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1章

忘れることが

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「あの、すみません。その制服は鹿原中学の人ですよね? 少しよろしいですか」

 先に行く光の後を追うように歩き出そうとした太陽は、突然の女性の呼び止めに足を止める。
 
「ん? はい。そうですが……」

 太陽は振り返ると、少し驚く。

 太陽を呼び止めた女性。
 汗で艶がある黒髪のショートヘアーに、晴天の青空での努力の結晶の如くに程よく焦げた肌の美少女だが。
 その者は目を真っ赤に腫らし、丁寧な口調とは裏腹にキッと鋭い目つきで太陽を睨んでいた。
 
 太陽自身睨まれる恨みは持ってないはずだが、この女性に太陽は見覚えがあった。
 
「えっと、確か貴方は……。東京代表の晴峰さん……だったっけ?」

 目元に涙を浮かばす女性。
 そう。この者は遂数分前に全国陸上長距離1500m走で僅差で光に敗北した選手。
 事前の選手紹介で全国大会の常連で、今大会の優勝最有力選手と言わしめた天才、晴峰御影。
 
 決勝で幼馴染兼彼女である光と戦う最も警戒すべき人物として太陽の脳内に保管されていたのだが。
 だからと言って、太陽はなぜ初対面で話した覚えのないこの者に呼び止められたのか分からない。

「晴峰さんが、俺に何の御用ですか?」

 太陽と同じ中学3年の同い年だが、初対面の上に強者の貫禄と呼べる雰囲気に圧倒され敬語で尋ねる。
 
 晴峰と呼ばれる女性は、太陽の質問を聞くや、すぅーはぁーと2、3度息を整え。

「単刀直入に聞きます。あなたは、渡口光さんの彼氏さんですか?」

「…………!?」

 思いがけない言葉に、自身の質問をスルーされる以上の衝撃が太陽を襲う。
 どうやら、先ほどの光とのやり取りを覗かれていたらしい。

「………見てたんですか?」
 
「申し訳ございません。別にワザと覗いていたわけではありませんが、途中から。逢引きをするのでしたら、もう少し一目に付かない場所が良いと思いますよ? ここでは人が通りますから」

 晴峰の最もな返しに太陽は苦笑いしか出ない。
 現在いる場所は競技場内でも人の行き来が少ない通路で、残りの競技が始まり観客の者たちがそちらに夢中になっているとはいえ、ここは公共の場だ。
 逆に、この者だけに見られなかったこと事態が奇跡だったのかもしれない。

「それで? 私の質問に答えてもらってもよろしいですか? もう一度聞きます。貴方は渡口光さんの彼氏さんでしょうか? それでなくとも、なにかしら特別な間柄とかですか?」

 捲し立てるような質問に太陽は口を紡ぐ。
 何故初対面の相手がここまで先の勝負で戦った選手の恋愛事情を貪るのか。

 しかも丁寧でゆったりとした言い方の中で怒気な影も感じる。
 
 この者の漂わす気配から適当な嘘は直ぐに看破され、怒りを買ってしまうかもしれない。
 
 太陽は、光との恋人関係を学校の者たちには隠してはいるが、相手は他校で遠い県の人物だ。
 見た感じに口も堅そうに見えるから他言の心配は薄いとだろうと何故かそう感じ取り。
 太陽は意を決したように唾を飲みこみ。

「……そうだ。俺と渡口光は……恋人だ。あと、それと付け足す様に言うと幼馴染でもある。……どうだ? これで満足か?」
 
 太陽が答えると彼女は「……そうですか」と小さく呟く。
 すると、晴峰は右手で自身の左腕を握りつぶすほどに強く掴み。

「……私が陸上に時間を費やしている中、あの人は男性に現を抜かしていたと言うのですか……」

 唇を噛み締め、怨恨が籠る小さな声で囁く。
 それが太陽の耳にも届き、不服そうに太陽は眉を寄せ。

「おい。その言い方だと、光《あいつ》が全く努力をしていないみたいに聞こえるが。あいつだって血の滲む努力をして―――――」

「そんなの、私だってしてきましたよ!」

 光に対しての言われない言葉に対しての太陽の擁護を遮り、晴峰は憤懣の如くな叫びが通路を反響して轟く。

 そして、晴峰は一度開いた叫びが感情の壁を瓦解させたのか、その後は捲くし立てるように続けた。

「血の滲むような努力? そんなの私だって文字通りしてきましたよ! 疲れて転んで何度も膝を擦りむきました、足の裏の豆を何度も潰しました。雨の日も、風の日も、雪の日でさえ、私は努力を怠ったことがありません! 私は青春の全てを陸上に捧げてきたのですから!」

