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10 貴方は私のいない場所で

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 今日はエミィの誕生パーティーがある。エミィの誕生日は私も毎年お祝いしていて、去年は詩集をプレゼントした。
 しかし今年は誕生パーティーというよりは、結婚の日取りが決まったのでそれを知らせる会になっているらしい。エミィは派手好きだから、きっと気合を入れて準備をしているのだろう。妹の綺麗な姿、私も見たかったな。そう思っていると、

「アリゼ、お前も来い。たまには家に帰りたいだろう」

 と私も同行することになった。
 最近、カイラス様が変わった。私が人に戻っても嫌そうな顔をしなくなった。床で寝ると怒るので、毎日隣に並んで眠っている。
 結婚も迫って、義姉だからと丁重に扱う気になったのかもしれない。そんな必要ないのに。



 今度は真っ赤なリボンを首に巻いてもらった。仮でも家に帰れるのは嬉しい。私はカイラス様に抱えられて馬車に乗り、愛する自分の家へと辿り着いた。

「カイラス様!」

 パーティー会場である広間へ入ると、赤いドレスを着たエミィがやって来て笑顔を見せた。エミィの笑顔、久々に見たな。すごく可愛い。

「今日もとても素敵で……げっ」
「……………………?」
「ええと、カイラス様、その猫は?」

 そうだった。エミィは猫が嫌いなんだった。しかしエミィは笑顔を崩さないままでいる。何も知らないカイラス様は不思議そうに言った。

「問題が?」
「いえ、いえいえ全く! 何もございませんことよ!? 私、猫は好きですから。よーしよしよし」

 エミィにわしゃわしゃと撫でられた。エミィ、無理をして……でも偉い。顔が引きつってるけど。

「猫は構いませんが、皆さんの前に立つ時はお邪魔になるでしょう? どうぞメイドにお預けになってください」
「…………ああ」

 見知ったメイドが「お預かりします」と手を差し出した。……久々の自分の家だし、少し歩きたい。私は一声鳴いて、カイラス様の腕からひょいと降りた。エミィの焦った声が聞こえる。

「あらっ、ちょっと、ちゃんと受け取りなさいよ!」
「申し訳ございません。すぐに……」
「いい。好きにさせておけ」
「さすがカイラス様はお心が広いですわ! では先に準備をいたしましょう。こちらです」

 エミィとカイラス様は二人並んで歩いて行った。綺麗同士で絵になるなあ。ほんの少しだけ複雑な気持ちになったのを、見ないふりをした。

 私は一人、自由に家の中を歩き回った。玄関ホール、食堂、書斎、応接室、自分の部屋にも行った。扉は開けられないので前に佇んだだけだ。もうここには帰って来られないのかな。
 パーティーが始まったのか、遠くから騒がしい声が聞こえる。少し寂しい。でもいちいち挨拶もしなくていいし、気ままに出歩けるのは猫の特権だ。

 好き勝手に廊下をうろついていると、休憩のためなのかエミィがやってきた。私を見るなり表情を歪める。

「猫! ああ、嫌だ、家の中をうろつかないで! ぐねぐねして気持ち悪いったらないわ」

 さげすむ視線にひるんで、私は身を固くした。エミィは目を吊り上げて怒鳴る。

「もう、どいてよ! ここは貴方の家じゃないわ!」

 蹴り飛ばされて壁にぶつかった。痛い。エミィはしきりに腕をさすって嫌そうな顔をしている。

「全く、これだから猫って嫌い! くつを替えなきゃ……」

 高いヒールを鳴らしてエミィが去って行った。今のは私が悪い。エミィの邪魔をしたんだから。蹴られたって仕方ない。痛みが引くまでじっとしていた。



 それから玄関ホールで大人しくしていたものの、時計を見ると11時40分を過ぎていた。大変だ。もし人に戻ったりしたら大騒ぎになってしまう。身を隠すところを必死で思い浮かべた。

 そうだ。裏の森へ行こう。あそこなら人も近寄らない。

(と近くまで来たのはいいけれど、夜の森って怖い……)

 木々が化け物のように高くそびえて、真っ暗な闇を包み込んでいる。光一つない。人ですら怖いだろうに、猫の視界だと途方もなく恐ろしく見える。
 森の中まで入る勇気はないので、近くで時間を過ごすことにした。しかし。

「バウバウバウッ!!」

 突然大声でえ立てられた。驚いてひっくり返りそうになる。

(野犬!? 裏の森は野犬がいて危ないとよく言われたけれど、本当にいたのね!?)

 逃げるより早く野犬に囲まれてしまった。鋭い目で私を睨む三頭の野犬。どうしよう。本物の猫ならともかく、私は人間だし、猫のように素早く動いたりもできない。
 野犬たちはうなりを上げ、体勢を低くしている。今にも飛びかかってきそうだ。私はぶるぶる震えていた。

 私、食べられちゃうのかな。野犬の牙は鋭く大きい。隙間からヨダレが垂れ落ちている。噛まれたらひとたまりもないだろう。

 ついに野犬たちが動き出した。大きな口を開け、飛び掛かって……、


(もうだめ……!)


 来なかった。
 野犬たちは私を無視して一直線に走っていく。その先には、

(カイラス様!?)

