蛇が知るは秋のぬくもり(旧版)

幽月 篠

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無謀な任務

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 死地に向かうような任務でさえも拒まない貴方が愚かしいと思い、闘う貴方が恐ろしいと思ってしまった



「……何でお前が隊長なんだよ」

 健吾はぎろりと小僧を睨みつけるが、小僧は表情を変えることは無かった。

「さあ。でも良かったですね。貴方は利き腕を折らなくて」
「どの面で言いやがる。この冷血漢」

 小僧の胸ぐらを健吾は掴もうとしたので、私は健吾の手首を掴んで阻止した。

「余計なことをすれば此方の骨も折りますよ」
「貴様ぁ………!」

 健吾は私に敵意を向けるが知ったことではない。むしろ小僧に止められてなければ私念のままに折ってしまいたいくらいだ。そんな険悪な雰囲気の間に夜萩が入った。

「まあまあ、落ち着いて。秋也、占で見た方向はどっちなんだ」
「西だ。まあ人の失踪した範囲など地図で見てみると、そちらが多発しているから占の意味などあるのかという話だがな。気になるのは鬼門であるうしとらとは方向がずれるということだが……」

 小僧と夜萩が相談していると、健吾が話を遮ってきた。

「艮ばかりに集中するとは限らないだろう。自分の占の結果ぐらい信じられないのか、馬鹿」

 健吾は苛立ちのままに呟く。小僧と夜萩は健吾の方を向いた。

「健吾殿、それはどういう……」

 すると健吾はふんと鼻を鳴らし、偉そうに木に凭れると説明を始めた。

「賢い奴は逆に鬼祓いや陰陽師が注意するような艮は避けるんだよ。すぐに退治されるからな。で、占に出るような凶事が起こる頃には既に力を付けるほど人を食っている訳。分かったか」

 夜萩と秋也は目を丸くする。2人の驚く様に健吾は得意気になっていた。

「健吾さん、意外と賢いんですね」
「健吾殿、頭領に媚売っているから、若衆の長を数年勤められていると思いましたが、違うのですね」

 2人とも驚きのあまり素の気持ちを言葉に出してしまう。そんな二人に健吾は怒りの表情を見せた。

「貴様ら………帰ったらただじゃおかねえぞ」
「はい。帰ったらどうにでもしてください。夜萩、健吾殿の身は任せた」
「はいはい。分かってますよ」

 そうして夜萩は健吾の傍に付き、私は小僧の傍に付き添うこととなった。

「おい次代。敵だらけでどうにもならなかったら、貴様達を置いていくからな」
「どうぞご勝手に。私は任務を遂行するだけですので」

 小僧は山の中に入っていく。健吾は小僧をじっと見ていたが、どこか腹立たしそうな顔をしていた。
 山の中は不気味で夜に動き出す獣の声と、それに混じって化生の声が聞こえる。三人ともずんずんと入っていくが、小僧の後ろの二人はどこか不安そうな顔をしていた。だが小僧はいつもの無表情のままだ。

「主、大丈夫なのですか」
「大丈夫とは言えんだろう。……何せ相手は二十数人を拐う化生。もし全員喰われていたら、私達はただの生き餌になるだろう。頭領ならそんなことを考えかねない」

 物騒なことをさらりと言う小僧だ。頭領とやらがそのような思惑を考えていなければいいがと思ったが、二十数人を食っているかもしれない化生を相手に三名しか送らなかった時点で、もう最悪の予感しかしない。私の方を振り返ると小僧は私の肩に手を置いた。

「そう易々と餌になってやるものか。私は生きねばならぬのだから」

 小僧は無表情のままであったが、その瞳は鋼のように強い意志を私に見せていた。無謀でしかない。だがせめて小僧が死なぬようにせねばならない。小僧など嫌いなのに、そんな決心を抱いてしまった。
 森の中を歩き回って何刻経ったのであろうか。小僧と夜萩は時折聞こえる健吾の不平不満を聞き流し、奥へ奥へと進んでいく。変化が訪れたのは、健吾が不平不満を言うのにも飽きた時であった。

