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テオに導かれるまま宿へと入った。借りた部屋で二人きりになると、シェナはやっと落ち着いた心地になった。テオも同じ気持ちのようで、窓の方を見ながらほっとしたように呟いた。
「もう日が沈むね。空いてる部屋があって良かったよ」
「そうだね……」
シェナはテオの顔をじっと見つめた。さっき怒鳴ったのが嘘のように穏やかな顔をしている。いつもと変わらない、優しいテオだ。
テオは窓に近付くと、カーテンを閉めながら言った。
「シェナ、さっきの変な男のことは忘れた方が良い」
「……フレイド様のこと?」
「きっと、婚約者に振られてヤケになったんだよ。シェナが代わりになる必要はない。絶対、不幸になるよ」
「何で、そんなこと言うの?」
薄暗い部屋でテオは振り返った。
「え? シェナこそどうしたんだよ。まさか、あの男の言葉を本気にしたわけじゃないよね?」
「どういう意味?」
「あんなの全部デマカセに決まってるじゃないか。シェナ、駄目だよ。簡単に人の言うことを信じちゃ駄目だ。君は純粋だから、すぐに騙されてしまうからね」
――そうなのかな。そうかもしれない。テオの言うことはいつも正しいから。
「でも」
――でも。
「でも、何?」
テオは首を傾げた。シェナは目を逸らしてぽつりと呟く。
「でも私、フレイド様の言うことを信じる。ううん、信じたい。だって嘘を言っているようには見えなかった……。すごく嬉しかったの、ありのままの私を愛してくれたことが」
「ふうん。そう」
「も、もちろん私じゃ身分も相応しくないし、結婚なんてとても考えられないけど……でも……」
シェナは口を噤んだ。自分の気持ちを上手く話せない。代わりにテオが継いだ。
「シェナはフレイドが好き?」
「まだはっきりとは、分からない、けど」
「じゃあ僕のことは好き?」
「……うん。好きだよ」
急くように言われてシェナは素直に頷いた。テオの緑の目が、嬉しそうに細められる。
「それならいいじゃないか」
「え?」
「僕が好きで、好きな人が傍にいるなら他には何も要らないだろ」
「うん……?」
「明日はもっと離れた土地に行こうか。この辺りはあまり治安が良くない気がする」
「で、でもフレイド様にきちんとお返事をしないと」
「要らないよそんなの」
テオは冷たく言い捨てた。シェナはいよいよ困惑する。彼はそんな無作法な人間ではなかったはずだ。
「どうしたのテオ、なんかおかしいよ」
「おかしくないよ。おかしいのはシェナだ」
「私のどこがおかしいの?」
「僕の言うことを聞かないところだよ」
シェナは彼の言う意味が分からず黙ってしまった。テオは続ける。
「シェナ、あんな男はどうでもいい。だよね?」
薄闇にテオの緑の目が優しく光っている。いつも安心させてくれるその目も、今はシェナを焦らせるだけだった。
シェナが黙っているので、テオは少し苛ついたようだった。
「言えよ。どうでもいいって。君は僕の言うことだけ聞いていればいいんだ。そうすれば何も辛いことはない、ずっと幸せに暮らせるんだよ」
テオの言うことは間違っていない。いつも正しい。彼の言うことさえ聞いていれば良いのだ。
――本当に?
シェナは震える声を絞り出した。
「い、いや」
テオは表情を曇らせる。
「何が嫌なんだ。僕は正しい、間違ってない、そうだろシェナ」
テオはいつも正しい。テオは間違ってない。そう思い始めたのはいつからだったか。
「僕は毎日毎日、君の為に手を尽くしてきたんだよ。君は、これからは働かなくていい。何もしなくていい、ずっと僕が守るよ。ねえ、シェナ。僕がいれば他には何も要らないよね?」
テオがそっと手を伸ばす。
――仕事で失敗して辛い時も、何となく心細い時も、いつもいつでもテオが傍にいた。暗がりから助けてくれた。優しく頭を撫でて抱きしめてくれた。大好きなテオ、その目も、手も、いつも私を癒して支えてくれた。それなのに――
働かなくていい――何もしなくていい――だなんて。まるで、あの頃と同じだ。テオも、私を――。
シェナは後退った。テオは一歩、距離を詰める。シェナは二歩下がった。その表情は、今にも泣き出しそうなものだった。
「やめて!! 私はもう、病院で寝てばかりいる役立たずじゃないんだから!! 自分でご飯も食べられる、自分で動ける。ちゃんと自分の力で生きてるんだよ! そんな、私が、何も出来ない子みたいに言わないで……!」
シェナは悲痛な叫びを残して、部屋を出て行ってしまった。駆けていく足音を、テオはすぐに追いかけられなかった。
シェナに拒否されたことが、テオにとっては大きなショックだった。信じられなかった。何かがおかしい。全てがおかしい。
