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最終回 幸せ
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とある教会のブライズルームにて、全開された窓から差し込む風が、白色のカーテンを靡かせ、純血を表す純白のウェディングドレスを身に纏う麗しい女性の頬を撫でる。
女性は膝に置かれたこれまでの人生の軌跡ともいえるアルバムを読みながら時を待っていた。
「あれからもう8年か……」
女性はアルバムに乗る家族写真を撫でながら呟く。
化粧や着衣など全ての準備を終えている女性がいる部屋に3度のノックが鳴る。
女性が「どうぞ」と言うと、扉が開かれ、そこからモーニングコートを着こなす男性が入室する。男性は部屋の中心に座る女性を見るや感慨深く微笑み。
「綺麗だな――――――鈴音」
「ふふっ、ありがと。お父さんにそう言われるなら、最初は気乗りじゃなかったドレスを着た甲斐があったよ」
女性もとい鈴音は、20を超えて尚、学生時代の面影が残る無邪気な笑顔を男性もとい父親の康太へと向ける。
古坂康太と田邊凛が結婚をして8年の時が流れていた。
2人の娘であり、当時高校2年生だった田邊鈴音改め古坂鈴音も今年で25歳となった。
編入試験に合格した鈴音の進学だが、鈴音自身は卒業後就職を希望していたが、康太は自分が大学に行かなかった後悔からか、鈴音に大学進学を勧めた。その費用は康太が出すといい。
鈴音も母である凛も康太にそこまでさせるのは忍びないと断ったが、康太の強い勧めもあり、鈴音は大学に進学した。
大学は至って平凡な大学だが、鈴音は学業、サークル、バイトと目まぐるしくも楽しい日々を過ごし、その最中に同じサークルだった同学年の男性と、2年間の友達期間を経て付き合い、5年の恋人期間を経て、今日、鈴音はその男性と結婚をする。
「本当によ。どうして最初はあんなに乗り気じゃなかったんだろうな。普通ウェディングドレスって女性の憧れの的だろ? なのにお前は……」
「全員が全員そうじゃないってことだよ。確かに憧れていた時期もあったけど、いざ着るかもと思うと、尻込みするものだよ。例えるなら、あれ! 誕生日会で『今日の主役!』って恥ずかしいタスキを掛けられるみたいな!」
一生に一度の晴れ舞台をそう捉えるのかと、鼻根を押さえて呆れる康太。
「だってのに。お父さんとお母さんは「折角の機会なんだから着るべきだ!」って言うし、あちらの両親も「鈴音ちゃんなら絶対に似合うよ!」って言われて、八方塞の私……」
憂鬱にため息を吐く鈴音だが、何度も鏡に目配せしているのは無意識なのだろうか。
その度に鏡に映るドレス姿の自分を満更じゃない顔で見ているのだから、言葉では否定的な事を言うが、実は嬉しいのだろう。最初は乗り気じゃなかった手前、喜ぶのは恥ずかしいってところか。
「まあ、何にせよ。こうやって娘のウェディングドレスを見る事が出来たんだから、父親として感無量の極みだよ。それに、綺麗だって言葉に嘘はないんだからな。まさに、馬子にも衣裳だな」
「いつの日か言ったと思うけど、それ褒め言葉じゃないからね? 怒るよ?」
20を超えて立派な社会人の鈴音を幼子の様に頭をポンポンと叩き「冗談冗談」と笑う康太。
鈴音が子供扱いする康太を頬を膨らまし睨んでいると、「入るね」と扉が開かれる。
「ごめんねあなた。この子たちが走り回るもんだから……。コラッ。少しは静かにしなさいって言ってるでしょ!」
康太と鈴音以外に向けられた小言を発しながら入室したのは、康太の妻であり、鈴音の母である古坂凛である。8年が経って40を超えた事で皺が増えているが、それでも実年齢よりも若々しい凛は、新婦の母って立場から気合の入った和装を着こなしている。
そんな凛を疲れ切った顔をさせる原因となる者達は、凛の手から逃れ。
「おぉー! 鈴音姉ちゃん、ピカピカでキレイだなッ!」
「うんうん! キレイキレイ! お姫さまみたい!」
ドタバタと忙しい足音を鳴らし鈴音の許に近づいて来たのは、男女の幼子。
鈴音は近づいて来た幼子たちと目線を合わせる為に屈み、そして強く抱きしめる。
「んーッ! ありがとう私の愛しい弟妹よ! お姉ちゃん嬉しいな!」
くるしい……と幼子たちが呻くぐらいに手加減無用に抱擁する鈴音。
鈴音が口にした”弟”と”妹”。そう。この男女の幼子は正真正銘、鈴音の弟と妹で、つまりは康太と凛の子供たちだ。
血縁の悩みを解決した鈴音は一転して康太と凛に下の子を要求するようになった。
勿論強制ではないが、弟か妹が居たら楽しいだろうな~と期待をし、「是非弟を!……いや妹も捨てがたいよね……うーん」と悩んだが、最終的にどっちでも全力で愛すると決めていた。
そして待望の凛の妊娠が発覚して、成長をして判明したのが、まさかの男女の双子だった。
つまり、この背丈が殆ど差異がない男女の幼子は双子であり、完全に康太似の男の子の名前は『真樹』、顔つきは凛似で目元は康太似の女の子の名前は『陽花』。共に5歳だ。
どちらも捨て難いと思っていたが、まさかの弟と妹出来た鈴音は、姉馬鹿を発揮、愛おしい弟と妹を、康太が「苦しんでるだろ」と拳骨するまで抱擁を続けていた。
康太に小突かれた事で抱擁を中断した鈴音は拗ねる様に頬を膨らますが、嬉しそうにはにかむ。
康太は嘘つきではなかった。
あの夕焼けでの康太の言葉。康太と凛の間に子供が出来ようと、康太は生涯鈴音を愛し続ける。
その誓いの様な言葉を口にした康太は、自分の言葉に責任を取る様に、いや、責任なんて大それたことはなく、ただ親として当たり前の様に、鈴音を愛してくれた。真樹と陽花と言う可愛い実子が出来ようとも。
自分の言葉に信念を貫く康太の姿を見た鈴音は、心の底から康太を尊敬している。
披露宴で家族への感謝を述べるのが楽しみだ。
「それにしても寂しくなるね。社会人になった後も実家に暮らしていた鈴音が、結婚を機に家を出るんだから」
「ねえお母さん。それ嫌味で言ってる? お金を稼げる様になった後も実家に甘えていた私に対して?」
当初の鈴音も就職した後は一人暮らしを考えてた。
だが、居心地が良く暖かい実家を手放すのが惜しいと、お金がある程度貯まるまでと決めて実家暮らしを継続させたが、中々出るタイミングが無く、づるづると25歳まで実家暮らしをしていた鈴音。
その事に多少の引け目があったようだが、凛は否定する様に首を振る。
「そういう訳で言ってるんじゃないよ。ただ本心で言ってるだけ。ずっと一緒に暮らしていた娘が家から出て行くんだから、寂しくないなんて言う親はいないよ。ね、あなた」
「そうだな。いつか来る日だと覚悟していたが、騒がしい家が少し、静かになるな……」
結婚式という喜ばしい日なのにやはり鈴音が出て行くことが寂しいと思っている康太と凛。
それだけ鈴音の事を愛していたからだろう。
そう感じ取った鈴音は気恥ずかしさから強く鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ふん! 私の方は家を出られて清々するよ。これでやっと、40を超えても熱々な夫婦から解放されるんだからね!」
