものへと変わる。
脳波が読み取られ、動作がリンクされていく。
その感覚も実感もない。だが、どことなく機体が自分の身体に置き換わっていくような、そんな捉えられない感覚がサキトの身体を支配していく。
戦いの始まりの感覚だ。
機体の揺れが止まる。
《リンク完了。[トリニティ]戦闘モードに移行します。戦闘機動制限解放。連続二十一時間の戦闘が可能です》
右腕を動かすように想像する。すると、機体の右腕も同様に動く。
これで戦闘が可能になる。
《戦闘は記録されます。操縦者の指定されたワード発音とともに記録が開始されます》
AIのアナウンスに大きく息を吸う。
今から始まるのは掛け値なしの戦闘。心拍数が大きく上がる。
戦力差は五対一。しかし敵は気づいていない。
後方からの奇襲の成功が勝利のカギとなる。
もう一度、大きく息を吸う。
そして、スロットルを最大に押し上げた。
瞬間、機体の姿が掻き消える。
すさまじいスピード。あたりに広がっていた雲のカーペットは衝撃で一斉に霧散する。
急加速によって、サキトの体に大きなGがかかるが一切構わない。背面の翼状のブースターは先ほどと比較にならないほど青白い光を放ち、圧倒的な推進力を生み出している。
五機並んで航行する[カーヴェイン]の編隊とは相当離れていたはずだが、サキトの[トリニティ]はその差をあっという間に詰めていく。
ディスプレイに映る敵機の姿が大きくなっていく。
まだ向こうは気がつかない。
サキトの[トリニティ]は右手の両手剣を両手で持ち直して大きく振りかぶった。
「戦闘開始」
その言葉とともに、最後尾の敵機を狙って振り下ろされた銀閃は、上部の分厚い装甲をたやすく打ち砕きその機体を一刀両断した。
二つに分かれた機体は瞬時に爆発する。
[カーヴェイン]は機体同士で相互リンクしている。
その音と、一機の反応消失を検知した四機は回避行動を取ろうとする。
だが、
「遅いッ!」
大剣を振り下ろしたまま近くの敵機に接近していた[トリニティ]は、勢いを残して振り上げる。
メキッ、という破砕音が響き、下部の電磁加速砲から内部機構にかけてを粉砕。しかし、装甲を完全に断ち斬ることができず、剣身が途中で止まる。
サキトは焦ることなく、剣を引き抜く。そこで姿勢制御用のスラスターを全噴射、破壊した敵機を足場にするようにけり上げて上空に退避する。すると、[トリニティ]がさっきまであった空間を一条の線が高速で通り抜け、その先にあった敵機の残骸に着弾。直後、大きな風穴が空き、爆発、霧散する。
電磁加速砲の弾頭が通り過ぎて行ったのだ。
[トリニティ]は振り返ることなく、間髪入れずに腕部のバルカン砲を全弾発射。
弾丸は弾頭を再装填している敵機の機構に吸い込まれるように飛翔し、全弾貫通。機能を停止した。
この間わずか三十秒、一瞬の出来事だ。
だが、サキトは猛攻を緩めない。
緊急回避で体勢を崩した機体をすぐさま立て直し、ブースターを全力噴射。回頭し攻撃しようとしている敵機を蹴り飛ばす。
動作の最中に高速で蹴られた敵の機体のバランスはブレ、大きくきりもみしながら落下する。その隙を見逃さない。
「うらぁぁぁあ!」
裂帛の雄たけびとともに繰り出された刺突。
月光に輝く鋼は、漆黒の機体を貫き、下部の機構を完全に破壊した。
だがその瞬間、サキトの[トリニティ]は大きな衝撃と接触音とともに吹き飛ばされる。
「うわッ!」
警告音がなり、機体の状況を知らせるコンソールの画面が真っ赤に染まる。
残る一機が回頭を終え、電磁加速砲を発射。
音速を超える速さで襲い掛かった鋼鉄の弾頭は左腕に直撃し、破壊した。