 大きなクッションを抱えたカイラス様がいた。クッションを振りかぶって野犬を追い払っている。随分と慣れた動きだった。そんなわけの分からない光景を見つめていると、野犬たちは負けたらしく森へと走り去っていった。

「アリゼ! 無事か!」

 カイラス様が私を抱き上げる。同時に人に戻ってしまった。カイラス様は私の重みでバランスを崩して地面に倒れる。

「すっ、すみませんカイラス様! お怪我は?」

 頭を打っていないか心配だ。カイラス様はすぐに体を起こして「平気だ」と言った。

「それより、お前は無事か」
「私よりカイラス様です。あっ、足にお怪我を!」

 野犬に引っかかれたのか、ズボンが割けて血がにじんでいる。カイラス様は足を引きながら言った。

「これくらい何ともない」
「水で洗わないと駄目です。悪い病気になっては大変ですから。早く屋敷へ戻って手当てをしてください」
「しかしお前は……」
「私のことはどうでもいいでしょう。早くお戻りください。妹も心配します」

 カイラス様は黙ってしまった。暗くて表情もよく見えない。

「助けてくださってありがとうございます。私は怪我もしていませんから、どうか早くお戻りください。私はしばらくここで過ごします」
「…………分かった」

 カイラス様は頷いて立ち上がった。屋敷へ戻っていく背中を見送る。

 まさか助けに来てくれるとは思わなかった。忙しいだろうに、猫がそれだけ好きなんだろうな。カイラス様に飼われる猫はきっと幸せになれると思う。早く私の代わりが見つかればいいのだけれど。


 森のそばの切り株に腰かけていると、屋敷から人がこちらへ向かってくるのが見えた。まさか。

「カイラス様……どうして戻って来たんですか」
「足は応急処置をした。それよりこれを着ていろ」

 大きなローブだった。着ると、猫耳も尻尾も全部が覆い隠される。

「もし人に見られても誰か分からない。朝には猫に戻る。そうしたら家に帰ろう、アリゼ」

 まるで朝まで一緒にいるかのような口振りだ。何故急に? 理解ができない。私はカイラス様の目を見ながら言った。

「……カイラス様は先にお帰りください。私は一人でも平気です」
「お前を置いてはいけない」
「何故です。私が逃げるとでもお思いですか」
「違う。お前を一人にしておけないだけだ。本当はもっと早く帰るつもりだった。俺の落ち度だ」

 本当に、カイラス様はどうしてしまったんだろう。そんな風に言われると勘違いしそうになる。カイラス様が守りたくて大事にしたいのは、私じゃなくて可愛い猫なのに。

「何を言っているんですか。私は一人でここに残っても何の問題もありません。しかしカイラス様がお帰りにならなければ皆心配します。エミィも、メイドも、ダニエル様も」
「お前に父上の何が分かる。あの人はただ跡継ぎが必要なだけだ。俺には興味がない」

 カイラス様はそう言うが、私から見たダニエル様はもっと違う印象だった。

「私は少し会話を聞いただけですが……ダニエル様は、貴方の話を聞きたがっています。それなのにどうして貴方はかたくなに何も言わないのですか。貴方にも好きなことやしたいことがあるはずです」

 ダニエル様はカイラス様との接し方に悩んでいる様子だった。私からすると、カイラス様が頑ななのが原因ではないかと思う。カイラス様は少し怒った風で言った。

「好きなこともしたいこともない。俺は家のために存在しているだけだ」
「猫はお好きでしょう」
「……だが、父上に捨てろと言われれば捨てられる。何も思わない」

 目を伏せた。カイラス様が猫を捨てて何も思わないことがあるだろうか。あれだけ可愛がっておいて。

「私は知っていますよ。カイラス様は猫がとてもお好きです。何も思わないなんて嘘です」
「少なくとも、俺にとっては猫より父上の命令の方が大事ということだ。そうだろう?」
「カイラス様は、どうして命令の方が大事だと思うのですか?」
「そういうものだからだ」
「どうして?」
「……………………」

 カイラス様は長く黙っていた。深く考えたこともなかったのだろう。どうして親子がこうもすれ違ってしまっているのか、外部の私からは察することしかできない。

「……分からない。だが父上の言うことは絶対だ。俺の気持ちなど父上には関係ない」
「私はそうは思いません。疑うのでしたら、ダニエル様にお願いしてみたらどうですか」

 冷たい風が吹いて森の木をざわっと揺らした。カイラス様の不安定な心を表しているようだった。

「私の代わりの猫を探してもらうんです。カイラス様のお願いなら、喜んで叶えて下さると思います。きっと今も貴方を気にかけてらっしゃいますよ。さあ、早くお帰りください」
「お前はそれでいいのか」

 笑顔で応えた。こんな呪われた私を置いていても不幸になるだけだ。カイラス様は明るい屋敷へと戻って、可愛い本物の猫とエミィと一緒に楽しく暮らすのが一番だ。

「また明日、猫の姿で会いましょう」

 お辞儀をしてカイラス様を見送った。どうか、この寂しい方が幸せになれますように。

 さて。朝までどうしようか。野良猫生活は慣れたものの、野良人? 生活は生憎と初心者だ。
 そういえば、裏庭にガーデニングの用具を入れている納屋なやがあったはず。私一人くらいなら入れるだろう。ここが私の家で良かった。ローブのフードを深く被り直して納屋へ向かった。

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