「「なっ!?」」
まるで日頃の鬱憤を晴らすかのように吐露する鈴音に、康太と凛は驚くように顔を真っ赤にする。
効果抜群な態度に揶揄い属性を持つ鈴音は満悦した様にニヤニヤとして。
「それにしてもお父さん達はいいのかな? ”そう言った時”は、今まで私が真樹と陽花を私が見ていたけど、今後見てくれる人がいないよ~? 今の様子だと当分性欲は枯れないみたいだし。けど、孫と子の同時期生誕なんてオツでいいかもね。頑張れ、高齢出産! 痛っ!?」
当たり前と言うべきか、調子に乗る鈴音に凛からの鉄拳制裁が飛んで来る。
「ちょっとお母さん! 私、今日の主役なんだよ!? 割かし本気の拳骨なんて普通する!?」
「貴方がお母さんたちを揶揄うからでしょ! 馬鹿鈴音!」
流石に調子に乗り過ぎたと、舌を出して反省する鈴音。康太は苦笑いする。
式が始まる前に首筋に汗が掻く程の感情の起伏があったが、おかげでしんみりした空気は吹き飛んだ。
折角の喜ばしい日なのだから、笑おう。しんみりな空気が嫌いな鈴音はそう思う。
康太はここで時計を見る。
「そろそろあちら側と合流する時間だな。準備を――――」
康太は誰かに袖を引っ張られる。ん?と康太は視線を下げると、真樹が股間に手を当てていて。
「お父さん…………おしっこ」
「は?」
目を点にする康太だが逆側の袖も引っ張られ、そちらも見ると、陽花が真樹と同じ動作をしていて。
「あすかも……」
限界が近いのか涙目の真樹と陽花。康太は顔に手を当て。
「だからジュースを沢山飲むなって……いや、式の途中で言われるよりかは大分マシか。漏れる前にさっさとトイレに行くか」
5歳の子供を初めて来た場所で地力で行かせるわけにはいかず、保護者として康太は真樹と陽花の付き添いをする事となる。
「俺は真樹と陽花をトイレに連れて行くから。凛は鈴音と一緒にこの部屋で待っていてくれ」
康太は真樹と陽花を抱えて慌てて部屋を飛び出す。
親となる者の性だが、子育ては大変なんだな……としみじみ思う鈴音。
鈴音と凛の2人キリとなった部屋に気まずい無言の空気が流れる。
凛は真樹と陽花を出産を機に専業主婦になったが、鈴音は仕事や結婚式の準備などで、最近2人の会話はあまり無かった。凛は思い立った様に深呼吸を入れ。
「それにしても、本当にこの日が来たんだね。鈴音が結婚なんて、まだまだ先の未来だって思ってたから、あっという間の事だって感じるよ」
「私だって今年で25だよ? 別に可笑しくない年だし。まあ、34でウェディングドレスを着たお母さんからすれば早いのかもね」
揶揄う鈴音は又しても凛に小突かれる。
「それにしても意外だと思ったよ。鈴音がああいう人を選ぶなんてね」
「なに? 昔みたいにまた私の相手を批判するわけ? 流石に結婚式当日にそれは酷いよ?」
鈴音が半目で凛を見ると凛は否定する様に首を横に振る。
「そういう訳じゃないよ。初めて彼を紹介された時から、彼の誠実さは十分に分かってるから。だけど……鈴音のタイプってこう……年上だと思ってたから、なんていうか……」
式前での発言に自身でどうかと思ったのか徐々に口籠る凛に、鈴音は先の言葉を察知して嘆息する。
「お母さんが言いたいのはさ。もしかして、私の好みが、康太さんみたいな人かと思ってたってこと?」
鈴音が言うと凛は図星の様に狼狽する。
喜ばしい日に自分は何を娘に言ってるんだと後悔する凛だが、凛はずっと疑問に思っていたのだ。
結婚は易い物ではない。だからこそ、式後に籍を入れる予定だから、その前に鈴音の真意を改めて訊こうとしたみたいだが、凛は自身の言動に落ち込む。
だが鈴音はモヤモヤを抱えていたと思われる母親に気持ちを汲み。
「お母さんがそう思うのはさ……もしかして、あの時の事が原因なのかな?」
鈴音が語る”あの日”とは。
それは、生死を彷徨っていた鈴音が目を覚ました日。康太が会社との連絡で一旦病室を出て、今回みたいに母娘の2人となった短い時間で交わされた、あの言葉。
『ねえお母さん。頼みがあるんだけど』
『頼み? うん。なんでも言って。私が出来る事ならなんでもするから』
生死を彷徨う程の瀕死の状態から回復した鈴音からの頼みだから、凛は気合を入れてその頼みを受け入れようとするが、鈴音が口にした頼みは。
『康太さんを、私に頂戴』
凛が1ミリも予想だにしていなかった事だった。
その頼みに凛は絶句をして。
『こーちゃんを頂戴……って、なにを言ってるの鈴音!?』
驚きを落ち着かせるわけもなく凛は大声で鈴音に返すが、暫し無言だった鈴音はぷっと吹き出し。
『ハハハハッ! 冗談に決まってるじゃん! お母さん慌て過ぎだよ』
鈴音に腹を抱えての笑いに凛は困惑を隠せない。
大声で笑った事で鈴音は手術した部分に響いたのか、腹部に痛みが走り笑うのを止め。
『私と康太さんは15以上も歳が離れてるんだよ? そんな人に恋慕を抱くわけないよ。あぁ、お母さんを揶揄うと生きている実感が沸いて来るよ……って痛っ!』
冗談が過ぎたのか鈴音の脳天に凛からの拳骨が降って来て、頭を押さえて蹲る鈴音。
『お母さん!? 私怪我人なんだけど!? 怪我人に本気の拳骨って!?』
『うん。私を揶揄う元気があれば大丈夫だよ』
笑顔の凛だが、その目は笑っていない。
流石に母親を怒らせ過ぎたと反省する鈴音だが、その表情は何処か物寂しそうだった。
『確かに康太さんを頂戴って言ったのは冗談だけど、私は……お母さんが羨ましいよ』
鈴音は病室から見える風に揺らぐ木々を眺めて康太に抱く心情を語る。
『ちょっと抜けた所はあるけど、優しくて、頼りになって、困ったことがあればまるでヒーローの様に駆けつけてくれる、そんな人……世界を探してもそうはいないよ』
康太からすれば、鈴音は昔自分を傷つけた幼馴染の娘。
恐らく、家出をした鈴音を保護した時から薄々、鈴音が凛の娘ではないかと疑っていたはず。それがなくても、昔の凛に似ている鈴音と接するのは康太的には辛かったはず。
だが康太は、そんなの関係無く、困っている鈴音を助け、優しくしてくれた。
実父である宮下徹に襲われた時も、ヒーローの様に助けてくれた。
全部が全部カッコイイわけではない。料理は出来ず、掃除も雑で、だらしない部分も目立つ。だけど、自分を助けてくれる勇ましい康太の姿を思い出して、鈴音の胸に微かに抱いてはいけない感情が芽吹いていた。だからこそ、鈴音は思う。
『後十数年早く生まれていれば、私も……康太さんと幼馴染になれたのかな……?」
『…………鈴音』
『そしたら、私とお母さん……いや、凛ちゃんとこーちゃんの奪い合いをして、こーちゃんを困らせたりしてね…………なんて、そんな事ありえるはずがないのにね』
母親である凛と同時期に学生時代を過ごすなど有り得ないこと。
だけど、妄想でも一度は考えてしまった。自分と康太が幼馴染だったらという妄想を。
母親が羨ましい、そう胸を締め付ける気持ちを、自身で胸を握り紛らわし、鈴音は凛にエールを送る。
『お母さん。康太さんは私から見てもかなり良い人だから、今度は見失わないでね。康太さんは私にとっても大切な人なんだから』