「主、血の臭いがいたします」

 風が運ぶ臭いが鉄臭く、獣の臭いではない。報告すると、小僧の周りの温度がすっと冷たくなった。

「ああ……私も僅かばかりにする。この様子だと拐われた人々はもう……望みが薄いであろうな。そして油断したままかかれば此方にも命はない」

 小僧は腰に差していた脇差しの柄に手を掛ける。

「ちょっと待て、秋也。何か急に血の臭いが濃くなっていないか?」

 夜萩が言うように、血の臭いが濃くなっている気がする。小僧が脇差しの鯉口を切った時、それは姿を現した。

「わあ!? だ……誰!?」

 化物ではなく、ただの子供である。それも七歳程であろうか。夜萩と健吾はほっと安堵したように警戒心を解いた。

「おい坊主、君は何処から来た?」

健吾が問うと小僧は怯えながらも話し始めた。

「村でおっ母達の手伝いで森に入ったら大きな化け物に拐われて………。化け物が目を離した隙に逃げ出せたけどおいら迷っちゃった。……兄ちゃん達は誰だよ」

 小僧が答える前に健吾が答える。

「俺達は化け物を退治するためにやってきた鬼祓いだ。知らないか? 年に一、二回庄屋の元にやってくるやつ」

 そういえば村々の者達が簡単には化け物達の餌食にならないのは、道祖神と鬼祓いの結界を張っているからだっけな。あれは近づくだけでびりびりと身体が痺れる心地がしてたから嫌だったが。そんなことを知らないのか、小僧は健吾の言葉に首を傾げた。

「おいら分かんないや。でもよかった。兄ちゃんあの化け物退治して! 拐われたみんな……食べられて……」

 小僧はその様を間近で見たのか、涙を流して踞る。小僧は夜萩に目配すると、夜萩は子供の背中を撫でた。

「よしよし。怖かったな。兄ちゃん達が退治してやるから案内してくれないか」
「うん……」

 小僧がしばらく嗚咽しながら夜萩の腕の中にいる間、小僧は念話で此方にあることを告げてきた。それに驚きながらも、こちらも念話で返した。

『よろしいのですか?早く仕留めた方が良いでしょう』
『急がば回れだよ。それに………』

 小僧の案には賛成できない部分もあるけれど、他に手立てがなさそうだ。一旦様子を見守るとしよう。
「兄ちゃん達こっち!」

 健吾の片手を引いて子供は歩き出す。そんな子供を秋也は冷たい目で一瞥した。

 子供の案内のままに進むにつれ、血の臭いが濃くなる。小僧と血の契りを結ばなければ血酔いしていたであろう。小僧を横目で見ると、小僧の瞳は抜き身の刃のように寒々しいものになっていた。やがて視界が開けてくると、一同は声を失った。

「うわ………」

 まず声を出したのは健吾である。夜萩も青ざめたが、小僧は冷たい顔のままだった。その惨状は酷いものであった。開けた場所に人骨が積み上げられており、血の水溜まりがあちこちに出来ている。そして脳味噌のような物や肉片までもが散らばっていた。

「食い方が汚いな。もっと綺麗に食えば力を付けられたものを」
「次代、こんな時に不謹慎な話をするな! まず生存者を探さねば……」

 健吾が身を乗り出してもう少し近くで見ようとした瞬間、夜萩が健吾の着物を掴んで後ろに下がらせる。そして私は念話での小僧の指示通りに子供の身体を開けた場所の方に蹴り飛ばした。