ディスプレイの映像には[トリニティ]の左腕の肘から先は、装甲が激しく大破し使い物にならないのが一目でわかった。
視界の先の敵機が次弾の装填にかかっているのが見えた。
「チッ!」
舌打ちしつつサキトは大剣を逆手に持ち替える。スロットルを大きく踏み込んで加速する。
僅か1秒。
超スピードを保ち、そのまま大きく手を振りかぶって、敵機めがけて大剣を投擲した。
AFVの圧倒的な膂力と機体そのもの最高速度が掛け合わされたそれは、圧倒的暴力と化した一筋の光の線となって、上部装甲に突き刺さる。だが、それをもってしても背面の装甲に大きく亀裂を作っただけだ。致命打には至っていない。
その瞬間敵機は次弾装填を終えた。
そして照準にかかった時、サキトの[トリニティ]は敵機正面、わずかなところまで距離を詰めていた。そして、残った右手が振り上げられている。
コックピットで、サキトは凶悪な笑みを浮かべる。
「チェック・メイト」
大剣の柄頭に繰り出された猛烈な掌底は、装甲に突き刺さったままの大剣を押込み、貫通させた。
切っ先が敵機の動力源を貫き、[トリニティ]を巻き込む大爆発が起こった。
「本部へ。こちらサキト三尉。識別名「タリス=セカンド]。敵の一個小隊と交戦。左腕大破ながら撃滅。現在帰投中」
「こちら本部。了解した。現在支援機を急行させている。ポイントβにて合流し、帰投せよ」
「了解」
通信を切った。
「はぇぇぇぇぇぇえ、つっかれたぁぁぁあ」
サキトは大きく足を投げ出して、息を吐いた。
無事、全機殲滅を達成したことで高揚感と、安堵が同時にやってくる。
機甲士になって戦闘を経験したのはこれが初めてではなかったが、それでもいつになってもこの緊張感は慣れない。ただ、それを上回る達成感と充足感がに満たされていた。
生の実感、なのかもしれない。
何度も大きく息を吐いて、ふと[トリニティ]のぐしゃぐしゃになった左腕を見る。
「装甲どころかフレームまでいってる。全とっかえだなこれ」
ま、勝てさえすればそれでいい。
しばらくすると、レーダーに反応を示す光点が二つ表示される。
アイコンは緑、友軍機だ。
「迎えが来たみたいだな。AI、思考制御解除、自動操縦に切り替え。目標、接近中の友軍機。その後は友軍機に随伴しろ」
《命令実行されます。思考制御から自動操縦に切り替えます》
操作系切り替え時の揺れが始まり、それが終わると機体は接近する友軍機に向かって発進した。
操縦から解放されたサキトは、操縦席のリクライニングを倒してはるか上に広がる星空を見上げた。雲よりも高く、人工的な光源のないここでははっきりと星が見える。
爛々と瞬く星の海を眺めつつ、そっとつぶやいた。
「帰るか」
夜空の寒気はいつの間にか機体を侵していたようで、パイロットスーツ越しに冷気が肌に伝わってくる。
それは極寒の中で立ち尽くす中で襲い掛かってくる、肌を刺すようなものではない。ゆっくりと体の芯に向かってじわりじわりと染み込んでいくような、そんな感覚だ。
すぐには気づかない、いつの間にか体はじんわりと冷えていた。
「うわ、さっぶ」
思わず独り言が漏れた。
球体で全面がディスプレイとなっている、三メートルほどの空間の中心。操縦レバーやコンソール等の機器と一体化している座席に座る青年、サキトは少し身震いをする。
青と白が映える体のラインに密着するスーツ、その輪郭から細身ながら鍛えられていることが分かる。ややブラウンがかった髪に、極東地域の生まれ特有の黒い瞳。その目線は機体の状態を表示するコンソールの画面上を忙しなく動く。