一度凛は不安から見失った事があった。だが、奇跡が巡り巡って昔失った夢を叶える事が出来た。
だからこそ、鈴音のその言葉の重みは計り知れなかった。
『うん。分かってる。今度は、絶対に見失ったりは、しない』
決意の言葉を聞き、鈴音は一瞬複雑そうな表情になるも、母の幸せを願う娘の笑顔をとなり。
『そうだよ。絶対に幸せになってよ。前にも言ったけど。娘は母親が幸せにならないと幸せになれないんだから。私は、お母さんが幸せになってくれることを本気の本気で願っているからね。私も良い人を見つけて幸せになるから』
嘘偽りのない笑みに凛は微笑で返し。
『えぇ。絶対に幸せになるよ。そして鈴音。貴方も、絶対に幸せになってね』
8年も昔の会話。凛はずっとあの時の会話と、鈴音の目が気がかりだった。
「勘って言えばいいのかな……? あの時の鈴音のあの言葉と目は、冗談なんかじゃなかった、何処か本気にも感じられた」
凛が指す”あの言葉”とは『康太さんを頂戴』である。
恋愛における勘と言うべきか、別の人が向ける自分が好きな相手への恋慕に敏感になる。それを娘である鈴音から凛は僅かに感じ取れたのだ。
あの時の鈴音は直後に冗談とあしらうが、本当の冗談だったのかと鈴音は気がかりだった。
そして鈴音は一瞬目を逸らした後に、観念した様に降参と両手を挙げる。
「正直、墓場まで持っていくつもりだったけど、お母さんには敵わないや……。そうだよ。私は、康太さんの事を1人の男性として好きだった時期が、確実にあった。本当はお母さんじゃなくて、私を選んで欲しいって気持ちも、ね」
鈴音の暴露に凛は自分の勘が合っていた事が複雑に感じて口を閉ざすが、そんな凛へ鈴音は強烈なチョップを浴びせた。
痛っ!?と蹲る凛に鈴音はフンスと鼻を鳴らし。
「幾つか勘違いしているみたいだから言うけどね。私が康太さんを好きだったのは8年も昔の事だから。今は全然何とも想ってないから! まあ、父親として好きだったりはするけど」
鈴音はそれを言うと蹲る凛と目線を合わせる為に屈む。
「私は確かに康太さんの事が好きだった。だけど、康太さんは私の事を、1人の女性じゃなくて、1人の娘として見ていた。だから……私は振られてるんだよ、お母さん」
鈴音は康太の事を1人の父親でなく、1人の男性として恋心を抱いていた。
だが、当の康太は鈴音に向けるのは女性に向ける愛情ではなく、娘に向ける愛情だ。
同じ愛情という言葉ではあるが、その垣根は余りにも大きすぎるもの。鈴音はそれを感じ取れた。
「康太さんはお母さんを選んだんだよ。生涯の伴侶として、お母さんを。だから2人の間に入れる隙なんて全然無かった。その事を一緒に暮らし始めてから嫌って程分かったよ」
2人は元々相思相愛の幼馴染。
だが、過去にすれ違いを起こして、一度はその絆に亀裂が入り、離れかけたが、紆余曲折の奇跡の巡り合わせがあり、2人は30年来の恋を成就させた。
その絆は強固であり、家族として鈴音は2人の輪に入れるが、2人の男女としての間に入る余地は微塵も無かった。
「…………鈴音。ごめ―――――」
凛が鈴音に言いかけた時、その言葉を遮る様に鈴音は手で凛の口を塞いだ。
「お母さん。その言葉は私に言うべき言葉じゃないよ。勝者から掛けられる言葉程無様に思う事はないからね」
40を超えて尚、康太と凛の熱は下がらない。
それを最も間近で見ていた鈴音は、何故昔に一度亀裂が入ったのか疑問に思うほどだが、幸せそうな2人を見て鈴音は良かったと切に思う。2人が幸せなら、自分も諦めた甲斐があったと。
康太が凛と結ばれた事で鈴音は失恋をしたのは事実だが、
「けどねお母さん。私は、思ってる程あまりショックを受けてないんだよ?」
鈴音の一言に凛は「どういう意味?」と目で訴える。
「確かに私は生涯の伴侶として選ばれる事はなかった。だけど康太さんは私を娘として受け入れてくれた。だから私は、自慢できる様な娘になろうって、そう決めたんだ。あの日、康太さんが私を本当の娘として受け入れてくれた時から、ずっとね」
鈴音は一人の女性として失恋をした。だが、それで康太との絆が途切れるわけではない。
鈴音は心の何処かで康太の事を1人の男性として見ていただろうが、大半は康太の事を父親として求めていたのかもしれない。だから康太が鈴音の事を女性ではなく娘として見ていてもショックが無かった。
否、ショックは確かにあった。だが、それを覆い隠す程に康太が娘として注いでくれる愛情に喜びを感じて、鈴音は康太の事を父親として尊敬している。
「それにもう1つ勘違いをしているかもと思うから言うけど。私は別に妥協だったり、自棄っぱちで彼を選んだんじゃない。生涯の伴侶として、私はあの人が良いって思ったから結婚しようと思ったんだからね」
鈴音と今回結婚することとなる彼は、大学時代に出会った同級生だが、鈴音は決して尻軽ではない。
康太に振られた寂しさや、優良物件としての意味合いでの愛情無くの妥協ではなく、本気で相手を好きになり、相手と幸せな家庭を築きたいと思っている。だからこそ、彼からのプロポーズを受けたのだ。
「彼も康太さんと同じで何処か抜けている部分もあるけど、康太さんよりも良い人だから」
挑発とも取れる凛は失笑して。
「ほう? こーちゃんよりも良い人だなんて大口だね。私の旦那が世界一カッコイイに決まってるじゃん」
「私の旦那の方がもっと、もーっと! カッコいいからね! 絶対にお母さんたちよりも幸せな家庭を築くから!」
互いの旦那自慢に熱が入り負けじと睨み合う母娘だが、次第に綻び、ぷぅ、と同時に吹き出し。
そして笑い合う。
「彼は誠実そうで良い人だし、貴方もそれだけ相手が好きなら大丈夫ね。良い家庭が築けると思うわ」
笑った事で目尻に溜まった涙を指で拭った凛は、まだ言えてなかった言葉を鈴音に告げる。
「鈴音————綺麗よ」
短い言葉だが、その言葉に様々な想いが込められている。
人生の半分以上を2人で苦楽を共にして来た母娘。
経済力が乏しい学生時代に妊娠して、中絶から逃れる様に家を飛び出した凛は、沢山の手助けがあって、鈴音を産み、シングルマザーとして鈴音を育てて来た。
我が子の幸せを願うのは母親としての当然の願いだろうが、凛はずっと鈴音の幸せを願っていた。
だからこそ、今日の世界で一番美しいお姫様の様に幸せに包まれた鈴音を見て、凛は感無量で涙が溢れそうだった。
泣き崩れそうになる凛の手を鈴音は優しく握り、
(本当は家族への手紙で伝えるつもりだったけど、お母さんにはやっぱり、直接言いたいな)
鈴音がそう思うと、鈴音は凛に感謝の言葉を贈る。
「お母さん。私を産んでくれてありがとう。私を育ててくれてありがとう。私を叱ってくれてありがとう。私を抱きしめてくれてありがとう。私を心配してくれてありがとう。私は……鈴音は、お母さんの娘として生まれて幸せだよ」
鈴音が告げられる感謝の言葉にギリギリで塞き止められていた涙腺が崩壊して、凛は咽び泣く。
「馬鹿……馬鹿鈴音……。まだ式の前なのに、なんで泣かせに来るのよ……。折角の化粧が、台無し……じゃない」
溢れ出る涙を止める事が出来ず、泣き顔を娘に見られたくないと、鈴音を抱きしめる凛。
そんな凛を鈴音も愛情の恩返しの様に強く抱きしめる。
