上 下
13 / 16

12 分からない

しおりを挟む
 アリゼが人に戻らなくなった。この一週間、ずっと猫のままだ。俺が触れても眺めても逃げない大人しい猫。俺はそれを望んでいたはずだった。望む結果になった。だが……。

「……で、その後は……」
「……………………」

 呪いが強くなっているということだろうか。アリゼはもう人に戻らないのか? 猫のままならば困ることは何もない。パーティー中に人に戻って慌てることもなくて済む。

「ドレスはこの色で…………カイラス様は……」
「……………………」
「どちらが良いですか?」
「……………………」

 この焦燥感は何だ。何も問題はないはずなのに、アリゼは俺の望む猫に変わっただけなのに……。

「えっ、あの、カイラス様!? どちらへ?」
「…………帰る」
「ええ!? いきなりどうなさったんです、カイラス様!?」

 部屋に帰ってくるとアリゼがにゃあと鳴いて出迎えてくれた。可愛い。とても可愛らしい。抱き上げて撫でてやると頭を擦り付けてきた。可愛い。

「アリゼ、お前はそこにいるか?」
「にゃあ~う」

 猫は何も考えていないような顔で俺を見ている。うん、可愛い。どんな風にしていても猫は可愛い。毛がふさふさで、気まぐれで、鳴き声も愛らしい。尻尾がゆらっと揺れている。

 しかし俺は毎晩11時50分を待ちわびている。アリゼが人に戻らないのを見て、落胆した気持ちで寝床に入る。そして考える。これで良かったじゃないかと。

「今日はどうだろうな……」

 時計を見て時間になるのを待っている。針が動いた。

「アリゼ!」
「……にゃ? うにゃ?」

 アリゼが人に戻った! 呆けた様子で周りをきょろきょろ見ている。俺はその細い肩を掴んで揺さぶった。

「しっかりしろ! 思い出せ、お前は人間だろう!」
「……っあ、あれ? カイラス様? 私は今……?」
「お前、猫になりかけているぞ」

 アリゼは俺を見て不思議そうに首を傾げた。そして苦笑いで言う。

「そうですか。何か困ることがありますか? 私が完全な猫になれば貴方も嬉しいでしょう」

 嬉しい、嬉しいはずだった。しかし今は自分の気持ちが分からない。俺は焦っていた。またすぐに猫に戻るんじゃないかと。アリゼの長い黒髪と、アンバーの瞳を見つめる。

「お前の人としての感情はどうなる。いいのか、全部消えるかもしれない」
「余計な物ですよ。必要ありません」

 アリゼは吹っ切れた風だ。悩む様子もない。俺が何故困っているのか理解していないらしい。俺も、俺が何故困っているのか分からない。

「アリゼ、お前はどうして呪われた。原因に心当たりはあるか」
「カイラス様は優しいですね。私のことも気遣ってくださるだなんて」
「言え! 誰かから恨みを買った覚えは?」

 アリゼは少し黙った。考えるように視線を落として、持ち上げる。

「カイラス様。一つ気を付けて欲しいことがあります。私の妹は、猫があまり好きではないんです。もし私を飼い続けるのでしたら、なるべく妹からは離れたところにお願いします」
「そんなことはどうでもいい! 俺が聞いているのは」
「妹は貴方との結婚を心待ちにしています。とても可愛くていい子ですから、幸せにしてあげてくださいね。人としての私の望みはそれだけです」

 次に名前を呼んだ時には、猫に戻っていた。なんて短いんだ。ろくな会話もできなかった。猫のアリゼはのんびりとベッドを歩いて毛づくろいを始めた。以前であれば癒された姿だが、今は絶望的な気持ちだ。猫を見てこんな感情になるのは初めてのことだった。

 俺は必死で頭を働かせた。人に呪いをかけるというのは並大抵のことではない。金もかかる、露見すれば名も落ちる。それでも実行するとなると相当な恨みがあるとしか思えない。

 アリゼは大人しい女で自己主張も弱く、人と争うような人間ではない。他者から恨まれるとは思いにくい。可能性があるとすれば家の関係だが、シャルラン家は名の知れた家だが目立って金持ちというわけではない。ただ古い家というだけだ。