作戦開始から早一時間。その時間はコックピット内の気温を一桁台に下げてしまうには十分な時間だったようだ。吐く吐息が白い。呼吸とともに白く小さな雲が現れては、すっと消えていく。それがずっと繰り返されている。
これほど操縦席内の温度が下がっていることに気が付かなかったのは、パイロットスーツの断熱性能の高さによるものだといえる。
それは気温が真冬並みに下がっていても、そのことにほとんど気づかず作業を続けられるほどだ。
いかなる状況、環境下においても行動が求められる自分たち[機甲士]の最大の相棒―――人型装甲機動兵器[AFV]の搭乗者として、これもまた身近な相棒でもある。
とはいえ任務終了、交代人員に引き継ぐまではまだたっぷり二時間は残されている。この程度の寒さ、耐えられないことはないが、かといってこのまま我慢し続けたまま過ごすのも精神衛生上良いものではない。
そこでサキトは座席に付随されている空調ユニットの起動ボタンに手を伸ばした。
本来ならば機甲士が負傷した際に使用される応急処置用の薬品が入っているユニットが置かれている場所、それをあえて取っ払って換装した空調ユニットはサキトにとって必需品だ。しかし、軍規によって応急治療品の装備は義務付けられているため、大っぴらにばれてしまうと処分が下されるのは間違いないだろう。
が、
「あれ、無い……?」
小型のそれがあったはずのスペースには、ただの何もない空間があるだけで、伸ばした手は虚しく空を切った。
そこで、つい三日ほど前に戦闘中に壊してしまったことを思い出す。
「……そういや」
敵との戦闘中、無茶に機体を旋回、急加減速を繰り返すうちに仮止めされていたボルトが弾けて、動力ケーブルを自重で引きちぎったユニットの姿が脳裏に浮かんだ。
無いものはどうしようもない。諦めることにした。
ただ、この徐々に体温を奪われていく中でただ座ったまま耐えるというのは辛い。
「運動がてら機体動かすか…」
そして、目の前のディスプレイ越しに広がる大雲海に目を戻して、スロットルを押し上げた。
高度10000メートル。
ここは雲よりも高く、機体の飛行を邪魔するものは何一つとして存在しない。
目下を月の光を鈍く、わずかに反射して輝く純白の雲の大平原がはるか彼方まで広がっているのみで、不可侵の清浄が保たれた空域を白を基調に塗装された機体が飛行する。
機械というよりも甲冑という方が正しいような、なだらかな流線を描いている本機―――[トリニティ]は量産機であり、数あるAFVの中で特段目立った性能をもつというわけではない。おまけに多くの高性能武装を装備するトップクラスの機甲士の専用機に比べて、両腕の弾倉装填式40ミリバルカン砲と超硬硬度を誇る特殊合金製の大剣のみというあまりに貧相ななりをしている。
ただそのおかげで空気抵抗が少ないため空中飛行時の加速度は高く、空気を押しつぶすようにして飛ぶ他機に対して風に乗るように飛ぶ。そこが最大のメリットであり、サキトが選ぶ理由でもあった。
背面の翼型ブースターユニットを巡行最大出力で駆動。時々旋回をはさみ、機体の足先が雲にわずかに触れないかといった雲面すれすれを飛ぶ。
その姿は神に仕える翼をもつ天上の騎士、そんな印象を見る者に与える。
全長15メートルを超える騎士は、動作を確認するよう腕部や脚部を動かし、精巧に作られた拳を開いたり閉じたりを繰り返していく。
そこで、左腕の動きがいつもより鈍いことに気がついた。
「ちょっと腕の関節がきてるな」
まあ、問題はないか。全天ディスプレイに映る左腕の関節を見ていると、短くアラームが鳴った。帰投の折り返し地点を通過した合図だ。
スロットルを下げて、機体速度を落とす。脚部の姿勢制御用のスラスターを点火して滞空姿勢をとる。