「おう。戻って来たからそろそろ顔合わせの準備を……って、うぉお!? なんで2人して泣いてるんだ!?」
数秒抱きしめ合う2人の部屋に、真樹と陽花のトイレも終わり戻って来た康太が凛もだが、いつの間にか涙を流していた鈴音を見て驚く。
そして、康太の横を通った真樹と陽花は、2人の許に歩み寄り。
「どうしたのママ、鈴音おねえちゃん? どこかイタイの?」
「だれかにやられたのか!? ならオレがそいつをぶっ飛ばしてやる! この正義のヒーロー、シンキが!」
陽花は涙を流す鈴音と凛を優しく撫で。
真樹はお気に入りのヒーローの真似事の様にポーズを取り、2人を慰める。
真樹と陽花の優しさに触れた凛と鈴音は、凛は真樹を、鈴音は陽花を抱きしめ。
「別に痛いからとか悲しいからとかで泣いてるんじゃないよ……嬉しくて泣いてるんだ」
「うれしいのに泣くの?」
鈴音の言葉に首を傾げる陽花。
「そうだよ。人はね、嬉しくても泣くんだよ」
「ふーん? 変なの?」
涙の意味にも種類がある。だが、子供の2人にはそれが理解出来ないだろう。
だが、いつか2人にもその意味を分かってくれる。その想いを込めて強く2人は真樹と陽花を抱擁する。
状況をあまり出来てないが、それでも2人は何か互いの想いを伝えあっている事を察した康太は微笑ましく見ていると、扉がコンコンとノックされる。
「古坂様、そろそろ式の開始が差し掛かっておりますので、ご準備の方を」
ノックしてドア越しにそう伝えに来たのは式のスタッフだった。
康太は予備も含めて持って来ていた2枚のハンカチを凛と鈴音に渡し。
「分かりました。直ぐに準備に向かいますので」
そう回答をして、スタッフの離れる足音を聞いて、康太は家族へと振り返り。
「よし。そろそろ式前の顔合わせに行くぞ。鈴音。心の準備は出来たか? 今日はお前にとっての晴れ舞台だ。緊張し過ぎて黒歴史にならない様にしないとな」
「勿論、分かってるよ。てか、お父さんの方こそ緊張し過ぎないでよ?」
「ハハッ。それは無理だ。正直、式が始まる前から緊張し過ぎてるわ」
オイ!と鈴音は軽薄に笑う康太にツッコミを入れ、新郎側の親族に挨拶に向かう。
新郎側はお世辞にも名家ってわけではない極平凡な家庭だが新郎を含めてその家族全員が気立ての良い人ばかり。
親と娘の歳が高校生の年齢程度しか離れていない、少し訳有な家庭でも、そんなのは関係ないとばかりに大らかに受け入れてくれた良心ある人達。
そんな人たちと式前の顔合わせを終え、遂に結婚式が始まる。
凛、真樹、陽花、新郎家族は式場内に入り、康太と鈴音はチャペルの前で待機していた。
その理由は勿論、父娘でバージンロードを歩く為。
先に新郎と神父が入場をして、式場に拍手喝采を壁越しに聞きながら、鈴音は大きく息を吐いた。
「あぁ……分かってるなんて言ったけど、やっぱり緊張するな。こういった祝われ事ってあまり無かったから、背中が痒いな……」
「おいおい大丈夫なのかよ。お前、右手右足、左手左足を一緒に出したりするなよ?」
「小学生の卒業式と中学生の入学式で緊張のあまりにそれをしたお父さんに言われたくありませーん」
「おまっ! なんでそれを……って、凛か! アイツ、俺の黒歴史を暴露しやがって!」
康太は凛に憤慨するが、鈴音のクスクス笑う姿にその熱は直ぐに冷める。今ので鈴音の緊張が僅かに解れた様だ。
新郎と神父が先に入場して、その後に新婦と新婦父が入場するのだが、その間が異様に長く感じる。
だからか、鈴音はボソッと言葉を零す。
「本当に、あっという間だったね」
「そうだな。本当にあっと言う間だったよ。てか、今も思うが、お前みたいなじゃじゃ馬娘が結婚だなんて信じられねえな。お前、旦那と喧嘩したからって昔みたいに家出とかするなよ?」
「はぁあ!? いつの話をしているの! そんな子供みたいなことはしません!」
「本当か?」
「本当だ!」
むくぅ!と揶揄われ拗ねた様に頬を膨らます鈴音に康太は喉を鳴らして笑う。
だが、昔の事を思い出した様に懐かし気に語る。
「けど、お前と出会ったのは、その家出が始まりだったんだよな」
康太と鈴音の出会い。それは決してまともと言うべきな物ではなかった。
凛と喧嘩した鈴音が激情に駆られて家を飛び出し、宛がある訳でもなく、ただ遠くに行きたいと電車に乗り知らない土地に向かった。
だが野宿を繰り返した後に早々にお金が尽きた鈴音が苦肉の策として売春行為を働こうとして、声を掛けたのが康太だった。
「まさか、あの日出会った家出少女が、昔俺を振った幼馴染と瓜二つで、まあ、結局凛の娘だから当たり前だったけど、そんな奴がいきなり家に泊めてくれだなんて言って、本当に驚いたよ」
今思い返しても鈴音の行動が普通ではないからぐうの音も出ない。
もし康太に出会わなかったら、今頃は路頭に迷って餓死していたと思うと、背筋がゾッとする。
「てか、本当にどんな偶然の重なりだよ。宛がある訳でもない無鉄砲に移動した先でお前は俺と出会い、そして俺も昔俺を振った凛と再会して、お前と凛は親子だった。いやー運命ってのは奇妙だな」
「そうだね。運命ってのはどう進むのか全然予測出来ないね。けどなに? こんな衝動的に家出をした前科がある家出少女と出会った事が運の尽きだったって言いたいわけ?」
不貞腐れた様に口を尖らす鈴音の頭を康太は優しく撫で。
「んなわけないだろ。運の尽きどころか、お前の父親になれて俺は幸せだよ。ありがとな。こんな俺の娘になってくれて」
その言葉に鈴音の目が熱くなる。
ありがとう、は康太が言う言葉ではない。鈴音が言う言葉だ。
こんな迷惑を掛ける鈴音の父親になってくれてたのだから。
鈴音は涙を堪える為に天井を仰ぐ。そろそろ鈴音と康太の入場が始まる頃だ。
だが最後に、鈴音は康太にこれだけは聞きたかった。
「ねえ、お父さん。お父さんにとって私って、どう思うかな?」
その質問はまるで、初めて鈴音と別れる時に鈴音から投げかけられた質問に類似する。
あの時の康太と鈴音はあくまで他人。だから鈴音の事は迷惑な家出娘であり幼馴染の娘だと答えた。
だが、今は違う。
「俺にとってお前は、誰にでも自慢が出来る最ッ高の娘だ!」
最高の返答を聞き、鈴音はご満悦に「当然!」とニシッと笑う。
「鈴音。幸せになって来いよ」
「うん! 私、絶対に幸せになるよ!」
誓う様に言った鈴音は康太が差し出す肘にそっと手を添える。
―――――あぁ、私、本当に幸せ者だよ。大好きなお父さんがいて、お母さんがいて、弟がいて、妹がいて、彼もいる。大好きな人達が沢山いる。贅沢過ぎる程に。けど、これは全て、お父さん。貴方が居たから得られた物ばかりだよ。貴方と出会えたから、私は自分の事を好きになれた。貴方と出会えたから、私の心に空いた虚しさが埋まった。本当に、本当に……お父さんと出会えて良かった。私は彼と結婚して家を出るけど、これからもずっと、ずっと! 私は、お父さんの娘だからね。
『では、新婦古坂鈴音様の入場です』
「行くぞ、鈴音」
「うん。行こう、お父さん」
チャペルが開かれ先に続くバージンロードへと、血の繋がりは無くとも何処にも負けない程に固く親子の絆が結ばれた2人は踏み出す。