「貴様何をやっている!?」
「健吾殿、知らないふりはもう十分かと」

 健吾は小僧を睨みつけていたが、はっと目を見開く。

「知らないふりなど………まさか」

 健吾が蹴り飛ばされた子供の方を向く。すると子供は泣きながら小僧を睨んだ。

「三つ編みの兄ちゃん酷いや。それになんで怖い兄ちゃんはおいらに刃を向けるの………?」

 小僧はゆっくりと子供の元まで歩くと、子供の首に刀を当てた。

「惚けるのもいい加減にしろ化け物。血の臭いと妖気が隠しきれてないぞ」

 子供は泣き真似を止めるとくくっと嗤い出す。

「そういう貴様こそ、殺意を隠しきれてなかったようだが?」

 子供は小僧を見てにたりと嗤う。突然子供の身体から今まで隠していた妖気が噴き出し、真正面から浴びた小僧は冷や汗をかいていた。

「子供の姿で人々を拐っていたのか? 何とも卑怯な手を」
「子供の姿だと人は簡単に騙されるからなぁ。この皮を被れば誰も彼も簡単に捕まえられる。まあ貴様は違ったが」

 小僧の刀が子供の首の皮を裂くと、そこからおぞましい肉の色が見えた。明らかに人の肉ではない。皮が破れた化生が小僧に飛び掛かろうとしたので、私は瞬時に小僧を抱き上げて下がった。

「宵の君もまあ何と酔狂なことを。人を喰わないのですか?」
 
 化生が突然此方にそんなことを言ったので、私は化生に苛立ちを覚えた。

「黙れ。人喰いなどという穢れた行為で力を付けるような貴様に、その名前で言われる筋合いはない。我が主を傷つけようものなら、貴様を殺す」

 化生は呆れたように嗤うと、被っていた皮に手を掛ける。

「鬼祓いだけではなく、宵の君まで食べられるなど光栄の至り。ならば全員すぐに喰ろうてやりましょうか」

 化生が子供の皮を脱ぎ捨てると、おぞましい本性が現れ出た。


 蜥蜴の姿に蚯蚓のような色。高さ5尺以上長さは10尺あるだろうか。一体あんな図体を子供の皮に隠していたのだろうか。影縄は秋也を抱えたまま、化物の胴体から伸びる気色悪い触手を避けていた。

「だから言ったでしょう。人に化けている内に仕留めれば早いと」

 人の姿で接触してきたことの念話について愚痴を言うと、小僧は苦虫を噛んだような顔をしていた。

「仕方ないだろ。あの場所は急斜面が多く戦いづらかったのだから。それにしてもこんなに大きいとは思わなかった」
「一旦撤退しましょう。それで援軍を呼べば……」

 この小僧は火行を有している。対する化け物は水行。相性が悪すぎる。戦うなど無謀でしかない。だが、小僧は首を横に振った。

「いや、駄目だ。どうせ頭領が援軍を呼ぶとすれば我々が死んだ時。それまでは何度でもこの化け物と相対させるだろう。それに……敵が相剋の場合も考えてある」

 小僧は念話で茂みに隠れるように命じてきたので、茂みに隠れる。小僧は懐から一枚の霊符を取り出して投げると、球状の結界が私達を覆う。あの夜萩と健吾を探してみると、少し離れたところで結界で触手を防いでいた。夜萩が無事なことを確認して小僧に視線を戻すと、小僧は懐から折り畳んだ紙を取り出した。

「私の脇差しの柄に巻いてくれないか。これで少しは対抗出来るから」

 言われるままに小僧の脇差しの柄に紙を巻く。紙は梵字が書かれており、巻き付けるにつれて、刀が纏っていた霊力の質が変化していくのを指で感じていた。やがて全部巻き付けた途端、糊で貼ったように紙の端がぴったりとくっつく。小僧は頷くと立ち上がった。