そのまま画面を操作して通信モジュールを起動、慣れた手つきで接続先を指定した。
「本部へ。こちら、第十三番基地隊サキト三尉、識別名[タリス=セカンド]。折り返し地点に到着、帰投開始する」
すると、わずかな無言ののち着信時特有のノイズがはしった。
「こちら本部、了解した。細心の注意を払い帰投せよ」
「了解した」
言われなくとも、とは思ったが一言だけ言って通信接続を切る。
そして、もと来た方角に機体を回頭転進する。低出力にセレクトしていたスロットルを再び上げる。
アイドリング状態から再始動する際の駆動音を鳴らしながら、徐々に機体が加速していく。
一機につき三時間、全部隊から一機ずつ合計三十機による定時偵察、サキトの任務はこれでほとんど終了した。
空中を人類の拠点としてから二百年余り。
二十万の市民が住む空中の都市はこうして守られている。
厄介な相手を敵に回したものだ、サキトは毎度のように思いつつ偵察をこなしている。
結果として三時間に一度こうしてAFVによる索敵を常にし続け、こうしてサキトは寒い思いをしているわけだ。
AFVに乗るのが嫌いというわけではない。むしろその逆だ。
人は空を飛べない。
機体で空を飛ぶのは、生きる場所を制限され、息苦しい中で生きるサキトを何もかもから解放するようなそんな感覚があった。
ただ、機甲士という立場である以上、人類のために戦う義務を持つ。
そこには不意の死もあり得る。
いつ敵が襲ってくるのかもわからない。奇襲されてこの美しい雲海のなかにあえなく沈む可能性も、戦闘であっけなく敗れる可能性だってすらある。
しかしサキトにとって、戦闘でさえ生の実感を感じられる瞬間でもあった。
ただ、空だけ飛び続けられたらいいのに。
サキトは飛行する機体の影が雲の上を動くのを虚ろな目でディスプレイ越しに眺める。
その時だった。
突如、甲高い警報音が狭い操縦席の中で高らかに鳴り響いた。
機体の外の景色を映していた目の前に“EMERGENCY”と警告を知らせるアナウンスが表示される。ぼんやりと雲を眺めていたサキトの瞳が一変した。明確に警戒の色が浮かぶ目はすぐ前のディスプレイから、手元のコンソールに移った。
未確認飛行体捕捉。
真紅の文字が表示され、しばらくするとレーダー画面に切り替わる。
そこには五つの反応を示す赤い光点が表示されている。
二時の方向。
そちらへ視線を向けると、目線を検知した機体のシステムがその方角一帯の映像を拡大表示する。
そこにはわずかに切れた雲の隙間があった。月光に照らされる雲と、その下の夜の宵闇だけが映っていた。
サキトはそのまま視線を動かさない。
そして、息を呑んだ。
闇からゆっくりと這い出るように進む、黒光りする異形の姿が表示される。
菱形、例えるならば機械化した甲殻類のような、直線と曲線のバランスが取れたフォルムだ。
下部には実体弾を発射する電磁加速砲の砲身が覗き、内部機構を上から覆いかぶさるように装甲が装着されている。
全長はAFVと同じほどの15メートルほど。
心拍数が上がるのがわかった。あれ程までに寒く感じていたコックピット内の気温も今はもう感じない。呼吸数も上がる。首筋に汗がにじむ。
人類の最大の脅威で、唯一の共通敵。
敵性自立兵器[カーヴェイン]
同型の目標五体はサキトの機体と平行に雲を通過するのも構わず進む。サキトの[トリニティ]には一切気づいていないようだ。
サキトと平行に進んでいる、つまり目標の推定終着地点は帰投先と同一。
ここから導き出される結論は一つ。
サキトは操縦桿を引いた。
機体の右腕が動き出し、背面に取り付けられていた大剣の柄を握り、抜き放つ。