「だ、だからって他人の努力を蔑むような発言をしていいって言うのかよ!?」

「分かってますよ! 私が言っているのは負け犬の遠吠えで、ただの八つ当たりだって!……ですが、悔しいんです……。ただ周りに失望されたくなくて、両親の期待に応えたくて頑張って来た私が……。部活や恋愛で青春を謳歌している人に負けた事が悔しいんです!」

 ポタポタと彼女の頬を伝わる涙が床で弾け、晴峰は肩を震わしていた。
 彼女自身自覚している。
 自分が言っていることは八つ当たりでただの負け惜しみだと……。

 しかし彼女は許せなかったようだ。

 この晴峰は一見からして美少女だ。
 普通に過ごせば告白だってされよう、恋人だって作るのも他愛ないのかもしれない。
 だが、彼女の言い分だとそれらをせずに、自分の青春の時間を陸上に費やしたにも関わらず。
 そんな自分よりも陸上だけでなく恋をも充実した、所謂リア充の相手に自身が負けたのだと、頭ではわかっているのだろうがそれを受け入れたくないのだろう。

「……あんな……。あんたがどれだけ頑張ったかは知らないが、まだあんたは中学だろ? 青春だってまだまだだし、高校になったら部活と兼用で恋にも全力を注げばいいんじゃねえか?」

 彼女の言い分を聞いて太陽は少し呆れたのか敬語を崩してそう指摘する。
 
「……そうですね。確かに、私はまだ中学3年です。これからの学園生活を楽しむ方が得策かもしれませんね……。ですから、私の陸上は今日で最後です」

「おい。それってどういう意味だ? お前の陸上が今日が最後ってのは……」

 普通であれば太陽の言葉に賛同するなら「でしたら高校では陸上と同じでそちらも頑張ります」的なことを言うかと思えば、まるでこの大会が終われば陸上を辞めると取れる発言。
 太陽が聞き返すと、晴峰はクスリとした少し暗い笑顔を浮かばし。

「そのままの意味です。私は中学で陸上を辞めます」

 その宣言に太陽は少し彼女に近づき。

「どうしてだよ!? あんた、あれだけの凄い実力があるのに、なんで今日で辞めるって言うんだよ!? ……まさか、怪我か!?」

 試合の最中に肉離れでも起こしたのか、だがその素振りも包帯などの怪我の部分が見受けられない。
 彼女の引退宣言に驚愕する太陽に晴峰は首を横に振り。

「いいえ。怪我をしたわけではありません。……ですが、まあ、怪我に関しては当たらずとも遠からずですかね」

「……言っている意味が分からねえんだが……。怪我が当たらずとも遠からずって……」

 太陽が困惑する中、晴峰は自分の汗が染み込んだユニフォームの胸倉付近を握り。

「私の怪我は心です。今日の敗北で私は、陸上に対しての熱意が失われたのかもしれません。いつも試合が終わった後も帰って練習をしていましたが、今日はそのやる気も起きませんから……」

「それって、ただ単に今日が中学最後の大会だったからじゃねえのか? だから全て燃え尽きて、所謂燃え尽き症候群的な?」

「高校も陸上をやる人に中学最後だからと言って陸上を辞めませんよ」

 確かにそうだ。
 高校も同じ部活動をすると決めた者なら中学の部活が終わろうとも努力を怠らないだろう。
 しかも、彼女レベルの実力者なら陸上の強豪校からのスカウトから引く手あまたかもしれない。
 
「私、正直に話しますと、陸上を始めて一度も負けた事がありませんでした」

 ……それは自慢か? と太陽は言いたかったがグッと飲み込む。

「私には生まれ持って才能があって、それに加えて小さい頃、本当に物心が付いた頃には私は地面蹴って走っていました」

 物心が付いた頃、つまりは3歳児付近から、彼女は陸上を始めていたということになる。

「幼い頃から辛い練習をしてきた私には、同年代の人と比べると頭2つ、3つ分飛びぬけて相手にもなりませんでした。私は周りとは違う特別な人間なんだって、誰も私には敵わないんだって思ってました……先ほど、あの1500mのピストルが鳴る直前までは」

 先ほどの走りを見ればその自信は大げさでもなく本心なのだろう。
 彼女は2位で終わったが、後続の選手たちとは大分距離を空けている。
 それだけの実力もあれば、自ずとその自信も現れるだろう。
 