「これから私も戦う。影縄は私の背後を頼む」

 骨折した奴が何を言っているのか。影縄は秋也の無謀さに呆れていた。

「お止めなさい。死にに行くような真似など」

 今更な状況で思わず口にしてしまうが、小僧は既に脇差しの鯉口を切っていた。

「大丈夫。私を信じてくれ」

 小僧の静かな声音に強い言霊を感じた。鬼祓いなので器用に言霊の力を操ったのか、それとも私に信じてもらいたくてただ言ったのか分からない。ただ断言出来るのは、小僧の「信じてくれ」という言葉が私の心を動かしそうになったこと。何も言えずに小僧を見ていると、小僧は結界の外に飛び出した。
 鋭い槍のように尖った触手の先端が小僧の身体を貫こうとした時、小僧は一瞬腰を落として飛び上がると、脇差しを抜いた。銀色の刃が月の光を受けたまま弧を描く。その瞬間、ぼたぼたと化物の触手が地面へと落ちた。化物の切られた箇所から血が噴き出すと驚いたように身体を震わせる。

「馬鹿な……!?」

 化物の触手は一斉に小僧の四肢を切り落とそうと狙うが、小僧は刃を振るい、軽やかに避ける。その姿は野を駆ける狼を連想させた。血に濡れながら刃を振るう内、小僧がおぞましい笑みを浮かべる。その笑みを見た途端、背筋が凍りついた。

「虎狼か貴様は………」

 笑うのではなく嗤っている。敵に向けられたものか、それともこれが小僧の本性か。私にこの背後を守れと言うのか。生理的な嫌悪感に動けなくなる。小僧はそんな私の視線に気づくと笑みを浮かべるのを止めた。そして脇差しの柄を口に咥えると、懐から何かを投げた。影縄がそれを受け取って見ると、それは小刀である。鞘から抜くと、小僧の刀に纏わりついていたのと同じ神気が見えた。

『それを使ってくれ。………頼む』

 えいままよ。影縄はひとつ大きく息を吸うと、結界の外へと駆けた。
 小僧の傍に近づいた時、丁度小僧の背後を触手が狙っていたので小刀で切り落とすと、私に気づいた小僧が安堵したのか笑ったように見えた。

「来てくれると思っていた」
「当たり前でしょう」

 小僧のところに来たはいいが、あの嗤い方を見たくなくて背中合わせに戦う。すると小僧の息が若干上がっていることに気づいた。骨折したわりに重心の動かし方などは悪くない上、あの程度で小僧が疲れるとは考えにくいのだが。いや待てよ。まさか……。

「霊力が少ないですね。主、それは五行を転じる呪ですか」

 目の端で小僧の頭が縦に振られたのが見えた。やはりと私は舌打ちをした。火行では不利だと無理矢理土行に変じたか。それでは脇差しを振るう度、霊力の消耗は大きい筈だ。だが小僧は信じられないことを言った。

「寿命を削れば半刻は闘える。影縄は心配しなくていい」

 小僧のその言葉を聞いた途端、頭の端で何かが千切れる音がする。私は小僧を張り倒したい衝動を全て化物の前足を切り裂くことに変換した。

「貴様は何を言っている!! 自分の命を粗末にするな、このたわけ!!」

 化物が悲鳴を上げている間に視線を小僧の方に遣ると、小僧は目を大きく見開いて此方を見ていた。それで急に恥ずかしくなって目を逸らした。

「誰であって命には価値がある。少なくとも………私は貴方は死ぬにはまだ早いと思っている」
「影縄………ありがとう」

 背後で小さいその声が聞こえた後、再び戦いが再開される。だが、劣勢な状況を打破しうる手立ては見つからぬままであった。



 健吾は秋也と影縄が戦う様を見ながら動けずにいた。

「あいつら……」
 
 何故奴等は戦える? 俺なんかこの任務を請け負った時から、頭領に見捨てられたと諦めていたのに。何故生まれついた頃から既に頭領に見捨てられていたお前が諦めない? 無謀だと知っているくせに……。次代は折れた片腕に手甲をはめているのか盾代わりにして戦っている。器用に戦っているが、既に衣はぼろぼろで、あちこちに既に裂傷が見られた。