女性は膝に置かれたこれまでの人生の軌跡ともいえるアルバムを読みながら時を待っていた。
「あれからもう8年か……」
女性はアルバムに乗る家族写真を撫でながら呟く。
化粧や着衣など全ての準備を終えている女性がいる部屋に3度のノックが鳴る。
女性が「どうぞ」と言うと、扉が開かれ、そこからモーニングコートを着こなす男性が入室する。男性は部屋の中心に座る女性を見るや感慨深く微笑み。
「綺麗だな――――――鈴音」
「ふふっ、ありがと。お父さんにそう言われるなら、最初は気乗りじゃなかったドレスを着た甲斐があったよ」
女性もとい鈴音は、20を超えて尚、学生時代の面影が残る無邪気な笑顔を男性もとい父親の康太へと向ける。
古坂康太と田邊凛が結婚をして8年の時が流れていた。
2人の娘であり、当時高校2年生だった田邊鈴音改め古坂鈴音も今年で25歳となった。
編入試験に合格した鈴音の進学だが、鈴音自身は卒業後就職を希望していたが、康太は自分が大学に行かなかった後悔からか、鈴音に大学進学を勧めた。その費用は康太が出すといい。
鈴音も母である凛も康太にそこまでさせるのは忍びないと断ったが、康太の強い勧めもあり、鈴音は大学に進学した。
大学は至って平凡な大学だが、鈴音は学業、サークル、バイトと目まぐるしくも楽しい日々を過ごし、その最中に同じサークルだった同学年の男性と、2年間の友達期間を経て付き合い、5年の恋人期間を経て、今日、鈴音はその男性と結婚をする。
「本当によ。どうして最初はあんなに乗り気じゃなかったんだろうな。普通ウェディングドレスって女性の憧れの的だろ? なのにお前は……」
「全員が全員そうじゃないってことだよ。確かに憧れていた時期もあったけど、いざ着るかもと思うと、尻込みするものだよ。例えるなら、あれ! 誕生日会で『今日の主役!』って恥ずかしいタスキを掛けられるみたいな!」
一生に一度の晴れ舞台をそう捉えるのかと、鼻根を押さえて呆れる康太。
「だってのに。お父さんとお母さんは「折角の機会なんだから着るべきだ!」って言うし、あちらの両親も「鈴音ちゃんなら絶対に似合うよ!」って言われて、八方塞の私……」
憂鬱にため息を吐く鈴音だが、何度も鏡に目配せしているのは無意識なのだろうか。
その度に鏡に映るドレス姿の自分を満更じゃない顔で見ているのだから、言葉では否定的な事を言うが、実は嬉しいのだろう。最初は乗り気じゃなかった手前、喜ぶのは恥ずかしいってところか。
「まあ、何にせよ。こうやって娘のウェディングドレスを見る事が出来たんだから、父親として感無量の極みだよ。それに、綺麗だって言葉に嘘はないんだからな。まさに、馬子にも衣裳だな」
「いつの日か言ったと思うけど、それ褒め言葉じゃないからね? 怒るよ?」
20を超えて立派な社会人の鈴音を幼子の様に頭をポンポンと叩き「冗談冗談」と笑う康太。
鈴音が子供扱いする康太を頬を膨らまし睨んでいると、「入るね」と扉が開かれる。
「ごめんねあなた。この子たちが走り回るもんだから……。コラッ。少しは静かにしなさいって言ってるでしょ!」
康太と鈴音以外に向けられた小言を発しながら入室したのは、康太の妻であり、鈴音の母である古坂凛である。8年が経って40を超えた事で皺が増えているが、それでも実年齢よりも若々しい凛は、新婦の母って立場から気合の入った和装を着こなしている。
そんな凛を疲れ切った顔をさせる原因となる者達は、凛の手から逃れ。
「おぉー! 鈴音姉ちゃん、ピカピカでキレイだなッ!」
「うんうん! キレイキレイ! お姫さまみたい!」
ドタバタと忙しい足音を鳴らし鈴音の許に近づいて来たのは、男女の幼子。
鈴音は近づいて来た幼子たちと目線を合わせる為に屈み、そして強く抱きしめる。
「んーッ! ありがとう私の愛しい弟妹よ! お姉ちゃん嬉しいな!」
くるしい……と幼子たちが呻くぐらいに手加減無用に抱擁する鈴音。
鈴音が口にした”弟”と”妹”。そう。この男女の幼子は正真正銘、鈴音の弟と妹で、つまりは康太と凛の子供たちだ。
血縁の悩みを解決した鈴音は一転して康太と凛に下の子を要求するようになった。
勿論強制ではないが、弟か妹が居たら楽しいだろうな~と期待をし、「是非弟を!……いや妹も捨てがたいよね……うーん」と悩んだが、最終的にどっちでも全力で愛すると決めていた。
そして待望の凛の妊娠が発覚して、成長をして判明したのが、まさかの男女の双子だった。
つまり、この背丈が殆ど差異がない男女の幼子は双子であり、完全に康太似の男の子の名前は『真樹』、顔つきは凛似で目元は康太似の女の子の名前は『陽花』。共に5歳だ。
どちらも捨て難いと思っていたが、まさかの弟と妹出来た鈴音は、姉馬鹿を発揮、愛おしい弟と妹を、康太が「苦しんでるだろ」と拳骨するまで抱擁を続けていた。
康太に小突かれた事で抱擁を中断した鈴音は拗ねる様に頬を膨らますが、嬉しそうにはにかむ。
康太は嘘つきではなかった。
あの夕焼けでの康太の言葉。康太と凛の間に子供が出来ようと、康太は生涯鈴音を愛し続ける。
その誓いの様な言葉を口にした康太は、自分の言葉に責任を取る様に、いや、責任なんて大それたことはなく、ただ親として当たり前の様に、鈴音を愛してくれた。真樹と陽花と言う可愛い実子が出来ようとも。
自分の言葉に信念を貫く康太の姿を見た鈴音は、心の底から康太を尊敬している。
披露宴で家族への感謝を述べるのが楽しみだ。
「それにしても寂しくなるね。社会人になった後も実家に暮らしていた鈴音が、結婚を機に家を出るんだから」
「ねえお母さん。それ嫌味で言ってる? お金を稼げる様になった後も実家に甘えていた私に対して?」
当初の鈴音も就職した後は一人暮らしを考えてた。
だが、居心地が良く暖かい実家を手放すのが惜しいと、お金がある程度貯まるまでと決めて実家暮らしを継続させたが、中々出るタイミングが無く、づるづると25歳まで実家暮らしをしていた鈴音。
その事に多少の引け目があったようだが、凛は否定する様に首を振る。
「そういう訳で言ってるんじゃないよ。ただ本心で言ってるだけ。ずっと一緒に暮らしていた娘が家から出て行くんだから、寂しくないなんて言う親はいないよ。ね、あなた」
「そうだな。いつか来る日だと覚悟していたが、騒がしい家が少し、静かになるな……」
結婚式という喜ばしい日なのにやはり鈴音が出て行くことが寂しいと思っている康太と凛。
それだけ鈴音の事を愛していたからだろう。
そう感じ取った鈴音は気恥ずかしさから強く鼻を鳴らしてそっぽを向く。
「ふん! 私の方は家を出られて清々するよ。これでやっと、40を超えても熱々な夫婦から解放されるんだからね!」
「「なっ!?」」
まるで日頃の鬱憤を晴らすかのように吐露する鈴音に、康太と凛は驚くように顔を真っ赤にする。
効果抜群な態度に揶揄い属性を持つ鈴音は満悦した様にニヤニヤとして。
「それにしてもお父さん達はいいのかな? ”そう言った時”は、今まで私が真樹と陽花を私が見ていたけど、今後見てくれる人がいないよ~? 今の様子だと当分性欲は枯れないみたいだし。けど、孫と子の同時期生誕なんてオツでいいかもね。頑張れ、高齢出産! 痛っ!?」