そしてコンソールを操作し、両腕のバルカン砲のロックを解除する。
ガシャン、両腕から作動音が響き、セーフティロックの制御棒がせり出すのが見えた。すると両腕装甲内に格納されていたバルカン砲が展開され銃身が覗いた。
スロットルを下げ、その場に滞空する。
そして、言葉を紡いだ。
「AI起動。規定制御から、思考制御への切り替え開始」
《航行・戦闘独立支援システム起動します。AFV[トリニティ]思考制御への切り替えシークエンス開始します。操縦桿から手を放してください》
そのアナウンスを聞いてサキトは操縦桿から手を離した。
《確認。事前シークエンスオールグリーン。機甲士と機体間の脳波リンク開始します》
操作系の切り替えが始まり、機体が少し揺れ始める。
操縦桿が音を立てて変形、機体の操縦するためのものから、機体の武装や細部を操作するものへと変わる。
脳波が読み取られ、動作がリンクされていく。
その感覚も実感もない。だが、どことなく機体が自分の身体に置き換わっていくような、そんな捉えられない感覚がサキトの身体を支配していく。
戦いの始まりの感覚だ。
機体の揺れが止まる。
《リンク完了。[トリニティ]戦闘モードに移行します。戦闘機動制限解放。連続二十一時間の戦闘が可能です》
右腕を動かすように想像する。すると、機体の右腕も同様に動く。
これで戦闘が可能になる。
《戦闘は記録されます。操縦者の指定されたワード発音とともに記録が開始されます》
AIのアナウンスに大きく息を吸う。
今から始まるのは掛け値なしの戦闘。心拍数が大きく上がる。
戦力差は五対一。しかし敵は気づいていない。
後方からの奇襲の成功が勝利のカギとなる。
もう一度、大きく息を吸う。
そして、スロットルを最大に押し上げた。
瞬間、機体の姿が掻き消える。
すさまじいスピード。あたりに広がっていた雲のカーペットは衝撃で一斉に霧散する。
急加速によって、サキトの体に大きなGがかかるが一切構わない。背面の翼状のブースターは先ほどと比較にならないほど青白い光を放ち、圧倒的な推進力を生み出している。
五機並んで航行する[カーヴェイン]の編隊とは相当離れていたはずだが、サキトの[トリニティ]はその差をあっという間に詰めていく。
ディスプレイに映る敵機の姿が大きくなっていく。
まだ向こうは気がつかない。
サキトの[トリニティ]は右手の両手剣を両手で持ち直して大きく振りかぶった。
「戦闘開始」
その言葉とともに、最後尾の敵機を狙って振り下ろされた銀閃は、上部の分厚い装甲をたやすく打ち砕きその機体を一刀両断した。
二つに分かれた機体は瞬時に爆発する。
[カーヴェイン]は機体同士で相互リンクしている。
その音と、一機の反応消失を検知した四機は回避行動を取ろうとする。
だが、
「遅いッ!」
大剣を振り下ろしたまま近くの敵機に接近していた[トリニティ]は、勢いを残して振り上げる。
メキッ、という破砕音が響き、下部の電磁加速砲から内部機構にかけてを粉砕。しかし、装甲を完全に断ち斬ることができず、剣身が途中で止まる。
サキトは焦ることなく、剣を引き抜く。そこで姿勢制御用のスラスターを全噴射、破壊した敵機を足場にするようにけり上げて上空に退避する。すると、[トリニティ]がさっきまであった空間を一条の線が高速で通り抜け、その先にあった敵機の残骸に着弾。直後、大きな風穴が空き、爆発、霧散する。
電磁加速砲の弾頭が通り過ぎて行ったのだ。
[トリニティ]は振り返ることなく、間髪入れずに腕部のバルカン砲を全弾発射。
弾丸は弾頭を再装填している敵機の機構に吸い込まれるように飛翔し、全弾貫通。機能を停止した。