「健吾さん、戦う気が無いなら下ってください。俺は秋也の加勢に行きます」

 夜萩は鯉口を切ると、今すぐに結界の外に出られるように臨戦態勢を取っていた。

「待て、俺に考えがある」

 呼び止めた健吾を夜萩は不審そうな顔で振り返った。

「俺の五行は土だ。お前も五行は土。霊力を容易に分け与えることができる」
「どういうことですか」
「言わないと分からないのか? お前に俺の霊力を殆どを渡すと言っているんだよ。化物は次代と蛇に夢中で俺達のことが見えていない。その隙に縛魔の術を掛けろ。この俺では印は組めんからな」

 瞠目する夜萩に健吾は不機嫌そうに数珠を渡す。それは健吾が愛用している数珠で誰にも触らせたことがないという物であったのだ。

「貴様にしくじられては全てが水の泡になる。念のための補強としてこれを使え」
「ありがたく使わせていただきます」

 夜萩はそれを受け取ると、手首に掛けて化生の方を向いた。
 化生と対峙していた秋也は、折れた腕から血をぱたぱたと溢していた。

「流石にきついな……」

 盾代わりに三角巾で吊った腕を使ったなどと知られては、桔梗に怒られかねないな。そんなことを考えながら脇差しを振るっていた。霊力も底を尽きかけており、身体が重く感じる。伸ばした髪に霊力を溜め込んであるから、今使っても良いのかもしれない。だがそれがいつの時期かを見誤らないようにしなければ。

「影縄は………平気では無いみたいだな」

 影縄は集中的に狙われているようで、腕や顔から血が滴り落ちている。

「喋っている暇があるなら手を動かしなさい」

 影縄は苛立ちを隠さないまま小刀を振るう。もし影縄がこれ以上怪我を負ったら私の陰に隠さなければ。影縄の方に一瞬意識が向いたせいであろうか。

「かっ……はっ……」

 気づけば胴を木に叩きつけられ、胴体が痛みで悲鳴を上げた。

「ごほっ……っ」

 鉄の味がせり上がり、咳き込めば鮮やかな血が口から零れる。

「ぐっ……」

 真上を見上げれば化生の足が私を踏み潰そうとしている。早く避けなければ。身体を叱咤しようとしても、痛みで起き上がれない。

「くそっ……」

 嫌だ、こんな無意味な終わり方。まだ死ぬわけにはいかない。奥歯を噛んで立ち上がろうとする。だが間に合いそうもない。

「主___っ!!」

 横目で見ると、影縄は蒼白の顔で此方に駆け寄ろうとしている。もう無駄だろう。意識が朦朧とし始める。申し訳ありません、颯月殿。私は役立たずのまま死ぬようです。いよいよ目を瞑って死ぬ覚悟を始めた時、大声が耳朶を震わせた。

「何をしている、この大馬鹿が____!!」

 それは大嫌いな健吾の声音。秋也が目を開けると、化生は縛魔の術でがんじがらめになっていた。

「隙を見せるなど貴様らしくない。死のうと思うぐらいなら足掻く真似ぐらいはやってみせろ!」

 健吾の声の方を見遣ると、健吾は蒼白な顔に汗をかいている。どうやら霊力を夜萩に渡したようだ。何故そのようなことを………。あいつは普段命じてばかりで他の鬼祓いをこきつかっている男だと思っていたのに。……いや、私は健吾の一側面しか見ていなかったのかもしれない。秋也は地面に落としてしまった脇差しを拾うと構え直す。そこに影縄がやってきて秋也を支えた。