「つまり、お前は光に負けてその自信を打ち砕かれて自暴自棄になっているってことか?」

「……そうですね。陸上を始めて初めて負けた私は、自暴自棄になってしまっているのかもしれません。……ですから、先ほど控室で、シューズを捨ててしまいました」

 陸上選手だけでなく、スポーツ選手にとって道具は自分の体と同等に大切な物。
 それを捨てたということは、一度の敗北で本当に陸上を辞めるつもりでいる。

「別に俺とお前は今さっき会ったばかりの他人だから、お前を止める義理はないが、お前自身はそれでいいのか? 才能云々よりも、お前自身は陸上が好きなんじゃないのか? 好きじゃなきゃ、あの走りはできないだろ」

「勿論。私にとって陸上は人生と語っても過言ではないぐらい好きな物でした。……ですが、だからこそ私は、その積み上げ好きだった陸上で負けた私は、これからどうすればいいのか分からなくなってしまっているんです」

 彼女は生まれ持っての天才で一度も負けた事がないというほどの恵まれた成績を持つ選手。
 だからこそ、一度の敗北躓きで起き上がる術を知らないのかもしれない。

「負けたって言うんだったら、これからも頑張って特訓して、高校になってあいつにリベンジでもすればいいだろうが?」

 それでも光が勝つけどな、と心の中で幼馴染が勝つと思っての裏を隠した言葉に晴峰は首を横に振り。

「確かにそれが定石でしょうが。私は……自分に失望しているんです。だから、陸上をしている限りそれを思い出して、私は楽しめないでしょう。だから、私は一刻も早く陸上を忘れて、新しい道を進みたいんです。次は、恋愛にでも挑戦してみます」

 負けた悔しさを吹っ切らす様な笑顔に太陽は無言となる。
 太陽も言ったが、二人は今回初めて出会って間もない間柄。
 そんな相手が陸上を辞めると言っても一向に構わない。
 それどころか、恋人である光の最大なライバルが消える為こちらとしては願ったりかなったりでもある。
 ……だが。

「だっせえな」

 その太陽が小さく零した言葉に晴峰は眉を反応させ。

「ださいとはどういう意味ですか……?」

 太陽の真意を確かめる言葉に我慢された怒りが混じっていた。
 誰でも相手に「ださい」と言われれば怒るだろう。
 だが、怒る相手に太陽は嘲笑を浮かべ。

「文字通りださいって言ってるんだよ。一度負けたぐらいでウジウジと言いやがってよ」

「私はウジウジ言っていません! 私はただ、自分が情けなくて、そんな自分を消し去りたくて――――」

「それがウジウジ言ってるってんだよ。お前、光が陸上を始めて最初の大会で何位だったかわかるか?」

「…………1位ですか?」

 藪から棒に聞いてくる太陽に晴峰が予想して答えると、太陽は失笑をして。

「違ぇよ。……最下位だ」

 思わぬ答えだったのか、自分を負かした相手の初デビューがビリだったことに晴峰は驚きが隠せない様子。

「それって本当ですか……。先ほどの走りを見て、そう思えませんが……」

「嘘をいう訳がないだろ。あいつが陸上を始めたのは小4の頃。あいつもお前と同じ様に才能に恵まれてた。周りの男子も敵わないぐらいに速くて、俺はいつもあいつの背中ばかりを追いかけていた」

 太陽と光は小さい頃から近くの公園で追いかけっこをしていた。
 だが、太陽が光に勝ったことは乏しく、負けた成績の方が圧倒的に多かった。

「あいつが陸上を始めてから2か月ぐらいで大会に出た。だが、周りの奴らは光よりも速くて、あいつはどんどん差を広げられて一番最後にゴールラインにたどり着いた」

「それはただ単純に彼女の実力不足ですよね? 陸上を始めて2か月ならそうなってもおかしくありませんね」

「そうだな。けど、あいつは大会が終わった後、一人泣いてたよ。あいつは気丈で人の前で泣く奴じゃないから、一人隠れてわんわん泣いちまったんだな」

「ですが。貴方の言い方だとその現場を貴方は見ていたってことですよね? 励まさなかったんですか?」

 晴峰の指摘にははっと太陽は苦笑する。

「勿論。元々俺は励ますつもりであいつを追いかけたんだからな。……けど、行ったからと言って俺はあいつに何も言ってやれなかった。情けない話、俺は泣いている奴を励ますのは上手くないからな」

