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第二十四話 まるで三百六十五歩のマーチやな。

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 まずは祭壇に向かう。
 改めて観察すると、祭壇と言うよりもひとり掛けのソファのような形をしている。

 だが、これがそうだとしたら、人間のものよりかなり大きく、背もたれと肘掛の部分が極端に低い異形のソファだ。
 祭壇の隅から隅まで観察したが、文字などは発見できなかった。

「…これは?」
 唯一、背もたれにあたる部分の上部に、スターマークのようなものが刻まれていた。スターマークとは、要するに“*”である。

「ミスズさん、これはなんだろう? こんなマーク、こっちで見たことはないか?」
 俺が指差したところを、ミスズが覗き込む。
「どれどれ…? おっちゃん、これ“水”やんか」

「ミズ? 漢字の? ははは、ミスズさん、なんで日本語なん…」
 急に頭の中がムズムズし始めた。思わず祭壇に手を衝く。
「…むう。俺、前もこんなことなかったか?」

「あったやろ! 何言うてんねんて思うこと、何べんもあったわ!」
「…いや、そうじゃなくて…なんだろう?」

「ホンマに何言うてんの? 心配になるわ」
「…だよなぁ」
「しっかりしてや」

 幸いムズムズが去ったので、祭壇から手を離す。
「ミスズさん、一応水をかけてみよう」
「この、字のとこでええのん? かけるでー」

パシャア

 ミスズが青い石を砕いて、バケツでぶちまけた程度の水をかけた。
「…むむっ?」
 ふたりでググっと顔を寄せ、穴が開くほど眺めたが変化はない。

「ほらー、やっぱり水なわけないやん?」
「いや、それは俺が言うべきセリフなんだが?」
「時間もないし、探索しよ、探索」

 極まりが悪そうにそっぽを向いて歩き出すミスズ。
 それについて歩きだすと、数歩進んだところでいきなり振り返った。
「なんだ? どうした?」

「…ドリフやったら、見てない間になんか起こるんやけどな」
 そんなマンガみたいなことが…と思いつつも、違和感に気付く。
「ドリフ? ドリフターズ? やけに古いものを知ってるんだな」

「は? ドリフが古い? 古うはないやろ、なに言うてんの? ドリフ言うたらナウなヤングにバカウケやん?」
「そ、そうなのか。若い子の流行には疎くてな」

 若者の間でレトロなモノが流行っていると聞いたことがあるが、こっちに来る前に、YouToneや衛星放送で、古い動画を見ていたのだろうか?
 …いや、ミスズはインターネットのことは知らなかったぞ?

「……」
 また頭がムズムズしそうだったので、俺は考えるのをやめた。

 二階を暫く探索したが、バケモノは一階と大差はなかった。
 しかし、そのバケモノが持っているアプリは、一階よりかなり多い。
 大袈裟な言い方をすれば“人跡未踏の地”なのだから当然だろう。

 そのおかげで、昨日とは比べ物にならないほどの実入りがあった。
「おっちゃん、初めて入る場所なだけあって、めっちゃ稼げるな!」
「ああ、できれば三日のうちに全体を探索してしまいたいものだ」

「おー! 頑張ろー!」
 しかし、その目標を阻むように、この階にはウナボリという、やや危険なバケモノが出るのだった。

 ウナボリはうなぎの身体にダツの頭を付けたような生物で、地面に開いた五センチくらいの穴を気付かずに踏んでしまうと、飛び出してきて足に刺さる。言うなれば生きた罠であるが、他の洞窟にも出るバケモノなので、存在自体は珍しくはない。

 また、装備さえ万全ならほぼ危険はないし、十日に一回踏んだら運が悪かったと言われる程度で、過度に恐れる必要は無い。
 しかし、ここの二階から上は生息数が多いうえ、洞窟の床が凸凹なこともあって、ウナボリの穴なのか、単に明かりに照らされてできた影なのか分かり辛いのだ。

「ウナボリなー。街に持って帰ったらエエ値で売れるらしいんやけど、厄介なんよなぁ。鉄の靴でも履いてたらエエんやけど」
「出るならいっそ、全部の穴から出ればいいのに、出るのはごく一部だからな。歩きにくいったらないぜ」

 鉄の靴がない状態でここを進むには、危険を承知で穴を踏み、素早く後ろに下がる。
 ウナボリが居る穴なら少し遅れて飛び出してくるので、頭を斬り飛ばす。
 出てこなければそこを踏んで前進する。

 これを歩数分繰り返さなくてはならない。
「一歩進んで二歩下がり、また三歩進むって、まるで三百六十五歩のマーチやな。んはは」
「笑ってる場合かよ。このままじゃ三日で回りきれないぞ」