当たり前と言うべきか、調子に乗る鈴音に凛からの鉄拳制裁が飛んで来る。
「ちょっとお母さん! 私、今日の主役なんだよ!? 割かし本気の拳骨なんて普通する!?」
「貴方がお母さんたちを揶揄うからでしょ! 馬鹿鈴音!」
流石に調子に乗り過ぎたと、舌を出して反省する鈴音。康太は苦笑いする。
式が始まる前に首筋に汗が掻く程の感情の起伏があったが、おかげでしんみりした空気は吹き飛んだ。
折角の喜ばしい日なのだから、笑おう。しんみりな空気が嫌いな鈴音はそう思う。
康太はここで時計を見る。
「そろそろあちら側と合流する時間だな。準備を――――」
康太は誰かに袖を引っ張られる。ん?と康太は視線を下げると、真樹が股間に手を当てていて。
「お父さん…………おしっこ」
「は?」
目を点にする康太だが逆側の袖も引っ張られ、そちらも見ると、陽花が真樹と同じ動作をしていて。
「あすかも……」
限界が近いのか涙目の真樹と陽花。康太は顔に手を当て。
「だからジュースを沢山飲むなって……いや、式の途中で言われるよりかは大分マシか。漏れる前にさっさとトイレに行くか」
5歳の子供を初めて来た場所で地力で行かせるわけにはいかず、保護者として康太は真樹と陽花の付き添いをする事となる。
「俺は真樹と陽花をトイレに連れて行くから。凛は鈴音と一緒にこの部屋で待っていてくれ」
康太は真樹と陽花を抱えて慌てて部屋を飛び出す。
親となる者の性だが、子育ては大変なんだな……としみじみ思う鈴音。
鈴音と凛の2人キリとなった部屋に気まずい無言の空気が流れる。
凛は真樹と陽花を出産を機に専業主婦になったが、鈴音は仕事や結婚式の準備などで、最近2人の会話はあまり無かった。凛は思い立った様に深呼吸を入れ。
「それにしても、本当にこの日が来たんだね。鈴音が結婚なんて、まだまだ先の未来だって思ってたから、あっという間の事だって感じるよ」
「私だって今年で25だよ? 別に可笑しくない年だし。まあ、34でウェディングドレスを着たお母さんからすれば早いのかもね」
揶揄う鈴音は又しても凛に小突かれる。
「それにしても意外だと思ったよ。鈴音がああいう人を選ぶなんてね」
「なに? 昔みたいにまた私の相手を批判するわけ? 流石に結婚式当日にそれは酷いよ?」
鈴音が半目で凛を見ると凛は否定する様に首を横に振る。
「そういう訳じゃないよ。初めて彼を紹介された時から、彼の誠実さは十分に分かってるから。だけど……鈴音のタイプってこう……年上だと思ってたから、なんていうか……」
式前での発言に自身でどうかと思ったのか徐々に口籠る凛に、鈴音は先の言葉を察知して嘆息する。
「お母さんが言いたいのはさ。もしかして、私の好みが、康太さんみたいな人かと思ってたってこと?」
鈴音が言うと凛は図星の様に狼狽する。
喜ばしい日に自分は何を娘に言ってるんだと後悔する凛だが、凛はずっと疑問に思っていたのだ。
結婚は易い物ではない。だからこそ、式後に籍を入れる予定だから、その前に鈴音の真意を改めて訊こうとしたみたいだが、凛は自身の言動に落ち込む。
だが鈴音はモヤモヤを抱えていたと思われる母親に気持ちを汲み。
「お母さんがそう思うのはさ……もしかして、あの時の事が原因なのかな?」
鈴音が語る”あの日”とは。
それは、生死を彷徨っていた鈴音が目を覚ました日。康太が会社との連絡で一旦病室を出て、今回みたいに母娘の2人となった短い時間で交わされた、あの言葉。
『ねえお母さん。頼みがあるんだけど』
『頼み? うん。なんでも言って。私が出来る事ならなんでもするから』
生死を彷徨う程の瀕死の状態から回復した鈴音からの頼みだから、凛は気合を入れてその頼みを受け入れようとするが、鈴音が口にした頼みは。
『康太さんを、私に頂戴』
凛が1ミリも予想だにしていなかった事だった。
その頼みに凛は絶句をして。
『こーちゃんを頂戴……って、なにを言ってるの鈴音!?』
驚きを落ち着かせるわけもなく凛は大声で鈴音に返すが、暫し無言だった鈴音はぷっと吹き出し。
『ハハハハッ! 冗談に決まってるじゃん! お母さん慌て過ぎだよ』
鈴音に腹を抱えての笑いに凛は困惑を隠せない。
大声で笑った事で鈴音は手術した部分に響いたのか、腹部に痛みが走り笑うのを止め。
『私と康太さんは15以上も歳が離れてるんだよ? そんな人に恋慕を抱くわけないよ。あぁ、お母さんを揶揄うと生きている実感が沸いて来るよ……って痛っ!』
冗談が過ぎたのか鈴音の脳天に凛からの拳骨が降って来て、頭を押さえて蹲る鈴音。
『お母さん!? 私怪我人なんだけど!? 怪我人に本気の拳骨って!?』
『うん。私を揶揄う元気があれば大丈夫だよ』
笑顔の凛だが、その目は笑っていない。
流石に母親を怒らせ過ぎたと反省する鈴音だが、その表情は何処か物寂しそうだった。
『確かに康太さんを頂戴って言ったのは冗談だけど、私は……お母さんが羨ましいよ』
鈴音は病室から見える風に揺らぐ木々を眺めて康太に抱く心情を語る。
『ちょっと抜けた所はあるけど、優しくて、頼りになって、困ったことがあればまるでヒーローの様に駆けつけてくれる、そんな人……世界を探してもそうはいないよ』
康太からすれば、鈴音は昔自分を傷つけた幼馴染の娘。
恐らく、家出をした鈴音を保護した時から薄々、鈴音が凛の娘ではないかと疑っていたはず。それがなくても、昔の凛に似ている鈴音と接するのは康太的には辛かったはず。
だが康太は、そんなの関係無く、困っている鈴音を助け、優しくしてくれた。
実父である宮下徹に襲われた時も、ヒーローの様に助けてくれた。
全部が全部カッコイイわけではない。料理は出来ず、掃除も雑で、だらしない部分も目立つ。だけど、自分を助けてくれる勇ましい康太の姿を思い出して、鈴音の胸に微かに抱いてはいけない感情が芽吹いていた。だからこそ、鈴音は思う。
『後十数年早く生まれていれば、私も……康太さんと幼馴染になれたのかな……?」
『…………鈴音』
『そしたら、私とお母さん……いや、凛ちゃんとこーちゃんの奪い合いをして、こーちゃんを困らせたりしてね…………なんて、そんな事ありえるはずがないのにね』
母親である凛と同時期に学生時代を過ごすなど有り得ないこと。
だけど、妄想でも一度は考えてしまった。自分と康太が幼馴染だったらという妄想を。
母親が羨ましい、そう胸を締め付ける気持ちを、自身で胸を握り紛らわし、鈴音は凛にエールを送る。
『お母さん。康太さんは私から見てもかなり良い人だから、今度は見失わないでね。康太さんは私にとっても大切な人なんだから』
一度凛は不安から見失った事があった。だが、奇跡が巡り巡って昔失った夢を叶える事が出来た。
だからこそ、鈴音のその言葉の重みは計り知れなかった。
『うん。分かってる。今度は、絶対に見失ったりは、しない』
決意の言葉を聞き、鈴音は一瞬複雑そうな表情になるも、母の幸せを願う娘の笑顔をとなり。
『そうだよ。絶対に幸せになってよ。前にも言ったけど。娘は母親が幸せにならないと幸せになれないんだから。私は、お母さんが幸せになってくれることを本気の本気で願っているからね。私も良い人を見つけて幸せになるから』