「僕は間違ってない、そうだろシェナ」
「もう日が沈むね。空いてる部屋があって良かったよ」
「そうだね……」
シェナはテオの顔をじっと見つめた。さっき怒鳴ったのが嘘のように穏やかな顔をしている。いつもと変わらない、優しいテオだ。
テオは窓に近付くと、カーテンを閉めながら言った。
「シェナ、さっきの変な男のことは忘れた方が良い」
「……フレイド様のこと?」
「きっと、婚約者に振られてヤケになったんだよ。シェナが代わりになる必要はない。絶対、不幸になるよ」
「何で、そんなこと言うの?」
薄暗い部屋でテオは振り返った。
「え? シェナこそどうしたんだよ。まさか、あの男の言葉を本気にしたわけじゃないよね?」
「どういう意味?」
「あんなの全部デマカセに決まってるじゃないか。シェナ、駄目だよ。簡単に人の言うことを信じちゃ駄目だ。君は純粋だから、すぐに騙されてしまうからね」
――そうなのかな。そうかもしれない。テオの言うことはいつも正しいから。
「でも」
――でも。
「でも、何?」
テオは首を傾げた。シェナは目を逸らしてぽつりと呟く。
「でも私、フレイド様の言うことを信じる。ううん、信じたい。だって嘘を言っているようには見えなかった……。すごく嬉しかったの、ありのままの私を愛してくれたことが」
「ふうん。そう」
「も、もちろん私じゃ身分も相応しくないし、結婚なんてとても考えられないけど……でも……」
シェナは口を噤んだ。自分の気持ちを上手く話せない。代わりにテオが継いだ。
「シェナはフレイドが好き?」
「まだはっきりとは、分からない、けど」
「じゃあ僕のことは好き?」
「……うん。好きだよ」
急くように言われてシェナは素直に頷いた。テオの緑の目が、嬉しそうに細められる。
「それならいいじゃないか」
「え?」
「僕が好きで、好きな人が傍にいるなら他には何も要らないだろ」
「うん……?」
「明日はもっと離れた土地に行こうか。この辺りはあまり治安が良くない気がする」
「で、でもフレイド様にきちんとお返事をしないと」
「要らないよそんなの」
テオは冷たく言い捨てた。シェナはいよいよ困惑する。彼はそんな無作法な人間ではなかったはずだ。
「どうしたのテオ、なんかおかしいよ」
「おかしくないよ。おかしいのはシェナだ」
「私のどこがおかしいの?」
「僕の言うことを聞かないところだよ」
シェナは彼の言う意味が分からず黙ってしまった。テオは続ける。
「シェナ、あんな男はどうでもいい。だよね?」
薄闇にテオの緑の目が優しく光っている。いつも安心させてくれるその目も、今はシェナを焦らせるだけだった。
シェナが黙っているので、テオは少し苛ついたようだった。
「言えよ。どうでもいいって。君は僕の言うことだけ聞いていればいいんだ。そうすれば何も辛いことはない、ずっと幸せに暮らせるんだよ」
テオの言うことは間違っていない。いつも正しい。彼の言うことさえ聞いていれば良いのだ。
――本当に?
シェナは震える声を絞り出した。
「い、いや」
テオは表情を曇らせる。
「何が嫌なんだ。僕は正しい、間違ってない、そうだろシェナ」
テオはいつも正しい。テオは間違ってない。そう思い始めたのはいつからだったか。
「僕は毎日毎日、君の為に手を尽くしてきたんだよ。君は、これからは働かなくていい。何もしなくていい、ずっと僕が守るよ。ねえ、シェナ。僕がいれば他には何も要らないよね?」
テオがそっと手を伸ばす。
――仕事で失敗して辛い時も、何となく心細い時も、いつもいつでもテオが傍にいた。暗がりから助けてくれた。優しく頭を撫でて抱きしめてくれた。大好きなテオ、その目も、手も、いつも私を癒して支えてくれた。それなのに――
働かなくていい――何もしなくていい――だなんて。まるで、あの頃と同じだ。テオも、私を――。
シェナは後退った。テオは一歩、距離を詰める。シェナは二歩下がった。その表情は、今にも泣き出しそうなものだった。
「やめて!! 私はもう、病院で寝てばかりいる役立たずじゃないんだから!! 自分でご飯も食べられる、自分で動ける。ちゃんと自分の力で生きてるんだよ! そんな、私が、何も出来ない子みたいに言わないで……!」
シェナは悲痛な叫びを残して、部屋を出て行ってしまった。駆けていく足音を、テオはすぐに追いかけられなかった。
シェナに拒否されたことが、テオにとっては大きなショックだった。信じられなかった。何かがおかしい。全てがおかしい。
「僕は間違ってない、そうだろシェナ」
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