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 屋敷の中はそわついていた。リーゼロッテの結婚がもう間近に迫っているからだ。



 その日も、フレイドはキングスコート家を訪れていた。挨拶をそこそこに、真っ先にシェナの下へ向かう。

「シェナ! ああ、やっと会えた」
「ふ、フレイド様……あの」
「この前の返事は決まった?」

 フレイドは無意識にか、シェナとの距離を詰めた。シェナは逃げるわけにもいかず、必死に足に力を入れながら小さな声で言った。

「フレイド様、その、私、お断りします。申し訳ありません」
「え、な、何故? 何か不満があったのかい?」
「いえ。そういうわけではないのですが、あの……ち、近いです」

 詰め寄る形になっていたフレイドは、すぐに一歩下がる。自分が柄にもなくショックを受けていることに気付いた。
 フレイドは今まで生きてきて、どんな願いもほとんど叶えられてきた。この予想だにしない展開に、どう対応して良いか分からない。途方に暮れてつい大きな声が出てしまった。

「ご、ごめん! えっと、君は絶対来てくれるだろうと、思っていたから……。断る理由を教えてくれないかな? 正直に言ってくれ!」

 フレイドは動揺を隠すように目を伏せた。悲しそうだとシェナは思った。シェナも、悲しい気持ちになってしまう。
 断った理由は、言わない方が良いと分かってはいたものの、あまりに彼が悲しそうだったので正直に言うことにした。

「フレイド様は、私の忠誠心を試していらっしゃるんですよね」
「え?」
「私がここで首を縦に振れば、キングスコート家を裏切ることになってしまいますから……。そ、それとも、私を騙そうとして……あの……」

 フレイドがぽかんと口を開けているのでシェナは言葉を濁してしまった。

 フレイドは困ったように頭を掻いた。

「ええと。そんな複雑なことは考えていないよ。私は本気で、君が欲しい。それだけなんだ。どうかな、考え直してくれないか?」
「で、でも私……」

 もやもやしている。フレイドの気持ちは分かった、それでも行きたくない理由がある。それが何なのか、シェナにはまだ掴み切れていない。

 そこへ、どたどたと騒々しい足音を鳴らしてリーゼロッテが現れた。二人を見て鼻息荒く叫ぶ。

「フレイド様! こんなところで何をなさっているんです? なかなか戻って来ないので心配しましたのよ!」
「あ、ああ、リズ……。すまなかった」

 リーゼロッテはシェナを厳しく睨みつけた。

「フレイド様。その子は本当に使えない子です。貴方がお優しい方なのはよく知っていますが、シェナは目をかけてやっても無駄ですわ。私たち二人の新しい生活には必要ありません! この家に置いて行くのが一番です!」

 必要ない。面と向かって言われ、シェナは頭を殴られた気分になった。
 使えない、グズ、馬鹿、そんな言葉は散々聞いてきたが、要らないと言われたのは初めてだった。シェナは唇をぎゅっと噛み締める。

 自分は僅かでも、リーゼロッテの役に立っていると思っていた。彼女に必要とされていて、頼られていると思っていた。――本当はずっと要らなかったの?

 シェナはぐらぐらする心を必死で保っていた。目の前が真っ暗になる。


「私にはシェナが必要だ」


 陽だまりのような声に、シェナははっと顔を上げた。フレイドと目が合って咄嗟に逸らしてしまう。

 リーゼロッテは訝し気に表情を歪めた。

「はい? この子に頼みたいことでもあるのですか? この子に出来ることなら誰でも出来ます。何もシェナじゃなくても……」
「リズ。君の意見こそ私には必要ないものだ」
「なっ!」
「これ以上シェナを侮辱するなら婚約は破棄させてもらう。覚えておいてくれ。……すまないね、私は帰るよ。用事があるんだ」

 フレイドはさっと裾を翻した。シェナの横を通り過ぎていく。思わずシェナは呟いていた。

「ふ、フレイド様……」
「君は何も気にしなくていい」

 彼はそう囁くように言って屋敷を出て行った。その柔らかい声はシェナの耳にいつまでも残っていた。

 ――何だろうこの気持ちは。嬉しくて、暖かい。そしてちょっと苦しい。


**


 テオは離れた場所で一部始終を見ていた。シェナに声をかけるフレイド、そしてあの嬉しそうな顔――。

「あの男……何を考えてる?」

 握った拳がぎちぎちと音を立てた。指の隙間から血が流れ落ちる。
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