世界最後の1日に。

こいづみ

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 仁美が来るとは思ってもみなかった弘樹は声を出すのも忘れて彼女を見入ってしまう。

「どうしたの?」

 なにも言わずにずっと視線を向けられていた仁美が少し首を傾けながら訪ねてくる。

「・・・え、ああおはよう九条さん」

 彼女の疑問の声に我に返るが思わず上の空な返事になってしまう。

 仁美の方はさほど気にする様子もなく校舎の方に目を向けた。

「中入らないの?」

 弘樹に視線を戻し白い息を吐きながら問いかける。

 見ると仁美の鼻の頭は赤色に染まっていて早く中に入り暖まりたいという雰囲気が滲み出ている。

「それなんだけど、多分先生来てないから入れなかったんだよね」

 弘樹は先程開かなかった扉に顔を向ける。釣られるようにして仁美もそちらに顔を向けた。

「そうなんだ」

 今日は今までに比べ一段と冷え込んでいる。弘樹も仁美も昨日と同じ格好で学校まで来ていたがこのまま外に居続けることには限度がある。

 校舎の方に顔を向けていた二人の間に一陣の風が吹き抜け弘樹は思わず肩をすぼめた、仁美も身に付けていたマフラーを両手で上げ鼻と耳を覆い寒さをしのいでいる。

「あのさ」

 その呼び掛けに校舎から顔を戻した仁美はマフラーから両目だけを覗かせて弘樹の続きの言葉を待った。

「このまま外に居るのも辛いしどこか暖まれる場所行かない?」

 その提案にほんの少し目をむいた仁美だがすぐにその表情を戻し弘樹の顔をじっと見続ける。

 仁美に顔を見つめられ弘樹ははっと気付いた。つい勇人や小春に声をかけるときと同じように気軽に誘ってしまったが、最近はよく話をするといっても付き合いとしては一週間ほどしかなくその程度の関係性で個人的な誘いをしてしまったことに。

「あ、えっと嫌ならいいんだけど」

「別に」

 急いで先ほどの言葉を訂正しようと口を開いた弘樹に被せる様に仁美が声を上げた。マフラーの下から声を出しているため少しこもってはいるがそれでも弘樹にはその言葉がはっきりと聞き取れた。

「かまわないけど」

 そこまで言い仁美は鼻まで隠していたマフラーを両手でつかみさらに目元まで上げ弘樹から視線をそらし、立て続けに口を開いた。

「その・・・」

 珍しく言いよどむ仁美に目を丸くする弘樹だが彼女が喋り終えるまで邪魔をしないように口を噤みその先の言葉を待つ。

「あんまりそういう場所とか知らないから、任せる」

 何をそんなに言葉に詰まっていたのかと思えば妙なことを気にしている、そういえば誰かと遊ぶこともしないと言っていたしあまりその辺のことに詳しくないのだろうと安心させるように弘樹は笑いかけた。

「大丈夫、俺は少しは知ってるし駅前に行けば何かしらあるから」

 行こうかと弘樹は先導するように仁美の少し前を歩き始めた。仁美もそのあとをついていく、時々後ろを振り返り仁美が遅れていないかを確認しながら二人はなにか喋ることもせず足を進めていく。

