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第六話 阪神、柏戸、目玉焼き

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「おっちゃん、なんか話しよーや」
 その日の夜。炎の向こうから、キラキラした眼を向けてミスズが言った。
 手元では、手際よく魚を開きにしている。

 俺はと言えば、最初の魚をさばいた時点で不器用がバレてしまい、ミスズの命令で、開きにする前処理として、魚のハラワタを取り出す作業を専らとしていた。

「ずっとひとりやったさかい、誰かと話するのに飢えてんねん」
「確かに。こんなこと、黙ってやっていると疲れるな」
「せやねん。手ぇとか臭なるし」

 そこで俺は、全リソースを女の子の好む話題の検索に費やしたが、はたと気付く。
「そうだ、ずっとと言っていたが、ミスズさんは、どれくらい前からこの世界に居るんだ?」
「あー、やっぱそれ聞いてまうん? そら気になるわなぁ」
 思わせぶりな顔で、科をつくるミスズ。

 キミが話をしようと言ったからだとは思ったが、顔には出さない。
「そうだな、気になるな」
「ウチは十歳くらいのころにダンプに轢かれてん」
 俺の見立てでは、ミスズは十代後半というところだ。
 当たり前だが化粧っけがないので、俺にでも分かりやすい。

「ということは、ここに七、八年居るってことになるのか?」
「あー、それがやな…」
 ミスズは包丁の背を眉間に当て、考え込む素振りをした。
「一年の日数も、一日の長さも向こうとは違うし、どれくらいって言われても、よう分からんねん」

「そうなのか…」
 納得しようとして、違和感に引っかかる。
「…ん? 一日とか一年の長さが向こうと違うって、どうやって分かったんだ?」
 ミスズが時計を持っているようには見えない。

「ウチ、こう見えても向こうじゃええ子やってな、朝は目覚ましなしで起きられる規則正しい生活しとってんけど、こっち来てワヤになったんよ。短いんか長いんかは分からんけど、絶対向こうと違うわ」
 なるほど、体内時計というヤツか。

「日にちは、夏が来て、冬が来て、また夏が来るまでを数えたった。…数えてたんやけどなー、こういうのんて、年によって違うやん? 四百日くらいやろかってのは判ってんけど、細かいことは分からん」
 そういうところでも苦労しているのだな。

「ふむ。で、四百日を何度繰り返したんだ?」
「忘れてもうた」
「えっ?」
 あっけらかんと答えるミスズに、思わず素で驚いてしまう。

「毎年数えてるうちに、それを何回過ごしたってことは忘れてもうたんや。んはは」
「そ、そうか」
 終わりかけた話を、どうにかして膨らませようと健闘。なんとか成功する。
「えっと、向こうにいた頃の元号は覚えているか?」

「んん? 元号ってなんやったっけ?」
「天皇が変わったら変わるアレだ。平成とか、令和とかっていう…」
「ああ、それな。ヘイセイは知らんけど、レイワはなんか聞いたことある気がせんこともないな。知らんけど」

 平成を知らないのに、令和を知っているなどということはないだろう。
 本人も言っているように、結局何もわからないということか。

「んー、何か流行していたものを覚えていたりしないか?」
「えーと、相撲が好きやったな」
「相撲か。渋い好みだな。俺は観ていないが、何年か前に“横綱は。”とかいう相撲映画があったな」

「“横綱は”て、マワシ巻きの?」
「いや、そっちじゃなくてって、…よく知っているな、そんな古いの。そうじゃなくて、主題歌の“前前前褌”が流行ったみたいだが…」
「うんにゃ、知らんなぁ」

 全然ピンと来ていない顔で、ミスズは首を振った。
「そ、そうか」
 十歳の頃にこちらに来て、現在十代後半のように見えるミスズなら、知らないはずはないと思ったのだが、多少ずれているのか?

「好きな力士は居たのか?」
「いっちゃん好きなんは、引退してもうてるけど柏戸やろかなぁ」
「柏戸って。確かその人は、引退どころか亡くなったはずだが?」

「ホンマに?!」
 ミスズは驚き、髪に火がつきそうなくらいに身を乗り出したが、うなだれながら元の場所に戻って言った。
「…ホンマかー…」

「若いのに、渋い好みをしていたのだな」
「そんなに渋うはないやろ。阪神・柏戸・目玉焼きいうたら、子供の間でも大人気やったやん?」

「それは…あまり聞いたことがないが、阪神ってのは、阪神ティーゲルズか。ミスズさんは関西人みたいだし、阪神ファンだったんだな」
「せやでー。おっちゃんはどこファン?」