 笑って誤魔化す太陽だが、あの時の悔しさを思い出して密かに拳を握る。

「……それで? その話を聞いて私にどんな利益になるんですか?」

「別に利益なんかねえよ。ただ、あいつはお前と違って負けた、何度も負けた、そして……何度も苦汁を舐めてきた」

 光が大会で目まぐるしい成績を上げるのは文字通り険しかった。
 才能があるからと言って勝てる直ぐに結果が出るほどスポーツの世界は甘くはない。
 持前の才能と他の者に負けないぐらいの努力をした者こそ勝利という名の栄冠をつかみ取る事ができる。
 幼少の頃から辛い特訓をしてきたと自負する晴峰がそうだ。

「だけどあいつは投げ出さなかった。何度負けても立ち上がって練習を続けた。お前に負けないぐらいあいつが頑張って来たって、俺が胸を張っていえるぐらいによ」

「そういえば幼馴染って言ってましたっけ……。彼女のこと、ずっと見てきたんですね」

「あぁ。だって、俺は……あいつのことがずっと好きだったからな」

 ニシッと歯を見せ笑うまさしく太陽の様な笑顔に晴峰は少し頬を赤くしていた。
 そして彼女は顔を伏せると何かしらボソッと呟く。
 
「…………羨ましいな」

「ん? なんか言ったか?」

 無意識に声を漏らしたのか、晴峰はハッと顔を上げぶんぶん顔を振り。

「な、なにも言ってません! べ、別に自分のことを見てくれる殿方が居て羨ましいなって思ったわけではありませんから!」

 は? と訳が分からず目を点にする太陽。
 晴峰は先ほどまでとは違く、顔を真っ赤に染めながら、コホンと仕切り直し。

「確かに渡口光さんが私に負けないぐらいの努力をしたのは分かりました。ですが。それと私が陸上を辞める、どう結び付けるのですか?」

 確かに光の苦労話を聞かされただけで本題の答えを言ってはいない。
 
「あいつは何度も負けたけど、その度に立ち上がった。俺はスポーツもやってないから分からないが、負けることは本当に辛くて投げ出したくなるかもしれない。正直、お前の言う通りに本当に嫌なら忘れた方がマシなのかもしれない。……けどな。それは本当に前に進むってことなのかな?」

「それってどういう意味ですか?」

「確かに忘れた方が楽な時もある。辛い記憶なんて覚えてて特しないからな。だがな、そうすれば、今まで辛い道のりを進んで来た自分を否定するってことにならないか?」

 人は必ず人生という道を歩く。
 重要な選択を迫られた時は分かれ道が。
 苦難が迫って来た時は立ちはだかる巨大な壁。
 そして、自分の行く先が分からなくなれば停滞する。

 恐らく、晴峰の現状は最後の停滞であろう。
 
「忘れることは新しい道を作るんじゃなくて、もしかしたら1からやり直すってことになるんじゃねえのかな。別に悪いことじゃないと思うが、後に後悔すると思うなら、足掻いて頑張った方がスッキリするぜ」

 少し前の自分は幼馴染の関係を壊したくなく、告白する勇気が無くそのぬるま湯な関係を保持してきた。
 だが、いつかこの関係もなくなり、別な男性と付き合い、告白しなかった自分に後悔するぐらいならと。
 周りの後押しもあって幼馴染である光に告白して、そして付き合い始めることができた。

 陸上と恋愛での価値観は分からないが。
 後々にしなかった後悔は同じだと、太陽は思う。

 太陽が持論を言い終えると、返って来たのはまさかの深いため息だった。

「え、なんでため息……?」

「だって、そうですよ。正直、あなたが何が言いたいのかさっぱりです。多分、折角頑張ってきたのに途中で辞めると後で後悔する的なことが言いたかったのでしょうが。かなり回りくどいと言うか、なんですか、忘れることは新しい道を作るんじゃないって?」

 うぐっ……と改めて復唱されると自分の発言に羞恥で顔を紅潮させる太陽。
 若気の至りの少し厨二臭い痛い発言が思春期の太陽の心を抉る。

 だが、半眼で太陽を痛い人扱いの目で見ていた晴峰だが、ぷっと拭きだし。

「けど、ありがとうございます。少し、いえ、かなり励まされました」

 自分の発言を思い返して心の中で悶絶する太陽だったが、晴峰のその言葉にえ?と目を瞬きさせる。

「あなたは本当に優しい人なんですね。こんな初対面の私に対して、必死に言葉を選んで励ましてくれるなんて、そんな居ませんよ。少なくとも、今まで私が出会った誰よりも、あなたは優しいです」