嘘偽りのない笑みに凛は微笑で返し。
『えぇ。絶対に幸せになるよ。そして鈴音。貴方も、絶対に幸せになってね』
8年も昔の会話。凛はずっとあの時の会話と、鈴音の目が気がかりだった。
「勘って言えばいいのかな……? あの時の鈴音のあの言葉と目は、冗談なんかじゃなかった、何処か本気にも感じられた」
凛が指す”あの言葉”とは『康太さんを頂戴』である。
恋愛における勘と言うべきか、別の人が向ける自分が好きな相手への恋慕に敏感になる。それを娘である鈴音から凛は僅かに感じ取れたのだ。
あの時の鈴音は直後に冗談とあしらうが、本当の冗談だったのかと鈴音は気がかりだった。
そして鈴音は一瞬目を逸らした後に、観念した様に降参と両手を挙げる。
「正直、墓場まで持っていくつもりだったけど、お母さんには敵わないや……。そうだよ。私は、康太さんの事を1人の男性として好きだった時期が、確実にあった。本当はお母さんじゃなくて、私を選んで欲しいって気持ちも、ね」
鈴音の暴露に凛は自分の勘が合っていた事が複雑に感じて口を閉ざすが、そんな凛へ鈴音は強烈なチョップを浴びせた。
痛っ!?と蹲る凛に鈴音はフンスと鼻を鳴らし。
「幾つか勘違いしているみたいだから言うけどね。私が康太さんを好きだったのは8年も昔の事だから。今は全然何とも想ってないから! まあ、父親として好きだったりはするけど」
鈴音はそれを言うと蹲る凛と目線を合わせる為に屈む。
「私は確かに康太さんの事が好きだった。だけど、康太さんは私の事を、1人の女性じゃなくて、1人の娘として見ていた。だから……私は振られてるんだよ、お母さん」
鈴音は康太の事を1人の父親でなく、1人の男性として恋心を抱いていた。
だが、当の康太は鈴音に向けるのは女性に向ける愛情ではなく、娘に向ける愛情だ。
同じ愛情という言葉ではあるが、その垣根は余りにも大きすぎるもの。鈴音はそれを感じ取れた。
「康太さんはお母さんを選んだんだよ。生涯の伴侶として、お母さんを。だから2人の間に入れる隙なんて全然無かった。その事を一緒に暮らし始めてから嫌って程分かったよ」
2人は元々相思相愛の幼馴染。
だが、過去にすれ違いを起こして、一度はその絆に亀裂が入り、離れかけたが、紆余曲折の奇跡の巡り合わせがあり、2人は30年来の恋を成就させた。
その絆は強固であり、家族として鈴音は2人の輪に入れるが、2人の男女としての間に入る余地は微塵も無かった。
「…………鈴音。ごめ―――――」
凛が鈴音に言いかけた時、その言葉を遮る様に鈴音は手で凛の口を塞いだ。
「お母さん。その言葉は私に言うべき言葉じゃないよ。勝者から掛けられる言葉程無様に思う事はないからね」
40を超えて尚、康太と凛の熱は下がらない。
それを最も間近で見ていた鈴音は、何故昔に一度亀裂が入ったのか疑問に思うほどだが、幸せそうな2人を見て鈴音は良かったと切に思う。2人が幸せなら、自分も諦めた甲斐があったと。
康太が凛と結ばれた事で鈴音は失恋をしたのは事実だが、
「けどねお母さん。私は、思ってる程あまりショックを受けてないんだよ?」
鈴音の一言に凛は「どういう意味?」と目で訴える。
「確かに私は生涯の伴侶として選ばれる事はなかった。だけど康太さんは私を娘として受け入れてくれた。だから私は、自慢できる様な娘になろうって、そう決めたんだ。あの日、康太さんが私を本当の娘として受け入れてくれた時から、ずっとね」
鈴音は一人の女性として失恋をした。だが、それで康太との絆が途切れるわけではない。
鈴音は心の何処かで康太の事を1人の男性として見ていただろうが、大半は康太の事を父親として求めていたのかもしれない。だから康太が鈴音の事を女性ではなく娘として見ていてもショックが無かった。
否、ショックは確かにあった。だが、それを覆い隠す程に康太が娘として注いでくれる愛情に喜びを感じて、鈴音は康太の事を父親として尊敬している。
「それにもう1つ勘違いをしているかもと思うから言うけど。私は別に妥協だったり、自棄っぱちで彼を選んだんじゃない。生涯の伴侶として、私はあの人が良いって思ったから結婚しようと思ったんだからね」
鈴音と今回結婚することとなる彼は、大学時代に出会った同級生だが、鈴音は決して尻軽ではない。
康太に振られた寂しさや、優良物件としての意味合いでの愛情無くの妥協ではなく、本気で相手を好きになり、相手と幸せな家庭を築きたいと思っている。だからこそ、彼からのプロポーズを受けたのだ。
「彼も康太さんと同じで何処か抜けている部分もあるけど、康太さんよりも良い人だから」
挑発とも取れる凛は失笑して。
「ほう? こーちゃんよりも良い人だなんて大口だね。私の旦那が世界一カッコイイに決まってるじゃん」
「私の旦那の方がもっと、もーっと! カッコいいからね! 絶対にお母さんたちよりも幸せな家庭を築くから!」
互いの旦那自慢に熱が入り負けじと睨み合う母娘だが、次第に綻び、ぷぅ、と同時に吹き出し。
そして笑い合う。
「彼は誠実そうで良い人だし、貴方もそれだけ相手が好きなら大丈夫ね。良い家庭が築けると思うわ」
笑った事で目尻に溜まった涙を指で拭った凛は、まだ言えてなかった言葉を鈴音に告げる。
「鈴音————綺麗よ」
短い言葉だが、その言葉に様々な想いが込められている。
人生の半分以上を2人で苦楽を共にして来た母娘。
経済力が乏しい学生時代に妊娠して、中絶から逃れる様に家を飛び出した凛は、沢山の手助けがあって、鈴音を産み、シングルマザーとして鈴音を育てて来た。
我が子の幸せを願うのは母親としての当然の願いだろうが、凛はずっと鈴音の幸せを願っていた。
だからこそ、今日の世界で一番美しいお姫様の様に幸せに包まれた鈴音を見て、凛は感無量で涙が溢れそうだった。
泣き崩れそうになる凛の手を鈴音は優しく握り、
(本当は家族への手紙で伝えるつもりだったけど、お母さんにはやっぱり、直接言いたいな)
鈴音がそう思うと、鈴音は凛に感謝の言葉を贈る。
「お母さん。私を産んでくれてありがとう。私を育ててくれてありがとう。私を叱ってくれてありがとう。私を抱きしめてくれてありがとう。私を心配してくれてありがとう。私は……鈴音は、お母さんの娘として生まれて幸せだよ」
鈴音が告げられる感謝の言葉にギリギリで塞き止められていた涙腺が崩壊して、凛は咽び泣く。
「馬鹿……馬鹿鈴音……。まだ式の前なのに、なんで泣かせに来るのよ……。折角の化粧が、台無し……じゃない」
溢れ出る涙を止める事が出来ず、泣き顔を娘に見られたくないと、鈴音を抱きしめる凛。
そんな凛を鈴音も愛情の恩返しの様に強く抱きしめる。
「おう。戻って来たからそろそろ顔合わせの準備を……って、うぉお!? なんで2人して泣いてるんだ!?」
数秒抱きしめ合う2人の部屋に、真樹と陽花のトイレも終わり戻って来た康太が凛もだが、いつの間にか涙を流していた鈴音を見て驚く。
そして、康太の横を通った真樹と陽花は、2人の許に歩み寄り。
「どうしたのママ、鈴音おねえちゃん? どこかイタイの?」
「だれかにやられたのか!? ならオレがそいつをぶっ飛ばしてやる! この正義のヒーロー、シンキが!」