「ああ、悪いが、野球はルールくらいしか知らないのだ」
「そら残念やな。ほんで阪神はどんな感じやったん?」
「詳しくは知らないが、ここ三十年くらい日本一にはなっていないはずだ。リーグ優勝は、何度かあったのかな?」

 ミスズの眉間に深い縦皺が刻まれた。こんな答えしか出来ないことに居心地の悪さを感じつつ話題を変える。
「まぁ、ウチが覚えてる分でも、日本一にはなってへんもんな…」

「あ、後は目玉焼きだな。目玉焼きは…普通に目玉焼きか。目玉焼きなら、向こうでは毎朝食べていたな」
「毎朝! ええなー、こっちじゃ滅多に食えんのに…」

「え? もしかしてこっちにはニワトリが居ないのか?」
「コケコッコーとかいうてるの、聞いたことないなぁ。ウチは時々、ヒマカラってバケモンの卵取って食ってる」

「えぇ? バケモンの卵! 大丈夫なのか? 毒とかは?」
「白身の真ん中に黄ぃ身があって、普通やで?」 
 驚いたことに、こちらの世界には家禽というものは存在していないようで、卵と言えば野鳥やバケモノの卵であり、当然貴重品らしい。

「…ほい、これで最後だ」
 手元にある魚をすべて処理し、最後の魚をミスズに渡した。

「阪神も柏戸も目玉焼きも…」
 肩を落としながらも、手際よく開きを作っているのだから大したものである。
「いや、なんか色々すまなかったな…」
「…うん。大事無い」

「おっちゃん、次はあっちや」
 テントの方を指差すミスズ。横には大き目の甕が置かれている。
「その濃いい塩水に漬けてや」
 俺が甕を開けると、なかなかにパンチのある臭いが流れ出してきた。

「うおっぷ」
 思わず仰け反る。
「…凄い臭いだな」

 どうやらこの塩水は使い回されているようで、クサヤに近いフレーバーになっている。
「臭いっちゃあ臭いけど、これな、けっこ人気商品なんやで?」
 腰に手を当てて、胸を張るミスズ。

「さっき食べたやつだろう? 焼くと臭いはそんなに気にならないし、うまい部類なんだろうな」
「チッチッチ、それがワイパーなんやなー」
 眼の高さに上げた人差し指を、左右に振るミスズ。その指を俺に向けた。

「さっきおっちゃんが食べたんは、やり方は一緒やけど普通の味の魚。街に持っていくのは美味い種類の魚や。美味いモンはお客さんに売って、自分は普通のを食べる。不味いのは埋める」
 ミスズはマント系俳優のような動きで、不味い魚を指差した。

「まったく、見上げた商売魂だな」
 俺が感心している間にも、ミスズはちょこまかと立ち働いていた。
 その手際の良さから、何度も繰り返した作業なのだろうと推測できる。

「最後は、ここに魚を掛けて…と。おっと、やり方があるさかい、おっちゃんは手ぇださんといてな?」
「お、おう」
 ミスズはテントの骨組みのようなものに、びっしりと魚の開きを引っ掛けた。
 要するに、外壁が魚でできたモンゴル遊牧民のゲルみたいな状況だ。
 最後に、赤と緑の石を真ん中に置くと、熱と風が組み合わされた熱風が噴出し始めた。

「赤い石はこういう使い方もできるのか…」
「せやで。火加減は自由自在や!」
 熱風に当てられた開きは、どんどん乾いて干物になっていく。

「この塩はなー、大きい葉っぱで作った鍋に海の水入れて、赤い石入れて沸かして作ったんや。でや、凄いやろ?」
「それを自分で考え付いたのか?」
「せやで。鉄鍋一個しかなかったし、いっぺんにようさん作れんやろ? せやから、葉っぱ鍋いっぱい作って、天日で塩水濃ゆうして、最後の仕上げは鉄鍋でやったんや」

「うーん、そんなこと、よく考えたな。この世界じゃ海洋汚染もないだろうし、あの魚が旨いのも道理だ」
「ちょっと遠いけど、緑の石でひとっ走りなんや」
「はは。笑ってしまうくらい、魔法万能だな」

 向こうでの電気や内燃機関と同等か、それ以上にこの世界では魔法が幅を利かせている。
 まぁ便利だからな、仕方がないな。
「それくらいやらしてくれんと、生きて行かれへんし」

 その程度の力を与えられても、子供がひとり、見知らぬ世界に放り込まれて、生きてくるのは大変だっただろう。
 十歳の自分に、それができただろうか? 
 俺には答えが出せなかった。
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