 叱責から急に褒め始める彼女の態度の変わり様に困惑を抜け出せない太陽。
 そして晴峰は踵を返して太陽に背中を見せ。

「確かにこのままで終わるのはなんか嫌ですね。負けっぱなしで終わるのは癪ですし、それに……やっぱり私、陸上が好きみたいですから。頑張って、前に進んでみます。勿論、これからも陸上を続けて、いつか光さんにリベンジします!」

 先ほどまでの仮面の様な作った笑顔ではない、本当の笑顔を咲かす彼女に、思わず太陽はドキッと胸を打つ。

「(――――って、なに一瞬ときめいているんだ俺は!? 俺には最愛の光がいるのに! 女の子の本気の笑顔って、別に好きでもなくてもこんなに可愛く見える物なのか!?)」

 彼女ではない別の女性に少しでも揺らいだ罪悪感に蝕れる太陽。
 そんな時、会場側から盛大な歓声が聞こえる。
 どうやら太陽たちが話している間に次ぎの競技が始まり、そして終わっていたようだ。

「もうじきここにも人が来ますよね……。では、少し名残惜しいですが、私はそろそろ行きます」

 競技が終わればこの人の通りが薄い通路にもいずれは人が来る、そうすればこの場面を見られると危惧した晴峰は自分たちの仲間の許に戻ろうとする。
 だが、行こうとしようとすると、ぴたっと足を止め。

「本当に、私は渡口光さんが羨ましいです。人の悩みを、まるで自分のことの様に言ってくれる人が彼氏なんて」

 そ、そうか……? と褒められて悪い気はしない太陽は指で頬を掻くと、晴峰は大きく手を振り。

「私も、できればあなたみたいな人を彼氏にしたいです! もし、彼女さんに振られたら私の許に来てくださいね!」

「不吉なことを言うんじゃねえよ! 誰が行くか! てか振られるか!?」
 
 今度は違う意味で顔を真っ赤にして叫ぶ太陽に、笑顔を取り戻した晴峰は笑いながら走りだす、が。

「あぁ。もう一つ言いたいことがあるんでした」

 まだあるのかよ、と肩を竦める太陽に、晴峰はグッと拳を突き出し。

「これはあなたにではありません。渡口光さんに伝言をお願いします」

 晴峰は突き出す拳で自分の胸を叩き。

「高校。高校でもう一度戦いましょう。次は絶対に私が勝ちますので!」

 高校に入って、次の大会での再戦と、次は絶対に勝つと大胆不敵な挑戦。
 先ほどまで沈んでいた目ではなく、真っすぐな彼女の目に太陽は今度は受け取り。

「あぁ。絶対に伝える」

 恋人の最大のライバルになりえる敵の言葉を受け取り、そして全てを言い終えた彼女は今度こそこの場を離れる。
 その離れてゆく背中を、太陽は見えなくなるまで見送った。


* * *

 晴峰を見送った太陽は自分の学校の人たちがいる場所に向かおうと曲がり角に差し掛かろうとした時。

「…………聞いてたのかよ」

「………………うん」

 曲がり角の影にまさかの光が居た。
 恐らく、先ほどまでの会話を盗み聞きをしてようだ。
 
 光といい、晴峰といい、人の会話を盗み聞きする風習でもあるのかと、太陽は顔を横に振る。

「どこから聞いてたんだ?」

「皆の所に戻ろうとした時、なんか後ろから怒声が聞こえて、なにかあったのかなって戻って来たんだ……。
確か太陽が、陸上を辞めるって言った晴峰さんを止める時、から」

 そこそこ中盤当たりから光はこの角で身を潜めて聞いていたらしい。

「……別に浮気とかじゃないからな?」

「そんなの分かってるよ。太陽みたいな変わり者を好きになる人なんて私以外にいないからね」

「それ、遠回しに自分も変わり者って言っているみたいだぞ?」

「そう? なら、変わり者同士お似合いってことじゃん」

 太陽の横腹を肘で小突く光に、太陽は少し真剣な表情を向け。

「俺たちの会話を聞いてたってことは、あいつの伝言、届いてたんだよな?」

 光が聞いてなくとも太陽は彼女の言葉を光に伝えるつもりだった。
 だが、間接的ではなく、直接光の所に届いたのか尋ねると、光もスポーツ選手の顔つきで頷き。

「勿論。けど、私も簡単に負けるつもりは、ないけどね」

 闘志を燃やす光の瞳から、光はこれからも鍛錬を怠らない気持ちが伝わった。
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