 後は友人関係、或いは身内……。妹、妹か。
 アリゼが行方不明になったとかなり早い段階で家に訪ねて来た記憶がある。謝罪と、婚約について話をされた。妹自ら、自分が代わりに婚約すると言ってきた。当時はどうでもよかったが故に意識しなかったが、今思うと不自然だ。

 俺は例え行方不明だろうと多少は婚約を待つつもりでいた。アリゼは不愉快な人間ではなかったからだ。会話をせずとも黙って受け入れてくれた。嫌がる素振りもなかった。内心で安堵したものだ。彼女が相手ならば何とかなりそうだと思えた。それがおかしくなったのは。


**


 約束もしていないのに突然カイラス様がやってきました! 玄関先で待っているそうです。
 ついに私の愛が伝わったのかしら。そうに違いありません。昨日急に帰ってしまったのも、きっと照れ臭かったからでしょう。

 急いで身だしなみを整え、上機嫌で部屋を出ました。玄関の扉をそっと開いて麗しいカイラス様の前に立ちます。挨拶と、丁寧なお辞儀も忘れずに。

「カイラス様、今日はどうなさいました? 結婚の日付を早めたいとか……」
「聞いたことだけ答えろ」
「は、はい……」

 どうやら急いでいるご様子。綺麗なお顔も強張っていて、少し怖いです。

「お前、アリゼの行方を知らないか」
「お姉さまですか? さあ、知りません」

 どうしてお姉さまの話を? 頭が疑問符でいっぱいです。邪魔なお姉さまは私の人生から消えたのですから。

「お姉さまがどうかしましたか。まさか、見つかったとか?」
「そうだ」
「……え?」

 ありえません。どうしてカイラス様はこんな嘘を吐くのでしょう。私の気を引くつもりで? それとも驚いた顔が見たくて?

「一体何を仰っているんです。姉は確かに……」
「確かに? 何か知っているのか」
「あ、いえ……」

 うっかりしました。ですが私が悲しい顔をすれば、どんな方でも許してくださいます。えーいっ。見てくださいカイラス様。私はお姉さまより美しくて可愛いのです。そんな人が悲しい顔をしていたら、同情したくなりませんか?

「申し訳ありませんカイラス様、今のは」
「正直に全部話せ! 隠そうとするな」
「え、ええと……」

 怖い~! カイラス様は美しい分、怒った顔に迫力がありすぎます。私は賢い頭を働かせて話を作り上げました。

「実は姉は、その、とある殿方と駆け落ちをしたようです。家を出て行くところを、私は見ていました。今まで黙っていたのは、姉のためも思ってのことで」
「嘘を吐くな。お前が嘘を吐き続けるなら周囲の人間に問いただすしかなくなる」
「やめてください、悪い噂が立ちます。婚約者である私にどうしてそんな酷いことを……」

 うるうる。目をうるませてカイラス様を見上げます。お姉さまなんてどうでもいいじゃないですか。こんなに可愛い私がおそばにいるというのに。しかしカイラス様の態度は変わりません。

「正直に言え。言わなければ婚約は破棄させてもらう」
「なっ……! ですが、これ以上何を言えば……」
「お前がそのつもりなら分かった。もういい」

 カイラス様は颯爽さっそうきびすを返して行ってしまいました。

 私は呆然、唖然。どうして今更お姉さまが出てくるんですか? 理解できません。お姉さまはいなくなってからも私の邪魔をするんですか? どうしてなの? ああ、もうっ、信じられないっ!

「何がどうなってるの……!?」

 お姉さまが見つかったなんて嘘、絶対に嘘に決まってます!
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