この間わずか三十秒、一瞬の出来事だ。
だが、サキトは猛攻を緩めない。
緊急回避で体勢を崩した機体をすぐさま立て直し、ブースターを全力噴射。回頭し攻撃しようとしている敵機を蹴り飛ばす。
動作の最中に高速で蹴られた敵の機体のバランスはブレ、大きくきりもみしながら落下する。その隙を見逃さない。
「うらぁぁぁあ!」
裂帛の雄たけびとともに繰り出された刺突。
月光に輝く鋼は、漆黒の機体を貫き、下部の機構を完全に破壊した。
だがその瞬間、サキトの[トリニティ]は大きな衝撃と接触音とともに吹き飛ばされる。
「うわッ!」
警告音がなり、機体の状況を知らせるコンソールの画面が真っ赤に染まる。
残る一機が回頭を終え、電磁加速砲を発射。
音速を超える速さで襲い掛かった鋼鉄の弾頭は左腕に直撃し、破壊した。
ディスプレイの映像には[トリニティ]の左腕の肘から先は、装甲が激しく大破し使い物にならないのが一目でわかった。
視界の先の敵機が次弾の装填にかかっているのが見えた。
「チッ!」
舌打ちしつつサキトは大剣を逆手に持ち替える。スロットルを大きく踏み込んで加速する。
僅か1秒。
超スピードを保ち、そのまま大きく手を振りかぶって、敵機めがけて大剣を投擲した。
AFVの圧倒的な膂力と機体そのもの最高速度が掛け合わされたそれは、圧倒的暴力と化した一筋の光の線となって、上部装甲に突き刺さる。だが、それをもってしても背面の装甲に大きく亀裂を作っただけだ。致命打には至っていない。
その瞬間敵機は次弾装填を終えた。
そして照準にかかった時、サキトの[トリニティ]は敵機正面、わずかなところまで距離を詰めていた。そして、残った右手が振り上げられている。
コックピットで、サキトは凶悪な笑みを浮かべる。
「チェック・メイト」
大剣の柄頭に繰り出された猛烈な掌底は、装甲に突き刺さったままの大剣を押込み、貫通させた。
切っ先が敵機の動力源を貫き、[トリニティ]を巻き込む大爆発が起こった。
「本部へ。こちらサキト三尉。識別名「タリス=セカンド]。敵の一個小隊と交戦。左腕大破ながら撃滅。現在帰投中」
「こちら本部。了解した。現在支援機を急行させている。ポイントβにて合流し、帰投せよ」
「了解」
通信を切った。
「はぇぇぇぇぇぇえ、つっかれたぁぁぁあ」
サキトは大きく足を投げ出して、息を吐いた。
無事、全機殲滅を達成したことで高揚感と、安堵が同時にやってくる。
機甲士になって戦闘を経験したのはこれが初めてではなかったが、それでもいつになってもこの緊張感は慣れない。ただ、それを上回る達成感と充足感がに満たされていた。
生の実感、なのかもしれない。
何度も大きく息を吐いて、ふと[トリニティ]のぐしゃぐしゃになった左腕を見る。
「装甲どころかフレームまでいってる。全とっかえだなこれ」
ま、勝てさえすればそれでいい。
しばらくすると、レーダーに反応を示す光点が二つ表示される。
アイコンは緑、友軍機だ。
「迎えが来たみたいだな。AI、思考制御解除、自動操縦に切り替え。目標、接近中の友軍機。その後は友軍機に随伴しろ」
《命令実行されます。思考制御から自動操縦に切り替えます》
操作系切り替え時の揺れが始まり、それが終わると機体は接近する友軍機に向かって発進した。
操縦から解放されたサキトは、操縦席のリクライニングを倒してはるか上に広がる星空を見上げた。雲よりも高く、人工的な光源のないここでははっきりと星が見える。
爛々と瞬く星の海を眺めつつ、そっとつぶやいた。
「帰るか」
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