 朝も早い時間だった為か人や車にすれ違うこともせずに駅前まで着き記憶を頼りに早朝でもやっていそうな店を探してみる。

 閑散とした駅前で弘樹は勇人や小春によく連れていかれた中でも出来るだけ雰囲気の良いカフェへと足を踏み入れた。

「高い・・・」

 そしていざ注文のために受付のメニューを覗き込んだ仁美がぼやくように呟いた。

「こういうところは大体そんなものだよ」

 睨むようにメニューと向き合っている仁美を横目に弘樹は自分の飲み物を適当に注文する。

「俺から誘ったんだし何なら奢るけど」

「・・・いい」

 弘樹の申し出を断りメニューを指差しながら手頃な飲み物を注文する。

 受け取り口で飲み物を受け取り二人は店の奥へと入っていく。店内にはほとんど人が居らず流れている音楽が異様に大きく感じられた。

 適当な席に腰掛け二人はとりあえず一口自分の飲み物に口をつけた。

「九条さんは今日この後どうする?」

 両手でカップを持ち上げ猫舌なのかちびちびと口に運んでいた仁美にとりあえず話題をと当たり障りのない質問をしてみる。

「特に決めてない、いつも通り適当に時間を潰して帰るだけ」

 カップから少し口を離し一息に答えた仁美はもう一口だけ口をつけ目の前のソーサーに戻した。

「そっか」

 会話が終了し間が空いてしまった為弘樹も自分の飲み物に口をつける。

 学校では遠慮せずに話を出来るようになってきていたが場所が変わったせいか弘樹は変に緊張してしまっていた。

 意味もなくカップの中身をかき混ぜていたがやがてその手を止め、弘樹はしっかりと向き直り話を切り出した。

「俺もさ学校開いてなかったし全然決まってないんだ」

 仁美の目をまっすぐに見据えながら弘樹は次の言葉を告げる。

「だからさ、九条さんさえよかったら一緒に何かしない?」

 弘樹の申し出に顔色一つ変えずにその目を見つめ返す。この一週間の付き合いで弘樹が案外押しが強いことは理解していたので特に驚くような提案ではなかった。

「何かってなに?」

 それよりも肝心な部分が曖昧に暈されていたためそちらの方が気になった。

「それはまだ決まってないっていうかこれから決めていくっていうか」

 そこまで言ったところで弘樹は良いことを思い付いたと身を乗り出し声を弾ませた。

「そうだ、九条さんは何かやりたいことある?」

「やりたいこと?」

「そう、何かない?」

「急に言われても・・・」

 不意の問いかけに困惑してはいるものの何かないかと真剣に考えてくれているようだ。

 仁美が考えている様子を見てカップを手に取り弘樹も別の思案に耽る。彼女に話しかけたときは少し邪険に扱われはしたもののなんだかんだここまで付き合ってくれている。

 小春はいつも一人で居ると言っていた。

 誰かと仲良くなろうと思わなかったのか。

 仁美に聞くわけにもいくまいし考えていても仕方のないことだが今の彼女の様子を見ていると人付き合いが苦手ということでもないだろうし何か理由があるのだろうか。

「そうだ」

 弘樹が丁度ソーサーにカップを戻した時仁美が何か考え浮かんだようで考えるために俯いていた頭を上げた。

「行ってみたい場所がある」

 弘樹はまたもあっけにとられてしまう。自分から尋ねたことだが本当に答えが帰ってくるとは露程も思わずに自らの思考に没頭していた為仁美の返答に不意を突かれる形となった。

「なに?」

 弘樹からの反応もなくじっと見つめられていた為か仁美は少し咎めるような口調で疑問の言葉を口にする。

「ごめん、えっと行きたい所って?」

 仁美からの抗議の声に咄嗟に会話を続ける弘樹だが彼女の言葉は理解できてもまだ実感が湧いてきていない。

 少し腑に落ちないような様子で弘樹を見つめていたがやがて窓の外に顔を向け、腕を伸ばしその視線の先へと指を指す。

「あそこ」

「あそこって奥のあれのこと?」

「そう、上ってみたい」

 二人が向ける視線の先、彼女が指で指し示すその先には駅の奥に遠くからでも確認できる国内最大の建物である、展望台が高く聳え立っていた。


「高い・・・」

 仁美がぼやくように呟いた。

 展望台の入り口にて入場の料金表を見ながら財布の中身を確認している。

 無言でその様子を眺めていた弘樹は小さく息を吐き仁美に気付かれないようにチケットの購入受付まで向かった。

 ここまで来るのに電車を使い数十分、道中やはり普段に比べて人は少なかったように思われた。

 しかし展望台の中はそれなりに賑わっている。

「ほら、これ」

 料金表とにらめっこをしている仁美の鼻先に買ってきたチケットを差し出す。

「これって」

「入場チケット、ここまで来てずっとそうしてるわけにも行かないでしょ」

「・・・でも」

 なかなか受け取ろうとしない仁美に見かねた弘樹は彼女の手を掴み無理矢理チケットを握らせる。

「ほら、もう買ってきちゃったし、それに」

 弘樹は手を離し仁美に目線を合わせた。

「上りたかったんでしょ?」

 仁美が初めて自らの意見を話聞かせてくれたことが嬉しく弘樹としては彼女の希望は例えお節介だと言われても出来るなら叶えたい、それ故に少し強引に行動に起こしたのだが流石に勝手な事をしすぎたかと彼女の様子を見守る。

 チケットと弘樹の顔を交互に見た仁美は身につけていたマフラーを目元まで引き上げ目をそらした。

「・・・ありがと」

 小さくお礼の言葉を口にした仁美はそのまま弘樹に背を向ける。

 仁美の一連の行動に微笑ましい気持ちになり自然に顔が緩んでしまう。

「それじゃあ行こっか」

 彼女の脇を通りすぎ先導するように入り口まで進んでいく、案内係のアナウンスに従い最上階までのエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターが止まりたどり着いたのは円盤上になっていて360度すべての方角を見渡せる空間だった。端には等間隔で双眼鏡が並び窓の外の街並みをかなり遠くの方まで見渡すことができる。

 二人は下方に広がる街並みを眺めようと一番近くの窓際に近づいていった。

「高い」

 窓際から外の景色を眺めていた仁美がそう呟いたのを聞き弘樹は思わず吹き出してしまう。

「どうしたの?」

 急に吹き出した弘樹に理解ができずにそう問いかける。

「ごめん、でも九条さん今日行く先々で毎回高いっていってるから」

 肩を震わせながら答える弘樹にむっと口を尖らせ窓の外に視線を戻してしまう。

「思ったことを言ってるだけ、それに今のは意味が違う」

「ごめんって」

 笑っていた弘樹だが突然動きを止めて窓から外を見ている仁美のその奥、この場所からでははっきりと全貌は見えてこないがそれでもそこに視線を奪われた。

「九条さんこっち」

 視線は今から向かおうとする場所へ向けたまま仁美に声をかける。

 歩き始めた弘樹に意図をつかめないまま着いていく、仁美が景色を眺めていた場所から右回りに窓際を進んでいくにつれてそれはどんどん鮮やかに視界を覆い尽くしていく。

「綺麗」

 丁度先程までいた窓際から右側垂直方向まで進み足を止めたところで仁美が感嘆の声を上げた。

 その位置からは人々が暮らす街並みはほとんど見えないがその代わりに眼前には一面の海が広がっていた。

 右も左も見渡す限りの青、視界に映る場所に地面は一切なく遥か彼方では空と繋がり快晴の青空にはまだ頂上まで昇りきっていない太陽が風に揺られ一定の波を描いている水面にまた新しい彩りを与えている。

 二人はすっかり魅入られてしまいしばらくの間その光景に目を奪われていた。
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