陽花は涙を流す鈴音と凛を優しく撫で。
真樹はお気に入りのヒーローの真似事の様にポーズを取り、2人を慰める。
真樹と陽花の優しさに触れた凛と鈴音は、凛は真樹を、鈴音は陽花を抱きしめ。
「別に痛いからとか悲しいからとかで泣いてるんじゃないよ……嬉しくて泣いてるんだ」
「うれしいのに泣くの?」
鈴音の言葉に首を傾げる陽花。
「そうだよ。人はね、嬉しくても泣くんだよ」
「ふーん? 変なの?」
涙の意味にも種類がある。だが、子供の2人にはそれが理解出来ないだろう。
だが、いつか2人にもその意味を分かってくれる。その想いを込めて強く2人は真樹と陽花を抱擁する。
状況をあまり出来てないが、それでも2人は何か互いの想いを伝えあっている事を察した康太は微笑ましく見ていると、扉がコンコンとノックされる。
「古坂様、そろそろ式の開始が差し掛かっておりますので、ご準備の方を」
ノックしてドア越しにそう伝えに来たのは式のスタッフだった。
康太は予備も含めて持って来ていた2枚のハンカチを凛と鈴音に渡し。
「分かりました。直ぐに準備に向かいますので」
そう回答をして、スタッフの離れる足音を聞いて、康太は家族へと振り返り。
「よし。そろそろ式前の顔合わせに行くぞ。鈴音。心の準備は出来たか? 今日はお前にとっての晴れ舞台だ。緊張し過ぎて黒歴史にならない様にしないとな」
「勿論、分かってるよ。てか、お父さんの方こそ緊張し過ぎないでよ?」
「ハハッ。それは無理だ。正直、式が始まる前から緊張し過ぎてるわ」
オイ!と鈴音は軽薄に笑う康太にツッコミを入れ、新郎側の親族に挨拶に向かう。
新郎側はお世辞にも名家ってわけではない極平凡な家庭だが新郎を含めてその家族全員が気立ての良い人ばかり。
親と娘の歳が高校生の年齢程度しか離れていない、少し訳有な家庭でも、そんなのは関係ないとばかりに大らかに受け入れてくれた良心ある人達。
そんな人たちと式前の顔合わせを終え、遂に結婚式が始まる。
凛、真樹、陽花、新郎家族は式場内に入り、康太と鈴音はチャペルの前で待機していた。
その理由は勿論、父娘でバージンロードを歩く為。
先に新郎と神父が入場をして、式場に拍手喝采を壁越しに聞きながら、鈴音は大きく息を吐いた。
「あぁ……分かってるなんて言ったけど、やっぱり緊張するな。こういった祝われ事ってあまり無かったから、背中が痒いな……」
「おいおい大丈夫なのかよ。お前、右手右足、左手左足を一緒に出したりするなよ?」
「小学生の卒業式と中学生の入学式で緊張のあまりにそれをしたお父さんに言われたくありませーん」
「おまっ! なんでそれを……って、凛か! アイツ、俺の黒歴史を暴露しやがって!」
康太は凛に憤慨するが、鈴音のクスクス笑う姿にその熱は直ぐに冷める。今ので鈴音の緊張が僅かに解れた様だ。
新郎と神父が先に入場して、その後に新婦と新婦父が入場するのだが、その間が異様に長く感じる。
だからか、鈴音はボソッと言葉を零す。
「本当に、あっという間だったね」
「そうだな。本当にあっと言う間だったよ。てか、今も思うが、お前みたいなじゃじゃ馬娘が結婚だなんて信じられねえな。お前、旦那と喧嘩したからって昔みたいに家出とかするなよ?」
「はぁあ!? いつの話をしているの! そんな子供みたいなことはしません!」
「本当か?」
「本当だ!」
むくぅ!と揶揄われ拗ねた様に頬を膨らます鈴音に康太は喉を鳴らして笑う。
だが、昔の事を思い出した様に懐かし気に語る。
「けど、お前と出会ったのは、その家出が始まりだったんだよな」
康太と鈴音の出会い。それは決してまともと言うべきな物ではなかった。
凛と喧嘩した鈴音が激情に駆られて家を飛び出し、宛がある訳でもなく、ただ遠くに行きたいと電車に乗り知らない土地に向かった。
だが野宿を繰り返した後に早々にお金が尽きた鈴音が苦肉の策として売春行為を働こうとして、声を掛けたのが康太だった。
「まさか、あの日出会った家出少女が、昔俺を振った幼馴染と瓜二つで、まあ、結局凛の娘だから当たり前だったけど、そんな奴がいきなり家に泊めてくれだなんて言って、本当に驚いたよ」
今思い返しても鈴音の行動が普通ではないからぐうの音も出ない。
もし康太に出会わなかったら、今頃は路頭に迷って餓死していたと思うと、背筋がゾッとする。
「てか、本当にどんな偶然の重なりだよ。宛がある訳でもない無鉄砲に移動した先でお前は俺と出会い、そして俺も昔俺を振った凛と再会して、お前と凛は親子だった。いやー運命ってのは奇妙だな」
「そうだね。運命ってのはどう進むのか全然予測出来ないね。けどなに? こんな衝動的に家出をした前科がある家出少女と出会った事が運の尽きだったって言いたいわけ?」
不貞腐れた様に口を尖らす鈴音の頭を康太は優しく撫で。
「んなわけないだろ。運の尽きどころか、お前の父親になれて俺は幸せだよ。ありがとな。こんな俺の娘になってくれて」
その言葉に鈴音の目が熱くなる。
ありがとう、は康太が言う言葉ではない。鈴音が言う言葉だ。
こんな迷惑を掛ける鈴音の父親になってくれてたのだから。
鈴音は涙を堪える為に天井を仰ぐ。そろそろ鈴音と康太の入場が始まる頃だ。
だが最後に、鈴音は康太にこれだけは聞きたかった。
「ねえ、お父さん。お父さんにとって私って、どう思うかな?」
その質問はまるで、初めて鈴音と別れる時に鈴音から投げかけられた質問に類似する。
あの時の康太と鈴音はあくまで他人。だから鈴音の事は迷惑な家出娘であり幼馴染の娘だと答えた。
だが、今は違う。
「俺にとってお前は、誰にでも自慢が出来る最ッ高の娘だ!」
最高の返答を聞き、鈴音はご満悦に「当然!」とニシッと笑う。
「鈴音。幸せになって来いよ」
「うん! 私、絶対に幸せになるよ!」
誓う様に言った鈴音は康太が差し出す肘にそっと手を添える。
―――――あぁ、私、本当に幸せ者だよ。大好きなお父さんがいて、お母さんがいて、弟がいて、妹がいて、彼もいる。大好きな人達が沢山いる。贅沢過ぎる程に。けど、これは全て、お父さん。貴方が居たから得られた物ばかりだよ。貴方と出会えたから、私は自分の事を好きになれた。貴方と出会えたから、私の心に空いた虚しさが埋まった。本当に、本当に……お父さんと出会えて良かった。私は彼と結婚して家を出るけど、これからもずっと、ずっと! 私は、お父さんの娘だからね。
『では、新婦古坂鈴音様の入場です』
「行くぞ、鈴音」
「うん。行こう、お父さん」
チャペルが開かれ先に続くバージンロードへと、血の繋がりは無くとも何処にも負けない程に固く親子の絆が結ばれた2人は踏み出す。
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►Attention
※他サイトからの転載(2018/11に書き上げたものです)
※表紙は「かんたん表紙メーカー2」様で作りました。
※※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
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