黒猫にスカウトされたので呪われ辺境伯家に嫁ぎます〜「君との面会は1日2分が限界だ」と旦那様に言われましたが、猫が可愛すぎるので平気です

越智屋ノマ@甘トカ【書籍】大人気御礼!
恋愛
22歳のクララは、父の爵位を継いでマグラス伯爵家の当主となるはずだった。 しかし、妹のイザベラに次期伯爵の座を奪われてしまう。イザベラはさらに、クララの婚約者デリックまで奪っていった。実はイザベラとデリックは、浮気関係にあったのだ。 でも。クララは全然悔しくない。今日ものんびりまったりと、花壇で土いじりをしている。 彼女は社交場よりも花壇を愛し、花や野菜を育てるスローライフを切望していたのだ。 「地位も権力も結婚相手もいらないから、のんびり土いじりをしていたいわ」 そんなふうに思っていたとき、一匹の黒猫が屋敷の庭へと迷い込んでくる。艶やかな黒い毛並みと深緑の瞳が美しい、甘えん坊の仔猫だった。 黒猫を助けた縁で、『飼い主』を名乗る美青年――レナス辺境伯家の次期当主であるジェドとも妙なご縁ができてしまい……。 とんとん拍子に話が進み、レナス家に嫁入りしてしまったクララ。嫁入りの報酬として贈られた『わたし専用の畑』で、今日も思いきり家庭菜園を楽しみます! 病弱なジェドへのお見舞いのために、クララは花やハーブ料理を毎日せっせと贈り続けるが…… 「あら? ジェド様の顔色、最近とても良くなってきたような」 一方、クララを追い出して喜んでいた妹&元婚約者のもとには、想定外のトラブルが次々と……? ――これは予期せぬ嫁入りから始まった、スローライフな大事件。 クララと甘えん坊の仔猫、そして仔猫にそっくり過ぎる訳アリな旦那さまが繰り広げる、ハッピーエンドの物語。 ※ ざまぁ回・ざまぁ前振り回は、サブタイトルの数字横に『*』記号がついています。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

婚約者に嫌われた伯爵令嬢は努力を怠らなかった

有川カナデ
恋愛
オリヴィア・ブレイジャー伯爵令嬢は、未来の公爵夫人を夢見て日々努力を重ねていた。その努力の方向が若干捻れていた頃、最愛の婚約者の口から拒絶の言葉を聞く。 何もかもが無駄だったと嘆く彼女の前に現れた、平民のルーカス。彼の助言のもと、彼女は変わる決意をする。 諸々ご都合主義、気軽に読んでください。数話で完結予定です。

お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして

みこと。
恋愛
お兄様は女王陛下からいただいた指輪を、ずっと大切にしている。 きっと苦しい片恋をなさっているお兄様。 私はただ、お兄様の家に引き取られただけの存在。血の繋がってない妹。 だから、早々に屋敷を出なくては。私がお兄様の恋路を邪魔するわけにはいかないの。私の想いは、ずっと秘めて生きていく──。 なのに、ある日、お兄様の指輪が壊れて? 全7話、ご都合主義のハピエンです! 楽しんでいただけると嬉しいです! ※「小説家になろう」様にも掲載しています。

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

大好きな騎士団長様が見ているのは、婚約者の私ではなく姉のようです。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
18歳の誕生日を迎える数日前に、嫁いでいた異母姉妹の姉クラリッサが自国に出戻った。それを出迎えるのは、オレーリアの婚約者である騎士団長のアシュトンだった。その姿を目撃してしまい、王城に自分の居場所がないと再確認する。  魔法塔に認められた魔法使いのオレーリアは末姫として常に悪役のレッテルを貼られてした。魔法術式による功績を重ねても、全ては自分の手柄にしたと言われ誰も守ってくれなかった。  つねに姉クラリッサに意地悪をするように王妃と宰相に仕組まれ、婚約者の心離れを再確認して国を出る覚悟を決めて、婚約者のアシュトンに別れを告げようとするが──? ※R15は保険です。 ※騎士団長ヒーロー企画に参加しています。

【完結】わたしの愛する白豚令息☆

白雨 音
恋愛
オードリー・ブルック伯爵令嬢は、名門王立ラディアンス学院の一年生。 亡き祖父の信念を受け継ぎ、「幸せは自らの努力の先にある」と、日々自身の向上に努めてきた。 成績は優秀、友人にも恵まれ、輝かしく充実した学院生活を送っていたのだが、 学院パーティの日、それは一転した。 婚約者カルロスの浮気現場に遭遇しただけでなく、婚約破棄を言い渡されてしまったのだ。 人生最大の屈辱と挫折を味わったオードリーに、母は新たな婚約者を探すのだが、 母の選んだ相手は、何と、学院でも有名な《白豚令息》ジェレミアだった! 周囲は「体裁の為の婚約」「妥協の婚約」と、嘲笑っている。 オードリーは事態を好転すべく、ある作戦に出た…☆  異世界恋愛、短編☆ ※魔法要素はありません。 《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆

処理中です...