「影……縄……私を化生の上まで連れて行ってくれ」
「承知」

 影縄が秋也の血で濡れた口元を一瞥すると、助走をつけて化生の上に飛び上がった。

「おのれっ……おのれえぇぇぇ___!!」

 化生が暴れる度に、縛魔の術で紡がれた霊力の鎖がぎしぎしと音を立てる。早めに手を打たねば縛魔の術が打ち砕かれるだろう。

「主、早くしてください」
「ああ……」

 脇差しを化生の頭蓋の上に構える。だが、脇差しを掴むのが精一杯で手が震える。このままでは化生に刃が通らないだろう。秋也がそう思っていると、秋也の手の甲の上から、冷たくて綺麗に伸びた手が重ねられた。秋也が顔を上げると、影縄は秋也の目を真っ直ぐと見ている。

「主、貴方は一人ではありません」

 その一言で目の奥が熱くなる。秋也は頷くと、最後の力を振り絞って脇差しを勢い良く刺した。

「伏して願わくば、紅原に加護を与えし神よ。今一度我に力を貸したまえ……!」

 私は曾祖父や初代様のように紅原の神の化身ではない。だが、祈れば応えてくださるだろう。必死にあの女神に祈ると、身体に暖かな神気が降りてきた。すると刃を伝って化生の身体を焔で包み込んだ。

「貴様らぁああああ………がああああ____!!!」

 化生の身体が均衡を崩す寸前、影縄が私を抱えて飛び降りる。着地して私が振り返った時、既に灰と化した化生の残骸だけが残っていた。

「流石だな……次代」

 顔を上げると、健吾が普段は私に見せないような穏やかな笑みを浮かべている。

「健吾殿、此方こそ夜萩を通して助力してくださり、ありがとうございます」

 今まで心が通じあったことが無かった健吾と何かが通じあった気がする。健吾は私に手を差し出すと、私はその手を掴んで立ち上がった。

「今回は本当にありがたいと思っておりますが……影縄がまだ貴方に警戒しているようですね」

 影縄は私の後ろに控えたまま、無言で健吾に敵意を向けている。健吾は気まずそうな顔をすると、頭を下げた。

「人でないからと言って軽蔑をしてしまってすまなかった。許して……もらえるだろうか」
「今後の主への対応次第ですね。それと人でなしでも心があると理解した上で接していただけれるといいのですが」

 影縄はふいっとそっぽを向いた。たった一度の戦闘で健吾のことを好きになるわけでもないし、影縄と距離が一気に縮まった訳でもない。だが、今回の戦闘で二人と心が通じ合えたのだと思えた気がした。

 秋也は己の数珠を懐から取り出すと、化生の亡骸の傍に膝をついて経を唱え始めた。凛とした少年の声が宵に響く。影縄はそれを聞きながらぼんやりと月を見上げていた。経が終わると、秋也は立ち上がる。

「化生に対しての経ですか」
「まあそれもあるが、化生に食い殺された人々に対しての弔いだ」

 小僧は散らばった骨を見下ろした。その横顔は痛みを抱えているようで、ぎゅっと唇を噛み締めている。別に小僧のせいという訳でもないのに、自責しているのか。くだらない。全ての人を助けられる訳など無いというのに。影縄は溜め息を吐くと、秋也の体調を確認するために歩み寄る。折れた片腕の出血が気になる。下手をすれば今後動かなくなるかもしれない。ならば早めに応急の処置をしなければ。影縄が声をかけようとした時、秋也が影縄を見て大きく目を見開いた。何事だ?影縄が怪訝に思った時、秋也が走ってきたかと思うと、影縄を突き飛ばした。

「何を……!! 私はただ怪我の処置を……あっ……」

 突き飛ばされたことに怒りを覚え、文句を言おうとした。だが生温かい滴が頬に落ちた途端、影縄の黒曜の瞳が凍りついた。

「何故……」

 小僧は何も答えない。ただ微笑むと、糸の切れた操り人形のように身体が傾ぐ。小僧の身体をうけとめると、己の衣が血で染まっていく。影縄が顔を上げると、目の前には血で濡れた刀を持つ青年が佇んでいた。

「凪人……貴様……」

 影縄は感情の無い声で呟いた。
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