「しゃあないな。結構稼げたし、明日は鉄の靴買うてこよ」
 ミスズの言葉に安堵し、今日はこのまま頑張ろうと、健気な俺は歩を進めた。

「…ちょい、おっちゃん?」
 後ろから、ミスズの潜めた声が聞こえた。

「どうした?」
 振り返り、同じように声を潜めて答える。

「これこれ。これ、なんやろ?」
 そう言ってミスズは、洞窟の隅を指差した。

 見ると、洞窟の壁沿いに、直径五センチほどのチューブのようなものが横たわっていた。赤い石で照らすと、それは洞窟のずっと前から、ずっと後ろまで続いている。
 余りにも普通に、壁に溶け込む色だったし、ウナボリに気を取られていたため、暫く気付かなかったのだ。

「これは、もしかして…」
 近づくと、チューブの表面にはウロコのようなものが見える。
 あえて呼ぶなら“不確定名:長い蛇”といったところだが…。

「多分、アレやろな」
 恐らくこれがチョーダだろうが、口に出すと気付かれてしまいそうで、名前を呼ぶのも憚られる。

「…けど、めっちゃ長い言うても太さはこんなもんやろ?」
 言って自分の手首を出し、ニヤリと笑う。
「…ヤれるんちゃう?」

 俺も一瞬“イケるかも?”と思ってしまった。
 コイツを倒したら報奨金が貰えるとか、未亡人が洞窟ガイドを書き直すだろうとか、皮算用その他がちらついたが、慌てて振り払った。

「いやいやいやいや! そういう物騒なことを考えるな! パーティが全滅させられるようなバケモンを、今の俺たちが殺れるか!」
 俺はできるだけ小さな声で、できるだけ強めに言った。

「けどおっちゃん、こんなとこに居ったら、間違うてシバいてまうこともあるやろ?」
 チョーダを指差しながら言葉を切ったミスズは、悪い顔になって後を続けた。
「…間違うてシバいてまうくらいやったら、バッチリ準備してシバいた方がエエやん?」

「そ、それはそうだが。…だめだぞ? 帰れなくなるぞ?」
 この脅しはずいぶん効いた。
「そ…そやな。命は大事にせんとな」

 ミスズの言葉に安堵しつつも、なぜこの蛇が危険なのか、ダメだと思いながらも興味が湧いてしまうのだった。

 結局その日は三百六十五歩のマーチに明け暮れ、帰りに防具屋で、革の長靴の底に付ける鉄の板を買った。登山靴に付けるアイゼンのようなものだ。
「俺の分だけでいいのか?」

「ウチはおっちゃんの踏んだトコ歩くし、いらんやろ?」
「はした金を惜しがって、怪我しても詰まらんぞ?」
「勿体無いのもあるけど、それめっちゃ重いねん。ウチは頭脳労働なんやで?」

「…あー、納得した」
 確かに、手に持つのと脚に装着するのとでは、感じる重さがまったく違う。 
 “軽めの鉄下駄”とも言える、無駄に脚が鍛えられそうな重さである。

逆に言えば、そんなものを履かねばならぬほどウナボリは恐れられているのだ。
 ウナボリ自体は致命的ではないが、不注意で踏めば確実に怪我をする。それを治療する手段を持っていなければ、次に現れるバケモノの餌食になるのは必至だ。

 そしてこの辺りに法術師は少ない。
 滅多に踏まないが、踏むと死ぬとなると、恐れられるのも当然だ。

「…ヤだねぇ」
「なにが嫌なん?」
「こいつだよ、こいつ」

 言って、俺はウナボリが十匹くらい入った袋を掲げた。
 全部首を飛ばされ、腹を開かれて魔石を抜かれているのに、まだウニョウニョ動いている。この生命力の強さも、珍重される理由なのだろう。

 その後、互助会に寄ってウナボリを提出した。
「これは中々、綺麗に捌いてありますねぇ」
 ニイナの言葉に、ミスズが“ふふん”といった顔で俺を見た。

「はいはい。ミスズさんの包丁捌きは板前さん並みだよ」
「んふー(鼻息)。伊達に長いこと魚捌いてへんで?」
「それに、首の際を斬ってあるから可食部も多いですね」

「…だそうだ。俺もたいしたものだろう?」
 俺はミスズに、先ほどの“ふふん”を仕返した。
「ま、まぁ、おっちゃんも中々なんちゃう?」

「それでは一匹二十アプリで十二匹。締めて二百四十で引き取りましょう」
 値段を提示したニイナを無視して、日本語で会話していた俺たちに痺れを切らした。
「…なんですと? 二百四十じゃ不満とな?」

「いや、すまん。二百四十で充分だ」
 ニイナに侘びてアプリを受け取り、互助会を辞した。
「エエやんウナボリ。オイシイやん」

 ホクホク顔で足取りも軽いミスズ。少し先で振り返って言った。
「そう思わん? おっちゃん?」
「うーん。手間を考えれば、とてもオイシイとは言えないぞ」

 ウナボリという邪魔者がいなければ、もっと稼げていたはずなのだから、それが多少高く売れたとしても本末転倒だ。

「むーん」
 顔をしかめて下唇を出す。
 そんな仕草もまた可愛い。

 ミスズが可愛いなんて、できるだけ考えないようにしていたのに、最近ではそんな思いが、不意をついたように浮かび上がる。
 俺は手を伸ばし、艶やかな黒髪に覆われた頭を優しく撫でた。
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